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[新しい封建制がやってくる] 僕らは暗黒の中世を食い止めることができるのか

【当記事は20分で読めます】

1. はじめに

現代社会の分析及び若干の未来予測を様々な研究やデータと共に行なっている本書ですが、その主張は主に以下に要約されます。

「現代社会は、経済格差の拡大、社会的流動性の低下、宗教的思想の流布の3つの点で中世ヨーロッパの封建制社会に類似し、現代の社会的階級も中世のそれに準えることができる。」

内容は基本的にディストピア系の現状分析に留まり、今後の社会への具体的な提言はほぼありません。根拠とする個々のデータも、この記事をクリックして下さったような方であれば、どこかで聞いたことがあるものが多いでしょう。

しかしながら、それらを中世ヨーロッパに準えながら纏め上げるコトキン氏の手法は見事であり、現代アメリカ社会への懐疑的な視点も、単なる保守・リベラル論争を超えたものだといえます。

本稿は、コトキン氏が主張するデジタル封建制とはどのようなものか、そこで見られる階級はどのようなものなのか、という構成で解説を行い、本書への批判と感想を以て締めさせていただきます。


2. デジタル封建制の兆候

1. デジタル封建制とは

「現代社会は、経済格差の拡大、社会的流動性の低下、宗教的思想の流布の3つの点で封建制時代の中世ヨーロッパに類似」すると前述しましたが、デジタル封建制の定義もこれに準ずるものとしましょう。

現代社会では、富裕層・知的エリート層とそれ以外とで経済格差が顕著であり、下層から上層への移動なども少なく、更に、その固定化された格差を肯定するような思想が上層階級によって流布されており、

それは中世ヨーロッパの封建制において、貴族・聖職者とそれ以外とで経済格差が顕著であり、身分は生来であるため階級間における流動性が乏しく、上層階級によって流布されていた中世キリスト教は階級化された社会秩序を維持するような教えであったことに類似します。

これらの傾向は各先進国で見られるといいますが、本稿では、それが最も顕著に現れているアメリカ、特にカリフォルニア州を例に取り、一つずつ更に詳しく見ていきます。

2. 経済格差の拡大

古くは19世紀のゴールドラッシュ、近くは90年代後半のIT革命などにより数多くの立志伝を生み出し、平等主義の聖地として世界中から多くの中流階級を引き付けてきたカリフォルニアですが、コトキン氏は今や世界で最も経済格差の進んだ場所だとしています。

カリフォルニアには世界的な富豪も数多く居住している一方で、2015年に州全体で雇用が増加した職種の3分の2は最低賃金レベルのものであったとされ、州内最大の都市であるロサンゼルスは2018年にアメリカの主要都市圏の中で最も高い貧困率を示し、2019年には半数近くの児童が貧困レベルギリギリの状態にあるなど、かつての平等主義の理想像とはかけ離れた経済格差の実態があるようです。

3. 社会的流動性の低下

しかしながら、より重大な問題は経済格差そのものではなく、その格差が固定化されてきていること、つまり、下層から上層への社会的流動性が低下していることにあるといえるでしょう。

今日、時価総額ランキングや富豪ランキングなどに見て取れるように、世界の富はビッグテックと呼ばれる大手IT企業の創業者や経営幹部などに集中していますが、彼らは生い立ちの多様性という点で、19世紀末の産業資本家や20世紀の大物経営者達と大きく異なります、

コトキン氏によると、ほとんどのテック業界の大物は、少なくとも両親のうちどちらか一方が理系の上層階級出身で、自身もたいてい一流大学に進学しており、野心や経営の才覚などではなく、技術的な才能によって財力と影響力を持つに至ったといいます。

テック業界に限らず、経済的に恵まれた職に就いている人の大半は一流大学の出身であり、下層階級出身の人が上層階級に昇るために学歴が非常に重要な要因となっていることは、本書だけでなく他の様々な研究でも示されていることでしょう。

しかし、そのように社会に流動性を生み出すために学歴が重要になっているにも関わらず、アメリカでは大学教育費が高騰しており、1963年から2013年の間に国民の平均給与に占める大学教育費の割合は3倍以上になったとも言います。

ハーバードなどの一流大学では経済的に裕福な家庭の学生が割合的に多く、私立高校の卒業生は全米の2.2%に過ぎないのに、一流大学の学生の25%近くを占めるというデータもあり、ハーバード大学教授のロバート・ライシュ氏によると、現代の一流大学は主に「富裕層と上層中流階級の子弟を教育するために」設計されているといいます。

