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宮崎蔵元アーカイブズ 2002〜07(6) 小玉醸造

2003年7月 サイト『九州焼酎探検隊』で公開
2003.07.30 by 猛牛

■なんとか、潤平さんの所へ行けることに・・・一路、車は南へ!

昨夜のニシタチにおける笑劇の終幕・・・杜氏潤平さんのオトボケに一同唖然となったのであるが。とにもかくにも潤平さんのご厚意で、21日の午前10時過ぎから2時間程度の“執行猶予”を確保してもらったのだった。

午前9時、宿の前に集合。ここで、鹿児島に急遽戻るAptiva野郎さんと別れの挨拶。あの謎の焼酎フォーク・デュオが再結成される日は、いつのことか? いったいその日は来るのか?! 様々な想いを抱きながらそれぞれの道を目指す3人、であった。

さて、残った石原けんじ大佐とわては、車に乗って、マツユカ女史の来着を待つ。今日の主賓である。

10分後、昨夜とは一転したスポーティな出で立ちでマツユカ女史が現れた。さっそく大佐の兵員&焼酎輸送装甲車で日南を目指す。

「若いもんは若いもん同士が良かろうて」と、老骨のわては後部座席に陣取る。いよいよ注目の日南蔵への旅がスタートした。

午前の天気は、あまり冴えなかった。けんじ大佐との焼酎探索、台風や大雨が毎度のお出迎えで慣れっこになっているとは言え、やはり南国、太陽の顔が拝みたいもんだ。

しかし、無常の雨。日南の海岸風景が、虚しく流れていくのだった。どうしてこうも、大佐と一緒だと天気に縁がないのか? 大佐はわてが悪いというが(爆)

■宮崎市内から1時間。飫肥城下の大通りにあった潤平さんの蔵。

向かうは日南市飫肥。有名な飫肥城の城下町である。都市計画で古い武家屋敷風の街並みに整備された大通り、そこに並んだ家屋のひとつが彼の蔵だった。

通りから眺めると、正面に建物が二つある。タイトル画像が試飲場兼住居、上画像が車庫のような建物。二つの建物の間が駐車場になっており、駐車場の奧が仕込みおよび貯蔵蔵となっていた。

「ごめんください」と声をかけると、奧から杜氏潤平こと金丸潤平さんが出てきてくれた。彼はサーフィンから戻ったばかりのようだ。

さっそく試飲場の方でお話を伺うことに。彼は素面、“いつも”の潤平さんに戻っている。

猛牛「この蔵を始められたんは何年前ですか?」
潤平「3年前ですね」
猛牛「すでに有名な話かもしれんですが、それ以前は、どんなことを?」
潤平「関東のある清酒蔵で麹造りを勉強して・・・それからこちらの焼酎蔵で2社ほど修行をさせてもらったんですよ」
猛牛「どの蔵元さんか、書いて良かとですか?」
潤平「いやぁ~、それはあまり書かないで欲しいですね(^_^;)。先方さんにご迷惑をかけるというか。僕はまだまだ始めたばかりのようなもんですか」

猛牛「こちらに、潤平さんの三部作ちゅーか、『杜氏潤平25度』に、その原酒、そして『紅芋華どり』がありますばってん。独特の甘味ちゅーか、深い味がしますばいねぇ。特に『華どり』は横浜の『本格焼酎大選集』で飲ませてもろうて、感動しましたが」
潤平「その甘さはやっぱり原料の紅芋のせいかと思うんですよ。それと仕込み水の質というか」
猛牛「ほぉ~」
潤平「けっこう『紅芋華どり』や原酒の印象が強いようですね。インパクトがあると言われます」
猛牛「特に『華どり』は、一般的な初留物とは違って、別種の衝撃を受けましたば」。
潤平「お客様からは25度の方にもう少し、そのインパクトがほしいという意見が多くて(^_^;)」

上画像は、『スカイネット・アジア』の広報誌に登場した潤平さん。記事のタイトルは、わてが最初に名前を聞いた時の第一印象そのままに『杜氏潤平って、誰だ?』、である。

この広報誌の露出でも相当の反応があったということだ。しかし、6月に出た雑誌『dancyu』の焼酎特集はさらに大反響を巻き起こし、鳴り止まぬ電話で仕事が出来ないほどだったそう。蔵の石高そのものが僅かであるため、とても対応できなかったと潤平さん。

■キャッチフレーズと化した「杜氏潤平」の名付け親は、“誰だ?”

