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宮崎蔵元アーカイブズ 2002〜07(4) 川越酒造場再び

2002年12月 サイト『九州焼酎探検隊』で公開
2002.12.10 by 猛牛

■殊勲!全日空国際線ファーストクラスでの販売なった『川越』。

今回の宮崎deep焼酎行、まず最初は7月にお邪魔した川越酒造場さんの再訪である。

この行程は、参加予定だったSASANABAさんが前回川越さんにはお邪魔できなかったために、けんじさんが配慮したものであった。彼は九州大学農学部出の川越義博社長、そして科学者であるSASANABAさん両者による学術的焼酎対談を狙っていたのである。

ところが残念なことに休場(注:この時SASANABA氏はご息女の急病で欠席)というわけで、蔵元美女にファインダーを合わせることしか念頭に無いわてを伴って、腹を括って飛び込むことにしたようだ。

さて、事務所には川越社長、そして奥様の龍子さんがいらした。

前半、まず最初の話題は、全日空の国際線ファーストクラスで機内販売されることとなった『川越』である。その話は以前けんじさんから伺っていたが「ほんに良かこと」とわてらも喜んでいた。

龍子さん「これなんですよ。『翼の王国』という全日空の機内誌、というんですか? ちょっと見てやってください(^_^)」
猛牛「ほぉ~~~~!。凄かですなぁ~これは!」
龍子さん「本当にうれしくてですね・・・。こんな小さな蔵の商品が国際線の飛行機に載せてもらえるなんて・・・」
けんじ「良かったです。僕らもうれしいですよ」

大手航空会社の機内販売には、そうそう簡単に載っかるものではない。厳しい社内審査を幾重にも経て決定されるとのこと。今回の搭載については川越さんはまったく寝耳に水だったそうだ。全日空サイドからオファーがあり、こんな小さな蔵の商品が本当に選ばれるのだろうかと、最初は半信半疑だったといふ。とにかくサンプルを送ってみたそうである。

そして、正式決定の吉報が飛び込んできたのだった。その掲載誌が眼前にある。

機内誌は2種類あって、本誌とも言うべき『翼の王国』11月号、そして機内販売のカタログ誌である。それぞれに『川越』が掲載されていた。特に阿部真理子氏の筆と絵になる『翼の王国』記事は、読み物としても面白い。

とにもかくにも、まず「宮崎の芋焼酎」というデカイ表題が、うれしいじゃぁないか!

猛牛「芋と言えば鹿児島ちゅーイメージが固定化しちょりますけんねぇ。そげな意味では『川越』という銘柄が有名になるのと同じく、宮崎焼酎にとっても極めてエエ事やったと思いますばい」
けんじ「そうなんですよ。宮崎焼酎という地域性の面でも、大きな一歩だと思います」

そう話している間に、電話が続々と掛かってくる。龍子さんが受話器を取る。酒販店さんからの『川越』の注文だ。機内誌掲載によってさらに人気が高まった事が解る。しかし、品数は限られている。来年初頭まで供給は逼迫しているようだ。

龍子さん「おかげさまでお電話をたくさんいただきます。でも、数が限られてましてね。昔から応援していただいてる方へのご恩がありますので、やはりそちらを優先しますね」
けんじ「はい」
龍子さん「昔は一本、二本って売っていただいていましたから。本当に辞めようと思ったことが何回もありますけど、でも、コツコツと諦めないで続けていけば、いつか報われることがあるんだなと思いました。あまり自分では言いませんけど、一番うれしいのは主人じゃないですか? 自分がやっていたことが認められたって」

今度は寡黙な社長がそっと口を開いた。

社長「昔はこの町にうちを入れて5軒の蔵がありましたが。今ではうちだけになりました。甲類焼酎がブームの頃に、一段と状況が厳しくなって、蔵を閉じようかと何度も思いました。でも、続けて良かったと思います」
けんじ「あの・・・後ろの棚に・・・『山里の酒』がたくさん並んでますね?」

