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宮崎蔵元アーカイブズ 2002〜07(5) 川崎醸造場

2002年12月 サイト『九州焼酎探検隊』で公開
2002.12.11 by 猛牛

■蔵を見せるのは恥ずかしい・・・と代表は言った。

曲がりくねったか細い山道をまた諸塚村中心部に戻って、脇道を駆け上がる。山の9合目あたりにあるという『園の露』・川崎醸造場さんへと向かった。

標高400m。焼酎蔵では一二を争う山上に位置する。急斜面に家並みがへばりついていると言った方がいいような、峻険な場所。ここに装置産業として土地の面積を必要とする焼酎蔵が、しっかりと存在しているんだなぁ~、と正直驚いた。

ところで、今回『園の露』さんの訪問が行程に組まれたのも、昨年7月にいでさんと同地を訪れながら、諸事情で面会と見学が叶わなかったSASANABAさんへの、けんじさんの配慮であった。

その時の模様や情景描写については、下記に掲げた両氏のページに詳しく語られているのでぜひご覧いただきたい。(注:SASANABA氏のサイトは残念ながら閉鎖)

◇   ◇   ◇

到着する。蔵の外観は普通の民家だ。さっそく中へとお邪魔する。お会いできたのは、代表の川崎一志氏と、同氏のお姉さんである黒木秀子さんのお二人。座敷の掘り炬燵で、お話を伺うことができた。

川崎一志氏
黒木秀子氏

けんじ「お忙しいところ済みません。今日はぜひ蔵を拝見したいと思いまして」
一志さん「いやぁ・・・、恥ずかしくてですね。甕壷と木樽の蒸留という昔のまんまでしか造ってないんですよ。それに樽とかも古くなってまして・・・。」
けんじ&猛牛「えええええ(@_@;)」
一志さん「いやぁ・・・、ほんとに恥ずかしくて。お見せしていいものかどうか・・・」

会談冒頭からびっくりしてしまった。焼酎ブームの中で、甕壷仕込みや木桶蒸留が造りの本道だ!なんてノリになって、大手蔵でさえもう一度甕を設置したりするようなご時世。

けんじ「いまは逆に甕で造ったり、木桶で蒸留したものが都会では注目されているんです」
猛牛「ええ。それが原点だ、なんて感じで都市圏の飲兵衛に人気になっちょるとですね」
一志さん「そうですか・・・」

昔ながらの甕壷と木樽での蒸留を日々営々と続けられている園の露さんの日常に変わりはない。変化したのは、わてらの方だ。

焼酎に投影する非日常への思い入れが、甕や木桶に求心し消費する都市部ユーザーの心性。そして日常であるからこそ、設備を見られるのを恥ずかしいと思う蔵元の心性とのギャップ。

ある意味、滑稽で病んでいるのは言わずもがな、わてらサイドなのだと思ふ。

■往時の蒸留法と、市場環境について、さらに・・・。

猛牛「20年前の粕取焼酎蔵のリストに、園の露さんが入っちょりましたが、当時は酒粕と白糠と米が原料やったそうで・・・」
一志さん「そうですね。もう糠を使うのは10年前でしたか、止めてしまいましたが」

けんじ「粕取を入れているのは、どうしてですか?」
秀子さん「入れると、とてもまろやかさが出るんですね」
一志さん「当時は、団子のように丸めて、セイロで蒸していたんです」
けんじ「ええ?」
猛牛「ほんとですか? まさに古式床しい正調粕取の蒸留法やないですか」
一志さん「でも、作業がほんと大変でしてね。それで今はやってないんですよ」

この蒸留法については、けんじさんはどうも気になったようだ。再度訪問させていただいて、詳しくリサーチしたいと後刻語っていた。

けんじ「地元での需要はいかがですか? この諸塚に2軒も蔵元さんがあるだけでも凄いなと思いまして」
一志さん「落ちてますね。やはり大手メーカーの力が強くて。価格で敵いませんから」
秀子さん「昔はここでも8000人も居た時期があって、その時が最盛期でした」

過疎化の波は当然この山間の地にも押し寄せている。山あいを流れる耳川沿いに縦長に形成された集落の人口密度は低い。大手蔵の攻勢、そして地元消費が細る中で、『園の露』『藤の露』という蔵元が、今も山深い里にあって健闘している。

■出荷直前!出来立ての原酒を、堪能する!

