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古谷充の事

色んな事がどんどん片付いていく中で、どんどん親父のことを思い出してきています。
「1ヶ月後が寂しくて大変やで」って言われた事がありますが、寂しいと言うよりか、どちらかと言えば色んな思い出が懐かしく楽しく、それを僕の子供たちとも出来たらって思えるようになりました。

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そこで、親父の死について皆さんにここに正確な事を伝えないといけないなと思いました。

多くの皆さんにお通夜にお越しいただきありがとうございました。
こうやってお葬式があげれたのも「コロナ」ではなかったからです。
色んな情報が飛び回っていますが、正確には、「コロナは完治していた」です。
死因の病名は、肺炎の増悪です。

2020年8月、親父は少し熱があると言って入院しました。
その時のPCR検査にて「陽性」が出てしまったのです。
実際は、肺炎でした。
親父は、すぐに「北野病院」に転院しました。
同時に、僕・おかん・娘が濃厚接触者としてPCRを受けます。
僕以外「陽性」でした。
おかんは、自宅監禁、娘は家で監禁状態。
そしてその濃厚接触者として、嫁様、弟がPCRを受けます。
2人は「陰性」でした。
嫁様は娘の看病を感染対策を徹底して、弟は僕と一緒に近所のホテルで生活を始めます。

親父の複数のPCR検査の結果、陰性になりこちらに戻ってきたのですが・・・・
戻ってきたPCR検査にてまたもや「陽性」が。
この移動で感染した?
考えれらませんでしたが、またまた転院です。
その時には、以前「間質性肺炎」を患っていたこともあり、肺の影がとても大きくなっていました。
演奏家として、60年以上もやってきた親父の肺は、この状態でも少しの酸素吸入で大丈夫でした。

転院先は「りんくう総合医療センター」へ。
北野病院ではそんなに重篤ではなかったので、電話連絡はそんな人買ったのですが、ここのスタッフはとても親切に丁寧にお話ししてくれました。
スタッフみんなが大変な時期に、僕たちと親父のことを優先して頂けたことは本当に感謝しかありません。

医療センターの皆さんの話ですと。
コロナ患者に対する治療の方法と、
呼吸器内科の治療の方法が違っていて、
どちらにも対応出来ない状態が続いているとのこと。
呼吸器内科で使う薬がコロナ患者にどのような影響が出るのかと言うことがわからないからだそうです。
センターに行って親父はスタッフに気を使って色々していたそうです。
・楽器吹きであると言うこと。
・息子も孫もやってくねん。
・音楽のこと。
・スタッフが会議したらテレビのヴォリュームを下げたり・・・

9月2日
病院から
「お父さん頑張っていますよ!
そして、体の中には1個もコロナはいません!
なので、救急で肺の治療に入りますね!
ステロイドの投与と、透析中の血液からの治療も同時進行します!
みんなで頑張りましょう!!」

親父は、エクモなどの人工心肺での治療を嫌がっていました。
それなら死ぬと言うていたのです。
先生からその事僕に伝えてほしいと言う事で、先生から聞きました。
僕では出来ない覚悟です・・・

少し安心して、夕食を食べていた時でした。
「すいません。みなさんすぐに来てください・・・」

センターまでは1時間ほど。
オカンを連れて湾岸線を飛ばしました。
途中ええ天気だったのに、急激な豪雨。
「親父・・・・逝ったんか?」嫌な気分になりました。

到着後、色々なコロナ対策の後、画面越しですが親父に会えました。
もう色んな数値は0を指しています。
マイクで親父に話しました。
「今までおもろかった!
親父は、日本のジャズを引っ張って行ったパイオニアや。
いっぱいおもろいことやったし楽しかった。
今度は僕がやる!
親父の子で良かったし、次があるなら親父の子になる!」
オカンも頑張って喋ってました。

「お疲れさん!」
この言葉でいっぱいでした。

その時、親父が泣いたんです。
スタッフが、「古谷さん良かったね!みんな頑張ってくれるって言うてるよ!」
「お父さんは聞こえていらっしゃいますよ!」
最後に親父に会えました。

ありがとう!

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センターのスタッフみんなから、親父が気をつかてくれたこと、色んな話をして場を和ませてくれていたこと、色々お話ししていただきました。

お葬式やさんのお迎えの車が来た時、担架が入らなくて、「絶対僕の車に乗りたいねんて!」って言うたら、「お父さんらしいですね。」ってスタッフに言われた時、こんな数日でここまで思ってもらえるくらい親密になっていたんやなって思いました。

お葬式の日時を公開した時、「告別式は近親者でとり行います」と書きました。
お通夜に関しては、何も書いていません。
なので、多くの皆さんに来ていただいきました。

お葬式やさんのスタッフに、「コロナの時期ではありますが、お通夜は流動的ですので大丈夫ですよ。また、お花はなどは逆に直接触れたりするかもなので皆さんからの献花はなしでいきましょう。」
と言うことになったんです。

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赤いタキシードを着せました。
バリバリでした!

もし、1年後に、いや1年前に病気になっていたら治っていたかもしれない病気です。
でも、スタッフには全然恨んだりはしていません。
もうとにかく感謝しかありませんでした。
運命なんだと思っています。

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逆に、向こうでは小曽根さん、田中さん、北野さん、津田さん、奥田さん・・・
親父のアイドルだった、パーカー、キャノンボールアダレイ、フィルウッズ・・・・
いっぱいいます!

親父はとにかく負けず嫌いでした。
出来ないことはない、やらんだけやって言うていました。
今でも、深夜に必死になって練習していた事を思い出します。
出来るまで必死でした。
たとえ、骨折しても出来る事を探しました。
そんな親父、今回も戻ってくと思っていましたが、残念です。

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親父に・・
僕は親父にどんだけの事をしたんやろう?
でも僕は本当に楽しかった。
色んな事が特別で、新鮮で、何でも経験させてもうたしな。
ありがとう!

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古谷充(1936.02.13~2020.09.02)

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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1973年8月13日、大阪生まれ。幼少の頃より父の影響で洋楽を聴くようになり、高校時代より、立命館大学のビックバンドメンバーとして参加。大阪音楽大学を経て、国内外ミュージシャンとのセッションを経験して現在に至る。