見れば、事務所奧の本棚にあの前山光則先生の本が20冊近く並んでいる。

社長「前山先生の本にはうちだけでなく、他の蔵元さんも紹介されているでしょう? 私はまだご覧になっていないお客さまがいらっしゃると差し上げるんですよ。酒は嗜好品だから、うちの焼酎がすべての人に合うわけはない。他の銘柄もあの本で知ってもらって飲んでいただけたらって思ってですね。少しでも焼酎を好きになる方が広がってくれたらと」
猛牛「なるほど・・・」
社長「ここまでやってこれたのも、ほんと前山先生のお陰です。私らにとって、先生は“福の神”ですよ(^_^)」
けんじ&猛牛「ははは(^_^)」

龍子さん「ご縁というのは本当にありがたいと思います」
けんじ「そうですね」
龍子さん「私どもも、今回のことで驕ることなく、一人ひとりのお客さまを大切にしていきたいと思います。1本2本と購入していただくお客さまを大事にしていきたいと、初心を忘れず頑張っていきたいですね」

殊勲の全日空国際線ファーストクラス搭載は、宮崎焼酎全体にとっても大きなエポックであると信じる。今回の出来事を素直に喜ばれる龍子さんの姿は、とても清々しかった。良かったと、わてらも心の底から思った。

■気になる設備関係をじっくりと拝見する。

さて。けんじさんの目論見とは別に、わて自身も再訪させていただく目的を持っていた。ひとつは跡を継がれる二十代目の雅博氏にお会いして抱負を伺うこと。そしてもうひとつは、老朽化した設備を再度確認させていただくことである。

残念ながら雅博氏は外出中ということで、不在。そこで社長のご案内で設備を拝見することとした。

現在社長が新たに取り組まれているある製品の貯蔵タンクを拝見した後、老朽化の著しい機器や設備について案内していただき、説明を伺ったのだった。

ん~~~~ん、国連の査察団やないっちゅーに(^_^;)

特に懸案となっているのが、まずボイラーや自動製麹機といふ。ボイラーは耐用年数の20年を大幅に繰り越しているし、自動製麹機も同じく7年を遙かに過ぎている。どちらも定期的なメンテナンスを繰り返しながら、騙し騙し使っているのが現状だ。

社長「設備は高くてですね。そうそう簡単に入れ替える訳にはいかなくて・・・」

その他にも古くなった煙突や建屋の改修や、タンクの増設も課題となっている。

社長「一番の問題は、機械類です。私の代で蔵を閉じるなら、このままでもいいかも知れない。でも、息子が跡を継いでくれましたから、息子の代で10年、20年、30年と続けてもらわないといけません。その時に今の機械が突然止まるようなことになったら息子が困ります。だから、親として、ちゃんとしてやりたいと思っています」

装置産業としての焼酎造りの現実と、次代の蔵への想いが交差した社長の言であった。

というわけで、長っ尻は禁物。そろそろお暇する時間となった・・・。

■ご長女誕生記念の古酒に、親心をさらに垣間見る。

ふとそこで思い出したのが、新製品の『川越』30年物古酒。実際に拝見させていただく。本当は31年物なのだが、1年くらい良いだろうとキリ良くしたそうだ。お嬢さんの誕生年に仕込んだものを社長が大切に取っておかれたという。

社長「まぁ、私の小遣い代わりと思ってずっと寝かせていたんです(*^^*)。売上があったら少し分けてくれと言ったんですけど、家内がダメだって(^_^;)」

冗談めかしに製品の経緯について語る社長だが、やはりそこは親心。息子さんの誕生年に仕込んだものもあるということだ。大切に貯蔵されていたんだなぁ~。

◇   ◇   ◇

今後操縦桿を握られるであろう息子さんが戻られて一安心、加えて全日空のジェット噴流でさらなる上昇への推力が付いた川越さん。しかし、次代への安定飛行には、親としてまだまだ心を砕かねばならないことがあるようだ。

一ファンとして、川越さんが積乱雲を見事突っ切って、成層圏にまで達していただきたいと祈っております。川越さんのためにも、そして宮崎焼酎のためにも・・・。


(了)


■2022年追記:この機内誌掲載の反響は大きく、お邪魔してるときに机の上の電話が鳴りっぱなしだったのは鮮明に覚えています。レガシーメディアの効き具合、現在のネットとSNS状況を思うと、昔日の感あり、です。

でも、記事に出たからと電話してきて唐突に取引を迫るのを横で聞いていると、あまり気分が良いものでは無かったすね。今まで苦しい時に応援してきた方々がいらっしゃるわけで。そういう信頼が大事なんだなと歳取って改めて思います。


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