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酒屋巷談 Narrative集(2)
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■Chasin' The IKEDA
かすとり探偵団は先週の肥前における探索に続いて、今回は筑前西部の前原市、志摩町など古代の伊都國周辺エリアへと勇躍!調査行を実施した。メンツは、同エリアに詳しいgoida隊員とわての二人である。
今回の調査目的は以下の通り。
1)伊都國および西区最西部(今宿・周船寺)での正調粕取焼酎の店頭化店の発掘
2)出土した正調粕取焼酎の収集
3)消滅した地粕取焼酎『池田』についての情報収集
そして目玉は、
4)先週goida隊員が発掘保護した『池田35度』の片割れ、『池田40度』の捕獲収集 である!
行き先の位置関係を把握していただくために、こちらをご参照いただきたい。
■地元酒販店さんに聞く、『池田』遺聞。
西区を出発したgoidaさんとわて。まず立ち寄ったのは、『池田』を製造されていた中原酒造場さんがあった周船寺のその隣町・今宿にある柴田酒店さん。
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粕取焼酎はありますかと伺うと、やはり今は置いてないという。
大将「昔は盆に飲む焼酎って言って・・・そうそう盆焼酎。砂糖なんかを入れて飲みよったけどねぇ。最近は飲む人が居らんけん、仕入れてないったいねぇ」
猛牛「『池田』はご存知ですか?」
大将「おお!昔はうちでも仕入れよったよ。でも身内にご不幸があったりとかで、蔵ば閉められてしもうたけんねぇ・・・。良か焼酎やったばい」
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猛牛「中原さんは粕取焼酎に命を賭けたちゅーか、惚れ込んだ人やったらしいですね?」
大将「うん。“地味”というか、昔ながらの丁寧な、粕取らしい粕取を造られとったねぇ。美味しかったよ。コクというか深みというか。何ていうか、採算を度外視しても良い粕取を造りたいって人やった。儲け抜きって言うか、そげな人やったなぁ。そうそう、粕取で梅酒ば漬けたら、ほんと美味かったばい!」
猛牛「はい。わてもある蔵元さんでその梅酒ば飲んだとですが、ほんと美味かったです」
同店では粕取を店頭化されていなかったが、同エリアでの盆焼酎の風習と『池田』および中原氏の情報を確認することができた。
次は以前goidaさんが八鹿酒造さんの『鹿の子』を見つけたという、加布里港にある酒屋さんへと向かう。
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こちらのお店では、女将さんが八鹿さんがある大分県玖珠町の出身とのことで、故郷の粕取を置いているようだ。
推測だが、元々は『池田』を扱っていたのが、廃業・消滅のため他地域のブランドを仕入れざるを得なかったのかもしれない。goidaさんの話だと前回調査時と比較して棚在庫の本数が大幅に減っているという。売れているらしい。まずgoidaさんが1本購入。
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次は志摩町にある某酒店。女将さんに聞けば、昔『池田』を扱っていたという。
廃業時には、大きな甕で引き取ったのだそうだ。根強い『池田』ファンが買い求めてそれもすぐに無くなり、最後に残った一升瓶一本分は記念として収蔵しているという。写真撮影不可!