個人単位だけでなく、社会単位でも流動性の低下は見られます。前項で触れたように、カリフォルニアには伝統的にITのスタートアップ文化がありましたが、現代において多くのスタートアップ企業は自力での飛躍的成長を遂げる前にビッグテックに買収され、既存の有力企業の寡占は強まる一方でかつてのスタートアップ文化は息も絶え絶えだといいます。

本来であれば、そのような大手企業の寡占状態は法律によって規制されるはずですが、ビッグテックは「サービス向上」を口にしながら、巨大な資金を背景とした政治力で規制を回避し、2019年の調査では1980年代初頭から反トラスト法違反の訴訟が61%も減少しているといいます。

ビル・ゲイツが「ソフトウェアはIQビジネスだ」と語ったように、ビッグテックの高給職は大半が一流大学出身者であり、その様な一流大学出身の高給取りでなければ、子どもを同じように一流大学に行かせることが難しくなってきているのが現状だ、ということでしょう。

4. 宗教的思想の流布

中世ヨーロッパのカトリック教会は、それを意図していたかはともかく、現状を受け入れさせる価値観の提供によって社会階層の固定化、つまり封建制的秩序の維持に大きく貢献していました。

「万民は神の前に等しく霊的救済が与えられ、現世の苦しみも霊的成長の機会となる」という教えのもと「商業は不道徳、清貧に励むのが美徳、現世での境遇を受け入れ、精神世界に意識を向けるべし」というような価値観が正しいとされていたのが中世カトリック教会の大雑把な教義です。

大飢饉や黒死病など、黙示録に記されている様な絶望的な世界において、そのような教えが大衆に必要であったことは確かですが、民衆には地位の向上という希望を持たせない一方で、その教義を広めていた高位聖職者達は、実質的には王侯貴族達と同等の地位におり、何不自由ない生活を送っていたともいえるでしょう。

現代において、上記のカトリック教会のような伝統的な宗教は衰退の傾向にありますが、その代わりに「環境保護主義(以下、グリーン教)」という新たな教えが興りつつつある、というのがコトキン氏の指摘です。

キリスト教は神の意志に即した生き方や道徳観などに人々を導くものでしたが、グリーン教は人々をより自然と調和した生活に導こうとするもので、中世カトリック教会の黙示録的預言と同じく、人間の活動に起因する破滅の未来を預言しています。

地球環境を守るため、炭素税やグリーンエネルギーの導入、脱経済成長、持続可能性を説くグリーン教は、多くの知識人や富裕層の支持を集める一方で、中流階級にとっては、経済的負担が増える又は経済的発展の機会を失うようなものだとも言え、コトキン氏は、貧困を美徳とした中世カトリック教会の様に、多くの人々の社会的上昇を抑える価値観になりかねない、としています。

また、グリーン教は、贖宥状の購入、多様な意見への排他的姿勢の二点でも中世カトリック教会に類似します。

つまり、地球環境について話し合うダボス会議に、1,500ものプライベートジェットで温室効果ガスを撒き散らしながら来訪する上層階級は、一般市民には質素倹約を推奨する一方で、自分たちは炭素クレジットの購入や、SNS上での環境保護活動のアピールなどによって現代版の贖宥状を手に入れ、優雅な生活を変わらず送っており、

また、環境保護活動家の中には、かなり独断的な主張をしたり、異論を唱える者への誹謗中傷や法定での訴訟を行ったりする者がいるなど、中世の異端審問を彷彿とさせる排他的な姿勢が見られる、ということです。

コトキン氏は、後世から見れば中世カトリック教会における黙示録的預言にはしばしば誇張や誤謬が含まれていたように、数十年前からされている地球環境への預言も現在から見ると正確なものではなかったものが多くある、といいます。

「だからといって、現実の環境危機に立ち向かう必要はないと言いたいのではない」とはしながらも、予測の正確性に疑問があるにも関わらず、変わらず無批判的に受け入れられているグリーン教の黙示録的預言はもはや宗教的なものになりつつある、とするコトキン氏の主張はなかなかに興味深いものでしょう。

3. デジタル封建制の身分階級

1. 寡頭支配者(王侯貴族)

寡頭支配者とは、前節で説明したような急速に拡大している経済格差の上層にいる人々であり、グローバル企業の創業者や経営幹部、それらに出資していた資産家などが基本的な構成となります。

