おばけの時代

 おばけの時代                             
 
                             陽羅義光             
 
 
【はしがき】
 
 ぼくがこどものころ、とりわけ七歳から十歳のあいだ、昭和二十年代は、いまにしておもえば、他愛のない、わらいぐさかもしれないけれども、きみょうで、なつかしい時代、まさしく、おばけの時代でした。
 母ひとり子ひとりで、母が仕事でいそがしいので、ぼくはちょくちょく「かいじい」のところに遊びにいきました。
 遊びにいくというより、お話をしにいきます。
 だいすきでおそろしい、おばけのお話を。
 おばけとぼくはまるで腐れ縁で、というのは、どういうわけかいつもおばけと遭遇するからです。
 母にうそをつかなかくてもよかったのは、母がぼくの興味をしっていて、どういうわけか家に寄り付かないのも都合がよかったらしい。
 けれども、学校の先生はわかってくれないから、よくうそをついて、早退したり、やすんだりして、「かいじい」のところに、いったものです。
 うそかまことか、ま冬は、「かいじい」は、冬眠をしているのだときいていたから、ま冬だけは、「かいじい」のところへは、いきませんでした。
 それに、ぼくがすんでいた村は、ま冬の雪嵐が、はんぱではなかったから、さすがに母も、「かいじい」のところにいくことを、ゆるしてはくれなかったのです。
 「かいじい」のかっこうは、そのころよく読んだ、忍者漫画にでてくる、乞食や浮浪者に、にていました。
 顔は黒く、髪は長く、ひげづらで、歯が欠けていました。
 出身もわからず、年もわからないのだが、これがたんなる乞食や浮浪者ではなく、じつは卓越したわざをもつ、忍者のかりの姿だという話。
 「かいじい」は、そんな、ただ者ではない雰囲気を、身につけていました。 
 もっとも、こんなことは、いまだから、いえることかもしれないのですが。
 「かいじい」は、街と村の、さかいめあたりの、戦争中は、防空壕としても利用された、祠(ほこら)にすみついていました。
 土の洞で、入口だけは、頭蓋骨ほどの数個の石でかためてあります。 手前に、こどものぼくでももぐりにくい、もうしわけていどの、こぶりな鳥居(とりい)があって、色ははげて、かたむいていました。
 その祠が、どういう神様を祀(まつ)っているのか、ぼくにはわかりませんでした。
 それに「かいじい」がどうして、こんなところで暮らしているのかもわかりませんでした。
 わからないことといえば、「かいじい」の「じい」は「爺」だろうけれども、「かい」がどういう漢字なのか、どういう意味なのか、だれにきいても、わからないのでした。
 ずっとあとになって、いろんな「かい」の漢字を、いろいろあてはめてみたけれども、どうもしっくりきません。
 怪、界、戒、塊、快、海、灰、芥、貝など。
 たしかに、「かいじい」とは、いわゆる怪談話ばかりしたものです。
 それでも、「かいじい」はぼくにとって、あやしいおじいさん、ではありませんでした。
 異界にすむ、非人間でも、けっしてありませんでした。
 村人は、聾唖爺(ろうあじい)だと、いっていましたが、そんなことはないでしょう。
 ぼくといっしょだと、口が貝になったことは、ないのです。
 怪も界も戒も塊も快も海も灰も芥も貝も、ちがいます。
 ただ懐だけは。
 なつかしい、の「懐」。
 そのとおり。
 すくなくとも、いまのぼくにとっては、「かいじい」は、「懐爺」なのです。
 だからここでは、「懐爺」とよぶことにします。
 なお、いちおうことわっておきますと、この怪談話というのは、たんなるお話の次元ではなく、あのころのぼくが、じっさいみたり、きいたり、かんじたりした、おばけの話であります。
 もちろん、おばけのことに関しては、「懐爺」は、ぼくの数十倍数百倍もの、体験があるはずなのですが。
 
一【あかなめ】
 
 ぼくが、懐爺の祠の入口から、顔をのぞかせると、くらい奥から懐爺のしぶい声がきこえ、それから、黄色い乱杭歯(らんぐいば)がみえ、つづいて、垢で黒くなった、やさしい顔がでてくるのでした。
 いつもほとんど、そうなのでした。
 懐爺の両眼は、目蓋でふさがれ、ひどくつぶれた鼻は、むかし若いころ、村人たちに私刑にあった、なごりだときいています。
 背中までかかっている、白髪まじりの髪は、きったりすいたりしてあげたい、気分がわきおこる、むさくるしさでした。
 着ているものといえば、むかしは衣類だった何かを、身にまとっているふうなものでした。
 懐爺の図体は、餓死すんぜんの巨大な羆(ひぐま)をおもわせたものです。
「せつないのう」
 ぼくはいいました。
「おばけがでたのですか」
 そう懐爺はききました。
 ぼくの家の風呂場は母屋(おもや)から、三十歩はなれたところにありました。
 風呂にはいるためには、そこまで歩かなければいけません。
 風呂場は小さな小屋で、着替える場所もないので、ぼくは裸でそこまでいき、風呂がおわったら、裸でもどってくるのです。
 冬はきついが、夏はもっといやでした。  
 風呂場は、日当たりのわるいところにあって、風呂おけは古く汚く、糊をぬりつけたかんじの、垢が、こびりついていました。
 とくに夏場は、臭いが強く、その臭いは、垢のせいだけではなく、風呂おけのまわりに蠢いている、蛞蝓(なめくじ)や、蝦蟇(がま)の臭いでもあったのです。
 ぼくはひとしきり、風呂場のおぞましさを語ってから、気になってしかたがないことを、つげました。
「さくばんも、わしのせなかさ、はりついてくるんや」
「それはせつなかったですね、そいつは、蛞蝓でも蝦蟇でもない。わたしもこどものころは、ずいぶんやられました。なにせこの村ではたまにしか湯を替えないし、ぬるま湯が好きなひとがおおいからねえ。そいつは【あかなめ】なんですよ。」
 懐爺は、汚い手で、ぼくの背中をなでながら、いいました。
「【あかなめ】【あかなめ】とは、なんじゃ」
 ぼくは、鸚鵡(おうむ)がえしで、いいました。
「汚い風呂場専門の、おばけでしてね。垢をなめにやってくるんです。むかし、わたしのともだちだった平助は、風呂につかっているとき、あかなめにひどくなめられて、とけてしまいましたよ」
 ぼくの背中に、また【あかなめ】が、はりついた気がしました。
「おそろしいのう」
「心配はいりませんよ。【あかなめ】の臭いなんか、わたしの臭いになれている金ちゃんなら、平気でしょう。それに、風呂おけを毎日洗ってお日様に干して、きれいにしておけば、【あかなめ】は、けっしてでてはこないものですから」
「だれが、やるんじゃ」
「金ちゃんが、やるんですよ」
 懐爺は顔を近づけます。
 懐爺の臭いには、ぼくはたしかになれていました。
 それからのぼくは、母にしこたま殴られたわけでもないのに、風呂場当番をかってでて、風呂おけを毎日みがいたものです。
 たしかに【あかなめ】は、でてこなくなりました。
 
二【あほうざか】
 
 隣のお姉さんの〈坂〉好きはたいへんなもので、いずれは上坂とか坂下というひとと、結婚するにちがいないとおもわせるほどでした。
 どうして坂が好きかときいても笑っているだけでしたから、本人にもよくわからないのかもしれない。
 だれがいったか、人生には〈のぼり坂〉と〈くだり坂〉と〈まさか〉があるとのことですが、そうした喜怒哀楽(きどあいらく)の人生を想わせるところが好きなのかもしれないし、坂によって風情がおおきく異なる、またその坂でも春夏秋冬によって有為転変(ういてんぺん)の味があって、そんなところが好きなのかもしれないと、いまではおもうのですが、あのころはぼくのおばけ好きとおなじで、生まれつきなものだとかんがえていました。
 そこでぼくが真剣にかんがえたのは、隣のお姉さんが好きな坂と、ぼくが好きなおばけを合体させると、どうなるのだろう、ということでした。
 ぼくは隣のお姉さんと一緒に、いつもその〈おばけざか〉をのぼりおりすることになるのかもしれない。
 坂の途中でお姉さんが「怖い」なんて叫んでぼくにすがりついたり、「素敵」なんて呟いてぼくになっついてきたり、そういうことまでも夢想しながら、懐爺のところへ行きました。
 懐爺は眼を遠くへやって、
「日本の三大おばけ坂は、まずは麻布の暗闇坂【くらやみざか】。昼間でも真っ暗ですから、懐中電灯が必要なのですが、もって行ってもどういうわけかつかない。使えるはずのないものが使えないというのは、怖いものです。おそらく磁気みたいなものが、発生しているんでしょう。つぎに、小石川の切支丹坂【きりしたんざか】。江戸時代に切支丹専用の牢があったところで、拷問(ごうもん)で死んだ切支丹の幽霊がでるとか。それとたまに、踏絵が、天から降って来て、大怪我をするとか。踏絵の材料は、鉄、木、紙、たまに金。この金を目当てにわざわざ行って、お亡くなりになるひとがいます。もうひとつは神楽坂の幽霊坂【ゆうれいざか】。幽霊がでそうな、寂しい坂は、他にいくらでもありますが、なにせ周りはすごく賑やかなのに、坂だけが人通りがない。それで余計に、寂しさこのうえないというわけです」
「むむむ、みりょくてきな、さかだのう。むむむ、だども、あざぶも、こいしかわも、かぐらざかも、いけんのう。だば、このむらの、さんだいおばけざかで、がまんするかのう」
「それなら、金ちゃんもきいたことがあるはずだし、のぼりおりしたこともあるはずです。はい、狐狸坂【こりざか】地獄坂【じごくざか】阿呆坂【あほうざか】です‚ヒ」
「【こりざか】は、しっとる。きつねやたぬきがすんどるさかじゃろ。つまらんさかじゃ。あそこのきつねやたぬきは、ばけんからのう。【じごくざか】も、しっとる。あれは、しんのぞうがわるいひとは、のぼっちゃいけないんじゃ。むらのじいさんばあさん、だいぶしんどるな。ただ、きゅうなだけの、つまらんさかじゃ。だども、わしは、【あほうざか】たあ、はじめてきくのう」
「【あほうざか】は、いわば伝統のない坂ですからね。戦時中、中山が要塞(ようさい)と間違えられて、空襲でやられたときに、燃えて禿げた所が坂になっただけですから」
「ほう、あのさかかい。そんならしっとる。こやまのてっぺんから、ようみえるでのう」
 というわけで、次の日曜日の午後に、坂好きの隣のお姉さんを誘って行きました。
 途中、隣のお姉さんは、歌のお姉さんになりました。
 のーぼりざか くーだりざか まーさかまさか
 しのぶしのばず しのぶざか あすはあるのか あしたざか
 のーぼりざか くーだりざか まーさかまさか
 おしどりなくよ めおとざか えんはあるのか むえんざか 
 のーぼりざか くーだりざか まーさかまさか
 ごんごんごんと@むごんざか ほんほんほんと むほんざか
 のーぼりざか くーだりざか まーさかまさか
 がんもうれしや がんぎざか ねこもたのしや ねずみざか    
 二時間ばかり歩いて、【あほうざか】に着くと、おもったとおり隣のお姉さんは、
「素敵、素敵」
 何度も呟きましたが、なっついてくる気配はありませんでした。
 ただの殺風景(さっぷうけい)な坂の、どこが素敵なのか、さっぱりわからないぼくは、
「うまいのう、うまいのう」
 といいながら、隣のお姉さんがもってきてくれた、おにぎりを頬張っていました。
 夕方にはまだすこしあるのに、坂の上空を烏が飛んでゆきます。
 あほう、あほう、と鳴いて飛んでゆきます。
(なんじゃ、それで【あほうざか】かい。つまらんさかじゃ。どこがおばけざかじゃ)
 ぼくは呆れましたが、きれいな眼で烏をみあげている、隣のお姉さんにはいいませんでした。 
 
三【あやかし】
 
 その日、懐爺はたぶん昼寝をしていたのかもしれない。
 なかなかでてこなかったので、死んでいるのかとおもっていると、でてきたときは笑顔でした。
「せつないのう」
 ぼくはいいました。
「やっぱり、おばけですか」
@懐爺はききました。
 ぼくが泥鰌(どじょう)をすくいに、小川にいったときに、そのおばけは、あらわれたのです。
 途轍(とてつ)もなく長いもの。
 あんまり長すぎて、どこが頭でどこが尻尾かわからない。
 かたちは、鰻そっくりなのに、目とか口がないので、よけいに不気味でした。
 口がないくせに、変な声をあげている。
 ふひょ 
 ふひょ
 ぶぶぶひょ
「くわれるかとおもうたけんど、くちがないもんで、たすかった」
「金ちゃんは、小川のほとりで、釣りをしていたんでしょう。【あやかし】は、船を沈ませるおばけですから、大丈夫ですよ。それとむかしから百鬼夜行(ひゃっきやこう)といいましてね、あかるいうちにでてくるおばけは、こわくありません」
 懐爺は、やさしくなぐさめる声で、いいました。
「いつだったか、金ちゃんが生まれる前ですけど。鰻の仕掛け作りのために、夜おそく大川で小舟にのっていた村の大人が二人、【あやかし】に、舟を沈められた。泳ぎの達者な二人だったけれどもういてこなかったし、遺体もみつからなかった。【あやかし】に、くわれてしまいましたからね」
「ふたりは、わるいひとだったんか」
 ぼくは、いちおうきいてみました。
「わるい人でなくても、おばけにはやられますよ。でも【あやかし】にくわれたのは、鰻をとりすぎたせいかもしれないと、噂されたものですよ。とってもいいけどとりすぎてはいけない。大川に、鰻が一匹もいなくなりますからね。金ちゃんも、泥鰌をとりすぎないほうがいいです」
 ぼくはそれからは、泥鰌すくいも魚釣りも、いっさいやめました。
 いまでもけっしてやらない。
 そのあと懐爺は、身振り手振りで、こう蘊蓄(うんちく)をのべたのです。
「おおむかしはね、おばけをみんな【あやかし】とよんだもんですよ。たとえば、嫉妬にくるった女が大蛇に変身するのも【あやかし】、うらみがつのって、鬼になって人をくうのも【あやかし】、龍や蜘蛛にばける【あやかし】もいる。おぞましい物語の中心には、かならず【あやかし】がいるんです。このごろは、おばけもいろいろたくさんになってしまって、【あやかし】で総称するわけには、いかないもんですからね」
「せつないのう」
 ぼくはいいました。
「おおむかしの物語には、おばけがよくでてきます。『日本霊異記』はもちろん、『今昔物語』、そうそう、『源氏物語』にだって」
「あの、げんじとへいけの、げんじかい」
 ぼくはいちおう、ききました。
「それは『平家物語』ですが、まあこのさい、どちらでもいいです」
「このさい、かい。せつないのう」
「おおむかしの言葉で語ると、もっとせつないものです」
 懐爺はいって、もちろんぼくには意味不明の、何か呪文らしいものを諳(そら)んじます。
「むかし、まなごのせうじがむすめ、くまのまうでのやまぶしを、おもいかけ、ねがはくは、みづからに、おもひを、とげさせてたまへと、もうしければ、かのやまぶし、それ、そくもんのみなれば、しゃくもんにいりて、ひとにしゆつりののぞみ、なをこそおもわれ、だいぐわんを、くわだてん。やまぶしは、かねまきでらにはしりいり、たすけてたべとのたまへば、りつし、とりあへず、かねのしたへ、いれける、かのむすめ、かねのもとへ、たつねきて、にはかにだいじゃとなつて、かねをまき、おおかに、にえいりけり」
 ふいに鼓膜にひびく、いやにすごい音がしました。 
 龍かとおもったが、祠の奥の竹藪が風に鳴ったのでした。
 
四【あめじょ】
 
 これは雨の日。
 雨の日に、小川のほとりで、(隣のお姉さんほどではないが)きれいな女のひとが立っているのを見かけました。
 声をかけましたが返事はありません。
 傘もさしていないので、ぼくは自分の傘を貸してあげようとおもったわけです。
 ぼくは濡れてもかまわない汚いかっこうですが、きれいな女の人は、きれいな着物をきていました。
 絣なのか紬なのか、いまではもうわかりませんが、青く見えたり、黄色く見えたり桃色に見えたりしていました。
 まさか小川に飛び込んだりしないだろうな。
 でも飛び込んでも、小川なら足が立つ。
 でも横になってしまえば溺れる。
 そうおもいながらぼくは近寄っていきました。
 すると、雨の雫と同じ速度で、女の人は消えてしまいました。
 もったいない気がしました。
 将来結婚するなら、ああいう女の人がいいな。
 そう瞬間的にかんじていたのです。
 ぼくはそのまま懐爺のところに行きました。
「【あめおんな】をみたぞい」
 懐爺は笑いながら、
「それは雨女と書いて【あめじょ】のことでしょう」
「【ゆきおんな】がいるのに、【あめおんな】じゃないのかい」
「はい。【はれおんな】と【あめおんな】はいません。生きている人にはいるかもしれませんがね。おばけはあくまでも【あめじょ】」
「どうして、〈じょ〉なんじゃ」
「つまり、〈如〉という漢字は、女へんに口ですね。口数のすくない女は【あめじょ】の如くといいましてね」
 そして懐爺はまた笑いました。
「ほんまかのう」
「ほんまかどうかは、なにせおばけの話ですから、わたしにもはっきりしたことはいえません」
「いいかげんじゃのう」
「いいかげんでも、おばけの話というのは、なんでもかんでもそういうものなのです」
 懐爺はまた笑いました。
「いいかげんは、きらいじゃのう」
 けれどもおとなになって、いいかげんなことばかりしてきたぼくは、いいかげんは〈好い加減〉なんだと、よく嘯(うそぶ)いていたものでした。 
 
五【あんまつがっちゃ】
 
 おばけの名前は、ほとんど懐爺に教えてもらったものばかりですが、たったひとつ、ぼくが名付けたおばけがいました。
 それが【あんまつがっちゃ】でした。
 音がします。
 暗闇で幽かな音がします。
 その音は、あんまつがっちゃ、という音をたてているわけではありません。
 ひたすら不気味な、地獄もしくは宇宙の果てからやってくる音だとかんじました。
 耳鳴りだったのでしょうか、それとも幻聴だったのでしょうか。
 いえ、ぼくにはおばけの音、音のおばけとしか、どうしてもおもわれませんでした。
 その音をきいたなら、だれでもそうかんじるにちがいありません。
 擬音語や形容などでは、決してあらわせない音。
 その音は、ぼくが暗闇にいると必ずきこえます。
 そうしてぼくが明るいところにいると、まったくきこえないのです。
 その音は、ぼくが三十歳になったときに、きこえなくなりました。
 どうして【あんまつがっちゃ】という名前を付けたのか、じつはぼくにもよくわかりません。
 
六【うきもの】
 
 懐爺と雑談のあと、
「そんでさ」
 ぼくはつづけました。
「おおかわのながれのほうさながめとったら、なんかういとる。くじらのせなかかなあ、それともちいさいうきしまなんかなあ」
 ぼくは、そいつをおもいうかべて、寒気がしました。
 いにしえの怪獣かもしれないし、海からまよいこんだ白鯨かもしれない。
 いずれにしてもあの背中のゆれは、まるで巨大な蒟蒻(こんにゃく)だったものです。
 とても生々しい。
「でも、また沈む。しばらくして、またうくんでしょう」
「かいじい、よくしっとるな」
 ぼくはあきれました。
 あきれながら、何かを疑っていました。
 その何かは、いまならはっきりいえます。
 懐爺も、おばけの仲間だと疑っていたのです。
 もちろん、疑いのなかの半分は羨望でした。
 みあげると、懐爺はうれしそうに、乱杭歯をふるわせています。
「それは浮島ではなく、【うきもの】というおばけですよ。そうそう、ちょうどいまごろの、花曇りの季節にあらわれる。わたしも何度かみたことがあります。よく蜃気楼(しんきろう)のおばけ、【かいやぐら】とまちがえられますが、【かいやぐら】は幻想的で、【うきもの】は現実的といいましょうか」
「なんじゃ、またおばけかのう」
 ぼくはあきれました。
 いくらこっちがこどもだからといって、どいつもこいつもふざけてやがる、と憤慨もしていました。
 憤慨しながら、なぜか、ともだちに茶化されている気分もしました。
 その気分には、かまってもらえたうれしさも、まじっていました。
「金ちゃん、めずらしく怒っていますね。おばけはなにも、金ちゃんをコケにしているわけではない。おばけだって好き嫌いがありますから。金ちゃんはおばけに、すかれているだけなんですよ」
「そんなら、しかたないんか」
「せつなくても、しかたがないんですよ」
 懐爺はいつもどおり、ぼくの肩に、汚い手をやさしくおいたのです。
 
七【うたまろ】
 
 春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の歌が、どこからかきこえます。
 春じゃ春じゃ
 ありがたやの
 春じゃ春じゃ
 飲めや歌えや
 夏じゃ夏じゃ
 ありがたやの
 夏じゃ夏じゃ
 飲めや歌えや
 秋じゃ秋じゃ
 ありがたやの
 秋じゃ秋じゃ
 飲めや歌えや
 冬じゃ冬じゃ
 ありがたやの
 冬じゃ冬じゃ
 飲めや歌えや
 こうして書き出してみると、春夏秋冬同じ内容だが、歌う調子はまったくちがいます。
 春は軽やかに、夏は健やかに、秋は爽やかに、冬は冷ややかな調子で歌われます。
 小学校の同級生にきいてみると、そんな歌はきこえんといいます。
 ぼくにだけきこえるということは、耳鳴りとか幻聴というものかしらと、ここはやっぱり懐爺にきいてみなくては。
 もしかすると、きのう母親に耳のあたりをぶん殴られたせいかも。
 そうして行った日は、馬肥ゆる秋で、馬はともかくとしても、草むらでは蟋蟀やら鈴虫やらが鳴いていました。
「あのこおろぎや、あのすずむしよりも、うたがうまいんじゃ」
「そうですか。歌うおばけ、【うたまろ】ですね」
 懐爺はいともあっさりといってのけました。
「そんなかんたんに、きめつけてい‚「のかのう」
「金ちゃんとはしょっちゅう会っていますから、金ちゃんが耳鳴りや幻聴がするとはおもわれません。それでもほかのこどもたちにきこえないなら、まずもって【うたまろ】しかありませんからねえ」
「あのえかきの、【うたまろ】かい」
「歌磨呂ではありません。おばけには【うたまろ】のほかに〈まろ〉が付くものがけっこうおります。いわば大派閥といったところです。
【はなまろ】
【ばかまろ】
【へそまろ】
【くそまろ】
【あほまろ】
【ぼけまろ】
【まろまろ】などなどです」
 懐爺は一つ一つおもいだしながら名をあげて、楽しそうでした。
「ほかの〈まろ〉はしらんが、【うたまろ】はいいのう。みそらひばりより、うたがうまいのう」
「美空ひばりにはかないませんがね。というのは【うたまろ】は、別名【さけまろ】ですが、酒毒(しゅどく)にやられていましてねえ。酒を呑まないと歌えないんですよ」
 大酒呑みか。
 中毒か。
 ぼくの父親は大酒呑みで、そのせいで早死にしたときいていましたから、大酒呑みに対しては近親憎悪がありました。
「するてえと、なんじゃれかんじゃれ、こまるのう」
「はい。酒代(さかだい)がかかります。おばけの世界にも酒はあるんですが、鬼の姿をした盗賊の酒呑童子(しゅてんどうじ)が、本物のおばけではないくせに、おばけの世界の酒をみんな呑んでしまうのですから、【うたまろ】は苦心惨憺(くしんさんたん)しています」
「それじゃ、さるとなかよくするかのう。さるざけがのめるからのう」
「はい。じっさい【うたまろ】は猿酒を呑んでいます。でも猿酒は度数が高いですから、【うたまろ】が【おしまろ】になってしまうのではと心配です」
「それはこまるのう。あのすばらしいうたがきこえなくなるからのう」
「そうですよね。金ちゃんが歌上手なのは、きっと【うたまろ】のおかげですものね」
「それはそうじゃ。【うたまろ】がいつまでもげんきなら、わしは、ひばりになれる」
 じつはそのころぼくは、野球選手か音楽家になりたかったのです。
 でも貧乏で野球道具は買ってもらえないから、野球選手は無理です。
 楽器も買ってもらえないから、演奏家は無理でしょうが、歌うのに道具はいらないから貧乏でも大丈夫です。
 歌手がいい。
「酒毒が厄介(やっかい)なのは、酒を呑まないときは、痙攣(けいれん)や麻痺(まひ)があるのに、酒が入るとそれがぴたりと止まるところなんです」
「なるほど。けいれんやまひをとめるために、またさけをのむってことかい」
「ええ。【たくさん】という酒毒者のおばけは、酒はもうたくさんといいつつ、たくさん酒を呑んで、野たれ死にしましたからねえ」
「【うたまろ】だけは、へたれじゃねえ、のたれじにしてほしくはないのう」
 けれどもぼくの願いむなしく、【うたまろ】の歌はそのうちきこえなくなりました。
 まちがいなく、ぼくが歌手になれなかったのは【うたまろ】が【おしまろ】になったせいです。
 
八【うちゅうおばけ】
 
 授業中先生に校庭十周の罰を受けたので、十周してそのまま走って懐爺のところにいきました。
 懐爺は待ちかねていた顔でした。
「前にわたしは、おばけのことならなんでもしってると偉そうにいいましたが、あれはまちがいでした」
「なんじゃい」
 ぼくは嬉しさと恐ろしさが、いりまじった気分でききました。
「【うちゅうおばけ】です。正体がわからないという意味では、これが一番わからない」
「かいじいにもわからんのか」
「わかりませんね。何しろ異次元のおばけですから」
「その、いじわるげんさんとはなんじゃい」
「いじわるげんさんじゃありません。異次元のおばけ」
「いみがわからんのう」
「あと三年もたてばわかりますよ。異次元とは次元がちがうんです」
「ますますわからんのう」
「たとえば、わたしたちの在るところと、ちがうところに在るんです」
「ちがうところなら、こわくないのう」
「いえいえ、ちがうところということは、手がとどきません」
「こっちの手がとどかんなら、むこうも手がとどかんじゃろ」
「まあ理屈的にはそうですが、それでもそのあたりにいそうなのがこわいんです」
「【うちゅうおばけ】なら、うちゅうからきたんか」
 懐爺は困った顔で、
「まあそうです。というか、そうらしいです。何せ正体がわからないから、そういうしかありません」
「つまり、うちゅうじん、ちゅうことじゃろ。うちゅうじん、だいかんげいじゃ」
 宇宙人なら本で見たことがありました。
 鮹に似ていて、かわいらしい。
 ちょっとともだちになりたいくらい。
「宇宙人だって、歓迎したくない宇宙人もいますからねえ」
「たこおとことちがうんか」
「それは架空の話でして、宇宙には想像もできないくらいの生物がいるんです。その生物がおばけになったのが【うちゅうおばけ】ですから、もっと想像ができない」
「そうぞうができないちゅうことは、しんだあとみたいなことかい」
「金ちゃん、よく気付きましたねえ。わたしたちも死んだら、地球おばけになるかもしれません。つまりその、【うちゅうおばけ】がこわいのは、死ぬのがこわいのとよく似ています」
「わしはしぬのなんかこわくないがのう。いたいのとかくるしいのはいやだけんど、しんじまったらいたくもくるしくもないからのう」
 懐爺は苦笑いして、
「でも、死んでしまったら、好きな女の子にもともだちにも、会えなくなりますよ。おいしいものも食べられないし、おもしろい本も読めませんよ」
「わしは、すきなおんなのこは、おらん。すきなともだちはいるけど、【まるのみおんな】のはらのなかじゃ。おいしいものなんか、たべたいともおもわんし、おもしろいほんだって、よみたいともおもわん。それによ、しんじまったら、おいしいもおもしろいも、どうせほしくなかろう。あいたいなんちゅうきもちもおこらんからのう」
 かなり正直にいいました。
 でも懐爺にあえなくなるのは困るけど、このころぼくは、いずれ遠からず懐爺がいなくなることを、知らなかったのです。
 それどころか、想像をしたこともありませんでした。
「なるほど。金ちゃんは哲学者みたいですね」
「かいじいとおばけにはあいたいけど、かいじいにもおばけにも、しんでもあえるきがするしのう」
 と、これも正直にいいました。
「そうですか。金ちゃんは死ぬのがこわくないんですか」
 懐爺は首をかしげました。
「かいじいだって、こわくないじゃろ」
「怖いですけど、もう年寄りですから、諦めているかんじですかね」
「ならば【うちゅうおばけ】がでたら、あきらめるってことかのう」
「そのとおりです。諦める。覚悟する。もうそれしかありません」
「つまらんのう。なんとかならんかのう」
 懐爺はすこしかんがえて、
「つまらんのが人間の一生です。でもあんがいつまらなくないのかもしれません。わたしたちは獣や鳥たちを、はたから見ていて、つまらんとはおもわないでしょう。かなりたのしそうに動いたり飛んだりしているではありませんか。つまらん人間だって獣や鳥たちがはたから見れば、かなりたのしそうに見えるのではないでしょうか」
「だども、みじかすぎるのう。どうせなら、いちまんねんとか、あきてしまうくらい、いきられたほうがいいとおもうがのう」
「金ちゃんは死ぬのが怖くないはずですよね」
「しぬのはこわくないが、いきていたほうが、まだだいぶましなきがするんじゃ」
 よく、死んだほうがましだっていう人がいるけれど、あれは嘘だ。
 ぼくは小学校の先生に烈しい体罰をくわされたときだって、生きていればいいやっておもったものです。
「花も散ります。葉っぱも落ちます。草も枯れます。でも根っこがあればまた復活します」
「だば、わしらだって、しんでも、ふっかつするんじゃろな」
「おそらくそうでしょう。でも、新しく咲く花は、前に散った花とはちがう花です」
「にていても、ちがうんか」
「ちがいます。でもそれでいいんです。花としては生きているんですから」
 懐爺は断固としていいました。
 このいいかたは頼もしくて好きでした。
「だば、にんげんがしんでも、まただれかがうまれれば、いいんじゃないかのう」
「そのとおりです。はいこれで、宇宙と死の話はおしまいです」
 なんだかよくわからなかったけれども、【うちゅうおばけ】もなんだかよくわからないものらしいから、今日はこれでいいか。
 もし明日も生きていたら、もっとわかりやすいおばけにあいたいものだと、ぼくはつくづくおもいました。
 
九【うつぼ】
 
 あるとき、大酒のみの村長が酒壺にすいこまれた、という噂が、村中にながれました。
 よほどおおきな酒壺だったのかとおもったら、蛸壺くらいだという。
 のこりの酒をしらべようと、酒壺の口から中をのぞいていたら、すいこまれたのだという。
 それなら村長は酒壺の中で酒を飲んでいるんだろうとおもったら、泳いでいるとか、溺れているとかいう。
 泳いでいるのと溺れているのとでは、まったくちがうけれども、なにせ酒壺の中は、くらいからよくわからないのだという。
 とにかく、懐爺をたよりにするしかありません。
 ぼくは村を代表して、懐爺のところにいきました。
 そうしないと村八分にするぞと村の年寄りに嚇されたからです。
 懐爺は苦笑いしながら、すぐにこういったのです。
「【うつぼ】にやられましたね」
「【うつぼ】たあ、あのおっかねえ、さかなか」
「魚ではありません。【うつぼ】を漢字で書くと空です」
「たこつぼは、そらほど、おおきくはないのう」
「空とは、から。つまり、からっぽ。からっぽの酒壺にいたずらしたので、【うつぼ】のおばけにやられたのです」
「【うつぼ】たあ、おばけか」
 ぼくはあきれました。
「村長も、よけいな事をしたものです。酒がのこっているかどうかは、ふってみればわかるでしょうに」
 懐爺もあきれていました。
「そんちょうに、たこつぼは、ふれん」
「それなら若い者に、ふってもらえばいいのものを」
「そんちょうは、わかいもんを、しんようしとらん」
「若い者を信用しないで、よく村長がつとまりますね」
「そんちょうは、やさしいからのう」
「そういうやさしさは、ほんもののやさしさではありません」
 懐爺は、すこしこわい顔をしています。
「むずかしいこというのう。わしはそんちょうを、すくいたいんじゃ」
「それなら心配いりません。金ちゃんが帰るころには、村長も酒壺の旅からおもどりのことでしょう」
 それならと、ぼくは帰りました。
 たしかに村長は、酒壺の旅からもどっていました。
 門のところから家をのぞいていると、村長は赤い顔をしていました。
 ぼくのいるところまで、酒臭さがながれてきていました。
 村長は、助けてくれた村の若い者らを、ねぎらっていました。
 けれども、あとできいたら、たいした努力はいらなかったらしい。
 酒壺をたたきわっただけだったから。
 村長は酒びたしになって、
「もう酒はこりごり」
 と、大声で宣言したらしい。
 でも翌日から、また酒を飲みはじめたらしい。
 
十【うわん】
 
 月は赤く、風はなまぬるい。
 こういう夜に、無事だったためしがない。
 やっぱり、古い家の近くを通りかかると、〈うわん〉と大声でおどかすものがいます。
 ほんとうは〈うわん〉ではなく〈うおお〉かも。
〈うわあ〉かもしれない。
 昼間やにぎやかな日には、よくきこえなくとも、静かな夜だからよくきこえる。
 こいつには、よくやられたものです。
 ぼくが、静かな夜に、よくでかけるせいかもしれない。
 古い家の近くを、よく通りかかるせいかもしれない。
 おどかすのではなく、その家にはくるった人が住んでいて、ときおり叫ぶのだろうと、ぼくはおもっていました。
 じっさいぼくは、くるった人を、何度かみたことがありました。
 くるった人は、村役場の屋根の上に登ったり、火の見やぐらに登ったり、日の丸をかかげた棹の先に登ったりしていたから、そうして高見の見物しながら、ときどき変な声をだしていたから、それなんだろうとおもっていました。
 それでもたしか、くるった人は村びとに袋だたきにあって、大川に捨てられたときいていました。
 それでもくるった人が生き返ったのかもしれないので、懐爺にきいてみたものです。
 懐爺は、こう丁寧に説明してくれました。
「それもやはりおばけなんです。くるった人ではなく【うわん】というおばけ。金ちゃんに〈うおお〉ときこえたなら、〈うおお〉でもいいんだけれど、おそらく〈うわん〉ときこえた人が多かったんでしょうね。むかしのわたしには、〈いやん〉ときこえましたよ。〈いやん〉ではおばけにならないかもしれないけれど」
「【うわん】は、なんか、わるさするんかいな」
「金ちゃんは、何かされましたか」
「わしは、されん」
 ぼくはいばりました。
「【うわん】は声だけのおばけです。でもおどろいたでしょう、大きな声ですからね。人をおどろかすのが、【うわん】のわるさなのです」
「そんくらいのわるさなら、わしなんかまいどじゃ」
「金ちゃんは、【うわん】もおどろくおばけちゃんかもしれませんね」
 そういってから、懐爺は笑いだして、なかなかとまりません。
 ぼくは、笑い事じゃないと、むくれていたものです。
 むくれたついでに、きく意味のないことをききました。
 こどものぼくなりの、懐爺にたいする嫌味だったのかもしれない。
「ほんまに、おばけなんかいるんかい」
「いますよ」
 懐爺は、すぐに答えました。
 かんがえるそぶりも、みせませんでした。
「やっぱし、いるんだ」
「もしおばけがいないとしたら」
 懐爺は口ごもります。
「いないとしたら、なんじゃい」
「この世は闇ですよ」
 
十一【えいれい】
 
 懐爺がこう述懐をしたことがありました。
「むかしから、金太郎さん桃太郎さんにかぎらず、鬼や怪物退治の、いろいろな英雄がもてはやされてきましたが、はたしてかれらは本当に英雄なんでしょうかねえ」
 ぼくはぼくらしくなく、長く考えてから、こういいました。
「そら、えいゆうじゃ。そういうひとを、えいゆうというんじゃからのう。けんど、えいゆうが、おにやかいぶつより、えらくてりっぱ、ということは、ないのじゃ」
「金ちゃん、それは、どういうことでしょう」
 懐爺は懐爺らしくなく、かたい表情で、ぼくにききました。
 こんどは、ぼくはほとんど考える必要もなく、こういいました。
「どうもこうも、あたりまえじゃ。おたがい、たたかうんじゃからな。おたがい、そうじゃ、かいじいのつかうことばでいうと、おなじ〈じげん〉のものなんじゃ。だから、どっちがえらくて、どっちがりっぱ、なんてこたあ、ないのじゃ」
「そうですか。ということは、もし英雄が立派なら、英雄に退治されたおばけも立派、というわけですね。共に闘った次元の存在として」
「ほんまは、そんなむずかしいことじゃのうて、わしにとっては、おばけもえいゆうも、すきなだけじゃ。ただ、おばけたいじのえいゆうを、おばけよりもえらい、ということにはせんがええのう」
「英雄の意味するところを、変えたほうがいいというわけですか。それならまず辞書の内容を変えなければ」
「じしょなんて、どうでもええ。おもてむきのことじゃからのう。こないだのせんそうなんて、がいこくはみんなおばけで、がいこくじんをたいじする、にほんのへいたいはえいゆう、ということじゃろ。そういうこというやつは、せんそうに、どっちがえらい、どっちがりっぱなんてこたあ、あるわけねえっつうことをしらん、おおばかものじゃのう」
「英雄もおばけも平等、外国人も日本人も平等、というわけですね。それは、金ちゃんが、おばけとつきあうなかでつちかった、思想というか結論ですね」
「そうじゃねえ。かいじいとのつきあいで、つちかったもんじゃ。わしはつちかったなんて、いみはわからんがのう。わしにとって、かいじいはえいゆうじゃが、それは、おばけをたいじするからじゃ。けんど、おばけをたいじするかいじいは、おばけとおなじ〈じげん〉なんじゃ。だから、わしがかいじいをえらいとおもっとるんは、えいゆうだからじゃのうて、わしのしりたいこと、なんでもしっとるからで、だからだいすきなんじゃ」
 このぼくの台詞が効いたらしく、懐爺の目に泪が浮かんでいました。
「ところで金ちゃんは、英雄のおばけをごぞんじですか」
 落ちついてから懐爺がききました。
「しらいでか。むらのみんながいうとる。せんそうでしんだ、へいたいじゃ。【えいれい】いうとる。【えいれい】の〈れい〉は、ゆうれいの〈れい〉じゃろ」
「たしかに英霊の霊は幽霊の霊ですが、英霊をおばけだなんていうと、叱られますよ」
「だれがしかるんじゃ」
「それはその、まずは英霊の親族にですよ。例えばですよ、自分の兄弟が戦争で亡くなっておばけになったといわれたら、不愉快でしょう」
「わからんのう。おばけは、ふゆかいなんか。わしにとっては、ゆかいじゃがのう」
 ぼくは不愉快でした。
「金ちゃんは特別であって、特別ではない普通の人びとは、金ちゃんとは違うんです」
「そうかい。【えいれい】がもしおばけじゃないなら、わしにはかんけいないのう」
「そんな冷たいことをいってはいけません。わたしたちに関係のない人間なんていません。ましてや、わたしたちの国の人が戦争で亡くなっているんですから、おおいに関係があるんですよ」
 懐爺は優しい目をむけていいました。
 ぼくはわるいことをいってしまったと反省しました。
 それでもぼくの口からでてきた言葉は、反省のそれではありませんでした。
「かいじい、よくきけ。わしは【えいれい】がおばけじゃないのなら、【えいれい】にきょうみはない、といいたいんじゃ。【えいれい】にたいして、つめたいきもちなんか、あるわけないぞ。せんそうでしんだひとは、へいたいであっても、へいたいじゃなくても、みんなあわれなのじゃからのう。だがのう、かいじい、よくきけ。もしも、【えいれい】がおばけなら、おばけになってでてくるんじゃったら、おお、おおあわれじゃ。その、おおあわれの【えいれい】なら、わしにとっては、おおいにかんけいありなのじゃ。あいつもこいつも、かんけいあるなんて、ごまかしじゃ」
「恐れ入りました。金ちゃんは【えいれい】を、どうしてもおばけにしたいという口ぶりですねえ」
 懐爺はちっとも恐れ入ってない口ぶりでした。
「かいじいこそ、ほんまはおばけの【えいれい】を、おばけじゃなくしたいみたいじゃのう」
「わたしにいわせれば【えいれい】は、おばけとかおばけでないとか、そういうことをいう対象ではないんですよ。金ちゃんにはいままでいっていませんでしたが、【えいれい】のなかに、わたしの遠い親戚や年少の友達が何人もいますんでねえ」
「それは、すまんだったのう。けんど、わしにいわせればじゃ、【えいれい】をとくべつあつかいするんは、【えいれい】にたいして、ぎゃくにしつれいじゃないのかのう」
 まだまだ話は続きました。
 とっぷりと日が暮れて、懐爺とぼくの大きな声が、辺りに響いていました。
 たぶんその声につられて、茂みのなかから、醜い蝦蟇(がま)がやってきました。
「蝦蟇君がきましたね。彼はわたしの夜の友達です。金ちゃん、どうぞよろしく」
 ぼくはやきもちをやいて、黙ったまま帰ったのでした。
 
十二【おいがかり】
 
 ぼくはよく、夜中におつかいを、たのまれたものです。
 夜中におつかいをたのむ親なんか、いまの時代にはいないでしょう。 が、あのころの親は、夜中であれ何であれ、こどもにおつかいをたのんだものです。
 ぼくは、いつも悪さをするこどもでしたから、悪さをした夜は、おつかいをたのまれることを覚悟していました。
 村のこどもたちは、悪さをすると、かならず折檻(せっかん)されたものですが、ぼくの母親は、折檻だけでは気が済まなかったのです。
 それでたびたび、おばけに遭遇することになるのです。
 街灯もない、月の光と狐火だけがたよりの夜道を歩いていると、うしろからおそってくる気がする。
 気がするだけではなく、ほんのたまにおそってくる。
 ぼくは、うしろから手をおさえつけられる。
 その手は、手というほど‚ゥわいらしいものではない。
 〈手〉を百くらい、くくった漢字があるとしたなら、それです。
 ぼくが強く握りしめている、おつかいの百円が、ほしいのだろう。
 わざと、ぼくは手をひらく。
 百円が、地面におちる音がする。
 そしてぼくは解放される。
 いくらさがしても、百円はみつからない。
 ぼくは、母親への言いわけをかんがえたものですが、どうせ母親は、ぼくのいうことなんかききません。
 百円は、家計にとって小さくはない。
 そういうときは、翌朝の食卓には何もでません。
 これは折檻よりも辛い。
 ぼくは水だけを飲んで、学校にいったのです。
 帰りに、懐爺のところによりました。
「あいつはおばけじゃなく、かっぱらいじゃろ」
 ぼくは懐爺にききました。
「かっぱらいなら、そんな面倒なことをしませんよ。刀かなんかつきつけて、金ちゃんをおどして、金をだせってやりますよ」
「だば、やっぱしおばけか」
 ぼくは納得しました。
「【おいがかり】というおばけです。その仲間で【かぶせ】といって、毛布や布団をかぶせてくるおばけもいますよ」
「おそろしいのう」
 ぼくは‚モるえました。
「でも金ちゃんは男の子だから、【おいがかり】は、かぶせたりはしません。もし女の子なら、【おいがかり】は、かぶせてお金よりも大事なものをうばいます」
「それは、なんじゃい」
「金ちゃんがおとなになったら、わかります」
 懐爺は、真面目くさった顔でいいました。
「だば、そんなこといわんでええ」
 こどもだけれども、ぼくにはわかっていました。
「そろそろ【おいがかり】がでる時刻ですよ。【おいがかり】がでなくとも【べとべとさん】がでるかもしれません。うしろで足音がしたら、きっと【べとべとさん】ですから、そのばあいは、べとべとさん先へおこし、というんですよ。そうすると足音は消えますから。さあ帰らないといけません。もうれつに走って帰れば、【おいがかり】も【べとべとさん】も、でてはきませんよ」
 たしかに、黄昏が終わって、闇がおりてきている。
「ほんまじゃ、さいなら」
 ぼくは家へ向かって、いちもくさんに走りました。
 
十三【おおくび】
 
 それは真夜中のことでした。
 どういうわけか眠れないので、縁側からまんまるのお月さまを眺めていると、お月さまの近くに何やらまるいものがある。
 お月さまは黄色いけれども、それは上半分白くて下半分赤い。
 じっと眺めていると、だんだん近づいてくる気がします。
 どうやら赤いのは口で、口がやけに大きい女の首でした。
 眼の錯角かとおもって何度もこすったけれども、やっぱり女の首で、よく見ると黒い髪の毛が無造作に生えています。
 恐ろしいというよりも、どうしてこんなものが宙に浮いているのか、不思議でした。
 そのうち、赤い口をかっかとひらきます。
 ぼくに、こわがれといってるかんじの開き方なので、ぼくはこわがりました。
 でもこんな時間に懐爺のところへはいけません。
 それはとにかく大きな首で、近づくとふつうの顔の百倍はあります。
 月光に照らされてぬらぬらとひかる赤い口に、ぼくは呑み込まれるかとおもいました。
 赤い口からはよだれが滴り落ちているのですから。
 ぼくはこの大きな首に、【おおくび】と名付けました。
 懐爺でもそういうだろうとおもいました。
【おおくび】はぼくの前で何かいいたそうにします。
 きっと生前よほどひどい目にあったのでしょう。
 ほんとうにうらみがましい眼をしています。
 そこでぼくから声をかけます。
 そう恐ろしくかんじてはいないはずなのに、声がふるえます。
「おまえはだれじゃ」
【おおくび】はこたえます。
「あたしはあたし」
「あたしじゃわからん」
「あたしはあたしなの」
「ふん」
 とぼくは鼻をならしました。
 それからこうききました。
「どうしてわしのとこにでてきたんじゃ」
「だって、そろそろでしょ」
「なにがそろそろじゃ」
 たしかにそろそろじゃわからない。
 そろそろ死んでしまうのか、そろそろおばけになってしまうのか。
【おおくび】は妙な笑い声をたてます。
 うおっほほとほと
 まはまはまんまん
 いっひいいんいん
 あはあはあなあな
 それから飛んで、お月さまのほうへ飛んで、消えてしまいました。
 翌日懐爺にききました。
「それはたしかに【おおくび】ですね」
「あたったかのう。そ‚黷ナあれはなんなんじゃ」
 懐爺はじつにいいにくそうにしながら、
「まあいいでしょう。金ちゃんにもいずれはわかることです。【おおくび】は女のあそこのおばけです」
「あそこたあなんじゃ」
「あそこはあそこです」
「【おおくび】とおんなじいいかたじゃのう」
「まあ、その、しかし、あの」
「はっきりせいや」
「こんどいいますね。今日はかんべんしてください」
「かんべんならんのう」
 そういったけれども、いくらぼくだって、〈女のあそこ〉くらいは、どういうものだか解っていました。
 ところでぼくが、おとなになっても女嫌いなのは、こどものころ【おおくび】を見てしまったからにちがいありません。
 
十四【おとろし】
 
 うららかな春の午後、村のこどもが一人殺されたことがありました。
 神社の境内で、死んでいたとのこと。
 頭が、われていたとのこと。
 われた頭から、脳味噌が飛びでていたとのこと。
 その脳味噌を、無数の蟻と無数の蠅がくっていたとのこと。
 小さな村なのに、ぼくはそのこどもの名前も顔もしりませんでした。
 そんなはずはないとおもいながら、なぜだか何もしらないことが、よけいににおそろしかったものです。
 知らないこどもでも、助けられるものなら助けたかったと、心からおもいました。
 村の大人たちは、こぞって、
「【おとろし】のたたりじゃ、【おとろし】に殺されたんじゃ」
 という。
【おとろし】という名前が、またおそろしい。
 ぼくはさっそく、懐爺のところに走りました。
「【おとろし】たあ、なんじゃ」
 ぼくは息をきらせながら、ききました。
「【おとろし】は、神様を守る妖怪で、神社に住みつくおばけです。こどもなんかが、神社でいたずらしたりすると、上からいっきに落ちてきて、殺してしまうんです」
 懐爺は、身振り手振りですぐに答えてくれたが、またすぐにきいてきました。
「もしかして、村のこどもが殺されたんじゃないでしょうね」
「そのもしかしてじゃ」
「さいきん、神社でいたずらするこどもが多いときいていましたから、わたしは心配していたんですよ」
「こどものいたずらくらい、かみさまならおおめにみろや」
 ぼくは、自分の弁解もふくめて、いいました。
「そのとおりです。でも神様は、老若男女の差別をしません」
「ほんとにころされたんだか。やねのかわらとかが、あたまさ、おっこちてきたんかも」
「それがそうだとしても、それも神様を守るために【おとろし」がやったことなんです」
「かみさまも、ひとをころすんか」
 ぼくは疑問をぶつけました。
「ひとを生かすも殺すも、神様のおぼしめしですよ」
 ぼくは納得した、気になりました。
「およそおばけというものは、偉大なものです。きわめてすぐれた能力のある人間を、よくおばけというでしょう」
「いういう。かいじいなんかも、おばけいわれとる」
「それは能力があるからではなく、ただ気味悪いからです」
 懐爺は、わざとうなだれてみせました。
 心も、うなだれているはずです。
 ぼくは、いうんじゃなかったとおもいました。
 それで自分なりに、ごまかしました。
 ぼくはききます。
「かみさまとおばけは、どうちがうんじゃ」
「神様はおばけじゃないけど、おばけには神様のおばけもいますよ。神様になりそこなったら、おばけになるということかもしれません。【はんぴどん】などはその代表で、いわば半人前の神様でしょうか」
「はんにんまえじゃ、たよりないのう」
「そのたよりなさが、またいいのかもしれませんよ。神様というとおそれおおいけれども、半人前なら、なんとなく親しみもあっておつきあいしやすいものです」
「つきあいたくないのう」
 ぼくは、本心ではないことをいいました。
「金ちゃんは優等生だから、そんなこというのです」
「こんなゆうとうせいは、おらん」
「金ちゃんも大人になって挫折でもしたら、【はんぴどん】の癒しの魅力がわかるはずです」
「ざせつ、たあ、なんじゃ」
 ぼくはききました。
「挫折ですか。自分の心の中に突然変異で発生したおばけでしょうか」
 懐爺は、むずかしいことをいいました。
 ぼくには、まったくわからない。
(十年後に挫折するまでは)
 
