ハイアムズビーチは競馬場デートの夢を見るか? ~長柄高校馬事文化研究部活動記録③

「競馬好きで売ってる女性タレントがよく言う、『競馬にハマったきっかけは親しい友達に誘われて』ってあれ、確実に元カレの影響ってことよね」
 部室に入ってきていつもの席――僕の隣に腰かけるなり、そんなふうに話しかけてきたのは、我らが馬事文化研究部の部員のひとり、阿久津姫さんだった。
 えと……阿久津さん? なぜいきなり、色気づきはじめた男子中学生みたいな話を?
「いやね、昨日たまたまテレビで見たのよ、女性タレントがそんな話をしてるのを。『ああ、またかあ』って思ってね」
「たしかに定番のエピソードではあるみたいだけど……」
 タレントさんって人気商売だし、そこはファンへの配慮で多少オブラートに包んでも、ねえ? 日本だと競馬は男性の趣味ってイメージが強いから、どうしてもうがった見方は出てきちゃうんだろうけど、そこを疑いはじめるとたとえば、芸人さんの「劇場の出番に合間に先輩の馬券を買いに行かされて」とかもあやしいということになってしまう。
「あと全然関係ない話だけど、川崎競馬のイメージキャラクターを務めた女性タレントって、なんやかんやおかしなことになりがちよね。始球式で数千人の男子中学生に取り囲まれたり、生放送のラジオ番組を突然『卒業』してみたり」
 うん、本当に全然関係ない話だから、やめてね? そういう危険なネタをぶっこむキャラは室谷さんだけで勘弁してほしい。
 こういうときは微妙に話題をそらすに限る。
「え、ええと、阿久津さんが競馬を好きになったきっかけは、お父さんの影響だっけ?」
「ええ、そうよ」
 そっけない口調を装いながらも、答える阿久津さんの表情はなんとなく誇らしげに見えた。本当にお父さんのことが好きなんだなあ。
 阿久津さんのお父さんは町工場を経営されていて、阿久津さんがまだ幼かった時分には馬主だったこともあるらしい。その頃お父さんと一緒に競馬場の馬主席からレースを見た思い出が、阿久津さんが競馬に興味を抱くきっかけになったのだという。その後、工場の経営が苦しくなったこともあり、残念ながらお父さんは馬主をやめてしまった。だから今度は自分が馬主になってお父さんを馬主席へ招待する――それが阿久津さんの夢なのだ。
「そういう意味では、家族にせよ恋人にせよ、身近な人の影響を受けるって、素敵なことだよね。それに、趣味――競馬を通して親しくなることだってあるわけだし。ほら、阿久津さんが昨日見たっていうタレントさんも、まだお付き合いする前に競馬場に誘われたのかも」
「いや、それはないでしょ。初デートで競馬に誘う男って、どうなのよ、それ?」
「あ、うん、そうだね……」
 自分で言っておいてなんだけど、なにも反論できなかった。
 競馬を始めてまだ数か月、恋愛経験だってほとんどないに等しい高校生の僕でも、初デート×競馬のヤバさは肌でわかる。わかってしまう。
 い、いや待て。決めつけはよくないよな、うん。僕は海外生活も長かったわけだし、日本だと初デートで競馬場へ出かけるというのは案外ポピュラーなイベントなのかもしれない。
 そう思って僕はグー〇ル先生のお知恵を拝借することにした。そして備品のノートPCで「初デート 競馬」という検索ワードを打ち込み、たどりついたサイトが、こちら。

「……これは、なんていうか……うん……」
「ツッコミどころが多すぎて、私たちではちょっと処理しきれないわね……」
 記事を読み終えた僕と阿久津さんは、なんとも言えない微妙な空気に包まれた。
 なんだろう、気恥ずかしいとかしらけるとか、そういうんじゃないんだよね。JRAさんの公式配信記事だし、若い人たちに競馬場の魅力を伝えようとする気概もひしひしと感じられる。ただ、ありえない出来事の連続で、それこそ色気づきはじめた男子中学生の妄想を読まされている気分になってくるというか……。
「まあ、私はあんたとだったらこういうのも悪くないかもって思わなくもないけど……」
「え、なに?」
 阿久津さんがなにかつぶやいたのだけれど、声が小さすぎてよく聞き取れなかった。僕のとなりで、阿久津さんは身を固くしてうつむいている。ちょっとただならぬ気配も感じた。なんだろうと思い、その顔を覗きこもうとしたのだけれど。
「だ、だから!」
 阿久津さんが急に顔を上げ、僕を見つめてきた。切羽詰まったような表情だ。え、な、なに?
