3つの資本と呼ばれるものについて
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2022・2・25
仕事について
3つの資本と呼ばれるものについて
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明るく記事を書きたい!ヒロです!!
突き進むだけになりたい。
でもやりたいことも考えたいこともたくさんあって。そうしたら冷静に考えるこの時間ってすごく大事なのですが、冷静になるとため息をつくように記事を書いてしまいます。重くなりがち。
今日は「3つの資本」と呼ばれるものについて今考えてることを共有させてください。
ここ最近ずっと考えてるスクールもワークスも、コミュニティも、自分じゃない人にとって「事実として」良いことがありそうだから続くかも、と思って始めようとしています。
自分じゃない人っていうのは、自分の幸福は自分にはわかるんだけど他の人が何を幸福って思うかは人それぞれなのでひとまとめにできないです。
でも例えば(他のものに交換できる機能としての)お金とか、絵がうまく描ける技術とか、そういう「あった方が良いもの」は確実に存在していて(なくて良いものも確実に存在しています。僕はそれらを”悪”と呼んでいてこの世界から無くしたいと思っています。貧困、虐待、戦争、傷、孤立などがそれ)、事実として確実にあった方が良いものが存在しているのであればそれを渡されると嬉しい気持ちになる可能性が高いので、やった方が社会のために良いだろうと思っています。
そのことを分解して考えていくと3大資本という考え方がわかりやすいのでそれについてのお話です。
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▼お金、技術、人の繋がり
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3つの資本は、「金融資産」「人的資本」「社会関係資本」と呼ばれています。
これら3つの資本をバランスよく持っていることで人は幸福と感じる可能性が高いという研究があるとのことです。どれかひとつだけ持っていても幸福と感じる可能性は低く、例えばいくらお金があっても周りに安心できる人がいなければ孤独を感じるはずです。
(人によってはその状態を幸福と感じる人もいるはずですが、「僕にとって」という基準をもとにお話しします。)
僕はこの3つを「お金」「技術」「人との繋がり」と言い換えています。
これ、やろうと思えば3つとも自分が持っているものを誰かに共有可能なんですよね。すごいですよね。ただし独占することも可能です。
僕はこれらの持っているものを共有した方が社会も誰かも自分もより良くなれるだろうという仮定、思いのもと動いています。(より良いというのは、幸せだと感じる人が増えるという意味です)
ここで難しいのが、最初の話に戻るのですが、何によって幸せと感じるかは人それぞれ違います。だからある特定のものを誰かに渡したとしてもその状態を喜ぶかどうかって渡された人によるんですね。特定のもの(例えばチョコレート、花束、ブランドのバッグなど)を渡しても使い道の幅は狭い。
上の3つの中で僕が今持っていて他の人に渡すことができるものがあります。
「絵の技術」です。
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▼技術を共有するということ
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技術にはすごいところがあって、、、
・形は無いけど渡すことができる
・使っても無くならない
そして
・もらった技術はその人の好きに使うことができる
というところです。
やばくないですか?僕にとっては希望でしかなくて、特定のものは特定の使い道しかないけど、技術って人によって使い方が違うので使い道幅がものすごく広いんですね。
技術を渡すことで誰かの明日が今日より良くなる可能性があって、そして年齢は関係ないはずで。
今の日本社会の流れは10〜20代で技術を得て30代からその技術をお金に変えていくような流れが主流ですが、10〜20代で「考え」を得て30代以降に技術を獲得して発揮する流れができるかもしれない。
「学び直し」って言葉があったりしますが、直すも何も若い頃までで知識や技術の獲得をやめる必要なんてまったくないですし、むしろ年齢を重ねてから行うことがものすごく重要なはずです。その方が目的が明確なはずですし。
でも現代日本社会だとまだそれを行いづらいですよね。大学に入り直しても若者ばかりだから同じ目線を共有できる人も少ないでしょうし。
教える側も例えばアニメーション業界だと労働時間が長すぎるので有名なプロほど教育現場に出向ける時間が少ないです。僕はこの労働時間が長すぎるのを大きな社会的な損失だと思っています。
そして自分が持っているものを共有していくという意識もまだ弱い。
変えていきたいです。
いわゆる幼年〜青年の期間が終わってから技術を獲得する人が増えると今まで想像もしなかった作品も出てくるはずで、鑑賞する側としてもハッピーなはずなんですよね。
多様性がもっと広がる。
というように技術の共有を考えただけでも社会的、業界的、個人的、全てにおいて良いことしかないはずなんですよね。
あるとしたら技術を共有することでみんな絵がうまくなってコモディティー化(平均化)するので今までそれでお金を稼げてた人が稼げなくなることでしょうか。
そこのグラデーションはうまく作りたいですが、技術の無償提供はyoutubeなどを通して既に始まっているので遅かれ早かれ起きる出来事です。
そして今お金を作れてる少数の人のために多数の人が幸せになれないって状況は個人的には嫌です。理由の言語化はまだできていませんが、何かしっくりこない。。
それに文字の読み書きができて言葉を喋れる人が一般的なように、絵を描いたり表現できることがもっと一般的でも良いはずなんです。ほぼ全員が文字の読み書きできるけど小説家(文字でお金を稼いでる人)はごく一部ですから、絵、ビジュアル表現も同じような状況になるでしょう。
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▼スクールをやる理由
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上記の3つのうち2つ、「技術」「人の繋がり」を提供している機関があります。
「学校」です。
技術、人の繋がりを持っているとそれらはお金にも変換できるはずなので結果的にはお金も流れるはずです。
なのでゴキンジョスクールができるとそこで絵の技術を学び、講師や生徒同士(同じ理由を持った人の集まり、仲間)の繋がりができて、うまく仕組みを作れたら仕事にも結びつけられるはずです。
私塾、プライベートスクールというような言い方をしますが、日本にそれが少ない理由は、それを主催する側の問題で、そこまで考えてる人、実行できる人、人脈、他者を納得させられる技術、実績を持っている人が少ないからだと思われます。
僕が持っているものを最大限に使うとしたらスクールをやった方が良いのでは、、、という考えに行き着いたのでこれから実現させてみようと思っています。
やったらやったで問題が出てくるだろうと予測しているのですが、それでも何もしないよりはいい方向に向かえると思うからできる限り早くやりたいです。
早く今の状況より良くなりたいと思っている人にとって何かしらのきっかけになれたらいいなと心から思っています。
そして自分の作品も作ります。
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