「杜氏潤平」・・・わてがこの名前を最初聞いたとき、とても良いネーミングだと思った。聞いた途端に頭にこびり付いたからである。

彼の姓の“杜氏金丸”ではなく、名である「潤平」を採ったことが、ネーミングとしてよくハマっている。だが、最初はそれは杜氏である金丸潤平さんの本名から採られていると知って驚いた。商品名だけかと思っていたから。

さて、人名もこれ以外の組み合わせが考えられない、ピタリと決まった名前というのがあるもんですな。例えば身近な例でいけば、『萬年』専務の「渡邊幸一朗」氏や、日向が生んだ偉大なる焼酎研究家であらせられる「与健二郎」先生(爆)などのお名前が即座に浮かぶ。

金丸潤平、そして杜氏潤平。どちらにしろ、潤平という漢字と訓に、彼のパーソナリティのすべてが凝縮されているように思えて仕方がない。

いまでもわては、金丸潤平さんを呼ぶとき、つい「杜氏潤平さん」と呼んでしまうのだ(^_^;)

猛牛「この『杜氏潤平』という商品名ですばってん、どなたがお付けになったとですか?」
潤平「親父なんですよぉ」
猛牛「へぇ~??」
潤平「親父が名付け親なんです。蔵を始めたとき、商品名をどうしょうと思って、親父に聞いたら、「お前が造るんだから、お前の名前を付けろ」って言い出して(^_^;)。それで『杜氏潤平』となったわけです」
猛牛「なるほど!」

■あのラベルの紙質と、書体について。

ここで、マツユカ女史が話の輪に加わる。

マツユカ「この『杜氏潤平』のラベルは、紙の感じがいいですね」
潤平「このラベルに使った紙は、美濃紙のある工房の作品なんですよ。知り合いが居たのでお願いしたんです。紙にもこだわりたくてですね」
マツユカ「そうなんですか。質が高そうですもんね」
潤平「ふつうのラベルからすると、値段も5倍くらいします(^_^;)」

猛牛「この『杜氏潤平』の書体も良いですばいねぇ。個性がありますもん」
潤平「これは、新潟のある書道家の先生にお願いしたんです。これもまた知り合いが居てですね。あ、そうそう、いろんなタイプの書体で書いて貰ったんですよぉ」

潤平さんが、事務所の奧からテスト版の書体見本を持ってきてくれた。彼が依頼した新潟の書道家の先生が、いろんな書体で書き分けている。どれも個性のある筆使いだ。

というわけで、最終的に決定したものが、下記画像にあるお馴染みの書体である。見比べてみると解るが、やはり落ちつくべき所に落ちついた、というところか。

実際にラベルになったものは多少レイアウトなどが変わってはいるが、柱となる商品名がこのタイプが一番。ロゴとして立ち具合は、わてだけでなく、けんじ大佐やマツユカ女史も見て納得の出来映えやったです。

■杜氏潤平の“心臓部”、蔵の内側へと潜入開始!

ここで、『杜氏潤平』の心臓部とも言うべき、蔵へとお邪魔することに。正面の通りから30mくらい奧が蔵の入口である。

この時分から、天候もすこし回復を見せ始めた。そのせいか、すこし蒸し暑く汗がじとっと湧きだしてくる。

まず、入口から見渡せば、目に付くのが蒸留器と芋蒸器である。見て驚いた! わて自身、今まで見かけたことが無いタイプなのだっ。

猛牛「これは面白い型の蒸留器ですね。初めて見ました」
潤平「はい。この型は、ある有名な蔵元と同じ形式なんです。もろみに蒸気を送り込むパイプが5本通っているんですよ。ふつうだと底から1本だけが多いんですけど」