「だから、あんたとならしてやってもいいって言ってるの! 競馬場で、デ、デ――」
「遅くなってごめーん! さて今日も張り切って先週の新馬戦回顧を――って、なんで姫は窓際でたそがれてるの?」
「え……って、あれ!?」
 勢いよくドアを開けて部室に入ってきたのは部長の室谷さんだった。その声で振り向いた僕は、驚く。さっきまで僕と相対していたはずの阿久津さんが、いつのまにか窓際に立って外を眺めていたのだ。一瞬目をはずしただけなのに……。
「あら誰かと思えば、璃子じゃない。遅かったわね」
 振り返った阿久津さんは、何食わぬ顔で室谷さんを出迎える。
「うん、今日、掃除当番でさ……ていうか、なんで顔赤くなってんの?」
 何食わぬ顔じゃなかった。
「ひょっとして姫、ハヤタ君とふたりで内緒の話でもしてた?」
 と、室谷さんの背後からひょっこり顔を出して話に割り込んできたのは、もうひとりの部員、渡辺さん。なんだかニヤニヤと目を細めているけど……?
「内緒だなんて、そんな。僕たちはただ、デートで競馬場に行くのはどうかって話を――」
「あー、あーあーあーあーっ! ほ、ほら! 時間もないんだし、さっさと部活、先週の新馬戦回顧、は、始めるわよっ!」
 阿久津さんは壊れたスピーカーみたいにがなりたてて僕の言葉をさえぎると、渡辺さんと室谷さんをそれぞれの席へ無理やり押しやった。渡辺さんはあいかわらずからかうように目を細めているし、室谷さんは困惑顔で首をかしげている。僕だって訳がわからないが、阿久津さんから小声で「往年のラノベ主人公か!」とツッコまれた。ど、どういう意味……?
 とにもかくにも馬事文化研究部の部員一同が席に着き、こうしてようやく、本題――先週の新馬戦回顧に入る流れと相成った。
「無駄話のせいで時間もないんだから、さっさと片付けるわよ! 六月十三日札幌5Rの勝ち馬トーセンサンダー、同じく十三日中京5Rの勝ち馬メリトクラシーは揃って評価☆3でいいわね!」
 と、早口でまくしたてる阿久津さん。ちょ……いくらなんでも乱暴じゃない? 下校時間が迫ってるのはたしかだけどさ……。
「十三日日曜日のもうひと鞍、東京5Rのヴァーンフリートはどう?」
 渡辺さんが僕を見る。僕はJRA-VANでパドック映像を確認し、答える。
「体が大きくてパワーがありそうな、良い馬だよね。たぶん筋肉はもっと研ぎ澄まされてくるだろうけど、中距離が向く馬だと思う」
「なるほど。つまり、まだ成長途上なのにきっちり勝ち切ったとも言えるね」
「そういう意味では一定の評価はしていいかもね。ただ、レース振りや騎手コメントからも切れる脚が使えるのかまだ半信半疑だし、評価はとりあえず☆5にしておこうか」
 と、室谷さんが締める。なんとなく出遅れ感はあったけど、始まってしまえば議論は盛り上がるものだ。僕たちも切れる脚で前半のビハインドを挽回していきたい。
「じゃあ次は日をさかのぼって、六月十五日土曜日の札幌5R芝1000m戦に行こう。勝ったのは三番人気のカイカノキセキ。スタートを決めて軽快な逃げ、直線に入っても脚色は衰えず、レコードタイムで逃げ切った」
「この馬の血統はちょっとおもしろくて、母のカイカヨソウは北海道や南関東のニ、三歳戦で大活躍した馬よ。このカイカノキセキは母の二番仔だけど、JRA所属になって芝デビューとはちょっと意外よね」
 へえ、なるほど。それは血統派の阿久津さんらしい視点だ。
「パドックで見てもバネのある歩様で芝向きに見えた。いかにもスピード豊富って感じ。短距離向きだね」
「お母さんも二歳の早い時期から重賞で活躍してたみたいじゃん。そう考えると早熟傾向はありそうだし、二歳重賞とかも可能性あるんじゃないの?」
「なら評価は少なくとも☆4はつけていいよね」
 渡辺さんの提案に、僕たちはうなずく。短距離の新馬戦も上からの指示で微妙に評価に差をつけてみているけど、これが後々功を奏することを祈りたい。
「さて、先週の目玉レースは残す二鞍ってことになるかな。まずは十五日の中京5R、芝1600m戦。勝ったのはダイワメジャー産駒のセリフォス。向こう正面で二番手まで押し上げると、終始楽な手応えで直線へ。坂でも脚色衰えず抜け出して、後続をシャットダウンする見事な競馬だった」
「皮膚が薄くてバネを感じさせる馬体だよね。マイルあたりでのスピードはかなりのものなんじゃないかな。曲飛で距離はあまり伸びないほうがいいとは思うけど」
