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可愛い子には旅をさせる話 その3

前回までのあらすじ。机上旅行で旅への思いを募らせる小学5年生の私。現実は全ての休みを両親が進める古民家リノベに徴用されていた。ところがとある筋からのお誘いで一人旅のチャンスが訪れる?!

小学3年生の夏休みからほぼ全ての休暇、週末、祝日を土木作業に捧げていた私。小学6年生の冬に思いがけないところから援軍がやってきます。それは私の親戚でした。

古民家リノベプロジェクトに注力する前はほぼ全ての休みを里帰りに費やしていた勝瀬家でしたが、プロジェクト発動後は大方向転換! 盆暮正月いずれも帰省はなしです。祖父、祖母、親戚から今年も帰らないの?と圧がかかり始めました。とはいえ長期の休暇はリノベプロジェクト進行にとって重要です。そこで苦肉の策として編み出されたのが、遣唐使ならぬ、遣”徳島”使。机上旅行で脳内旅行トレーニングを積んだ小学6年生の私を年末年始のご挨拶に名古屋から徳島県の南部の両親の実家まで派遣してはどうかというステキなアイデアが浮上したのです。おそらく孫に会わせろプレッシャーが甚大であっただろうことは想像できます。

当然のことながら私はこの未曾有のチャンスを失いたくありません。じいちゃんばあちゃんに会いに行くというテーマでの机上旅行はすでに課外授業中に何度か脳内ルーティング済みです。両親に対して渾身のプレゼンをします。

当時のルートは名古屋から新幹線に乗り、岡山。岡山で宇野線に乗り換えて宇野へ。宇野からは宇高連絡船に乗り換え船で高松へ。高松からは高徳線で徳島へ。徳島からは牟岐線に乗り換えて日和佐という父の実家がある駅までです。大阪、もしくは神戸からフェリーという考えもありましたが、私はできる限り国鉄路線を使うことにこだわりました。小学生の初めての一人旅で4回の乗り換えはかなりハード。時間も当時の時間で合計11時間越え。40年後、宇高連絡船が廃止され本四架橋に変わった今でさえ6時間かかります。しかも全てのチケットは窓口で自分で買う。しかも年末年始のピークというハードル高めの設定でした。そして実はこのルート、私は使うのは初めてでした。なぜなら両親と一緒に帰省するときは車だったので鉄道を使って徳島に行くのは生まれて初めてだったのです。

今考えると小学生の子供をこのルーティングで、しかもこの条件で一人旅させるというのは相当危険です。迷子になる可能性もありますし当然携帯電話もありません。プレゼンの成功には困難が予想されましたが、意外や意外。すんなりとコンペを突破し私は小学6年生の冬。10日間の予定で人生初めての一人旅をすることになったのです。

当時は嬉しくて両親の心配について心が及ぶことはありませんでしたが、今になって考えてみると相当心配したのではないかと思います。ありがたいことに私の両親は共に教員をしていたこともあり子供にさまざまなチャレンジをさせることにはとても理解がありました。リスクのないところに成長はないと思っていたと考えていたのでしょう。また机上旅行にハマっており時刻表を持ち歩いていただけではなく毎月購入していたのも当然知っていたのでで旅行知識的にも大丈夫だと思ってくれたのかもしれません。信用が心配を超えたのかこの素晴らしい機会を与えてくれたのでした。

冷えないようと母が購入してくれた新品のセーターとジャンパーを着込んだ私。いよいよ電車に乗り込みます!

明日に続きます。





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