甕自体も愛好者の希望で譲ってあげたそうだが、地元での厚い人気を物語る、そんなエピソードである。
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大昔は伊都國として歴史書にも名前が出る同エリア。筑前有数の穀倉地帯であり、のどかな田園風景が広がっている。 というわけで、人口密度もあまり高くなく、酒販店さんの数も少ない。
以前goidaさんが寄ったことがあるという大型ディスを覗くが、正調粕取の姿は見えない。品揃えは豊富だが、わてらの眼中に飛び込んで来ないのだ。
■けんじさんからの至急電で、ある酒屋さんへと向かう。
「ああ、腹減ったばい。なんか食うね?」とgoidaさんに水を向けたのが午後2時過ぎ。志摩町にあるgoidaさん行きつけの食堂で焼き魚定食を喰らふ。かける醤油は地元『北伊醤油』。と、そこに宮崎の石原けんじ大佐先生から電話が入ってきた。
「あのぉ・・・けんじ・・・ですけどもぉ・・・そのぉ・・・いま・・・いいで・・・しょうか?」
何かと思ったら、前原市高田にある某酒屋さんのHPを今見ているという。以前合評したりページをアップした『不比等』をネット販売している店らしく、探検隊“らしき”サイトについても触れているという話だった。
ちょうど周辺をうろついている最中、都合がいい。「面白そうやんか!」。さっそくその酒屋さんへと向かうことにしたのだった。
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そのお店とは、福岡市西区ときびすを接する高田にある『ふくや酒店』さん。 棚には『八重桜』『一壷春』『金兵衛』『東五』など、けっこう主張がある品揃え。あの『不比等』は25度が7フェイス×3列の大陳状態で並べられていた。
粕取焼酎はありますか?と店員さんに聞くと、やはり扱っていないという。やっぱりダメか・・・。
と思って、何気なく棚を見みていたら、ぬぅあんと「古式粕取焼酎 西暦1980」の文字!「あら?あるやん!」とわーわー言っていたら、奧から店主の浜地智之氏が出ていらした。
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聞けばこの粕取は福岡県久留米市の冨安合名会社さんの製品だが、同店のPBとして父の日プレゼント用に特別に瓶詰めしてもらったものとのこと。これはわてが購入した。人気商品として相当数、売れたらしい。
棚にあった4本は、輸送時に破損があった場合の補填用として多めに入れてあったもので、ちょうど返品するところだったという。(上写真:同商品を手にする浜地氏)
浜地氏「この商品はよく出ましたね。飲まれた方にも喜ばれました。でも、ほんと粕取焼酎はあまり出ないんで、定番としては置いていないんですよ」
同店はネット販売で多くのファンを掴んでいるようだ。『不比等25度』については、ネット販売で関東関西の顧客から注文が集まり、すでに40ケースを消化したという。35度はすぐに完売して品切れ状態ということであった。
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■福岡市西区の周縁部を回ってみる・・・
次は伊都國と隣接した福岡市西区の周縁部である、周船寺や今宿の店を調査してみた。同エリアについても、これまでgoida隊員が精力的に探索していたため、ある程度の店頭化店の目鼻がついていた。
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『ふくや酒店』さんがあった高田からすぐ隣りが西区である。
目に付いたヤマサキ・デイリーストアに飛び込んでみるが、不発。結構こだわった品揃えのようだったが、粕取は無し。
さて、次に向かったのが、周船寺にある有名な『きはら酒店』さんだ。けんじさんやいでさんもこの店には足を運んだというくらいに、筑前焼酎ファンの聖地のひとつと言えそう。
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ちょうど店に着くと大将が配達の準備をされていた。さっそく店内でお話を伺う。しかし粕取は扱っていらっしゃらないとのこと。
『池田』について伺うと、やはりいい焼酎だったと述懐されていた。地元の信任は誠に篤かったというところか。大将の話では、蔵元の中原氏はご健在で今も周船寺近辺に住まわれているそうである。
大将「盆焼酎と言って飲まれていたけどね。今はもうほとんど出ないからなぁ。でも、地元の焼酎やけん、ちょっと勉強してみるかな。良かったら、いろいろと教えてくれ!」
んな、ご冗談を!と爆笑したのだが、突然goidaさんの目が棚に飛び、一瓶取り上げた。『白雪』である。「牛さん、『真鶴』もありますよ!」
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大将「『真鶴』ももう無いからねぇ、造らんらしいけん。うちもこの一本で最後なんよ。後は入ってこんから、これが本当の最後の一本やな」
大将の畳みかけるが如き言葉に鼓膜を心地よく刺激されながらも、その時、わては以前筑後の焼酎蔵を回ったときの、宮内商店・若大将のある言葉を思い出していた。
若大将「探険隊もエラソなこと書くクセに、買うときはレア・アイテムなんだからねぇ~、 つったく、もぉ~」