「乗った川田騎手も性格面の気難しさを課題に挙げてるし、今後コントロールが効くようになるにしても、クラシックを見据えると評価は☆5くらいにしておいたほうが賢明かもね」
「そういえばハヤタ君は、このレースで負けた中にも☆4をあげたい馬が何頭かいるんだっけ?」
 渡辺さんの言葉に僕はうなずく。
「う、うん。まずは2着のベルクレスタ。パドックでの歩様の軽やかさが目を引いた。460キロくらいの馬体にしては大きく見せるし、心肺能力も高いのかもと思ったんだ」
「ドゥラメンテ産駒か。POGでも結構前評判が高かったし、次は順当に勝ち上がってクラシック戦線に乗ってくると見て良さそうだね」
 と室谷さん。
「次はかなり意外だったんだけど、七番人気で5着に来たエコロジェネラスも評価☆4?」
「うん、これもちょっとおもしろいんじゃないかなと思ったんだよね。パワフルで馬体的には結構よく見えた。あ、でも芝じゃなくてダートのほうが良いと思う。ダートの中距離」
「おっ、つまりダート替わりで狙い目ありってことだね! こういう情報は馬券的においしいんだよなあ」
 室谷さんがよだれをぬぐうようなしぐさを見せる。早くもダート戦でこの馬を狙う気まんまんみたいだけど……馬券は自己責任でお願いします。
「3着のトゥードジボン、4着のヒルノローゼンヌも評価☆3をつけられるし、私たち的にはこのレース、全体的にレベルが高いと見たい、ってことね」
 と、阿久津さんがまとめる。このレースの出走馬が今後続々と勝ち上がったくれるようであれば、僕たちの見解は正しかったということになる。うう……。楽しみではあるけど、プレッシャーもあるなあ。
「さて、次が先週分の最後になるね。十五日東京5R芝1400m戦。勝ったハイアムズビーチは新種牡馬ドレフォン産駒。でもそれ以上に注目するポイントはやっぱり、白毛ってところかな」
「牝馬だし、昨シーズンのソダシを彷彿とさせるよね」
 室谷さんの言葉に、渡辺さんが合の手を入れた。たしかにデビュー前からいとこのソダシと比較する声は多かったようだ。
「これもすごく雰囲気の良い馬だと思う。牝馬にしては骨格が大きくて迫力があるし、それでいて動きも軽い。胸が深くて心肺能力も高そうだよね。やっぱりこのレースのパドックでもひときわ目立ってたよ」
「レース振りもなかなか味があったわよね。短距離戦だけどスピード一辺倒じゃなく、好位からしっかり伸びて前を捕らえた内容は高く評価していいと思うわ」
 阿久津さんが声を弾ませる。血統の妙味もあってか、彼女もこの馬を気に入ったようだ。
「オークスでソダシの分まで雪辱を晴らす! ……とまでは言えないけど、この馬だってマイルの阪神JFあたりで勝ち負けになってもおかしくないかもね。レース後のコメントを見てもまだ成長の余地もありそうだし、ここは思い切って評価☆6でどう?」
「異議なーし」
 室谷さんの問いかけに僕たちは声をそろえて応えた。ハイアムズビーチ。その素質はもちろん、白毛馬ってやっぱり見栄えがするし、それこそこの子目当てに競馬場デートをする人たちが増えるくらいのスターに育ってほしい。そんな期待も込めての、☆6だ。
 と、いい感じに話をまとめようとしていた僕の斜め前で、
「……聴いてくれ、諸君。ここで重大な発表がある」
 と室谷さんがおもむろにそう切り出した。両肘をテーブルにつけ、口元で手を組んだ、どこぞのアニメのラスボスみたいなポーズを取っている。え……なに?
「……さきほどから我々は、『先週』のレースがどうのと議論を重ねてきたわけだが、じつはこの間になんやかんやの時空の歪みが生じ、ここまで挙げたレースはすべて、すでに『先々週』のレースになってしまっているのだよっ!」
「な、なんだってーっ!?」
 くわっと目を見開いた室谷さんに対し、阿久津さんと渡辺さんもやけにおおげさなリアクションを返した。ふたりとも顔が劇画調になってるけど、いいの?
 えと……話を理解できてないのって、ひょっとして僕だけなの? いや、普通にわからないよね?
「つまりだね、ハヤタ君。ぶっちゃけて言うと、記事の公開が遅れて、二週分のレースを回顧しなきゃいけない状況になっちゃってるってことだよ」
 あ、うん……ぶっちゃけて言われたらすんなり事情を理解できたよ。
 要するに、こういうことだ。
 今回の新馬戦回顧は、このまま次回へ続きます。


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