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祈り。

ノートブログを書き初めて639日目になりました。
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昨夜は可成り変わった世界を経験させてもらいました。

仏教の仮想世界です。
バーチャルの仮想世界が此の現代社会に存在するかも知れないなどと言う、こんな歳の人間が考えもしなかったそんな世界が、仏教曼荼羅の世界からアプローチからが会ったおかげで、不思議な経験をしました。

大宇宙の転機をたかが人間一人が正しく、確認に捉えるなど、出来ない。出来なくて良い。

最後の最後で解った事。
正しい祈りこそ、我々人間に与えられた、鍵。

欲なく。
宇宙の摂理を受け入れる。
そこに、全ての世界に通じる鍵🔑🗝がある。
宇宙は全て留まってはいない。
もし、人間がその鍵を持って居るとすれば、
其れは信頼と、祈りしか思い当たらなかった。

コロナと言う菌を我々人間がどう相手にして来たとしても。果たして何が出来たと言えるのだろうか?

薬師如来のお言葉は私にとって強烈で有った。
たかが人間。大きな仏の腕なの上で、何が出来る?

心を込めて祈る事しか、私には出来ない。

 ブッダ100の言葉
35.ではなく47 人間の運命

死すべき運命を背負った人間の命には、
定まった特性もなく、不可知なものである。
其れは、辛くて、短くて苦しみと結びついている。
熟した果実は落ちるのでは無いかと言う恐怖がついてまわる。それと同じように、
死すべき運命を背負った人間と言うものは
此の世に生まれてからずっと、死ぬ事を恐れるのである。

人は生まれながらにして死ぬ運命を背負っている。
生きると言う事は、言い換えれば、死につつあると言う事である。
「生きることは苦しみだ」と感じる人のために、ブッダの教えは存在しているのである。

アマノコトネ的見解

今日はどうしても、死について、考えてみたいそんな衝動に駆られた。

そんな、偉い人の解答が欲しかった訳では無い。
薬師如来様との一問一答に刺激を受けた事は確かだ。

コロナ陽性と言われて軽症ではあるが、
常日頃から何か引っかかっていた、身辺整理を考えた。
何と贅沢な話だろうか?確かに物が多過ぎる。
身辺整理するほどの物に気がついてしまった。

これも、時間が無いと行えない。コロナ前から
一念発起を何度となく、繰り返している。
しかし、「死」を意識して居なかった。

体力が無いと出来ないものでもある。

何だか、休み休みでも
やる気をいただいた。

少し元気が出て来た証拠かも知れない。

皆様にとって本当に素晴らしい一日で有りますように。決して無理はしないでください。

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