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こんな短期間に・・・

コロナがまだまだ続いている今、この間に本当に多くの素晴らしいミュージシャンがお亡くなりになりました。
僕の親父もその1人ですが、2020年から今まで、本当に多くの人がお亡くなりになったように思います。
「この星、どうかしてるぜ!」って思うほど・・・

それでなくでも悲しい日々が続いているのに、会えなくなるのは、本当に辛いことです。

僕がお世話になった人は、とてつもなく多くいます。
その中で、
坂本スミコさん。
村上”ポンタ”秀一さん。
土岐英史さん。
の訃報は親父と共にとても苦しい気持ちでした。

坂本スミコさんは、親父とよくコンサートをやっていました。
僕も小さい頃から可愛がってもらい、楽しい事しか思い浮かびません。
よく膝の上に乗っかかったりした事があったようです。
その後、何年かして僕も演奏家になり、「グローバル・ジャズ・オーケストラ」がスミコさんのバックを担当した時が初めての共演になりました。
「たかっさん(親父の事をそう呼んでました)とこの子かいなぁ!」
「今日はよろしくね!」
スミコさんのラテンナンバーは本当に一級品でした。
吹いていてこっちも楽しくなる。
そんな気持ちに親父もやってたんやなと思いました。
(きっとリーダーやったからそれどころやなかったかも・・・)
その後、何回か「アロー・ジャズ・オーケストラ」のエキストラで参加した時にご一緒させてもらいました。
おかんと一緒にいたら、思いっきり喋りまくってたんやろうなと思います。
オカンから、古い一枚の写真を見せてもらったことがあります。
親父にオカン、スミコんもいてどこかのプールやと思います。
ビキニで決めてます!
そして、オカンもスミコさんも真っ黒!(笑)
でも、写真からとても楽しい時間やったんやなと感じることが出来るものでした。
ブール行って夜はコンサート!
素晴らしい歌をありがとうございました。

村上”ポンタ”秀一さんは、本当にひょんなことから可愛かって貰えるようになりました。
音大卒業してまもなく、当時バンドを組んでいてそのバンドで京都のRAGに出た時でした。
対バン形式で、対バンは関西うたものばんとでギターを弾いている白山貴史率いる「South Pacific」でした。
僕達は後の出番だったので、先にリハーサルをしていると、白山が入ってきました。
その時は、僕がドラムを怒鳴り散らしていました!
白山的に店入っていきなりかい!と思ったようですが、その驚きも一瞬で消えます。
なんと、白山が入ってきた直後にポンタさんが入ってきたのです。
そして「あ〜・・・ありゃ3年も持たねえな。」と一言・・・
僕は後で気づき挨拶に行きました。
どうやら、次の日がRAGでのLIVEで前乗りしてきてて聞きに来たようです。
もちろんライブも聞いて行かれました。
僕がEWIのパフォーマンスを始めた時「へぇ〜!なんちゃって!」と言われた事今でも思い出します!
その後、高校から行ってた立命館大学のビックバンドが参加していた「くもん・大阪城ジャズフェスティバル」でポンタボックスがゲストで出た時、飛び入りで参加させてもらったり、ポンタさんからライブしよう!と誘っていただいたり可愛がってもらいまくりました!
特に、RAGでのポン・リキナイト・・・
凄かっです!
僕の右が力哉さん。
僕の左がポンタさん。
フロント僕だけ!
もう凄かったです!
SOME SKUNK FUNK
NOT ETHIOPIA
など、史上最高の演奏の中で吹けた事は一生忘れられません。

最後は、土岐英史さん
土岐さんは、僕が音大の2年生の時特別講師として1日だけ来られました。
その時、一緒に「OLEO」を演奏したと思います。
その時の的確な指摘、アドバイス、これからの音楽家としての心構えなど、あっという間の時間でした。
すごく優しく教えてくださいました。
(厳しいんですよ。でもとても優しかった・・・)
僕の時は、その1回で終わったのですが、次の年から毎月来るようになって後輩たちと食べ・飲み・演奏しまくってました。
僕は、岐阜で行われた「セルマーサックスキャンプ」に参加し、そこで四六時中可愛がってもらいました!
確か「ブラックナイル(ウェイン・ショーター)」を練習しました。

また、1度プライベートで教えて貰ったことがあります。
その時に「ええか、俺はおやっさんから「頼む!」って言われてるんや。だから、しっかり吹けるように頑張るんやで!」と言われました。
その時のもつ鍋の味はさっぱり覚えてませんが、いっぱいお話させてもらいました。
神戸であったイベントでも、色々教えてもらいました。
土岐先生が大学を退官される時の集まりに参加しました。
先生の前でジャズを吹きました。
土岐英史が「なんやほんのちょっとやけどジャスできるようになってるやん!」
あの言葉は、本当に嬉しかった・・・
今まで、いっぱい演奏した中で、あの時の土岐先生の話は、いつまでも僕の財産です。
打ち上げで行ったパブに同期の小林充も合流。
会うやいなや1発頭殴られてましたが嬉しそうでした。
後輩にも見せたことの無い「夢想花(円広志)」をコバと僕が歌い土岐先生に聞いてもらいました!(笑)
飲みすぎて寝てはりましたが・・・(笑)
次の日、「昨日のん聴いてな、みつひろはコルトレーンの「ブルートレイン」コピーしたらええと思うねん。いっぺんやってみ!きっと何が言いたいかわかるから。」
と電話を頂きました。
あんだけ酔ってたのに覚えてはったのには驚きでした。
「また会った時にどうなったか聴かせてな!」
それが僕と土岐先生の最後の言葉でした・・・

本当にこの1年多くの方がなくなってます・・・
原信夫さん、和泉宏隆さん、数原晋さん、和田アキラさん、チック・コリアさん、鍋島直昶さん・・・
今年で、それも上半期で・・・

心からご冥福をお祈りします。

そして、思いっきり演奏して皆さんに近づけるように精進していきます!

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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1973年8月13日、大阪生まれ。幼少の頃より父の影響で洋楽を聴くようになり、高校時代より、立命館大学のビックバンドメンバーとして参加。大阪音楽大学を経て、国内外ミュージシャンとのセッションを経験して現在に至る。