超ヒラリズム(2024・4月)

超ヒラリズム【4月】
 
超ヒラリズム1【近藤勇】
 鞍馬天狗が正義の味方だった私らの子供時代は、新選組が(特に近藤勇が)敵役だった。そののち司馬遼太郎の『燃えよ剣』が出ると、司馬は土方歳三の悪辣な部分を省いたので、土方は人気が出て、他の隊士も脚光を浴びた。私は同病ゆえに沖田総司に親近感があったが、近藤勇に興味が湧いたネ。
 
超ヒラリズム2【近藤勇(続)】
 近藤は写真を見ると鬼瓦そっくりで、オソロシイ顔をしているが、渋沢栄一の語るところによれば、なかなかの人物だったらしい。たしかにそうでなければ隊長などつとまらない。なにせ時は幕末だから、血気盛んな者が多く、隊長も大変だったろうと、かつて隊長だった私はしみじみ想うのデアル。
 
超ヒラリズム3【大谷翔平】
 例のギャンブルを巡る騒動で、本朝大谷選手の会見があった。私は一平サンの嘘がホントであっても、大谷サンに罪はないと考えていたが、これでメディアも静かになるだろう。だいたいが騒ぎ過ぎなんだ。大谷選手はファンも多いが、ヤキモチやく連中も多いし、人種差別する輩だって多いノダ。
 
超ヒラリズム4【大谷翔平(続)】
 それにしても、あれほど親しくあれほど信頼していた一平さんの、裏切りとしかいいようにない行為は、大谷サンにとってショック以上のものがあったにちがいない。今後のプレーに支障が出なければいいが。私も親しく信頼していた部下に、ひどく裏切られたことがある。裏切り者は最低人間ダ。
 
超ヒラリズム5【林房雄】
 食わず嫌いだった保田與重郎と薄田善明を読みたくて図書館から重い本を借りてきたが、そこにやはり食わず嫌いだった林房雄の作品も載っていた。保田、薄田の作品も興味深かったが、林の作品は格別だった。またしても食わず嫌いの失態をおかしてしまった。林は今後再評価されるべきだヨ。
 
超ヒラリズム6【林房雄(続)】
 右翼だとか左翼だとか、戦争犯罪人だとか愛国者だとか、あるいは●●主義だとか■■信者だとか、そういうレッテルを文学と結びつける評論家が多いけれども、本質的に文学はそういうこととは関係なく、いや関係があっても拘る必要はなく、いいものはいいもの感動するものは感動するモンダ。
 
超ヒラリズム7【本間真琴】 
 半世紀にわたる私たちの文学仲間で、優れた作家は少なからずおった。森田雄蔵、宮林太郎、加奈山径、川端要壽などの作品には、後世に残したいものもある。みな故人になったので現在はそんな作家も少なくなったが、いないわけではない。例えば本間真琴は注目にあたいする、サイコーの作家サ。
 
超ヒラリズム8【本間真琴(続)】 
 私は男性作家とか女性作家とか分けるのを好まないが、どうしても女性ならではの文学的感性を感受することがある。樋口一葉、与謝野晶子、林芙美子などが顕著な例であるが、私たちの仲間では本間真琴を挙げたい。私だって女性を主人公の物語を書いたりするが、この人の感性には叶わないナ。
 
超ヒラリズム9【淀川長治】 
 だれでもカンチガイしやすいのだが、批評は批判ではない。批評は誉めることだと小林秀雄はいったが、それを引き合いに出せば最も優れた映画批評家は淀川サンということになる。私も淀川サンや小林サンになりたいが、アタマにくる映画ばかり観せられ癪にさわる小説ばかり読まされては、ネエ。
 
超ヒラリズム10【淀川長治(続)】 
 しかしこれからは淀川サン小林サンを見習うことにした。面白いのはどうしてか、感動するのはどんなところか。そればっかりの映画批評小説批評をしたいものだ。尤もナマグサ政治家やインチキ文化人に対しては決してそうもいかんヨ。
 
超ヒラリズム11【イジメ自殺児童】
 町田市の事件で調査委員会は、イジメを認めつつ自殺との結びつきを認めなかった。これはイカン。イジメがあった事実は自殺との因果関係がゼロではないのだ。つまり何十%かは関係があったということで、それはまさしく結びつきなのだ。ああいう見解を出すから、イジメは永久にのさばるンダ。
 
超ヒラリズム12【イジメ自殺児童】
 かつて小学生だった私の娘がイジメにあったとき、私は学校に乗り込んだ。すると担任は「子どものやることで半分冗談だ」といった。半分冗談なら半分本気なわけで、強引に教室に入り教壇にのぼり、子どもたちに「イジメは卑怯者のやることダヨ」と優しく説いた。娘へのイジメはなくなった。
 