猛牛「どうして5本もパイプがあるとですか?」
潤平「一ヶ所だけから送ると、蒸気がもろみに当たるのに、ムラが出ることが多いんですね。それで、いろんな方向から当てた方が、まんべんなくもろみを蒸留できるという訳なんです」

猛牛「この芋蒸器も面白いですばい」
潤平「蒸留器と同じように、これも4ヶ所から蒸気を送り込む型です。理由は同じなんです。芋の蒸しに偏りが無いようにですね」

下画像は、一次もろみの仕込み甕。現在は仕込みはやっていないので、シートが被されている。さらにその下は、麹米用のセイロ。吟醸酒用のものが出物としてちょうどあったので購入したとのこと。温度調節用の筵の胴巻きで覆ってある。

一次もろみの仕込み甕
麹米用のセイロ

それから、潤平さんの案内でさらに2階にある麹室へと潜入。まだ新しい室である。

下記画像は、種麹と蒸した麹米を混ぜ合わせる床。この床に布の広げ、その上で種付けが行われる。麹室はまだ新調なって数年しか経っていないため、使用した木材の香がまだ漂っていた。よか香りである。

下画像は、菌の繁殖を促すため固まった麹をほぐす木製の道具を手にするけんじ大佐。ダイアモンド型にとがった先端部を持つこの道具は、潤平さんが修行したある蔵で使っていたものを模して特注したという。やはり使い慣れたものが良いらしい。

種付けした麹米を保管する室だが、麹米を載せる容器がデカイ。この容器の上から布をかけて、麹米を置く。

潤平「うちは人数が少ないんで、小さな“蓋”を使うと手間がかかって仕方ないです。それで大きめの『箱』を使っています。これは佐賀県の清酒蔵である『東一』さんの形式を踏襲させてもらっていますね」

作業効率を考えて、少人数なりの知恵がいろいろと発揮されているのである。

下の2枚は、酒質をチェックする検査室。厳めしい雰囲気の中に、ふと窓枠のところを見ると、ガンダムの小さなフィギュアが並んでいた。

潤平「えへへ。好きなもんで、並べてるんです(*^^*)」

さらにまた、一階に戻る。下左画像は二次仕込みのタンク。右は貯蔵用のタンク。それぞれ同じスペースで左右に分かれて設置されていた。

潤平さんのところでは、一次仕込みは甕だが、二次および貯蔵はタンクという構成。あの味、タンク仕込み+タンク貯蔵という組み合わせで醸し出されているのである。

■蔵再興の道のりを物語る、旧金丸本店時代の作品群。

再度試飲場に戻って、一息入れることに。そこで、けんじ大佐が隅に埃を被ったまま置かれた一升瓶の群を発見した。さすが大佐、お宝には何かと鼻が利くようである。

上は麦焼酎の『生駒』、下が芋の『幸露』。どちらも、潤平さんの元もとの蔵『金丸本店』時代の作品だ。

潤平さんの父上は宮崎市内で『金丸本店』を経営されていたのだが、ある大手メーカーと合併して同社は事実上姿を消した。その後、紆余曲折を経て、売りに出ていた「小玉醸造」の権利を買い取り、3年前に再スタートを切ったのだった。まさに御家再興なのである。

けんじ「これ、凄いですねぇ・・・。何年前のもんだろう?・・・あのぉ・・・持って帰っていいですか?」

珍し物はすぐに欲しがる大佐である。しかし、これらの瓶は蔵の記念品で、さすがに強奪は出来なかったようだ。大佐、お疲れさま(爆)

ちゅーわけで、滞在時間もリミットに近づいてきた。潤平さんにお暇を述べることにする。

最後に。潤平さんが今後どういう造りを考えているのか聞いてみた。

潤平「毎年、原料の出来や質も当然ながら違いがありますから、それを活かした年度ごとのヴィンテージで出したいんです。毎年の造りの個性の差をブレンドで消すんではなく、逆に楽しんで貰えたらなと思ってます」

まだまだ二十歳代の潤平さんだ。さらに脂がのってくれば、今まで以上に美味しく、かつ面白い商品を登場させてくれるような期待感が湧く。潤平さんのこれからの動きが楽しみだ。


(了)


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