そして、その中でも圧倒的な財産を築きつつあるテック業界の大物たちには、以下の様な考え方が共通していると言います。

「少数の非常に才能豊かな人や独創的な人が経済的な富のますます多くの部分を生み出す」一方、その他の人々はギグワーク(※)の形でしか収入を得ることができないので、政府はその様な人々を援助するため、福祉国家としての政策の拡充を進めるべきだ。

(※) 非正規社員など、雇用関係を結ばずに単発・短期で仕事を請け負うこと

コトキン氏は、テック業界の大物たちの多くは、仕事を奪われた低所得階級の暴動を恐れ、福祉政策を支持しているが、自身の財産は租税回避などで守ることができるため、その政策の負担は結果的に中流階級によるものが大きくなる、としています。

このような富の再分配がされる状況において、中流・低所得階級の物質的欲求は「最低限」満たされる一方で、社会的な発展がもたらされるわけではないため、寡頭支配層の勢力が脅かされることもありません

2030年には上位1%の富裕層が世界の富の3分の2を支配すると予想されているように、現代の寡頭支配者は相続などにもよって益々その経済的地位を高め、その莫大な富を背景とした大きな政治的・文化的影響力を手にするとされています。

2. 有識者(聖職者)

中世において、王侯貴族の特権的な地位に正当性を与えていたのはカトリック教会の聖職者たちでしたが、今日においては、コトキン氏が「有識者」と呼ぶ、世界的なクリエイターや大学教授、医師、弁護士、コンサルタント、政府職員などの「物質的な生産以外に従事する」労働者が、寡頭支配者に正当性を与える役割を担っているといいます。

投資財産によって不労所得を得ている寡頭支配者と同じく、景気リスクに影響されない比較的安定した高収入源を持っている有識者の多くは、グリーン教や能力主義的価値観など、寡頭支配者と同じ世界観を有し、その価値観を広める文化的影響力も有しています

このような有識者と寡頭支配者の閉鎖的な共生関係によるグリーン教的政策の推進は、彼ら自身にはそのコストを負担する余裕がある一方で、中流階級にとっては大きな負担となり、グリーン教は今や「上流階級が下位の人々を抑圧するため」の計略だとするマルクス主義者の発言をコトキン氏は引用しています。

3. 労働者(平民)

さて、これまで特段の注釈なく「中流階級」という言葉を使っていましたが、今日において中流階級は消えつつある、と言っても過言ではないでしょう。

産業革命から20世紀前半まで、経済成長の主軸を担っていた中流階級は拡大の一途を辿っていましたが、ある研究では、富裕層との格差は再び産業革命初期のレベルに達しつつあり、また、アメリカでの中位所得者が上位所得者へと昇る割合は1980年代と比べて20%も低下しているといいます。

アメリカでの資産の増加は上位0.1%に特に集中しており、ここ数十年の経済成長は単に「富が中流階級から上位1%に移転しただけ」とする声もあります。

古代ギリシアや共和制ローマでは、富の集約が進み、中流階級が弱体化するにつれて民主主義が衰退したこと、中世封建制の改革には、王侯貴族や聖職者達に自らの富を所有するブルジョワ達が異議を申し立てていったことが大きな役割を果たしたことなどの歴史が示すように、中流階級の存在、その発言力を裏打ちする財産、そしてそれらをもたらす商業の発展は民主主義にとって不可欠なものです。

また、多くの場合、中流階級の発展は自らの持ち家の所有を伴うものでしたが、現在は、戸建て建築の規制などによって不動産価格が高騰し、賃貸で暮らす世帯が急増しています。

「これは価値観の変化によるものだ」という有識者たちの声もありますが、土地を持つ者は地価上昇や賃貸料などによって不労所得を得る一方で、そうでない者の賃貸料という経済的負担が増えることは、結果的には封建制的秩序の形成に繋がるものだといえるでしょう。

更に、現代において有識者層はたびたび独身でいることの自由さを大衆に向けてアピールしますが、中世においても独身でいることはカトリック教会(有識者)によって高く評価され、修道院に入るような優秀な人たちには独身主義の理想が徹底されていました。

原因はどうあれ、結果として現状は中世ヨーロッパと同じ様な状況であり、独身世帯の増加は持ち家率の低下などにも影響するため、封建制的秩序の形成に繋がってしまうでしょう。

このような状態にある中流階級が、テック業界の発展によってもはや「中流」とは呼べないほどの貧困レベルに陥りつつある、というのは前節で述べたとおりです。

ちなみに、コトキン氏はこの階層にある人々を独立自営農民(ヨーマン)と農奴の2つに分類していますが、大した違いはないので、本稿では「労働者階級」として1つにまとめさせていただきます。

