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心理カウンセラーになりたい!

今の仕事は好きか嫌いかで言えば… 嫌いじゃない

20代後半の出逢いをきっかけに

僕自身に「優しさ」という個性があることを知った

入りたかった学校に入り…入りたかった会社に就職して

大変なことも時にはあったけれど

あたたかい人たちに囲まれて楽しくやっていた

エンジニアって言う職業柄

そのころはこれから携帯電話が普及する〜そんな頃だった

2年目である測定が必要となり測定装置の開発・製作を受注した

それを使って実際に測定する業務委託も受注した

お給料もそれなりに…そしてやりがいもあった……

でもなんだかこの先の一本道が見えてしまったような気がして

どこかでここ(会社)で自分がやりたかったことを
やり尽くしたのかも知れない…と…今ではそんなふうに感じる

人と関わることにどこかで苦手意識があって…

いわゆる“人見知り”だと、そう思い込んできた

だからそんな自分を変えたい!変えようとご縁があって

福祉職(障がい者福祉)に世界に飛び込んだ

これまで自分のためだけに生きてきたからなのか

人のため…そう想うとなんとも億劫で…嫌々やっていたような…

自分自身の年齢も環境も大きく変化して

自分自身を見失って…結果、仕事ができなくなった

いわゆる…バーンアウトってヤツなんだと思う

大きく自分が本当にやりたいことはなんだろう?と大きく舵を切った

グラフィックデザインに憧れてそんな世界を求めて…

その頃、インターネットが急速に拡大してホームページが持てはやされた頃

webデザインに憧れ…そんな世界に憧れ…転職先を探すも…
ことごとく「今回は…ご縁がなかった」と…

結局、横浜にある看板屋に転職した

社長の「映画だって創ることができる!」の言葉に感銘を受けて…

当たり前だけど、看板の“か”の字も知らない自分

思い描いていた働く場所ではなかった

今になって思えば…勝手に不貞腐れて…拗ねて…

いつも辞めることばかり考えていたような…

約1年半でようやく退職をした…実家に帰る〜と嘘をついて

これから「さぁ、どうしよう?」と焦るキモチと過去の後悔と失敗と不安が押し寄せて来た…

そしてこんな夏の暑い日

24時間テレビの欽ちゃんのマラソンを観ていて

もう一度、障がい者福祉職に戻ろうと決めた

そう覚悟をして転職をして振り返れば10年以上も今の法人に勤めている

振り返れば、本当にあっと言う間だった……

いろんな立場も事業所も経験させていただいて

いろいろなことを経験して、感じることができた

そして一番大きかったことは自分が障がい者のために〜ではなく

彼らから教えられることや気づかされることに気がつけた

時に「死んでしまおうかな?」「(自分の)存在を消してしまいたい」

そんなことを呼吸をするように思いわく時期もあった

「自分は自分のままでいい…」

そのことにぼんやりと気づかせてくれたのはやはり彼らだった

そこから立場も環境も変わりながら自分のなかに芽生えた(想い)は大切にして…そうやって(仕事を)、やってきた

今思えば…自分を…自分の意志を貫くように

自分の想いとまわりが違うなんとも言えない違和感を常に感じていた

言葉にならない…できないけれど…僕が進みたい、やりたいこととは違う感じ

指導的・管理的立場も経験はしてみたけれど…

そのギャップを埋めることはできない…僕には無理だと体感した(今は人を他人が変えることはできないと理解している)

そんなことを感じ始めた頃からぼんやりと…この想いや経験が活かせるのでは…とどこかでぼんやり思っていた

いつからかぼんやりと会社などの組織に所属することが嫌だと感じている自分に気がついた

紆余曲折でわがままなこの経験が誰かの何かになればいい…そうぼんやりと思い始めた………

そしてふと「心理カウンセラーになりたい」そんな想いの自分に気がついてしまった…

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