「今回は粕取調査行であるぞ!(-"-)」と天の声も聞こえたが、ん~~ん、餓鬼蓄酎道に堕ちたるレア焼酎漁りの嫌らしさ・・・嗚呼ぁ~、また買ってもうた。
goidaさん共々、いかにして家人の目を欺き、入手したる瓶類を家屋内の如何なる場所に厳重に秘匿せしめるか、についての論議が続いたことは言うまでもない。
■飯盛・金武地区での粕取需要の再調査。
今度はさらに西区寄りに戻って、先週お邪魔した飯盛の森田酒店さんへと向かう。ま、同店の角打ちで一杯やりたかったってのが真相やけどね。
店内に入ると、さっそく常連のお客さんたちが飲んでいる真っ最中。大将や女将さんらも忙しく立ち働いている。
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というわけで、わてはカウンターの隅に陣取り、まず光酒造さんの蕎麦焼酎を一合、ロックでいただく。つまみは豆腐。さらにもう一杯ということで、『くろうま麦15度』。大将の話では角打ち用に造られている商品とのことだ。
車を運転してくれたgoidaさんは飲めないため、アサヒ『麦水』を片手にしての角打ちである。ごめんなぁ~、堪忍したってやぁm(_ _)m
久しぶりの酒屋さんでの角打ち、気分がよか。
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女将さんに先週伺った、同エリアでの粕取需要について再度確認した。
近隣の農家では、自家用に奈良漬けを20キロ、多いところは30キロ近くも漬けるそうである。自宅で消費するほか、お世話になった人への贈答品替わりにしたり、親戚や遠くにいる子ども夫婦なんかに送ったりするそうだ。
先のけんじさんの電話で聞いたが、島根では粕取焼酎が野菜売場に酒粕と共に置いてあるそうで、酒店の店頭に無いという。奈良漬けへの利用が農村部で遺された需要のようである。
さて、『池田』の話。大将によると同店でも仕入れていたという。美味い粕取焼酎だったとしみじみ。廃業時に大量に仕入れたが、人気があるためすぐに捌けてしまったそうだ。今仕入れている光酒造の『大亀』はけっこう濁りがあるが、『池田』はとても透き通ったものだったらしい(味とは別問題。為念)。
大将「いい味してたよ、ほんと。また飲みたいよね・・・」
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■今宿、周船寺を再度調査する。
さて、メインイベント「池田」捕獲!・・・のつもりだったが、goidaさんが西区内でまだ回っていないところがあるので、ぜひ行きましょうといふ。こっちもほろ酔いで気分もでかい。調査続行となった!
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まず向かったのは、今宿の山側の奧地。まだgoidaさんも未踏の場所だった。
目に付いた酒販コンビニを覗いてみる。正直なところまったく期待も何もしていなかった。わてはダメだろうと思って、外で待っていた。が、しかし。goidaさんは入ったまま、なかなか出てこない。
おろ?おかしいな?と中に入ると・・・。
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先入観はイケマセンにゃ~。あるところには、あるもんだ。『雪の里』の粕取が出土した。おお、なんたる僥倖! 「昔しの焼酎粕取」というプライスカードが泣かせてくれますにゃ。誰が買って行くんだろう?と思って女将さんに話を聞いてみた。
女将さん「盆焼酎で、飲まれる方がまだ居らっしゃるとですたい。蜂蜜を入れたりしてねぇ、甘くして飲むやりかた。だからこの時期は仕入れちょるとですよ、買い求められる方が来られるんでね。
今はもう若い人が飲まんでしょうが、どっちかというと薄くて軽い焼酎ば好まれよるけんねぇ。麦とか。粕取ごた匂いがあるちゅーか、個性のあるんは、口に合わんのやろうねぇ。
はいはい、この焼酎はまだ現役ですよ、頼んだら入るけん」
突然現れた粕取探偵2名の出現に少なからず驚かれたような女将さんであったが、やはり往時の粕取需要の世界を語る目は心なしか淋しげであった。
こちらでもやはり『池田』を扱っていたそうだが、廃業のため別蔵の製品に切り替えたという。
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さて、次ぎの店(上写真)では、『銀嶺』を発掘した。こちらでも女将さんに話を伺ったが、盆焼酎についてさらに詳しい飲み方についての情報を得ることができた。
デカンタに粕取焼酎を入れ、水で割り、蜂蜜を入れて飲んでいたそうである。紹興酒みたいに飲むのかと思ったら、すこし違うようだ。もちろん家庭によって飲み方もいろいろあっただろうが、一例は判明した。
というわけで、いよいよ本物の『池田』とのご対面である。
■『池田』を目の前にして。う。大将は外出・・・(T_T)
そのお店は前原市の一角にあった。店の名前は『ローソン』としか言いようがない。店名が解らないのだ。ぱっと見、ここに『池田』があるなんて想像もつかない。
店の正面右に小さな入口があった。ぬぅあんとそこが酒販単独の売場だったのだ。よくぞgoidaさんも見つけたものである!