十五【おにどくろ】
 
「髑髏(どくろ)が最近出没して金玉が縮む」
 と村のŽ痰「もんがいうので、懐爺のところへいってきいてみました。
「どこがおそろしいんじゃい」
「それは【おにどくろ】といって、たしかにおそろしいものです」
「おにのどくろかい」
「はい。鬼が死ぬに死ねず、髑髏のおばけになったものですから、鬼のおそろしさと髑髏のおそろしさが合体してます」
「ふん。いちかけるいちは、いちじゃろ」
「かけないでたしてください。いちたすいちはにです」
 懐爺は指を二本出しました。
「その【おにどくろ】に、なんとかあえないもんかのう」
 ぼくは頼んでみました。
「会えません」
 懐爺は、断固としていいました。
「あわせろや」
「会わせられません」
「なんとかせいや」
「何ともなりません」
「そこをなんとかできんかのう」
「山田さんも川田さんも原田さんも、【おにどくろ】退治に行って、逆に【おにどくろ】に食われてしまったんですよ。それでその三人もいまは新しい【おにどくろ】になって、獲物を探しています」
「わしはくわれるまえに、ともだちになる」
「ともだちがいないから【おにどくろ】になってしまったんで、ともだちができる性格なら【おにどくろ】なんかにはなりません」
「そういうもんかのう」
「金ちゃんは、命が惜しくはないんですか」
「いのちよりも、おばけじゃ」
「なるほど。金ちゃんは死んでおばけになりたいんですね」
「ばれたかのう」
「残念ですが、金ちゃんは死んでもおばけにはなれませんよ」
「どうしてじゃい」
「どうもこうも、金ちゃんは此の世の人間に恨みなんかもっていないでしょう。此の世の人間をいじめる気なんかないでしょう」
「うらみはないけんど、しんだらうらみがでる。いじめるきはないけんど、しんだらいじめたくなる」
「困った性格ですね」
 懐爺は頭をかかえました。
 何となく形勢有利とおもえてきました。
「あわせるんじゃな」
「わたしはおばけの紹介人ではありません。それに」
「それに、なんじゃ」
「金ちゃんが【おにどくろ】にぺろりぺろりん、むしゃりむしゃりんと食われてしまったら、わたしは寂しくて生きてはいけません」
 懐爺は、【おにどくろ】が人を食べる様子を実演してくれました。
 ぺろりぺろりんこ
 むしゃむしゃりん
 ぐじゅりぐじゅん
 がつんがつがつん
 ぐぐいぐぐんんぐ
 むぐうむぐんんぐ
 その様子を見ていると、【おにどくろ】に食われるのだけは、死ぬよりも嫌だとおもわれました。
 それと、寂しくて生きてはいけないといってくれた懐爺のために、死にたくないとおもいました。
 それでぼくは、【おにどくろ】に会うことができなかったのです。
 
十六【おばけじぞう】
 
 包丁を手にした母親に追い回されたので、懐爺のところまで逃げていきました。
「おばけは、いくらでもおるのう」
 べつだん母親のことをいったのでもなく、懐爺にいいました。
 つづけて、こうききました。
「おばけのせかいは、ひろいのう、たのしいのう、こわいのう、おそろしいのう。さても、なぜにこう、ひろいんじゃろうか」
 懐爺は答を用意していたのかもしれません。
 ぼくの問いが終わる前から口を開きます。
「人間の世界が広ければ広いほど、おばけの世界も広いのです。人間の世界が深ければ深いほど、おばけの世界も深いんです」
「それは、なぜかのう」
「はい。人間に頭があるから、角のある鬼が生まれます。人間に髪があるから、蛇のおばけが発生します。人間に足があるから、足のない幽霊が出てきます。人間に美醜があるから、美しいおばけや醜いおばけが登場します。(こらあ、ながくなりそうじゃ、とぼくはおもいます)人間に火や水や木や土が必要ですから、火のおばけ水のおばけ木のおばけ土のおばけが出没します。人間に」
「もうええ。にんげんは、じじいや、ばばあになるから、【こなきじじい】や、【あかまんば】がおるんじゃろ」
「はあ、まあ」
「にんげんは、むやみに、じぞうをつくるから、【おばけじぞう】がいるんじゃな」
「はあ、まあ」
「そうじゃ、かいじい。わしは、【おばけじぞう】のはなしをききたいのう。なぜかというに、わしは、じぞうがすきだからじゃ。それに【おばけじぞう】いうたら、でっかいというはなしじゃからのう。じぞうがだいぶつに、なっちまわないか、しんぱいでのう」
「はあ、まあ」
「はあ、まあ、じゃねえ。さっさとはなさんかい」
「なんか、やくざにおどかされているきぶん。金ちゃんこのごろ、口がわるくなってやしませんか。【おばけじぞう】の話などよりも、お地蔵さんに、口をなおしてもらったほうがいいですよ」
 懐爺に叱られたのは久しぶり、というか、初めてかもしれない。
「すまんのう。わしはおばけのはなしになると、くちがおかしくなるんじゃ。だども、あたまはおかしくないからのう」
「それはわかっています。でも金ちゃん、わたしは、老婆心(ろうばしん)ながら、この世からおばけがいなくなった時代の、金ちゃんを心配するのです」
「そらあ、わしもしんぱいじゃのう」
 懐爺に合わせてそういいましたが、ぼくは心配なんかしていません。
 いざとなったら、自分でおばけを作り出せばいい、とおもっていたからです。
「村はずれに酒屋さんがありますよね。あそこにいつもお酒を買いにくる美女がいましてね。酒屋さんのあるじの酒井さんが、気になって気になってしかたがない。それである夜に後をつけましたらね、地蔵さんの裏でふいに消えてしまいました。何度後をつけても、地蔵さんの裏で消える。さて、どうしてでしょう」
「そらあ、そのびじょが、じぞうさんだったからじゃ」
「いい線いっていますね。でも実は、その美女は、お寺の住職さんの、隠し妻だったということです。その地蔵さんの足元に、お寺まで続く穴があったというわけです」
「つまらん、はなしじゃのう。【おばけじぞう】と、なんのかんけいがあるんじゃ」
「まあその、坊さんが、奥さんもったり、お酒のんだり、まあその、好まれなかった時代、戦前の話ですが、お地蔵さんが、助けたという、つまりその」
「そいつは、【おばけじぞう】じゃのうて、【おたすけじぞう】じゃろう」
「すいませんねえ。このごろわたしは、耳が遠くなってしまって」
「べんかいは、いらん。かいじいに、にあわん。そんなひまあったら、さっさとはなさんかい」
「すいません、やくざの金ちゃん。さてと、あのその、これも戦前の、もしかすると江戸時代の話なんですが」
 と、懐爺が語る【おばけじぞう】の話はこういうことです。
 権八(ごんぱち)という、悪名高き強盗がいて、その権八がこの村に流れてきた。
 ある夕刻、躑躅峠(つつじとうげ)で、人を殺して財布を奪って、ふと気配をかんじて、ふりかえるとお地蔵さん。
「おい、くそ地蔵、見たな」
 権八がお地蔵さんにむかっていうと、
「見た見た、見たがわるいか」
 とお地蔵さんがいった。
 権八すこしも驚かず、
「見たはゆるす。だが喋ったらゆるさん」
 嚇(おど)した。
 するとお地蔵さんは、
「おれは喋らん。おまえが喋る」
 といったものだ。 
「くそ地蔵め。なにをほざくか」
 権八は莫迦にしたが、数日して、大酒のんで酔っぱらった権八は、みんなの前で自分のいままでの悪業(あくぎょう)を、自慢たらたらにかたっぱしから喋ってしまった。
 後悔してもおそい。
 権八は捕まって、股裂きの刑に処せられた。
 このときのお地蔵さんを【おばけじぞう】とよんで、みんなは怖れ、かつ敬った。
「なんじゃ。【おばけじぞう】は、でっかいじぞうじゃないんか。しゃべるじぞうなんか」
 ぼくがつまらなそうにいうと、
「躑躅峠にいまもある、あのお地蔵さんが【おばけじぞう】です。先日は、金ちゃんのことを、あれこれ喋っていました」
 おしゃべり地蔵め。
 【おばけじぞう】よりも、【おしゃべりじぞう】という名のほうが、似合うんじゃないか。
 小学校の井戸に小便したことか、村長さんの家の庭でうんこしたことか、隣のお姉さんの入浴を覗き見したことか、それとも。
 ぼくがいくらきいても、懐爺は笑って教えてくれませんでした。
 あれはぜんぶ、たまたまだ。
 いくら弁解しても信じてもらえないだろうが。
 
十七【かいごん】
 
 ぼくの家の隣の隣は、鬼兵さんの家です。
 隣の隣とはいえ、すくなくとも五百米は離れているのですが。
 鬼兵さんの家は、ぼくの家とどっこいどっこいのあばらやです。
 名前はこわいですが、鬼兵さんは昔から優しいから、村びとたちに、
「仏の鬼やん」
 と呼ばれていました。
 独身で一人住まいで、仕事は何十年も修繕屋をやっていました。
 傘や靴から鍬(くわ)やこたつまで、とても安い値段で、なおせるものはなんでもなおすということでした。
 この鬼やんが八十歳を越えたときに、脳硬塞(のうこうそく)で倒れて命は取り留めたものの、右手と右足がまったく動かなくなりました。
 みな心配していたが、あるとき隣村から若い姪がやってきました。
「あれは姪じゃのうて、鬼やんのお手付きの女じゃ」
 と村びとはいいますが、ぼくはやっぱり姪だとかんがえていました。
 なぜなら鬼やんはぼくよりも女嫌いで、そのことをぼくだけは知っていたからでした。
 それでも親切な姪の世話は、ありがたがって素直に受けていました。
 半年くらい経つと、鬼やんの家から鬼やんの叫び声やうなり声が、たびたび聞こえるようになります。
 いくら離れていても、ぼくの村の場合は、風が運んでくるのです。
 だから三百米くらいなら、おちゃのこさいさいです。
「あれはなんじゃ」
 ぼくは母親にききました。
「あれは鬼やんの声だよ」
「そんなことはわかっちょる。あれはどうしたわけなんじゃ」
「鬼やんが姪にやられてるのさ」
 母親は面倒臭そうにこたえました。
「なにをやられとるんじゃ」
「あれこれ、ひどい目にあっているんだよ」
「あれこれじゃわからん」
「想像してみなさいよ」
 母親はいいたくないという表情でした。
「だって、めんどうみとるんじゃないのか」
「めんどうみるってことは、ひどい目にあわせるってことなのさ」
 そいつはしらなんだ。
「まるで、おばけとおなじやりかたじゃのう」
「村のみなは、姪のことを【かいごん】とよんでこわがっているよ」
 母親もこわがっている様子でした。
「だから、とめないのかい」
「それしたら、【かいごん】に、鬼やんと同じ目にあわされるからね」
「そらあ、たまらんのう」
 ぼくは懐爺のところへ行き、【かいごん】のことをききました。
「【かいごん】というおばけは、新しいというか、戦後はじめて登場したおばけですね。戦前は親や年寄りの面倒を見たり世話をするのは、当たり前のことで、女の人は黙々とそういう仕事をやってきたのです。けれども今は女の人が強いですからね、面倒を見たり世話をしてもいいけど、見返りがほしいって人が大半になってきました。その見返りがないらしいと判ると、【かいごん】に豹変してしまうんですね。年寄り受難の時代ですよ」
 見返りとは、金銭のことだとぼくはかんじました。
 となると、戦後も現代も同じというわけです。
「そういうの、しごとにしとるひと、おらんのか」
「いくらかはおるんですよ。おるんですが、仕事が報酬と釣り合わないと、つまりお給料が安いと感じてしまうと、やはりおそろしい【かいごん】に豹変します」
「おにやんのところの、めいは【かいごん】じゃな」
「そういうことになります。早く【かいごん】を退治しないと、鬼やんは殺されてしまいますよ」
「どうやって、たいじするんかのう」
 懐爺はしばし腕組みをしていましたが、
「むずかしいのは【かいごん】を追い出すと、鬼やんの面倒を見るひとがいなくなります。鬼やんは姥捨山(うばすてやま)に行かなければなりません」
「どうすりゃいいかのう」
「いま薬を調合しますから、それを何とか鬼やんと【かいごん】に飲ませてください」
「わしにやれるかのう」
 こんどはぼくが腕組みをしていると、懐爺は祠の奥に消え、しばらくしてもどってきました。
 ぼくは懐爺から二種類の薬を受け取りました。
「いいですか。黒い器が鬼やんのもの、赤い器が【かいごん】のもの。おまちがえのないように」
 まちがえるなといわれると、かえって緊張する。
「くろは、おにやん、あかは、【かいごん】。あかは、あかおに、くろは、はらぐろ。いんや、たぶん、ぎゃくじゃ。くろうするな、あかんあかん」 
 つぶやきながらぼくは、鬼やんの家に行き、
「えらいおいしゃさんにもらったくすりじゃ。これをのまんとばちがあたるぞ」
 といって、ふたりに渡しました。
 何のばちかはいわなかったが、ふたりにはわかっている様子でした。
 けれどもどういうわけか(いや、たぶんぼくがまちがえたために)鬼やんは赤い器を【かいごん】は黒い器のくすりをのんでしまいました。
 すると翌日から、鬼やんの叫び声やうなり声が、まったくきこえなくなりました。
 数日して、こっそり鬼やんの家の中をのぞいてみると、鬼やんと【かいごん】が仲よさそうに食事をしていました
 また数日して、鬼やんは【かいごん】(いや、姪)の助けを借りて修繕屋を再開しました。
(こうしてふたりはちちくりあって、末永く暮らしました)
 あとで懐爺にきくと、
「黒い器は精力剤、赤い器は媚薬(びやく)です」
 精力剤は何となくわかったものの、媚薬のほうはおとなになるまでわかりませんでした。
 どちらにしろ、まちがえてよかったんだとぼくはおもいました。 
 
十八【がしゃどくろ】
 
 またやはり、うららかな春の、午後の話。
 村の大人たちが、役場の前に集まって、さかんに、
「かい爺が躑躅峠(つつじとうげ)で、野たれ死にしているぞい」
 という。
 それなら遺体を引きとりにいけばいいのに、誰も動こうとはしない。
 喜んでいる者はいないが、悲しんでいる者もいない。 
「そのままにしておくと、山犬や大鴉(おおがらす)にくわれて、【がしゃどくろ】になっちまうで」
 なんていう者もいたし、
「【がしゃどくろ】になられたら、村の一大事だのう。村長が死ぬよりてえへんだ」
 なんていう者もいたし、
「【がしゃどころ】になる前に、骨まで焼いてしまわんと」
 なんていう者もいたけれど、やはり誰も動かない。
 どうせ近づいて、呼吸や脈を、たしかめているはずがない。
 だからぼくは、死んでいるとはかぎらないとおもったので、乾燥芋と水を持って躑躅峠まで走りました。
 峠の入口で、髑髏(されこうべ)をみました。
 これが【がしゃどくろ】か、とおもいました。
 懐爺が【がしゃどくろ】になったのか、とかんがえると、それほどこわくはなかったものです。
 【がしゃどくろ】に、
「かいじい」
 と、よびかけました。
 すると、衣ŽC(きぬずれ)に似た音といっしょに、髑髏の黒い大きな目から、赤黒い蝮が、つぎつぎに顔をのぞかせたのです。
 その様子は、ところてんをおもわせました。
 ところてんは、もう一生くえない気がしました。 
 さすがに気味が悪くなって、おもわず髑髏を蝮といっしょに、おもいきりけとばしていました。
「かいじい、かいじい」
 ぼくは大声をあげながら、髑髏が転がっていった、紅躑躅がしげる山道をさがしました。
 躑躅のかげに、本物の懐爺がたおれていました。
 ぼくの大声によって、懐爺は半身を起こしました。
 懐爺の顔は、窶(やつ)れて髑髏に近い。
 ぼくは、乾燥芋と水を、懐爺にあげました。
「よかったのう。しんどらんのう」
 ぼくは安心しました。
 号泣もしました。
 それからこんどは、歓喜の大声をあげました。
「金ちゃんがうるさいから、生きかえりましたよ」
 懐爺は乾燥芋をほおばりながら、照れ臭そうに笑いました。
「【がしゃどくろ】にやられたんか。それとも【がしゃどくろ】になったんか」
「どっちでもありません。【がしゃどくろ】は金ちゃんにけとばされて消えてしまったようです。わたしは【かまいたち】にやられたんです」
「いたちの、へくされに、やられたんか」
「【かまいたち】は鼬(いたち)の鎌という話もありますが、これはいわば風のいたずらで、あるいは帯状疱疹(たいじょうほうしん)か。誰に切られたわけでもないのに、気がつくと切り傷ができているんです。いずれにしても、【かまいたち】もおばけの仲間でしょうね。いたちの屁のほうがましです」
 懐爺が身にまとった襤褸(ぼろ)をめくると、そこかしこに切り傷があって、そのうちの一カ所からは、まだ躑躅色の血がにじみでている。
「いたいじゃろ」
 ぼくは、自分の唾をなすりつけました。
「出血多量で、貧血をおこしたんですよ。わたしは痛みなんかかんじない人間ですから、ご心配なく」
 懐爺の笑顔をみつめながらぼくは、懐爺が死ななくて本当に良かったとおもいました。
 まちがいなくそのころのぼくは、懐爺が死ぬことは自分が死ぬことよりもいやなのでした。
 そうそう、いまだからかんじることなのですが〈躑躅〉の漢字と〈髑髏〉の漢字は、どうしてこんなに似ているのでしょう。 
 
十九【かにくいおんな】
 
 【かにくいおんな】のことは、懐爺からきいたことがありました。
 べつだん、人間に害を加えるおばけでもないから、そのころはすっかりわすれていました。
 しかしかんがえてみると、【かにくいおんな】がおばけではなくて、女を蟹のおばけにしてしまう、蟹のほうがおばけなのかもしれない。
 ある日、村の祭りがあって、いつまでもにぎやかさが消えない夜。
 村祭りは、こどもの天国でした。
 夕方になると、家に帰れ、夜になると、早く寝ろ、といわれつづけているこどもたちも、村祭りの日だけは、夕方でも夜でも真夜中でも何もいわれないのですから。
 真夜中近くになって、村長の屋敷でごちそうがでるというので、ぼくもいきました。
 母親が下痢をしていたので、ぼく一人でいきました。
 村長の屋敷の大広間に、いくつも食卓が並べられ、卓上にはごちそうが並べられてます。
 この日だけは老若男女誰でも平等に、金持ちも貧乏人も区別なく長がつく人も平の人も関係なく、勝手にたべることができます。
 いつもなら百叩きにあうところですが。
 鰻、天ぷら、寿司、刺身、煮魚、焼き魚、野菜の煮物、季節の果物、あれもこれも並んだ中で、毎年の人気は蟹でした。
 蟹といっても、この村では、ずわい蟹やわたり蟹など、立派な蟹はと‚黷ネいから沢蟹です。
 沢蟹をまるごと油で揚げたやつが、どの食卓でも器に大盛りになっています。
 じつはぼくも、この沢蟹がおめあてでした。
 誰もがお客さんだから、遠慮はいらないのでした。
 ところがこの日は、大変な客がいました。
 こどものぼくがみても、お年ごろの美女で、たしか今年、町から引っ越してきた、英語の教師の娘さんでした。
 英語の教師は、外国人でその奥さんは日本人だから、十七、八の娘さんは、混血児でした。
 あまりにきれいな淑女なので、誰だってそばに近寄りがたい。
 それをいいことに、娘さんは卓上の沢蟹を、次々と口に放り込んでいます。
 まだ口の中にいっぱいあるのに、もう口に入れる。
 すごいいきおいで卓上の蟹を平らげると、ほかの食卓に移って、また蟹をたべはじめる。
 そのいきおいのすごいこと、村長の愛犬だってかないません。
 蟹が残ったら、村長の愛犬のものになるのだけれども、このぶんでは今年は、愛犬も蟹にありつけそうにない。
 ほかの者が蟹に手をつけようと、箸を突きだすと、娘さんはその箸を真っ二つに、折ってしまう。
 それで愛くるしい笑顔でほほえまれては、誰も文句はつけられない。
 娘さんは、そのうち自分の箸も真っ二つにして、素手で蟹をつかみはじめます。、
 その有様をぼくがどうみていたのか、いまでもよくおもいだせない。
 あの娘さんは、たぶん手品かなんかやっていて、蟹は本当はあの大きな胸のふくらみの、どこかに隠されているのではないか。
 そんなことをかんじたのだけは、おぼえています。
 とにかく、食卓上の蟹という蟹は、ぜんぶなくなり、娘さんは何とかとつぶやいて、隣の部屋にいきました。
 何といったのだったか、それもはっきりしないけれども、
「もっと蟹を」
 だったか、
「蟹はもうないの」
 だったか。
 だからもしかすると、隣にいったのは、蟹を探しにいったのかもしれないのです。
 たぶんぼくは、そう察したのでしょう、少し間を置いて、ぼくも蟹のおこぼれにあずかれるかもしれないと、隣をのぞいてみたのでした。
 そこに、娘さんはいない。
 そこには、消防自動車くらいの、巨大な赤い蟹がいて、巨大な鋏を器用につかい、ものすごい形相(ぎょうそう)で、沢蟹をたべているのでした。
 【かにくいおんな】だ。
 ぼくは頭の中だけでさけび腰をぬかし、それでもはってにげました。
 【かにくいおんな】は、ぼくを追いかけてはきませんでした。
 幸運にもぼくは、蟹ではなかったから。
 
二十【かめれおんまん】
 
 町から、二枚目の青年がきたときのこと。
 村から町にいく者はけっこういるが、町からくるとはめずらしい。
 めずらしいのは、それだけではありません。
 この青年は、みかけるたびに、ちがう色のかっこうをしている。
 昨日は、上から下まで黄色ずくめ。
 あざやかな黄色だから、うんこの色とはちがう。
 今日は、全身真っ赤っか。
 牛そっくりの体だから、まるで赤べこ。
 明日は、きっと緑色で、森の中に入ったら見分けがつかないだろう。
 村の若者は、みんな茶色とか灰色とかの服だから、すごく目立つ。
 村の若い女たちが、嬌声をあげてさわいでいる。
 なるほど、これからはこれだな、これでないともてないのだな。
 ぼくは感心し、その青年とともだちになりたかったのです。
 そばに近寄ると、舌をだす。
 るる
 る
 るるる
 る
 それが、かわいいというか、おそろしいというか。
 ぼくにとっては、おそろしいもかわいいの内だから、何とかともだちになりたい。
 けれども懐爺が、邪魔をしました。
「金ちゃん、あれは【かめれおんまん】ですよ。千変万化(せんぺんばんか)のおばけですよ。といっても色だけですがね」
「おばけかい」
 ぼくはおどろきでした。
 青年は、何も害を加えていない。
「【かめれおんまん】は存在そのものが害なのです。ああして、若い女の気をひいてだますのです」
「かいじいの、やきもちじゃろ」
 そうぼくがいってみると、
「僕はやきもちなんかやいたことがありません」
 懐爺は、むきになりました。
 ぼくは、話をかえることにしました。
「【かめれおんまん】め、まんたあ、いやらしいのう」
「まんは、英語でおとこという意味です」
「そんなら【かめれおんおとこ】としたほうがいいのう」
「なんとかおとこ、というおばけは多いですから。たまには、まんもよろしいでしょう」
 懐爺のいうことは、何となくいいかげんでした。
 それでもあの青年には、〈おとこ〉よりも〈まん〉が似あう。 
「【かめれおんまん】を、たいじするんか」
 懐爺は、なやんだ顔になりました。
「退治しないと【こうもりおとこ】に変身しますからね」
「【こうもりおとこ】たあ、なんじゃ」
 どうして【こうもりまん】じゃないのか、わからない。
「【かめれおんまん】なら退治しなくとも、いずれ自滅(じめつ)するでしょうが、【こうもりおとこ】に変身すると、こんどは男に害をあたえますからね」
「【こうもりおとこ】も、そんざいそのものが、がいなのかい」
 存在そのもの、なんて意味は、とうぜんわからない。
「説明がむずかしいですよね」
 懐爺はいいました。
 むずかしいというより、面倒臭いという顔でした。
「へんしん、するのかのう」
 そこが問題だ、とおもわれたのです。
「変身の可能性は、三割です」
「そんなら、ほっとけばええじゃろ」
「でもその三割が当たれば、十割というわけですから」
「いみがわからん」
 三割が十割になる意味がわかれば天才。
 だいたい三割打者はいても、十割打者なんかいない。
「とにかく様子をみましょう」
 懐爺はやはり、面倒臭いという顔でした。
 それでも懐爺の判断は、正しかったのです。
 村の若い女たちは、【かめれおんまん】にすぐにあきて、【かめれおんまん】は町に帰りました。
 【こうもりおとこ】に変身する、持ち時間もなかったらしい。
 
二十一【きめんとう】
 
 あるとき、こんなことをきいてみました。
「おばけは、どれくらい、いるんかのう」
 懐爺はかんがえこむふうにしてから、
「〈百鬼夜行(ひゃっきやこう)〉といいましてね、鬼だけで百はいるといわれています。それも、鬼畜、鬼神、鬼面、鬼人、などはまた別です。他にい‚ワおもいつくだけでも、妖怪、妖異、妖気、怪異、怪奇、変化、化身、怪人、怪物、怪獣、幽霊、生霊、死霊、物霊、幽魂、などなどの種類がありますから、それぞれ百としても、二千近くはいますね。ちなみに、わかりにくいおばけのみ説明します。『日本妖怪変化史』の著者、江馬務(えまつとむ)によりますと、幽霊は死んで後、そのうつせみの姿を現して活動するもの、死霊は死んで後、その精霊が仮の姿を見せないで活動するもの、生霊はその人の生存中にその精霊が遊離して活動するものであるそうです。おばけはこれらだけではありません。無化(むけ)、つまり、おばけではないのにおばけとおもいこんだりかんちがいするものもおばけに含むとしたら、一万、いえいえ森羅万象(しんらばんしょう)おばけだらけということになります」
「むけたあ、なんじゃ。おばけでないおばけとは、なんじゃ」
「たとえば金ちゃんが赤ちゃんだったころ、燃え上がる火とか、跳ね上がる水とか、弾け飛ぶ土とか、揺れ動く木とかを初めて見て、言葉は知らずとも、おばけだとおもったことでしょう。たしかに赤ちゃんにとっては、それらは尋常(じんじょう)なものではないから、おばけなんでしょう。そういうことはおとなになってもあるわけでして、本人が、あれはおばけだと言い張ったら、他人は無碍(むげ)に反対はできないものなんでしょうね」
 相変わらず懐爺の話は説得力がある。
「そんじゃ、かいじいにとって、その〈むけ〉というおばけはどういうもんかのう」
 懐爺は何か意味ありげな表情をしつつ、
「正直いってもいいですかね。わたしにとって無化の代表は、金ちゃんですよ」
「わしが、〈むけ〉おばけかい」
 意外だったので大声をだしました。
「はい。おそらく金ちゃんは、わたしのことを無化おばけだとおもっているでしょう。同じ意味で、わたしは金ちゃんのことをそうおもっているんです」
「かいじいとわしは、おばけなかまかい」
 何となく嬉しい気分でした。
 おばけにされることが、ではなく、懐爺と仲間にされたことが、嬉しかったのです。
「理由はいくつもありますが、ひとつだけお伝えしましょう。金ちゃんはいま、わたしと仲間であることを、喜んでくれていますね。そういう金ちゃんが、わたしにとっては、ありがたくありえない、おばけなんですよ」
「〈むけ〉おばけは、じゅんすいなおばけなんじゃのう」
 おもわず呟いたぼくに、懐爺はゆっくりと首をふりました。
「ところがその無化おばけを騙(だま)すおばけがいましてねえ。あえて単純にいいますと、おばけに対して、おばけを悪用するおばけといいましょうか。これも無化おばけですが、おばけのなかで一番たちの悪いおばけでしょうね」
「ややこしいおばけじゃのう。たとえばどんなおばけかのう」
「たとえば、【きとう】というおばけで、これが一番たちが悪い」
「おにのあたまかい。かめのあたまかい」
「祈祷(きとう)というお祈りをするおばけです。無化おばけを見つけると、あんたは恐ろしいおばけに祟(たた)られているよ、そのおばけを、祈祷で退治してあげるから、お金を持ってきなさいよという、詐欺(さぎ)のおばけですよ。霊感商法というものと結びついていて、おばけの風上にもおけないので、おばけの世界から村八分になったおばけですね。こういうと【おんみょうじ】を思い起こすでしょうが、似て非なるものです。この【きとう】は大金を騙し取るためなら、口八丁手八丁でどんなことでもやってくる、しつこいおばけなのです」
「だまされるほうが、わるいんじゃないのかのう」
「何せ、おばけ仲間であることを強調してやってきますから、おばけを信じる無化おばけは、必ず騙されます」
「そんなもんかのう」
「たとえばわたしが、金ちゃんのおばけ仲間であるわたしが、金ちゃんに、あなたは悪いおばけに取り付かれているから、お金をいっぱいもってくれば悪いおばけを退治してあげるよといったら、きっと金ちゃんはお金を持ってくるでしょう」
「それはそうじゃのう。ほかならぬかいじいにいわれてはのう。わしはかねはないから、かねのかわりに、わしがたからものにしている、かぶとむしのおもちゃを、かいじいにあげるとするかのう」
「そうなんですが、【きとう】の姑息(こそく)なところは、甲虫にはちっとも目をつけずに、黄金虫にしか目をつけないということですね」
「ほんじゃ、そんちょうがあぶないのう」
「村長が無化おばけだとしたなら、危ないですね」
「かいじいは、その【きとう】に、あったことがあるんかい」
「あったといいますか、なかったといいますか」
 懐爺は言葉を濁しました。
 ぼくはこのときなぜだか、懐爺のこどものころ、あるいは若いころを知りたくなって、たまらなくなりました。
 それで、また別の日のあるとき、村長さんにこうきいてみました。
 村長さんはこども好きで有名ですから、すこしも遠慮(えんりょ)はしませんでした。
 それでも、村長さんが暇そうに散歩しているところをねらいました。
「かいじい、いや、ほこらのじいの、わかいころをしっとるかのう」
 村長さんは真面目な老人なので、答えるべきか答えぬべきか、悩んでいるふうでした。
 こどもにもわかる表情でしたので、
「しらんならええ。けどもし、しっとるなら、おしえてもいいことだけを、おしえてくれんかのう」
 そういうと、村長さんの表情が変わりました。
「あのひととは若いころ付き合いがなかったから、噂くらいしかしらんが、それでよければ話してあげようかい」
「それでええ」
 ぼくの心臓がどっくんと鳴りました。
 村長さんは道端の石の上に腰をおろし、静かな口調で話し始めます。
「あのひとは、村では〈ばけもの〉と呼ばれていたな。なぜって、とて‚熾|い顔をしていて、ひどく汚い身なりをしていたもので。そればかりか、いつ勉強しいつ修行したのか、博覧強記(はくらんきょうき)武芸百般(ぶげいひゃっぱん)ということで、そのころの有力者たちは、つまり、村長とか医者とか神主とか僧侶とかだが、あのひとを文武の師匠(ししょう)兼用心棒(ようじんぼう)にしていたもんよ。もちろん、だれもあのひとの腕前を見たことがなかったもんだから、信用していた者はほとんどいなかったな。だから有力者たちは、あのひとの噂に少々の金を出したってことさな。それに〈ばけもの〉がいるところには、いくら悪党でも寄り付かんだろうと考えていた。そして、あの日がきたってわけさ」
 ここで村長さんは大きく息を吸いました。
「わしゃまだ少年だったから、最初から最後まで見ざる聞かざる言わざるでよ、なさけなかったもんだが。よってこれは、あくまでも後からきいた噂ってことで、いいかいな。あの日、寺に山賊(さんぞく)が押し入ってな。【きめんとう】といってな、みんな鬼の面をかぶった、おばけ山賊といわれていた連中。いまの山寺でのうて、あのころはいまの小山になかなか立派な寺があったのよ。その【きめんとう】が、たしか七人といっていたな、連中が住職を殺し、金目のものを盗んで、寺に火をつけた。あのひとはそのとき、神社の用心棒をしていたんだが、火を見てすっ飛んでいった」
 村長さんはここで一息つきました。
「そんで、どうなったのかのう」
 ぼくはせかせた。
「焼け落ちた寺の周りに、七人の【きめんとう】の骸(むくろ)が横たわっていたとよ」
「それは、ほこらのじいにやられたんか」
「目撃者がひとりだけいて、寺にやってきた雲水(うんすい)だったんだが、あのひとは焼け落ちた寺の、焼け焦げた欄干、一本掴むと、それこそ雲水が瞬きしている間に、山賊七人を殴り殺したという」
「それはすごいのう。それはりっぱじゃのう」
 懐爺の若いころなら、そんなことは朝飯前だろうと、ぼくは胸中で喜悦(きえつ)しながらかんがえました。
「たしかにすごいが、りっぱではないな」
「どうしてじゃ」
 ぼくは不満だったが、村長さんの話に耳を傾けました。
「村びとが後かたづけに行ったんだが、【きめんとう】の殺され方を見て、みんな嘔吐(おうと)して気絶(きぜつ)してしまったのよ。脳天をかち割られて脳味噌が吹き出した者、首を叩き飛ばされた者、睾丸と金玉を叩き潰された者、目玉が百米もすっ飛んだ者、手や足がどこに飛んだかわからない者などなど」
「ぼうさんをころしたんじゃから、むくいじゃのう」
 そういうしかなかった。
「そう思う村びとは、まったくいなくってな。というのはまず、住職が金の亡者(もうじゃ)で、檀家にすら評判が悪くてな。その坊さんを殺したからといって、仮に死刑になっても、絞首刑さな。それが、こんな残虐な殺され方はあるまい、というのが、みんなの意見だった」
「〈ばけもの〉が〈おばけ〉をころしたんじゃ、もんだいなかろうに」
「それが、【きめんとう】には、家から追い出され、喰いっぱぐれた、村の三男坊が何人かいて、その兄貴たちも、複雑な思いだったわけよ」
「けいさつは、さいばんは、どうなったんか」
「正当防衛ってやつで、あのひとは罰せられなかったがさ。なにはともあれ、〈七人殺し〉の肩書きが付いていますから、村びとにとって、あのひとに対して、いっそう〈ばけもの〉感が強くなるばかりになったのは、わしゃやむをえない気がするな。それであのひとは、次第次第に、村八分となっていったのよ」
「それからずっと、ほこらかい」
「村八分になったあのひとに、前の前の村長が同情してな。なにもかも失ったあのひとに、祠と生活必需品と幾許(いくばく)かの食費を提供したってわけさ。だがそれも半世紀以上前の話だからね。それからのあのひとがどうしているかは、だれもわからない。わかろうともしない。いえ、聞くところによると、金ちゃんだけはわかってるようだねえ」
 村長さんは慈しむ眼でぼくを見た。
「あたらずとも、とおからずじゃ」
「そうそう、これはずいぶん後になってわかったことですがね、【きめんとう】は【きとう】というおばけでもあって、寺の住職と組んで、多額の金銭を村びとから騙し取っていたとのことでさ。住職がその金を一人占めにしようとしたので、襲いかかったとのことだったな」
 そうか、そうか。
 ぼくは無言でうなづいたものでした。
 
二十二【きょんぽん】
 
 いつからか、ぼくの村は周りの村から、〈おばけ村〉とよばれはじめていて、それはぼくの最大の自慢でした。
「がいこくにも、おば‚ッむらはあるんかのう」
 と懐爺にきくと、
「あるという噂はききますが、なにしろわたしは外国へ行ったことがありませんからねえ」
「でも、あのよへは、いったことあるじゃろ」
 こどもながらに、かまをかけると、
「しかし外国にも、当然おばけはいます」
 と、懐爺はしらばっくれました。
「がいこくのおばけも、みてみたいのう」
 懐爺は乱杭歯(らんぐいば)をむきだしにして笑ってから、おもむろに話しだします。
「西洋で一番こわいのは【きゅうけつき】です。これは人間の生き血を吸います。吸われた人間は、死ぬか自分も【きゅうけつき】になってしまいます。新しいところでは、【ぞんび】もこわい。これもやることは【きゅうけつき】に似ていますが、ちがうのはひどく汚いところで、わたしによく似ています。中国で一番こわいのは、やはり【きょんしー】ですかね。これはこどものおばけで、この村でもたまに出没(しゅつぼつ)します。村のひとたちは【きょんしー】とはいわずに、【きょんぽん】たまに【きょんきょん】とかよんでいますがね」
「【きょんぽん】たあ、かわいらしいなまえじゃのう。ちっともこわくなさそうじゃのう」
「ところが【きょんぽん】は、見かけによらず武術の達人なのです。どんなに強い者が立ち向かっても、こども相手のはずが、おとな相手に赤ちゃんが闘っているかんじで、まったく歯がたちません」
 懐爺は【きょんぽん】が使う武術の真似をしました。
「かいじいでも、だめかい」
「わたしは立ち向かいません」
 そんなはずはないがまあいいか。
「わしは、たちむかいたいのう。ぶじゅつをべんきょうしたいのう」
「金ちゃんは武術をやる必要はありませんよ。ほとんどの武術の根っこにあるのは、〈こわいものしらず〉ということで、そういう人間は武術を習わなくとも、同じ力を有しているのです。金ちゃんはおばけ相手に鍛(きた)えていますから、武術家よりも上じゃないでしょうかねえ」
「そんなら【きょんぽん】とたたかえるかのう」
「戦えます。【きょんぽん】にとって最もおそろしい相手は〈こ‚筲「ものしらず〉なんです。十中八九勝てます。勝てます勝てますとも」
 懐爺は妙にいい張りました。
「ごぶごぶでもいいから、たたかいたいのう」
 というわけで、ぼくは勇んで【きょんぽん】が出没するという山寺へ行きました。
 学校帰りに毎日立ち寄りました。
 勝手に作った歌を歌いながら、【きょんぽん】の出現を待ち続けていました。
 きょんぽんぽん
 きょんきょんぽん
 でてこいでてこい
 でこぽんぽん
 ぽんぽんと
 てのなるほうへ
 やってこい
 ほうらぽんぽん
 きょんぽんぽん
 けれども何日経っても【きょんぽん】には遭えませんでした。
 懐爺は真面目くさって、
「【きょんぽん】は、金ちゃんがこわくてでてこられないのですよ」
 といったけれども、ぼくのために、懐爺がさっさと退治してしまったのだと、ぼくはかんがえたものでした。
 
二十三【ぎゅうじ】
 
 これは巨大なおばけの話。
 話してくれたのは母親です。
 昔々、この村を牛耳(ぎゅうじ)って‚「た牛のおばけがいました。
 大山が頭部で、中山が胴体で、小山が尻尾のおばけでした。
 あるとき、それはそれは美しい、村長の娘の花が、躑躅峠(つつじとうげ)で泣いていました。
「花よ、何故に、泣く」
 通りかかった金太郎がききました。
 母親にいわせると、この金太郎は、ぼくのご先祖さまだそうです。
「【ぎゅうじ】がわたしを嫁にしたいと、明日やってくるのです」
 花はそうこたえました。
「【ぎゅうじ】の嫁なら幸せではないか」
 金太郎がそうききますと、
「化物の嫁が幸せとは、金太郎どのは阿呆ですか」
「阿呆とは失敬な。わしは本音をいうたまでじゃ」
「わたしはかねてより金太郎どのに思いをよせております。わたしが嫁ぐのは金太郎どのをおいて他にはございません」
 花は涙ながらに訴えます。
 金太郎は照れながらも、
「ならば是非もない。いよいよ【ぎゅうじ】を退治する時がきたのう」
 しかし【ぎゅうじ】は巨漢のわりにすばしこく、花は囚(とら)われの身となってしまいました。
 そこで金太郎は、なかよしの熊太郎にまたがり、まさかりを担いで、【ぎゅうじ】退治に行きました。
 巨漢のわりに小心な【ぎゅうじ】は、金太郎の勇ましい姿をかいま見ただけで震えあがり、そのまま硬直してしまいました。
 金太郎は【ぎゅうじ】を、頭部と胴体と尻尾の三つに寸断すると、花を連れて帰りました。
 金太郎と花は夫婦(めおと)になりました。
 めでたしめでたし。
「ほんまかのう。めでたしかのう」
 懐爺にこの話をして、感想を求めると、
「当たらずとも遠からず、です」
 とこたえました。
「つまり、はんぶんはほんとで、はんぶんはうそ、ということかのう」
「いえいえ、これは昔々の話ですから、本当も嘘もありません。ただ、別の言い伝えもあります」
「それは、なんじゃ」
 懐爺はいいにくそうでしたが、重い口をひらきました。
「金ちゃんのご先祖さまの話ですから、金ちゃんには黙っているわけにもいかないでしょう」
「あたりまえじゃ」
「じつは、別の言い伝えというのは、こういう話です。こよなく美しい村長さんの娘の花さんが、【ぎゅうじ】にぞっこんになってしまって、(わしだってぞっこんになるかもしれん、とぼくはおもうのです)村長さんのみならず、村中で反対したのですが、それを押し切って家出をし【ぎゅうじ】のところへ行ってしまいました。そこで 村長さんは金太郎さんに、土下座してまで頼んで、(そんちょうさんが、どげざはせんわな)花さんを取りかえしてくれたら金太郎さんの嫁にすると、かたく約束をしたのでした。かねてより花さんを好いていた金太郎さんは、一つ返事で請け負って、熊太郎にまたがり、まさかりを担いで、【ぎゅうじ】退治にでかけたのです」
「なるほどのう。ちっともかわらんではないか」
「違いますよ。花さんが金太郎さんを好いていたのと、金太郎さんが花さんを好いていたのとでは、大変な違いではありませんか。それにもっと大きく違うのは、花さんは【ぎゅうじ】に囚われの身になったのではなくて、花さんのほうから進んで【ぎゅうじ】のところへ行ったのですから」
「ううむ。わしには、おなじことに、おもえるがのう。おとことおんなの、はなしじゃろ。おとことおんなのはなしは、おたがいさまじゃ」
「どういう意味でしょう」
 おやおや、懐爺はむきになっています。
「たとえばの、かいじい。はなさんはほんまは、【ぎゅうじ】よりも、きんたろうさんを、すいていて、きんたろうさんが、あほで、それにきがつかないので、すねて【ぎゅうじ】のところにいったのかもしれん。それにの、よめにいったおんなは、まんず、だれでもとらわれのみ、みたいなもんじゃからのう」
「それならいいましょう、この話の続きを」
 あらあら、懐爺は益々むきになっています。
「いうてみい」
「金太郎さんの勇姿を見て、【ぎゅうじ】が震えあがって、そのまま硬直したなんてことはなかったのです。大切な奥さんを奪いにきた金太郎さんと、言語を絶する、壮絶で過酷な闘いをして、(ぐたいてきにおしえてほしいのう、とぼくはおもいます)心も骨も砕けて敗れ去ったのです」
「それは、【ぎゅうじ】もあわれじゃのう。けんど、ふるえあがって、こうちょくして、かんたんにたいじされたほうが、もっとずっとあわれじゃのう」
 懐爺はすねたのか、もう何もいいませんでした。
 なぜか、ものおもいに沈んでいるふうにも見えました。
 
二十四【きんかくし】
 
 あるとき、懐爺のほう、からきいてきました。
 ぼくにおばけの話題がなにもないときは、きまって懐爺から声をかけてくれたものです。 
「金ちゃんばかり、どうしておばけに遭遇するか、わかりますか」
「わからいでか」
 ぼくは強がりでいいました。
「なら、いってみてください」
 懐爺は笑いました。
「わしが、おばけをすきだからじゃ」
「残念でした」
「おばけが、わしをすきだからじゃ」
「残念でした」
「いらいらするのう」
 ぼくは、せかせました。
「それは金ちゃんに、おばけを吸いよせる磁気が、あるからなんです」
 懐爺は断定しました。
「きせつ、みたいなもんかのう」
「それは時季。そうではなくて、磁石を持っている」
「じしゃくなんか、もっとらん」
「磁石はなくとも、金ちゃんの全身に磁気がある」
 懐爺は、何となく説明に困っているふうでした。
 ぼくはさらに困らせました。
「ならば、わしはまともじゃないんか」
「まともすぎるんですよ。鎧(よろい)をつけないから、おばけが吸いよせられる。これからもどんどん吸いよせられることでしょう」
「それは、ほめことばかのう。それは、おそろしいのう」
 ぼくは少し、機嫌が良くなりました。
 嬉しはずかし、痛しかゆし、いやだいやだも好きのうち。そんな気分でした。
 懐爺はうなづくかとおもったけれども、そうではありません。
「今日は、金ちゃんに一番関係のない、おばけの話をしましょう」
「どういういみかのう」
「金ちゃんに、吸いよせられないおばけです」
「だからわしは、あったことがないんか」
「おっしゃるとおり。その名も【きんかくし】」
 何となく、いやな名前だと思いました。
【あかなめ】よりも。
「きんなら、かんけいあるじゃんか」
 金ちゃんを神隠しにするのが、【きんかくし】かとおもいました。
「金ちゃんの金は、金科玉条(きんかぎょくじょう)の金ですが、【きんかくし】の金は、お金の金です」
「うちはびんぼうだから、たしかにおかねは、かんけいないのう」
 ぼくは安心しました。
「【きんかくし】はお金を隠す。お金持ちなのに隠して、貧乏のふりをするのです」
「わしも、びんぼうのふりをしてみたいのう」
 ぼくは本音をいいました。
 すると懐爺は、少しこわい顔になって、こういったのです。
「【きんかくし】は困った顔や口ぶりで、貧乏人からお金をだましとるんです。【きんかくし】の大きな金庫は、お金ではちきれそうになっています」
「【きんかくし】は、しばいがうまいんじゃのう」
「芝居ですか。そういう見方もありますね。それとだまされたほうが悪いという見方もある。でもね金ちゃん、だまされた人間が悪いなんて法律は、世界中どこにもありませんよ」
 懐爺は、強くいいました。
 懐爺はえらそうでした。
 もしかすると、本当にえらいのかもしれない。
「そんじゃ、【きんかくし】を、たいじにいこうかのう」
 私は勢いこんでみました。
「だから、金ちゃんは【きんかくし】に出逢えないんです」
 懐爺は、断固としていいました。
「たまたまみかけるくらいか。なら、【きんかくし】のしるしをおしえてくれ」 
「【きんかくし】のしるしですか。胡散(うさん)臭い。狐狸(こり)の臭いがする。口臭がする。おならがひどく臭い。言葉が丁寧。おしゃべりが上手。身振り手振りで話す。相手の目をみつめて話す」
 まだつづきそうだったけれども、ぼくはさえぎりました。
「なんじゃ。かいじいとおんなじじゃんか」
 からかったのではなく、ぼくは実感をいったのです。
 懐爺は沈黙しました。
 【きんかくし】のことは、もう一言も話すつもりはない。
 そんな、「へ」の字の口でした。
 
二十五【けがれ】
 
 ある日の会話。
「かいじいよ、わしはついとらん」
「なぜでしょうか、金ちゃん」
「かいじいよ、くさいやつのつぎは、きたないやつにであったぞ」
「それは乞食でしょうか、それとも【ひきずりおんな】でしょうか」
「【ひきずりおんな】ならしっとる。あんなにきたないこじきは、ぜったいおらんのう。それに、ひとりじゃない」
「なるほど。数人いたんですね。やはり【へたれ】のでた〈桜の花道〉でしょうか」
「いんや。〈ぶたがわら〉じゃ」
「〈豚河原〉ですか。それなら【けがれ】ですね」
「【けがれ】たあ、けがれたおばけかのう」
「たしかに、からだは穢(けが)れていますが、こころは穢れていません。獣の屍骸を片付けたり、皮を剥ぐ河原者(かわらもの)などが、穢多(えた)と呼ばれた時代がありました。ずいぶん差別されたものですが、仕事をよくやる真面目なひとたちばかりです」
「その、えたとやらが【けがれ】になったんか」
「お金持ちのお坊っちゃんなんかに虐められて、死んでしまった穢多が沢山います。そういうひとたちが【けがれ】として出没するのです」
「びんぼうにんのわしが、どうして【けがれ】にであったのかのう」
「【けがれ】は、けがれた人間のこころを浄化(じょうか)してくれるおばけです」
「じょうかたあ 、なんじゃ。わしのこころはけがれとるのか」
「浄化とは清くしてくれること。いくら【けがれ】でも清くできないほどけがれている人間は、【けがれ】に殺されてしまいます。金ちゃんのこころはけがれてはいませんが、いずれけがれることを心配して、老婆心(ろうばしん)で【けがれ】はやってきたのでしょう」
「わしは、いずれけがれるんか」
「人間はお金持ちになると、だれでもけがれます。金ちゃんはいずれお金持ちになるので」
「だば、おかねもちにならんよう、きをつけるで、もんだいなしじゃ」
「それなら問題なしですね。【けがれ】の心配は杞憂(きゆう)ということです」
 おとなになってもぼくは、(他のおばけと同様に)【けがれ】のことを忘れませんでした。
 それで、お金持ちにならないよう、気を付けてきました。
 それで、【けがれ】に会うことはありませんでした。
 このごろはたまに(もしかすると時々)【けがれ】に叱られてもいいから殺されてもいいから、お金持ちになりたいとおもうこともありますが、それまでお金持ちにならないよう気を付けてきたものですから、いまさらどうやってもお金持ちになれそうもありませんでした。
 