堅い話が続いたところで、ちょいと一息。待ってましたぁ!。まもなく出荷するという新製品の原酒を試飲させていただく。

一志さん「これが出来たばかりの原酒です。1年寝かせてました」
けんじ「では・・・・・・。ほぉ!ほぉぉぉ!」
猛牛「ごくっ!・・・おおお!これは!良い味ですばい!」

含むと口中にブワワワワワ~~~~~ン!と芳香が脹らむ。度数は高いが極めて舌触りは滑らかだ。とてもいい。

一緒に出していただいた手造りのお漬物をご相伴にいただく。ああ、もうタマランです。わてがいぢ汚くズズズズズッと飲んでいると、一志氏が「さぁ、もう一杯どうぞ」と勧めて下さる。

猛牛「あ、あの・・・(*^^*)。どーーも、すんません(*^)/□」

結局、都合3杯ほどいただいてしまった。さっきの仰々しい感慨など遠く山向こうにぶっ飛んでしまうほど、ただただ美味かった!

■『園の露』誕生現場、奥の院に潜入する・・・。

というわけで、見せるのが恥ずかしいとおっしゃられていた蔵の内部へとご案内いただく。やはり恥ずかしいので、撮影してほしくない所は撮らないで欲しいとのご要望。

年間の石高は40石程度、一升瓶換算で4000本。甕の数も少ないが、なにより敷地面積が麹室や甕、蒸留器などの置き場すべてを含めて、マンションの4LDKくらいの広さほどしかないのだ。本当に小さな秘境の蔵である。

山の斜面に立地している物理的制約が、見てよく理解できる。諸処の生活条件の中で、昔ながらの醸造を続けねばならない『園の露』さんの価値に、ユーザーの方がハタと気付いた、周囲の認識が追いついてきた、という実感が湧く。

作業用の道具類にしても、タイムスリップしたような伝統が、そのまま現代に生きていた。 暖気樽も木製である。けんじさんの話では、木の暖気樽を使っているのは、県下でも『園の露』さんだけではないかとのこと。

昔ながらの世界が、いま目の前に広がる。

一志さん「昔から使い慣れているというのもありますが。どうも木でないと味が違うような気がしてですね。ずっと使い続けてます」

蒸留器の撮影は為らなかった。現在設置されているものが古くなっているので、恥ずかしくてお見せしたくないとおっしゃる。すこし黒ずんでいたが、本心はデジカメに収めたかったところ。

画像をお見せできないのは残念だが、それは正真正銘の古典的な蒸留器だった。誠に失礼な物言いながら、蔵全体が“焼酎民俗資料館”とも言える趣となっている。

手造りの原点、原風景が、ここに確かに在る。

さて。横に予備の新しい木樽があったので、その上でちょうど出荷直前の先の原酒を撮影させていただいた。蔵そのものの造りと違って、ボトルは現代の嗜好が息づいた仕様となっていた。

時代の風を少しづつ取込みながら、これからもこの諸塚の地でしっかりと頑張っていただきたいと、先ほど飲んだ原酒の味を思い出す。ん~~~~ん、また飲みたい。

■最後に「だんご」を頂戴!美味いのよねぇ、これも(T_T)

さて、座敷に戻って一服、いよいよ失礼する時間となった。そこで、秀子さんが何か持っていらっしゃった。えらく色の濃いこんもりとした形である。

甘い物も大好物のわては、一瞬ギラリと目が光った。

猛牛「これは何ですかい?」
一志さん「はい。だんごです」
猛牛「あの・・・という団子でしょ?」
一志さん「ああ、いや。私たちは、だんご、だんごって、ただ呼んでるもんで(^_^;)」

小さな会話の齟齬ではある。しかし“日常”や“生活”とはこういうものだ・・・ということを改めて気付かされる羽目になった。『園の露』さんは、まさに自然体の蔵である。

蒼空とはほど遠く、どっしりと雲が山にもたれ込んだ生憎の天気。山並みや谷間の集落の姿をこの目で実体験したかったが、アウト。

しかし、山と雲のまにまに、山里の素朴な蔵の姿を、確かに見た。清々しい気持ちがする。お邪魔して良かったとつくづく思う。けんじさん曰く「ここは、癒しの蔵ですね」。

いでさんが遭遇し魅せられたという“魔物”、それがなんだかよく解りましたよ。


(了)


■2022年追記:いまでもこの時のことを良く覚えています。蔵や蒸留器を見せるのは恥ずかしいと言われたこと、団子の名前を尋ねて団子と呼んでいると言われたこと。特に団子問答は、都市部の消費社会に住む私自身に巣くう”邪念”をつくづく思い知らされて、ハッとしました。

あの頃、雨後の筍の如く個人の焼酎サイトが増えましたが、中には嫌がる川崎さんのお気持ちを無視して撮影し、画像をHPにアップする人もいました。まさに”邪念”に取り憑かれているわけで。そういうことはイケマセン、イタダケマセンと思いますな。

あの日は天気が悪かったのだけど、でも雲海に浮かぶ諸塚の景色を眺めることが出来たのはいい想い出です。


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