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「大人になる」とは何か

 始めましてみなさん!ヒロと申します!
今日は「大人になる」とは何かについて話していきたいと思います。
(始めて書くので至らない点がありますが、寛大な目でお願いします。)

成長してゆく

 「大人になる」ということは誰しもが経験するものです。しかし、誰もが「大人になる」ということがどんなことか分かっていません。漠然なイメージのまま誰もが「大人になる」というプロセスを終えてしまいます。「大人になる」というのは「働く」ことでしょうか?「成人する」ことでしょうか?おそらく違うはずです。働いていない成人した人も社会にはいますし、多様な人々がひしめき合うこの社会においてこのような簡単な答えは正解になり得ません。
 では「大人になる」とはどんなことなんでしょうか。

1.おとぎ話に隠されたヒント

一寸法師②

 話は変わりますが、皆さんおとぎ話を覚えていますか?どんな人であってもおとぎ話を聞いたことがあるはずです。浦島太郎や金太郎といった懐かしいものがたくさんあるはずです。そういったおとぎ話は非常に長い時を経てもなお人々の中で語り継がれています。千年もの時を超えて語り継がれるものすら存在します。なぜ、このようにおとぎ話は長い間語り継がれるのでしょうか?それはおとぎ話には「何か」があるのです。幼い子供にどうしても教えたい「何か」が。そうでなくては、これほど長い時間の厳しい洗礼から生き残れる訳がないのです。では、その「何か」とは何でしょうか?おとぎ話の内容からその「何か」について考えてみましょう。
 一寸法師について見ましょう。一寸法師は子供が中々生まれなかったおじいさんとおばあさんの間に生まれ、成長すると川を下って上京する。成長するといっても小さいことに変わりがなく中々身長が成長しない一寸法師はある日お世話になっている大臣のお姫様と一緒にお寺に出掛けます。そこで、鬼に出会い、お姫様を困らせる鬼たちを退治する。その鬼たちが置いていった打ち出の小づちで身長が大きくなる。そこで物語は終わります。一寸法師はお姫様を困らせる鬼たちを退治して初めて身長が大きくなった(=「大人になる」)わけです。このような構図は世界的に見てもよく見られることです。鬼がお姫様をさらった、村の秘宝が盗まれた、家族がさらわれたといった「欠落」(トラブル)から物語は始まるのです。そして、主人公がその「欠落」を解決する。これがおとぎ話の定番です。RPG(ロールプレイングゲーム)も同じです。スーパーマリオブラザーズも攫われたピーチ姫を助けるという構造です。我々が幼い時に触れるおとぎ話というのはお決まりを必ず守ります。
 おとぎ話にはまず「欠落」があり、そして主人公がその「欠落」を埋めるという世界共通の約束があるのです。このプロセスこそおとぎ話が子供たちに伝えたい「何か」なのです。つまり、おとぎ話は子供たちにこの主人公のように「欠落」を埋めるような大人になりなさいと何千年も語り掛けているのです。

2.「I can do」=「大人になる」

階段を上る

 それでは「欠落」を埋められる人とはどんな人間なのでしょうか?それは「I can do」と言える人つまり「~できる」と言える人間です。決して
「I want to do/be」つまり「~できる、~になりたい」というようことではありません。「~できる」というのは、必ず「相手」つまり「欠落」が必要なのです。「私は絵を描くことができる」というセリフは絵が描けない「欠落」を持った「相手」がいなければ成立しません。夜寝る前の一人で布団にいる時には「私は絵をかくことができる」というセリフを言う人はいません。一方で、「私はカメラマンになりたい」といった「I want to do/be」的なセリフは必ずしも「相手」が存在しているとは限りません。
 つまり、「大人になる」というのは「I want to do/be」といった自分に向けるセリフから「I can do」に転換し、この社会に存在する「欠落」を埋めるために行動できることなのです。
 あなたはこの世にある「欠落」を埋めるために動けていますか?
(ちなみに、私はまったくできてません)



*参考:「困難な成熟」から

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