二十六【けらけらおんな】
 
 あるときぼくは、気になっていたことを懐爺に話しました。
「ななまがりでさ、どっからか、おんなの、でっかいわらいごえがしたんじゃ」
 からから
 からから
 がほがほ
 がほがほ 
「あのあたりに、家はないでしょう」
「ないけんど、したんじゃ」
「あのあたりに、女はこないでしょう」
「こないけんど、したんじゃ」
「それなら、【けらけらおんな】ですね」
 懐爺は断言しました。
「【けらけらおんな】じゃと。あんなけらけら、ききたくないのう。わしにはからからとか、がほがほとかきこえたがのう」
「そうきこえたかもしれないが、【けらけらおんな】は若い女のおばけだから、やっぱりけらけらでしょう」
「かいじいは、そのわかいおんなのおばけに、あったことがあるんか」
「わたしは年寄りだから、若い女はおばけだろうと何だろうと、あっても笑ってもくれません」
「なんじゃ、つまらん」
「でも、村の若者に、話をきいたことがあります。若くて二枚目の。その人がやはり、七曲がりで【けらけらおんな】に遭遇しました。笑い声が若くて、なまめかしいのが、思い切って振りかえったそうですが、すごい大女、牛や熊ほどもある大女で、興ざめしたとのことです。【ゆきおんな】ではありませんが、見るなの禁、というものがあります。おばけを見るな。おばけを見るとわざわいがある。見るなの禁をやぶって、おばけにくわれた者も、たくさんいますから」
「【けらけらおんな】は、ひとをくうんかいな」
 ぼくは興味津々(きょうみしんしん)でききました。
「ある意味では、人をくうんでしょうな」
 懐爺はけらけら笑います。
 そしてつけ加えます。
「金ちゃんも、【けらけらおんな】にあったくらいだから、二枚目なんですよ」
「くだらんのう」
「女のおばけは、こわくないんです。女は幽霊がこわい。おばけでこわいのは、やはり男ですね。〈男〉がついたおばけは、一番こわい」
「たとえば」
 ぼくはききました。
「たとえば、【おおかみおとこ】【たこおとこ】【いかおとこ】【くもおとこ】【わらいおとこ】【はこおとこ】【いしおとこ】【こおりおとこ】【すなおとこ】」
「【すなおとこ】かい」
 ぼくがその名に興味を持ったのは、砂遊びが好きだったからで、ほかに理由はありません。
「【すなおとこ】は、外国の本にでてきます。こどもがいつまでも寝ないで起きていると、そのこどもの目に、砂を投げつけます。そのこどもの目玉が血だらけになって、飛びでると、それを持って帰って、自分のこどもにたべさせるんです。悪いやつです」
「そら、こどもがいつまでもおきていないで、はやくねむるように、おとながつくったはなしじゃろ」
「さすがは金ちゃん。そんなところでしょうね」
 懐爺はみとめました。
「つまらんのう」
 ぼくはいいました。
 するとぼくは、もうひとつのおばけが、気になったのです。
 【たこおとこ】や【いかおとこ】は想像がつくけれども、【わらいおとこ】とは、どんなおばけなんだろう。
「【わらいおとこ】もけらけらわらうのかい」
「これも外国のおばけですがね。【わらいおとこ】は笑いません。顔一面が口で、口が裂(さ)けているから笑っているようにみえるのです」
「かおがくちで、くちがかおかい」
 ぼくは茶化しました。
「そのとおりです」
 懐爺は、真面目に答えました。
「その口がすごい。たとえば、【わらいおとこ】を退治しようと、鉄砲で撃っても、鉄砲の弾をその口でぜんぶのみ込んでしまい、それから吐きだす。鉄砲を撃った者はみんなその弾にやられて死んでしまいます」
「【わらいおとこ】は、わるいおとこなのかい」
 たまたまぼくは、洒落てみました。
「それが、男の中の男。悪人をやっつけるおばけです。さいごは悪人から仲間を守って死んでしまいましたがね」
「りっぱなおばけじゃのう」
 ぼくはいいました。
「おばけはみんな立派です」
「もてんだろうのう」
 ぼくはいいました。
「目も鼻もありませんからねえ」
 懐爺はうなずきました。
「けっこんは、できんだろうのう。【ゆきおんな】は、けっこんしたんじゃな。【けらけらおんな】も、けっこんできんだろうのう」
 ぼくはいって、おもいつきでさらにいいます。
「つがいのおばけは、おらんのか」
「さすがは金ちゃん。いいとこついていますね」
 懐爺は嬉しそうにいいました。
「たとえば【わらいおとこ】ではなく【わいら】なんかは、夫婦のおばけですね。わいでなくて、わいらだから、複数ですものね」
「【わいら】が、つがいなら、にばいおそろしいんか」
「またいいとこついていますね。でも【わいら】はだいたい土の中にいて、もぐらばかりたべているおばけですから、人間もたべないし、あまりこわくはないですね」
「つまらん」
 ぼくは唾をはきました。
「おばけは、ひとをくいそうなやつが、いちばんおもしろいじゃ。ひとをくいそうでなけりゃ、おもしろうない」
「でも本当にくわれたら、面白いではすみませんよ」
 懐爺は、いいきかせる口調でいいました。
「金ちゃんだって、いろんなおばけにでくわして、それでも何とかくわれなかったから、こうしていっしょに歩いているんです。わたしはもし金ちゃんがくわれたら、この世のおばけをみんな殺しますよ」
「かいじいは、おばけより、おそろしいのう」
 ぼくは台詞とは裏腹に、懐爺のいつもながらのやさしさと、もしかすると友情をかんじました。
「わたしもおばけの、一種かもしれません」
 なぜか懐爺は、さびしそうにいいました。
「おとこのおばけはこわい。おんなのおばけはこわくない。かいじいはまえにそういったじゃろ」
「猿も木から落ちる。わたしも肥溜(こえだめ)に落ちました。おんなのおばけのほうが、こわいかもしれません」
「じじいのおばけは、どうかのう」
 懐爺は返事をしません。
 祠に着きました。
 懐爺はくらい奥にもぐって、すぐに寝息をたてました。
 ぼくは安心感と幸福感にみたされ、はずむ足どりで家路についたものです。
 
二十七【げんせいかん】
 
 村のはずれに、一件の宿屋がありました。
 こんな村に観光でくる者も、仕事でくる者もいないはずなのに、一件だけ宿屋がありました。
 平屋で、客室も一つしかない。
 村のはずれだから町に近いかというと、そうではなくて隣村に近い。
 隣村はこの村よりも貧しいから、客なんかぜったいこないし、町からは遠くて面倒な場所だから、やっぱり客なんかめったにこない。
 この宿屋は、十年前ご主人を戦争で亡くした、三十三歳の女性がやっています。
 このひとは外出しないので、ぼくはみたことがないけれども、女優の原節子にそっくりの、村一番の美人だそうです。
 ほんのたまに(母親いわく)、
「物好きがやってきて」
 その宿屋にとまります。
 そうだ、物好きでもないとこない。
 親友の完ちゃんにいわせると、
「おんなずきじゃろ」
 ということになる。
 そうか、女好きならこんなところまでくるのか。
 今回の物好き(あるいは女好き)は、胸を病んでいるとの事でした。
 どうりで、宿屋の前を通りかかると、変な咳がきこえます。
 げふっ
 げふっ
 げふげふ  
 げふげふ
 気持ちのいいものではない。
 それでも宿屋のおかみさんは、やたらに親切にしているらしい。
 病人に親切にするなんて、あのおかみさんもいいとこあるな、とおもったのだけれども、そのお客さんは(完ちゃんいわく)、
「ぼせいほんのうを、くすぐる」
 男性らしい。
「さっかの、だざいおさむ、とにとる」
 とも読書家の完ちゃんはいいました。
 くすぐるは解るが、母性本能はよく解らなかった私は、
「なんじゃ、そのぼせいほんのう、というんは」
 ときくと、
「だきしめたい、ちゅうことじゃ」
 完ちゃんは、えらそうにいいました。
「だざいおさむが、はらせつこを、だきしめるんか」
「金ちゃん、そのぎゃく。女が男をだきしめるんじゃ」
 また完ちゃんは、えらそうにいいました。 
 えらそうにいうのは、ぼくの持ち味だとかんがえていたので、しゃくにさわって、懐爺のところにいきました。
「完ちゃんのいうとおりですよ」
 そう懐爺がいうので、気分を害しました。
 でも、さすがに懐爺でした。
 きた甲斐(かい)があったというものです。
「でも町では、母性本能をくすぐるおばけが沢山出没して、その男性はその村八分というか町八分で、この村に流れ着いたのでしょう」
「なんじゃ、あれもおばけかい。なら【ざしきわらし】かい、【ごくつぶし】かい」
「【ごくつぶし】に似たおばけで、【げんせいかん】といいます。げんせいは、現世で今の世のこと。かんは患者の患です」
「やっぱしな。すげえせきじゃった」
 いやだったけれども、ぼくはおもいだしてしまいました。
 げふっ
 げふっ
 げふげふ
 げふげふ
「あれは咳ではありませんよ」
 懐爺は断言しました。
「だば、びょうにんでねえのか」
「一種の病人ですが、胸はわずらっておりません」
「めんどうなおばけじゃのう」
「あの咳に似たものは、いわば求愛の表現ですね」
 懐爺はもっと面倒なことをいいました。
「きゅうあいって、なんじゃ」
「そんなことより【げんせいかん】は、退治しますか」
 懐爺は話をそらせました。
「たいじ、できるんか」
「わたしらにはできません」
「ならば、きくな」
 ぼくはどなりました。
「退治しなくとも、遠からずにげます」
「おばけが、にげるんか」
「宿屋のおかみさんが、【げんせいかん】に首ったけになったら、【げんせいかん】はにげますよ」
 この話も面倒臭い。
 それでもぼくは、一度おばけが、すたこらさっさとにげるのを、みたかったのです。
 翌日、完ちゃんが、
「あのお客さん、にげちゃったよ」
 と、報告してきました。
「はやいのう」
「やどやのおかみさんが首ったけになっちまってさ。おんなごころもしらないで、つれないおかたよ」
 完ちゃんは、ませた口調でいいました。
「おんなごころは、おばけごころより、おっかないんじゃ」
 ぼくも負けずに、ませた口調でいいました。
 宿屋のおかみさんは辛いだろうと、それも気になったのです。
 
二十八【こうもんさま】 
 
 尻の穴が痒(かゆ)くてたまらんので、母親にたのんで中山で薬草を採ってきてもらって、塗ってみたけれども—屮ォ目がない。
「かいちゅうかのう」
 ぼくは虫くだしを飲むと、尻の穴から回虫がでてくるので、そのせいかとかんがえました。
 でも回虫はでてくる気配がなく、尻の穴はどんどん痒くなります。
 屁をしたらなおるかとおもって気張ると、おならはでないで、うんこがでます。
 いくらうんこをしても、痒みはどうにも止まらない。
 小学校に行っても気になって、勉強どころではない。
 尻の穴を掻(か)いたり弄(いじ)ったりしてばかりいるので、女の子は、
「きんちゃん、ふけつ」
 というし、男の子は、
「きんちゃん、くさい」
 といいます。
 ぼくだって、いじりたくていじっているわけではありません。
「もしかすると【かゆうん】が取り付いているのかもしれないね。そうなったらやっかいだね」
 母親がそういうので、困ったもんだと懐爺に助けを求めました。
「【かゆうん】は、清潔好きなおばけですから、そんなところにはでません。尻の穴ということは、【こうもんさま】の可能性があります」
「ならば、いんろうをみせればなおるかのう」
「水戸黄門様ではなく、肛門様。これは赤ちゃんのおばけです。金ちゃんの好きな隣のお姉さんが、去”Nだれの子かわからない男の子を産みました。けれども肛門がないので、哀れにもすぐに死んでしまいました。この子が【こうもんさま】というおばけになったのです。自分にない肛門が他人にあるのをやっかむんですね」
「せつないのう」
 ぼくは隣のお姉さんの憂い顔を想い起こしました。
「金ちゃん、どうしますか」
 懐爺がぼくの顔をのぞきこみます。
「このままでええ。わしには、かわいそうで【こうもんさま】をたいじできん」
「やはりそうですか。それなら金ちゃん、【こうもんさま】を上手に成仏させてあげてください。【こうもんさま】は新しいおばけですから、ものわかりがいい。その機会はいずれきっとやってきますから」
「あいよ」
 それから一週間経った夜中、(小さな電球ひとつだけにした)薄闇のなかで、ぼくがふとんに入って漫画を読んでいるとき、何となくなまぬるい風が吹いてきたとかんじたら、障子がすこしだけ開いています。
 そしてふと気づくと、ぼくの枕元に、ひとりの赤子がちょこんと座っていました。
 裸で、とても色が白い。
「もしかしておまえは、【こうもんさま】かのう」
 そうささやくと、
「きんちゃん、こんばんは。はじめまして。ごめいわくをおかけしています。ぼく【こうもんさま】です」
 赤子は丁寧に御辞儀(おじぎ)をしました。
「あかちゃんなのに、しゃべれるんか。えらいのう」
「はい。ぼくがおなかにいるとき、おかさんが、やさしくいろいろはなしかけてくれましたから、ことばをおぼえました」
 ぼくは隣のお姉さんの優しい横顔を思い浮かべました。
「それはよかったのう。それで、こんやは、なんのようかのう。わしのしりのあなを、もっとかゆくしようってえのかい」
 ぼくは母親を起こさないよう、声をさらに落としてききました。
「きんちゃんにおねがいがあります。こういうことができるのは、きんちゃんだけだとみこんでの、こころからのおねがいです」
 赤子である【こうもんさま】も囁き声です。
 さすがにおばけですから、薄闇のなかで不気味に響いています。
「わしは、おねがいされると、ことわれないせいかくなんじゃ」
「それは、よかったです。おねがいというのは、つまりその、ぼくのおしりに、あなをあけてくれませんか」
【こうもんさま】は、じつにじつにいいにくそうにいいました。
「そういうことなら、ええよ。やったる」
 ぼくは即座に答えました。
 肛門がないのはよほど辛かろう。
 痒いのなんかそれにくらべれば屁みたいなもんだ。
「あなをあけるどうぐが、どこかにありませんか」
「ほうちょうとか、きりとかはあるけど、いたそうじゃからのう」
 つぶやきながらぼくはおもいついて、起き上がると忍び足で風呂場の方に行きました。
 そこに、火を熾(おこ)すための竹筒があるのです。
 それを持って戻って来て、【こうもんさま】に見せると、
「これはいいですね。それでは、これでおねがいします」
 というので、竹筒の尖端を赤子のお尻のあたりに押し当てて、
「いたいかのう。だいじょうぶかのう」
 といいながら、反応を待っていますと、
「だいじょうぶですよ。ひとおもいにやってください」
 というので、渾身の力で突き刺しました。
 竹筒がめりこみ、そこを穿(うが)ち、【こうもんさま】はひとしきり叫びましたが、それは悲痛の声にも喜悦の声にもきこえました。
 頼まれたわけではなかったけれども、
「そうせよ」
 と、なんとなく何者かにいわれた気がして、ぼくはそのまま竹筒に口をつけ火を熾すやりかたで、おもいきり何度も空気を吹き込みました。
【こうもんさま】は、みるみるふくらみはじめ、そのうち巨大な風船となって、障子をぶちやぶって外へ飛んで行きました。
「おうい、どこへいくんじゃ」
 ぼくが呼びかけると、
「おかげさまで、てんにのぼれます。きんちゃん、ほんとうに、ありがとうございました」
 という声もきれぎれになり、そのままお月様のほうに昇って行ってしまいました。
【こうもんさま】がいなくなると、ぼくは妙に淋しくなり、漫画を読むのはやめて眠ることにしました。
 翌朝ぼくは、母親に、障子がめちゃくちゃに壊れているわけをたずねられましたが、
「わしがねぼけて、ぶちあたったんじゃ」
 と自分のせいにしておきました。
 そうそう、もちろん尻の穴の痒みは、すっかり消えていました。
 
二十九【こくこく】
 
 ぼくの村には地震が多い。
 雷も多いし火事も多いけれど、それより地震が多い。
 地震のために命を落とした人も数知れません。
 海が遠いから、津波がこないだけましです。
 母親にいわせると、それは大昔からで、この村の地下水に大鯰(なまず)がいるからだそうです。
「そんなら、おおなまずを、たいじしたらええがのう」
 というと、
「地下のどのあたりにいるかわからないのに、退治できるはずがない」
 と母親はいいました。
「そらあ、どこにいるか、さがすけんきゅうを、せんといかんのう」
「研究できるほど、暇な者も、頭のいい者も、この村にはいないよ」
「なるほどのう。だば、やっぱし、かいじいにたのむしかないのう」
 というわけで懐爺のところに行きました。
「おおなまずは、どこにいるんかのう」
「どこにもいませんよ」
 と懐爺は素っ気ない。
「いないのに、どうしてじしんがおきるんじゃ」
「それはわたしも見たことがないから、よくはわかりませんが、おそらく土の下のまた下のほうで、土のかたまりが動いたり、火のかたまりが揺れたり、水のかたまりが流れたりするからですよ。それを鯰のせいだなんて、鯰もいい迷惑ですよ」
「だから、そのうごかしたり、ゆらしたり、ながしたりするのは、なまずがやるんじゃないのかのう」
 ぼくは鯰にこだわりたい。
「鯰はそんなことやりません」
 やはり懐爺は素っ気ない。
 どうもこの日の懐爺はおかしい。
 いつもなら、
「それは【おおなまず】というおばけです」
 というはずなのですが。
「おおなまずなら、やりそうじゃがのう。だば、どいつがやるんじゃ」
「どいつといわれても。つまり地球は生きているんです。生きているから、うんこをしたりおしっこをしたりします」
 じつに適格なご意見。
「ちきゅうの、うんことおしっこが、じしんかい」
「まあ、そんなところではないかと」
「だば、とめられんのう」
「止められませんが、予告はできるかもしれません」
「うんこ、でそうじゃ、とか。おしっこ、もらしそう、とか」
「まあ、それを感知して、みなさんに予告することはできますね」 
「だれがよこく、するんかのう」
「天変地異(てんぺんちい)を予告するおばけとして、一番予告確率が高いのは【こくこく】ですね」
 そんなおばけがいたのか。
「どうして【よこく】でなくて【こくこく】なんじゃ」
「しりません。しってるわけありません。大昔から【こくこく】は【こくこく】ですから」
「そういうのは、こしょくそうぜん、というんじゃあるめえか」
「古色蒼然ですか。そんな言葉よくしっていますね。でもわたしは古い奴だとおおもいでござんしょうが、【こくこく】は【こくこく】でいいのではないかと」
「わしは、かいめいしてほしいのう。おおむかしのよびかたなんぞ、ききとうない」
 というよりわかりにくい。
「それはまあしかし、ご本人の許可も必要ですからねえ」
「きょかのう。かってに【よこく】とよんでいりゃ、そのうちに【よこく】になるめいかのう」
「それはなります。それでも元は【こくこく】であって、【よこく】はせいぜい渾名(あだな)扱いか宛字(あてじ)並みですがね」
「どうしてじゃ」
「伝統というものをないがしろにしてはいけません。わたしたちは伝統の先っぽで生きているのですから」
「むずかしいはなしじゃのう」
 むずかしい場合は、そこでやめる。
「ともかく地震が怖かったら、【こくこく】におねがいするんですね」
「わしはこわくないがのう。となりのおねえさんがこわがったら、かわいそうじゃからのう」
「怖がらないのも問題です。怖がらないひとは、天変地異で死にます」
「だば、しかたないから、こわがるとすっか。それで、【こくこく】にはどうおねがいしたらいいんかのう」
「おまじないの言葉があります」
 それを懐爺は教えてくれました。
 こくこくこくこくこくこくこくよ
 いっこくにこくでさんごくいちの
 こくこくやいやいこくこくややや
 てんぺんちいいいいいいつくるか
 おしえてくれたらなまずをあげる
 なまずおいしやほうやれほっとけ
 ほっとけないのがてんぺんちいよ
「むずかしいのう。おぼえられんのう」
「紙に書いてあげますよ。でもおまじないをする前に、鯰を準備しておかないと。【こくこく】は鯰が大好物ですから」
「おおなまずかい」
「中鯰や小鯰で大丈夫です」
「だば、これからとってくるでのう」
 ということで、ぼくは竹槍を手にして、村びとから〈夜叉が沼〉と呼ばれている小山の近くの小さな沼に行きました。
 〈夜叉が沼〉にはだれも近寄りません。
 昔(みんなの前でおならをしたのを苦にして)この沼に身を投げた村娘がいて、その娘が【やしゃ】にばけてでてくるという噂がありましたから。
 しかしぼくはその娘に、(たとえ【やしゃ】であっても)会ってみたいとおもっていました。
 そうして、こう伝えたかったのです。
「みんなのまえでおならしたから、じさつするなんて。わしなんか、ひゃっかいじさつせにゃならん。おまえはちっとも、はずかしいことなんかないんだから、もうやしゃにばけんでもええ。なんなら、ここで、おならがっせん、やるかのう」
 しかし【やしゃ】はでてこず、ぼくは鯰とりに精を出しました。
 沼は小さいけれど、底なしといわれているので、足はつっこまない。
 沼の縁からのぞいて、音をたてずに待つだけ待つ。
 沼の面に泡がでてきたり波紋がたったりしたら、そこをねらって、竹槍をくりだすのです。
 鯰は底なしの泥の上層のなかにいて、竹槍は根元まで押し込まねばならず。少々危険なのですが、足元さえ小石で固めておけば大丈夫です。
 鯰は大小二十ばかりとれました。
 これらを雑草で泥を拭い、竹槍に串刺しにして担いでひきあげようとすると、沼のなかから声がきこえます。
「そんなにいっぱい鯰をとって、わたしを餓死させるつもりですか」
 【こくこく】登場かと見つめていると、沼の中から現れでたのは【やしゃ】でした。
 とはいえ、容姿はかわいらしい娘なので【やしゃ】という呼び名は似つかわしくありませんが、ぼくはそれが【やしゃ】だとすぐに認識しました。
 (後にぼくは石神井公園・三宝寺池の〈照姫伝説〉をしりましたが、そのときこのかわいらしい【やしゃ】のことを想いだしたものです)
「なまずはおまえのごはんかい。だば、はんぶんかえすかのう」
 じつはこのままでは担ぐのに重すぎたのでした。
 そこで【やしゃ】に恩を売ろうとおもったのです。
 でも見破られていました。
「恩を売るつもりでしょうが、わたしはもう気弱い心は捨てたのです。その鯰ぜんぶ沼に返してください」
「だども、もういきてはおらんぞ」
「沼に返してくれれば、生き返らせます」
「だども、わしにもやることがある。それでこのなまずはひつようなんじゃ。なまずとるのに、わしもくろうしたからのう」
「それなら、苦労賃として、一匹だけあげましょう」
「そのていどのおみやげで、【こくこく】はおしえてくれるかのう」
「大丈夫です。なぜならわたしが、その【こくこく】なのですから」
 これにはおどろいた。
 【こくこく】がおじさんかとおもっていたのは、先入観というやつでした。
「それはしつれいいたしましたのう。それではさっそくでござりまするが、こんどのじしんはいつくるのでやんすか。【こくこく】さまにおうかがいいたしますじゃ」
 敬語というものに慣れていないぼくは、冷汗と脂汗を流しながらいいました。
「そんなに大袈裟(おおげさ)に頼まれなくても、もちろん教えます。そのために鯰たちと一緒にこの沼で暮しているのですから」
 【やしゃ】いいえ【こくこく】は優しい声でいいました。
「はよおしえろ。さっさといわんかい」
 しまった、地がでました。
 それでも【こくこく】は教えてくれました。
「二十年後にこの村に、〈原子力発電所〉というものが作られます。通称【げんぱつ】という、おばけよりもはるかにおそろしい巨大な施設です。それが作られて、また二十年後に地震があります。けれども地震そのものよりも、地震によってその【げんぱつ】が破壊されるほうが、はるかに恐ろしいのです」
 ううむ、恐ろしい予告だ。
 (ぼくはその後一度も、この予告を忘れたことはありません)
 ぼくは【こくこく】に礼をいってから、懐爺のところに行きました。
 【こくこく】の言葉を伝えると、
「金ちゃんは、大人になったら、【げんぱつ】反対の運動をする運命なのでしょう」
 懐爺はしみじみといいました。
 
三十【こら】
 
「古来、百物語(ひゃくものがたり)なるものがあります。当然、われらが金ちゃんはごぞんじでしょうね」
 前ぶれもなく懐爺が口をひらきました。
 当然、といわれれば、
「しらいでか」
 といいたかったけれども、ここは正直に、
「しらん。まえに、かいじいにきいたかもしれんが、わすれた」
 といいました。
 そこで懐爺はいきおいこんで、喋り始めます。
「百個の灯りを点けて、参会者が一人ずつ怪談話をします。終わるごとに、灯りをひとつずつ消します。百の怪談話が終わったら、当然真っ暗やみになりますね」
「それはそうじゃ。けいさんどおりじゃ」
「するとたちまち、箪笥(たんす)に目鼻がついて、これなんだんす、といいだします。鏡台は刀をふりまわして、兄弟すすめえ、と号令をかけます。下駄はげたげた笑い、からかさは、かさかさ這い回ります」
「うそこけ。まっくらやみなのに、たんすに、めはながついとるか、だれがわかるんじゃ。かたなをふりまわしとるのを、いったいだれがきづくんじゃ。げたげたかさかさは、ほんまにげたとかさのしわざなんか。おばけはだじゃれがすきなんか。おばけもだじゃれがすきだとしたら、おもしろいがのう」
「まあその、そういわれてしまえば」
 懐爺は歯切れがわるくなります。
 だいたい百も怪談を聞いたら、眠くなって頭はぼけて、なんでもかんでもおばけにおもえるだろう。
「それで、かいじいは、なにがいいたいんじゃ」
 気が短いぼくは急かしました。
「つまりその、じつはまあ」
 ますます歯切れがわるい。
「はよせい」
「わたしたちは、百物語どころか、二百物語はやっていますよね」
「やっとる。それがどうした」
 するとそのとき、これも前ぶれがなく黒雲が天空を覆いました。
 それこそ、真っ暗やみになったのです。
「でますよ、でますよ」
 懐爺はまた元気がでてきました。
「なにがでるんじゃ」
「【こら】、でますよ」
「こらじゃ、わからん」
 ぼくがそういったとたん、懐爺のすみかである祠が、大口を空けて、(見たわけではなくそうかんじたということですが)
「こら、こら」
 とぼくを叱りました。
「なんじゃ、こら」
 とさけぶと、
「こら、こら」
 と、また叱りました。
 どうして叱られるのかわかりませんでしたが、ぼくは、
「すまんのう」
 と謝ってしまいました。
 気づくと黒雲は去って、優しい夕方の陽がさしていました。
 
三十一【さねとも】
 
 この話を懐爺からきいたときには、ちんぷんかんぷんだったのです。 十年経って、歴史の本を読んでいたときに思い出したものです。
 懐爺は、非業の死を遂げた偉人が、後々おばけになってでてくるという話をしてくれたのですが、【よしつね】【のぶなが】【りょうま】などは、たしかに偉人のおばけということで納得はできたのだけれども、【さねとも】だけはちんぷんかんぷんでした。
 とにかく鎌倉時代の三代将軍というだけで、偉人とはおもわれなかったから、よけいにわからなかったのでしょう。
 けれども歴史の勉強をすると、源実朝は偉人だったとおもわざるを得ません。
 歌人としてはもちろんのこと、人間としても偉大だったとおもわれるのです。
 実朝は一二一九年冬の夜、兄頼家の遺児、公暁(くぎょう)に鎌倉八幡宮で殺されます。
 いまでいえば二十六歳の若さです。
 その際、公暁は「おやのかたきはかくうつぞ」といったそうですが、親の仇とは濡衣(ぬれぎぬ)で、それは公暁のおもいこみか、だれかにそそのかされたということです。
 この日は雪でしたが、右大臣拝賀の儀式があり、実朝は、館を出るときこんな歌を残しています。
 出でていなば主なき宿と成りぬとも軒端の梅よ春を忘るな
 実朝は本歌取(ほんかどり)の名手といわれていましたが、本歌取とは先人の有名な歌の一部を利用して作る歌のことです。
 例えばその歌は、菅原道真(すがわらみちざね)のこんな歌。
 東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
 式子内親王(しきしないしんのう)のこんな歌。
 ながめつる今日は昔になりぬとも軒端の梅はわれを忘るな
 そういうものから取っていて、だから遺書のつもりではないとする説も有力なのですが、こんな事実も残されています。
 重臣の大江広元(おおえひろもと)が、拝賀の儀式に向かおうとする実朝を前に、なぜか、落涙を抑えることができなくなり、束帯(そくたい)の下に武具の腹巻をつけるよう勧めたものの、近臣の源仲章(みなもとのなかあき)が、そのような例はないとしりぞけたという。
 また実朝は、結髪のために、側で奉仕していた宮内公氏(みやうちきんうじ)に、形見として鬢の毛を一本抜いて与えたという。
 また実朝は、牛車をおりるとき太刀を(意図的か偶然か)突き折ってしまったという。
 執権の北条義時(ほうじょうよしとき)は儀式の途中で体調が悪くなり、先に引き上げたという。
 これらの話を総合すると、すくなくとも実朝は、この日自分の命が終わるだろうとの、予感なり予測があったという他はありません。
 大昔の資料は、時の権力者の意向が大なり小なりこめられているもので、この場合は執権北条氏なのです。
 だから大江広元の涙も信用できないし、時の最大権力者である北条義時の動きも不審です。
 それでも、いやそれだからこそ、実朝は自分の末期を察知していたとおもわれます。
 わかっていて死地におもむく人物が、偉人でないわけはないと、ぼくには強くおもわれたのです。
 そして、大江広元の落涙には大きな意味があり、太刀を突き折ったのは実朝の意図であると、ぼくにはおもわれました。
 こういう人物のおばけとは、どんなものであったのでしょう。
 ぼくの体験では、声だけで、姿は見えませんでした。
 三度体験したけれども、三度とも雪のふる寒く暗い日でした。
 これでよかったのか
 これでよかったのだろう
 これでよかったとおもうべきだろう
 これでよかったというしかない
 そういう声が、大山から吹き下ろす雪まじりの風にのって、ぼくの耳を打つのです。
 それは天からのやわらかいやさしい声にも聞こえたし、地からの響き渡るおそろしい声にも聞こえるのです。
 それから、歌が詠じられます。
 ものいわぬ四方の獣すらだにもあわれなるかなや親の子を思う
 大海の磯もとどろによする波われてくだけてさけて散るかも
 ぼくがその体験を話すと、懐爺は即座に、
「【さねとも】です」
 といったものです。
「【さねとも】かい。おそろしくて、やさしかったぞ」
「それが【さねとも】です」
 懐爺はまたいいました。
「けだものにもやさしいのは、ほんとうにやさしいひとだからだのう」
「それが【さねとも】です」
 懐爺はまたいいました。
 懐爺はきっと【さねとも】がすきなのです。
「やっぱりおばけのなかまかのう」
「仲間どころか、おばけの将軍です」
「しょうぐんかい。えらいおばけじゃのう」
「はい。えらいおばけは、威厳だけで人に恐怖を与えます」
「われてくだけてさけてちるのは、いげんかのう」
「威厳のひとつでしょう。わたしらはそんなにしなくとも散ってしまいますから」
「もっとも、おばけの将軍は【さねとも】だけではありません。【まさしげ】も【ゆきむら】も【たかもり】もそうです」
「みんなりっぱななまえじゃのう」
「はい。偉人のおばけ、おばけの将軍は立派な名前、だから」
「だから」
「だから、おばけになるのです」
「かいじいとかきんちゃんでは、だめじゃのう」
「はい。懐爺はだめですけど、金ちゃんの名前は金之助ですから、立派な名前です。充分おばけの将軍になれます」
「おばけ【きんのすけ】かい。かんちゃんは、おばけの【かんたろう】かい」
「完太郎では、残念ながらおばけの将軍にはなれません」
「ざんねんじゃのう」
 けれども、完ちゃんは二十歳のとき、芸名を武田一完としたから、充分おばけの将軍になる名前となったのでした。
 そういえば懐爺は、ぼくとまったく同じ体験をしていたといっていました。
 でも【さねとも】ではなくて、【さいぎょう】だったそうです。
 願わくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ
 西行は実朝より以前の歌人で、この歌のとおり非業の死を遂げた人物ではないので、ぼくは首をかしげました。
 が、懐爺いわく、西行は出家をしたときにすでに非業の死に近い感情を味わったのだと説明していました。
 ちなみに懐爺が耳にした歌はこういうものでした。
 心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕ぐれ
 世をすつる人はまことにすつるかはすてぬ人こそすつるなりけれ
 年たけて又こゆべしと思いきや命なりけり小夜の中山
 ぼくは【さいぎょう】のおばけにも遭遇したいと念じたものですが、残念ながら叶いませんでした。
 
三十二【さるなし】
 
 村はずれの駄菓子屋で、完ちゃんをみかけました。
 完ちゃんは、駄菓子の代金を、ねぎっているのでした。
「ばあちゃん、昔はべっぴんだったやろ」
「わかるんかい」
「そらあ、いまでも、いくらかべっぴんだもの。五円まけろや」
「十円の菓子、五円まけろたあ、半額にせいってことか」
「十円玉には穴があいてない。五円玉には丸い穴があいとる。丸くおさめろという、めいれいや」
 完ちゃんは五円玉を、ばあちゃんにわたします。
「誰が命令したんか」
「そらあ、神さんや」
「神さんならしかたねえ。売る売る売るぞい。だが気をつけろや、その菓子は、おばけ菓子じゃからな」
「なんちゅう菓子や」
「おめえは、菓子の名もしらんで、くいたいんか」
「こんぺいとうでも、かりんとうでも、ないことは、しっとる」
「金平糖みたいに、安い菓子じゃねえ。こいつは【さるなし】じゃ、本当は、五円玉が百個ねえと、くえねえ」
「【さるなし】じゃと。ばあちゃんが、猿からかっぱらった菓子かい」
「ひとぎきの悪いこと、いうもんじゃねえ。これは、猿が猿酒つくっとるあいまに、くっとる梨じゃ。だから猿梨じゃ。猿亡しともいうな。猿がこれくって、よく死ぬから猿亡しじゃ。こわいおばけ菓子じゃ」
 そういっている、ばあちゃんの顔のほうがこわい。
「人間でも死ぬんかい」
 完ちゃんは、とうぜんの質問をしています。
「猿が死んで、人間が死なんわけがねえ」
「だどもさ、猿は生でくうんじゃろ。人間は砂糖づけをくうんじゃろ。死にゃあせん」
「屁理屈いう餓鬼じゃのう。まあええから、くってみい」
「おう、【さるなし】がこわくて、人間できるかってことよ」
 完ちゃんはぼくのところにくると、【さるなし】をさしだした。
 すきとおったふくろに、うすい緑色をした、梅干しくらいの大きさのやつが、十個ほどはいっている。
「金ちゃんに、ぜんぶあげるよ」
「ぜんぶかい。はんぶんでいいよ」
 完ちゃんと、ふたりでたべれば、こわくない。
 それで、完ちゃんと半分ずつ、たべたものです。
 ものの五分とたたずに、腹が痛みだし、それから、はげしい下痢。
 ふたりとも、便所にいくひまもないので、みちばたで下痢下痢やりました。
 何回下痢したかわからないけれども、ようやく落ちついてきてから、懐爺のところにいきました。
「金ちゃんと完ちゃんA【さるなし】たべましたね。おばけ菓子を」
「くうたくうた」
「あんなうめえもん、はじめてくうた」
「おいしい話にも、おいしい菓子にも、毒がある。あのおばけ菓子は、便秘になったひとが、たべるものですよ」
「おばけ菓子たあ、冗談かとおもうたが、ばあちゃん、ほんとのこというたんじゃな」
 完ちゃんが、感心したふうな、いいかたをします。
 完ちゃんほど素直じゃないぼくは、文句をいいます。
「おばけなんか、ふつううるかい。おばけをうるばあちゃんは、おばけじゃないんか」
 懐爺にきくと、
「あれれ、金ちゃんたら、あのばあちゃん、おばけなの、知ってるんですか。【うるうるばあちゃん】というおばけで、たしかもう、三百歳になるはずですよ」
「それは、すげえ」
「それは、すげえ」
 ぼくは、完ちゃんといっしょに声をあげました。
「そういえば、【すげえ】というおばけが、村にやってきたの、知ってますか」
「しらん」
「しらん」
「それでは、みてきたらいいでしょう。【うるうるばあちゃん】の駄菓子屋の、むかいの空き小屋にすみついた、ということですよ」
「どんなおばけなんじゃ」
「特徴ですか。目が、あの空の色をしている。背が、そこの杉の木くらいある。足が、うらの竹やぶの竹くらい長い。それと、声が、雲雀(ひばり)そっくりの、あいらしさ。そんなところですか」
「つまり、その、でっかい、おばけ、ちゅう、ことじゃろ」
 
三十三【さんりんさん】
 
 完ちゃんは小山が好きなので、完ちゃんを探すときはよく小山へ行きました。
 あるとき、山道を三輪車でくる人にあいました。
 ふつうのおじさんで、野良仕事から帰る途中という雰囲気でした。
 ところが、どうして自転車ではなく三輪車なのだろうと、よく見てみたら、三輪車に乗っているのではなく、下半身が三輪車なのです。
 これはまさしくおばけです。
 上半身が人間で下半身が馬とかなら絵本などで知っていたのですが、三輪車とは想像を絶していました。
 このぶんだと、いずれは自動車や飛行機のおばけもでてきそうな気がしました。
 さすがの懐爺だって、これを見ればびっくりしないわけがない。
 で、その三輪車おばけですが、
「ぼく【さんりんさん】、よろしくだよ」
 と自己紹介してくれました。
 しかも自分で「さん」付けするんですから、なかなか調子のいいおばけです。
 とにかくよく喋るおばけで、ききもしないのに自分から喋る。
「ぼく【さんりんさん】、ぼく、わるいことしないおばけ。よろしくだよ。ぼくわるいことしない、それがわるいことだから、おばけ、よろしくだよ。ぼく【さんりんさん】、いわゆる近未来おばけの、はしりっていわれるだよ。これからおばけにも高齢化の波が押し寄せるから、ぼくみたいなおばけもでてくるだよ。これからの主流は【くるまいすさん】だよ。ぼく【さんりんさん】、わるいことしないだよ。だけど、でてくることそのものが、わるいことだよ。いちばんわるいのは、人間と三輪車のつなぎめが曖昧(あいまい)だってことだよ。だから、ちんちんはどこについているのかって、よくきかれるだよ。おばけに、ちんちんは要らないだよ。おばけはこどもなんかつくらないだよ。おばけはこの世界が、ろくでもないもんだってわかっているから、こどもなんかつくらないだよ。もしこどもつくったって、人間にすぐに殺されるのがわかっているから、つくらないだよ。おばけの世界も人口過多だよ。人口っていうのか、化口っていうんだろうな。いいや【さんりんさん】がいくつもいるわけじゃないだよ。【さんりんさん】はぼくだけだよ。種類が多いだよ。例えば、【がしゃどくろ】と【おにどくろ】にこどもができてごらん、【がしゃおにどくろ】だよ。そのこどもは【がしゃがしゃおにどくろ】だよ。そのまたこどもは【がしゃがしゃおにおにどくろ】だから、収拾がつかないだよ。そらあ、おばけの世界にだって、恋愛もあるだよ。みんなは〈変愛〉ってよんでいるだよ。でも、純情なものだよ。〈変愛〉しても性の営みなんかしないだよ。いっときの欲情でこどもつくっ‚ト、不幸にさせるなんてことは、まともな人間じゃなければできないだよ。べらべらべらべら」
「おはなしちゅうすみませんがのう」
 ぼくは丁重にいいました。
「ぼく【さんりんさん】、ぼく金ちゃんのこと、よく知っているだよ。金ちゃんはおばけの世界では有名人だよ。きっとおばけのおかげでもっと有名人になるだよ。もちろんいまはわからないだよ。十年すればわかるだよ。何でもひとつのことをやりとげるには、すくなくとも十年かかるだよ。べらべらべらべら」
「おはなしんところ、すんませんがのう」
 こんどは強くいいました。
「‚レく【さんりんさん】、ぼくに何か」
「そのさんりんしゃ、のせてもらえんかのう」
 虹色に輝いていて、とにかくきれいなのです。
 これを見て、老若男女(ろうにゃくなんにょ)乗りたく無い人はいないでしょう。
「ぼく【さんりんさん】、だめよだめだめ。ということは、ぼくの上半身と下半身を、ひきはなすということだよ。それはさあ、【ひとつめこぞう】の目玉を盗むのとおなじだよ。それはさあ、【ろくろっくびの】首を縛り付けるのとおなじだよ。それはさあ、【からかさおばけ】のからかさをぶち破るのとおなじだよ。金ちゃんはおばけよりも残酷(ざんこく)なひとだよ。べらべらべらべら」
「わしがざんこくかい。ならば、ひきはなすかのう」
 ぼくは【さんりんさん】の腰のあたりのつなぎめに組み付きました。
「ひぇひぇ。殺されるだよ。助けてくれだよ」
【さんりんさん】は必死で山道を逃げていきます。
 けれども何せ三輪車ですから、すぐに追い付きそうです。
「まてぇまてぇだよ」
 ぼくは追いかけます。
「助けてぇ助けてくれぇだよ」
「まてぇまってぇだよ」
「助けてぇお助けぇだよ」
 せっかく追い付きそうになると、【さんりんさん】は急に方向転換をして、山道を超特急でかけおりて行きました。
 さんりんりんりん
 べらべらべらべら
 ぼくさんりんさん
 りんりんさんさん
 ぼくさんりんさん
 にげろやにげろや
 べらべらべらべら
 ぼくさんりんさん
 ぼくは諦めるよりほかはありませんでした。
 それにしても、おそろしいほどおしゃべりなおばけでした。
 きっとおばけの世界でも嫌がられて、しゃべる相手もいないで、ぼくの前であんなにしゃべったのだろうとおもわれました。
 
三十四【じめえ】.
 
「せつないのう」
 ぼくはいいました。
 この言葉はたぶん、ぼくの口癖になっていたのでした。
「今度はなんですか」
 懐爺はききました。
 ぼくは説明しました。
 一週間前に、転校生がやってきました。
 先生がめずらしく畏(かしこ)まって、
「町の学校からきた、優等生です」
 といいました。
 おそらく町長のこどもか、教育委員長の孫だろう、とぼくはおもっていました。
 先生が畏まるのは、町長と教育委員長の前だけだからです。
「その優等生は、いじめっ子なんですね」
「どうして、しっとるんじゃ」
 ぼくはいじめられたら、十倍にして返す性格だからいいけれども、ともだちの完ちゃんが、やられる。
 ぼくのみていないところで、やられる。
「かいじい、どうするかのう」
「相手はおばけですから、普通のやりかたでは無駄です」
「なんじゃ、あいつもおばけか」
 ぼくはあきれました。
 あきれたというより、飽きていました。
 この村は、おばけ村なのか。
 それともぼくが、おばけをよぶのか。
「このおばけは、【じめえ】といいます。もともとは〈いじめえ〉でした。この〈いじめえ〉の兄が〈まじめえ〉で、弟が〈けじめえ〉。兄も弟も良い子だったんですが、〈いじめえ〉に影響されて悪い子になってしまった。ですから【じめえ】は、三兄弟のことをいいます。金ちゃんの学校にやってきたのが、何番目かはわかりませんが」
 懐爺は、真面目な顔をしていいました。
「めんどうじゃのう」
 ぼくは正直にいいました。
 あんな気味悪い顔をした、転校生の兄弟なんかに会いたくもない。
 鯰(なまず)の形をした目と目が、ひっついている。
 蟹そっくりの口元に、いつも泡(あぶく)が音をたてている。
 おもわず、【かにくいおんな】をおもいだしました。
「そう面倒でもありませんよ。いいですか、【じめえ】が近寄ってきたら、金ちゃんも完ちゃんも、こういうんです。きみはいいこ、きみはいいこ」
「きみわるい、おまじないじゃな」
「さあ、わたしに声を合わせて、金ちゃんも。きみはいいこ、きみはいいこ」
「きみはいいこ、きみはいいこ」
 ぼくは、しぶしぶ合わせました。
「金ちゃん、心がこもっていませんね。おばけは、相手の心を見ぬくのが上手ですからね」
「きみはいいこ、きみはいいこ」
「そうそう、それでけっこう。完ちゃんに教えてあげてください。それと、【じめえ】のほかの二人の兄弟は、前からいる生徒に化けていますから、ご注意を。でも、転校生一人を退治すれば、のこりは消えるはずです」
「きょうだいは、どこじゃ」
「兄弟は、転校生の【じめえ】のうしろにいて、けしかけたりはやしたりしていますから、すぐにわかりますよ」
「おった、おった」
 しかしあんな、餓鬼どもにも心をこめて、
「きみはいいこ、きみはいいこ」
 なんていいたくはない。
 しかし懐爺の指示は絶対。
 指示にそむいたら、おばけは図に乗る。
 その夜にぼくが完ちゃんによく教えこんで、翌朝から完ちゃんが見事に実行したのは、いうまでもありません。
 その翌日、転校生はまたどこかへ、転向していきました。
 転校生がいなくなると、その兄弟もすっかり、元の優しい生徒にもどりました。
 
三十五【じゃこつ】
 
 蛇だけではなく、鰻(うなぎ)も穴子(あなご)も泥鰌(どじょう)も、ぬるぬるして長いものはとにかく嫌いでした。
 だからもちろん、そんな不気味なものを食べたことはありません。
 でも村では、鰻や穴子や泥鰌はもちろん、いやそれらよりもっと、蛇を食べる習慣がありました。
 その食べ方もだんぜん嫌いで不快でした。
 見たこともないし、見る気もありませんから、懐爺にきいた話を紹介します。
「生きた蛇を大鍋に入れます。七人家族でしたら、七匹ですね。水を入れて、醤油と味噌を入れ、強火で煮るのです。重しをした鍋の蓋には、あらかじめ、七つの極めて小さな穴を空けておきます。煮立ってきますと、さすがに中の蛇が悶え苦しんで、ひどく暴れます。そして沸騰しますと、七匹の蛇はたまらずに、鍋の蓋の七つの小さな穴から、一斉に物凄い勢いで飛び出します。当然のことに、鍋の外に飛び出すのは、穴のところで肉が削がれて、骨だけになった蛇なのです。それで美味しい蛇鍋の完成、というわけです」
「ざんこくじゃのう」
 ぼくは吐気がしました。
「人間は世界中で最も残酷な生き物です」
 懐爺は断固たる口調でいいました。
「泥鰌なども生きたまま、丸ごとの豆腐と一緒に鍋で煮ます。煮立ってきますと、泥鰌たちは豆腐の中に逃げ込みます。沸騰すると、泥鰌豆腐の完成です。こいつが好きな連中は沢山います」
「わしはそんなものは、しんでもくわん」
「でも金ちゃん、わたしらは知らぬうちに、そういう残酷料理を食べる羽目になっているんですよ」
 あれこれ思いだせば、そうかもしれない。
「にんげんはざんこくじゃ。どうぶつはりょうりをせんからのう」
「はい。料理というものが、すなわち残酷なんです。それなのに、自分は一流の料理人だと、威張っている莫迦が多すぎるんです」
 一流の料理人の料理を食べたことはないが、そうかもしれない。
「それにしても、ほねだらけになったへびが、ばけてでんかのう」
「さすがは金ちゃん。でますでます、【じゃこつ】」
 なんだか懐爺は嬉しそうでした。
「【じゃこつ】たあ、へびのほねのことかい」
「そうですそうです、おそろしやおそろしや、蛇の骨のおばけ」
 こつこつこつこつ
 じゃこつこつこつ
 こつこつじゃこつ 
 こつじゃこつじゃ
 こつこつこつじゃ
 そんな音がきこえたら、【じゃこつ】の登場だそうです。
「【じゃこつ】ににらまれたら、どうなるんじゃ」
「金ちゃんは蛇など食べませんから問題ないんですが、蛇鍋を食べてばかりいる者には、いずれこの音が必ずきこえます。きこえるやいなや、その者の肉は消滅し、骨のみとなります」
「かそうばが、いらんのう」
 おそろしい話ですが、自分は関係ないので、ぼくは呑気でした。
 でもある日あるとき、そんな音がきこえて、ぼくは震え上がりましたが、それは按摩(あんま)さんの杖の音なのでした。 
 
三十六【すげえ】
 
 完ちゃんと【すげえ】をみにいきました。
 小屋にいってみると、【すげえ】は留守で、おそらく二十歳前の、娘が三人いました。
「いったい、どうしたんじゃ、どうして、ここにいるんじゃ」
 ぼくはききました。
「私たちは、隣村の女たちです。村はずれの峠でさらわれて、ここに連れてこられたんでえす」
「神隠しかい。ひとさらいは、【すげえ】じゃろ」
 完ちゃんがききました。
「よくごぞんじですね。【すげえ】はとにかく、すげえ人だから、いえ、すげえおばけだから、逃げることもできませんわ」
「けんど、たかがおばけじゃろ。鬼でも、天狗でも、なかろうに」
「そうじゃ。【すげえ】のいぬまに、にげろや」
 完ちゃんとぼくが、そそのかすと、
「【すげえ】は、すげえから、【すげえ】というのです。留守でも、私たちは逃げられませんわあ」  
「【すげえ】のどこが、すげえんじゃ」
 ぼくはききました。
 いくら【すげえ】でも、懐爺にはかなわないだろうと、ひそかにおもいつつ。
「どこがって」
 と娘たちは顔を見合わせます。
「どこがって、ねえ。すげえものは、すげえのですよん」
「すげえ、すげえ、だけじゃ、わからん」
 声をあげると、娘たちはまた顔を見合わせる。
 こんどは、なぜだか、笑っているふうにみえます。
「まあ、こどもにはわからないでしょうけんど、あのね、魅力が、すげえのよん」
 娘たちは、また顔を見合わせて、頬を赤らめます。
「ばかばかしい」
 と完ちゃん。
「かえるがなくから、かえろ」
 とぼく。
 帰るとちゅう、完ちゃんが、こうつぶやきました。
「魅力ってさ、漢字にするとさ、未来の鬼の力って、書くんじゃ。あいつらはさ、鬼くらい、力のある、未来の男を、産みたいんじゃ。【すげえ】の子をよ」
 
三十七【せんじゅ】
 
 祠の先の古社(やしろ)に、【せんじゅ】が棲(す)んでいる。
 そう懐爺にきかされて、【せんじゅ】を訪ねたものです。
 お土産は千粒の甘納豆で、百個の饅頭だと、他の九百の手が、不満のために手をのばしてきて、首を絞めるのだそうです。
 それでぼくは、【せんじゅ】とは、千手観音(せんじゅかんのん)の千手だと知りました。
「かんのんさまなら、こわくはないのう」
 ぼくがつぶやくと、懐爺は首をふりました。
「千手観音の千手は、たくさんの手で、恵まれない者たちを救いたい一心からそうなっているのです。ところが【せんじゅ】は自分の心と関係なく、手が千本になったから、人間を恨んでいるのです」
「わしらのせいなのかのう」
「小川はもともと水が清らかで、みずすましが、いっぱいうかんでいたものです。蛙もみんな小川で卵を産んだ。金ちゃんは小川でおたまじゃくしをみたことがないでしょう。なぜならいまは、みんなが塵や屑や芥(あくた)を小川に捨てる。今や小川は、毒と菌の巣窟(そうくつ)になってしまっているから、卵だって、無事には孵(かえ)らない。孵っても、手足が何本もある蛙となってしまう。長く小川のほとりに棲んでいた【せんじゅ】のお母さんは、難産のすえに【せんじゅ】を産み落としたのですが、そのまがまがしさに、お母さんは【せんじゅ】を社に捨てた。【せんじゅ】は社に棲んで、おばけになったのです」
「せつないのう」
 ぼくが社につくと、【せんじゅ】は待っていました。
 懐爺からきいていたのかもしれない。
 【せんじゅ】は、ぼくをみて笑いました。
 ぼくがおばけ好きであることも、きいているのかもしれない。
 甘納豆をみてもっと笑いました。
 千粒あると、わかったのかもしれない。
 ぐび
 ぐび
 ぐぐぐ
 ぐび
 【せんじゅ】の千本の手が、甘”[豆にのびます。
 手というよりも、無数の蛇の首にみえました。
 それでもちっとも、こわくはない。
 【せんじゅ】は十歳にもみえたし、百歳にもみえました。
 顔も体もひどく汚かったけれども、目だけはみずすましがういた、水面をおもわせました。
「せつないのう」
 ぼくはいいました。
「なんの、なんの」
 【せんじゅ】はこたえました。
「せつないのう」
 それしかぼくは、言葉が無かったのです。
「拙者(せっしゃ)をみんなはおばけというが、おばけではござらん」
 【せんじゅ】はそういうけれども、ぼくには信じられない。
「おばけにしかみえん」
 ぼくは正直にいいました。
「拙者はおばけではなく、人間の標本でござる」
「ひょうほんかい」
 ぼくは夏休みの宿題の、蝶の標本をおもいました。
 あれは動いていないが、【せんじゅ】は動いている。
 千本の手が、かわるがわる、甘納豆にのびてくるのは、何とも不気味で、心がときめく。
 ぐび 
 ぐび
 ぐぐび 
 ぐぐぐぐ
「ほかにいいようもない。人間が人間っぽく暮らさなかったその標本が拙者でござる」
 【せんじゅ】は断言したけれども、ぼくはいささか疑問でした。
「かわをきたなくするのは、にんげんっぽいぞい」
 あえてぼくは、そういってみました。
 【せんじゅ】は肩を落としました。
「大人が悪いから、こどもでもそういう発想になってしまう。よくおばけはおそろしいというけれども、人間よりもおそろしいものは、この世にはござらん。なぜなら人間は、人間っぽくしない動物ですから」
「むずかしいのう」
 ぼくは正直にいいました。
 【せんじゅ】は懐爺よりも理屈っぽい。
「きみたちは拙者にならないこと、きみたちは拙者のこどもをつくらないこと。それが肝腎でござる」
 【せんじゅ】の目をみていると、【せんじゅ】は正しいのだと実感しました。
 正しいのだけれども、おそらくその正しさを、自分たちは理解できないのだとかんじました。
「せつないのう」
「そのとおり。せつないのは人間であって、おばけではござらん」
 そういったなり、【せんじゅ】は社に消えてしまいました。
 ぼくは、またこようとかんがえました。
 またこよう。
 こんどは千個の、おにぎりをかついで。
 