4. まとめ

中世の身分階級といえばアンシャン・レジームの第一身分(聖職者)・第二身分(貴族)・第三身分(平民)が有名ですが、本書におけるデジタル封建制の身分階級もそれに準えたものだといえるでしょう。

それらの身分階級が非常に安定的で、滅多に他階級への移動が起こらなかったのが中世の封建制的社会ですが、今日においてもそのような社会的流動性の低下が見られ、他にも、大きすぎる経済格差とその経済力の相続、人口の静態化、終末思想の流布など、中世ヨーロッパと類似する点は多くあります。

そして、それらのほとんどは、意図的かはどうあれ、少数の特権階級や支配者階級などに都合の良い社会を形成するものであり、我々はそれに気付かなければならない、というのが本書の大まかな要約でしょう。

5. 批判と感想

1. 大筋に関する批判はありません。

余談から入りますが、僕は「要約」という行為には、圧縮型と抽出型の2種類に分けられると思っています。要約する本の論理が直列的に一つの結論に向かっているならば、それを圧縮して一つの筋道だった要約ができますが、並列だった論理で構成され、特段何か一つの全体的な結論に向かっていないような場合では、その並列論理に共通する方向性みたいなものを抽出して結論を出すか、単に個々の論理の結論部分を抽出するしかなくなってしまいます。

正直言うと僕は後者は苦手なのですが、本書は後者の要約が適しているといえます。というのも、本書は多数の調査や研究結果の引用から現状を解説するという説得力のあるものですが、コトキン氏自身が構築する論理は薄いので、氏の現状の捉え方に対する方向性を抽出する以外に要約の方法がないからです。更に言うのであれば、次著で扱うつもりなのか単に明言を避けたのかはわかりませんが、氏は本書の中で、未来への具体的な提言などもほぼしていません。

そのため、現状がこうだよね、という引用を正しいとする限り反論の余地は小さく、大筋に関する批判のしようがありません。あるとすれば、少々恣意的な解釈が疑われるほどおったまげなデータが幾つかあったことでしょう。流石に自分でファクトチェックまではしませんでしたが、海外の書評サイトでも同じ様なことを感じた人はいるそうです。

2. 暗黒の中世…?

また、氏が未来予測を主題としていない以上、あまり建設的な批判にはならないので感想程度に留めますが、氏の予測するディストピアのような社会であっても僕らはそれはそれで適応していくと思うのです。

中世において霊的成長を促すカトリック教会の教えが普及したのは、王侯貴族や高位聖職者など権力者の思惑というよりかは、大飢饉や黒死病など絶望的な現世であっても清貧に励むことによって精神世界で救済がなされる、という大衆の需要を満たすものであったからでしょう。

大幅な経済成長が人口動態的にもう見込めない現代において、人々の意識が、広くは「経済成長ではなく持続可能性によって自然を大事にしていこう」というグリーン教、小さくはそんな自分たちの気持ちを代弁してくれるインフルエンサー(有識者や寡頭支配層)などに向くのは当然と言えます。

氏は一貫して、一部のものだけではなく労働者階級も含めた全体での経済的成長を意味する「社会的な上昇」を口にしていますが、現代に生きる僕らが目を向けるべきは物質的なものではなく、中世においてそうであったような、精神世界での成長ではないでしょうか。

このような発想の違いがコトキン氏と僕との間で生まれるのに、2つの理由が考えられます。1つはアメリカでの経済格差は日本でのそれとは段違いなものであること。

アメリカは「小さな政府」という国家方針であるため、本稿でも紹介したとおり、貧困層という確立された社会的階層が存在しますが、日本では曲がりなりにも福祉国家としての政策が機能しており、少なくとも貧困「層」と呼べるほどのものは存在しません。

アメリカの様な格差社会で生きるコトキン氏にとっては、精神世界での成長などをのたまう前に、まずは現実世界で起きている貧困問題を何とかしたまえ、ということなのかもしれません。この辺りは社会問題に対する日米の危機感の違いが感じられて面白い部分です。

もう1つは、僕ら日本人は世界史でも稀に見る豊かな中世をコンテキストに持つこと。僕らにとっての中世封建制時代とは江戸時代のことであり、260年もの長きに渡り平和が続いたばかりか、元禄文化や化政文化など多くの文化が花開いた時代でもあります。

