夜の23時 庭先で大鍋で七輪を使い、染めもの研究をする
一昨日、明日から雨になるという予報だったので、いろんな用事の隙間を縫って、大鍋と古い七輪でどこまでできるかを予備実験した。
とにかく、生きていることは全て楽しい。
まずは、なぜか昨年友人が子ども食堂を始めるということで、譲ってもらったという大鍋。
一度カレーを京都の家のイベントで作ったのだけど、20人前くらいだと、大きすぎて、混ぜるの大変。
そう直径38cm高さ40cm超え。体積を計算する。
単純に計算しても深さ1cmでも1ℓなわけだから…
ということで、子ども食堂からなぜだか理科まちやにやってきた大鍋。その鍋がはたまた、横浜にまで連れてこられたという訳。
染め物をやりたくて、今まで何十年と生きてきた。だってさ、子どもの時理科の実験が好きになったのは朝顔の色を絞り出して、お酢入れたら色変わったことからなんだもの。だけど、お金にならないことは、やっても仕方ないという両親、特に父の管理下で、心が膠着していた中で生きてきた訳で、大人になってからも、なぜだか東京に転勤してきて、うちの子どもたちが小さい時、家に出入りして、勝手にうちにあるものを片付けて行った父と母。その呪いから解放された私は、大鍋で魔法を使おうとしているのか?
脱線した。
息子が帰宅して開口1番に、また呪いの儀式なのかという。
はぁーそうかもしれない。
自分が自分らしく生きるための儀式なのかも。
また脱線してる。
で、一昨日やったことは、晩御飯を作るながら、綿の生地出てきたバンダナや、テーブルクロス用の白い布を、染めやすいように前処理すること。
忘れてはいけないのは糸の前処理。糸で布を作る。縄文人は当たり前にしていたんだ。そして、自分で染めていた。そこには全て植物が存在していた。私が今、染め物をしているのは当たり前の縄文の日常。当たり前のことをみんなに伝えたい。そこには理科があり、自然科学を学ぶことの始まりがあるのだ。
80℃までは温度が上がったので、夜の23時にグツグツする。
仕上がったので干している。
うちのバックヤード。
外流しも作ってある。
私は今の私になるまで、いろんなことをやってきた。本当に夢中になるとトコトンやってみる。そしてそれらはみんな繋がっている。
引き寄せの法則って、なんもなくてはやってこないと、いう話題が友人のメルマガで出ていた。
そうです。今、いろんなことが、やってくるのは自分が頑張っていたことや努力していたことを気づかないで、続けた結果。
はちゃめちゃに見えるかもしれないけど、化学を学んだこと。理科教育を学び、実践したこと。環境教育をしてきたこと。
全部繋がっている。
草木染めも、子どもたちや化学が苦手な人たちに野山で、大鍋で、布地を染めることができる。
縄文の人たちはやってきたことを広げるためにしている。
だから絹のスカーフで遊んでいるわけではないんだ。
きれいな言葉で、上品に私は大丈夫よと、お金を真ん中に置いて近づいてきた人、必ずいうんだよね。「引き寄せの時は、良くないもの近づいできるから気をつけた方が良い」でもね、だいたい会ってすぐにそんなことを忠告してくる人は、怪しいと。
有言実行。小学校の時の卒業文集に書いた。
そんなことをおもいながら、毎日実験をしながら生きていく。
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