三十八【せんゆう】
 
 村のはずれに、新しくできた赤ちょうちんがあります。
 仕事一筋の大工だった留吉(とめきち)さんが、足に大怪我をして大工ができなくなったので、赤ちょうちんを始めたのです。
 夜おそくまでやっているので、夜おそくまで居座る常連客がいます。
 ある夜のこと、常連客みんなで車座(くるまざ)になって、するめを肴に酒をのみ、各々の幽霊話で盛り上がったことがあったそうです。
 皆ひととおり、自分が見たことがある幽霊、あるいは幽霊らしきものの話をしたあとです。
「幽霊ってやつは、みな能無しじゃ。うらめしや、しかいわん」
 とだれかがいうと、
「すくなくとも、学者や芸術家の幽霊ってやつは、きいたことありゃせんな」
 とだれかが続き、
「知恵のあるもんは、幽霊になんぞならん。あの世でも考えごとしとるからのう」
 とだれかがいって、皆で大笑しました。
 すると、一人だけ笑わなかった若者がいて、
「それがじつは、ぼくは学者で芸術家の幽霊にであったんです」
 といったのでした。
 若者は続けます。
「であったのは大山の奥の奥。老人でしたが、その容姿その物腰その声音、じつに高貴というしかない幽霊でした。ぼくはその幽霊を【せんゆう】と名付けました。戦友ではなく、仙人の幽霊で【せんゆう】です。【せんゆう】は、自作の詩の数々を朗誦してくれました。
 猿の音は川辺に絶えて
 人声は霧に消え去る
 年経し梟人語を語り
 深山のすだまは昼も行き交う
 などなど、他にもたくさん」
 皆は真剣な顔で、若者の話をきいていました。
「それは、おてがらじゃのう」
「わしもその【せんゆう】なら、あってみたいのう」
「それから【せんゆう】は、どうしたのかのう」
 皆の問いに、若者は微妙に笑って、
「もちろんぼくは【せんゆう】の教えを請いたいと、お願いしたのですが、【せんゆう】いわく、そういってもらっただけでありがたい、というなり木々の蔭に消えてしまって、靄(もや)ばかりがもやもやと立っていました」
 そこまでいうと若者は、一礼して赤ちょうちんからでていきました。
 そしてそれきり戻ることはなかったのです。
 あとで皆がそれぞれに確かめたら、その若者を知るひとは一人もおりませんでした。
 皆がそれぞれ、きっとあのひとのこどもか親戚だろう、きっとあのひとが連れてきたのだろうと、おもいこんでいたのです。
「なんじゃ、あいつが幽霊じゃったのかい」
「それにしては、顔色のいい幽霊じゃったのう」
「【せんゆう】とはいかんが、青年の幽霊で【せいゆう】かのう」
 皆は例によって赤ちょうちんで、こんどは若者の話をして盛り上がったそうです。
 この話はもちろん懐爺にも伝えました。
 懐爺は、きいているときも、きいたあとも、ひたすら微笑んでいるだけでした。
 そのあとで懐爺がいいます。
「ところで金ちゃん、おばけのすばらしいところって、なんですか」
「そらあ、おそろしいところじゃ」
「じつはそうではなくて、おばけは人間とちがって、人種や思想や宗教やあれやこれやに関係なく、おばけ同志で喧嘩をしないことです。たとえば【ろくろっくび】と【のっぺらぼう】が殴り合っているのを見たことがありますか」
「なるほどのう。おばけのせかいには、せんそうがないんじゃな」
「はい。そのことだけでも、おばけは人間よりもすばらしいんです」
「おそろしがるだけでのうて、そんけいもせにゃならんのう」
「金ちゃんだから、あえていったのです。他の人にいってもねえ」
 懐爺は淋しそうにうなだれました。
 
三十九【たいようかめん】
 
 おばけと時刻の関係、おばけと天候の関係を、こんどの夏休みの自主研究課題にしようと、ぼくは決心したことがありました。
 まだどんな字を書くかは知らなかったけれども、〈丑三つ時(うしみつどき)〉という言葉は知っていました。
 〈丑三つ時〉におばけがよくでてくる、といわれていることも知っていました。
 ぼくの体験上では、〈丑三つ時〉にかぎらないことも、わかっていました。
 それで、時刻を研究したいのだけれども、真っ昼間にはおばけはでにくいらしい。
 天候も、太陽が皓々(こうこう)と輝いているときにでるおばけは、さすがにいない。
 雪の日は、有名な【ゆきおんな】。
 雨の日は、有名な【からかさおばけ】。
 曇の日は、有名な【くもおとこ】。
 晴の日は、おもいだそうとしてもでてこない。
 そういう話を、懐爺に自慢げに話してみたら、
「そんなことはありません」
 と否定されてしまいました。
「ほんまかいな」
「真っ昼間や、太陽が皓々と輝いているときに登場する、おばけだっているんですよ」
「しらんのう」
「昼間のおばけの帝王、【たいようかめん】です」
 何か、おそろしそうな名前だったけれども、
「げっこうかめんの、なかまかい」
 ときいてみると、
「ぜんぜん関係ありません」
 との答えでした。
「かめんをとったら、にんげんじゃろが」
「【たいようかめん】のおそろしいところは、仮面と顔とが一体になっているところです」
 懐爺は、鼻の穴を極度にふくらませました。
「それはおそろしいのう」
 ぼくは漫画で、顔の仮面が取れなくなった、男の話を読んだことがありました。
「おそろしいのはそれだけではありません。月光仮面は正義の味方ですが、【たいようかめん】は運命そのものなのですから」
 まわりに、ただならない緊張感がはしりました。
「それは、どんないみかのう」
 意味はわからなくとも、おそろしかったのです。
「わたしたちには、運命というものがあります。運命には逆らえない。運命に逆らって偉くなっても、運命に逆らって命が助かっても、その後で、もっと悲惨な結果が待っているのです。【たいようかめん】に、みられているのですから」
 ますます意味がわからなくなったけれども、ますますおそろしくなりました。
「まんまは、ないんかい」
 ぼくのいう〈まんま〉は、〈ありのまま〉という意味で、抽象的な話ではなく、具体的な例はないのかということです。
 抽象とか具体とかの語彙(ごい)を知らなかったので、そういったのです。
 懐爺は、腕組みをしました。
 何かをおもいだそうとする、顔つきでした。
「これは、金ちゃんが生まれる前の、村の出来事です。結婚二十年目の夫婦に、ようやくこどもができて、めでたしめでたしなのですが、その赤ちゃんが、重そうな病気になってしまった。旦那さんは自転車を必死にこいで、町の医者を呼びにいった。太陽が皓々と輝く夏の真っ昼間ですから、途中で旦那さんは、ひどく、目がまわってくる。ほとんど、日射病にかかっている。そこに、【たいようかめん】の登場です」
 ぼくは、唾を飲み込みました。
「どどどどんなすがたなんじゃ」
 ぼくはききました。
「それこそ、太陽の顔です。その顔に、見上げるまでの巨大な体がついている。体は人間の体に似ていますが、獅子の体にも似ています」
「たたた【たいようかめん】」
 ぼくは驚きと感動で、その名を叫んでいました。
 懐爺は溜息をついてから、続きを話しはじめました。
「【たいようかめん】は、旦那さんに怒鳴ります。赤子が死ぬのは運命だ。無理に医者を呼びにいったら、お前も死ぬ。赤子は助からぬから、お前だけでも助かったがよい。この声は運命の声だから逆らうなかれ」
「それで、だんなは、まちにいくのやめたんか」
 早く結末が知りたかったぼくは、懐爺をせかせました。
 懐爺はまた溜息をついてから、続きを話しはじめました。
「旦那さんは思案します。けれども、烈しい太陽に照らされて、【たいようかめん】の大声に嚇されて、だんだん、身動きが取れなくなってきます。それでも、旦那さんは勇気をふりしぼって、赤子のために必死で自転車をこぐのです」
「ならば、だんなは、しんだんか」
「はい。町に着いたとたんに死にました。赤子も同時に死にました。それを悲しんで、奥さんもすぐに死にました」
「せつないのう」
「せつないといってくれるのは、金ちゃんだけです。まわりは、【たいようかめん】に遠慮をして、そんなことはいいません」
「【たいようかめん】は、けしからんのう」
「金ちゃん、これは選択ということです。人生の選択。それをまちがえると、こうなるという証明です」
「せんたく、たあ、うんめいか」
「運命と選択はちがいますが、運命を受けいれ、正しい選択をしなければ、いけないということです」
「だんなは、ただしい」
 ぼくは、断固(だんこ)としていいました。
 自分のこどものために、命がけになる親を、正しいといえないのか。
 ぼくはぼくのために母親が命がけで仕事をしているのを知っている。
「旦那さんの発想は、個人的情愛です。個人的情愛はだれにもあるし、とてもよいものです。ところが、個人的情愛が、まちがいの元となるのです。みんな自分の家族が大切。みんな自分の生活が大切。みんな自分の国が大切。その発想が戦争を生むのです」
「わしは、なっとくできんのう」
 ぼくがそういうと、懐爺はしきりに肯きました。
「金ちゃんなら、そういうとおもっていました」
「じぶんたいせつ、たにんたいせつ」
 言葉足らずだったけれども、生意気なぼくは、自分を大切にできない人が、他人を大切にできるのかと問うたのです。
「【たいようかめん】は、偉大すぎて理解されにくいのです」
 懐爺は、そういっただけでした。
 懐爺がそういうのなら、そうかもしれない。
 もう【たいようかめん】の話は、終わったのです。
 ぼくに、疑問が一つ、残りました。
 旦那が死んだのなら、旦那が遭遇したという、【たいようかめん】の存在を、いったい誰が伝え残したのか。
 
四十【だんだん】
 
 母親の神経痛が悪いので、ぼくが代わりに村役場に行きました。
 一彦さんはいるかときくと、仕事で山本不二子さんのところに行っているというので、ぼくは引き返して、山本不二子さん(つまり隣のお姉さん)の家に行きました。
「かずひこさんは、いるかのう」
 玄関で大声をだすと、しばらくしてお姉さんがでてきました。
「金ちゃんなのね」
 お姉さんの姿は、ちょっと正視できないものでした。
 髪は乱れ顔は痣(あざ)だらけ、衣服も元の形をなしてはいませんでした。
 ぼくはわけをきく前に、
「かずひこさんは、いるかのう」
 とききました。 
「いるにはいますが、あまり具合がよくありません」
 お姉さんも具合がわるそうです。
「かずひこさんは、びょうきかい」
「いえ、わたしがいま、包丁で刺したばかりだから」
「ころしちゃったのかい」
「そのつもりはなかったの」
「しんじゃったのかのう」
「いえ、いまはただじっとすわりこんでいるだけ」
「だば、いきてるんじゃな」
「ええ、まだ生きてます。裏の納屋のなかで」
「どうして、なやなんじゃ」
「納屋まで這って行って、座り込んでいます。荒い息で」
「いしゃは、よんだのかのう」
「いいえ。医者も警察も呼ばないでほしいって」
 こどもながらに、なんとなく理解しました。
「かずひこさんが、そういうたのか。かずひこさんは、おねさんに、らんぼうをしたんじゃな」
「ええ、たのんでもおねがいしても、無理矢理」
「かずひこさんに、あってもええかのう」
「どうぞ」
 お姉さんに案内されて納屋に行きました。
 一彦さんはぼくの顔を見るなり、
「金ちゃん、面目(めんぼく)ありません」
 とぎれとぎれにいって、泣きました。
 腹から血が溢れ出ていて、一彦さんの顔は真っ白でした。
「かずひこさん、しっかりせいや」
「家内にも子供にも、面目ありません」
 またとぎれとぎれにいって、泣きました。
「かずひこさん、しにそうじゃのう」
「僕はもうすぐ死にますが、金ちゃん、最後ののぞみが三つあります」
「みっつとは、おおいのう」 
「不二子さんに、どうか、許して、もらいたいのです」
「そらあ、わしからよくたのんでおく」
「警察はもちろん、家族にも、しられないように、してほしいのです」
「むずかしいが、なんとかするわい」
「僕の死体を、だれにもみつからないよう、消滅させてくれませんか」
 ぼくが頼まれたら断れない性格なのを、たぶんしっているんだ。
「しょうめつかい。なんぎじゃのう」
「虫のいい、はなしですが、虫の息の、僕にめんじて、よろしく、おねがいします」
 一彦さんは掌を合わせ、そのまま息絶えた。
「しんだのう」
 お姉さんをふりかえると、お姉さんも泣いている。
「わたしが、ころしたのです」
「そうともいえんのう」
 ぼくがいうと、お姉さんはぼくを見て、
「どういうこと」
「かずひこさんは、じぶんでじぶんを、ころしたんじゃ。わしはそうおもうとる」
 いいながらぼくは、正彦さんの死体を、納屋にあった筵(むしろ)で包んで麻縄でしばりました。
 暗くなってから、お姉さんと一緒に、荷車で底なし沼まで運び、死体を沈めました。
「これでええ。かずひこさんの、のぞみじゃからのう」
 そのとき、強風でもないのに、荷車が音をたてて横転しました。
 だんだん、という音をたてて。
「おねえさん、ええかのう。かずひこさんは、おばけの【だんだん】にくわれたんじゃ。わしだけがそのばめんを、もくげきしたんじゃ。ええかのう、わかったかのう」
 お姉さんが黙っているので、ぼくは何度も何度も、
「ええかのう、わかったかのう」
 と強く繰り返しました。
 ようやく、
「金ちゃん、ありがとう」
 お姉さんはうなずきました。
 翌朝、村長さんの家と、村役場に行って、ぼくはおそるべき【だんだん】の話をしました。
 信じたのか信じなかったのか、それはわかりませんが、一彦さんが村からいなくなったことは認めました。
 村役場のお金を横領していたので、遠くまで逃げたのか、それとも神隠しにあったのか。
 どちらにしろ、前から家族とは絶縁状態になっていたらしく、家族も捜索願いもださないし、嘆き悲しんだりもしていない。
 そういう噂はたちましたが、だれも【だんだん】のことは、ちっともいいませんでした。
 懐爺には真実を話しました。
 懐爺は黙ってきいていて、なにもいいませんでした。
 
四十一【だんちょう】
 
 全国的な人気を誇る、といわれている巡回営業の〈お化け屋敷〉が、ぼくの村にも来ることになって、前評判は凄いものでした。
 ぼくも待ち遠しくてたまりません。
 〈お化け屋敷〉には、ぜひとも隣のお姉さんを誘って行きたい。
 隣のお姉さんがこわがって、あのときのようにぼくに抱きついてくるかもしれませんから。
 ごぞんじのようにぼくは女嫌いだけれども、母親と隣のお姉さんだけは別なのです。
 けれども、隣のお姉さんは用事があって、しばらく町へ行くことになりました。
 それでぼくはひとりで行くことにしました。
 半年かけて貯金した、十円玉を五枚握りしめて。
 広場に巨大な簡易建築物が完成していて、幾つもの幟(のぼり)や旗が立っていました。
 そこにはいろんなおばけの名前や姿が描かれていました。
【ろくろっくび】
【ひとつめこぞう】
【のっぺらぼう】
【ゆきおんな】
【からかさおばけ】
【ねずみおとこ】
【ぶたまんじゅう】
【じんめんぎょ】
【うみぼうず】などなど。
 呼び込みのおじさんが嗄(しわが)れた声を張り上げています。
 良い子悪い子出ておいで
 お化けさん達待ってるよ
 観ないと損だ一生の不覚
 良い子悪い子出ておいで
 お化けさんはもう出てる
 いまか今かと待っている
 良い子悪い子腰ぬかすぞ
 お化け怖くて泣き出すぞ
 それでも楽しい屋敷だよ
 お化け屋敷は日本一だよ
 ああ怖やおおおぞましや
 種も仕掛けもありませぬ
 お化け屋敷は日本一だよ 
 小学生と中学生は、それぞれ三、四人かたまって来ていました。
 幟や旗を見ただけで、べそをかいているこどももいました。
 家族連れも来ていましたが、幼子が怖がって泣きじゃくるので引き返す者たちもいました。
 ぼくは後で、懐爺に報告をしなければならないから、緊張して、武者震(むしゃぶる)いが何度もでていました。
 みんな一番目を厭(いや)がっているので、ぼくが先陣(せんじん)をきりました。
 なかは薄暗く、細い通路になっています。
 おどろおどろしい音楽が天井からきこえます。
 おばけは左右にいて、そこだけがほんのりと薄明るくなっています。
 はじめは、
【ろくろっくび】で、首から白く細い布を下げた、顔色の悪いおばさんが、小さな階段を登ったり降りたりしているだけです。
 おつぎは、
【のっぺらぼう】で、顔に白い絵の具を塗りたくっているおばさんが、顔‚傖dくして突っ立っているだけです。
【ひとつめこぞう】も同じで、顔に白い絵の具を塗りたくっているこどもが、そこに一つ、目を描いているだけです。
【ゆきおんな】は、人工雪の上に、着物を着たおばさんが座って、居眠りをしているだけ。
【からかさおばけ】は、唐傘のなかに、下駄をはいたおじさんが入って足踏みしているだけ。
【ねずみおとこ】は、変ににやついたおじさんが、一匹の生きた鼠をぶらさげているだけ。
【ぶたまんじゅう】は、豚のお面をかぶったおじさんが、饅頭を喰いにくそうに喰っているだけ。
【じんめんぎょ】は、魚(といっても紙粘土で作られたもの)の頭に、人の顔を描いているだけ。
【うみぼうず】は、坊主頭に膿(うみ)をもった、おできがあるこどもが、頭をかいているだけ。
 まあ、他のおばけたちも、「だけ」の存在で、屋敷から出たぼくは、呆れ果てて腰をぬかしそうになり、五百円が惜しくてべそをかきそうになりました。
 種も仕掛けも、あってほしかった。
 それでもぼくの後から出て来た小学生や中学生たちは、恐怖の顔で腰をぬかしたり、べそをかいたりしていました。
 なさけないやつらじゃ。
 ぼくは気が進まなかったけれども、懐爺に報告に行きました。
 憮然(ぶぜん)としたぼくの顔を見て、懐爺は笑いながら、
「〈お化け屋敷〉はみんなそういうものですよ。逆に本物のおばけが出て来たら、お客さんは寄り付かない。あれはあれで、あの滑稽感と奉仕精神を楽しめばいいのですよ。かしこい金ちゃんならわかるんじゃないですか。常に階段を登り降りしたり、雪の上に長い間座ったり、唐傘のなかに入りっぱなしになったり、ずっと鼠をぶらさげているなんて、相当に忍耐力がないとできませんよ。
【ろくろっくび】の顔色が悪いのは、息切れしているからです。
【ゆきおんな】の居眠りは、本当のところひどく冷たくて気絶しているんです。
【からかさおばけ】が足踏みしているのは、おそらく閉所恐怖症(へいしょきょうふしょう)なんですね。
【ねずみおとこ】がにやついているのは、気持悪さを必死で我慢しているのですよ」
 ぼくは懐爺の解釈に、目から鱗(うろこ)も泪も落ちました。
「あわれじゃのう。せつないのう」
「あわれでせつないのが、おばけですから、あのひとたちは、おばけの神髄(しんずい)を、ちゃんと理解しているんですね」
 懐爺はしきりにうなずく。
 ぼくも感心しつつ、
「そんでも、ごひゃくえんだしたんじゃから、ほんもののおばけにあいたかったのう」
 と、だだをこねるふうにいいました。
「あれれ、金ちゃん。会いませんでしたか。呼び込みのおじさんがいたでしょう」
「むろんいたのう。よいこわるいこでておいで、おばけさんはもうでてる、というとった」
「それはたしかに、もうでていますよ。あの呼び込みのおじさんこそ、〈お化け屋敷〉の持ち主で、【だんちょう】という、ほんもののおばけですからねえ」
 ぼくは唖然(あぜん)としました。
 〈お化け屋敷〉に行く前に、懐爺の話をきいておけばよかったと後悔しました。
「そいで【だんちょう】は、どんなわるさをするんか」
 懐爺は苦笑いをして、
「ほかならぬ金ちゃんですから、あえていいますが、わるさをするおばけよりも、わるさをしないおばけのほうがはるかに多いんです。しかしわたしらから見れば、怖い姿形をしていますから、わたしたちが勝手に怖がっていることもたくさんあります。おばけの世界ではそういう姿形は常識なんですがね」
「ならば、【だんちょう】はこわくな‚「すがたかたちをしていて、なおこわくないおばけなんか」
 そんなおばけは知らないから一応きいてみました。
「いやいや、【だんちょう】は怖くないおばけですが、姿形は怖いんです。呼び込みのおじさんの姿形は、かりそめでしてね。【だんちょう】とは、団長さんとまちがえられやすいですが、じつは断腸、つまり断腸の思い。ひたすら悲しみに耐えているおばけなんです。本当の姿形は千切れた腸の集合体ですから、見た目にこんな怖いおばけはありません」
 見なくとも想像しただけで怖い。 
「それで【だんちょう】のかなしみたあ、なんじゃ」
「〈お化け屋敷〉で、本当は本物のおばけを登場させたい。でもそうしたら、お客さんは寄り付かない。【だんちょう】に協力してくれるみんなを食べさせるために、ああいう出し物をしているんです。本心よりも商売優先です。本物のおばけである【だんちょう】が、悲しくないわけはありません」
「なるほどのう。そういうもんかのう」
 ぼくは何だか、いまだかいもくわかっていない、人生の一端(いったん)をのぞいた気持になりました。
 
四十二【だらし】
 
 夏休み前に学校で遠足にいくのは、恒例でした。
 標高一千の、小山でした。
 標高二千の大山や、標高一千五百の中山でないならと、母親もぼくも油断したのかもしれない。
 ふかし芋一本しか、持っていかなかったのです。
 もっともぼくの家は赤貧(せきひん)だったので、いつもそんなもんだけれども、遠出するときはいつもは用心に、蓬餅(よもぎもち)とか芋羊羹(いもようかん)を持参したものでした。
 なぜなら、一種の饑餓状態になると、【だらし】にやられるときいていたからです。
 山道とかを歩いていて、突然に空腹感を覚え、全身がひどくだるくなり手足もしびれて、一歩も前に進まなくなることがあるのだそうです。
 これを、【だらし】に取り憑(つ)かれる、というのだけれども、いま考えれば栄養不足で低血糖になるのかもしれない。
 それでも、こどもに低血糖は無関係な気がする。
 さてぼくは、その【だらし】にやられました。
 ぼくは先生に背負われて一足先に小山を降りることになったのだけれども、途中先生にお願いして祠で降ろしてもらいました。
 懐爺にきいてみるためです。
 懐爺はぼくが来るのを待ち受けていたのだろうか。
 何も聞かないのに、汚い掌にあんこ玉を乗っけて差しだしました。
「だらしないですね。まずはこれを呑み込みなさい」
「だらしない、じゃなく、だらしあるじゃろ」
「金ちゃんも、洒落がわかってきましたね」
 懐爺はいつにもまして、うれしそうでした。あんこ玉を呑み込むと、五分も経たずに、ぼくは元気がでてきました。元気の証拠に憎まれ口をたたきました。
「【だらし】なんか、おばけじゃない」
「いいや、あれもおばけ。その証拠に、【だらし】にやられたのは、金ちゃんだけでしょう」
「そらあ、わしがおやつを、もってかなかったせいじゃ。しょうこに、かいじいはあんこだま、くれたでねえか」
「【だらし】退治の、あんこ玉ですよ」
「あんこだまでたいじできるおばけか、たいしたおばけじゃないのう」
「それがたいしたおばけで、あんこ玉がないと死んでしまう場合もあります。その証拠に金ちゃんは、、あんこ玉で生き返りました」
「かいじいはなんで、あんこだまもってたんじゃ」
 ぼくはどうにも、腑(ふ)に落ちなかったです。
「実はわたしも遠足。中山まで行って、ついいましがた帰ってきたところで。【だらし】にやられるといけないから、あんこ玉用意してありました。証拠はほれ、中山の頂上の小石を持って帰りました」
 たしかに、あんこ玉でないほうの掌には小石が。
 しかしこの小石が、中山の頂上の小石なのか。
 その証拠はない。
 
四十三【ちひる】
 
 夏休みの楽しみといえば、何よりも筏(いかだ)下りでした。
 完ちゃんと粗末な筏を作って、中川を下るのです。
 先生から将来何になりたいかと聞かれると、きまってぼくは、
「ふなのり」
 と答えました。
 完ちゃんは、
「せんちょう」
 と答えました。
 だから、完ちゃんを船長にして下る。
 完ちゃんとぼくは、調子に乗ってさけぶ。
 よー
 ほっほっほー
 よー
 ほっほっほー
 途中で筏がこわれそうになると、川岸にあがって直しました。
「こいつにのって、どこいこうかのう」
 ぼくがきくと、きまって完ちゃんは、
「たからじまじゃ」
 と答えたものです。
 ぼくも同じ気持ちだったけれども、
「おばけのくにじゃ」
 とさけんだものです。
 完ちゃんが目を丸くしました。
 筏の修理が終わって、また乗り込もうとすると、完ちゃんの足が、血まみれになっています。
 蛭(ひる)にやられたんだろうとおもって、完ちゃんの足をこすってみると、蛭はいない。
 一応手拭いで足を縛ったけれども、完ちゃんの血は止まらない。
 何だか気味が悪くなって、今回の筏下りはそこでおしまい。
 筏を中川の流れに捨てて、上流に向かって歩きました。
 とうぜん懐爺のところに寄りました。
 完ちゃんは出血多量で、顔色が悪くなって、
「しぬ、しぬ」
 と口走っています。
 ふだんの元気な完ちゃんとは、まったくちがう。
 ぼくもいっしょになって、
「しぬ、しぬ」
 とわめきます。
「いそいで、なんとかせいや」
 と懐爺をせかせました。
「どれどれ、ほいほい」
 と、懐爺は完ちゃんの足をさわります。
 そしてすぐに診断しました。
「これは【ちひる】にやられたんですね」
「ひるじゃねえんか」
 完ちゃんが、蒼白い顔でいいました。
「蛭は蛭でも、【ちひる】は蛭のおばけですから、姿形がみえない」
「まいったのう」
 ぼくがいいました。
「まいる必要はありません。いま血止めの草を探しますから」
 懐爺は草を探したりはしない。
 目の前にある雑草を引き抜いて、掌の中でこすって、草の汁を完ちゃんの足にぬります。
 するとすぐに血が止まったのです。
 完ちゃんは元気になって、
「よくきくのう」
 感心していいました。
「このくさは、【ちひる】いがいにもきくんか」
 完ちゃんがきくと、
「この薬草は、【ちひる】専用のものです」
 懐爺は、そっけなくいました。 
 ぼくには、薬草とはおもえない。
 懐爺が、おまじないをしたのだとおもいました。
「ついでですが、ひるはひるでも、中川には、【ひるぶね】というおばけがでますから、ご用心」
 懐爺がついでをいうときは、機嫌のいい証拠なので、ぼくはせがんだのです。
「【ひるぶね】のはなし、ききたいのう」
 懐爺は、さらに上機嫌になりました。
「【ひるぶね】はお昼にでる舟で、血を吸う蛭ではありません。筏ならいいですけど、この【ひるぶね】に乗ったら、さあ大変です」
「どうたいへんなんじゃ」
 明るいうちにでるおばけは、怖くはない。
 そう前に教えてくれたのは、懐爺のはずです。
「同乗者と必ず賭け事をやる羽目になってしまって、無一文にさせられるんです。身ぐるみはがれる場合もあります」
「どうじょうしゃとやらも、おばけなんか」
「その舟と同乗者をまとめて、【ひるぶね】と‚「うおばけなんですよ」
「ややこしいのう」
「ともかく中川で、【ひるぶね】に乗ってはいけませんよ」
 懐爺は、完ちゃんとぼくの顔を、かわるがわるみていいました。
 完ちゃんとぼくは、お互い顔を見合って、口々にこういいました。
「わしらは、もんだいないのう」
「はじめから、むいちもんだからのう」
「わしらは、こわくはないのう」
「はじめから、みぐるみはがれているからのう」
「わしらは、かんけいないのう」
「はじめから、いかだしかあたまにないからのう」
 懐爺の機嫌が悪くなったのは、いうまでもありません。
 
四十四【ちんちろり】
 
 夏休みが終わるころ、母親と一緒に躑躅峠(つつじとうげ)を越えたことがありました。
 躑躅峠だけれど、もう躑躅の花はみられない。
 この村恒例の、なまぬるい風が吹いていました。
 日が暮れかかってきたので、ぼくは【がしゃどくろ】を踏んづけないよう、下を向いて歩いていました。
 するとうしろのほうから、
「金ちゃん金ちゃん、ちんちろり」
 と誰かがいいました。
 前を歩く母親にきくと、
「何も聞こえん」
 と答えます。
 幸か不幸か、母親は耳が遠いのです。
 また同じ声がする。
「ちんちんとはなんじゃ」
 と応えると、
「ちんちんではなくちんちろり」
 という。
「おまえこそちんちろりじゃろ」
 というと、
「金ちゃん金ちゃんちんちろり」
 とまたいう。
 いやだいやだとおもいながらも、
「おまえこそちんちろりじゃろ」
 とまたいいました。
 そうして家に着くまで、繰り返しいいつづけたものでした。
 ちんちろり
 ちんちろり
 ちんちんちろり
 ちんちろり
 翌日、懐爺のところにいきました。
 やはり頼りになるのは、懐爺だけでした。
「【ちんちろり】は、しつこいおばけですからね。家に着いたら小坊主がいませんでしたか」
 懐爺がききました。
「そんなもんおらん」
 ぼくは答えました。
「【ちんちろり】はふつう小坊主のおばけで、その小坊主は狂言が好きなんです。あの繰り返しは狂言の真似ですね」
「きょうげんたあ、なんじゃ」
「むかしの喜劇、つまり可笑(おか)しいお芝居、学芸会でしょうか」
「がくげいかいか。【ちんちろり】はしばいしたんか」
「お芝居だから、ちっともこわくなかったでしょう」
「こわくないおばけは、おばけじゃなかろう」
「金ちゃん、おばけはもともと、こわいものではないんですよ」
「こわい。【ちんちろり】だってこわい。おなじことをくりかえすおばけは、やっぱしこわいべ」
「こわいとおもうから、こわいんで。こわくないとおもえば、こわくないんです」
「こわくないとおもっても、こわいべ」
 意見がわかれました。
 こういうときこそ、いいやすいと子供心におもったにちがいない。
 ぼくは懐爺に前からききたかったことを、ききました。
「どうしてかいじいは、おばけのこと、こんなにしっとるんかのう」
「それはですね」
 懐爺は、少しも口ごもりませんでした。
「わたしはおばけの世界に、長くいたからですよ」
「かいじいは、おばけだったんか」
「おばけを退治するおばけです。おばけはおおくても、おばけ退治はすくないですから、なかなかこの世にもどしてもらえなかったんですが、十日間断食してなんとか戻ってきました」
「めしくわにゃあ、おばけにならんのか」
「そうはいってません。ただおばけは意地汚いですから、たべることに関しては、豚並み。一日十食くらいやるおばけもいます」
「うらやましいのう」
 欠食児童のぼくは、本当に羨ましかったのです。
 
四十五【つちざめ】
 
 大山の中腹に小屋を建てて仕事をしている樵(きこり)の大上(おおかみ)さんが、大山から駆け降りてきました。
 歩けば三時間かかるところを、三十分で走ってきたのです。
「大変じゃあ。鰐(わに)がでたあ。鰐に喰われそうになったぞお」
 汗と泪で濡れた顔を真っ赤にして叫んでいました。
 村びとたちは苦笑しています。
「困ったもんじゃ。また大上さん恒例の法螺(ほら)が始まったぞ」
「大山に鰐なんかおるかい。朽ち木を鰐とまちがえるなんざ、大上さんも耄碌(もうろく)したもんじゃ」
「昨年は大山に海坊主がでたと、おおさわぎじゃったな。大上さんのさわぎは豚のえさにもならん」
 こうなったら懐爺にきくしかありません。
「大上さんは法螺なんかいってませんよ。それは【つちざめ】ですね」
 懐爺はいつもよりさらに歯切れがいい。
「やまにも、さめがいるんか」
 そんな突拍子(とっぴょうし)もない話は信じられない。
「土の鮫で、【つちざめ】。枯れ葉や朽ち木が長年堆積して産まれたおばけで、たしかに鰐に似ていますね。ふだんは土の中にいるんですが、おそらく大上さんが大山の木を伐(き)りすぎたので、怒ってでてきたのでしょう」
 納得。
「どうやって、たいじするんかのう」
「大上さんも生活がかかっていますから、木を伐るなといってもねえ」
「ならば、むずかしいかのう」
「ひとつだけ方法があります。大昔、源頼光(みなもとのらいこう)という豪傑が【つちぐも】を退治しました。その太刀は〈蜘蛛切〉(くもぎり)と呼ばれています。【つちざめ】を退治するには〈鮫切〉(さめぎり)という太刀が必要です」
 ふつうのひとなら信じられない話ですが、ぼくは信じるのです。
「そのたちは、どこにあるんかのう」
「ありません。ありませんが、どんな太刀でも大丈夫です。もし【つちざめ】にであったら、この太刀は〈鮫切〉だと叫べば、すごすごと土の中に退散するでしょう」
 おばけにごまかしが通用するのかと心配でしたが、
「そうかい。それでそのやくめは、だれがやるんじゃ」
「だれでもできるというわけではありません。源頼光に匹敵するつわものとしては、鬼若丸が最適ですかね」
「おにわかまるたあ、だれじゃ。どこにいるんじゃ」
「歌川国芳(うたがわくによし)描くところの鬼若丸に、なんと金ちゃんは、そっくりなのですよ」
「なんじゃと。もしや、わしがおにわかまるにばけるんか。うしわかまるでなけりゃ、いやじゃ」
 駄々をこねたが懐爺に—@され、神社でひとふりの太刀を借りると、大上さんと一緒に大山にむかいました。
「金ちゃん、すまんなあ」
 大上さんはしきりに恐縮していました。
「いまわしは、きんちゃんでのうて、おにわかまるじゃ」
「すまんなあ、牛若丸でのうて」
「そらあもういいで。かいじいに、なんどもあやまられたでのう」
「鬼若丸どのに、ほんとにあの恐ろしい鰐がやっつけられるかなあ」
 大上さんが半信半疑なのはむりもありません。
 ぼくだって半信半疑なのですから。
「ほんまに、わにかい」
「でっかい鰐にしかみえんかったがなあ。ただの鰐のかぶりものだったらええがなあ」
 とにかく大山は遠い。
 重い太刀を担(かつ)いでいるから、なおさら遠い。
「すまんなあ、おんぶするかなあ、鬼若丸どの」
「おんぶされるおにわかまるは、おにわかまるじゃのうて、へなちょこまるじゃ」
 強がりをいってずんずん進むと、大上さんが【つちざめ】を見たという地点に、ようやく辿(たど)りつきました。
「おうい、【つちざめ】でてこいや」 
 すると突如ぼくの叫び声が終わらぬうちに、土のなかから、なにものかが猛然とŽpを現しました。
 土が天高く舞い上がり、ぼくらの上に霰(あられ)となって降ってきました。
 腰をぬかしそうになるのをこらえて、降り注ぐ土を弾(はじ)きとばしながら、ぼくは目をこらしました。
 これが懐爺いうところの【つちざめ】か。
 大上さんのいったとおり、たしかに鰐に似ている。
 しかもこれだけでっかければ、鰐皮の財布が、すくなくとも五千個はできる。
 ぼくは再びさけびます。 
「わしは、おにわかまる。このたちは、さめぎりじゃぞ」
 いうがはやいか、ぼくは、太刀を抜きはなって、【つちざめ】の獰猛(どうもう)そうな牙の前につきだしました。
 すると唐突に、【つちざめ】は土の中にもぐってしまいました。
 しばらく様子をうかがっていましたが、もうでてくる気配はない。
「あっけないのう。これでいいんかのう」
 ぼくはふりかえって、大上さんの顔を見ました。
 大上さんは蒼ざめていましたが、
「あんがとさん、金ちゃん、いえ鬼若丸どの」
「ほこらのじいが、いっとったが、おおやまのきをば、きりすぎんようにのう」
 ぼくがいうと大上さんは黙ってうなずきましたが、生活がかかっているのでどうなりますことやら。
 また【つちざめ】がでてきたら、牛若丸ではなくて、鬼若丸にばけるのかとかんがえると、じっさい憂鬱でした。
 後年、歌川国芳描くところの鬼若丸とやらを鑑賞しましたが、こどものころのぼくにそっくりなんてことはありませんでした。
 すくなくとも当時のぼくは、栄養失調で痩せ細っていて、鬼若丸ほど逞しくはありませんでしたから。
 
四十六【てながあしなが】
 
 ほかの村からぼくの村に、行商にきているひとたちの、手足がやけに長いと評判になっていました。
 それでもべつだん、そのことを問題にするひともいない。
 なぜなら、貧乏な村びとが、行商人たちの主となる品を買うことは、めったにないのですから。
 買わないのに問題にするほど、意固地な村びとはおりません。
 それでもぼくらこどもたちには、他意はなく、つまり無邪気なきもちから、行商人たちを、
「てながおばさん」
「あしながおじさん」
「てあしながじいさん」
 などと呼んでいました。
 ただ妙なことが発端となって、問題が発生しました。
 妙なこととは、行商人たちの主となる品ではなく、ついでにもってきている食べもの(ぼくの村ではとれない果物)を買って食べたひとが、かならず手が長くなったり足が長くなったりし始めたのです。
 ぼくは正直、うらやましかった。
 もしお金があったら、珍しい果物を食べてみたい。
 手が長くなったら、梯子や踏み台を使わなくてもあれこれできるし、足が長くなったら、なによりも走るのが早くなるにちがいない。
 懐爺にそういうと、
「それがそうでもないんですよ。手が長くなると、手の重さで肩がこってしかたがない。足が長くなると、常に竹馬(たけうま)に乗ってる気分で、めまいがします」
 いわれてみればそうかもしれない。
「それはざんねんじゃのう」
「あれは【てながあしなが】というおばけで、仲間をふやすために行商をやっています。ついでに担いでいるふりをしていますが、じつはそっちが主。みんな高価な果物ですから、ちょいとお金に余裕のあるひとはどうしても食べたくなります」
 ふりとはしらなんだ。
 行商人はみんな演技達者なのでした。
「うまいのかのう」
「珍しいものや高価なものは、果物にかぎらず、格別に旨いなんてことはありません。栗や柿や林檎のおいしさにくらべれば、まず下手物(げてもの)喰いというかんじですかね」
「げてものは、くいたくなるのかのう」
「それが人間の性(さが)でして、【てながあしなが】はそれを利用しているのです」
「ほんで、あしながおじさんという、しんせつでやさしいおじさんのはなしを、よんだことがあるがのう」
「あれもじつは【てながあしなが】の仲間でして、お金を寄付したり恵んだりしながら、仲間をふやしているんですね」
「なかまになると、いいことがあるんかのう」
「仲間になること、そのことがいいことなんです。だれでも孤独(こどく)ですから仲間をほしがるものです。仲間ができたら仲間を増やしたがるものです」
「なるほどのう。しゅうきょうも、おなじかのう」
「宗教をやっているひとは、大半が【てながあしなが】ですね」
 やっぱりそうか。
「わしも、がぜんきょうみがでてきたのう」
「興味だけにしておいたほうがいいですよ。肩がこったりめまいがしますからね。そうなるとまた余計に宗教に頼る。たまに肩のこりがなおったり、たまにめまいが軽くなったりすると、宗教のおかげだということで、ますます【てながあしなが】を増やしたくなります。もちろんきれいな心で、親戚や友達や知人に肩こりやめまいで苦しんでいるひとを見ると、仲間になるようしつこいくらいに勧めます。きれいな心なのですから、しつこくやっても反省なんかしません」
「なるほどのう。するてえと、【てながあしなが】のもくてきは」
「そうなんです。主に新興宗教の勧誘ですね。行商をやれば寄付金もつくれるし、【てながあしなが】にとっては、まあ一石二鳥(いっせきにちょう)なのです」
 やっぱりそうか。
「せっかくいっせきにちょうなのじゃから、【てながあしなが】をたいじするひつようはないのう」
「増長(ぞうちょう)しないかぎりは。けれども、新興宗教というものは、どういうわけか増長するんですね」
「どういうわけか、なんていっとるが、かいじいがわかっとるってことは、わしはわかっとるんじゃ」
「失礼しました。つまり、信じる力なんですね。その信じる力というものは、とてつもなく強いし、そのぶん押し付けがましくなります。自分が信じきっているんですから、他人が信じないのはどうしても許せなくなるんです。こういうことって、金ちゃんは理解できますか」
 ぼくには理解できました。
 ぼくの懐爺を信じる力が強いので、自分の好きな人間は懐爺を好きになるに決まっているという思い込みがあって、懐爺に会わせたがる。
 ぼくは宗教なんか嫌いなくせに、ぼくは懐爺信者なのです。
「世界中の戦争の大半は、いわば宗教と主義の戦争ですよ。自分の宗教や主義を信じきっている人たちは、他人の宗教や主義を信じたくない。それどころか憎悪することになります」
 日本のことも解らないのに、世界のことをいわれても、こどものぼくに解るわけはない。
 ぼくは【てながあしなが】に絞ることにしました。
「けっきょく、【てながあしなが】は、のばなしかい」
「訴える人がいませんとねえ。信じきっている人たちは訴えるわけもないし、元信者なんて人が、おれの半生返せなんてこととか、果物代金返せなんてこととか、訴えることはたまにありますけどね、だまされるあんたが阿呆なのよと、相手にされないことが多いんです。それに信じていたときは信じていたわけで、だまされたわけではないですからねえ」
「そういうもんかのう」
 結論らしきものは、ぼくには理解できませんでした。
【てながあしなが】はぼくの村にはびこりましたが、なにせ人口のすくない村ですから、全国的な影響はまったくないと見受けられました。
 【てながあしなが】も、ぼくの村に最初に手をだしたのがまちがいのもとでした。
 ぼくの村の影響を受ける他の村や町はないし、ぼくの村から進んで他の村や町に出向く人なんていないのですから。
 さすがの【てながあしなが】も、この村で次第に衰弱していく他はありません。
 おそらく懐爺も、このことはお見通しだったのだとおもわれます。
 
四十七【とうめいにんげん】
 
 小学校で、透明人間が話題になったことがあります。
 級友はみんな、透明人間になりたいという。
 透明人間なら、答案用紙を盗みみても気づかれない。
 透明人間なら、よその家のおやつを勝手に盗んでも気づかれない。
 透明人間なら、駄菓子屋の金平糖(こんぺいとう)を盗んでも気づかれない。
 透明人間なら、裏の畑の胡瓜を盗んでも気づかれない。
 なんだ結局、盗むことばかりじゃないか。
 呆れたぼくは、下校時に懐爺のところに寄りました。
「わしはなりたいものがあるんじゃ」
 すぐにぼくはいいました。
「【とうめいにんげん】でしょう」
 懐爺もすぐに答えました。
「どうしてわかるんじゃ」
「わたしもなりたいからですよ」
 懐爺は、うれしそうにいいました。
「だども、がいこくのもんじゃろ」
「いえいえ、【とうめいにんげん】は日本にも居ります」
「だども、おばけじゃないだろ」
「いえいえ【とうめいにんげん】は、人間が透明になったおばけです」
 単純な解説だったけれども、ぼくの頭の中は単純ではありません。
「おばけなら、にんげんはおかしいのう」
「でも【とらにんげん】も、【ひとくいにんげん】もおばけですよ」
「そらあ、やっぱしにんげんじゃのう」
 ぼくは納得できなかったのです。
「おばけは、人間にも神仏にも近いものです。その区別はわたしたちが勝手にやるだけなのです」
「なら、わしは、にんげんとおもうのう」
 ぼくは今回ばかりは意固地でした。
 ぼくも【いこじにんげん】というおばけかもしれない。
「ところで、金ちゃんは【とうめいにんげん】に、どうしてなりたいのですか」
 さすがに懐爺は、いいところをついてきました。
 さすがに村長の愛犬を、盗みたいともいえないので、
「【とうめいにんげん】になっておばけをたいじしたい。かいじいのあとをつぎたい」
 といってみました。
「それはいい心掛けですねえ。わたしも同じです。金ちゃんならかたっぱしから、おばけ退治できるでしょう。しかしおばけは本来的に退治してはいけないもので、本来そっとしとくものです。さわらぬ神に祟りなしというではありませんか」
 懐爺の理屈が始まりました。
 【へりくつにんげん】、【いこじじんげん】とのおばけ対決だ。
「おばけたいじは、【とうめいにんげん】にかぎるのう」
「でもおばけをぜんぶ退治してしまったら、この世は闇になりますよ」
「このよのやみも、みてみたいのう」
 ぼくは強がりをいいました。
「いずれ【とうめいにんげん】は、金ちゃんの前に現れます。それで結論をだしてください」
 懐爺は予告をしました。
 懐爺の予告は外れたことがない。
 ぼくは待ちました。
 でも一週間待っても、【とうめいにんげん】は現れない。
 十日目の夕方、ぼくは母親が台所に置いていってくれた、おやつをたべようとしました。
 大好物の、ふかしたさつま芋一本。
 ぼくがその芋にいきなり片手をのばすと、芋が半回転して逃げる。
 何度やっても逃げる。
 音もたてずに逃げる。
 仕方がないから、両手で包むやりかたで手をのばす。
 すると芋は全回転して、両手を飛び越える。
 そうして、台所から土間に落ちました。
 それで気づきました。
 手を洗っていなかったから、芋が逃げる。
 手をよく洗ってから、今度は土間に落ちた芋を、洗おうとしたけれども、見当たらない。
 薄暗い土間の隅々まで探したが、どこにもない。
 外にでてみたが、あるわけがない。
「おいもさん、やーい」
 ぼくは呼んでみたが返事もない。
 やっとぼくは気づいたのです。
 【とうめいにんげん】のしわざだと。
 
四十八【どくまる】
 
 下校中、乞食にであうのは、めずらしいことではありません。
 でも、乞食のこどもにであうのはめずらし‚「。
 舌打ちをしている。
 つっつっつ
 つつつっつ
 つっっつつ
 乞食の子は油断ができない。
 乞食のかっこうをしていて、その実、王子様だって話がある。
 それにぼくのかっこうだって、乞食のかっこうとあまり変わらない。
 つまり、乞食の子なら、ぼくの仲間というわけ。
 そのつもりで、
「ぬしはだれじゃ」
 ぼくは、なれなれしくききました。
(もしかすると、かいじいのこどもだったりして)
 とのおもいも、少しはあったのです。
「おれは、清丸(きよまる)じゃ」
「いいなまえじゃのう」
「おまえの名前は」
「わしは、きんちゃんじゃ」
「そんな名前あるか。金太郎とか金五郎とかじゃろ」
「すまんのう。わすれたかもしれん」
「おまえは作文とか書かんのか」
「さくぶんはすきじゃ」
「そこに金之助とか金次郎とか書くじゃろ」
「いんや、かいたことねえなあ」
「あほらしい。名前のない子は乞食の子じゃ」
「ぬしにいわれたくはないのう」
 ぼくがそういうと、清丸は笑いました。
 つつっつつつ
 つっつっつっ
 つつつつつっ
 そうか、さっきのは舌打ちではなく、笑い声だったのか。
「金ちゃんは、おれを知っているかい」
 清丸は歩きながらききました。
「しっとる。さっきあったきよまるじゃろ」
 ぼくも歩きながら答えました。
「おまえは面白いやつじゃ。面白いやつはいいやつじゃ」
 清丸は真面目くさった顔でいいました。
 気づくと清丸は裸足でした。
 砂利道だから、足が痛いはずです。
 ぼくは靴を片方あげました。
「これで、いたさもはんぶんずつじゃ」
 ぼくは偉そうに胸を張っていいました。
 清丸の足は、ぼくよりも少し小さい。
 でも清丸はうれしそうでした。
「おまえは親切なやつじゃ。親切なやつは長生きできん」
 清丸はそういうと、とたんに駆けだしました。
 速いのなんの、とてもつかまらない。
 清丸は、小山の方に消えて行きました。
 ぼくはそのまま、懐爺のところに行きました。
「せつないのう」
「またおばけに遭遇しましたか」
「いんや、ともだちができたんじゃ」
「それは目出度(めでた)い、目出度いですねえ」
「すぐにともだちをなくしたんじゃ」
「なるほど。それは切ない話です」
「でも、くつをかたほうあげたんじゃ」
「もしかして、舌打ちするふうに笑う子ですか」
「かいじい、きよまるをしっておるんか」
「その子は清丸ではないです」
 懐爺は断言しまし‚ス。
「ないなら、なんじゃ」
「【どくまる】です。【どくまる】というおばけ」
「おばけにはみえんかったのう。やさしかったのう」
「おばけにみえるおばけは、おばけにみえないおばけにくらべれば、可愛いもんです」
「わしはなんもされんぞ」
 ぼくは強調しました。
「靴を片方盗まれたでしょう」
「あれはぬすまれたんじゃない、あげたんじゃ」
「でも誉められたんであげたんでしょう。それが【どくまる】のやり口です」
 懐爺は断言しました。
「ほめられたせいじゃねえ。はだしであしがいたそうだったからじゃ」
「それも【どくまる】のやり口です」
 懐爺は断言しました。
 今日の懐爺は断言ばかりする。
 懐爺が断言すると、ぼくは言葉を喪(うしな)う。
「金ちゃんに【どくまる】のすみかをみせてあげたい。そうやってせしめた物品で、溢れかえっていますよ」
「つまらんのう」
 ぼくは騙された自分が、つまらなかったのかもしれない。
「いえいえ、乞食の子は実は王子様という話は面白いでしょう」
 懐爺はわざと舌打ちするふうに笑いました。
「よかったのう。きよまるはこじきでなく、おうじでよかったのう」
 ぼくは知らずに涙を流していま‚オた。
 ぼくの涙が乾くのを待って、懐爺はいいました。
「【どくまる】は本物の乞食ではないのですが、本物の乞食は仏様のおばけですから、大切にしなければいけません」
「おうじでなく、ほとけかい」
「【こちじき】というおばけです」
 ぼくは頭が混乱してきました。
 本物の乞食が仏様で、それは【こちじき】というおばけとは。
「ほんもののこじきなら、やっぱしこじきだろのう」
「乞食は偽物が多いですから、本物は少ないのです」
 懐爺がそういうならそうなのだろう。
「【こちじき】は、こわいおばけか」
 ぼくは気になることをききました。
 こわいか、こわくないかでは、大変なちがいですから。
「【こちじき】は昔から、昔からというのは平安時代からですが、ずいぶんいじめられてきました。ですからおばけのなかでも一番怨念(おんねん)が強い。【こちじき】をいじめてしまった者は、どんなに偉くて高い地位の人でも、じつに悲惨な死に方をします」
「どんないじめかたするんか。どんなしにかたするんか」
 ぼくは興味津々(きょうみしんしん)で懐爺にすり寄ったものです。
「だいたい乞食に対して乞食と呼んで蔑むのは、病人に対して病人と蔑(さげす)むのと同じくらい卑怯(ひきょう)なことなのです。ただ言葉で虐められるのはまだ序の口です。【こちじき】はよく石を投げられます。よく糞も投げられます。そんなことをした者は、体が石になって糞尿を垂れ流して死ぬのです」
「おそろしいのう」
 ぼくは石になった自分を想像していました。
「【こちじき】は仏様のおばけですからね。神様とか仏様は実にこわいものです。神仏の罰が当たるというでしょう。あれは神仏の祟り、つまり復讐です」
「【こちじき】にあいたいのう」
 ぼくは懐爺に懇願しました。
 懐爺なら、何とかしてくれるにちがいない。
「そういうとおもいましたよ。残念ですが、金ちゃんは【こちじき】にはあえません」
「なぜじゃ」
「なぜって、【こちじき】は、いじめた者に現れるのです。金ちゃんは乞食をいじめたりしないからあえないのです」
「ならば、いじめてみようかのう」
 もちろん冗談です。
 懐爺もわかっていて、苦笑しました。
「あえぬが仏です。それでいいではありませんか」
「あえぬがほとけ、あえぬがほとけ」
 ぼくは念仏を、となえる気持ちで繰り返しました。 
 