フランス革命によって前時代の封建制を全否定してしまった西欧社会では、どうも中世を「暗黒の中世」として蔑視する傾向があるように思うのですが(※)、日本では天皇制という封建制のシステムを残したまま、近代的思想に何となく適応していることからも見れる通り、封建制的社会に対するネガティブなイメージは比較的薄いのかもしれません。

(※) 最近の歴史学では「そんなこともない」とされており、コトキン氏もそのことは認識していると思います。

日米文化比較や未来予測は本書の主題ではないので、詳しくは別記事に譲りますが、このような日米のコンテキストの違いを意識しながら読むと、単なる対岸の火事以上に様々なことが読み取れる良著だと思います。

3. 経済学者からの引用

さて、コトキン氏が取り上げた社会的な問題の根底にあるのは「経済格差」ですが、その割には経済学者からの引用が少ないようにも感じます。氏が本書で引用してきた数に比べれば気休めにしかなりませんが、個人的に思いついたものを幾つか軽く紹介しておきましょう。

経済成長には「創造的破壊」というイノベーションが必要とした20世紀前半の経済学者シュンペーター氏は次のような言葉を残しています。

社会の上層はいわばホテルのようなものであって、いつも人々で一杯ではあるが、いつも違った人々で一杯なのである。この人々というのは、われわれ多くのものが認めようとするよりもはるかに著しい程度で下から上がってきた人々である。

「経済発展の理論」ヨーゼフ・シュンペーター著、塩野谷祐一他訳、1977

現代の富を独占しつつあるビッグテックが、ある意味で多様性にかけ、また多くのベンチャーの成り上がりを買収によって阻止していることは本稿で述べたとおりです。コトキン氏のいう社会的上昇には、富の再分配もしくは全階級を含めた経済成長が不可欠なわけですが、シュンペーター氏が後者に必要であるとする多様性と流動性は、現代においてなくなりつつあるといえるでしょう。

また、ピケティ氏の今世紀最大の経済学書ベストセラー「21世紀の資本」では、投資財産などの不労所得による富の成長率は、労働による所得のそれよりも大きい、つまり、資本主義社会において富める者はますます富むので格差は広がる一方だということが膨大なデータから明らかにされており、その資本と所得の成長率の違いは経済成長率が低い時ほど大きくなるともいいます。

簡単に言えば、人口動態的にこれ以上の大幅な経済成長が見込めない現在、資産に余裕を持つ者は株式投資などによってますます富む一方で、そうでない者は賃金などが上がらず、経済格差が広がる一方だ、ということです。この研究結果もコトキン氏の主張に合致するものでしょう。

そして、2015年にノーベル経済学賞を受賞したディートン氏は著書「大脱出」の中でアメリカ国内の所得格差について触れていましたが、それによるとアメリカの給与所得者の0.01%、つまり約15,000人もの人が26億円の平均年収をもらっており、また35年間の所得の伸び率のデータを見ると、下位90%は1.9%の上昇なのに対し、上位1%は235%にも上るといいます。

今日のアメリカの経済発展は、社会的上昇が伴うものではなく、ビッグテックの寡占が強まった結果に過ぎない、とするコトキン氏の主張も、このデータとともに見るとなかなかに深刻な問題であることが窺えるでしょう。

4. 読後感

さて、未来像に関して若干の食い違いはあるものの、主題である現状の分析に関してはコトキン氏に概ね同意であり、現在の社会を封建制への移行時期として捉え、グリーン教などの新しい宗教が興りつつあるという指摘は個人的に面白いものでした。

本稿では主にアメリカの例を取り上げましたが、コトキン氏は日本や中国、ヨーロッパなど世界中でそのような傾向が見られることを示しており、それらの根拠とするデータや、前項で言及したような日米のコンテキストの違いによる現状・未来の捉え方の違いなど、色々な読み方ができる本だと思います。

氏が現状を準えるローマ・中世の歴史や、この手の未来予測に必ずといっていいほど引用されてくる堺屋太一氏やアルビン・トフラー氏などの研究など学び直したいものが一気に増えた、というのが読了後の所感です。

未来への具体的な提言がないのは、次の世代が自分自身でしっかり考えていくべし、というメッセージなのかもしれません。この辺りの未来予測に関しては僕も興味がある分野なので、いずれ記事にしていこうと思います。

ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

【誤字・脱字等、見つけ次第修正しています】
2023/12/19 タイトル修正
2023/12/20 細部修正
2024/02/01 表紙画像変更

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