蚕糸試験場@東京都日野市
東京都の日野市に蚕糸試験場跡があると知った。
普段は公開していないのだけど、
この秋3回公開されると知って、居ても立っても居られなくなって、
2回めの公開日の11月3日に行ってきた。
家を出たのはいいけれど、
京急本線が停電で上大岡〜横浜まで動いていないらしい。
大回りをして、とにかく行く。
今日を逃すといけないと日野に向かう。
日野の駅を降りると、
なんだか懐かしい感じがした。
実は夫の弟家族が日野市に住んでいて、何度も来たことがあったが、最寄りは日野駅ではなかったので、
初歩きの街。
なんせ、全く歴史がわからない私でも、何かが私を呼んでいる感じがする。
電車が動いていなかったことで予定より到着が遅くなりいちいち感動していたら、目的の場所が閉まってしまうじゃないか。
急いで、仲田の森蚕糸公園に向かう。
目的の場所は旧農林省蚕糸試験場日野桑園第一蚕室(桑ハウス)
建築されたのは昭和7年。
京都のうちの家(理科まちや)と同じ年か?
立派だ。
そもそも、なんでここのことを知ったかと言うと、Facebookさんがやたらに岡谷の蚕糸博物館のことを推してきて、岡谷のこと調べていたら、そこ製糸工場が日野の蚕糸試験場にシルクのランプシェードを納品した話が出てきて、ここの存在を知るわけなのだ。
この時代の建物は、母校の自分が卒業研究した部屋と同時代のもので、ゾクゾクするんだよね。
とにかく、蚕さまのためにできた桑ハウス。
広い部屋は全て蚕さまの部屋。
暖房完備。
かつての日本は繊維産業
蚕糸産業で世界に大きく貢献した。
だから全国各地に蚕糸試験場ができ、研究もされてきた。
この日野の試験場はより良い品種改良のためにできた。
でも、今現存する建物はこの日野の一部と山形の新庄だけだと。
そして、蚕糸試験の歴史を多くの人に伝えることって大切なんじゃないのか?
よく考えると、
実は私たちはそんな産業の流れの中で流されてきて、今、社会が大きく変わる中で、もう流されて生きていくことはできなくなっているんじゃないのか。
自分の足元を見つめて、
過去を知り、
自分たちで流れをつくることをしなきゃいけない時に来ているのではないのか。
近代産業の繁栄と衰退。
本来私たちは何を求めて生きているのか。
私たちが生き、文化を作っできた背景には何があるのか。
そこで科学はどんな役割を担ってきているのか。
そこを探ること。
それを次の世代に伝えること。
これがしたいだけなんだよね。
そんなことがドンドンとわかってきた。
蚕業試験場を後にして、
どうも日野市は新撰組の街らしいこともわかり、歴史館に向かう。
実は、この辺りのことが高校時代に学んでいたはずなのだけど、学校教育が受験勉強の場に成り下がっていたからか、全く残っていない。
当時の共通一次試験で選択しないと決めた科目は全くわかってないのだ。
悲劇だよね。
受験のために学びが存在するのじゃないから。
うーん。やっぱりこの辺りのことがよくわからない日本の歴史。
でもきっと繋がって行くんだよな。
そして、
近くに本陣があると走って行く。
建物は面白いって思うんだよね。
とにかく面白かった日野の街。
ちゃんとレポートしていこう。
日野feel度walkしてきたよ。
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