四十九【ところてん】
 
 雲行きがあやしい夕刻、村のはずれまでお使いに行ったときのこと。
 雲行きがあやしいということは、おばけがでる予感がするということと同じです。
 やっぱり妙な生き物に遭遇しました。
 丸い鏡餅くらいの大きさの、半透明の生き物で、のんびりと上下左右にゆれています。
 道端の草むらの、小便小僧程度の湧き水のところに居ました。
 蛙の卵に似ているが、そのかたまりのなかには何も居そうにない。
 触ってみると、とたんに二十、三十のかたまりにわかれる。
 そのひとつに触ってみると、それも二十、三十の小さなかたまりにわかれる。
 持って帰ろうとしたけれども、そのかたまりのゆれがいやいやをしている感じなので、やめました。
 お使いがあるので、懐爺のところへは翌日、登校前に寄りました。
 懐爺は眠っていました。
「とうみんには、まだはやいぞい」
 大声で呼びかけると、
「朝は、毎日が冬眠です」
 と、目をこすりながらでてきました。
 時間が少ないので、かいつまんで話しました。
「夏休みは終わりましたか」
 知っているはずの懐爺がきくので、
「なつやすみは、おわったばかりじゃ」
 と、ぼくは突っ慳貪(つっけんどん)に答えました。
「夏休みが終わったということは、夏も終わりですね」
 懐爺は当たり前のことをいいました。
 たぶん寝ぼけているのでしょう。
「はやくせい。わしはじかんがない」
 ぼくが急かすと、懐爺は咳ばらいをひとつして、
「それは【ところてん】というおばけですよ。季節はずれの【ところてん】。特技は分身の術です」
 なるほど、あれが有名な、ぶんしんのじゅつだったのか。
「【ところてん】なら、くえるんか」
「くっても毒も薬にもなりませんよ」
「でも、うまそうじゃったのう」
「あんなもの美味そういうのは金ちゃんだけですよ。でも季節はずれの【ところてん】は煮ても焼いても酢をかけてもたべられない。無理してたべても、お腹の中で分身の術を使うからうるさくてしかたがない。たべ過ぎてお腹が爆発した人もいます」
 懐爺は苦虫を噛みつぶした顔でいいました。
 おそらくお腹が爆発する寸前までたべた経験があるのでしょう。
 時間がなかったので、ぼくは最後にいいました。
「かいじいものう」
「わたしが何でしょう」
「ぶんしんのじゅつを、つかえばいいのにのう」
 そしたらわざわざ祠に来なくても、いつでもどこでも会える。
 懐爺は何となくうれしそうでした。
  
五十【どぞうおばけ】
 
 村長の屋敷の庭の土蔵に、何かいるとの噂が立ちました。
 何しろ古い古い土蔵だから、鼠くらいはいるだろう、と誰かがいっていました。
 あの土蔵には江戸時代の、貴重な雛人形とか、明治時代の、高価な五月人形とかが収められているとのことだから、鼠も囓(かじ)り甲斐があるというものじゃ、と誰かがいっていました。
 鼠ではない、と完ちゃんはいいます。
「ねずみだとしたら、ねずみのおばけだな」
 鼠の百倍くらいは大きい、と完ちゃんはいいました。
「みたことあんのか」
 ぼくは興味津々でききました。
「みたらいまごろしんどる」
 めずらしく完ちゃんは震えています。
「みないのにわかるんかのう」
 ぼくは笑い飛ばしました。
「みなくても、ものおとでわかるんじゃ」
 完ちゃんは、自信満々にいいました。
 それはそうかもしれない。
 鼠が動く音と、熊が動く音ではちがう。
 あの土蔵なら妙なものがいても、ちっとも不思議ではない。
「そいつはなにかのう」
「そいつがなにかわかったら、くろうはしない」
 完ちゃんは偉そうにいいました。
 苦労なんかしているとはおもえない暢気(のんき)な顔です。
「こういうときは、かいじいじゃ」
 ぼくは完ちゃんをさそって、懐爺のところに行きました。
「そいつは【どぞうおばけ】です」
 と懐爺は即答しました。
 土蔵にいるおばけが、【どぞうおばけ】とは安易すぎる。
 そんなことを考えたが、いいません。
 代わりに完ちゃんが、
「【どぞうおばけ】たあ、どんなすがたなんじゃ」
 とききました。
「姿を変えるから【どぞうおばけ】と呼ぶしかないのです。あるときは【ねずみおとこ】に、あるときは【くまおとこ】に、またあるときは【
やみおとこ】になります」
「【やみおとこ】のう」
 ぼくはつぶやきました。
 【ねずみおとこ】とか【くまおとこ】なら、姿を連想できる。
 でも【やみおとこ】では。
「そうです。【やみおとこ】に変わったときの【どぞうおばけ】ほど、おそろしいものはありません」
 懐爺は両手で、ぼくの首を絞める真似をしました。
「どんなふうにおそろしいんじゃ」
 完ちゃんがききました。
「何せ闇ですから、正体がみえない」
「そんなら【とうめいにんげん】とおなじかのう」
 ぼくはききました。
「【とうめいにんげん】は闇にならなくともみえないのですから、【やみおとこ】とはちがいますね」
「【やみおとこ】は、どんなわるさをするんじゃ」
 完ちゃんがまたききました。
 懐爺は返答に窮(きゅう)していました。
 それでもようやく、
「擽(くすぐ)ったり、ですかね」
 と答えました。
 完ちゃんとぼくは大笑いしました。
 懐爺は機嫌を悪くしました。
「擽られて死んでしまう人だっているんですよ」
「そらあ、そうかものう。わしも、しぬかもしれん」
 ぼくと完ちゃんはまた大笑いしました。
 笑いながらぼくは、大きな疑問をぶつけました。
「おばけがいないと、このよはやみじゃろ。おばけがいても、このよはやみかい」
 懐爺は困った顔をしました。
「その闇とこの闇はちがうんですが」
「どうちがうんじゃ」
「それは金ちゃんが大人になったらわかりますよ」
「こどものわしにも、わかるように、せつめいしてほしいのう」
「そうじゃそうじゃ」
 と、完ちゃんも同調しました。
 懐爺はさらに機嫌が悪くなりました。
 さらに困った顔にもなりました。
 ぼくと完ちゃんが、そのせりふを繰り返したので、懐爺は祠の奥に消えてしまいました。
 
五十一【どろどろ】
 
 村芝居で『四谷怪談』をやるというので、ぼくは伊右衛門をやらせろとせがんだのですが、こどもじゃだめだというので諦めて、裏方をやらせてもらいました。
 裏方にもいろいろあるのですが、ぼくの役割はお岩さんの顔を作るお手伝いでした。
 粘土をこねて、接着剤を使ってすこしずつ、お岩さん役の隣のお姉さんのきれいな顔に貼付けるのです。
 十回ばかり貼付けて赤い絵の具を塗りたくると、お岩さんの完成。
 隣のお姉さんの演技は、それこそ鬼気迫るもので、観客はみんな蒼くなっていました。
 村芝居の大成功が約束されたので、ぼくはお手伝いが終わると、懐爺のところに行って自慢をしました。
「わしの、おいわさんづくりが、みごとなもんだから、しばいのおきゃくさんは、ふるえあがっとった」
 すると、懐爺はとつぜん、
「しまった」
 と声を発しました。
「だいせいこうなのに、しまったはなかろう」
 ぼくが不満の声をあげると、懐爺は舌打ちを繰り返して、
「わたしとしたことが、村芝居のことを、すっかり忘れていましたよ。『四谷怪談』だけは絶対にやってはいけないと、世話人にはよく伝えておいたんですがね。みんなの要望もあって断れなかったのでしょう」
「よつやかいだんは、まずいか。よつやかいだんはおもしろいがのう」
「面白ければいいというわけではありません。昔から歌舞伎(かぶき)で『四谷怪談』をやると、お岩さん役者が、お岩さんになってしまうという言い伝えがあります。【どろどろ】というおばけが顔にはりついてしまうのです」
「いいつたえなんか、しんじなければええ。それに、むらしばいは、かぶきじゃねえ」
「そういうことならいいんですが。お岩さん役はだれでしょうか」
「おいわさんは、びじんじゃねえとできん。となりのおねえさんしかおるまい」
「しまった」
 懐爺はまた声を発しました。
 その声にぼくはびびりました。
「となりのおねえさんが、そのまま、ほんもののおいわさんになっちまうのかのう。【どろどろ】なんぞしらん。あれはわしがはりつけた、ねんどにすぎんがのう」
「とにかく、金ちゃん、隣のお姉さんの様子を見て来てください」
 というわけで、ぼくはまた村芝居をやっている広場にもどりました。
 村芝居は終わっていて、役者もみんな解散していました。
 大道具係のお兄さんたちだけが、後始末をしていました。
「となりのおねえさんは、どこにいるのかのう」
 ぼくはひとりのお兄さんに声をかけました。
 するとお兄さんは険しい顔をして、
「金ちゃんよ、お岩さんにさ、変なもの貼付けたりしたじゃろ」
「ねんどじゃ。せっちゃくざいだって、すぐにはがれるやすものじゃ」
「それがさ、あのお岩さんの顔がよ、元にもどらんのよ」
 ぼくも、しまったと声を発したかった。
「それで、となりのおねえさんは、どこじゃ」
「村医者のところさ行ったよ。あれは薮医者じゃからなおらんよ」
 ぼくは慌てて村医者のところに駆け込みました。
 村医者が首をひねっています。
「おかしいなあ、はがれないなあ」
「はがすきが、ないんじゃないんかのう」
 ぼくは文句をいいました。
 隣のお姉さんは啜り泣いています。
「この醜い凸凹(でこぼこ)が、お肌と一体になっていますからなあ」
「しゅじゅつせい。【どろどろ】をやっつけろ」
 ぼくは村医者に命令しました。
 とうぜん村医者は聞く耳を持っていません。
 おそらく手術器具も持っていないのでしょう。
「もうええわい」
 ぼくは隣のお姉さんの手を引っぱって、懐爺のところに連れていきました。
 ごぞんじのように、ぼくにとって懐爺は、友達であり、仲間であり、
父親であり、兄貴であり、先生であり、師匠であり、神様であり、仏様であり、もちろん、医者であります。
「かいじいのちからで、なんとかしてくれんかのう」
 ぼくは拝みました。
「わかりました。金ちゃんの頼みなら、何とかします」
 さすがは懐爺。
 懐爺は、隣のお姉さんの醜くなった顔をさすりながら、呪文(じゅもん)を唱えます。
 どろどろどろどろやいやい
 どろろどろろんといけいけ
 どろどろあっちさいけいけ
 おいわさんにはつみはない
 おねえさんにはつみはない
 つみがあるのはいえもんよ
 つみがあるのはなんぼくよ
 なんぼなんでもつみはない
 するとどうでしょう、隣のお姉さんの顔の粘土がどろどろと流れて、元のきれいなお姉さんの顔になりました。
 お姉さんは手鏡で自分の顔をうつして、嬉し泣きしました。
 ぼくももらい泣きしました。
 お姉さんとぼくは抱き合って泣きました。
 お姉さんはとてもいい匂いがして、ぼくはもうけたとおもいました。
 それもこれも懐爺のおばけ、じゃない、おかげ。
 お姉さんが懐爺にお礼をいおうとすると、懐爺はもう祠の奥に消えていました。
 
五十二【ななな】
 
 【ななな】というおばけは、村で有名なおばけでしたから、懐爺にきかなくとも知っていました。
 あるとき、完ちゃんがやってきて、泣き声でいいます。
「級長のしんちゃんが、【ななな】になっちまった」
「ほんまかい、しんちゃんもかい」
 しんちゃんも、というのは、その半年前に、つづけて、はなちゃんとさんちゃんが、【ななな】になってしまったからでした。
 どうして【ななな】かというと、
「ななな」
 とつぶやきながら、だれかれかまわず、すりよってくるからです。
 ななな
 ななな
 なななんな
 なんなんな
 【ななな】にそばによられると、なにせくさいし、きもちわるいし、息がしにくくなる。
「ななな」
 としかいわないから、はなしにならない。
「なんとかならんかのう」
 完ちゃんがいいます。
 なんとか、しんちゃんを、もとのしんちゃんにもどせないか、という意味です。
「なんとかならんかのう」
 とぼくもいってから、
「かいじいに、なんとかしてもらうかのう」
 とつぶやきました。
「それしかないのう」
「それしかないのう」
 でも、なんとなく、今回ばかりは、[お礼]が必要な気がしました。
 それで、母親に話したら、ふかし芋をもっていけというのです。
「なんじゃ、ふかしいもかい」
 とぶつくさいいながら、ふたりでふかし芋をかかえて、懐爺のところに行ったのです。
 懐爺も、
「なんじゃ、ふかしいもかい」
 というとおもったら、
「ありがたいありがたい」
 と、ぼくらの話も上の空で、ふかし芋をたべつづけました。
 二十本はあったとおもいます。
 それをひとりでぜんぶたいらげると、は、 
「眠い眠い、天国天国」
 とつぶやきながら、祠の奥に消えてゆきました。
「なんじゃ、くいにげじゃのう」
 ぼくがそういうと、やさしい完ちゃんは、
「腹がいっぱいになったら、眠くなるもんよ」
 というのでした。
 腹がいっぱいになったことのない、ぼくは、
「そういうもんかのう」
 と信じられなかったが、しかたないから、おきてくるまで待っていることにしました。
 一時間くらいして、懐爺はでてきましたが、眠っていたわけではなさそうでした。
 手には椀をもっています。
 椀のなかには、にがそうなまずそうなくさそうな、うんこ色の汁がはいっています。
「これを、しんちゃんに飲ませなさい。【ななな】にとりつかれて、十日以内なら、これで、【ななな】は退散しますよ」
「これはなんのしるかのう」
 鼻をつまみながら、ぼくがきくと、
「ないしょですが、おふたりにだけ、特別おしえましょう。これは芋をたべてたべてたべすぎて、はじめてできる秘薬(ひやく)です」
「うんこいろじゃのう」
「はい、わたしの下痢の汁です」
「なななんと。【ななな】よりさきに、わしらが、たいじされるぞい」
「まあ、だまされたとおもって、はやくしんちゃんに飲ませなさい」
 懐爺に背中をおされて、完ちゃんとぼくは、お椀をかわるがわる持って、この秘薬とやらがこぼれないよう注意しつつ、しんちゃんの家に行きました。
 翌日、しんちゃんは、いぜんと変わらぬ元気な様子で、学校にやってきました。
「あの汁、のんだんか。あんなもの、のめたんか」
 完ちゃんが、しんちゃんに、きいています。
 しんちゃんが、こたえています。
「くさくて、なんの、のめなんだ。だども、あのにおい、がつんと、かいだら、【ななな】が、にげていった、みたい。あのくすりは、なんなんだい。おしえてくれよ。【ななな】に、やられそうなともだちの、予防注射に、したいんだよ」
  
五十三【なんじゃこりゃ】
 
 何にもない空き地に、足をふみいれたとたん、
uなんじゃこりゃ」
 と、おもわずぼくはさけびました。
 これがさけばずにいられようか。
 さけんだついでに、おしっこをもらしそうになりました。
 いくらなんでも、きもちわるすぎる。
 なんといったらいいのか。
 蚯蚓(みみず)を百匹むすんでみたら、その百匹がそれぞれにもだえくるしんでいるかんじ。
 大百足(むかで)の、大きな百の足が、やっぱり百足になっていて、その中百足の、中くらいの百の足が、やっぱり百足になっていて。
 前に、頭が三つある蛇をみたけれども、頭が三つそれぞれ勝手な動きをしているところが、きもちわるくて吐きそうになったものです。
 それなのに、頭(どこが頭かわからない頭)が百もあるのだから。
 蛇とちがって、ぼくをおそってくる気配はないけれども、みているだけでもうおそわれている気分になってくる。
 ぼくは近所の村人に荒縄を借りて、そいつでしばろうとすると、つごうよくしばる前に荒縄にからんできて、ほぐれなくなったので、そのままひきづって、懐爺のところへ行きました。
「何じゃこりゃ」
 懐爺は、わざとらしい大声をあげました。 
「かいじいも、おどろくことあるんかv
 ぼくがからかうと、懐爺は苦笑いして、
「これは、【なんだこりゃ】という名まえのおばけですよ」
 ほんとかうそか、わかりにくかったが、懐爺を信じないで、誰を信じろというのだろう。
「【なんだこりゃ】かい。きもちわるいのう。なんとかならんかのう」
「何ともならんが、何にもしないおばけですよ」
「そらあ、ちがうべえ。きもちわるいというのは、なんもしないことかのう」
「なるほどですね。おばけは、だいたいにおいて、大小にかかわらず、何かする。【なんじゃこりゃ】は何もしないが、このきもちわるさは、何もしないより、おそろしい」
「なんもしないから、よけいにきもちわるい。なんかすんなら、けとばしてやるけんども、なんもしないなら、いくらきもちわるくても、けとばすわけにいかん」
「それですよ、金ちゃん。【なんじゃこりゃ】は、人間の目をきたえるおばけなのです。金ちゃん、大人になっても【なんじゃこりゃ】から目をそらしてはいけませんよ」
 いいながら懐爺は、【なんじゃこりゃ】を荒縄からといてあげると、静かに裏の竹薮に逃がしてやりました。
 何か教訓をきいた感覚がしましたが、教訓はきらいなので【なんじゃこりゃ】のきもちわるい姿とともに、すぐに忘れる努力をしました。
 
五十四【ねこまた】
 
 小山で猫を拾いました。
 木陰からぼくを見つめていました。
 野良猫なのか捨て猫なのか飼い主がいるのかわかりませんでしたが、(おそらくぼくと同い年くらいの)年をとった雌猫だということはわかりました。
 飼おうということではなく、尻尾に怪我をしていたので、家まで抱いて行ったのです。
 その猫を見て母親いわく、
「あれれ、猫又だね。狐は尻尾が九つにわかれるとばける、猫は尻尾が二つにわかれるとばける」
「しっぽにけがしとるだけじゃ。きつねにやられたんじゃろう」
 たしかに猫の尻尾は二つに裂けて血がでています。
 ぼくは消毒してから薬を塗り、尻尾に包帯をまきました。
 その間猫はずっと静かにしていました。
 腹がへって声もでないのだろうと、ごはんを牛乳にひたして食べさせました。
 すると翌日は元気がでて、しきりに動きまわります。
 でも外へでていく気配はない。
「このままだと家に住みつくね。猫又がばけると大変だよ」
 母親は、猫又をもとの小山に捨てに行けという。
 ぼくは、猫の傷がなおったらとこたえる。
 そんな応酬が続いて、猫の傷はなおりましたが、尻尾は二つにわかれたままになりました。
「ばけるぞばけるぞ」
 母親は毎日いったものでした。
「ばけろばけろ」
 ぼくは毎日いったものでした。
 でもなかなかばけそうもないし、何日経ってもぼくが捨てにいかないものだから、猫は家に居着くようになりました。
 ぼくはその猫に【ねこまた】と名付けました。
 ぼくの期待に背いて【ねこまた】はちっともばけませんでしたが、妙な習性の猫でした。
 ふだんはおとなしいのですが、だれか(親戚とか学校の先生とか友達とか近所の人とか行商の人とか)が家にはいってくると、おそろしく唸るのです。
 それはそれはすさまじく唸るものですから、みんな蒼白になって、用事も済ませずにすぐに逃げだしてしまいます。
 憂憂憂憂憂
 愚愚愚愚愚
 疑疑疑疑疑
 餌餌餌餌餌
 あるとき懐爺に相談をしてみました。
「それはやはり【ねこまた】というおばけですね。『徒然草(つれづれぐさ)』という書物にあります。《奥山に猫又といふものありて》と。ですから本当は大山にいるんですね。でも怪我をしたから助けてもらいたくて小山までおりてきた。それほど尻尾出血は命取りだったんですねえ。そこに金ちゃんがやってきた。【ねこまた】にとっては金ちゃんは命の恩人。いえ、それ以上なんですね。金ちゃんに大恩があるから、ばけない。そのかわりお客さんには、化け猫さながらにおそろしくなるんですね」
「うちの【ねこまた】は、やっぱりおばけかい」
「もしかして金ちゃん、【ねこまた】は女性のお客さんだけに唸るのではありませんか」
「よくわかったのう。そのとおりじゃ」
 叔母さん、女の先生、隣のお姉さん、行商のおばさん。
 みんな優しいひとなんだけれども、【ねこまた】は烈しく唸ります。
 それでも近づくものなら、鋭い歯で噛み付きます。
 男のひとがやってきても、しらんふりで居眠りをしているくせに。
「【ねこまた】の焼きもちは、はんぱではないですからねえ」 
「やきもちたあ、どういうことじゃ」
「【ねこまた】は、金ちゃん一途ですから、女のひとにはだれであれ、焼きもちをやくんですよ」  
「ということは、わしが【ねこまた】にすかれちょるわけかい」
「そういうわけです。【ねこまた】にとっては、【ねこまた】だけの金ちゃんなのです。たぶんじぶんの旦那様のつもりでいるんでしょうね」「それはそれでおそろしいのう。わしは女のひとと、くちもきけんわけじゃな」
「はい。お母さん以外とは、口をきいてはいけません。そばに寄せつけてもいけません。名前を呼んでもいけません。女のひとがでてくる漫画や絵本も見てはいけません」
「どうせわしは、おんなぎらいじゃからいいわい」
 強がりをいいましたが、隣の優しいお姉さんと口がきけないのは残念でした。
 ところでその後【ねこまた】は、どうなったかですって。
 ぼくが大人になっても、ずっと家に居続け、【ねこまた】がいつのまにか消えた(たぶん小山に帰って死んだのでしょう)のは、ぼくが三十歳になったときですから、【ねこまた】は三十歳くらいまで生きたことになります。
 ぼくが三十歳まで女性に全く縁が無かったのは、そのせいなのです。
 
五十五【ねむりひめ】
 
 日曜の昼下がり、お使いで躑躅峠(つつじとうげ)にさしかかったところ、木陰に寝ている女のひとを見かけました。
 白い服をきたきれいなひとで、木の根っこを枕に、上を向いて静かに寝ています。
 黄色い蝶がふたつ、その人の周りを飛んでいて、何といったらいいのか、とても美しい光景でした。
 まるで絵本で見た白雪姫でした。
 将来お嫁さんをもらうなら、こういうひとがいいなとふとおもわれました。
 すすすすすすす
 ややややややや
 すすすすすすす
 ややややややや
 しばらくみとれていましたが、そのうち、眠っているのか死んでいるのかわからなくなったので、警官か医者か先生をよぼうかとかんがえたものの、けっきょく懐爺のところに行きました。
 ぼくにとって懐爺は、警官であり医者であり先生であるのですから。
「夢でも見たのでしょう、金ちゃん」
 懐爺は、寝ぼけ声でした。
「ひるまにゆめなんかみるもんか」
「ですから白昼夢(はくちゅうむ)」
「たしかに、はくちょうみたいなひとだったのう」
「まあ、いいでしょう。わたしは昼寝中です」
 懐爺は祠の奥に引っ込もうとしました。
「ひるねはよるにしろや。わしはあのひとが、きになってしかたないんじゃ」
「それはおばけだから気になるのです」
「あのひとがおばけかい。あんなきれいなおばけがいるもんかい」
「そんなきれいなひとが村にいるわけもないでしょう」
 懐爺は眠そうな眼をしていいました。
「なるほどのう」
 ぼくは懐爺の説に納得する他はありません。
「それは【ねむりひめ】ですね」
「ねむっているおひめさまで【ねむりひめ】かい。あいかわらずいいかげんじゃのう」
 懐爺の眠気をさますために、わざとそういいました。
「相変わらずとは失礼ですね」
 懐爺は眼をこすりながら苦笑しました。
「しつれいは、あいかわらずじゃのうて、いいかげんのほうじゃろが」
「そうでしたそうでした」
 いいながら懐爺はまた奥に引っ込もうとします。
「ちゃんとはなしてからねむれや」
 懐爺に睡眠が必要とはおもわれませんでしたが。
「そうでしたそうでした」
「そうじゃそうじゃ」
「ところで、何の話でしたっけ」
 懐爺はとぼけました。
「あほかい。【ねむりひめ】じゃ」
 ぼくはつっこみました。
「そうでしたそうでした」
「そうじゃそうじゃ。わしをたぶらかしてなんとする」
 ぼくはいよいよ怒ったふりをしました。
 それで懐爺はようやくその気になってくれました。
「【ねむりひめ】は眼をさますことがありません。かっこいい王子様が声をかけたって起きません。でも、あまりの美しさに我慢できずに【ねむりひめ】にちょっとでも触れると、からだが腐ります」
「わしもさわりたくなったがのう」
「触らないでよかったです。きわめて美しい花には棘も毒もあります」
 腐るのはいやです。
「からだのどこがくさるんじゃ」
「それは人それぞれですが、鼻が腐って落ちる人もいれば耳が腐って落ちる人もいます」
 懐爺は鼻や耳が落ちる仕種をしました。
 それはそれはおばけなんかよりも、ずっとずっとおそろしかったものです。
「ならば、ちんちんがくさっておちるひともおるんか」
「さすがは金ちゃん。わたしはあえていいませんでしたが、そこはまず最初に腐って落ちます」
「ありがたいのう。わしはいちど、おんなになってみたかったのじゃ」
 もっとも、乞食女ではなく白雪姫がいい。
「あのね金ちゃん。落ちても、また生えてくるはずがないのですよ」
「なんじゃ、でないのかい。とかげとちがうのかい」
「でません。たしかに人間も蜥蜴(とかげ)みたいならいいですよね」
「かみさまにもまちがいはあるんじゃのう」
「神様はまちがいだらけなのですよ。けれどもおばけはまちがいはおかしません。でるときにちゃんとでる」
 懐爺は自信満々の声でいいました。
 ぼくが黙っていると、懐爺はしめしめという顔で祠の奥に消えて行きました。
 懐爺はああいうけれども、ぼくはどうしても【ねむりひめ】はおばけではなく、人間なのだとおもわれてなりません。
 懐爺はああいうけれども、【ねむりひめ】にちょっとだけさわってみたくてなりません。
 帰りに躑躅峠のあの場所に寄ってみると、女のひとはもういませんでした。
 黄色い蝶がふたつ、舞っているだけでした。
 その後ぼくは、あんな美しい女のひとにであったことはありません。
 でももしかすると眠っていたから美しいのであって、あのひとが起きだしてべらんこべらんこ喋くり散らかしたら、いくら美しくとも美しくおもわないかもしれません。 
 
五十六【ぬらりひょん】
 
 秋のある日、夕方遅くなって学校から帰ると、母親はいないで変なおやじがいたものでした。
 床の間の前で、あぐらをかいていました。
 母親の茶碗で、お茶をすすっていました。
 すする音は、巨大な滝の音に似ていました。
 どどっ
 どどっ
 どどどんどん
 ずっどどどどんどん
 この音は冷気とともに、ぼくのからだをふるわせます。
 和服を着ていかにも堂々としているから、もしかして会ったことのない伯父さんかと、いちおう挨拶をしたけれども、えらそうな咳ばらいが返ってきただけ。
 茶をすすりおえると、おやじは腕を組んで、口をへの字にしました。
 こんなえらそうな親戚がいたらいいな、いいけどおそろしいな、おそろしいけどおもしろいな、などとぼくはかんがえていました。
 それにしても、禿げた頭がでかい。
 西瓜(すいか)よりも南瓜(かぼちゃ)よりもでかい。
 りっぱだのう。
 かっこいいのう。
 五分間ぼくは、その禿げ頭にみとれました。
 ぼくが母親を捜しに、近所まで行ってみつからずに戻ると、おやじはもういない。
 あとで母親にきくと、
「金ちゃんに、伯父も叔父もいるわけない」
 といいました。
 わけといったわけを知りたかったけれども、それどころではない。
 それなら村長か。
 村長が頭がでかくなる病気になったのか。
「村長は、行くべき用があって、行くべきところへ行っているよ」
 母親は意味深(いみしん)にいいました。
 それならぼく、も行くべきところに行かなければ。
「【ざしきわらし】かのう」
 だいたいの説明をしてから、ぼくは懐爺にききました。
「【ざしきわらし】は、こどものおばけです」
「ならば【てんぐ】かのう」
「【てんぐ】なら、大きな鼻をしていますよ」
「おおきなあたまをしとった」
「【ぬらりひょん】にまちがいないです」
 懐爺は断定しました。
「【ぬらりひょん】かい、ばかにしたなまえじゃのう」
「ばかにしてはいけません。あれでもおばけの大親分ですよ。わたしは昔、南の方に旅をした際に、海でみたことがありました。禿げ頭に似た大きな玉が浮かんでいるので、つかまえようとすると、ぬらりとはずれて、からかっているのか、またひょんと浮いてくる。それで、【ぬらりひょん】。海のおばけは【うみぼうず】といっていますが、何でもかんでも【うみぼうず】ですから。わたしだって海でおよげば【うみぼうず】」
「うみのおばけが、いえにまでやってくるんかい」
「最近、公害やなにかで海も汚れていますからねえ。おいしい食べ物が少なくなったのでしょう。それでたまに家にまでやってきて、座敷で飯くったりお茶のんだりするんです」
「ずうずうしいおばけじゃのう。きもちわるいおばけじゃのう」
 ぼくは【ぬらりひょん】をおもいだしながら、伯父か叔父かとおもいこんだ自分に腹立たしくなりました。
 つまりつまり、
(伯父か叔父だったらよかったのになあ)
 というおもいで腹立たしくなったのです。
「金ちゃん、今日はごきげんがわるいようですから、いいものをあげましょう」
 懐爺はぼくの機嫌をとりました。
「また、あんこだま、かい」
「今日はお札ですよ」
 懐爺の手には、たしかにお札らしきものがありました。
「なんじゃい」
 ぼくは食べ物ではなかったことで、いっそう不機嫌になりました。
「おばけ除けのお札。ありがたいありがたいお札です」
 よせばいいのに懐爺は、お札を拝んだのです。
「わしは、おばけがすきなんじゃ。おばけをよけるおふだなんか、いるかい」
 強がり半分本心半分で、ぼくはいいました。
 かくべつ、この【ぬらりひょん】は、素敵だったものです。
「それはわたしもわかっています。でも金ちゃん。たとえばさ、金ちゃんだって何かと忙しいときもあるでしょう。おばけにくわれる前にごはんくいたい場合だって、いずれくるかもしれないでしょう。そういうときに、このお札を出して、またあとにしてくれ、というんですよ」
「さんどのめしより、おばけがすきじゃ」
 ぼくは一日三度の飯をくったことがないから、このせりふは嘘だとおもいました。
「しかたありません。このありがたいありがたいお札は、わたしが持っていることにしましょう」
「それで、いいのだ」
 珍しく懐爺は、腕を組みました。
 珍しく懐爺は首を、傾(かし)げました。
「それにしても金ちゃんは、擬声語(ぎせいご)擬音語(ぎおんご)のおばけによく遭遇しますねえ。【うわん】とか【けらけらおんな】とか【ぬらりひょん】とか」
「わしは、ぎせいしゃ、なんか」
 ぼくはききました。
「犠牲ではなくて擬声擬音、つまり声とか音で、その名前がついたおばけです」
「おばけは、たんじゅん、なんだのう」
 ぼくはえ‚轤サうにいいました。
「そうかもしれません。おばけは単純だから、こわくもありおぞましくもあり懐かしくもあり優しくもあります」
「そうかのう、そうかのう」
 ぼくも首を傾げながら、次のおばけに出逢うことを、心から待ちのぞんでいました。
 
五十七【のっとり】
 
 ぼくの家は自慢ではないけれども、あばら屋でした。
 今の人には想像もできないくらいの、あばら屋でした。
 完ちゃんの家も、あばら屋です。
 けれども、完ちゃんの自慢は、家の中に便所があることです。
 ぼくのところは、庭にありました。
 それでもいちおう、屋根もあるし扉もついている。
 夜中に便所に行って扉をあけると、青大将がいたり蝦蟇がいたり鼠がいたりする。
 たまに、狸とか狐とかがいる。
 どいつもこいつも蹴飛ばして、用を足す。
 その夜も、狸とか狐とかがいそうな予感がしたものです。
 でも、いたのは大蛸(おおだこ)でした。
 茹(ゆ)でた蛸でもあるまいし、月の光に照らされて、恥ずかしいのか真っ赤になっている。
 ともかく便所は、蛸野郎に完全に占拠されている。
 ぼくが開けた扉を、閉める。
 開けても、閉める。
 八本の足を、自由自在に動かして閉める。
 そのうち、開かないようにしてしまう。
「たこやきにして、くっちまうからな」
 くちびるをふるわせて、ぼくはどなりました。
 大蛸は返事をしません。
 しかたないから便所の扉に向かって、おしっこを飛ばしました。
 中で大蛸がもだえる気配がします。
 扉が開き、大蛸が便所の穴に逃げてゆくのがみえました。
 便所の穴を覗いてみても、もう気配がない。
 翌日、懐爺のところに行きました。
「たこやきにしたら、むらじゅうでくえたのにのう」
 ぼくは説明してから毒づいたのでした。
 まさかとおもったが、蛸野郎も、
「まちがいなくおばけです」
 と、懐爺は即決しました。
「たこのおばけがでるんは、うみじゃろ」
「【のっとり】です。【のっとり】は、もともと狐や狸が化けるんですが、たまに蛸になります。欲が深くなればなるほど大蛸になります」
「うちのべんじょなんか、くれてやってもええがの」
「【のっとり】はひどく図々しい奴ですから、まずは便所を取ったら、味をしめて、次は納屋を、それから母屋(おもや)を取ります」
「なかなかやるのう」
 ぼくは、してはならないことをしました。
 つまり、感心したのです。
「感心している場合ではありません。今度また【のっとり】がでたら、おしっこ飛ばさなければいけませんよ」
「こんどは、うんこもとばしてやるで」
「それはいけません。【のっとり】がさらに化けて【くそったれ】になりますよ」
 ぼくは呆れました。
「【くそったれ】は、たこやきでなく、いかやきにしてくれるぞい」
「金ちゃん、よくご存じですね。【くそったれ】は狸や狐が化けて大烏賊(おおいか)になるんです」
 ぼくはますます呆れました。
 懐爺の作り話かもとおもわれました。
「わたしの作り話ではありませんよ。烏賊という漢字の後の文字は賊と書くのです。盗賊の賊です。金ちゃんのうちは取るものがないので、あるいは取ってもつかいものになるものがないので、そういうばあいは、命をとるそうですよ」
「おばけのはなしは、べんきょうになるのう」
 一年分くらい寒気を感じたぼくは、一年分くらい賢くなった気がしました。
 
五十八【のびあがり】
 
 そのおばけは、完ちゃんから借りた漫画でみたことがありました。
 その漫画では、目の前の土嚢(どのう)がみるみる大きくなって、主人公を威嚇(いかく)してくる。
 それで【のびあがり】と呼ぶのだそうです。
 のびあがるその拡大率のヲさが、漫画でもよくわかり、ぼくは口を開け、眼をこらしたまま、漫画をみつづけけていたものでした。
 川獺(かわうそ)がばけたものかもしれないとも書いてありました。
 のびあがるときの擬音は、漫画ではこんなふうでした。
 のののののび〜る
 のののののび〜ん
 のののののび〜た
「【のびあがり】たあ、どんなおばけじゃ」
 懐爺にぼくはききました。
 漫画の説明だけでは、満足できなかったからです。
「【のびあがり】はみた者がかなりいます。人間の心に忍び寄るおばけとでもいいましょうか。どんどん大きくなる影に怯えて【のびあがり】だと騒ぐ者もいますが、【のびあがり】はそんな規模ではなく、それこそ小山が大山になってしまうほど大きくなるおばけです」
「ほんものを、みてみたいのう」
 ぼくは本気でいいました。
「金ちゃんなら、すぐにみられますよ」
 懐爺は本気顔でいいました。
「みられるもんかのう」
「みられますよ」
 そんな往復が何度かつづいて、暮れかかってきました。
 懐爺は、こう優しく諭(さと)します。
「もう帰らないと、【のびあがり】が登場しますよ。【のびあがり】はくいませんが潰されることがあります」
「なら‚ホ、かえらん」
 ぼくは強がっていいました。
「つぶされたくらいで、わしがしぬかい」
 さらに強がりました。
「それではわたしは引っ込みます。わたしは【のびあがり】がこわいんです」
 懐爺は汚い手で、汚い額の汗を拭くふりをしました。
 懐爺に、こわいものなんかいるわけがない。
 たぶん眠かったのだろう、とおもいました。
「おやすみなさい金ちゃん、ごきげんよう」
 懐爺は奥にもぐりました。
 というより、消えました。
 そのときくだんの、いかにもおばけが登場するまえぶれとしての、うすきみわるい、なまぬるい風が吹いてきたのです。
 祠の裏の竹藪の向こうの太陽が沈み始め、橙色に輝き始めました。
 ぼくは祠に、いや懐爺に後光が射しているんだ、とかんじました。
 うすきみわるくなまぬるい風が次第に強くなってきたけれども、ぼくは素直に帰る気になれない。
 ぼくはまちがいなく、おばけの出現を待っていたのです。
 竹藪がしきりに、鋭角的な音を立てています。
 名も知らぬ獣が、啼いている感じの音です。
 見上げると、竹藪が以前より大きくなっています。
 目の錯覚ではない。
 なぜなら竹藪は益々拡大してゆき、それこそ懐爺のいうとおり、みるみる小山が大山になってしまうほど、肥大化していったのです。
 懐爺がお祈りかお呪いかなんかして、ぼくがみたがるおばけを呼び寄せてくれたのだと、ぼくは確信しました。
「ああ、これが【のびあがり】か。みごとなもんじゃのう。おそろしいもんじゃのう。つぶされそうじゃのう」
 五分間仰ぎみると、ぼくは満足して、ふるえる足で帰宅しました。
 
五十九【のんだる】
 
 村には大酒のみが、たくさんいました。
 冠婚葬祭(かんこんそうさい)はもちろん、日々の楽しみは酒を飲むことくらいだったのでしょう。
 完ちゃんやぼくらこどもには、川遊び山遊び広場遊びがあるけれども、村の大人たちにとっては、川も山も広場も仕事の場所でした。
 あるとき、完ちゃんと話をしていて、
「なぜに、おとなはさけをのむんか」
 という疑問に、ぶちあたりました。
「みずじゃ、あじがしないからのう」
「いんや、よっぱらうのがおもしろいんじゃろ」
「よっぱらうって、どんなかんじなんか」
「ふねでよっぱらうじゃろ。あれとおなじじゃろ」
「あれはきもちわるい。あれとおなじじゃなかろう」
「かんがえても、よくわからんのう」
「そういうときは、かいじいじゃのう」
 と‚「うわけで、懐爺のところに行きました。
 懐爺は、しきりに肯いてからこういいます。
「金ちゃんも完ちゃんも、いいところに目をつけましたね」
 誉められるとはおもいもしなかったので、ふたり顔を突き合わせて大いに笑ったものです。
 でも次の言葉に、ふたりの笑顔はひきつったのです。
「さすがに、おばけ好きはおばけに目をつけるのが早いですね」
「おおお、おばけたあ、どどど、どういうことかのう」
 ぼくの百倍は、おばけをこわがる完ちゃんがききました。
「お酒をいくら飲んでも酔っぱらわない人もいます。たとえば村長さんなどそうでしょう」
「たしかに、そうじゃ」
 完ちゃんがふるえているので、ぼくが応じました。
 ぼくの母親はお猪口(ちょこ)一杯のお酒で、すっかり酔っぱらってしまう。
「同じ人間なのに、おかしいとはおもいませんか」
「そりゃおかしいのう」
「【のんだる】のしわざですよ。【のんだる】はお酒を飲む人に入り込んで、わるさをするおばけです」
「さかやの、まわしものかのう」
「いえいえ、酒屋の主人も【のんだる】にやられて、肝臓をこわしています」
「【のんだる】は、かんぞうにはいりこむんか」
「肝臓にも胃腸にも、時として脳味噌にも入り込みます。酔っぱらって狂って暴れるひとはそれです」
「そんちょうには、はいりこまんのか」
「とんでもない。村長は誰よりも大酒飲みです。村長に入り込んだ【のんだる】は、村長がお金持ちだと知っているから、いくら飲んでも酔わないよう、わるさをしているんです。最後の最後に、ひどいことをするためです」
「あばれても、おとなしくても、【のんだる】のしわざかい」
「そのとおり。【のんだる】は賢いおばけですから、貧乏人がお酒を飲み過ぎて、もうお酒を買うお金がなくなると、あとは【しんだる】に委
(ゆだ)ねて病気で殺してしまうのです」
「おそろしいのう。やっぱしさかやの、まわしもんだのう」
「いえいえ、【のんだる】はお金ほしさに入り込むのではありません。人間を破滅させるために入り込むのです」
「おさけで、にんげんが、はめつするんか」
 たしかに村でも破滅した者は何人もいます。
 けれども酒で破滅したのではなく、酒に頼るくらい苦しい生活だったから、破滅したのだとおもっていました。
「それは鶏と玉子ですよ。どっちが先でも結果は同じ、その結果は【のんだる】が計画したものなのです」
「ならば、そんちょうはどうなんじゃ。【しんだる】なんかきそうもないがのう」
「村長は【のんだる】にとって、まだ生かしておいて都合のよい存在なのです。だからまだ破滅させない。【のんだる】にとって利用価値がなくなったそのときは【しんだる】に委ねるでしょう」
「よくわからんが、さけをのんじゃあいかんということか」
 酒屋を【のんだる】の回し者と疑ったのと同じ次元で、懐爺は禁酒組織の回し者とおもわれました。
 それでそうきいたのだけれども、懐爺の答えは意外なものでした。
「じつはわたしもお酒を飲みます。お金がないからたまにですけど飲みます。ただ飲むときは【のんだる】と相談というか、掛け合います。今日はこれだけ飲むがよろしくと。すると【のんだる】はしぶしぶ〈よろしい〉というのです。うっかり掛け合うのを忘れたら、とんでもないことになりますから、そういうときはすぐに飲むのをやめます。【のんだる】は拍子抜けの声で〈つまらん〉というけれども、騙されません。つまらんのはわたしのほうですからねえ。つまり」
「めんどうじゃのう」
 ぼくは遮(さえぎ)りました。
 ぼくは面倒だから、大人になっても酒は飲まないとちかったのです。
 完ちゃんは【のんだる】がこわいから、大人になっても酒を飲まないとちかったとのことでした。
 もちろんこのとき、ふたりは、心の誓いを平気で破ってしまう、【やぶったる】というおばけの存在をしらなかったのですが。
 
六十【はかばへび】  
 
 名前をだしたらきりがないので、あえてだしませんが、国の内外を問わず、多くの作家がおばけを書いています。
 沢山書いている作家もあれば、すこしだけ書いている作家もいます。
 それでは、たくさん書いている作家が、おばけを信じていて、すこしだけ書いている作家は、おばけをすこしだけ信じているのでしょうか。
 そうして、まったく書いていない作家は、おばけをまったく信じていないのでしょうか。
 あんがい、そうとはいいきれないのは、ほんらい作家は「うそつき」だからです。
 たくさんおばけを書いている作家が、おばけをまったく信じていないで、まったくおばけを書いていない作家が、じつはおばけを信じているということがあるかもしれません。
 なぜなら、おばけを信じているならこわくて書けないし、おばけを信じていないならこわくないから、いくらでも書けるということがあるかもしれませんから。
 それと、おばけを作品の中の重要な象徴や比喩として書いていて、ほんもののおばけとして書いていないという場合もあります。
 もっとも、おばけにほんものとかにせものとかがあるかどうか、ほんものではないからおばけであって、とはいえにせものだったら、おばけではなくて影とか柳とか狐だったりするのでは。
 あれこれかんがえはじめると、ややこしくてたまりませんから、ようするに信じるか信じないか、信じた者が勝ちということにしようとおもわれます。
 さてぼくはおばけを信じているかとなると、正直まったく信じてはいません。
 ぼくの負け。
(ただし、おばけの設定とやらを、幽霊や変化や妖怪などと決めるか、「奇怪におもわれるもの」「恐ろしくかんじられるもの「巨大にみえるもの」などと捉えるかで、答えがいささか変わってくる気もしますが)
 それではどうして、こんな話をいつまでも書いているのかとなると、「いまここ」ではおばけはまったく信じていないのだけれども、おばけを信じている(こども時代のぼくの分身である、というよりも、こども時代のぼくそのものである)金ちゃんや(ぼくのこども時代の英雄の)懐爺のことを信じているからです。
 金ちゃんと懐爺の勝ち。
 そうしてぼくにとって、金ちゃんや懐爺の存在こそ「いまここ」なのですから。
 なんていっているぼくだって、「うそつき」である作家の末端の者なのです。
 ますますややこしくなってきそうなので、このへんで。
 五月夜や尾を出しさうな石どうろ 泉鏡花
 閑話休題。
 中山の裾ちかくの斜面に、村の墓場があります。
 ぼくはお使いなどで、そのそばをとおるときは、できるだけ目をそむけることにしています。
 なぜなら、墓場にいる蛇は、【はかばへび】というおばけだと、懐爺にきかされていたからです。
 でもある日の夕方、完ちゃんといっしょだったので安心して、墓場を見てしまいました。
 【はかばへび】がいました。
 うじゃうじゃいました。
 大きいの小さいの長いの短いの白いの黒いの。
 墓石に数かぎりなく蛇がからみついていて、完ちゃんといっしょに驚嘆の声をあげました。
「だれのはかかのう」
 ぼくがつぶやくと、
「蛇の墓だよ」
 と完ちゃんはいいます。
「へびにもはかがあるんかのう」
「あいつらは蛇のご先祖を守っとるんだ」
「えらいのう」
「えらいけど、きみわるいなあ」
 そして完ちゃんは、落ちていた石を拾うと、墓石にむけて(いや、蛇たちに、むけて)投げ付けました。
 それが小蛇にぶつかったのでした。
 それからが大騒ぎでした。
 ぼくたちではなく、蛇たちが。
 たまたま石が当たった小蛇を、中蛇が呑み込み、その中蛇を、大蛇が呑み込み、その大蛇を、超蛇(ちょうじゃ)が呑み込み。
 またそれを他の蛇たちもやったものですから、見る見るうちに、墓石には超蛇が七匹ほどだけ残りました。
 そこに完ちゃんがまた石を投げると、こんどは超蛇が超蛇を呑み込みはじめ、最後には一匹の超超蛇(こういう言い方をしたのは、こういう言い方しかできないほど大きくて気味の悪い蛇だったから)だけが残りました。
 この超超蛇の腹のなかには数かぎりない蛇がいるわけですが、その蛇たちがどうなっているのか、ぼくは気になってしかたがありません。
「はらのなかで、とけちまったんじゃろうな」
「それはすぐわかるさ」
 と完ちゃんはいうと、その超超蛇にまた石を投げ付けました。
 超超蛇は鎌首を烈しくもたげると、ぼくたちにむかって真っ赤な口を突き出しました。
「うがうが」
「だはだは」
 ぼくたちは言葉にならないさけびごえを発し、逃げるのですが、超超蛇の口から飛び出した無数の蛇たちが追い掛けてくるのです。
 逃げても逃げても追い掛けてくる。
 その動き、その色、その気味悪さは一度も見たことがないもので、これは夢だと念じたものです。
 完ちゃんが転ぶと、半ズボンからとびでた裸の足に蛇がからまりついてくる。
 ぼくは長ズボンだから、蛇がからまりついたら脱げばいいとおもっていました。
「かんちゃんがんばれ、ほらほら、もうすぐかいじいのほこらじゃ」
 ようやく祠に着き、蛇たちはいつのまにか消えましたが、完ちゃんの足は蛇に噛まれて血だらけです。
「【はかばへび】のたたりですな。悪い血を抜かないと治りませんよ」
「なおらんと、どうなるんじゃ」
 ぼくがききました。
「足の傷口から蛇が何匹もでてきて、いつまでもでてきて、止まらないんですよ」
 懐爺は蛇顔になっていいました。
「そいつはえげつないことじゃのう」
「そうしてやっと止まったそのときには、蛇男になっているんです」
「へびおとこたあなんじゃ」
「ちょっといえないくらい無気味なものです」
「なんとかせいや」
 ぼくはせかします。
 懐爺は青息吐息(あおいきといき)の完ちゃんの足に汚い口をつけると、血を吸い出しては唾を吐き吸い出しては吐き数十回もやりました。
 ちゅちゅ
 ぺえっ
 ちゅうちゅう
 ぺえり
 ちゅりちゅ
 ぺぺぺ
 ちゅっつ
 ぺりぺっつ
 ちゅ
 ぺっ
 完ちゃんの顔色がだんだん良くなってきました。
 
