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2024年の紫陽花

母は花が好きだった。

母が亡くなってから
なかなか書くことができなかった。

実は畑にも行けてない。

でも、やっと書こうという気持ちになってきた。

‥‥
3月16日15時ごろ母は亡くなった。

私は最後は母と暮らしたかった。
多分母も同じ気持ちだっただろう。

でも、それは叶わなかった。

一度でいいから家に一緒に帰りたかった。

それも叶わなかった。

‥‥

でもね。母はいつも私たちに何かメッセージをくれている感覚がある。

実は百箇日の法要のこと。
全く決めることができなかった。

私が決めないと何も進めない進まない。
決めたところで、
私が近くにいるわけではないので、
話を進めることが困難なのだ。

どうしたら良いかわからないでとにかく、百箇日の日には実家に帰るつもりだった。

そして、百箇日は日曜日。
その金曜は、私がたまたま仕事が休みなので、金曜から向かい、土曜には草木染めのワークショップに行き、日曜日には実家の建て替えの打ち合わせをする予定だった。
お経を上げる人もなく、私も唱えるようになりたいと思っていたけど、間に合うわけがなく、どうしようかな?
と思っていた。
なぜだかこんな情報をキャッチした。

えっ?東本願寺?
(仏壇がない実家の本家は浄土真宗大谷派、なので東本願寺が総本山に当たる)しかもアイヌの手仕事。母が亡くなったあと、お友だちの、家を訪ねるとみんなで手仕事してたんだと。母は手仕事をみんなでしたかったんだと。

建て替えの打ち合わせは土曜日にして、
百箇日当日は朝から大谷祖廟(東本願寺の飛地、親鸞聖人の墓地)に行き、私と妹、娘と婿で百箇日の法要代わりに読経してもらう。

その後アイヌの手仕事の話を聞く前に、
東本願寺でお参りをして、手仕事の話を聞くことにした。

父は連れていけないけど、
母が仕組んだとしか思えない話。

なんだかわからないけど、
何かが繋がっている。

母が亡くなる前に言ったよ。
「生活と学びの寺子屋のような場所作るよ。お母さんは名誉会長だからね。
校長先生だよ。」と。

本当にそれになっていく感じがする。

母はそれを作って欲しいと望んでいた。
娘に家を建て替えて欲しいと望んでいた。
父にはちゃんとそれを叶えて欲しい。

花が好きだった母は私にそれを伝えている。

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