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店に入ると、ちょうど大将が配達に出られるのと入れ違いだった。goidaさんを見ると、
大将「ああ、あの時の・・・どうも」
goidaさんが、譲って貰えないなら写真だけでもと、2日連ちゃんで通ったその誠意に大将が応えて35度の同品を渡してくれたのは先週のことだった。そして残ったのが40度1本である。まさに正真正銘、最後の1本だと思われる『池田』・・・。
我々は店番のおばあちゃんから「あの・・・なにをお探しですかぁ?」と聞かれる。大将は「焼酎を見に来たとよ」とおばあちゃんに語りかける。大将はなにやらおばあちゃんに耳打ちすると、配達へと出かけられた。
大将は手持ちの『池田』2本をとても大切に保存していたそうだ。goidaさんの「粕取焼酎はありますか?」の問いに応えて奧から秘蔵の品を持ってきてくれたという。その1本はgoidaさんの家に、もう1本はわての目の前にある。う・・・。
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ここ一番、大将を説得してなんとしてもこれを持ち帰らないといけない、その時に大将が配達とは!!!(T_T)
猛牛「あの・・・済みませんばってん・・・この粕取焼酎ば譲ってもらえんですかぁ・・・」
おばあちゃん「粕取焼酎て言ったら、そりゃぁ、昔はねぇ、蜜を入れて飲んでいたもんでねぇ」
猛牛「ほぉ、蜂蜜ですか?」
おばあちゃん「蜜・・・そう蜂蜜。この時期は盆焼酎って言ってねぇ、お盆に飲むんですよ」
猛牛「らしいですねぇ。・・・で、良かったらこれを」
おばあちゃん「昔の粕取は、ほんと香りが良くて味に独特のコクがあってねぇ。美味しかったもんですよ。それがいまはもう造るところも少なくなってしもうて・・・」
猛牛「そうなんですよ。わてらも粕取を飲む人も置く店もほんと少なくなったですけん、なんとかしたいと思うてですねぇ・・・。で、これ譲ってもらえんですかぁ?」
おばあちゃん「『池田』はほんと美味しかったんですよ。いい味しとったけど。蔵元さんが辞められたけんねぇ。もう近くには造ってるところが無いから・・・」
不肖猛牛、おばあちゃんに切々と『粕取まぼろし探偵団』の崇高なる理念と実践を説明申し上げて、なんとか譲渡願いたいと迫る。おばあちゃんは根負けされたのか、大将に聞いてみましょうと電話機の前へと向かわれた。
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ピ・ポ・パ・ポ・・・”
おろ?大将は出られない(-ー;。なぜか着信音が事務所奧の机の上から聞こえてくるではないか?! あちゃ!大将は携帯電話を事務所に置いたまま、配達に出ていたのだった。まさに(T_T)。
ここはもう泣き落とし作戦しかない。ひたすら頭を下げて懇願する。
・・・20分後、同店のレジから3500円を売り上げた証拠である「チン!ガシャ!」の動作音が響いた。わては瓶をひっ掴むと、店を飛び出しgoidaさんの車に乗り込もうとした。しかし。
goidaさん「牛さん、困りますよ。そのまま行ったら。大将に悪かけんですねぇ」
次からも同店を利用したいというgoidaさんから、仁義を欠きたくないというお声である。いやはや、ここで戻ってきた大将と出くわしたら、また店頭に『池田』が戻るやもしれぬ、と焦りまくったわての勇み足であった。
わては会社の名刺を渡し、なにかあったらご連絡くださいとおばあちゃんに言づけして、同店を離れたのだった。ついに『池田』40度、同品の捕獲と収集が終わった。
◇ ◇ ◇