六十一【ばかばかし】
 
 この世はばかばかしいことばかり、というのは、おとなになったぼくの素直な感懐ですが、こどものころは、見るもの聞くものすべてが新鮮で、ばかばかしいどころか、世の中というものはこんなに面白いんだとかんじていました。
 ところが懐爺は、
「この世はばかばかしいことばかりです」
 というのが口癖でしたから、いつも首をかしげていたものです。
「どうしてそんなこというんじゃ」
 ぼくは何度かきいたことがあります。
「金ちゃんがおとなになったら解りますよ」
 と懐爺はいうばかりでした。
 あるとき、ふとおもいついてこういいました。
「そんなに、ばかばかしいばかばかしい、ばかりいうとると、ばかばかしいおばけでもでてきそうじゃ」
 すると懐爺は、想像もしていなかったことをいいはじめたのです。
「わたしはあれこれ、わたし自身もこわくてたまらないおばけについて話してきましたが、【ばかばかし】というおばけほどこわくてたまらないものはないでしょう」
「やっぱり【ばかばかし】はいるんじゃな。やっぱりばかばかしいおばけかのう」
 《瓢箪から駒》という言葉をもし知っていたなら、ぼくはそうかんじたことでしょう。
「そうではなくて【ばかばかし】そのものは、ばかばかしくはありません。おばけの正統派(せいとうは)ですからね。【ばかばかし】は、ばかばかしいばかばかしいと、人間世界のことをばかにしてばかりいるおばけです」
「まるで、かいじいじゃのう。ちっともこわくない」
 ぼくは茶化していいましたが、懐爺は真剣です。
「これからわたしのいうことは、ぜんぶ【ばかばかし】がいったことです。金ちゃん、よろしいですか」
「よろしい」
「おばけの世の中にはぜんぜんないものが、人間の世の中にはいっぱいあるぞ。だから人間の世の中はばかばかしいのだぞ。たとえば学校、たとえば会社。学校でおしえることなんかみんなばかばかしいことだぞ。会社ではたらくことなんかみんなばかばかしいことだぞ。それに家族。これもばかばかしい。親子兄弟は喧嘩ばかりしているし昔から殺し合いもやる。ばかばかしさはまず家族から産まれるんだぞ。そして戦争と芸術。おばけの世の中には戦争も芸術もないぞ。なぜなら、おばけでいることが戦争であり、おばけそのものが芸術だからだぞ。いちばんばかばかしいのはお金だぞ。人間はお金で自殺をしたり殺人をしたりする。戦争だってつまりはお金。こんなにばかばかしいことはないぞ。人間が必要だとおもって、作ったお金で人間が死ぬんだから。おばけの世の中で何が幸せかというと、お金というものがないことだぞ」
 それから懐爺は、【ばかばかし】の歌を歌いました。
 ないないないない
 おばけにゃないぞ
 ないないないない
 おかねがないない
 おかねがないから
 おばけはしあわせ
 ばかばかし
 にんげんせかいは
 ばかばかし
 おかねがあるから
 ばかばかし
 おかねがしあわせ
 なしにする
 ぼくは唸りました。
 そのとおりだと唸りました。
 母親の苦労の一番はお金でした。
 けれどもひとつ疑問がありました。
「どうして懐爺は、【ばかばかし】がこわくてたまらないんじゃ」
 懐爺は、一呼吸おきました。
「わたしもどうしてこわくてたまらないか、自分でもよくわかっていないんですが、ただいえることは、おばけはふつう、おばけの身がうらめしくて、人間がうらやましい。それなのに【ばかばかし】は、おばけが幸せで人間は不幸せだと力説します。それがやはり的を射ていると信じられ‚驍フで、【ばかばかし】はたまらなくこわいんです。その姿かたちや声音や物音で、又やることで、人間を震えあがらせるおばけとちがって、【ばかばかし】はその言葉で、つまりはその思想で、人間を震えあがらせるから、たまらなくこわいんです」
 なるほど、とおもわれました。
 ふつうのおばけは、こどもにとってとてもこわく、おとなにとってすこしこわい。
 でも【ばかばかし】は、こどもにとってあまりこわくはなく、おとなにとってとてもこわい。
 そういうことなんだろうと、懐爺にそういうことを伝えました。
「はい。【ばかばかし】のたまらないこわさは、学校や会社や家族や戦争や芸術で、何よりもお金で、ひどく苦労したひとにしかわからないのかもしれません」
 きっと【ばかばかし】は、懐爺の分身なんだろうとおもわれました。
 忍者が使う、あの分身の術です。
 なぜってぼくは、【ばかばかし】のその姿を見たことがないし、直接その歌を聴いたことがないんですから。
 でもそのことは何だか、最後までいえずにいました。
 
六十二【ばくはつ】
 
 母親といっしょに、中山へきのこ採りに行きました。
 何であれ、母親と行動を共にするのはいい気分でした。
 何の心配もなく、目的だけをかんがえていられる。
 母親の匂いは、何よりも安心の匂いでした。
 その日母親は、舞茸(まいたけ)を採るつもりだったらしいけれども、ぼくは松茸(まつたけ)をねらいました。
 時季が少しだけ早かったらしく、いくら探しても松茸はみつからず、〔猿の腰掛け〕ばかりが目について困りました。
 これは猿のいたずらにちがいない、松茸は猿がみんな採ってしまったんだと残念でした。
 それでも猿が見逃した松茸があるはずだと、懸命に探しました。
 そのうち妙なきのこに出逢いました。
 逆さまに生えたきのこや、虹色のきのこや、おならを発するきのこには逢ったことがあるけれども、こんなきのこは初めてでした。
 なにしろ、みているだけで、みるみる大きくなる。
 いつのまにかぼくの背よりも大きくなったので、母親を呼びました。
「そいつに触っちゃあかん」
 母親は血相変えてさけびました。
「もうさわっとる」
 ぼくはいいました。
 おばけきのこは、巨大化しました。
 さらにさらに大きくなりながら、このきのこは、泣いているのか、汗をかいているのか。
 黒い雨が、ぼくに、ぼくの全身にふりそそぐ。
 げっげっげ
 げんげんげん
 げげんげげん
 げんげんげげんげん
 ぼくは母親に促されるまま、いっしょに逃げました。
 逃げたけれども、ちっともこわくはありませんでした。
 ただ、黒い雨は、ふいてもなかなかとれません。
 夕方、懐爺のところに行きました。
 母親ときのこ採りに行った話をしました。
「おばけきのこをみたんじゃ」
「触ってはいませんよね」
「あんなもん、さわるかい」
 ぼくは嘘をいいました。
「それなら問題はないでしょう」
 ぼくはぼくの身の上に、問題が出ることをおそれました。
「もんだいたあ、なんじゃ」
「放射能ですよ。そのきのこは【ばくはつ】、別名【げんばく】です」
「ほうしゃのうたあ、なんじゃ」
「金ちゃん、学校で勉強しませんでしたか。日本が戦争に負ける直前、広島と長崎に原爆を落とされたんです。放射能はその原爆から吹き出して、人間にひどい害をおよぼすのです」
「なるほど。あのおばけきのこがおちたんか」
「落ちたのではなく、米国が落としたのです」
「あくまのくにじゃ」
「しかし米国も放射能の恐ろしさを、どの程度わかっていたか」
「ならば【ばくはつ】は、ほうしゃのうのおばけか」
「広島と長崎の次は、この村というわけです。でも害にあったのは、幸運にも、どうやら金ちゃんだけですね」
「がい、たあ、どんながいなんじゃ」
 ぼくは勇気をだして、きいてみました。
「それは、わたしの口からはいえません」
 珍しく懐爺は、苦々しい顔つきをしていました。
 いずれ駄目になる自分を、ぼくは想像しました。
 おそろしいよりも、口惜しいおもいでした。
「【ばくはつ】をやっつけるには、どうするんかい」
 ぼくは今までで一番、ききたいことをききました。
「他のおばけなら何とか退治できます。退治できないのが【ばくはつ】です。だから困るんです」
 懐爺は困った顔で答えました。
「めんどうじゃのう」
 困っていたのは、ぼくのほうでした。
 それでも懐爺は、黒い雨を、おしっこでぬらした雑巾をつかって、ぼくのからだからぬぐいとってくれました。
 それから懐爺は、ぼくにささやいたのでした。
「これは金ちゃんだけの秘密にしておいてくださいね。わたしの祠は、この世界でたったひとつの【ばくはつ】よけなのですよ。ただそんなものがあって、自分だけ助かっても、どうしようもない。【ばくはつ】を【ばくはつ】させないことのほうが、大切なんですから。そのための方法をこれから、金ちゃんにだけおしえます。なぜなら【ばくはつ】が、それを耳にして、知恵をつけてしまったら、もう人類絶滅ですからね。【ばくはつ】というおばけは、退治できないけれども、発生させなければいい。そうすれば退治する必要もありませんからねえ」
 ぼくは、その方法をくわしくきいた。
 それで、長じてぼくは、いままでに何度か、表から裏から、横から斜めから、各国の指導者にはたらきかけてきたけれども、だれも相手にしてくれなかった。
 
六十三【ばけがらす】
 
 先生が教室でみんなにこういいました。
「みなさんもおそらくわかっているでしょうが、この世の中でいちばん偉いのは人間です。ではどうして人間は偉いのでしょうか。かんがえてみてください」
 すかさず完ちゃんがこう口答えをしました。
「おばんがいっとった。動物も人間と同じじゃ。命もあるし、親は子を可愛がる」
「でも、言葉を話すのは人間だけでしょう」
 先生はむきになっていいました。
「犬猫だって、言葉を話すんじゃ。人間が人間にしかわからない言葉を話すのと同じで、犬猫は犬猫にしかわからない言葉を話すんじゃ」
「でも、言葉を書けるのは人間だけでしょう」
 先生は赤い顔になっていいました。
「犬猫だって書けるさ。土をがりがりひっかいてるじゃろ。あれは犬猫の言葉を書いているんじゃ。それに先生よお、人間の赤ちゃんは、言葉を話せないし書けんじゃろ。人間の年寄りは、病気になって言葉を話せなくなるし書けなくなる。人間のなかでも、赤ちゃんと年寄りだけは偉くない人間なんか」
「それは、それは、それそれ、赤ちゃんは、偉い人間の若葉で、年寄りは、偉い人間の枯葉ということです」
 先生は、完ちゃんの頭を殴るのを我慢しているふうでした。
「墓場かい」
「は、は、は、墓場ではなくて、若葉、枯葉」
 先生の頭から湯気がでています。
「人間は偉いかのう」
「偉いんです」
「そうかのう」
「そです」
「そうかのう」
「そうです、だってば。動物は弱いものを殺します。犬は狐を、猫は鼠を平気で殺します」
「弱いものを平気で殺すのは、人間がいちばん得意じゃろう」
「そ、そ、そ、それには深いわけが」
「犬猫にも浅いわけがあるんじゃろ」
「深いわけはあっても、浅いわけなんかありません」
「そうかのう」
「そうです」
「そうかのう」
「そうです、だってば」
 先生の「だってば」は危険のしるし。
 完ちゃんが危ないとかんじたぼくは、助け舟をだしたつもりでこういいました。
「せんせいよお、わしは、このよのなかで、いちばんえらいのは、おばけだとおもうがのう」
 先生の血走った眼がこちらに向けられて、
「おばけは、この世でなく、あの世でしょう」
「いんや。あの世にいたら、おばけじゃない。この世にでてくるから、おばけじゃろうが」
「おばけなんか幻想です幻覚です」
「げんに、そうかのう。げんに、かくじつかのう」
「そうです、だってば。人間が犬猫と同じとか、人間よりおばけが偉いなんてことをおもう人間は、人間ではありませんから、もう教室に入る権利もないし、もう学校にくる義務もありません」
 どうもぼくの助け舟は泥舟だったようで、完ちゃんとぼくは水の入った桶を頭に乗せて、廊下に立たされました。
 窓から外を見ると、まだ昼間なのに、巨大な烏が飛んでいます。
「あれはなんじゃ」
 ぼくがいうと
「あれが【ばけがらす】じゃ。阿呆なやつを見ると飛んでくる。前に懐爺がいっとったじゃろ」
 完ちゃんは首をすくめました。
 ぼくには記憶がありません。
「くわれるんか」
 このかっこうでは逃げることもできないぼくはききました。
「いんや。みてみい。見てるだけじゃ。そんで、からかうだけじゃ。そのうち声をあげるで。動物も言葉を話すしょうこじゃ」
 そのうち、大鴉は巨大な口をめいっぱいひろげて、ぼくたちを見たまま、叫び始めました。
 あほあほ
 あほったらあほ
 あほれあほれほれ
 あほったれ
 あほあほ
 あほいあほい
 あほあほ
 その巨声と高笑は、いつまでもいつまでも続き、全世界に轟くほどにもおもわれ、人喰いおばけに大口を開けられるよりも、よっぽどおそろしかったものです。
 
六十四【ばたばた】
 
 いつだったか、季節の記憶はない。
 しかし、おばけはみんな、季節や天候や風景などなど、自然とともに記憶がある。
 そのはずです。
 だからこのおばけは、ほんもののおばけではないかもしれない。
 ただ、懐爺の記憶はあります。
 あのときの懐爺は、いつもよりさらに魅力倍増、べつの言い方をするなら、口八丁手八丁倍増でしたから。
「せつないのう」
 ぼくはいいました。
「こんどはなんですか」
 懐爺はききました。
「ばたばたばたばた、うるそうて、しゅくだいできん」
 ばたばたばたばた
 ばたらんばたばた
 ばたばたばたらん
 ばたばった
「金ちゃんも、宿題なんかするんですか」
「わしは、ゆうとうせいじゃ」
「ごめんごめん。わたしのところに優等生なんかこないと。先入観はいけませんね」
「せんにゅうかん、たあ、どんなおばけじゃ」
「なるほど。先入観も、おそろしいおばけかもしれません」
「そんなことより、ばたばたじゃ」
 ぼくはさけびました。
「そのとおり、それは【ばたばた】というおばけです。金ちゃんの好きな、いえ金ちゃんを好きな擬音語のおばけです」
 懐爺の答えはたいへん早いものでした。
 早すぎた。 
 このごろ、妙な疑念が頭をよぎっていました。
 懐爺はなんでもかんでも、おばけにしてしまうのではないか。
 だいたいぼくが、
「ばたばた」
 といったら、すぐに、
「それは【ばたばた】というおばけです」
 と答えるのは、安易すぎる。
 安易という言葉はまだ知らなかったとしても、そういう感じがしたのです。
 もし、
「ぶたぶた」
 といったら、すぐに
「それは【ぶたぶた】というおばけです」
 と答えるかもしれない。 
 もし、
「きんきん」
 といったら、すぐに
「それは【きんきん】というおばけです」
 と答えるはずだ。
 となると、もし、
「きんちゃん」
 といったら、すぐに、
「それは【きんちゃん】というおばけです」
 と答えるにちがいない。
 あの音は、外れかけた納屋の戸が強風で鳴る音かもしれないし、隣の家でまとめて捨てた新聞紙が風に煽(あお)られて飛んできた音かもしれないのに。
「もしかすると」
 ぼくはためしに、きいてみました。
「もしかすると、かいじいはさ、わしのために、なんでもおばけにしとるんじゃろ」
「ばれましたか。さすがは金ちゃん、金太郎よりすごい。でも【ばたばた】というおばけは、ほんとにいるんですよ。他の村では【たたみたたき】といって、畳を叩く音に似ているとか」
「そういえば、わしのきいたおとも、たたみたたくおとじゃった」
 そこまでの記憶はない。
 しかし懐爺のために、そういったのです。
 懐爺はうれしそうに、乱杭歯をむきだしにしました。
 懐爺がうれしそうにすると、理屈なくぼくもうれしいのでした。
 さらにぼくは懐爺に、難問をぶつけました。
「【ばたばた】なんか、おとがつまらん。【びたびた】なんてのが、うすきみわるいのう」
「そんなこというと、おばけがきいて、知恵つきますからご注意を」
 懐爺は、意味深な笑いを作りました。
「いみが、わからん」
 ぼくはいいました。
 懐爺はわざとらしい咳をしたあとで、こんな話をしました。
「昔むかし、太田道灌(おおたどうかん)という、偉い武将がおりました。その領内の山里に、巨大なきのこが一夜で生え、みなは物怪(もののけ)だと大いに騒いだのです。そのとき道灌さんは、決して物怪ではない、湿気の多いところには大きなきのこが生えるのだ、とみなを諭しました。そうしてもし逆さまに生えていたなら不思議だろうが、といいました。その後、こんどはきのこが逆さまに生えていて、みなが大いに騒いだのです。そうしたら道灌さんは、最初から逆さまに生えれば不思議だが、拙者が知恵つけてから逆さまに生えたのでは笑止千万、と答えたということです」
 ぼくにはよくわからない。
 わからないなりに答えたものです。
「なら、わしが〈どどんどどん〉なんていうと、【ばたばた】が〈どどんどどん〉にばけて、でてくるってか」
「まあ、当たらずとも遠からずですか」
「なら、ちえつけてやるべえか」
 ぼくは強がっていいました。
「やめてください金ちゃん。〈どどんどどん〉なんておそろしい音、ききたくないですから」
 懐爺は、ふるえるふりをしました。
「かいじいは、よわむしじゃな」
 ぼくは嫌味をいいました。
「わたしは、じつは、弱虫です」
 懐爺が勝手に認めてしまったので、ぼくはこの話をやめにしました。
 もちろん、懐爺を弱虫だとおもったことは、一度もありません。
 
六十五【はちふく】
 
 ある日、懐爺が慌ただしく出かけて行ったことがありました。
 まったく、餓死寸前の巨大な羆(ひぐま)にそっくり。
「めずらしいのう」
 みかけたぼくは、遠くから声をかけました。
 懐爺は立ち止まって、近寄るぼくに、
「日本の危機ですから」
 と真面目くさっていいました。
「おおげさじゃのう。わしはくまのひっこしかとおもうた」
 ぼくは茶化しました。
「金ちゃん、七福神って知っていますか」
 懐爺がきいてきたから、
「しっとるけどいわん。めんどうじゃ」
 と答えました。
 困った時のぼくの口癖でした。
 懐爺は苦笑しました。
「大黒様、恵比寿、毘沙門天、弁財天、寿老人、布袋尊、福禄寿」
「それがどうした」
「七つの福の神の他に、八つ目の福の神がいます」
 懐爺は、親指を折った両掌を突きだしました。
「【はちふく】かい」
 ぼくはいいかげんなことをいいました。
「はい、【はちふく】です。この神様が変なことを考えだしました」
「それでたいじにいくのか」
「神様を退治なんて畏れ多い。説得に行くのです」
「【はちふく】がへんだと、こまるんかいのう」
「困るどころではありません」
 懐爺はめずらしく、おこった顔をしました。
「日本は四つの大きな島で成り立っています。北海道、本州、四国、九州、ですね」
「それがどうした」
「【はちふく】は、北海道を韓国に、本州を中国に、九州を北朝鮮に、くれてやろうとしています。日本人は四国しか住む所がなくなります」
「なんじゃそれ」
 ぼくは呆れました。
 戦争漫画にも、そんなのはない。
 おばけの本にも、こんなすごいというか、【すげえ】の何億倍すげえのかわからない、規模の大きいおばけはでてこない。
「金ちゃん、呆れているうちが華です。【はちふく】は一応福の神ですから、それが人類の幸福だとおもい込んでしまったのです。神様のおもい込みほどの脅威は、この世にはありません」
「しこくだけになったら、わしははみだして、おぼれるぞい」
「金ちゃん、今から水泳だけは練習しておいてくださいね」
「あほか。かいじいがなんとかするんじゃろ」
 ぼくは泣きべそをかきそうになりました。
「はいはい、何とかしますが、相手は神様変じておばけになってますから、やっかいです」
「【はちふく】もおばけかい」 
 ぼくは呆れました。
 なんでもかんでもおばけか。
「【はちふく】は今や、正真正銘のおばけです」
 懐爺は断言しました。
 おばけに〔正真正銘〕なんて言葉は似合わないとおもいながらも、そんな野暮なことはいいませんでした。
「【のっとり】のおやぶんかい」
「まったく次元のちがうおばけですよ」
 懐爺は緊張した面もちでいいました。
「せつないのう」
「それでは行ってきます。わたしの説得の成功を祈ってください」
「てぶらでええんか」
 ぼくはききました。
「金ちゃん、餞別(せんべつ)くれるんですか」
 赤貧のこどもから、あげるものなんかない。
 相手がおばけなら、武器が必要だとおもったのです。
「てっぽうでも、かっぱらってきてやろうかいのう」
「喧嘩に行くのではありません。あくまでも話し合いです」
 懐爺は走りだしました。
 羆が脱兎になりました。
「がんばれや」
 ぼくがさけぶと、
「失敗してわたしが死んだら、祠のものは金ちゃんにあげます」
 懐爺も遠くから叫びました。
 ぼくは呆れました。
 祠のものなんて、がらくたしかない。
 それで、数日経つと、懐爺はいつも通り祠に居ました。
 【はちふく】のことをきいたけれど、何も答えません。
 というか、首をかしげるばかり。
 忘れてしまったのか、惚けているのか。
 どちらにしても、日本人の四国集結の話はないから、説得に成功したのだろう。
 慌てて水泳の練習をして損をした、とぼくは唇を噛んだものです。
 
六十六【はれい】
 
 おばけに遭った、おばけを見た、おばけにあれこれされた、なんてことは、証明するのが不可能に近い。
 おばけに対するときは、だいたいが一人だし、それが仮に十人だったにしても、その十人が他の十人に信じてもらうのが難しいものです。
 ですから、ここで次から次へとおばけを登場させても、どうせ作り物か空想か、あるいは頭がおかしいのだろうとおもわれるだけなのです。
 ということは、書けば書くほど、ぼくの頭がおかしいことを、世間にしらしめるだけのことで、なんにも得になんかなりません。
 それでも書かずにいられないのは、おばけ好きの業(ごう)とか、性(さが)とか、そんなふうにいうしかありません。
 どうせそうなら、よし世界記録を目指してやろうかとかんがえていますが、いまのところ世界記録がどのくらいのものかわからず、暗中模索のなかで書きつづけています。
 おそらくとっくに世界記録に達してしまっているのでしょうが、それならそれを金輪際(こんりんざい)抜かれないよう、書きつづけるのみです。
 この執念はきっと、なんらかのおばけの影響、感化によるものなのでしょうが、そのなんらかが具体的になんなのかはかいもくわからないのです。
 閑話休題。
 あるとき、
「【はれい】というおばけがいます」
 と懐爺がいいました。
 ぼくは歯をむきだしにして、
「【はれい】かい」
 といいました。
「その【はれい】もいます。【はれい】には、七種類もいます。すなわち、歯霊、刃霊、葉霊、羽霊、波霊、禿霊、腫霊です。みんな、そこに人の顔がいくつも現れるおばけです。今回は歯霊ではなく刃霊。完ちゃんの家に、正宗(まさむね)と伝えられる刀があります。完ちゃんのご先祖は、立派な武将でしたが、悲惨な最期を遂げました。その武将と、武将を慕って殉死した家来の顔が、正宗に現れるのです」
「かいじいは、どうしてしっとる」
「霊気というものですかね。それがこの祠までやってくるのです」
「その【はれい】をやっつけるには、‚ヌうすればいいのかのう」
「やっつけることはできません。霊を鎮めるだけです」
「だば、しずめるためには、どうすればいいのかのう」
「そうですねえ。完ちゃんの家から正宗を持ち出してくれれば、あとはわたしがなんとかします」
「わかった。わしがもってこよう」
「だまって持ち出すんですよ。誰にも気づかれてはなりません」
「まかせなさい」
 というわけで、ぼくは正宗を持ち出しました。
 持ち出すのは簡単でした。
「よくやりましたね、金ちゃん。これで大丈夫です」
 懐爺は正宗を大事そうに抱えて、祠のなかへ消えていきました。
 さてそれから、正宗の話は懐爺の口から一度も出ませんでした。
 ぼくは良かった良かったとおもいましたが、いまかんがえてみると、懐爺は正宗を売り飛ばして、それで食っていたのかもしれません。
 どっちにしても、結果的に、ぼくは泥棒か泥棒の手先になったわけですが、まあ懐爺の生活のためならしかたがない。
 完ちゃんもそうおもってくれるでしょう。
 
六十七【ひこばば】
 
 懐爺にきいたことがあります。
「かいじいは、どういうおばけがいちばんこわいんかのう」
「金ちゃんはどうですか」
「わしは、へびがにがてじゃから、へびのおばけがやっぱしいちばんこわいのう」
 適当に返事をしておきました。
 ぼくにとって、おばけはこわい以上に好きなので。
「そうですか。でもいちばんこわいのは、人間のおばけですね。わたしは年寄りだから、自分より若いおばけはそうこわくはありませんが、歳とったおばけはこわいですねえ」
「たとえば、なんじゃ」
「【ひこばば】です。火呼婆と書きます」
 即答しました。
「【ひこばば】たあ、どんなおばけじゃ」
「たいへん歳をとったおばあさん、ということはわかるんですが、あとはまったくわからない。正体がわからないからこわい。おばあさんという以外はなにもわからないんです。わけがわからない。わけもわからずに火をつけるからこわい。家にも人にも火をつけます。それと、火をつける理由も意味もわからない。理不尽で、つじつまのあわない、説明ぬきのこわさですね。そういうわけのわからないおばけは、退治しにくいから、やっぱりこわいですね。それに年寄りには敬意を表さないといけませんから、【ひこばば】を退治するなんて気は、けっしておこらないんです」
「【ひこばば】から、にげるほうほうはないんか」
「【ひこばば】は、歌をうたいながら、そろりそろりとやってきますから、それをきいたら逃げるか、水をいっぱい用意するかですね。ただし小さな声ですから、よくきかないときこえません」
 ひこばば
 うばば
 うばうばうばば
 火を一つ貸せや
 ひこばば
 うばば
 うばうばうばば
 火はまだ打たぬ
 この話はこれでおしまい。
 懐爺が退治できないおばけなんて、恐ろしくて近付けないから。
 
六十八【ひとう】
 
 母親が親戚のお通夜で一晩留守にするというので、隣のお姉さんがぼくの面倒を見るためにやってきました。
 ぼくの面倒なんていらない。
 一日や二日は水だけでも平気だし、自分の身の回りのことなんかはいつもやっているし、夜一人で寝ていてもこわくはない。
 それでも母親が頼んだら快くやってきてくれて、素直にありがたがったものでした。
 お姉さんはおいしい晩ごはんを作ってくれて、ぼくと遅くまで歌留多(かるた)遊びをやってくれて、錬るときは横で寝てくれました。
 もしお嫁さんをもらうなら、こういう女性がいいとおもわれました。
 そんなことをおもっていたせいか、夜寝つけない。
 それで隣に寝ているお姉さんに声をかけると、返事がありません。
 よほど熟睡しているのか、それともぼくの面倒を見たせいで疲れているのか。
 それでも何か変な気がしたので、電球をつけてみました。
 すると、お姉さんの首から上がありません。
 もぐっているのかとふとんをめくってみると、寝巻きを着たお姉さんの胴体だけがありました。
 でもたしかにこれはお姉さんのからだだし、首から血がでているわけでもないので、ちっともこわくはありません。
 これは夢だとおもっていると、ようやく眠くなってきました。
 朝おきてみると、お姉さんは台所で朝ごはんを作っています。
 首から上もちゃんとついていました。
 味噌汁のいい香りがしてきます。
「おねえさん、おはよう」
 と声をかけると、笑顔で振り返って、
「金ちゃん、おはよう。よく眠っていたわね」
 とお姉さんはいいました。
 やっぱり夢かとおもいましたが、念のため後で懐爺のところへ行きました。
 簡単に説明をすると、懐爺は難しい顔をして、
「やはりそうでしたか」
 といいました。
「なにがそうなんじゃ」
「あのひとはそうではないかと、前からかんじていました。【ひとう】ですよ。飛ぶ頭と書きます。昼間はふつうなんですが、夜中になると、頭がからだから離れて飛んでいきます」
「どこへとんでいくんじゃ」
「たとえば好きな男のところへですよ」
「なんじゃ。おねえさんは、すきなおとこがいるんか」
 ぼくは残念そうな声をだしました。
「しかしなかなか会えないので、飛んでいくんです。それでもからだを残すのは、ここにいなければいけないと考えているからなんです。いなければいけないけれども、飛んでいきたい。だから【ひとう】になるんです」
「せつないのう。せつないおばけじゃのう」
「本人は眠っていて、まったくわかっていませんから、本人はおばけだなんておもっていませんよ」
「よけいにせつないのう」
 ぼくは益々隣のお姉さんが好きになりました。
「金ちゃん、あのひとを好きになってもいいですが、あのひとに好きになられたら大変ですよ」
 懐爺は益々難しい顔をしていいました。
「そんなことは、てんちがひっくりかえっても、あんめえよ」
「ありますね。金ちゃんもあと三、四年経ったら、なにですから、きっとあのひとは、金ちゃんを好きになりますよ」
「なにたあなんじゃ」
「なにはなにです。わたしにはそんな予感がするのです。考えてみてください、あのひとと金ちゃんは、五つしか歳がちがわないのですよ」
「そんじゃいまたいじしてもらおうかのう。わしはおんなぎらいじゃからのう」
「【ひとう】は退治してはいけません。なぜっておばけであっておばけではない。そういう難しいおばけはそっとしておくことです」 
「そうか、それはよかったのう」
 けれどもちっともよくはなかった。
 三年後ぼくは、この隣のお姉さんのために、生まれて始めて〈女難〉を体験することになったのですから。
 
六十九【ひまつぶし】
 
 とある早朝、村の夫婦が馬車で町まで行こうとしたら、その途中で馬がいなないてとまった。
 そこで女房が前を見ると、馬の先に牛が仁王立ちになっている。
 仁王立ちになった牛なんて見たこともないから、馬でなくとも恐ろしがる。
 女房は腰をぬかし、旦那がふるえる声で、
「あんた何者じゃ」
 というと、仁王立ちの牛は、
「【ひまつぶし】、なのだ」
 と答えた。
「なぜに邪魔(じゃま)するんじゃ」
 というと、【ひまつぶし】と名のった牛は、
「ひまだから、なのだ」
 と答えた。
「わしらは忙しいんじゃ」
 というと、
「すまなかった、なのだ」
 といって、朝霧(あさぎり)のなかに霧消(むしょう)してしまいました。
 そんな話を、この夫婦からきいたことがありました。
「こまったおばけじゃのう」
 そう懐爺にいうと、
「【ひまつぶし】はどこの村にもいます。隣村では聞き違えて【ひつまぶし】と呼んでいますがね。これからはおばけもどんどん暇になりますから【ひまつぶし】がどんどんでてくるようになります。いずれ遠からず金ちゃんの前にも登場しますよ」
「やっぱし、わしかい。なぜにこうもわしのところにでてくるんじゃ」
 半分怒って半分悦んで、ききました。
「前にもいったでしょう。それは金ちゃんがおばけを好きだからです。こちらが好きなら、だいたいあちらも好きになる。大昔の中国の学者がこういっています。化物は常に好むところに集まる」
 それから数日。
 やっぱし、でた。
 ぼくが蛙を餌にしてざりがにを釣っていると、小川の中から仁王立ちの豚が登場しました。
「おまえはもしかして、【ひまつぶし】かのう」
 ときくと、
「ばれた、なのだ。とにかくひまで困っている、なのだ。退屈しのぎにこどもでもおどかしてやろうとおもったが、失敗、なのだ」
「いや、せいこうじゃ。たいくつなら、いっしょに、ざりがにとろうかのう」
 そういうと、【ひまつぶし】は悦んで、
「ありがたや、なのだ、ありがたや、なのだ」
 といいながら、三分もかけずに、小川のざりがにを、ぜんぶとってしまいました。
 でも【ひまつぶし】がとる、ということは、たべることなので、小川のざりがには、すっかり消滅してしまいました。
「こらあ、わしのおやつを、ぜんぶ、くいやがって」
 と文句をいうと、
「すまなかった、なのだ」
 といって、小川の水に溶けてしまいました。
 
七十【ひょうすえ】
 
 夏休みはとっくに終わっていたのに、というか、もう少したてば冬休みになりそうなのに、学校をさぼって中川で遊んでいた、村の中学生が二人溺れたのです。
 この話は、この年一番の哀しい話題でした。
 中川は荒れていたわけでも、増水していたわけでもない。
 一人は何とか無事で、一人は溺死。
 溺死した子の両親が、【ひょうすえ】のしわざだと泣きわめいていました。
 無事の子も、【ひょうすえ】をみたと告白しました。
 両親は、河童のことを【ひょうすえ】といったのでした。
 村人の大半は河童の存在を信じていたから、役場での対策会議で河童退治をすることになって、自薦他薦で選ばれた屈強な村人十三人が、鍬(くわ)や鋤(すき)や鎌(かま)で武装しました。
 河童を殺すなんてとんでもない。
 と、ぼくは懐爺のところへ急いだのです。
 懐爺は噂をきいていたので、(もしかすると特殊な能力で感知していたので)わざわざ説明する必要はありませんでした。
「せつないのう」
 ぼくはなげきました。
「わたしにまかせなさい。河童を殺すと祟りがあります。殺そうとするだけでも災いがあります。みんなそれを知らないだけですから」
 懐爺は身支度をして、出掛けました。
 身支度といっても、風呂敷包みを一つ抱えて行っただけです。
 ぼくは懐爺にいわれるままに、家で吉報を待っていました。
 ようやく河童退治隊が戻ってきたので、役場に行ってみました。
 みんな憔悴していました。
 隊長が報告会をやっていました。
 十三人全員で中川に入ったけれども、河童が川の流れを早くしたので目的地までなかなか行けないとのこと。
 行こうとする勇敢な者は、河童の吐きだす放水にやられて川岸まで飛ばされたとのこと。
 十三人とも生きて帰れたのが不思議だけれども、帰り道に誰かが、この糞河童め、と罵ったとのこと。
 それが河童にきこえたらしく、河童の笑い声を背にして、みんな逃げてきたとのこと。
 けっきょく、これ以上犠牲者をだしたくはないから河童退治は中止とする、という報告会でした。
 それは河童ではない、とぼくはいいそうになってやめました。
 そしてまた懐爺のところへと急ぎました。
「やったのう」
 ぼくは唾を飛ばしました。
「やりました」
 懐爺は静かにいいました。
 懐爺はずぶ濡れでした。
 祠の入口で火をたいていました。
「かいじいは、【ひょうすえ】だったんか」
 ぼくはききました。
「【ひょうすえ】にばけただけですよ」
 淡々と、懐爺は答えました。
「ばけたんなら、やっぱし、おばけじゃ」
 ぼくは嬉々としていいました。
 懐爺は何も答えずに、いつまでも焚き火で身体を乾かしていました。
 ぼくも焚き火にあたりながら、こんなことをきいてみました。
「わしはどうして、ゆうめいなおばけに、あわんのじゃろ」
「有名なおばけですか」
 懐爺は苦笑いしました。
「【ひとつめこぞう】とか【のっぺらぼう】とか【ろくろっくび】とか【からかさおばけ】とか【むじな】とかさ」
 ぼくは町の見世物小屋や、、お化け屋敷で見物したおばけの名を並べました。
「有名なおばけは忙しいもんですから、辺鄙(へんぴ)な村へはなかなか来てくれません」
「せつないのう」
 莫迦莫迦(ばかばか)しい気もしました。
「でも名前のないおばけもいるんですから、名前があるだけましではありませんか」
「なまえのないおばけは、せつないのう」
「まったくです。もしそういうおばけがでたら、二人で名前をつけてあげましょう」
「ゆうれいもみたいのう」
 ぼくは強がりをいいました。
「幽霊は人間の霊魂(れいこん)ですから、おばけよりもおそろしい。みない方がいいですよ」
「みたいのう」
 ぼくは嘘をいいました。
「それならわたしがそのうち幽霊になりますから、そしたら金ちゃんのところにでてあげますよ」
 めずらしく懐爺は、真面目な顔でいいました。
「やくそくじゃ」
「約束です」
 ぼくは懐爺の汚い指と、指切りげんまんをしました。
 それから半年して、溺死したこどもに、妹が産まれました。
 でもその赤子には、両手両足に水掻きがついていました。
「【ひょうすえ】の子じゃ、殺せ殺せえ」
 と村の大人たちはわめきました。
 この村ではかつて、水掻きがついて産まれた赤子を、殺したことがありました。
 とんでもないことで、とんでもないことに、その赤子を埋めた裏山が土砂崩れして、赤子の一家全員が、亡くなっていました。
 懐爺は、ぼくにいわれる前に、赤子のところへ行くと、すぐに手術をして、赤子の水掻きをとりのぞいたとのことです。
 もう誰も、
「【ひょうすえ】の子じゃ、殺せ殺せえ」
 とはいわなくなったが、懐爺にいわせると、
「ないしょだけれど、それでも【ひょうすえ】の子」
 とのことだそうです。
 
七十一【ぶあいそがらす】
 
 運動会が近づいてくると、毎早朝、大川の堤で駆けっこの練習をしたものです。
 そしてある朝、不審人物を目撃しました。
 大川の堤の一番高いところに突っ立っています。
 真っ黒い服装です。
 帽子を被っていて、それも真っ黒。
 近づいてみると、真っ黒いお面までしています。
 これはおばけにちがいないと、ぼくは勝手に【まっくろかめん】という名前までつけて、懐爺のところに行きました。
「【まっくろかめん】ではありませんよ。【まっくろかめん】というおばけもいますが、それは朝にはでない。金ちゃんがみかけたのはきっと【ぶあいそがらす】ですね」
「からすかい。あさから、からすかい」
「【ぶあいそがらす】は孤独な烏ですから、仲間が多い夕方には出没しません。【ぶりょうがらす】とも呼びます。無聊とは要するに暇を持てあましているという意味です。暇でたべていけるはずはないのに、とにかく何もしません。飛ぶこともいっさいしません」
「こどくで、ひまかい」
「はい。もう救い様がないくらい孤独で暇なのです。暇なら眠っていればいいのに、何をかんがえているんだか、真っ暗な真夜中でも、川ばかり眺めているんです。そうして、そんな、孤独のかたまり【ぶあいそがらす】を、さびしくみつづけていて、こちらがひどく‚ウびしくなって、川に身を投げてしまう人もいます。この身投げをした水死人も、むかしは【ぶあいそがらす】といわれていました」
 ぼくは(いまのも、むかしのも)【ぶあいそがらす】が何となく好きになりました。
「わしがともだちに、なってあげるかのう」
「それはいいですね。わたしだって金ちゃんが、友だちになってくれなかったら、まちがいなく【ぶあいそがらす】になっていたでしょうからねえ」
 そして翌朝、大川の堤に行ってみると、どういうわけか【ぶあいそがらす】は両手(両翼というのかもしれないけれども)を大きく広げていました。
 飛ぶのかとおもってずっとみていたが、なかなか飛ばない。
 心の中で、飛べ飛べと叫んでいたら、飛んだ。
 ほんとうに飛んだ。
 そして消えてしまったのです。
 まがりなりにもおばけなんだから、まさか大川に落ちたはずではないとおもうけれども、それからは【ぶあいそがらす】を一度もみたことはないのです。
 
七十二【ふじこ】
 
 夏休みの自由宿題で、童話を書くことに決めました。
 表題は『ふじこ』(これは隣のお姉さん山本不二子さんからとったものです)とするつもりで、ぼくは一応、懐爺に相談しました。
 懐爺はやや青ざめて、
「それは金ちゃんの処女作ですよね」
 と変なことをいいました。
「しょじょさく、たあ、なんじゃ」
「はじめて書く作品のことです」
「ならば、わしには、どうていさく、じゃろが」
「童貞作ですか。そういういいかたはしませんねえ」
「だば、だんじょさべつ、じゃろが」
「男女差別ですか。それならわたしもこれからは、男がはじめて書いたものを童貞作、女がはじめた書いたものを処女作とよびましょう」
「それでええ」
「さてと、童話を書くことには反対しませんが、表題は女の名前にしないほうがいいですよ」
「どうしてかのう」
 懐爺はぼくに、こう説明しました。
 川端康成の掌編に、『処女作の祟り』がある。
 その粗筋は、川端の処女作である『ちよ』の話からはじまる。
 こどもの〈私〉のところに、千代松がやってきて、〈私〉の祖父の借金証文を、〈私〉の名で書き替えてくれといったので、そうした。
 こどもにそんなことをさせるのは、あまりに可哀想だと、村びとたちは千代松を「鬼」だといった。
 その後、千代松の娘の「ちよ」から手紙がきて、父の遺言だからと、金を送ってきた。
 〈私〉は、千代松が「鬼」とよばれていたのを苦にしたのかと、気の毒‚ノおもった。
 〈私〉はその金で伊豆の旅にでて、踊子に淡い恋をしたが、彼女は、「ちよ」といった。
 東京に帰って結ばれぬ新しい恋をしたが、その娘も「ちよ」だった。
 また、処女作に、『ちよ』という表題をつけたのは、学友に譲ってしまった、片おもいの白木屋の女給の名が、「ちよ」だから、そうしたのだった。
 ところが『ちよ』を発表してすぐに、学校の図書館で
〈私〉の村の大事件を知った。
 岩男という男が発狂し、女房と娘を斬り殺して首を吊って死んだ。
 娘だけは、指を四本落としただけで助かった。
 実は、この岩男こそ千代松のことであり、指を落とされた娘が、手紙をくれた「ちよ」であった。
 それから、新しい少女に恋をして、結婚の約束をしたものの、その少女は「ちよ」子。
 不幸で不吉で、血なまぐさい事件ばかりが起きて、それがみんな「ちよ」つながりだという話が、まだまだ続くというものである。
「つまりその、金ちゃんも、童貞作の表題に女性の名前を付けると、祟りが祟りをよんで、『ふじこ』つながりで、不幸で不吉で血なまぐさいことばかり起きる気がします」
「そうか。かわばたせんせが、そうかいとるのか」
「はい。川端先生は、魔界に通じている作家ですからねえ。無視するわけにはいきません」
「だども、それは、『ちよ』だからじゃろ。『ちよ』というなまえが、いかん。『ふじこ』というなまえなら、もんだいなかろう」
「【ふじこ】は、おばけになる可能性があります。もしも問題があったら、金ちゃんだけが不幸になるのではありません。山本不二子さんも不幸になるのですよ。おばけの可能性は、はじめに断たなければ後悔しますよ」
 懐爺に強くいわれては、強情なぼくでも、おれるほかはありません。
 たしかに、隣のお姉さんに、これ以上厭なおもいをさせたくはありません。
「ようわかった。だば、だいは『かい』にするかのう」
「かんべんしてください。くわばら、くわばら」
 懐爺はますます青ざめる。
「じょうだんじゃ」
「冗談ではありませんよ。女性にだってそういう名前がいますよ。やれやれ、おしっこちびりそうになったではないですか」
 百戦錬磨(ひゃくせんれんま)の懐爺がそんなわけはないとおもったけれど、人の名前を表題にするのはやめました。
 それでぼくは、童話の表題を、『金』とすることにしました。
 童話は完成し、先生に初めて誉められて、教室でぼくの童話『金』が読み上げられました。
 それから、十年、二十年、三十年、四十年、五十年、ぼくがどれほど〈金〉に苦しめられてきたかは、知る人ぞ知る、です。
 
七十三【ふじみ】
 
 その日、ぼくは懐爺の祠の前を通りました。
 お使いに行った帰りが遅くなったので近道を選んだのです。
 近道だと祠の前を通るのです。
 もちろんぼくはその道を通るかぎり、懐爺の姿をみたかったのです。
 ただ、遅くなったので姿をみるだけで充分でした。
 けれども懐爺の方がぼくをみとめて、声を掛けてきたのです。
「金ちゃん、金ちゃん」
「なんじゃい」
「【ふじ】を知っていますか」
「にほんいち、たかいやまを、しらいでか」
 ぼくは憤慨(ふんがい)しました。
「ごめんごめん。富士山ではありません。【ふじ】というおばけです。【ふじみ】が一般的ですかね」
 懐爺は頭を掻きました。
「にほんいちのおばけかい」
「とにかくどうやっても退治できないおばけですから日本一なんでしょうね」
「おそろしいおばけかのう」
 そこが問題だったのです。
「何もしません。何もしないおばけですから、こわくはありません」
「つまらんのう」
「わたしには面白い。なぜなら【ふじみ】が人間に何かしたら、人間は死なないことになるでしょうから」
「【ふじみ】に、なにかしてほしいのう」
「金ちゃんも、死なないほうがいいですか」
「あたりまえじゃ。しんだらおばけにあえんじゃろ」
「死んだらおばけには会えませんが、地獄の鬼とか閻魔(えんま)様に会えますよ」
 懐爺は楽しそうに笑いました。
 ぼくはまた憤慨しました。
「わしはじごくか。てんごくじゃないんか」
「‚イめんごめん。天国でした。天国で神様や天使様に会えますよ」
「つまらんのう。わしはおばけがいいんじゃ」
「はい。お邪魔様。今日のわたしは【おじゃま】というおばけです」
 ほいほいと掛け声をかけながら、懐爺は祠の奥に引っ込みました。
 結局ぼくは、近道した意味がなかったのです。
 
七十四【ぶたたま】
 
 【ねこまた】騒動が終わったばかりなのに、また村びとたちが騒ぎはじめたことがありました。
 とにかく村びとたちは、たぶん騒ぐのが好きなんだろう、なんでもかんでも騒ぎすぎる。
 こんどは【ぶたたま】がでたというのです。
 豚肉と玉子をつかった、新しい食べ物としかおもわれなかったので、
「わしにも、その【ぶたたま】くわせろや」
 というと、
「頼むで、金ちゃん。【ぶたたま】食ってけろや」
 飯場(はんば)の半さんが、よろこんでいいました。
 半さんには残飯(ざんぱん)を一度貰っていたので、恩があります。
 【ぶたたま】食って半さんがよろこんでくれるなら、万々歳です。
 それにしても、旨そうな名称です。
「どこにあるんじゃ、【ぶたたま】は」
 ときくと、
「どこにある、というよりも、どこにいる、だよなあ」
 と、半さんは変な返事をする。
 これはやばいとおもっていると、
「裏の厨房(ちゅうぼう)さ、顔だしてみろや」
「ちゅうぼうたあ、めしつくるとこじゃな」
 半さんが案内してくれないので、あとに引けなくなったぼくは、飯場の厨房に行きました。
 するとそこに、汚くてでっかい、いっぴきの豚がいて、ひたすら玉子を食っている。
 玉子の殻(から)まで食っている。
「おまえが【ぶたたま】かい」
 きいても、返事がありません。
 ぼくのことも気にならないふうで、玉子ばかり食いまくっている。
 そうして、玉子を食い終えると、ちらかった厨房からおもむろにでていきました。
(なんじゃい、ぶたが、たまご、くっとるから、【ぶたたま】かい。だば、わしが、たまご、くっとったら、【きんたま】かい)
 莫迦莫迦しいとおもいながら、懐爺に事のあらましを告げると、
「【ぶたたま】もおばけなんですよ。そうやって玉子をいっぱい食べると、こどもを玉子で産むようになります。玉子でこどもを産む豚は、やはりおばけでしょう」
「そうかのう。きょうりゅうだって、たまご、うむからのう。ぶただって、おおむかしは、たまごうんだかもしれんからのう」
「なるほど。恐竜も玉子で産みますね。豚も玉子で産んでも不思議はありませんね」
「そうじゃ。よって【ぶたたま】は、おばけではないのじゃ」
「そうですね、そうしましょう」
 というわけで【ぶたたま】はおばけではなくなり、【きんたま】もおばけではなくなりました。
 けれども残念ながら、貧乏なぼくの家では、玉子など食べたことがなく、ぼくが【きんたま】になったのは、ぼくの金玉が大人になってからでした。
 
七十五【ぶちかまし】
 
 町に大相撲が来るというので、母親に連れられて出かけたことがありました。
 ぼくの大好きな、千代の山と吉葉山が来る。
 めんこの絵でしか、知らない力士ではあったけれども。
 母親の大好きな、栃錦と若乃花も来る。
(この力士は、むろん初代の若乃花です)
 母親は以前働いていた割烹(かっぽう)で、若乃花の若い頃をみたことがあるらしい。
 ほんものの若乃花だったかは、自信がないようだけれども。
 そのときにもらった手形を、押し入れから引っぱりだしました。
「こらあ、おにのてがたじゃ、にんげんじゃあねえ」
 わしがいうと、母親は、
「土俵の鬼、いうんじゃ」
 と胸をはりました。 
 町の広場に行くと、たくさんの力士たちが四股を踏んだり、立ち合いの稽古をしたりしていました。
 母親とぼくは木陰の席を陣取りました。
 広場の真ん中に土俵が作られていて、力士たちの取り組みはすぐに始まりました。
 前頭二十枚目からなので、千代の山や吉葉山が出てくるまで二時間近くかかりそうでした。
 そのうちぼくは居眠りをしてしまい、母親に揺り動かされたときは、すでに横綱の取り組みが始まっていました。
 栃錦と、[土俵の鬼]若乃花の相撲は終わっていて、両力士共見事に勝っていたとのことで、母親は上機嫌で、めずらしく口が軽かったものです。
 まず横綱吉葉山が、土俵にあがります。
 相手は名前も知らない幕内の力士で、呼び出しの声では、
「ぶちかまし〜ぶちかまし〜」
 ときこえました。
 とにかく色が黒い。
 炭団(たどん)のおばけか、黒い雪だるまを連想しました。
 行司が待ったなしの掛け声をかける。
 両国の土俵でやるときは、三分とか四分とかかけるのだが、地方巡業ではすぐに試合が始まる。
 そんな母親の解説どおり、両力士が立ち上がりました。
 すると、瞬きするかしないかの間に、吉葉山は土俵下に吹っ飛んでしまっていたのです。
 地方巡業では、まあだいたい横綱が勝つようになっています。
 ‚サんな母親の解説を裏切るこの結果。
 するとどういうわけか、続いて土俵にあがった横綱千代の山の相手も「ぶちかまし〜ぶちかまし〜」
 でした。
 勝ち抜き戦ではないから、一人の力士が二度まで土俵にあがることはない。
 そんな母親の解説は、またしても裏切られました。
 しかも今度は千代の山が、炭団のおばけか黒い雪だるまかわからない、ただ黒くて大きくて丸いだけで、何の魅力もない力士に突き飛ばされたのです。
 ぼくは贔屓の吉葉山と千代の山が簡単にやられたので、不満不快不機嫌で帰ってきました。
 しぶしぶ懐爺に、大相撲の報告に行くと、
「やっぱり【ぶちかまし】が出ましたか」
 なぜか苦笑しています。
「金ちゃんが千代の山と吉葉山が好きなのを嫉妬して、突如登場した相撲取りのおばけですよ」
「なんじゃと。おばけはどひょうにもでるんか」
 ぼくは愕然としました。
 顎(あご)がはずれそうになりました。
「【ぶちかまし】の、あのとくいわざは、なんじゃ」
「あれを、ぶちかましっていうんですよ。相撲四十八手にあります」
「なんとかならんのか。はたきこむとか、うっちゃるとか」
「【ぶちかまし】は卑怯(ひきょう)なおばけです。横綱は地方巡業では、はたきこみとかうっちゃりとかはやらないのです。そういうのは姑息(こそく)な勝ち方で、横綱の沽券(こけん)にかかわるのです。それを知っているもんだから、ぶちかましをやるんです」
 懐爺はやたらと、難しい言葉を並べました。
 卑怯とか姑息とか沽券とか。
 その難しい言葉のおかげで、何となく千代の山と吉葉山が正義の力士で、【ぶちかまし】は悪役力士の感想を持ちました。
 それでも不満不快不機嫌はほとんどなおらなかったのです。
「【ぶちかまし】なんかにまけるたあ、くやしいのう」
 正義の力士には勝ってほしい。
 鞍馬天狗が勝つのと同じく。
「金ちゃん、人生、負けるが勝ち、ということもあります。それを教えてくれるのも、おそらく【ぶちかまし】の役目なんでしょう」
「じんせいはまけても、すもうはまけてほしくないのう」
 ぼくは意地を張ったのではありません。
 千代の山と吉葉山の黒星の、衝撃が大きすぎたのでした。
 
