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9ヶ月

親父が死んで9ヶ月になりました。
向こうの世界では、離乳食も始まり0歳保育にでも行ってるのでしょうか?
先日、こんな時期ですがオカンの精神的なストレス等の事も考え、対策をとって「なばなの里」に行ってきました。
なばなの里では、ウインターイルミネーションが延長され今でも開催していますが、今回は園内にある「ベゴニアガーデン」、そして温泉「里の湯」でゆっくりするのと、この時期から開催されている「ほたるまつり」でホタルを見る事でした。
毎回、ここのホタルはとても元気に光ってくれます。
オカンも、喜んで見ていました。

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親父も一緒でした。
オカンもここは親父との思い出の場所なので、所々で泣いてました。

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園内の終点あたりにある茶店でみんなで腰掛けた時、僕も何故だか涙が出てきました。
と同時に、朱花音も号泣しています。
オカンは朱花音と一緒に座って背中をさすっていました。
僕も、考えられませんでした。
本当に勝手に涙が出るなんてあるんやと思っていました。
朱花音はいろんなものを感じることがよくあります。
以前も、ホタルの気持ちが伝わってきて泣いていたこともありました。

今回は、とても安心したというか本当にそんなことがあんねんやなぁと思いました。
朱花音が言うには・・・・
「じぃじが微笑んで座ってたよ」。
奏篤が写真を持って色んな所を見て回ったりして、孫に色々してもらって嬉しかったんでしょうか。
僕も、少しだけ心がすっとした感じでした。
今まで、夢にも何にも出てきたことがないのに、今回は、何かすっとしました。

去年の今頃、親父は高槻ジャズストリートもなくなり残念がっていました。
そして、

吹田の市政80周年の記念行事に参加したりしてました。
(この映像は、使われることはありませんでした。)

去年の今頃、やはりコロナでしたが対策して親父らと色んな所に行きました。
今思えば、連れて行かなかったら・・・・・
などと思ったりする事もありましたが、でも行った先が色んな思い出いっぱいの場所でした。

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色んな生徒さんが巣立っていった「古谷充事務所」。
ここでは、色んな思い出があります。
プロになった人もいますし、ここで多くの実験や遊びから多くの録音や制作が行われました。
僕のバンドの打ち上げ場所にもなりました。
24年もの間、親父の城であり僕の実験室でした。
そして・・・最後の生徒さんは・・・朱花音でした。

今は、まだ練習できる環境がないですがボチボチやろうなって朱花音と喋っています。

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現実には出来ませんでしたが、親父はオンラインのヴォーカルレッスンをしようと色んな本を読んで勉強していました。
84歳からのパソコン・・・
コロナで大変な時期になったからオンラインでレッスンができたらという事でした。
実際光回線も導入し、準備も完了!
しかし・・・・入院してしまったんです・・・・

今でも、このパソコンはおかんと映ってる写真がアットランダムに出てくるようにしています。

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琵琶湖テラスにも行ってきました。
ここは昔「びわ湖バレイジャズフェスティバル」が行われたていた所です。
古谷充とザ・フレッシュメン
古谷充カルテット
古谷充とコンコード
世良譲pさんとのデュオ
とかなり多く出演していました。
この時も、その話で盛り上がったのを覚えています。

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そのまま、琵琶湖を北上したマキノ町にある合宿所「みくに館 山の家」。
親父のターニングポイントの一つである「学生との接触」の一番の思い出だと思います。
親父が古谷充カルテットをしていた頃、僕は偶然にも高校生で立命館大学のビックバンドに入りました。
合宿中のトレーナーとして親父が呼ばれたのですが、それから多くの大学へトレーナーとして行きました。
それから、色んな事をもっともっとやるようになったと思います。
立命館大学では、毎年春(と言ってもまだ新入生は入っていません)の時期に合宿をするのですが、僕が初めて行った高校2年の時、このみくに館を初めて使いました。
1階は講堂になっていて2階は宿泊スペース。
従業員は別の本館にいるので、実質24時間吹き放題でした!
(今は、近隣に色々建ってるので無理です・・・・)
おかんの為に、宿泊スペースの一角を用意し、夜な夜な学生と麻雀やってました。
1階では、親父とのディスカッションが朝まで!!
親父も、とてもリフレッシュした思い出の場所です。

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トヨタ博物館」も思い出の場所になりました。
親父らが乗っていた車や、当時の車を見ながら思い出話に花を咲かせていました。
それを、孫が聞く。
なんかほんまにええ感じの時間でした。

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この時は、まさか、1ヶ月後に旅立つなんてこれっぽっちも思っていませんでした。
なんであんなに連れ回したんやろう・・・・
もし、連れ回さんかったら・・・・
親父と最後に喋った死ぬ2日前、
「もう、ヒロに全てを託す。ヒロやったら出来る」
「何言うとんねん!さっさと帰ってこい!!」
皆さんには、きつい言い方やなぁと思われるかもしれません。
でもその時は、そう言うしかなかった・・・
考えられないくらい弱気やったからです。
「絶対に帰ってくるんや!先生の言うこと聞いてな!待ってるからな!」
電話切りたくなかった・・・・・

今でも、りんくう総合医療センターの近くを通る時、家族で
「こっから出発したんやなぁ。」って思い出してます。
あれから9ヶ月、まだまだ何もできていません・・・・

落ち着くのは、もう少し先になりそうです。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。

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1973年8月13日、大阪生まれ。幼少の頃より父の影響で洋楽を聴くようになり、高校時代より、立命館大学のビックバンドメンバーとして参加。大阪音楽大学を経て、国内外ミュージシャンとのセッションを経験して現在に至る。