伝説の新馬戦はストロング缶で祝杯を――長柄高校馬事文化研究部活動記録⑤

「馬券を買わない競馬なんて、ノンアルコールビールみたいなもの。でもだからといって、ストロング缶で悪酔いする必要も、全然ないのよね……」
 放課後、部室にやってきた僕たち馬事文化研究部部員一同が目にしたのは、窓の外を眺めてため息を放つ、田村宮子先生の姿だった。
「えと……どうかしたんですか? 先生……」
 四人を代表して、阿久津さんが先生に声をかけた。けれど、わかっていた。阿久津さんはもちろん、僕も室谷さんも渡辺さんも、みんなわかっていたのだ。
 先生、先週の宝塚記念、馬券はずしたんですね……。
「いや、違うのよ、違うの! クロノジェネシスは当然、軸で買ってたの。レイパパレも相手に押さえてた。でもユニコーンライオンは……ユニコーンライオンは買えないじゃない!」
「なんていうか、たいしておもしろみもない、典型的な外し方だなあ」
 室谷さんが部室中央に置かれた長テーブルのお決まりの席につきながら、わりと辛らつな批評を加えた。田村先生とは親戚同士で姉妹みたいな間柄ということもあって、先生には結構当たりがきつめなんだよね、室谷さん。
「先生、今回は三連複で勝負してたんですか?」
 室谷さんのとなりに腰かけながら、渡辺さんがたずねる。先生は遠い目をして宙を見上げた。
「そう、今回なにがいちばん悲しかったって、ここでクロノの単勝にぶっこんでなかったってことなのよね……」
「あ、ああ~……」
 僕たちのあいだに、妙な納得感が広がった。そういえば先生、今年の日本ダービーでエフフォーリアの単勝にかなりの額を賭けたんでしたっけ……。
「ダービーでのエフフォーリアの単勝オッズが一番人気で1.7倍、今回の宝塚記念でのクロノジェネシスは同じく一番人気で1.8倍。ほぼ同じ単勝オッズなら、たしかに結果的には今回は単勝勝負に行くのが正解でしたね……」
「やめて! わかってるの、わかってるのよ……!」
 阿久津さんの的確な指摘で傷口に塩を塗り込まれたのか、田村先生はがっくりとテーブルに突っ伏した。おしゃれに切りそろえられたボブヘアがテーブルの上でクラゲみたいに広がる。やめてください、先生、もう見てられませんて……。口内ではおしとやかな美人教師で通っている田村先生のこんな姿を知ったら、ショックを受ける生徒もいるんじゃなかろうか。
 と、先生は気付け薬を嗅がされた人みたいに不意に顔を上げ、鬼気迫る表情を僕たちに向ける。
「……あなたたち、今年の二歳戦を回顧してるのよね? その会議、今回は私も参加させてもらうわよ」
「ええ~、参加って、みや姉、なんのために?」
 室谷さんのやや不満げな問いかけに、田村先生はきっぱりと答える。
「決まってるでしょ、来年のダービーで単勝をぶっこむ馬を見つけるのよ! GⅠがおこなわれる週の新馬戦は『伝説』になりやすいっていうし、先週もクラシック候補が出現したんじゃないの!?」
 と、目をぎらつかせる田村先生。そこは嘘でも、「顧問教師として部活の指導をする」とか言ってほしかったなあ……。公私混同どころか、私利私欲が丸出しである。
 とにもかくにも、いつもの四人にプラスひとりでテーブルを囲んで、六月二十六日と二十七日の二歳戦回顧を始めることとなった。
「それじゃあ最初は、六月二十六日札幌5R、芝1200m戦からいこうか」
準備が整ったところで室谷さんが切り出した。それを受けて手元の資料を読み上げてくれるのは渡辺さんだ。
「勝ったのはロードカナロア産駒のキングエルメス。好スタートからすんなり二番手を確保すると、終始楽な手応えのまま直線で抜け出して二馬身差の快勝だね。ハヤタ君はどう見た?」
「うん、パドックでも仕上がりの良さと歩様の軽さが目立ってたよ」
「そうね。芝の短距離向きの軽快さを見せたし、評価は☆4にしていいんじゃないの?」
 と、阿久津さん。馬体面から見ても、このくらいの評価で妥当だと思う。「ほかに注目馬はいる?」
