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"On the Origin of Chikuwabu" 『ちくわぶ・種の起源』


江戸・東京の民衆の知恵が生み、いまや全国に広がった東京の庶民の味「ちくわぶ」、その起源を探る1999〜2001年に跨がる三編。紀文さん、京料理『萬長』・石谷彰男氏、京生麩の老舗『麩嘉』さん、ネット友・鱧さんのご協力と情報を賜って、作成したものです。


『ちくわぶ・種(ダネ)の起源』と『その製法』

1999/11/11 『ちくわぶ倶楽部』で公開

会社の後輩からもたらされたある食べ物が
ちくわぶの起源へとさかのぼる、
遠大な旅の始まりだった。

先日アップしたレポート『いやがる美少女をちくわぶでむりやり・・・』の作者であるCAMELさんから、「ちくわぶに似た食べ物が自宅近くのショッピング・センターに生息しているのを発見しましたよ!!」と一報が入ったのは、2ヶ月前のことである。

「ちくわぶの亜種発見か!!」と色めき立った私は、CAMELさんの手に500円玉をしかと握らせると、「た、頼む!捕獲をよろしく・・・」と懇願したのであった。

さて、実際にCAMELさんが居住する福岡県H山町で発見捕獲され、昨日会社に到着したのは、下記の食品である。

これは京生麩で、形状がほとんどちくわぶと同一である。差は中を貫く穴がないというだけ。星形・棒状であるところは同じ。ちくわぶと京生麩との関係がここで大きくクローズアップされることとなったのである。

 食品としての歴史からいうと、やはり京生麩の方が古い。であるが故に、京生麩の形状をまねて関東ナイズしたものを創造した・・・という仮説が浮かぶ。

 ここで気になっているのが原料の「小麦粉」である。以前大分にいた頃、国東半島の農漁村の民俗資料を読んでいると、団子汁についての考察が載っていた。結論から言うと、“小麦の粉食とは、生活の困窮度の高い農漁民たちにとって日常的な食のあり方”であったということ。

 上記を敷衍して、ちくわぶは「明治期に関東の困窮者層が、京生麩をまねて作り出した食材ではないか」というのがわての今の仮説である。

 そこで再度確認のため、紀文さんのお手を煩わせることとなった・・・

Subject: Re: ちくわぶの成形について

**様、お久しぶりでございます。
早速ですが、ご質問の件お答えします。

1)ちくわぶの成形について
小麦粉と水で作った生地を延ばし帯状にします(麺帯)。この麺帯を棒に巻き付け、次に星形の型で成型します。ちなみに、ちくわぶを煮込んだときに断面が層状になるのは、このような製法のためです。

2)現在の福岡・天神周辺のちくわぶ店頭化店
現在調べております。後日ご連絡さしあげます。

3)京生麩との関係
確実な説ではないのですが、ちくわぶは「精進料理」に使われる麩を元に関東人が作ったという説があります。よって、京生麩が原形ということは十分考えられます。

製法については別途ネット仲間よりの問題提起があり確認させていただいた。製法の謎を解明する上で大きな前進をみたと言えよう。ご協力いただいた紀文さん・ご担当のKさんに感謝致します。

さて、不確実とはいえ精進料理の麩が起源という説があることがわかった。今後は、ちくわぶが文献の中でどの時代までさかのぼれるかを追求してみたい。

明治期の代表的な下層民ルポとして著名な横山源之助『日本の下層社会』、松原岩五郎『最暗黒の東京』、そして中川清編『明治東京下層生活誌』など、大衆生活研究に貢献した先達の文献をチェックする予定である。

なんてねw

(了)


『続・京生麩=ちくわぶ起源説』

1999/11/22

京料理の『萬長』さんより、
京生麩とちくわぶについての
貴重な情報が寄せられた。

さて、前回アップした『「ちくわぶ・種(ダネ)の起源」と「その製法」』において、京生麩との関係が取りざたされたのであるが・・・。その関係を探るべく、京料理の『萬長』さんにご協力をお願いして、京生麩におけるあの☆型の起源を探っていただいたのである。

そこでご回答をいただいたのがこれである。

【ちくわぶの件】 石谷彰男 書き込み日 1999年11月21日(日)02:26 

時間がかかりました。
京都の生麩にもみじ麩という、もみじをかたどったものがあります。
それがちくはぶの原型ではないでしょうか?