goidaさん個人で、伊都國および西区や室見川沿岸部の早良区でこれまで調査した店舗数30軒。当日追加で回った4軒を加えて、計34軒の酒販店さんを探索した。
その結果、7店の店頭化店が判明したのだった。
同エリアでの店頭化率は、約20%である。
■上記わての文章の中で思い違いがあったため、goida隊員が再度酒屋さんへ確認していただいたのが下記の内容である。誤謬を正し記録の正確さを保つため、別途追加情報として掲載する。(2002.08.27)
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さて、今日の昼休みに「鹿の子」を購入した「●●●酒店」さんに行ってきました。
気になっていた「蔵とお店の関係」について確認する必要があると思ったためです。憶測だけでものをいうべきで無いというのは常日頃気にはかけているのですが、「池田レポート」を拝読し、しまったと思ったのでした。
挨拶を済ませてお聞きしてみたところ、「八鹿」さんとは非常に古くから親しくしてもらっているとのこと。大分方面に家族旅行に行った際に蔵の方へ挨拶をしにいったり、営業の方がお店の方へ見えたり・・・といった具合にです。この「鹿の子」も清酒を仕入れるときに一緒に頼んでいるとか。なるほど、「笑門」の文字の入った瓶が棚にはありました。
「池田」のことも聞いてみましたが、「それこそ昔はここいら池田焼酎ばっかりやったけんねぇ。」と懐かしそうにおっしゃっていました。「鹿の子」を「池田」の替わりとして仕入れているのか尋ねましたが、前述の通りで、蔵元とのつきあいで昔から仕入れているとの回答。面白いことに「池田」健在の頃は棚に仲良く列んでいたそうな・・・。
飲み方について伺ってみましたが、周船寺の「●●屋」で聞いた「デカンタ」に入れて・・・というもの。もう少し詳しく聞くことが出来ましたので・・・。
聞けば「別の容器に移して、初盆のおうちの仏壇の前に供えてあった」そうです。で、初盆参りに来てくれた方々に振る舞う。杯に注いでから砂糖や蜜を入れるのではなく、デカンタに移したときに加えるとのことでした。(牛注:思い出したが、つまみは「らっきょ」だったと「●●屋」の女将さんが言っていた)
今でも「鹿の子」を仕入れているのか尋ねましたが、Yesという答え。買われていく方は少なくなったとのことでしたが、やはりお盆のときに何本か出ていったとのこと。味が他の粕取りと比べて大人しいということを言うと、「他の粕取りと比べて飲み易いでしょ。臭いもきつくないし。でも、昔から飲みつけている人は物足りんみたいなことを言いよんしゃぁよ。」と笑っていました。
確かに他の粕取りに比べて非常に軽い。米焼酎を飲んでいるような感じです。しかしながらもみ殻の薫りは確かにある。「正調粕取り」を飲みたい人の入門用として、よか焼酎かなと思いました。
(了)
■2022年追記:最後に出てくる『池田』40度確保の一幕は、ほんとに冷や汗が出た。大女将さんとの問答はすれ違いになるし・・・いや、相手が一枚上だったのかも・・・結局は、察するに大将のご厚意で譲っていただけたのでしょうね。
『池田』については、後日談があって。この調査行から10ほど年経った頃だったか、中洲にあった焼酎バー「まりりんバー」のマスターから「甕に入った『池田』が手に入った」と連絡が飛び込んできた。聞けば、同バーの常連客に『池田』ファンのある乳業会社の社長がいらして、その事務所の敷地に甕を埋めて保存していたという。もう何年寝ているか解らないブツ。
それを譲り受けたから飲みに来いと。よく保存してくれてたと感動。
当然すぐ駆け付けて、この地上に遺された、たぶん最後の『池田』を飲み干しましたよ。
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