超ヒラリズム13【桶谷秀昭】
 桶谷の『保田與重郎』を読んで感銘した。後の世代の文芸評論家がこれを書いてくれれば、死んでも死にきれないということもあるまい。保田も桶谷も明治維新の文明開化に対する反発と嫌悪を抱いているが、私も別の思想を持ちつつも共通しているナ。日本は明治維新と敗戦後に於て失敗した。
 
超ヒラリズム14【桶谷秀昭(続)】
 半世紀ほど前だが、近しかった作家が旧仮名遣いで小説を書いているのを不思議がった。のみならず不快でもあったナ。桶谷も傑作『保田與重郎』で旧仮名遣いを使っているが、そこにどれだけの意味と思想を籠めているかはそれとして、変貌しつづける言葉をそれほどまでに信頼する気が知れない。
 
超ヒラリズム15【宝塚歌劇団幹部一同】
 宝塚は歌舞伎や大相撲と同じ位好きである。然し宝塚は歌舞伎や大相撲と同じ位旧態依然とした団体である。その中味は上層部からの押し付けのみならず、団員のスター願望とのサンドイッチによって成立している。参考にすべきは、不祥事をきっかけに変わろうとしている歌舞伎と大相撲だネ。
 
超ヒラリズム16【宝塚歌劇団幹部一同(続)】
 テレビで経営幹部たちの会見を聞いたが、被害者との和解が成立したことを強調するばかりで、反省の色が薄い。人間はどうしても心情が顔や声に出るモンダ。それが見られなかったのは、彼らが未だに傲慢たるゆえんである。現代の経営者たるもの、現代の政治家のエピゴーネンになってはナラン。
 
超ヒラリズム17【練馬・中村先生】
 文学者で私が「先生」と呼ぶのは、昔も今も三浦清宏先生だけである。しかしいくら「先生」と呼ぶことも呼ばれることも嫌いな私でも、医者だけはすべて「先生」である。毎週いろんな医者にかかっているのでいつも渋渋「先生」といっているが、中村先生は担当医だから、先生中の先生デアル。
 
超ヒラリズム18【練馬・中村先生(続)】
 私はこんなに混んでいる医院を知らないが、名医だから頼りにしている。随分救けられた。症状を話すと必ず「ええー」と叫ぶ。それは大変だと思っていると、すぐに診断を出してくれて安堵する。「うまい・はやい・やすい」の三拍子であるが、注射は痛いから「いたい」を加えて四拍子デアル。
 
超ヒラリズム19【練馬・中村先生(続々)】
 中村先生が「大丈夫」というと、不思議なことに躰が大丈夫になる。相撲じゃないが、心・技・体をそなえた名医なのだ。ツルちゃん、サトウさん、シュシュりんと、看護師も粒ぞろいのところが鬼に金棒、痛くない注射だ。チンチンもオシリも診てもらったが、こんどはどこを診てもらおうかナ。
 
超ヒラリズム20【小林製薬経営幹部】
 この連中も宝塚と変わらんネ。いくら頭を下げても反省心が上っ面。宝塚と同様に金で解決すればいいという根性が見える。この問題の背景というか根は、明治時代から延々と続いている大企業と政界との癒着である。遅まきながら厚労省もノコノコ登場したが、お前らにも重大責任があるんだゼ。
 
超ヒラリズム21【小林製薬経営幹部(続)】
 サプリだとか●●剤だとか健康食品だとか、テレビでも新聞でも大々的に広告していて、高齢者ならずとも、どんな立派なものかと思っていると、社内チェックも厚労省チェックも大甘であることが判明した。フン、何たる体たらく。大企業と政界との癒着が国民を殺す、その象徴的事件デアル。
 
超ヒラリズム22【花田清輝】
 本当の悪人にめぐりあってみたいというのが悲願なのに、これがなかなか難しいと花田サンは歎いておったが、それは、日本の戦後が、偽物の悪人と小悪党の時代であるという皮肉ともとれる。けれども花田サンは恵まれていたんだ。私なんか数えきれないほどの本当の悪党にめぐまれてきたものダ。
 
超ヒラリズム23【花田清輝(続)】
 花田サンほど先鋭で強靭な作家でも、敗戦後半世紀以上経つと、いくら先鋭で強靭であっても、そんなものは便所紙にもならないとは予感できなかった。平和憲法はないがしろにされ、殺人兵器は輸出される。無智な国民は無恥な自民党に永劫に騙され続け、本当の悪人は蔭にも日なたにも出没スル。
 
