生きることは、学びなのだ。
ヤブカラシ✖️銅でステキなからし色の綿のバンダナができた。
なんだか勘違いさせられている社会の中で、人生の真ん中にお金とか数字とか置いてることに気づいていない人が潜んでいる、
平気で、人の時間を搾取する。
わからないことを助けてってさ、
私だって、そこを理解するために、
いろんなことを試してきたり、
学んできたりしているんだよ。
ものすごく時間を費やして、
わずかな理解を少しずつ深めてきたんだよ。
だから、サクサクと対応しているふりをしながら、全てこれも学びだとこなしてきてるんだよ。
特に最近はいろんなところで、
情報技術が求められていて、
パソコンの操作や、
セキュリティに関すること、
目に見えないことに対する危機管理。
わからないでは済まないのだ。
手にすることができないものが
自分の目の前から無くなれば、
それでおしまいという考えは、
子どもたちのスマホトラブルと同じ。
学校を出ただけで、終身雇用で、
将来安泰。
とりあえず勝ち組にならばいいのよは、
終わってる。
終わってないことにしている人たちもたくさんいて、そこでなんだか子どもを縛り、
そこで育った子どもたちが考えを持たずに、
そのまま親になる。そんなことを意識してないからこれまたこれまた曲者なんだわ。
すごいなぁ。まだ10代だった頃、社会を変える教育は50年かかるという記事を読んだ。
多分、村上龍が書いたエッセイだったかにあった。
50年は経ってないけど、
確実に、新しい時代を作る人たちの動きと、
既存のものにしがみつく(それすらも気づかないようにしてある)人たちとが育ってきている。
まず、なんのためにお金がいるのか考えよう。
実は私たちはお金が目的ではないはずだ。
生きることを手に入れるために食べ物が必要。
生きるために必要なものを自分で考えるのだ。
ブランド?
見栄?
体裁?
それは何のために必要?
必要な人にはそれでいいと思う。
ブランドのためにお金を稼ぐ。
ブランドのものを手に入れても、
食べるものがなかったらどうするの?
マリーアントワネットのように、パンがなければ、ケーキを食べれば良いのよ。という考えに近くなってしまっている人はいない?
何のために生きるのか。生きるために学ばないと。というか、ヒトは人間になったのは、学ぶという行為を行うようになったから。
学ぶことはお金を稼ぐために、容量よく生きるために、多くの数字を手にするためにあるのではない。
学ぶことは生きること。
生きることは学ぶこと。
そんなことわかって欲しい人には伝わらないんだよね。
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