慢性B型肝炎になって思ったこと

慢性B型肝炎になって思ったことを書いていきたいと思います。
まぁ、悪友たちも元気なようですし俺だけが病気かと思うとショックですけどね。

B型肝炎ウィルス無償キャリアが何故わかったのか
これはなぜわかったのかと言うより何故献血したのかを書いたほうが早いんですが。
悪友二人と一緒に岐阜駅前の献血ルームのボランティアをしに言ったんです。
そのときに献血センターの方からどうせだったら献血してみるとおっしゃられたので私もしてみようかなと思い献血しました。
それからほぼ2週間後血液センターから郵便が来たのです。
その内容を見て私はショックでした。
なにせB型肝炎ウィルス無償キャリアと書かれていたわけですから。
それから一回も献血には行ってませんというよりあのエリアには立ち入れません。
ブラックリストに入ってるわけですから。

抗原抗体検査を何故引き伸ばしたのか
俺自身怖かったんですね。
いつなってもおかしくない状況の仕事をやってきているわけですから。
交代制だったり輪番だったり夜中働いたり色んなことしていました。
更にその時は酒豪でしたし初めて清島先生にお願いしたときには小声でお願いしました。
その一年後結局発症してしまってたんですが。
酒豪とタバコ一箱半は完璧にB型肝炎ウィルスを悪化させた原因でしょうね。
当時酒は駆けつけで生大3杯→ジントニック→熱燗→バーボンで終了でしたからかなりの酒豪でちゃんぽんしていました。
当時のタバコは輪番だったせいか日勤は一箱・当直は一箱半でした。
交代勤務のときは一箱でしたね。
マジで悪化しなかったのが不思議ちゃんの状態でした。

経過観察中に思ったこと
35歳までに根治治療したいと言われたときには実は兄のことがよぎってなかなか踏み切れませんでした。
インターフェロンって副作用がかなり強いんですよね。
高熱・視力低下など数多くだったので怖かったんです、
結局数値はあまり良くないにしても身体は問題ない状況だったので継続して仕事をしていました。

悪化そして拡散アナログ治療
36歳10ヶ月目に身体に異変が走ります。
怠いんです。
動くのも辛くなってましたが新聞配達を続けてました。
ですが耐えられなくなり急遽病院へ
当時の主治医山本先生にこの数値は危ないから治療しなさいと言われました。
年齢制限で拡散アナログになりました。
治療は始めたのですが最初は慣れませんでした。
当時岐阜県のスマートフォンアプリ育成生だったんですがまさかの授業中に薬を飲まないといけない事態だったんです。
師匠である木下さんも納得がいかない治療でしたが甘んじて治療続けました。
それからも10時ぐらいに服用を続けることになりましたがこのあと怖い事態が待ってました。

高脂血症になる
俺が育成事業が終わり1年ほど立った頃ですね。
ヤバいほど爆食で身体は動かしていたんですが悪玉コレステロール値290超えをやらかしてしまったのです。
バラクルードって食間に飲む薬なので急に飢餓状態に突入してしまうのです。
当時食べて多量はビッグカップ1.5とおにぎりとチョコスティックというコレステロールの塊でした。
動いても消費できないので結局投薬治療を行うことになりました。
その頃もっと最悪なことに胃と腸の調子がおかしくなり胃痙攣止め用の薬を一週間出してもらったことあります。
それでも治らないので結局なったときは一日安静を言い渡されましたが最終的には仕事やってました( ̄ー ̄)ニヤリ。

最後通知が来る
最後のバラクルードの副作用って何か知ってますでしょうか。
これが一番怖いんです。
糖尿病です。
私はかろうじて境界型糖尿病で抑え込みましたが。
実際になった方は多かったようです。
糖尿病はインスリンとかを皮下注射しないといけない1型とそうでなく糖分を適切に取る2型と存在します。
境界型だったのでそこまでは調べなくて済んでますが。
ひどい場合は糖代謝検査まで行く方も見えるようです。
俺の場合は食事と運動療法でなんとかしのげています。
調子のいいときは5.7まで下げることが出来ています。

セロコンバージョンして思ったこと
正直言って嬉しかったです。
酒飲めたときはすごく嬉しかったですね。
毎晩ビール飲んでました。
1年半前から残念ながら新コロナが怖くて飲むのやめちゃいました。
今は多動抑制剤を飲んでいるので断酒と相成りました。
肝臓って免疫細胞も作ってることは皆さん知ってません。
肝臓がアルコールの解毒もやっているので両方はできないという理屈はわかると思います。
だから緊急事態宣言時に飲酒を止めろという大号令が出たわけです。
このあたりちゃんと理解しておきましょうね。

余談コーナーです。

何が怖かったかと言うとインターフェロンや拡散アナログの変更についてまわるものといえば肝生検。
これが一番怖かったのです。
まさかの手術台で全麻ですよ。
怖くてたまらない。
俺左手の薬指を縫ったときにも大騒ぎになり救急の看護師まで抑えに来る始末でしたから。
今はキーボードで使いまくってますけど全然違和感がないのはさすが優秀な外科医が揃っている大垣市民病院だなと思いました。

一度私も主治医の北畠先生から拡散アナログの薬を変えようという話が出ましたが結局当時の副院長熊田先生に止められました。
肝生検しないと変えることは許さんという大号令でした。
結局そのままバラクルードで治療して今は逆にそれで良かったと思います。
薬を変えていたらその薬の副作用が出るわけですからね。
今はこっそり飲み方変えちゃってますけどそれも効力を発揮したみたいですね。

Hiro_Matsunoでした。

2周めの土日なので執筆します。
また、明日。

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