超ヒラリズム24【土方歳三】
 むろん誰も問題にしてくれなかったが、私は半世紀前に、「文学は新選組である」との宣言を、あちこちの小さな雑誌に載せた。要するに、文学というと革新だとか前衛だとかがもてはやされるけれど、文学の根幹は「守る」ことに第一義があるとしたノダ。言霊を守る、国語を守る、人間を守る。
 
超ヒラリズム25【土方歳三(続)】
 新選組のなかでは、若いころ沖田総司が好きだった。中年になって近藤勇が好きになって今に至っている。土方のことは一度も好きにならなかった。けれども新選組は土方が創ったものだと認識している。土方は「守る」ことに大義を見ていた。その冷酷な対応も「守る」意識の強いアラワレだ。
 
超ヒラリズム26【菊池寛】
 今日はエイプリルフールだが、だからホントの話を書く。菊池寛という人は、作品も面白いが人物も面白い。そういう作家はいそうでいない。永井龍雄が食いっぱぐれて菊池のところに行った。渋々菊池は文藝春秋に採用し、最初の給料をポケットマネーで払った。私は渋々は菊池のポーズだと思う。
 
超ヒラリズム27【菊池寛(続)】
 私は金は高きから低きに流れるのが正当と考えている。だから一時金があったときは全部貧しい後輩に流した。今は私が赤貧だから、金持の後輩からのカンパを遠慮なく戴いている。菊池寛という人は、私のこの考えを数十年前に実行していたと信じる。現代の人気作家に爪の垢を煎じて飲ませたい。
 
超ヒラリズム28【草彅剛】
 朝ドラの『ブギウギ』が終わって、あらためて思うのは、主人公の趣里もすばらしかったが、草彅が出てくると、いつも面白かった。SМAPではいちばん地味な存在だったが、それが俳優としてはいちばん輝いている。存在感がある。そこに人生の不思議さを感じるのは、私ばかりであろうか。
 
超ヒラリズム29【コンビニ犯罪者】
 コンビニの店員もイノチガケになっている。これだけ襲われるのは、人心が荒んでいる証拠ではあろうが、どうしてコンビニなのか。つらつら思うに、そこが犯罪者にとってポイントであって、コンビニが身近なせいなのではないか。孤独な犯罪者にとって、何をするにも手の届く存在ナノダ。
 
超ヒラリズム30【川勝知事】
 ううむ、困ったもんだ。ああいう舌禍は本音なんだろうが、政治家は本音をいっちゃいかんのヨ。いつでもいうけれど、国会議員の不祥事は国民にも責任がある。よって知事の不祥事は県民にも責任があるのだ。それを民がしゃあしゃあとしていていいわけがない。そこを見誤ってはイカンということ。
 
超ヒラリズム31【幽霊サン】
 幽霊にサンをつけていいのかどうか、判断に迷うところだけれど、サンをつけておけば恨まれる可能性が低いかもしれないからなあ。幽霊サンが登場する物語はずいぶん書いた。そんなら幽霊サンを信じているかとなると、まあ信じていない。だが、幽霊サンがいない世界は闇じゃなかろうかネ。
 
超ヒラリズム32【ゴッホ&ゴーギャン】
 もう五度目になるが、「ゴッホの手紙」を読んだ。ゴッホは狂っていたから天才なのではなく、狂うほどに突き詰めて考えたから天才なんだ。そこを本質としないと、美術評論は誤る。反面ゴーギャンはすこぶる明晰な天才であり、ゴッホとは相容れない。そのことはゴーギャンには解っていた。
 
超ヒラリズム33【ゴッホ&ゴーギャン】
 いわゆる「近代絵画」というなかで、私は最初からルノワールに魅かれ、「ルノワール論」を卒論にしたが、画家としての凄さはゴッホとゴーギャンだと、学んだ末に考えている。とはいえ、絵画を学ぶとは傲慢なことで、絵画は感じるものでなければならない。年毎にゴッホの絵を強く感じる。
 
超ヒラリズム34【西村賢太】
 賢太が亡くなったとき、ガクゼンとしてガックリきた。私より若い作家が亡くなると、おおよそそういう気分に陥るのだが、賢太はかくべつだった。同じことを同じ調子でジメジメというか、ジュクジュク書く作品ばかりだが、時として泣き、時として笑った。いとしい作品、いとしい作家デアル。
 
超ヒラリズム35【阿部新監督】
 現役時代も応援していたから、監督になっても当然応援しているけれども、打順をころころ変えるとロクなことはない。原前監督はそれで失敗した。つまり打順は監督の信念であるから、打順を変えるのは信念が変わるのと同じ。打順をあまり変えないチームが今年も優勝すると、断言してもよいゾ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?