ゲームの運営が行う調整のモヤモヤ感

 初めまして、こんにちは。ここに綴る文は日記・チラシの裏に書くものとほぼ変わらず、推敲していない・根拠がないといった信憑性の低いものとなっている。そういったものに自分の時間を割いてまで「ここの文○○になっているよ」「ここはこう書いた方が面白いよ」「ここの記述は出典無いけど・・・」といった教えてくれる人には申し訳ないが、書き直すつもりはほとんどないため(これからの文ではまず出てこないが、特定の人が不快にならないような最低限の配慮はしている、あくまで文として信憑性が無いものである、そういいたいだけである)、そういった優しいありがたい人はブラウザバックし別の記事を探すことが、あなたの助けを必要としている人たちのためになるだろう。


さて、私は趣味としてコンピュータゲームを楽しんでいる。昨今は足を運べていないがアーケードゲームにどっぷりだったし、家でも格闘ゲームやFPSを楽しんでいる。昨今のコンピュータゲームに触れていない読者のために説明すると、最近のオンライン要素があるゲームはほとんどにおいてゲームの運営からアップデートという物が行われる。新しいステージ・キャラといった要素の追加やバグの修正といった多岐の目的によって行われる。そしてとりわけ対戦ゲームにおいてのアップデートというのは環境の変化を指し示す。ゲームのn運営・開発が対戦に関わるキャラや武装の数値、モーションに手を加えることで、キャラや一連のムーブ・セットプレイの強さが変化させるのだ。そうすることで我々プレイヤーは「マンネリを防ぎ、新鮮な刺激を感じることが出来る」。それまで多く使われていた強いキャラは使用数が減り、それまで見なかったキャラが知らない強さを発揮する、そういった機会を定期的に作ることをアップデートは可能としている。


さて、本題である。我々SNS等を利用する対戦ゲームファンの中で共有された言葉である「調整」。この言葉は上記にあるアップデートに付随するキャラや一連のムーブ・セットプレイの強さの変化が行われることを指す。では何故、私は本来「マンネリを防ぎ、新鮮な刺激を感じることが出来る」調整にモヤモヤを感じてしまっているのだろう。アップデート、とりわけタイトルが変化するレベルの大型アップデートにおいてよく見られる調整、前タイトルではパッとしなかったモノに調整が入ることで一線級になるくらいのテコ入れが行われる。本来嬉しい事だ、そのファンであったユーザーには追い風になり、他ユーザーには新鮮な刺激になる・・・、だがその後に悲しい未来が待っていることが多々ある。そのテコ入れされたモノがマンネリの原因になってしまい、使用数削減のために今度は弱くされる事だ。しかし弱くされること、その事には多少の悲しさを感じるがモヤモヤは感じない。私のモヤモヤが感じる点、それは調整の箇所と放置である。ほとんどの運営は調整において強くするときキャラ要素の、ここでは例えてABCと評する、Aの数値を強くする、そして弱くするときA以外のBとCの数値を弱くするのだ。結果Aを強くする前より最終的に弱くなってしまうことが多々あるのだ(最終的に、と書いたのは実は弱くされる調整とは複数回行われることが多くあり、回数や実例を出すことを避けただけである)。これがモヤモヤの半分「なんで、元に戻すだけでいいことを、別の箇所をいじくるのか」という疑念である。調整とは察する限り、時間と労力がかかることである。数値も一つ一つ吟味して行われているし(ユーザー間では的外れと言われる事もあるが)、いじる箇所も多いはず、なら元の数値を引っ張ってきて、浮いたコストを新たな箇所に注げば、それがさらなる「新鮮な刺激」になるはずなのにという疑問、そしてモヤモヤの半分は「結局弱くして、長らく放置するなら、いきなり強くしすぎなければいいのに」という文句である。上記の通り調整は時間と労力がかかること、一つのモノを短期間で上げて下げてといじくり回すより、それまで触られてなかったモノを前面に押し出すほうが刺激がある、だから強くされた後弱くされたモノは長い期間スポットライトが当たらなくなる、無理やりロードレースの自転車集団の先頭で抵抗避けとして漕がされ、少しした後リタイヤしてしまう(実際調整が行われることでそれまで1位を譲っていたモノが1位が弱くされることで前に躍り出る、という環境の変化が起こる)。なんだろう、速くはなりたかったが、自分のペースで漕ぎたかった・・・そういった感傷にさせられる。


締めとして、おそらくこのモヤモヤは気にしないほうがいいのだろう。現状こういった運営の仕方でもユーザーはたくさんいる。おそらくこのモヤモヤを感じ、そして明文化するくらいこじらせているのは少数だけなのだろう。と言っても自分はゲームをプレイしている最中は楽しく、モヤモヤに目を向けるのは、とぜんねーと感じた時だけだ。

以上、暇つぶしを兼ねたモヤモヤの明文化でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?