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母の為の一日。

ノートブログ書き初めて1068日目に成りました。
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今日2時34分に実母が、旅立ちました。
青梅慶友病院のコロナ隔離病棟まで迎えに行きました。

静かな穏やかな顔で、待っていました。
妹が母が何か言っているか、聞き取ってと言うので、右の上から聞こえる母の声を妹に伝えました。
冗談混じりの亡き母との会話をして居た時です。

看護師さんが、死亡診断書の書類を持ってきました。
名字の漢字の事で突然、母からクレームが入りました。
「名字の漢字が土である。士では無い。」と言うモノであったが、今は役所のコンピュータの書類上は士でないと、受付られない。と言う事で納得することになる。
老人にとって名字の問題は、真剣な問題である。
墓の文字は土に口なのだから。
母が亡くなってこんな世の中の変化に気づく。
最後に残念そうに、
「死んでしまったら文句も、言えないのね。
死ぬって事は、何もかも受け入れるってことなのね。」と言いおいて、消えました。

午前中は葬儀社のお迎えと、病院との対応。
午後は葬儀社のオヒィスで細かい打ち合わせ。

葬儀に使う七年前の遺影の何と美しかったこと。
96歳迄良く頑張った。偉いと母に言った。
私も写りの良い写真はとって残しておこう
これは母を見習う事にした。‼️

サア、これからは、私達の時代がくる。
責任を持って生き切ることにする。

母の生き方全てに、何時も批判の目を持って見てきた。
母は彼女の周りの人全てに
「素晴らしい方」で有りたかった様である。
病院の方々の態度から良くわかる。
皆さん母を愛して下さったようだ。

私の74歳からの人生を母はこの世で見る事なく、
旅立った。
残った私達子供が、又その子供達が、これからどう生きるか、なのだろう。

母とは一卵性双生児の様な妹は
今は何を考えているのだろう。

可成り疲れたと思う。
妹は、母から言われた通り、色々な事後処理が待っている。私には言えない母と二人だけの約束事が有るらしい。
いいでは無いか。
母の残した、この世の垢に触れなくて良いのだから。
全て妹に託す。
大変だと思う。
そんなことより、
私は世の為、他人の為、父の様に生き切る事にする。
父は最後まで、気楽な人であった。

親の全ての垢は、残された子供も平等に
負うモノだろう。
それが、生きた証。

今日一日が皆様にとって、大いなる気付きの時で有りますように。

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