生麩は京都の特産で、老舗の麩嘉さんで6代目だそうですので、慶応年間ぐらいからだと思います。

乾燥した麩はその以前からありますが、生麩はそのころだと思われます。
正確な答えにはなってないようですが、いかがでしょうか。

ご協力いただいた『萬長』の石谷氏、および『麩嘉』さんに心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

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さて、形状的にちくわぶのあの☆型の原型と見られる「もみじ麩」という存在。そして生麩は京都特産で、しかも老舗の『麩嘉』さんが慶応年間の創業、という貴重な情報が寄せられた。

『紀文』さんの情報による、ちくわぶの明治期の登場という情報と照らし合わせると、とてもすんなりと収まる話・・・という事が言える。ただ石谷氏が書かれているとおり、“正確な答え”という確証は現時点ではない。

とはいえ私の憶測レベルでの仮説ではあるが、「明治維新またはその直後に、東京に『もみじ麩』がもたらされ、その形状をまねてちくわぶが誕生した」のではないか、ということが充分考えられるようになってきた。

さて今後問題となるのは、京生麩およびちくわぶが当時どの層に食べられていたのかである。なぜなら、おでんは庶民の食べ物であるから、である。

先の『「ちくわぶ・種(ダネ)の起源」と「その製法」』の最後に書いた、中川清編『明治東京下層生活誌』(岩波文庫)では中流から以下の階層の食物として“煮込み”の文字が見られるが、残念ながらその中味がわからない。

他の資料については今後探索する予定である。

(了)


『鱧さんの「つとぶ」報告』

2001/07/29

関東在住の鱧さんより、ちくわぶの起源として考えられていた京生麩からさらに進化の度合いを示して、京生麩とわぶとを結ぶミッシング・リンクとも言える食物を発見したとの報告が入った。

それは『つとぶ』と名付けられたもので、詳しいレポートは下記鱧さんのメールをご覧いただきたい。

牛様
こんにちは。突然のメールにて失礼いたします。以前「ちくわぶ倶楽部」より掲示板の方にお邪魔させていただいた、鱧と申します。

今回このようにメールを送らせていただくのは、「つとぶ」という物をご紹介したかったからです。貼付させていただいた写真がつとぶです。
見にくくて申し訳ありません。

つとぶとは、私の知る限り、東京日本橋にある弁松総本店というお店のお総菜です。(他のお店にもあるかも知れませんが)

私は以前からデパートの地下食料品売り場で、好んで買って食べていました。弁松総本店を紹介しているページです。

お店に問い合わせたところ、原料は生麩とのことでした。しかし、感触は生麩とちくわぶの中間と言った感じです。生麩よりはよりもっちりしています。味は甘辛く煮付けてあります。このお店のお総菜は味が濃く甘辛で、いかにも江戸の味と言った感じです。

そこで、京生麩=ちくわぶ起源説において、「つとぶ」はちくわぶと生麩をつなぐ物になるのではないかと思いました。 ご一考下されば幸いです。

つとぶに関して、すでにご存じでしたら、失礼を致しました。

                                鱧

という次第なのだが。形といい“もっちり感”といい、鱧さん報告によれば、まさにちくわぶの京生麩起源説を裏付け、ちくわぶへの進化の過程を示すものと言えそうである。

(了)


■2022年追記:ちくわぶの起源については、諸説あっていまだ判然としていません。そういう未詳なところ、庶民の食べ物らしくていいのかもしれない。

私個人としては、★の形状から見ても、維新の時に江戸に攻めてきた官軍がもみじ麩を持ち込み江戸っ子がその形を面白がってマネて造った、と思ってます、というかそう信じたい。熊さんと八っあんがもみじ麩を見ておっかなびっくりしている図を想像した方が楽しいから。

東京人にとってのわぶは、同い年の江戸っ子の友人から「小学校の時分から給食にわぶが出ていた」と聞いて、まさに東京のローカルSoulフードなんだなあと思いました。

しかし余所者の私は、「ちくわぶ」を横浜駅西口にかつてあった屋台で初めて見た時は、食べ物とは思えませんでしたね。関東のおでんは、福岡のと比べると、まずつゆが薄い上に種も浸かっていないというか生っ白いのに驚いた。さらにその中に★型のわぶ、異星からやってきた地球外生命体に見えましたよ。でも、食べ続けると、その粉っぽさとクタクタになった味わいで”わぶ中”に陥って、今に至ります。あー、わぶが喰いたくなった。

さて、この時に情報をいただいた京料理『萬長』とご主人の石谷彰男氏は現在もご活躍中のようでなによりです。末永いご繁昌を祈っております。一度そのお料理を味わってみたいもので。

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