七十六【ふなむし】
 
 晩秋のある日の夕方、祠の前で焚火をして、懐爺と一緒に、焼き芋や焼き団子が、焼きあがるのを待っていたことがあります。
 この想い出は、ぼくの少年時代の想い出のなかで、かくべつ楽しく、美しく、そして美味しかったものです。
 そのときにしたのが、曲亭(きょくてい)、滝沢馬琴(たきざわばきん)の『南総里見八犬伝』の話で、ぼくは粗筋本(あらすじぼん)で読んでいたので、よけいに面白く会話をしたものです。
 とくに盛り上がったのは、八犬士の話でした。
 犬江親兵衛(いぬえしんべえ)
 犬川荘助(いぬかわそうすけ)
 犬村大角(いぬむらだいかく)
 犬坂毛野(いぬさかけの)
 犬飼現八(いぬかいげんぱち)
 犬山道節(いぬやまどうせつ)
 犬塚信乃(いぬづかしの)
 犬田小文吾(いぬたこぶんご)
「順に、仁、義、礼、智、信、忠、孝、悌。これらは人間にとって大切で貴いものです」
「よくわからんが、はっけんしは、いいのう。わしは、いぬどしじゃから、よけいにいいのう」
 懐爺にいわせると、八犬士は実はみんなおばけだとのことで、それで余計に盛り上がったのでしょう。
 ぼくは犬塚信乃が好きだといい、懐爺は犬江親兵衛と犬坂毛野が好きだという。
 ぼくの理由は、『八犬伝』で最初にでてくる犬士だからであり、(もしかすると女装で登場するからであり)、懐爺の理由は、【ふなむし】(船虫)というおばけを退治したのが、他の六犬士だからだというのです。
「もしかして、かいじいは、その【ふなむし】がすきなんかのう」
 ぼくは単純にきいてみました。
「嫌いといえば嘘になりますが、【ふなむし】が殺される場面が、あまりに残酷で、わたしは【ふなむし】に同情しているのかもしれません」
「どう、ざんこくなんじゃ」
「木にくくりつけて、牛の角で、刺し殺させるというものです」
「たいしたことはないのう。わしは、ぶたに、くいころさせるのかと、おもっておったわ」
「金ちゃんは、鈍感ですねえ」
「かいじいが、びんかんすぎるんじゃ。もしや、かいじいよ、その【ふなむし】たあ、ふねにつく、むしのおばけではのうて、おんなで、しかも、びじんじゃあんめえな」
 ぼくはまた単純にきいてみました。
「すいません船につく虫ではありません。すいません、女で美人です」
 懐爺は舌をだしました。
「ほれみたことか、このすけべじじい」
 懐爺は頭をかきながら、
「それでも【ふなむし】は、しぶとい毒婦(どくふ)です。中国の潘金連【はんきんれん】にそっくりです」
「どくふたあ、どくあるふじん、ということかのう」
「毒婦とよばれたひとには、お伝さんとか、お貞さんとかいろいろおりますが、【ふなむし】にくらべればかわいいものです」
「おんなは、みんな、おおかれすくなかれ、どくがあるもんじゃ」
 ぼくはませたことをいいました。
「そこまでいうなら、わたしも露骨(ろこつ)にいいましょう。【ふなむし】は、ついには、男と接吻(せっぷん)して舌を噛み切り、財布を盗んで、男の亡骸(なきがら)は海に捨てる、すさまじい毒婦となっていきます。こうなるともう、人ではなくて、おばけです」
「そういうすさまじさが、たぶんかいじいは、すきなんじゃろのう」
「すさまじい毒婦というものには、男の本能を揺さぶる、どこかすさまじい魅力がありそうですね。しかも〈あぐね果てる〉といった感じがあります」
「あぐねはてる、たあなんじゃ」
「自分のどうしようもない毒を、どうしようもないでいる。そんな感じですかね」
「ひとごとみたいにいっとるが、かいじいも、【ふなむし】と、せっぷんして、【ふなむし】に、したをかみきって、ほしいんじゃろうが」
「前のほうはそうですが、後のほうはちがいます」
「あほじゃのう。せっぷんなんか、するもんじゃない」
「接吻はいけませんか」
「あたりまえじゃ。それがなんになるというんじゃ」
「つまり、その、あの、なんになるというと、その、あの、愛をたしかめあう、ということで」
 懐爺の混乱ぶりは珍しいので、ぼくはたたみかけました。
「あい、というものは、たしかめあうものなんか。たしかめあう、ということは、うたがっとる、ということじゃろ。うたがっとっても、あいなんか」
「つまり、その、あの、男と女は、その、あの、接吻するのが好きなのです」
「ほれ、へたな、りくついうて。けっきょく、すきなんじゃろ。すきですることなんか、わしが、お‚ホけをすきなのとおなじで、わがままなもんじゃ。それとも、かいじいのいう、あいとやらは、わがままなもんなのかのう」
「愛はわがまま、ではありません。愛は貴いものです」
「ほらみろ、せっぷんは、あいじゃなかろうて」
「すみません。接吻は愛ではありませんでした」
 しょげた懐爺ほど、こどもごころに(とはいえそれはぼくだけのこころかもしれませんが)可愛いものはありませんでした。
 可愛いものをやっつけたくなるのも、こどもごころです。
「まあ、どっちにしたって、せっぷんは、かいじいには、とてもにあわんわな」
 ぼくは懐爺の乱杭歯をみながら、笑いころげました。
 
七十七【ふるぼく】
 
 嵐の夜に外へ出たりすると、倒れた太い樹木に躓いてよく転んだものです。
 どうして嵐になると、あんな立派な木でも倒れるのか、それが解らなかったものです。
 懐爺にきいたら、
「それはおばけですから、わざと倒れているのです」
 との答えが返って来ました。
「わざとたおれるのは、なぜじゃ」
「金ちゃんみたいに嵐の夜でも外出する危ないこどもがいるから、注意をしているのです。決していたずらをしているのではありません」
「おまえのほうがあぶないじゃろ」
 ぼくは樹木に毒づいたのです。
「とんでもない。嵐の夜は、倒れた樹木よりもずっと危ないおばけが、いっぱいいるのです」
 懐爺がいうなら、そうにちがいありません。
 樹木は本当は嵐くらいでは倒れないのだけれども、注意を促すために倒れるのであるとのこと。
「かんしんなおばけじゃのう」
 ほとんどのおばけが感心するおばけなのだけれども、格別だとおもわれました。
「【ふるぼく】というおばけです。昔は【ふるき】といったのですが、明治時代に古木さんという人が抗議して、【ふるき】とはいわなくなりました。【ふるぼく】は〈古〉と〈木〉という漢字ではなくて、本当は〈震〉と〈木〉なんですがね。嵐で震える大木という意味です」
 それは抗議したくなるのは当たり前です。
 【きんちゃん】というおばけがいたら、ぼくも抗議したでしょう。
「【ふるぼく】かあ。ふるいぼくなら、かいじいもおんなじじゃ」
 ぼくは少々、駄洒落をいいました。
 懐爺は微笑んで、こういいました。
「たしかにわたしもおばけかもしれません。人間とおばけのちがいなんか紙一重(かみひとえ)ですからねえ。【ふるぼく】だって、普通の樹木との違いはあんまりない。いささか年取ったのと、いささか弱ったのと、いささか老婆心(ろうばしん)が芽生えただけにすぎません。あれでもわかいころは、無鉄砲でわからずやで、【とうへんぼく】ともよばれていました」
「ろうばしんたあ、なんじゃ」
「老婆心とは年寄りの心です。年寄りは沢山の経験がありますから、嵐の夜にこどもが外出することを、とても危険だとわかっています。ですからおせっかいとおもいつつも注意をするのです」
「としよりのいうことは、きかんといけんのう」
 ぼくがそういうと、懐爺は初めて声をだして笑いました。
 ほっ
 ほっ
 ほほほ
 ほん
 漫画でみた大むかしの、貴族の笑いにそっくりでした。
 懐爺は乞食でも浮浪者でもなく、本当は貴族なのかもしれない。
「金ちゃんはわたしのいうことをきくから、ぜったいに末は博士か大臣です」
 懐爺はお世辞をいいました。
 懐爺は貴族かもしれないが、預言者ではない。
 ぼくは博士にも大臣にも、偉い人にもなれなかったから。
 
七十八【へたれ】
 
 ぼくが生まれる前の絵画で、戦争とか闘いとかが描かれている絵にとても興味があります。
 明治時代では(西郷隆盛の)西南戦争の絵、江戸時代では忠臣蔵(討ち入り)の絵、またそれ以前では(源義経の)壇の浦の絵とか。
 しかしそれらはまだおとなしいほうで、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の凄まじい絵もたくさんあります。
 そういう種類の絵をいっぱい観てきてかんじるのは、闘っている人間の顔も姿も様子も、おばけに見えることです。
 これらはぼくらが日常知っている、普通の平凡な人間ではない。
 狂気じみて血なまぐさく、人間はやっぱり動物なんだと、いやおうなく再認識させられます。
 おばけに見えるどころか、こういう人間たちを古来から人びとは「おばけ」と呼んでいたのかもしれません。
 また、こういう絵にとても興味があるということは、ぼく自身が狂気じみて血なまぐさいところを、如実(にょじつ)にもっているという証拠かもしれません。
 いずれにしても戦争や闘いの状況が、おばけを発生させるとなると、現代でも未来でも、世界に戦争とか闘いとかがあるうちは、おばけがまだまだいくらでもでてくるということです。
 そうしておばけの登場を、心の底の底で心待ちにしているぼくは、残念ながらすくなくとも平和主義者であろうはずがありません。
 けれどももし仮に、おばけと平和と二者択一をしなさいといわれたなら、地団駄(じだんだ)ふみながらもむろんぼくは平和を選択します。
 そうしてほんとうに世界に平和がくるのなら、おばけの話はやめることにします。
 そうしてもうひとついいたいのは、おばけは狂気じみて血なまぐさいのみならず、ときとして聖なる姿で現れるということです。
 そうしてその聖なるおばけは、ほんものの聖なるものなのか、まがいものの不聖なるものなのか、簡単には判別できないことです。
 その判別は凡なる人びとにはできるはずもなく、長い長い歴史のなかで解明されるのを待つほかはありません。
 そして解明されたとき、ほんものの聖なるものが、じつは聖なるおばけで、まがいものの不聖なるものが、じつは俗なる人間であるということがすくなからずあります。
 だから人間はおばけと同様、いやそれ以上に厄介で不可解なのです。
 閑話休題。
 あるときぼくはつぶやきます。
「かいじい、くさくないかのう」
「くさいですか、金ちゃん」
「くさくてたまらんのう」
「すいませんねえ。わたしは何十年も、風呂にはいっていませんから」
「かいじいのにおいには、なれとる。これは、おならのにおいじゃ」
「わたしはおならするほど、食べていませんからねえ」
「かいじいがはんにんとは、いっとらん。においはあっちのみちのほうからじゃ」
「ああ、〈桜の花道〉といわれている、あの道ですね。牛が糞でもたらしましたかねえ」
「うしやうまの、ふんの、においには、なれとる。これは、なれとらんにおいじゃ」
「ははあ、【へたれ】ですかね。一年にいっぺんしかでてこないんですが、もう一年経ちましたかねえ」
「【へたれ】というおばけかい。へをたらすおばけで、へたれたあ、たんじゅんだのう」
「まあそうです。単純におならが臭いだけのおばけですから」
「それにしても、あのひどいにおい、なんとかならんのかのう」
「金ちゃんが自分で、話をつけたらいいんじゃないですかね」
「どうはなしつけるんじゃ」
「それはまあ、出たとこ勝負ですかね」
「そんなら、とくいじゃ」
「では〈桜の花道〉へ、いってらしゃーい」
 手をふられたのでいきました。
「おうい、【へたれ】よ、でてこいや」
「ぼくを呼ぶのは、もしかして昔なじみの【くされ】ですかい」
「【くされ】じゃねえ。わしじゃ」
「もしかして幼なじみの【くそったれ】ですかい」
「ふざけるな。きんちゃんだよ」
「金ちゃんなら金ちゃんといってくださいよ」
「わしをしっとるのか」
「おばけの世界で、金ちゃんをしらないものは、もぐりですよ」
「そうかのう、そうかのう、うれしいのう、うれしいのう」
「それでは金ちゃん、さようなら」
「【へたれ】まてや。おまえ、ふんころがしみたいな、ちっちゃなからだで、ようもまあ、そんなにくさいおならがでるのう」
「臭い人間の臭い「の中の臭い空気を吸っとると、臭いおならがでないほうがおかしいでしょう」
「それにしても、くさすぎるのう」
「金ちゃんたら。教室でおならばかりして、【おおへたれ】って陰で呼ばれてるの、しらないんですねえ」
「わしが【おおへたれ】じゃと。しらんしらん」
「同級生はみんな優しいから、というより、金ちゃんがひどく怖いもんだから、金ちゃんにいえないで我慢してるんですねえ。かわいそうに」
「わしのどこがこわいんじゃ」
「怖い怖い。おばけより怖いです」
「なんたるぶじょく」
「誉(ほ)めているんですよ。おばけを怖がらない人間ほど怖いものはいません」
「わしのおならは、そんなにくさいんかのう」
「とても人間のおならとはおもえません」
「なぜかのう。なんとかならんのかのう」
「蛙の干物ばかり食ってるせいですね。蛙の干物は控えて、蛇の干物にするといいですよ」
「ようわかった。そうするぞい」
「本当に良かったです。それではさようなら」
「まてまて。まだまだはなしあるぞい」
「ぼくは忙しいので、このへんで失礼しますよ」
「おいおい。もしかしておまえは、かえるのおばけじゃなかろうな」
「蛙がなくから、帰ろ」
「またあえるかのう」
「臭いぼくでも会ってくれるんですか。鼻がまがりますよ」
「おたがいさまじゃ」
「それでは来年の桜の季節に、〈桜の花道〉でおあいしましょう」
「だば、さようなら」
「はい、さようなら」
 
七十九【へんめん】
 
 転校生の辺見君は、見るたびに顔が変っています。
 これは顔面模写というやつかとおもっていたが、まったく別人に見えるのだから困るのです。
 後ろ姿で、おうい辺見君と声をかけても、振り向いた顔が別人なのだから、すまんのうと謝る。
 すると、謝ることないよ僕だよ、と答えるのです。
 まさかおばけではないとおもうが、一応懐爺に聞いてみました。
「中国の伝統芸に変面というものがあります。瞬時に顔がまったく変るのです。しかしこれはお面を使った芸ですからね。お面なしで変ってしまうとしたら、これはやはり【へんめん】ですかね」
「へんめん、じゃのうて、へんみくんじゃ」
「だからその辺見君が、おばけの【へんめん】だというんですよ」
「そうかのう。おばけにしては、とてもやさしいこじゃがのう」
「おばけが優しくないというのは、偏見です。おばけはもともと優しいのですが、人間が怖がるから怖くなるのです」
「そうかのう。おばけはこわいから、わしらはこわがるんじゃないんかのう」
「それは先入観というものです」
「せんにゅうかんたあ、どんなかんのんさまじゃ」
「先入観は観音ではなくて、つまりその。ともかく【へんめん】は優しいおばけですよ」
「だども、ああもかおがかわっては、やっぱしおそろしいのう」
「人間だって変りますよ。叱るときと笑うときとでは、同じ人物なのにまったく別人ですよね」
「たしかにそうじゃのう。するてえと、へんみくんのかおは、ちょいとにんげんよりも、きょくたんにかわるというだけかのう」
「そういうことでしょうね。ですから辺見君は【へんめん】という特徴をもった仲間と考えればよろしいでしょう」
 というわけで、ぼくは【へんめん】、いや辺見君と仲良しになりました。
 辺見君は毎日顔が変るので、ぼくは何十何百何千の仲良しができた気分になりました。
 あるとき、辺見君が中学生に殴られて、顔が変形して鼻血がとまらないというので、懐爺のところに連れて行きました。
 懐爺が辺見君の盆の窪の毛を三本抜くと、鼻血がとまった。
「さんぼんも、け、ぬいとる。さるになるぞい」
 ぼくはそういいました。
 辺見君はそれから十日間、猿の顔になっていました。
 
八十【ぼうじゃくぶじん】
 
 こどものころの話はよく書ける。
 歳をとると、または認知症のけがでてくると、最近のことは忘れるのに昔のことは覚えているといわれますが、そういうものかもしれない。
 ということは、こどものころのことを書くと、ぼく自身が歳をとったことを自覚させられるというわけですが、それでもこどものころを書くのはとても楽しい作業です。
 いまから想えば、たいへん貧しくひどく辛い時代だったはずなのですが、不思議なくらい懐しい。
 それで性懲(しょうこ)りもなく、おばけの話をまだまだ続けるということになります。
 ごかんべんください。
 思い起こせば、古今東西のおばけの話を手当りしだいに読んできたけれども、みんな主人公も作者も、おばけをこわがって書いている。もしかすると読者をこわがらせるために、主人公も作者もわざとこわがっているのかもしれないが、君が読んでいる(あるいは読もうとしている)この話は、主人公も作者もあまりおばけをこわがってはいない。
 あるいは、初めはこわがっていても、そのうちこわくなくなる。
 なぜなら、おばけとは、本来そういうものだからです。
 昔、〈おばけを守る会〉を主宰していた平野威馬雄(ひらのいまお)は、おばけについてこういう言葉を遺している。
 【あの世に行って、神にもなれず仏にもなれず、いつまでも迷いつづけ、しきりと生きている人間を恋しがっているというわけだ。だから、まことに人なつこいものなのである】
 おばけかなああおばけかなおばけかな 禿光山人
 閑話休題。
 その年の冬の雪ははんぱではありませんでした。
 まるで雪嵐(ゆきあらし)で、何日も何日も吹雪いていました。
 大型台風が来たときだって、こんなに凄まじいことはなかった。
 母親はぼろ家が飛ばされるか潰されるのではないかと心配し、ぼくは懐爺の祠のことを心配していました。
 庭の柿の木も梅の木もなぎ倒され、雨戸を叩く音や、土壁が崩れる音は、懐爺が前に話していた、【ふうじん】や、【らいじん】が、やってきたのかとかんじました。
「どうなっとるんじゃ」
 ぼくが叫ぶと、母親は、
「天が裂けたんだよ」
 と叫びました。
「てんは、さけるんか」
「山だって川だって海だって裂けるんだもの、天だって裂けるさ」
「わしらはどうなるんじゃ」
 と叫ぶと、母親は、
「天に召されるよ」
 と叫びました。
「じごくじゃのうて、てんごくかい」
「吹き飛ばされたら、地獄には行けないだろ」
 なるほど、とぼくは雨戸をほんのすこし開けて天を仰ぎ見ました。
 それだけでぼくの顔は雪まみれになり、それを拭ってさらに見ると、天空に巨大な黒い塊が見えました。
 その天空に浮く塊は、闘う人の形をしていて、大きく武者震いをしていました。
 どどどどっど
 ぶぶぶぶるん
 どどどんどん
 ぶるりぶるり
 どどんぶるり
「あれはなんじゃ」
 と母親を呼んで見せると、
「おやまあ、【ぼうじゃくぶじん】様の到来だよ」
 と母親は掌を合わせました。
「【ぼうじゃくぶじん】たあ、なにものじゃ」
「暴風の神様だよ。噂には聞いていたが、この村には初めての到来よ」
 また掌を合わせました。
 ぼくは神様ではなくて、おばけだとかんじました。
 もし神様なら、こんなひどい雪嵐なんか起こすはずがないとおもったのです。
「わしらはどうなるんじゃ」
 また叫ぶと、母親は、
「【ぼうじゃくぶじん】様が到来したからには、天国には行けない、地獄墜ちだよ」
 叫びながら泣いていました。
「なくな。わしがなんとかするからのう」
 叫びながら外にでようとすると、
「金ちゃん、金ちゃん」
 と母親は泣き叫び続けます。
 すると、【ぼうじゃくぶじん】も、
「金ちゃん、金ちゃん」
 と獰猛(どうもう)な声で叫び始めた気がしました。
「【ぼうじゃくぶじん】がよんどる。わしはいくど」
 外にでようとするぼくの身体に、母親は必死で抱きつきます。
「地獄に行くのはまだ早いよ。まだ時間があるよ」
 母親の腕をふりほどき、
「いっぷんも、いちじかんも、かわらん」
 ぼくは叫んで、雨戸を開け放ちました。
 猛吹雪が室内に突入し、代わりにぼくは雪の中に突入しました。
 すると、
「金ちゃん、金ちゃん」
 なんだか【ぼうじゃくぶじん】の声が、優しくなった気がしました。
 そして【ぼうじゃくぶじん】の姿が、天の、上の上の方へ昇っていくと、ふいに太陽が顔をだしました。
 いつのまにか雪嵐はやんでいて、ぼくが振り返ると、母親が掌を合わせていました。
「かいじいのとこへ、いくど」
 ぼくが母親にひとこと伝えると、母親は鋤(すき)を持たせてくれました。
 ぼろ衣を何枚も重ね着し、鋤を担いで、懐爺のところへ、祠へ、雪だらけの道なき道を、わきめもふらずに泳ぎまくりました。
 やっぱり祠は大雪に埋もれていました。
 入口の穴がどこなのかさえわからないくらいでした。
 ぼくは鋤を使って、雪を掻(か)き、掬(すく)い、弾(はじ)き飛ばしました。
 汗まみれになると、雪の上に寝転んで身体を冷まし、また汗まみれになる活動を、繰り返し続けました。
 やった。
 ようやく祠の穴が見えてきました。
「おうい、かいじい、いきとるか、しんどるか。おうい、かいじい、いきとっても、しんどっても、へんじをせいや」
 穴の奥にむかって叫ぶと、
「半分死んで、半分生きています。金ちゃんが来てくれなければ、酸欠で死ぬところでした」
 懐爺はのっそりこんと姿を現しました。
 ぼくの喜びは言葉では表せません。
 汗が目に入ったのか、泪があふれました。
「やっぱりかいじいは、ふじみじゃのう。【ぼうじゃくぶじん】なんかには、まけぬのう」
「いやはや、やれやれ。【ぼうじゃくぶじん】はいわば天地自然のおばけですから、わたしとしたことが、完全に負けそうでした」
 懐爺の顔に笑顔が生まれました。
 その顔を見て、ぼくも泣き笑いをしました。
 
八十一【ほねほね】
 
 村そのものが貧乏だったの‚ナすが、とりわけぼくの家は貧乏でした。
 いつもろくなものを食べていないから、ぼくの腹のなかで何者かが、腹へった腹へった、としょっちゅういうのです。
 はらはらはらはら
 はらへったったた
 はらへったったら
 はらはらへったた
 へったたはらはら
 はらはらへったた
 ぼくはわれながら辛抱強いのだけが取り柄ですし、苦労だらけの母親に文句をいったこともないのですが、ぼくには関係なく腹のなかで何かがいうのですからしかたがない。
 懐爺にいわせると、それは、【はらむし】とか、【ふくせいちゅう】とか、【はらことば】とかいわれるおばけだそうです。
 そいつを退治するには、年に一回のお祭りのときに村長さんの家でしか食べたことのない米の飯を、毎日腹一杯食べなければいけないそうですから、退治するのはとても不可能です。
 ぼくの家の主食は、芋類か麺類でした。
 さつまいも、じゃがいも、さといも、やまいも、うどん、きしめん、にほんそば、ちゅうかそば。
 おかずは一切ありません。
 だから牛肉とか鮮魚とかは、おとなになるまでぼくは食べたことがありませんでした。
 春夏秋はまだいい。
 躑躅峠(つつじとうげ)で土筆(つく‚オ)がとれるし、小山で桑の実がとれるし、小川でざりがにがとれるから、そういうものをおかずにしていました。
 けれども冬は何もとれないので、雪に塩をふりかけておかずにしていました。
 飲み物は、井戸水を湧かした白湯で、これは何杯飲んでも飽きない。
 学校で食べるお弁当のなかみは、必ず干したものでした。
 干し芋、干し柿、干し梅、干し瓜、干し蝗、干し蛙などです。
 干したものは滋養があるんだと母親はいっていましたが、つまりはお金がぜんぜんなくても、用意できる食べものだったのです。
 週に二回、米軍基地から払い下げられた、脱脂粉乳(だっしふんにゅう)がでますが、これをのむと必ず下痢になりました。
 ときどき隣のお姉さんから、白いごはんと牛乳をもらいますが、ぜんぶ(我が家で飼い始めた)【ねこまた】にあげてしまいます。
 口にしたくないわけではなく、そういうものを口にしたら、ふだんの食事やお弁当や脱脂粉乳を、二度と口にできなくなりそうだから、やめておくのです。
 そんなこんなで栄養失調のぼくは、とうとう骨の病気になりました。
 この骨の病気というのが奇妙で、栄養がないわけですから骨が欠けたり、なくな‚チたりするならわかるのですが、骨が増えるのです。
 あちこちの骨が増えて、いくつも瘤(こぶ)ができました。
 触ってみると硬いので、その瘤のなかみは、脂肪でも水でも血でもなく、まちがいなく骨なのです。
 この瘤が背中にできて大きくなると、怪物図鑑(かいぶつずかん)で垣間見た〈怪奇せむし男〉になるんだそうで、心待ちにしていたのですが、残念ながら背中にはできませんでした。
 もちろん病院にはいかず、懐爺に相談にいきました。
 そのとき懐爺は、樹皮を齧(かじ)っていました。
 聞くと、懐爺の食事は、樹皮と、花弁と、雑草と、虫類と、雨水ということですから、ぼくのほうがずいぶんましです。
「それは【ほねほね】というおばけですね」
 懐爺は気の毒そうな表情をしていいました。
 こころなしか泪目にすらなっています。
「【ほねほね】たあ、ちっともこわくないなまえじゃのう」
u名前はこわくはないが、【ほねほね】はなかなかやっつけるのが難しい。ふだん肉とか魚を食べないこどもは、よくこの【ほねほね】にやられます。でも、やられてから肉とか魚を食べても、もうおそいのです」
 それで懐爺は気の毒そうな表情をしたのでしょう。
「わしは【ほねほね】と、いつまでもなかよくくらすしかないのう」
 ぼくは半分自棄気味になっていいました。
「仲良しならいいですが、【ほねほね】はいじわるなところがありますから、ときどき烈しく痛みます」
 また気の毒そうな表情。
「いたいのはいやじゃのう」
「かわいそうですねえ。でも都合好く、丸薬(がんやく)があります。それを飲めば退治はできなくても痛みはでません」
 なんだ、ぼくは気の毒なんかじゃないではないか、とおもいました。
「そのがんやくを、はようくれや」
「すこし待ってくださいね。いま持ってきますから」
 懐爺は祠に消えた。
 再びでてくると、掌を開きます。
 黒い小さな丸い粒がひとつ。
「まるで、はなくそじゃのう」
「これが丸薬です。さあ、水なしでどうぞ」
 飲んだ。
 まずい。
「かいじい、わしに、はなくそをのませたじゃろう」
 正直な感想でした。
「失敬(しっけい)な。わたしは鼻くそなんか、たまらない体質なの」
「そうかのう。はなくそのあじがしたがのう」
 いずれにしても、その後ぼくの【ほねほね】は、痛むどころか、ひとつずつ消えてゆきました。
 そして現在は、右手の親指にひとつ残っているだけです。
 どこかにぶつければ激しく痛むのですが、そうでなければ痛むこともありません。
 まったく懐爺のおかげですが、実はぼくはいまでも、あの丸薬は懐爺の鼻くそだったのではないか、と疑っています。
 ぼくに鼻くそをのませることになるとおもって、懐爺は気の毒そうな表情をしたのだろうと、そんな推測もしています。
 
八十二【まぐま】
 
「かいじいよ。なんちゃうかちゅうかそば、わしもこれまで、たくさんのおばけをしったが、かんがえてみれば、ほとんどのおばけは、いじ‚ワしいのう。なんちゅうかちゅうかそば、ちっぽけなにんげんを、びっくりさせるおばけでのうて、このちきゅうを、びっくりさせるくらいの、でっかいおばけは、いないもんかのう」
 あるとき、そんなことを口走ると、懐爺は苦笑しながら、
「あのね金ちゃん。ちっぽけな人間を驚かす、いじましいやつをおばけというんです。地球を驚かすなんてのは、おばけとはいわずに、宇宙人とか異星人とかいうんです」
 ぼくは納得しなかったので、
「おばけはいるけど、うちゅうじんとか、いせいじんなんてものは、よみもののなかだけのもんじゃ。そういうもんがいたら、おもしろかろうと、くうそうしとるだけじゃ。わしがしりたいのは、なんちゅうかちゅうかそば、にんげんあいてのおばけじゃのうて、ちきゅうあいてのおばけのことじゃ」
「困りましたねえ」
 といいながらも、懐爺は思い当たることがあったようです。
 なぜなら、小鼻がさかんに動き口元が小刻みにふるえていますから。
「だしおしみせんと、はようおしえろや」
「はい。金ちゃんがそこまでいうなら、わたしも花咲か爺と呼ばれる男です、枯木に花を咲かせましょう。でも腰をぬかさないでくださいよ」
「なにぬかしとる。だしおしみじゃのうて、もったいぶっとるのか」
「【まぐま】です。どうです、腰をぬかしたでしょう」
「あほか。【まぐま】たあ、こぐまのなかまか」
「小熊でも大熊でも白熊でも真熊でも魔熊でも、ぬいぐるみの熊でもありません」
「だば、くまおとこかい」
「もっともっと、でっかいもので、それは地球の芯で燃え、喚き、蠢いているものです」
「それはおそろしそうじゃのう」
 ぼくは腰はぬかさなかったが、腰をおろし、何かをつぶしました。
「金ちゃん、肝をつぶしたでしょう」
「いんや、うんこ、つぶしたんじゃ」
「おやまあ。それはわたしのうんこではありませんよ。たぶん、牛の糞です」
「こんなとこに、うしがいるもんか。たぶん、くまのふんじゃ」
「もしかして【まぐま】の糞かもしれません。いよいよ【まぐま】が噴火するのかもしれませんよ」
「【まぐま】は、ふんかするんか」
「地震、雷、火事、親父。これはみんな【まぐま】のしわざです」
「おやじもかい」
「親父が噴火するのは、心の芯で【まぐま】が噴火するからです」
「おいおい。【まぐま】がおるんは、こころのしんじゃのうて、ちきゅうのしんじゃろ」
「つまりその、地球の芯は心の芯、心の芯は地球の芯です」
「ううむ。かいじいは、てつがくしゃじゃのう」
「哲学者じゃなくても、それくらいのことはいえます」
「どちらにしても、むずかしいのう。むずかしいはなしは、わしはにがてじゃ。あばよ」
 ぼくは、すたこらさっさと帰りました。
 
八十三【まよいが】
 
 村にも町にもくわしい、完ちゃんが、
「みちにまよっちまった」
 といいました。
 こどものくせに、人生の道にまよったかと、呆れましたが、
「ほんまに、まよったんじゃ」
 というから、ほんとうの道に迷ったのでしょう。
「まよって、どうしたんじゃ」
「ちょうど先のほうに、小さな家があったもんじゃから、道をきいて、ついでに、おにぎりでもくわせてもらおうかと、おもったんじゃが」
「それはよかったのう」
「おにぎりどころか、おかずも用意してあってのう」
「それはよかったのう」
「しても、だれもおんから、かってにくってのう」
「それはよかったのう」
「はらがいっぱいになったら、道もわかってのう」
「それはよかったのう」
「そんで、次の日に、その家にお礼にいったんじゃが」
「じゃがいも、もってかい」
「さといも、もってのう」
「それはよかったのう」
「それが、家がないんじゃ」
「また、みちにまよったかのう」
「こんどは、まよらん」
「かいじいかのう」
「かいじいじゃのう」
 というわけで、懐爺のところへ行きました。
 話をきくと、懐爺は懐爺らしく笑って、
「完ちゃんはよかったですね。【まよいが】は、行き迷った人を助けるお‚ホけ。異界の家ですから、用事がなくなると消えてしまいます。【まよいが】は、柳田国男という、えらいひとの、『遠野物語(とおのものがたり)』という、有名な本にでてきます。【まよいが】は[迷い家]と書くそうですよ」
「けっこうなおばけじゃのう」
 ぼくも行きたくていいました。
「でも【まよいが】は、行き迷ってもいないのに、図々しくはいってくる人間にたいしてはきびしくて、つぶれて下敷きにしてしまうんです」
「おそろしいおばけじゃのう」
 行きたくなくなりました。
「なんか、人間にもそういうふうなひと、いそうですがねえ」
「そうじゃのう」
「そうじゃのう」
 といいあいながら、完ちゃんとぼくは帰って行きました。
 
八十四【まるのみおんな】
 
 村をうろつく女乞食のことを、村の大人たちは、【ひきずりおんな】と呼んでいました。
【ひきずりおんな】には赤ん坊がいて、小山で乳をのませているのをぼくは見たことがありました。
 でもそれは乳ではなくて、村の大人たちにいわせると、自分の二の腕を切ってその血をのませているとのこと。
 ぼくはなんだか【ひきずりおんな】に同情して、山羊の乳を盗んで小山までもっていったことがあります。
 その【ひきずりおんな】の仲間があらわれたというので、様子を見にいこうとしたら、懐爺にとめられました。
「あのひとは単なる【ひきずりおんな】ではなくて、【ひきずりおんなの】姉貴分(あねきぶん)【まるのみおんな】ですよ」
 懐爺はいいました。
「あねきぶんたあ、おやぶんみたいなもんかい」
「はい。【ひきずりおんな】はまだおばけになっていませんが、【まるのみおんな】は立派なおばけです。【まるのみおんな】は丸々と太っている女乞食だから、一目でわかるので、決して近づかないよう」
「ちかづいたらどうなるんじゃ」
 ぼくはききました。
「【まるのみおんな】に、まるのみされてしまいます。もっとも、わたしなんかをぜったいまるのみしない。美少年だけが大好物なんですよ」
「びしょうねんたあなんじゃ」
 美少年なんて言葉は、村ではきいたことがありません。
「金ちゃんみたいなきれいな男の子のことですよ。完ちゃんは大丈夫でしょう」
 ほめられたのかどうかはわからないまでも、まるのみされやすいということだけはわかりました。
「じゃあ、かんちゃんにみにいってもらおうかのう」
「やめたほうがいいですよ。最近は【まるのみおんな】も目が悪くなって、美少年とそうでない子との区別がつかないかもしれません」
「じゃあ、かいじいもあぶないのう」
「わたしは臭いから大丈夫でしょう。【まるのみおんな】は自分が臭いのに、臭い人が嫌いなんです」
 それでもどうしても【まるのみおんな】を見たくてたまらない。
 そっとのぞき見するくらいなら問題ないだろうと、完ちゃんを誘って小山に行きました。
 いたいた、いました。
【ひきずりおんな】に肩をもませている太った老女が、【まるのみおんな】にちがいありません。
 ぼくはしばしみとれていました。
 母親が祖母の介護をしているふうにおもわれたのです。
 ところが【まるのみおんな】は介護をされるほど弱いおばけではありません。
 ぼくたちを見つけると、丸々太ったからだをころがしてきました。
 あまりに急だったので、ぼくたちは逃げも隠れもできません。
【まるのみおんな】はどういうわけか、ためらわずに、美少年ではない完ちゃんを餌食にしま‚オた。
 ぺろぺろべろべろ
 べろだしちょんま
 ごくりんごくりん
 ごくつぶし
 まるまるまるるん
 まるのみうまや
 その口の巨大なこと、完ちゃんは頭から吸い込まれ最後に足が消えました。
 完ちゃんは叫ぶまもなく、まるのみされたのでした。
【まるのみおんな】を見た直後にぼくは緊張のあまりおならがでて、その臭いでぼくだけ助かったのかもしれません。 
 げっぷをしている【まるのみおんな】に、ぼくはおそろおそるこうききました。
「かんちゃんはどうなるんかのう」
【まるのみおんな】はこういいました。
「わいのおなかのなかでそだてまする」
「うそつけ。はらのなかでとかすんじゃろ」
「わいはこじきだがうそはつきませぬ」
「なんねんそだてるんじゃ」
「まだこどもだからおとなになるまでそだてまする」
「ほんまかい」
「やくそくしまする」
「かんちゃんのこえをきかせろや」
「あいあいきかせまする」
【まるのみおんな】が大口をひらきます。
 のどの奥の奥の方から、たしかに完ちゃんの声。
「金ちゃんしんぱいすんな。ここはなかなかよかところじゃ」
「よかところかい」
「金ちゃんのかわりにはいっちまって、わりいなあ」
「そんなによかところかい」
「金ちゃんの顔みられないのはさびしいけんど、おとなになったらまた会おうな。弟の凡をよろしくたのむよ」
「かんちゃん、かんちゃん」
 ぼくは泣き出しました。
「なくなよ金ちゃん、しばしのわかれじゃ」
「かんちゃん、かんちゃん」
「金ちゃん、それまで元気でね、さよなら」
【まるのみおんな】の口が閉ざされ、ぼくと完ちゃんの関係も閉ざされました。
 それからちょうど十年。
 約束通り【まるのみおんな】から二十歳で吐き出された完ちゃんは、直後映画界に入り、美男子俳優として人気が沸騰しました。
 むろん完ちゃんはいまでもぼくの自慢の親友です。
 
八十五【まんだらけ】
 
「まんだらけじゃ、まんだらけじゃ」
 村の若者が、涙と鼻水と涎をたらしながら、血相をかえて走ってゆきます。
「いやらしい名前じゃのう」
 完ちゃんの弟の凡ちゃんがいいました。
「いやらしいおばけじゃのう、おぞましいおばけじゃのう」
 ぼくも同調しました。
「【まんだらけ】は、どうかんがえても、おばけじゃのう」
 こんどは凡ちゃんが同調しました。
「何いうとる。曼陀羅華(まんだらげ)は、天上に咲く花の名前じゃ。ありがたやありがたや」
 母親が手を合わせます。
「金ちゃんのおかん、かんちがいしとる。まんだらげ、じゃのうて、おばけは、【まんだらけ】」
 凡ちゃんに笑われました。
 ぼくの母親は、教養がない。
 [け]と[げ]は、毛一本のちがいではなく、毛二本のちがいだ。
 母親を莫迦にしながら、懐爺のところに行きました。
 どは
 どひ
 どふ
 どへ
 どほ
 これは、めったに、大きな笑い声をあげない、懐爺の大笑いです。
 ぼくも凡ちゃんも、いっしょに大声で笑います。
「金ちゃんのおかん、あほや、あほや」
「わしのおかん、ぼけた、ぼけた」
 すると、懐爺の大笑いは、突如としてとまり、 
「阿呆で惚けは、金、完、凡】」
「【きんかんぼん】って、どんなおばけじゃ」
「それは、別名【じぶん】というおばけです。金ちゃんのお母さんは、賢い人ですねえ。【まんだらけ】はたしかにおばけですが、【まんだらげ】ともいうんです。【まんだらけ】の[け]を金ちゃんたちは、きっと[毛]だとおもっているでしょう、そうではなくて[華]と書くんですよ」
「毛でなく華かい。ならおばけじゃねえなあ。かいじいはすげえのう」
 凡ちゃんは感心しています。
「おばけじゃねえのう。すまんのう、おかん」
 ぼくも感心し、反省もしました。
「いえいえ、おばけ、立派なおばけ。【まんだらけ】は、見たこともない美しい華です。見たこともない美しい華が、おばけでないはずが、ないではありませんか」
 懐爺は断言しました。
「そんなもんかのう」
 ぼくには意味がわからない。
 でもこの世には、懐爺いわく、
「わかることよりも、わからないことのほうがおおい」
 らしいから、まあいいか。 
 
八十六【まんどらごら】
 
 あるとき懐爺に質問しました。
「にんげんとどうぶつが、がったいした、おばけはいるが、にんげんとしょくぶつが、がったいしたおばけはいるんかのう」
「外国にはけっこういますね。【まかりーぽん】は美人のおばけです。【かはく】これは花の魄と書きますが、やはり美人です。それと」 
「がいこくは、どうでもええ。びじんじゃろが、かんけいない。もんだいは、にほんじゃ」
 ぼくが強くいうと、懐爺は苦笑いして、
「【まんどらごら】ですかね。でもこれは、外国から輸入されたおばけです」
「どいつが、ゆにゅうなんかしたんか」
 また強くいうと、懐爺はまた苦笑いして、
「すいません、言い方が悪い。貿易で輸入した物にまぎれこんでやってきたのです」
「どんなおばけなんじゃ」
「死体の足元にでてくる、細くて小さな雑草で、それを引き抜くと、人間の首が引き抜かれたときと同じ、物凄い叫び声をあげて、死んでしまいます」
「なまえとこえは、おそろしいが、かわいそうなおばけじゃのう」
「そうですね。【まんどらごら】を見たら、そっとしておいてあげてください」
「おはかの、くさむしりは、むやみにするもんではないのう」
 ぼくはその後、墓地に行くと、そこに生えている雑草はみんな【まんどらごら】だとおもえたものです。
 
八十七【みのむしこぞう】
 
〈児童虐待〉というのは最近の話ではなくて、ぼくのこどものころは、日常茶飯事といってもいいくらいでした。
 口べらしのために親が新生児を殺す〈間引き〉なんてものは、江戸時代の話ではなくて、貧しいぼくの村では、明治時代から昭和時代まで、ずっとあったのです。
 あそこのおかみさん、またお腹がおおきくなったとおもっていると、おなかがちいさくなっても、赤ちゃんの姿が見えないということがあったのです。
 また、幼いこどもが食べるものを与えられずに、死んでしまうこともたまにありました。
 とにかく貧しいですから食べものが少ないときは、働き手が優先。
 それに小さな子がわるさをしたときのお仕置きが、半端ではない家もありました。
 わるさというのは、宿題をやらないことなんかでは決してなく、ひもじさのために家族の食べものや畑の野菜を盗んだりすることなのです。
 そんなことをすると、火箸で尻を突き刺されたり、鉈(なた)で指を打ち砕かれたりします。
 村には指のないこどもが何人もいて、ぼくだって指があるのが不思議なくらいでした。
 でもそういうことは、(他人事ではないから)村ではだれも告げ口したりはしません。
 懐爺によると、そうしたことで死んだ、赤ちゃんや子どものおばけが【みのむしこぞう】なんだそうです。
「どうして、みのむしなんじゃ」
 いつぞやぼくは、そうきいたことがありました。
「みのむしみたいに、蓑(みの)や藁(わら)や菰(こも)や簾(すだれ)や筵(むしろ)なんかを、ちゃんと身に付けていますからねえ」
「どうして、みにつけているんじゃ」
「おばけになっても、元の親に殺されたり傷つけられたりするのを、守りたいためですね」
「あわれじゃのう」
 ぼくは親に折檻(せっかん)されて、夜中に庭で泣きじゃくる小さな子どもの声を、きいたことがよくあります。
 それでも生き延びた子どもはまだいいけれども、死んでしまった子どもは、ばけてでたくもなるでしょう。
「死んだ子はあわれですが、おばけになった【みのむしこぞう】はあわれだなんて同情もしていられません。とんでもなくおそろしいことをやりますからね」
「そらあ、なんじゃ、なにをやるんじゃ」
 懐爺は、いささか躊躇(ちゅうちょ)してから話し始めます。
「【みのむしこぞう】は子どもには危害を与えません。狙うのは大人ばかり、しかも自分の子どもを邪険(じゃけん)にしている親ばかり。ふだんは大木にぶらさがっているだけの【みのむしこぞう】は、そういう大人が大木で雨宿りするのを待ちつづけ、好機到来しますと、相手の頭上に落下します。そして【みのむしこぞう】は、捕った獲物を自分の殻のなかに閉じ込めて、すこうしずつすこうしずつ食べていくのです」
 その「すこうしずつ」という言い方が、なんともおそろしいかったものです。
「にげられないんか」
「どうやっても逃げられません」
 懐爺は、断固としていいました。
 懐爺が、【みのむしこぞう】の仲間におもえました。
「そのかぶりものを、きったりやぶったりしても、だめかのう」
「獲物は動けないから、そんなことはできません。いままで助けようとして【みのむしこぞう】を切ったり破った自警団は何人もいましたが、みんな獲物そのものを切ったり破ったりしてしまって、助けたことになりませんでした」
「【みのむしこぞう】のもくてきは、ふくしゅうかのう」
「はい。【みのむしこぞう】は復讐の鬼ですね」
「ふくしゅうというもんは、くだらないものだ。そういったのは、かいじいだのう」
「くだらないとはいいませんでしたが、復讐というものは、後を引きますからね。要するに復讐の連鎖ということがありますから、むなしいものだと、そういったはずですよ」
「そうじゃ、れんさとはくさりだったのう。くさりはこまるのう」
「金ちゃん、ちゃんと覚えているじゃないですか」
「わしはのう、かいじいのことばそのものよりも、かいじいのこころそのものを、おぼえとるんじゃ」
「ああそれで、くだらないと。でも【みのむしこぞう】はそのうちでなくなりますよ」
「どうしてじゃ」
「親が子を殺したり傷つけたりすることがない世の中がやってくれば、【みのむしこぞう】の仇もいなくなるわけですからねえ」
「それは、むりじゃ」
「どうして無理なんですか、金ちゃん」
「そんなよのなかが、やってくるわけないからのう」
 そう言ったのには理由があって、親はみんな子を自分が作ったものだと考えている、自分が作ったものだから自分で壊しても平気なんだ、とおもわれたからです。
 もし法律なんかで取り締まったり罰を与えたりしたって、そういう考えがあるかぎり、【みのむしこぞう】がいなくなる世の中なんて、やってはこないとおもわれました。
「やってきませんか」
 懐爺はややさびしげにいいました。
「きませんのう」
 ぼくもさびしげにいいました。
 それからふたりして、【みのむしこぞう】の歌を作り、声を合わせて歌いました。
 みのむしこぞうあわれなり
 みのむしこぞうあわれなり
 すこうしずつすこうしずつ
 いただきますいただきます
 あわれなりみのむしこぞう
 あわれなりみのむしこぞう
 おやのないこはあわれなり
 おやのないこはおにとなり
 すこうしずつすこうしずつ
 いただきますいただきます
 ひとをくうのはあわれなり
 おにとなるのはあわれなり
 おにとならぬもあわれなり
 まったくもってあわれなり
 おやをくうこはあわれなり
 こをくうおやもあわれなり
 いんがはめぐりおやとこが
 くいつくわれつあわれなり
 あわれなりみのむし‚アぞう 
 むなしさゆえにあわれなり
 みのむしこぞうあわれなり
 きのうもあすもあわれなり
 あわれなりみのむしこぞう 
 まったくもってあわれなり
 みのむしこぞうあわれなり
 だから現代でも、【みのむしこぞう】は、いるのです。
 でも山奥でもないかぎり、大木がめっきり少なくなったし、あったにしても何せ傘が百円で買える世の中になったので、大木の下で雨宿りする人などもいなくなって、【みのむしこぞう】の出番も、ほとんどなくなってしまっているだけのことなのです。
 
八十八【みみぶくろ】
 
 懐爺にとって一番苦手なおばけは何か、きいてみたことがあります。
 まだ逢ったことがないけれども、ぼくは【たいようかめん】。
 運命というものにもまだ逢ったことがないので、苦手。
 懐爺は少しかんがえて、
「わたしは、【かいびょう】ですかね」
 といいました。
 意外でした。
 懐爺は野良猫にも優しくて、雨の日や寒い日には、かならず祠に入れてあげているので。
「かいじいが、かいびょうのう」
 ぼくが不審、不満そうな声をだすので、
「【かいびょう】は油をなめるから苦手。【かいびょう】は手招きするから苦手。何よりも、【かいびょう】は喋るから苦手。猫が喋ると返答に苦労します」
「そうかのう。ねこがしゃべったら、かわいいがのう」
 ぼくが納得しないので、懐爺の蘊蓄(うんちく)が始まりました。
「昔の本で『耳袋』(みみぶくろ)というものがあります。不思議な話がいっぱい詰まった本ですが、そこにも人間の言葉を喋る猫がでて来ます。それも一言二言ではなくて、けっこう喋る。馬や牛が喋るんなら、夢か幻をみたんだっておもいますが、猫が喋ると夢幻ではなく、信憑性(しんぴょうせい)があってこわいのですよ」 
「かいじいも、よわむしだのう」
 ぼくがそういうと、懐爺は話をそらせました。
「金ちゃんは、漱石の『吾輩は猫である』を読んだことがありますか」
 都合が悪くなると、いつもそうなのです。
「そうせきは、わしのともだちじゃ。ねことぼっちゃんは、いいのう」
 そういってやると、懐爺はまた話をそらせました。
「ところでじつは、【みみぶくろ】というおばけもいるんですよ」
「みみのかたちをした、おばけかのう」
「残念でした。耳にできるおばけです」
「そらあ、おばけ、でなくて、おでき、じゃろ」
 ぼくは嗤(わら)いました。
「失礼な。わたしだって、おばけとおできの区別くらいはできますよ」
 懐爺はおこって、祠の中に消えてしまいました。
 だから【みみぶくろ】の正体は、それ以上きいていません。
 