 室谷さんの問いかけに、僕はうなずく。
「うん。2着に来たカルネアサーダ。人気はなかったけど、これも短距離向きの良い馬だと思った。前脚が短くてダッシュ力があるね」
「先行しやすいってことか。なら勝機は近いだろうし、これも評価☆4にしていいかな?」
 もちろん賛成だ。短距離戦だったけど、このレースの出走馬のレベルはまずまずだったと言っていいのではないだろうか。
「へえ、あなたたち、意外と真面目にやってるのね」
 と、田村先生が感心したように言う。先生のほうも気持ちが落ち着いてきたのか、いつもの理知的な顔つきに戻っている。
「意外と、って失礼だなあ、みや姉。こと競馬に関しては、私たちはいつでもガチだよ、ガチ」
 室谷さんの言うとおりだ。雑談が長すぎると怒られがちな僕たちだけど、レースの回顧には真剣に取り組んでいる。それゆえに結構プレッシャーもあるんだけどね。
「じゃあ次は六月二十六日、阪神5R芝1400m戦。タガノフィナーレが勝ったよ。8番人気と低評価だったけど、積極的に先手を奪って逃げきったね」
 渡辺さんの紹介を受けて、僕はパドックの様子を思い出す。
「肩が立った体型でいかにも短距離でスピードを生かすタイプに見えた。後ろ脚が長くて前かがみだし、1400mはぴったりなんだと思う」
「それにしても8番人気か……」
 室谷さんが口元に手を当て、思案顔になる。
「タガノの馬ってPOG媒体に出てこないから、新馬戦で案外人気になりづらいんだよね。二、三歳戦での活躍馬もよく出るんだけどなあ」
「へえ、どうしてPOGで話題にならないの?」
「そこはまあ……たぶん私たち一般人にははかり知れない大人の事情があるんだと……」
「そ、そうなの?」
「なんか触れてはいけない業界の闇とかあるのかしら……?」
 と、いつもどおりの雑談を繰り広げていると、
「あなたたち、いつもこんな話してるの……?」
 田村先生があきれたような目つきで僕たちを見ていた。
 あ、はい……ごめんなさい。こういう話に脱線しちゃうから、時空の歪みとか発生しちゃうんですよね……。
 さっきの話題もなんだか危ない香りもするし、この話題の深掘りは避けたほうが賢明そうだ。よし、本線に戻ろう。
 その後の討議を経てタガノフィナーレの評価は☆5となった。うまくPOGで指名できてた人は二勝目、三勝目を期待して楽しめると思う。
「このレース、他の馬はどうかな? 二着のドンフランキーは570キロ超えの超大型馬だけど」
 と室谷さん。
「意外に重苦しさはない印象だよ。筋肉量豊富だし、マイルまでの距離なら勝機は十分あると思う」
「なるほど。あと、1番人気のアグリは三着とちょっと伸びあぐねた印象だけど」
「筋肉の発達が目を引いて、馬体はいちばんよく見えた。ただ、まだ体つきに余裕がある気もした」
「じゃあ、叩いて変わり身も期待できるってことだね。評価はドンフランキーを☆4、アグリを☆5としよう」
 下校時間も迫ってきているし、ここからは少しペースを上げていくことになった。
「次はちょっと飛ばして、六月二十七日札幌5Rを先に取り上げるよ。芝1200mで、ロゴタイプ産駒ラブリユアアイズが二番手追走からあっさり抜け出しました」
「お尻がふっくらしてスピードの乗りがよかったよね」
「まだデキも上がありそうなコメントも出てたし、評価は☆4ね」
「次は六月二十七日の東京5R、芝1600m戦」
「ちょっと混戦ムードも漂ってたけど、1番人気に応えて差し切ったアヴァンチュリエは評価☆5だね」
「この馬は力強さも加味された筋肉って感じだけど、筋肉の繊細さでは最後に追い込んできてたションナンタイジュも目立ってたよ」
「この馬は評価☆4だね。新潟あたりでチャンスが回ってきそう」
「新潟か……」
 渡辺さんのひと言に反応したのは田村先生。いつからか先生は手帳にせっせとメモを取っていた。ひょっとして、本当に僕らの分析を馬券の参考にするつもりですか? もちろん光栄なことではあるんですけど、当たりはずれに責任はもてませんよ?
 なんか血眼になって手帳にぐりぐりとペンを走らせている先生を横目に、部活は進む。
「六月二十七日東京6Rはダートの1400mよ。ディスクリートキャット産駒のコンバスチョンが四馬身差の楽勝。母父もパイロで、やっぱりダート血統だったわね」
 この馬は血統面から阿久津さんが推していた一頭だった。
「うん。繋も起きているし、ダートでも地面をよく捉えて走れるんだろうね」
「番組的に少ないダートの短距離戦が主戦場になりそうだけど、評価は☆4ね」
「さて先週分の新馬戦も残すところあと二レース。それこそ『伝説』になりそうな二鞍ではあるんだけど……その前に、未勝利戦で触れておきたいレースってある?」
 室谷さんが部員一同を見渡す。手を挙げたのは渡辺さんだった。
「六月二十六日の阪神1Rの二歳未勝利戦でいいんじゃないかな。勝ったスタニングローズは私たちの初戦回顧では評価☆4の馬だし、二戦目で順当に勝ち上がってくれたのはうれしいよね」
「私たちの見立てでは短距離向きじゃないかってことだったけど、1ハロンの距離延長をこなしたのはプラス材料よね。今後のレース選択の幅が広がるわ」
 と、阿久津さん。
「二歳戦だけにこれで距離が絶対もつとも言い切れないけど、今後の走り次第では評価の変更も必要になるかもね」
「未勝利戦の話はそのくらいでいいでしょ! それより伝説を、伝説を早く!」
 と室谷さんを押しのけ、田村先生が目を血走らせる。欲しがるなあ……。
「もう、みや姉もいちおう聖職者なんだから、ちょっとは落ち着きなよ。金の亡者か」
「ま、まあまあ。先週の残り二レースにはたしかに有力馬がたくさんいたわけだし……まずは六月二十七日の阪神5Rからでいい?」
 先生と室谷さんのあいだを取りなしつつ、僕は提案した。となりの阿久津さんがすぐに資料を確認してくれる。
「勝ったレッドベルアームはきょうだいに重賞ウィナーのレッドベルジュール、レッドベルオーブがいる、POGでも人気の血統よ。父がハーツクライに替わったぶん、上二頭よりも距離の融通がきくとも言われてるわよね」
「たしかに脚の長さでストライドを伸ばせる感じで、距離はもっとあっても大丈夫だと思う。二着にきたアランヴェリテは先行してしぶといタイプで、得意パターンに持ち込んだこの馬を差し切った点は評価していいんじゃないかな」
「うん、アランヴェリテも評価☆5をつけられそうだし、楽勝って感じじゃなかったけど、いい勝ち方だったよね」
「二着との差を考えると、評価は☆6くらいかな?」
 渡辺さんの提案が通り、レッドベルアームの評価は☆6で確定した。ちなみに僕たちはこの馬をnetkeiba.comのPOGダービーで指名している。そういう意味でも期待を寄せる一頭だ。
「それじゃあやっぱり、このレースが『伝説の新馬戦』なのね!?」
「まあまあ、みや姉、そうイレこみなさんなって。たしかにこのレッドベルアームもかなりの馬だけど、ハヤタ的にはさらに高評価したい馬が出てきたんだよね?」
「う、うん。六月二十六日東京5Rを勝ったジオグリフなんだけど……」
「芝1800m戦を上がり三ハロン33秒3の脚で差し切った馬ね。あんた、パドックからこの馬を絶賛してたわね?」
 阿久津さんの振りで、みんなの注目が僕に集まる。特に田村先生の圧がすごい。うう、プレッシャーだなあ……。
「う、うん。この馬は本当に、一頭だけモノが違う感じに見えたんだ。筋肉質だけど柔らかみがあるし、体の使い方もすごく良くて、推進力に無駄がないんだよね。相当な能力の持ち主じゃないかと思う」
「な、なるほど……! たしかに二着のアサヒが余裕で抜け出す手応えだったのに、それを差し切ったものね」
 レース映像を見返して、田村先生が息を呑む。派手さはそれほどないかもしれないけど、力でねじ伏せたって印象を抱かせる勝ちっぷりなんだよね。
「父はドレフォンね。ぞくぞく産駒が勝ち上がってる新種牡馬だし、血統的な勢いも感じるわね」
「阿久津さん! サンデーは? サンデーの血は入っているの!?」
 勢い込む田村先生に向けて、阿久津さんは慈母のように微笑みかける。
「安心してください、先生。この馬の母はアロマティコ。現役時はエリザベス女王杯3着などオープンまで出世した活躍馬で、父キングカメハメハですが、母方にサンデーサイレンスが入っています」
 数年ぶりの再会を果たした仲間のように、がっちりと両手を取り合うふたり。たしかにクラシックを狙う上でサンデーサイレンスの血脈は重要だけど……。
「まあ、馬体、レース振り、血統と総合的に見てかなり期待できる一頭ってことは間違いなさそうだし、評価は思い切って☆7でしょ」
 室谷さんの提案に、おおっとどよめきの声が上がる。
「評価☆7はコマンドライン以来、二頭目だね」
 渡辺さんが声を弾ませる。
「惜しむらくは、この馬をPOG指名してないことよね……。くぅ、やっぱりクラブ馬も精査しとかないとダメかしら……」
 阿久津さんは悔しさをにじませるが、それだけこの馬の力を認めているということだろう。
 そして田村先生も気炎を上げる。
「よーし、それじゃあ来年のダービーはこの馬の単勝で全力勝負ね!」
 いや、それはさすがに気が早いですって、先生……。あと、賭けるにしてもできればストロング缶じゃなくてほろよいくらいにしてくださいね?

 なお、6月分の全新馬戦の評価はここで。

 ウェブページになっているので、ソートなどをおこないたい場合はエクセルやスプレッドシートにコピペしていただけるとよいかと思います。
 ではまた、次回。

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