八十九【むてき】
 
「かいじい、えいゆうのはなしの、つづきだけんど、おばけたいじのえいゆうが、かたっぱしからやられちまうおばけは、いるんかのう」
 懐爺に前にききそびれていたことを、ききました。
「あのね金ちゃん、おばけにやられちまう英雄なんかいません。おばけをやっつけるから英雄といわれるんですから」
 それはそうだ。
「だば、おばけたいじさんを、かたっぱしからやっつけちまう、おばけはいるんかのう」
「いままでの歴史を見てみますとね。おばけ退治の英雄が一人生まれるためには、百人の犠牲者、つまり英雄とよばれなかった者たちがいるんです」
 それはしらなんだ。
「ひさんじゃのう。ぎせいしゃをつくる、えいゆうはいらんのう」
「犠牲者をつくるのは英雄ではなくて、おそらく、英雄を希求(ききゅう)する人びとなのでしょう」
 懐爺の社会批判がまた始まった、とぼくはうんざりしたものです。
 なぜならこどもというものは、批判する(文句をいう)相手は、先生にしろ級友にしろ両親にしろ、かならず目の前にいるものであって、世界とか国とか社会とかは、目の前に見えるものではありませんから。
「かいじいよ、わしがきいとるのは、そういうえいゆうが、ひとりもでなかった、つまりその、ぎせいしゃばかりだした、そういうおばけはいるんかということじゃ」
「わかっています。前置きとしていったまでです。そういうおばけはいます。【むてき】というおばけです」
「【きてき】たあ、しゃれとるのう」
「汽笛じゃやりません、無敵です」
「そらあ、てきがいないんじゃから、ぎせいしゃもおらん」
「無敵とは、敵がいないという意味ではなく、力の及ぶ相手がいない、向かうところ敵無し、ということです。天下無敵とか、無敵艦隊(むてきかんたい)とか、きいたことがあるでしょう、あの【むてき】です」
「ようするに、おばけのせかいで、いちばんつよい、みやもとむさしみたいな、まけしらずの、おばけちゅうことじゃな」
「そうです。おばけの世界の、宮本武蔵です。【むてき】、別名【むさし】といいます」
「ほんまかのう。せんかんむさしは、やられたがのう」
「【むてき】はやられません。だから【むてき】が英雄を生んだことはありません」
 懐爺は断固(だんこ)たる口調でいいました。
「ほんまかのう。【むてき】なんておばけが、いるんかのう」
「なんなら金ちゃん、【むてき】と勝負してみますか」
「しょうぶしたいのう」
 ぼくは一発で返答しました。
 不安なんかありません。
 勝つことが目的ではなく、勝負することが目的なのですから。
「相変わらず金ちゃんは、無鉄砲ですねえ。そういえば【むてっぽう】というおばけもいましたねえ」
「【むてっぽう】は、てっぽうさ、もっとらんのだから、よわいおばけじゃろなあ」
「いえいえ、武器をもたないで闘うおばけほど、かぎりなく強いものはいませんよ」
「よっしゃ、わしはぶきをもたんで、【むてき】としょうぶするぞ」
「いえいえ、何かもっていったほうがよろしいでしょう」
「なにかじゃ、わからん」
「そうですね。【むてき】はくすぐったがりやですから、はたきなんかよろしいですね」
「ほうき、じゃのうて、はたき、かい」
 ぼくは首をかしげながらも、はたき一本もって、【むてき】がでるという中川の上流にむかいました。
「おうい、おうい、【むてき】やーい」
 ぼくは大声をあげました。
「わしじゃ、きんちゃんじゃ。でてこいでてこい【むてき】ちゃーん」
 しつこく何度も大声をあげると、中川の上流のさらに奥のほうから、ぼくの声の百倍くらいの大声がきこえます。
「ぼく【むてき】。なにかご用かな」
「たいじにきたんじゃ」
「退治とは、一大事」
「じんじょうに、しょうぶせい」
「ぼく【むてき】。退治されるほど、悪い事したかなあ」
「それは、かいじいに、きいとらん」
「そういうの、冤罪(えんざい)っていうのよ」
「うるさい。おまえは、いちばんつよい、おばけじゃ。まけたことのない、おばけじゃ。そういうおばけは、よほどたいじせにゃならん。してからに、わしがあいてじゃ」
「それは大変。さらばさらば。ぼく【むてき】。逃げるが勝ちよ。すたこらさっさ」
 【むてき】の声が、しだいに遠ざかりました。
「にげられちまった。【むてき】はひきょうものじゃ」
 と懐爺にいうと、
「それはちがいます。たしかに【むてき】が英雄をつくらないのは、闘わないからです。【むてき】はひたすら逃げます。【むてき】のすばらしさは、闘うことの虚しさ無意味さをしっているところですね」
「そらあ、ぎせいしゃも、つくらんということじゃ。ぎせいしゃつくらんなら、えいゆうもつくらんのは、あたりまえじゃ。わしは、かいじいに、だまされたとおなじじゃ」
 懐爺は【むてき】のことをよくしっていたのです。
 だからぼくをひとりで行かせたのです。
 それにしても、はたきとは、ふざけている。
 
九十【むはい】
 
 これもある日の話。
「ええか。わしは、ぎせいしゃを、いっぱいつくって、えいゆうを、ひとりもつくらなかった、そういうおばけをしりたいんじゃ」
「いないことはありませんが、金ちゃんには、おすすめできませんね。従って教えることもできません」
 懐爺はわざと意地悪爺さんの顔をつくりました。
「なぜじゃ」
「金ちゃんは、また退治に行こうとするでしょう。【むてき】なら問題ないから安心していましたが、【むはい】は安心できません」
「いうた、いうた。【むはい】が、そのおばけじゃな」
「しまった。口がすべりました。口は災いの元です」
「【むはい】にあいたいのう。【むはい】をたいじしたいのう」
「簡単ではありませんよ。【むはい】退治に行ったひとは、誰も帰ってきません」
「だれもかい」
「誰もです」
「ならば、その〈だれ〉になりたいのう」
「いやはや、それは、いくらなんでも」
「【むはい】は、どんなわるさを、するんじゃ」
「【むはい】はわるさをしません」
「せんのか」
 そんなばかな。
「【むはい】は、わるさをする人間を、こらしめるおばけなのです」
「ならば、たいじの、めいもくがないのう」
「親の仇なんか、どうでしょう。わるい親でも親は親」
「おやおや。かいじいも、わるだくみが、うまいのう。このさい、そうでもせんと、【むはい】とはたたかえんからのう」
「いいんですか。わるさをする人間たちは、次々に【むはい】退治にでかけるのですが、ひとりも帰ってきませんよ。そうして中川の川下に死体が浮かぶのです」
「そうか。【むはい】も【むてき】とおなじところにおるんか」
「しまった。口がすべりました。口は災いの元です」
 懐爺は【べろりんまん】より長い舌をだしました。
「わざとすべっとるんじゃ、あるめいのう」
「いやその、それはそれとして、なんともはや」
「まあええ。また、はたき、もっていけばええんか」
「【むはい】は、無敗ですが、無肺でもあります。肺がなくても平気なおばけなのです。ですから、金ちゃんは、酸素吸入器(さんそきゅうにゅうき)をもって」
「もてるかい。もっと、かるいものにせいや」
「それなら、風船で」
「ふうせんかい。よかろう」
 威張ってそう決めましたが、風船さげて行くのではありません。
 空気を入れた風船百個、それらに、重い重い酸素吸入器をぶらさげて行きました。
 どちらも、どこから調達したのか、懐爺が用意してくれたのです。
「おうい、おうい、【むはい】やーい」
 ぼくは大声をあげました。
「わしじゃ、きんちゃんじゃ。でてこいでてこい【むはい】ちゃーん」
 しつこく何度も大声をあげると、中川の上流のさらに奥のほうから、ぼくの声の百倍くらいの大声がきこえます。
「ぼく【むはい】。なにかご用かな」
「たいじにきたんじゃ」
「退治とは、一大事」
「じんじょうに、しょうぶせい」
「ぼく【むはい】。退治されるほど、悪い事したかなあ」
「それは、かいじいに、きいとらん」
「そういうの、冤罪(えんざい)っていうのよ」
「うるさい。おまえは、いちばんつよい、おばけじゃ。まけたことのない、おばけじゃ。そういうおばけは、よほどたいじせにゃならん。してからに、わしがあいてじゃ」
「それは大変。さらばさらば。ぼく【むはい】。逃げるが勝ちよ。すたこらさっさ」
 【むはい】の声が、しだいに遠ざかりました。
 こりゃどうも、なにか同じ体験がある。
 そうか、【むてき】と同じだ。
「こら、かいじい、【むはい】は【むてき】と、おなじおばけじゃないんか」
 と懐爺にいうと、
「ばれましたか」
「ばれるにきまっとる。こんなよけいなもの、いらん」
 見ると、酸素吸入器がありません。
 おそらく風船が萎(しぼ)んだので、そのままあそこに置いたままになっているのです。
「かいじい、やったのう」
「ばれましたか」
 そうなのです。
 ぜんぶ懐爺のたくらみだったのです。
 懐爺の話では、【むてき】すなわち【むはい】の肺結核が悪化して苦しんでいるので、懐爺がぼくを利用して、酸素吸入器を【むはい】に届けてあげた‚フです。
 いまごろ【むはい】が苦しみから解放されているとおもうと、ぼくは懐爺に文句をいえませんでした。
 
九十一【もくりこくり】
 
 村の誰にきいたのか、それもいつきいたのか忘れたが、なんだかわからない、正体不明のおばけを【もくりこくり】(すこしなまると【むくりこっくり】)というのだそうです。
 蒙古(もうこ)高句麗(こうくり)という字があてられる。
 もちろんそんな漢字は、その頃のぼくはしらない。
 ただぼくには疑問がありました。
 なんだかわからない、正体不明のおばけが【もくりこくり】なら、おばけのほとんどは、なんだかわからなく正体不明だから、おばけのほとんどは【もくりこくり】なんじゃないのか。
 疑問があるときは、懐爺のところに行くにかぎります。
「せつ‚ネいのう」
 ぼくはいいました。
「こんどのおばけはなんですか」
 懐爺がききました。
「まだおうとらん。【もくりこくり】たあ、なんじゃ」
「【もくりこくり】はわたしにも、なんだかわかりません。なにしろ正体不明のおばけですから」
「おばけはみんな、そうじゃろ」
「そうですが、【もくりこくり】は、【がしゃどくろ】や【ぬらりひょん】みたいに姿をあらわしませんからね」
「すがたあらわしたら、ふめいじゃないんか」
「金ちゃん、理屈っぽいですね。まあなんともうしましょうか」
 懐爺はさすがに頭を抱えました。
「つまりその、おばけの正体を絵としたら、絵に描けないおばけが【もくりこくり】なんです」
「えにえがけないおばけなんぞ、つまらんのう」
「【もくりこくり】は、つまらないおばけなんです」
「つまらんけど、あいたいのう」
 正体不明なら、なおさら会いたい。
 天の邪鬼(あまのじゃく)のぼくは、懐爺にわがままをいいました。
「おばけもだんだん少なくなります。しかもだんだん絵に描けなくなります。人間に圧されて在る処がなくなってきているからです。いずれおばけはみんな【もくりこくり】になり、そしてこの世が闇になったら、おばけはすっかり消えてしまうでしょう」
「つまらんよのなかに、なりそうじゃのう」
「映画でなら、もっと面白い、もっとこわいおばけに会えるでしょう。【かいびょう】とか【おいわさん】とか」
「えいがみるなら、まちにいかにゃならん。まちにいくかねも、えいがみるかねも、ありゃせん」
「わたしがお金を貸しましょう」
 懐爺にもお金なんかないから嘘にきまっています。
 それに、そんなことをしたら、懐爺も【むだづかい】にやられてしまいます。
「いらん。えいがより、ほんものがええ」
「おばけには、本物も偽物もありません」
「かいじい、なんとかせいや」
「なんともなりません」
「せつないのう」
 ぼくはせつなく、それ以上に口惜しかったのです。
 この口惜しさを、今でも忘れることがありません。
 さて、この【もくりこくり】には、後日談があります。
 十日後、とてもとても寒い夕方。
 懐爺が祠の奥から、ずいぶん古い本をもってきました。
「これは、なんじゃ」
「義経の伝記です。義経のことがくわしく書かれています」
「よしつね、たあ、うしわかまる、のことじゃろ」
「金ちゃんはものしりですねえ」
 うれしくってぼくは、歌をうたいます。
「きょうの、ごじょうの、はしのうえ〜」
「金ちゃんの上手な歌は、こんどゆっくりききましょう。さて、義経といえば」
「そらあ、うしわかまる。きょうの、ごじょうの、はしのうえ〜」
「いやその、義経の、家来というか相棒というか」
「そらあ、べんけい。きょうの、ごじょうの、はしのうえ〜」
「それそれ、その弁慶が、【もくりこくり】だったんですねえ。この本にくわしく書かれています」
「やっぱり、のう。あんなすげえやつが、おばけじゃないわけがねえもの。べんけいの、におうだち」
「金ちゃんはものしりですねえ」
 うれしくないはずがありません。
 この村ではものしりが一番偉い、とぼくはずっとおもってきました。
(だから、かいじいが、いちばんえらいのだ)
「わしのことより、【もくりこくり】じゃ」
「そうそう、その仁王立ちですが、あれは、弁慶の影武者だったという話です」
「【かげむしゃ】たあ、どんなおばけじゃ」
「本人にそっくりばける。そうですねえ、ばけるんなら、やっぱり、おばけなんでしょうね。影武者とは、替え玉でもあります」
「わしも、やるやるやるぞい。かえだまさくせん」
「話をもどしますとね、じつは、あのとき、弁慶も、もちろん義経も、死んではいない」
「よかったのう。わしもそうおもっとった。すきじゃのう、よしつね、べんけい。いいのう、なりたいのう、よしつね、べんけい」
 ぼくがうれし泣きすると、懐爺も眼に涙をためました。
「金ちゃん、泣いている場合ではありません。話をすすめないと、暗くなります、雪もふるかもしれません。【ゆきおんな】や【ゆきおとこ】に、大切な話を、邪魔されるかもしれませんよ」
「それはせつないのう。かいじい、はやく、はなさんかい」
「はい、了解しました。【かげむしゃ】をつかって、まんまと奥州(おうしゅう)からのがれた、義経と弁慶は、いまの青森県まで行って、そこから小舟で北海道に渡ります。その地点には義経が通ったという、証拠もあります」
「しょうこ、なんか、のこすと、よりともに、ねらわれんかのう」
「いいところに気づきましたね。頼朝は執念深いですからねえ。執念深いおばけを【よりとも】というのは、ごぞんじでしょうね」
「ごぞんじに、きまっとるじゃろ」
 きまってなかったが、そういいました。
「だから、わからない証拠。つまり、暗号(あんごう)とか目印とか」
「めじるしは、わしもよくつける。けんど、あんごうは、どうつけるんじゃ」
「たとえば、金ちゃんなら、金とか、わたしなら、爺とか。だから、義経は義とか、弁慶は弁とか慶とか」
「あんごう、たあ、ばれやすいのう。わしじゃったら、よりともの、よりとか、よりともの、ともにするなあ」
「はいはい。義経も弁慶も、あわてていたから、おもいつかなかったんでしょうね」
「かいじい、はやく、さき、いかんかい」
「すみません。それから義経と弁慶は、原住民にたすけられて、北海道から蒙古までにげました」
「もうこ、たあ、おそろしいとらのおる、ところかい」
「猛虎ではありません、蒙古は、とうじの国の名前。しかしとちゅう嵐で、船が沈んで、義経は海の底へ、弁慶は鯨(くじら)の腹へ」
「いいのう、ろうまんじゃのう。とうぜん、たすかったんじゃろ」
 ぼくは、半分おどしました。
「はいはい、とうぜんです。ふたりとも蒙古の侍に助けられて、義経はその後、成吉思汗(じんぎすかん)という、頼朝よりも立派な、殿様になりました。この殿様の名前は、いささか暗号めいていて、源義(げんぎ)は、仁義(じんぎ)だからつけた名だが、災難が多くて好かん、というところからきています。さていっぽう弁慶は、殿様の侍大将になって、なんだかわからないけれども、やたらにに強いために、【もくりこくり】と名づけられました。めでたし、めでたし」
 懐爺は、大きくためいきをつきました。
「めでたいのう、よかったのう」
 くりかえしつぶやきながら、ぼくは暗くなった道を、いっさんに走りだしました。
 こんな気持いい、おばけ話は、浪漫は、初めてでした。
 
九十二【もやもや】
 
 もやもやして、やりきれん。
 どうしてそうなったのか、わかりません。
 そういう季節だったのかもしれないし、そういう年齢だったのかもしれないし。
 おつかいで、町に行ったときに、いままでみたこともない、とても可愛い女の子を、みかけたせいかもしれません。
 学校でおしっこをしたときに、真っ赤な血のおしっこだったので、そのあとはなんともないのですが、その真っ赤な血が気になって、しかたないのかもしれません。
 宿題の算数で、どうしてもとけない問題があって、そのあと先生にきいても、まったく理解できないで、いまでも頭のなかが、数字だらけになっているせいかもしれません。
 凡ちゃんにきいたら、
「そらあ、もやもやした焚火の、けむりをすったせいじゃろう」
 なかなか見事な回答をするのですが、どこかちがうかんじがします。
 このときもやっぱり、懐爺をたよるほかはありませんでした。
「金ちゃんも人の子ですねえ」
 懐爺はいやないいかたをしました。
「わしを、おばけのこどもと、おもうてたんか」
「いえいえ、金ちゃんにも、ふつうの人間のところがあったのか、という意味です。わたしは、金ちゃんは、ふつうの人間ではなく、おばけでもなく、特別な存在だと、選ばれてうまれてきたこどもだと、おもっていたものですからねえ。そのおもいはかわりませんが、それでもふつうの部分もあるのかと、感心も安心もしたのです。失礼しましたね」
「どう、えらばれたんじゃ」
 その問いにはこたえずに、懐爺は解説をはじめました。
「それは人間の、こころのなかに棲みつく、【もやもや】というおばけで、【もんもん】ともいいます」
「【くりからもんもん】かい」
「【くりからもんもん】は、別のおばけで、いま金ちゃんがとりつかれているのは、くりからぬきの、ただの【もんもん】」
「ただの【もんもん】、ただの【もやもや】かい。たいしたことはないのう」
「それが、ただの【もんもん】、ただの【もやもや】は、曲者(くせもの)なのです」
 懐爺は、気の毒そうな顔をしました。
「くせものじゃ、であえ、であえ、かいのう」
「はい。その曲者のほうが、であってくれればいいんですが、なかなか外にでてくれません」
「こころのなかが、いごこち、いいのかのう」
「まったくその通りです。入られた人間は、きもちがわるいのですが、入った【もやもや】のほうは、きもちがよくて、なかなか外にでる気がおきない」
「やっかいじゃのう」
「じつにやっかいなおばけです」
「でてもらう、ほうほうは、ないのかのう」
 ぼくは【もやもや】しながら、ききました。
「時間が経つのを待つしか。いやいや、ひとつだけ方法がありました。しかし、これは乱暴なやりかたですが」
「なんじゃい。もったいぶらんでええ」
「一発やるんです。からだのどこでもいいから、一発はげしくやるんです。【もやもや】はびっくりして、とびだします」
「なるほどのう。ならば、かいじい、いっぱつ、やってくれや」
「とんでもない。わたしには、大切な金ちゃんに、そんなことはできません」
「ならば、ぼんちゃんに、たのむかのう」
「凡ちゃんにはよけいできないですよ」
「ならば、じぶんで、いっぱつ、やるしかないのう」
 ということで、ぼくは帰りに、峠の崖のところに立つと、崖下めがけて、頭からとびこんだのです。
 なんと、【もやもや】は、ぼくのこころのなかから、飛びだしてゆきました。
 ぼくは、全治半年の大怪我を負いましたが。
 
九十三【やこうちゅう】
 
 大山にのぼると海が見えます。
 遠くから見る海はいつも静かです。
 大山にのぼることはめったにないのだけれども、大山のてっぺん近くにご先祖様のお墓があるので、一年に一回だけ母親と一緒に、三時間以上かけてのぼります。
 お墓参りをして帰るころはだいぶ暗くなっていました。
 海のほうを見ると、不気味なほど美しく青白い光が、いくつもいくつも見えます。
「あれはなんじゃ」
 と母親にきくと、
「夜光虫だよ」
 とこたえます。
 ぼくは【やこうちゅう】はおばけにちがいないとかんがえました。
「きわめて美しい花には棘も毒もある」
 と懐爺がいっていましたから、(きわめて美しい光にも棘や毒があるはずだ)とかんがえたのです。
 それで母親に、
「おばけじゃ、おばけのひかりじゃ」
 というと、
「おばけではないけど、夜光虫は赤潮をつくって、害を与えるから、おばけみたいなものかもしれないね」
 と母親は説明しました。
 ぼくは、「おばけみたいなもの」と「おばけ」のちがいが解らないので、翌日懐爺のところに行きました。
「【やこうちゅう】はおばけかい、おばけみたいなものかい」
「夜光虫はおばけみたいなものですが、夜光注はおばけですよ。夜光虫はちっちゃな虫ですが、夜光注は巨大な虫のおばけです」
 懐爺の説明は解りにくいものでした。
「おなじ【やこうちゅう】たあ、ややこしいのう」
「だいじょうぶです。もう大昔に、おばけの夜光注は退治されてしまって、いまはおばけみたいな夜光虫がいるのみですから、ややこしくはありません」
 やっぱり解りにくい。
「そうかのう。おおむかしにうまれりゃよかったのう」
「いやあ、そのころはこの村の人たちも、奴隷同然のあつかいだったでしょう」
 それならいまでよかった。
「いったいどれくらいむかしなんじゃ」
 一応きいてみました。
「具体的には、いまから一千一百年ほど前ですね」
「そらあ、まいったのう」
 いくらなんでも昔すぎます。
「平安時代といいます」
「ちっとも、へいあんじゃないのう」
「それなりに平安でした」
「そのおおむかしに、【やこうちゅう】をたいじしたのはだれじゃ」
「そのころは陰陽師(おんみょうじ)という、おばけ退治の仕事をする人たちがいました。その陰陽師が退治したんです」
「【おんみょうじ】たあ、おばけみたいななまえじゃのう」
「さすがは金ちゃん。おばけ退治の陰陽師たちのなかにも、おばけがいたんですよ」
 おばけを退治できるのは、やはりおばけかとおもわれました。
 すると懐爺も、おばけなのかとおもわれました。
「やっぱりのう。おばけの【おんみょうじ】が、おばけの【やこうちゅう】をたいじしたんじゃな。そのありさまを、はなしてくれんかのう」
 懐爺は珍しく、素直に首を縦にふりました。
 きっと懐爺も【おんみょうじ】の【やこうちゅう】退治については、喋りたかったのでしょう。
(それとも)
 ぼくは、何かかんじるところがありました。
(もしかすると)
 懐爺は、その陰陽師の子孫なのではないかとかんじたのでした。
「あるとき羅城門(らじょうもん)というところに、たくさんの人間の死体があって、そこの中空に青白い光が見えるというので、陰陽師たちのなかで一番おばけの世界にくわしいというか、おばけの世界にはいりこんでいる或る【おんみょうじ】が、帝(みかど)から特別に選ばれたんです。その光はきっと【やこうちゅう】という魔者で、その魔物はもともとは青鬼が死にそうなときに吐く、青息でしたからね」
「【おんみょうじ】はどうやって、たいじをしたのかのう」
「いつもは読経とか祈祷で退治するのですが、【やこうちゅう】は鬼そのものではなく、その鬼の霊魂(れいこん)といったもので、金ちゃんに解りやすくいうなら、おばけのおばけでして、おばけのおばけには、なかなか読経も祈祷も通じません」
 ちっとも解りやすくありません。
 でも一千一百年前の話だから仕方ない。
「おばけのおばけは、そんなにおそろしいんか」
「そうでもないです。生きた人間は食べないで、死んだ人間ばかり食べるのですから」
「そらあやっぱり、おそろしいのう。しんだにんげんだってくわれるのはいやだからのう」
「まあそうですが、そうでない気もしますが」
 懐爺は口ごもりました。
「はやく、さきをはなせや」
「はいはい。それでその【おんみょうじ】がとった方法とは、つまり自爆(じばく)ですね」
「じばくたあ、なんじゃ」
 いまなら毎日耳にする言葉ですけれど、そのころは初めてきく言葉でした。
「相手を殺して自分も死ぬという方法です。神風特別攻撃隊ですね」
「そんなむかしから、かみかぜがあったんかい」
 神風は自爆とはいわなかったはずだけれども、言葉の綾というものでしょうから、そのへんは追求しませんでした。
「はい。【おんみょうじ】はためらうことなくおのれのからだに火をつけて、死体の山に飛び込んだのです。凄まじい炎があがり、あがり、あがり続け、その炎で【やこうちゅう】も哭き喚きながら、とうとう焼け死んでしまったのです」
 どうしてそこまでやるのか、懐爺は、【やこうちゅう】が悲惨に焼け死ぬ有様を熱演しました。
 嗚嗚嗚嗚嗚嗚
 非非非非非非
 窮窮窮窮窮窮
 罵罵罵罵罵罵
 ぼくは何だか武者震いがしました。
「どうしてためらわないんじゃ。わしならためらうがのう。ためらうのがにんげんじゃからのう」
「ですから、その【おんみょうじ】はおばけなんです。おばけだから、いやもしかすると、帝に選ばれたときからおばけになったのかもしれません」 
「わしもみかどにえらばれたら、おばけになるんかのう」
「たぶん」
「たぶんかのう」
「おそらく」
「おそらくかのう」
「きっと」
「きっとかのう」
「ぜったいに」
「ぜったいに、なるんかのう」
 ぼくはなぜか満足して帰りました。
 
九十四【やだやだ】
 
 こどもだって、人生いやなことはある。
 そう母親にいったら、
「こどもの、いやなんて、一晩ねりゃあ、忘れるさ」
 そんなことはない。
 いやなことは、おとなになってもつづきそうだ。
 そう懐爺にもいってもらいたくて、そういったら、
「金ちゃんは、よくおばけにとりつかれますねえ。【やだやだ】というおばけにとりつかれたら、簡単にはねえ。なにせ【ふくせいちゅう】というおばけとつるんでいますから。腹、声、虫、と書くんですがね、たとえば、腹のなかで、こんな声をだすんですよ」
 やだやだ
 やだやだ
 ぜったいやだやだ
 どうしてもやだやだ
 しんでもやだやだ
「そういえば、こえがきこえたのう」
「何ていっていましたか」
「おばけはやだやだ、って、きこえたのう」
「じぶんがおばけのくせに、おばけはやだやだですか」
「しょうじきだのう」
「とにかく、【やだやだ】と【ふくせいちゅう】を、両方いっぺんに追いださないといけません」
「やっかいじゃのう」
「たしかにやっかいですが、じぶんで、やだやだいっているんだから、何とかなりそうです」
「どうすりゃいいかのう」
「むかしのひとは、煙をつかいました。いぶりだすんですね。しかしそれは、きかないおまじないとおなじです。わたしにおまかせください」
 そういうと、懐爺はぼくの耳に口をよせて、大声でさけびます。
「【やだやだ】さん、まだまだ、か〜い」
 鼓膜がやぶれるかとおもいました。
「金ちゃん、【ふくせいちゅう】の、声がきこえますか」
「まだまだ、いうとった」
 また、懐爺はぼくの耳に口をよせて、大声でさけびます。
「【やだやだ】さん、そろそろ、か〜い」
「そろそろ、いうとった」
「【やだやだ】さん、でるでる、か〜い」
「でるでる、いうとった」
「しめしめです。もう大丈夫です」
 懐爺は祠の奥に消え、ぼくは家に帰りました。
 一晩眠ったら、【やだやだ】はでていったらしい。
 いやなことも、忘れました。
 ただ、しばらく、耳鳴りがつづきました。 
 
九十五【やぶからぼう】
 
 懐爺の居る祠の奥は鬱蒼(うっそう)たる竹藪でありました。
 あるとき、凡ちゃんが、
「あのたけやぶ、おもしろそうじゃ」
 と何気なくいいました。
「おもしろそうじゃのう」
 ぼくも相槌(あいづち)を打ちました。
 以前から興味はあったのです。
 あの竹藪に何もいないとしたなら、どこにも何もいない。
 そんな風におもわせる竹藪だったのです。
 それで二人して懐爺のところに行きました。
 懐爺は丁度出かけるところでした。
「どこいくんじゃ」
 ぼくは非難口調でいいました。
 せっかく来たのに、どこに行くのだろう。
 どこにも行くところはないはずなのに。
「裏の竹藪に行くんですよ」
 懐爺は奥の竹藪の方向を指さしました。
「なら、つごういいのう」
 ぼくと凡ちゃんは、顔をみ合わせました。
「金ちゃんも凡ちゃんも、今日は駄目です」
 懐爺は胸の前で両手を交差しました。
 そんなことで引きさがる、ふたりではありません。
「いっしょがいいのう」
「いっしょしかないのう」
「それがいいのう」
「それしかないのう」
 なんていい合って、ついていく素振りをみせました。
「それならわたしも行きません。竹藪に行くのは明日にします」
「なら、あすもくるかのう」
「あしたもくるぞい」
「あしたでいいのう」
「いちにちくらい、がまんじゃ」
 なんてまたいい合って、懐爺を困らせました。
「竹藪で草むしりとか落ち葉ひろいとかごみ掃除とか、そういうことをやるだけですよ」
 懐爺の口調は、何となく弁解口調でした。
「あやしいのう」
「いまごろくさむしりを、なんでするんじゃ」
「それが、なぞじゃのう」
「それが、もんだいじゃ」
 またいい合いました。
 懐爺はついに、痺(しび)れを切らしました。
「掃除しないと【やぶからぼう】がでるんです」
「なんじゃそれ」
 凡ちゃんがききました。
「【やぶからぼう】というおばけは、藪の傍を通りかかった人に、棒で突くんです」
「【やぶからぼう】はおばけかのう。たとえ、じゃねえんか」
 ぼくはきいてみました。
「【やぶからぼう】は、喩えがそのままおばけになったんです。棒のおばけは、ほかに、【でくのぼう】【おこりんぼう】【きかんぼう】【とうじんぼう】【ひたちぼう】【つっかえぼう】とかがおります」
 懐爺は明確に解答しました。
「やっぱしあのたけやぶ、おもしろそうじゃ」
 凡ちゃんは舌なめずりしました。
 懐爺は凡ちゃんの、涎(よだれ)をふいてあげながら、
「棒で突かれて、半身不随になった人もいるんですよ。危険ですから近寄らないほうが賢明です」
 諭す口振りでいいました。
「ならば、わしらも、ぼうをもっていくかのう」
 ぼくが提案すると、凡ちゃんは、
「あした、でっかいぼうを、よういするぞい」
 と胸を張ったのです。
「呆れました。さようなら」
 と懐爺はいって、祠の奥に消えてしまいました。
 翌朝、凡ちゃんとぼくはそれぞれ、長くて太い棒を担いで竹藪に向かいました。
 祠は避けました。
 懐爺に反対されるのはわかっていたから、別の道を使いました。
 竹藪が、みえました。
 いいや、竹藪が、ない。
 凡ちゃんとぼくは、顔を見合わせました。
 そこにあるのは、清廉(せいれん)な竹林でした。
 雑草も落ち葉もごみもぜんぶ取り去られた、うつくしい竹林でした。
 
九十六【やまだのかかし】
 
 村のどのたんぼにも、どのはたけにも、かならずが[かかし]が立ててあります。
 おもに烏よけ鼬(いたち)よけですが、泥棒よけにもなります。
 たんぼやはたけを荒らす泥棒は、ほとんど町の若者で、ろくに[かかし]なんかみたことがないから、夜中に忍び込んで、懐中電灯を[かかし]に当てて、腰をぬかすそうです。
 ところがあるとき、村の[かかし]が盗まれる、ということがつづいて、凡ちゃんとぼくは、
「ありゃあ、まちのもんのしわざじゃろ」
 といっていたものですが、あるとき、
「金ちゃん金ちゃん、てえへんだ」
 と、銭形平次の子分さながら、凡ちゃんがかけこんできました。
「みたぞみたぞ」
「なにをみたんか」
「どろぼうじゃ」
「やっぱし、まちのもんじゃろ」
「それが[かかし]なんじゃ」
「なんじゃと。[かかし]をぬすんだのは、[かかし]かい」
 凡ちゃんいわく、その泥棒[かかし]は、真っ昼間に、山のほうから飛んできて、たんぼやはたけの[かかし]を、かたっぱしから、かっぱらっていったとのこと。
 たんぼやはたけの[かかし]よりも、ずっとみすぼらしいなりをしているけれども、何倍も大きかったとのこと。
 凡ちゃんがみているのを知ると、その泥棒[かかし]は、不気味な声で高笑いしたとのことです。
 かかか
 かかか
 かかか
 かかか
 凡ちゃんには、こうもきこえたとのことです。
 からすがこわくて
 かかしができるか
 きんちゃんこわくて
 かかしができるか
 すぐにふたりして、懐爺のところに行きました。
「ぼんちゃんがみたおばけは、【やまだのかかし】ですね」
「[かかし]のおばけかい」
「【やまだのかかし】は、[かかし]のおばけというよりも、正確には[かかし]の霊の塊(かたまり)なのです。[かかし]も古くなりますと、だんだんと、おばけ化してきます。それらの霊のかたまり。【やまだのかかし】が、古くなった[かかし]を盗むのは、もう用がなくなった老[かかし]を、つまりおのれの霊魂(れいこん)を、姥捨山(うばすてやま)に捨てるために、盗むんです」
「よくわからんが、せつないのう」
 ぼくがいうと、凡ちゃんも、
「そういえば、あのたかわらいは、せつなくきこえたのう」
 といったものでした。
「金ちゃんも凡ちゃんも、新しくて、きれいな[かかし]をみると、いさましいなあ、たよりになるなあ、とおもうでしょ。でも、古くて、きたない[かかし]をみると、なさけないなあ、やくにたたんだろなあ、とおもうでしょ。そういうことは[かかし]自身が、もっとわかっていることなんです。だから【やまだのかかし】なんておばけがでてくる。けっきょく、おばけは、人間がつくりだすものなんですから」
 このときからぼくは(たぶん凡ちゃんもそうだろうが)、[かかし]のことを、めちゃくちゃ好きになったのでした。
 
九十七【やまながれ】
 
 大雨の夜、凡ちゃんの家(つまり完ちゃんの家でもある)が、【やまながれ】にやられたとききました。
 はじめ、甲虫の臭いがしたという。
 それから土の臭いがして、ものすごい音がきこえたという。
 怪獣の声に似ていたという。
 がおう
 がおう
 ごうん
 ごうん
 そして、【やまながれzが来たのです。 
 幸い家族は無事だったけれども、凡ちゃんの祖母は家といっしょに、中山の中腹から中川まで流されたとのこと。
「あのばあやんは、不死身じゃのう」
「あのばあやんは、おばけじゃ」
「あのばあやんは、【やまながれ】の魂魄(こんぱく)かもしれん」
 なんて噂が、もう村中に流れていました。
「【やまながれ】たあ、なんじゃ」
 ぼくは懐爺にききました。
「〈やんながれ〉ともいいますがね。江戸時代には、【やまぬけ】とか【じゃぬけ】といったそうです。台風とか大雨が来ると【やまながれ】は元気がでて、山から流れだすんですよ。完ちゃん凡ちゃんの家は不幸中の幸いで、いままで【やまながれ】にやられて、行方不明になった一家もずいぶんいるんですよ」
「ゆくえふめいか、ふめいはいいのう」
 ぼくは本音をいいました。
「不明はいいですかね」
 懐爺は笑っていいました。
「ふめいは、おばけじゃからのう」
「なるほど。不明なら、無理して探さなくてもいいわけですね」
「さがして、そうしきするんか」
「やっぱり葬式ですね。それからお墓」
「つまらんのう。わしがふめいになったら、さがさんでくれ」
 強い口調でぼくはいいました。
「わたしも行方不明にな‚チたら、絶対に探さないでください」
 懐爺もめずらしく、強い口調でいいました。
 ぼくは肯きました。
「かんちゃんぼんちゃんのうちは、なんでやまのなかにあるんじゃ」
 ぼくは前々からの疑問をぶつけました。
 【やまながれ】にやられたからではなく、遊びに行ったり来たりが大変だからそういったのです。
「家が山の中にあっちゃいけませんか」
「いかんいかん。だから、【やまながれ】にやられる」
 ぼくは口を尖(とが)らせました。
「山の上には神様がおるんです。だから神様を大切にする人たちは、山の上に近いところに住むんですよ。完ちゃん凡ちゃんのお婆さんは、神様を大切にしていましたからねえ」
「そんなら、やまのうえにすめばええ」
 もうぼくは面倒臭くなっていました。
「上まで行っては神様に失礼ですから、ほどほどに中腹で。こういう考えを昔から、〈中庸〉といいます」
「ちゅうよう、ちゅうか。ちゅうよう、ちゅうか」
 ぼくはわけもなく、感心しました。
「人間はときどき、神様をおこらすことをやらかしますから、すると台風になったり大雨になったり、それで【やまながれ】になったり」
 懐爺は口ごもりました。
「【やまながれ】は、かみさまのしわざかい」
「結果的にはそういうことになります」
「かみさまとおばけは、なかまかい」
「結果的にはそういうことになります。だから【やまながれ】に逢っても、完ちゃん凡ちゃんのお婆さんは、神様の思し召しと、逃げたりなんかしないんです」
 懐爺はなぜか、深い溜息をつきました。
「わしだったら、にげるのう。かみもほとけもあるもんか」
「それはお母さんの口癖ですか」
「しんだおとんのくちぐせじゃと、おかんがいっとった」
 なぜかぼくも、溜息をつきたくなりました。
「それは神様も仏様も信じている人の言葉です。よっぽど辛いので、神様や仏様に、恨み言をいったんですよ。信じていなければ恨み言をいったりできません。両親にだって、先生にだって、天皇陛下にだって、恨み言をいう人は、信じているからなんですよ」
「もうええ」
 ぼくは止めました。
 懐爺がますます、理屈っぽくなっていきそうだったからです。
「わしがうらみごというのは、かいじいだけじゃ」
「そんな嬉しいことをいってくれるのは、金ちゃんだけですよ」
 本当にうれしそうに、懐爺は笑いました。
 もしかすると、この懐爺のこの笑顔をみ大変くて、この祠にくるのかもしれない。
 そんなことをつと、ぼくはかんがえたりしていました。
 
九十八【やまんば】
 
 あるとき、こんなことをかんがえました。
 この村はまるで、作り物みたい。
 神様かおばけが作ったものにちがいない。
 村の真ん中に広場がある。
 その広場を取り囲んで民家がある。
 川は手前から小川、中川、大川と、並行に整然と流れている。
 大川橋を渡ると町にでる。
 山は反対方面にあって、小山が左に、右に中山、中央に大山がある。
 あとは低い野原の連なり。
 そんなことを懐爺にいってみたら、
「この村の山や川は、【やまんば】が造ったのですよ」
 といいました。
「【やまんば】たあ、やまのばばあのことか」
「そういう言い方もありますが、【やまんば】はもともと、山や川を造る神様でした。地方によっては【やまはは】といいます。母なる山や川ということで。ところがあるとき、山は崩れ、川は氾濫するなんてことや、山川での事故が続いたのですよ。嵐は【やまんば】が造るものではありませんから、おそらく嵐を造る神様が、【やまながれ】や【かわうそ】や【ひょうすえ】をそそのかして、【やまんば】に意地悪をしたんですね」
「かみさまも、いじわるするんか」
「神様は世界中で一番意地悪なんです。なにせ人間を造っておいて、人間を死なすんですからね」
「そういうもんかのう」
「それで【やまんば】は、人間たちに追われた。人間たちは石や糞を投げつけて、【やまんば】を人間世界から追い払ったのです。それでしかたなく【やまんば】は、自分が造った山の奥深くへ逃げ込んだのです」
「にんげんも、いじわるじゃのう」
「人間は意地悪な神様が造ったものですから、本来意地悪なんですよ」
「じゃが、かいじいは、いじわるじゃないのう」
「わたしもじつは意地悪なんです。こうして金ちゃんが来てくれるたんびに、おばけの話ばかりしているんですからね」
「そらあ、いじわるのはんたいじゃ」
「ありがとうございます。意地悪な人間が、意地悪から脱皮するには、友だちを作ることです。わたしには金ちゃんがいる。金ちゃんには完ちゃんがいる。それで意地悪から、脱皮できているんです」
「なるほどのう」
 感心はしたけれども、興味はやはり、【やまんば】にありました。
「して、【やまんば】はどうなったのかのう」
「【やまんば】は神様にはめずらしく、親切な神様でしたが、その後は山の奥に棲んで、意地悪婆のおばけになって、ときどきやってくる人間たちを、かたっぱしからくって、くいまくって、暮らしているのです」
「おそろしいのう。せつないのう。いじわるじゃのう」
「人間がしでかした結果ですから、【やまんば】だけを責めるわけにはいきませんが」
「ならば、【やまんば】とともだちになろう。さすれば【やまんば】も
わるさせんじゃろ」
 ぼくの発案に、懐爺は膝を叩きました。
「金ちゃん、いいところに気がつきましたね。でももう遅いのです。わたしが掴んだ情報では、最近村人たちや観光客たちが警戒して、山の奥に行かなくなりました。それで【やまんば】はたべるものがないから、餓死してしまったそうです」
 懐爺は遠くを見る眼をしました。
 懐爺の話には付け足しがあります。
 ここで紹介するには、ちょっと陰惨(いんさん)な話かとおもわれましたが、さりげなく付け足しておきます。
 【やまんば】は、餓死しそうになると、山から村におりてきて、夜遊びをしていた村の娘をくってしまう。
 そうして娘の皮をはがして、それを身に付け、娘になりすます。
 小声の娘‚ェ、とつぜん大声になったものだから、親があやしんで、娘の寝所(しんじょ)をのぞくと、【やまんば】が娘の皮をぬいで、眠りこけています。
 親が急におそいかかったものだから、さすがの【やまんば】も、いのちからがら山へ逃げたのです。
 それからというもの、村の娘は、夜遊びどころか外出をゆるされず、みんな箱入り娘になってしまったので、【やまんば】は村におりてこられず、また村人も観光客も山の奥には行かなくなったものだから、【やまんば】は餓死となったのだそうです。
 【やまんば】は人間ばっかりくわないで、山にいる兎や猪とか、山にみのる柿とか栗とかを、くっていけばいいのにとかんがえましたが、たぶん【やまんば】は、人間をくわないと満足しなかったのだろうとかんがえました。
 
九十九【やんから】
 
 うんこをするとき、めまいをすることがおおくなりました。
「痔(じ)じゃろ、心配いらん」
 と母親はいうが、ただのめまいではない。
 頭のうしろが、ひっぱられるかんじ、もっていかれるかんじがある。
 それに、痔くらいで、めまいのするぼくではない。
 うるさくいうと、
「お医者さんさ、いけ」
 あっちを指差します。
 あっちは、懐爺の祠の方角です。
「いくいく、いくよ」
 ぼくは懐爺のところに行きました。
「よくきましたね、金ちゃん」
 懐爺はあたたかくむかえてくれました。
「おかんは、じ、じ、じ、いうた」
「それは【やんから】でしょう。わたしも金ちゃんの年ごろには、【やんから】にずいぶんまとわりつかれましたよ」
「まさか、おばけじゃなかろう」
「そのまさかです」
「やっぱし、まさかかあ」
「【やんから】の、やん、とは、やんごとなき国とか、あの世、つまり宇宙の果て、のことです。おおむかしら、この地球に棲みつき、現世、未来永劫(みらいえいごう)までつづく、おばけのせかいですが しかし未来から、わざわざやってきた、おばけもいるのです」
「おせっかいな、おばけじゃのう」
「おばけは、みんな、おせっかいなものです」
 ふたりして、苦笑いをしました。
「やん、はわかったぞい。から、はなんじゃ」
「やんから、やってきたから、から、です」
「なんじゃ、その、から、かい。わしは、からっぽの、から、かと、おもったぞい」
「【やんから】は、これから立派なおとな‚ノなっていく、少年、青年にたいして、人生のむなしさ、金ちゃんの言葉を借りると、からっぽ、そのことをおしえるために、未来からやってきたおばけなのです。そのまま、頭のうしろをもっていかれて、そのままいきっぱなしになった、こどももいっぱいいます」
「むなしさ、のう。むなしさ、とは、なんじゃろか。からっぽとは、ちがうじゃろ」
 ぼくは、からっぽの腹をたたきました。
「ゆくかわの、ながれは、たえずして、しかも、もとのみずにあらず、よどみにうかぶ、うたかたは、かつきえかつむすびて、ひさしくとどまりたるためしなし。むなしさとは、そういうものですよ」
「そんなことは、わしらだって、わかっとるよ。かわに、ささぶねをながすと、かえってこんからのう」
「そうですそうです。それが人生、それが笹舟。人生の笹舟です」
 なぜか、懐爺の顔が、とてもさびしそうにみえました。
 おもいすごしならいいけれど、懐爺の顔が、とてもさびしそうにみえたということは、きっと、ぼくの顔がさびしそう、ということです。
 これというたしかな理由もなく、不安感がわいてきました。
「じんせいのささぶね、のう」
 よくわからないが、まあいいか、とおもわれました。
 ただ、何となく、ひとつだけ、わかった気がしました。
 おばけは、みんな、むなしい。人間も、みんな、むなしい。
 
百【やんぼし】
 
 初秋の大山に山登りに行った家族が、神隠しにあったという話は、長く村中に響き渡ったものでした。
 もう三か月も戻ってこない。
 その間も大山の天候は穏やかでした。
 今まで村のこどもが神隠しにあったことはあったが、家族がそっくり神隠しにあったのは初めてききました。
 ここは懐爺の出番、だとおもったかどうか、たぶんおもったのでしょう、ぼくは懐爺のところに走りました。
「せつないのう」
 ぼくはいいました。
「かみかくしは、おばけなんか」
「かみかくしもおばけの一種でしょうが、これは【やんぼし】のせいでしょう」
「【やんぼし】たあ、なんじゃ」
「金ちゃん、山伏とか山法師とか、知ってるでしょう。それを【やんぼし】ともいいます。ですから、もしかするとおばけではなくて、人さらいかもしれません。おばけを騙(かた)った人さらい」
「よけい、せつないのう」
 ぼくは奥歯を噛み締めました。
「なんとかならんのかのう」
「金ちゃんのたのみなら、わたしがなんとかみつけだしましょう」
 懐爺はぼくに、いくつかのものを持ってきてほしいと頼みました。
 ぼくは母親にないしょで、すぐに用意しました。
 懐中電灯と、黒合羽と、地下足袋と、鍬。
 鍬だけは何に使うのか、かいもくわからなかったものです。
 いずれにしろ懐爺は、深夜に大山に登って行きました。
 黒合羽を纏い、地下足袋を履き、懐中電灯を手にし、鍬を担いで。
 懐爺にいわれてぼくは一旦帰ったけれども、その夜は眠られませんでした。
 そうではない、眠ったのです。
 夢を見たのだから。
 心臓のあたりに、瘤(こぶ)ができて、大きくなる。
 みっともないから誰にもいえない。
 みるみる大きくなって、自分の身体よりも大きくなる。
 仕方なく自分で手術することにして、包丁で瘤を切り裂く。
 血飛沫(ちしぶき)があがり、中から登場したのは、桃太郎ではなく懐爺でした。
 血塗れの懐爺は、鬼の形相でした。
 ぼくは懐爺が、とてつもなく悪いことをしたのだと確信しました。
 たとえば村人皆殺しとか。
 それで懐爺をふたたび、瘤の中に戻そうとしました。
 でもうまくいかない。
 四苦八苦して大汗をかいて、目が醒めました。
 ぼくは母親に書き置きをして、夜明けとともに家を抜けだしました。
 âKに着くと、懐爺はすでに大山から戻ってきていました。
 懐爺は汗まみれでした。
 懐爺はぼくが貸した、懐中電灯と黒合羽と地下足袋と鍬を返してくれました。
「かいじい、なにをしてきたんじゃ」
 ぼくがきいても、懐爺は黙して何も語らなかったものです。
 ぼくがしつこいから、懐爺は困った表情で微笑しただけでした。
 だいぶ待ったけれども同じ事でした。
 しかたなくぼくは、家に帰りました。
 母親が、行方不明の家族が大山から降りて来たといいました。 
 わけをきいても、何も覚えていないといったらしい。
 学校帰りに役場の前を通りかかると、村人が数名集まっていて、こんな話をしていました。
 大山で、三人の山伏が、助けを求めていた。
 首まで土中に埋まっていて、半死半生だった。
 病院に担ぎ込んだが、三人とも記憶喪失になっているらしい。
 すぐにぼくは、懐爺のしわざだとわかりました。
 家に帰らずそのまま祠まで走ったけれども、懐爺はいませんでした。
 いくら待っても、帰ってはこなかったのです。
 懐爺は、行方不明になったのです。
(かいじいは、じんせいのささぶねに、なったのかのう) 
 ぼくは懐爺の言葉を、おもいだしていました。
「わたしも行方不明になったら、絶対に探さないでください」
 
【あとがき】
 
 懐爺にはその後一度も、会うことがありませんでした。
 祠の入口には、柵が設けられました。
 その頃ぼくは懐爺に、どうしても教えてもらいたいことがあって、それは、おばけがでたときのお呪(まじな)いでした。
 そのお呪いをすれば、おばけが消えるというお呪いではなく、そのお呪いをすればおばけと会話ができるというお呪いを教えてもらいたかったのです。
 しかも、【どくまる】との会話の百倍も。
 懐爺はいつ行っても何度行っても居ません。
「とっくに死んでいるんじゃ」
 と村人は噂していました。
「象と同じで、おばけにもおばけの墓場があってのう。そこに行ったんじゃ。あれはどうかんがえても、〈おばけじじい〉だもんな」
 たとえもしそうだとしても、ぼくは懐爺の幽霊に会えるはずだとおもい込んでいました。
 三年足らずのつきあいだったけれども、懐爺とぼくの関係は、だれとの関係よりも百倍は濃密だったと信じていたからです。
 ぼくは懐爺の幽霊に会いたくて、祠の近くを毎夜彷徨(ほうこう)したが、どうしても会えません。
 そうして、どういうわけか、その後は幽霊どころか、一度もおばけにも遭うことがなかったのです。
 けれども、たしかにこの目でみた、【うきもの】や【がしゃどくろ】や【さんりんさん】や【ぬらりひょん】や【まるのみおんな】などの映像は、いつまでも目の奥に焼きついています。
 懐爺の、懐かしい思い出とともに。
 あれから、半世紀。
 ぼくはずっとおばけとその仲間に関する本を読みつづけてきました。
 妖怪、怪異、物怪、怪獣、化身、悪魔、悪鬼、鬼神、魔神、幽霊、死霊、生霊、悪霊、夢魔、毒魔、などなど。
 なかでも上田秋成の『雨月物語』と、小泉八雲の『怪談』と、泉鏡花の『高野聖』は、ぼくの愛読書になったものです。
 おばけとその仲間とはまったく関係のない本でも、それどころか女性しか読むはずのない雑誌でも、その表紙に「妖」とか「怪」とか「化」とか「異」とか「鬼」とか「霊」とかが、かいまみえると、それらも必ず読んできました。
 「何とか異聞」などという、歴史・時代小説までも。
 小説とか研究書だけでなく、漫画とか画集も。
 たとえば、水木しげる、白土三平、つげ義春の漫画や、清宮質文の版画集は、繰り返しみつづけて飽きなかったものです。
 水木しげるは、ぼくにとってもおばけの宣教師でした。
 白土三平の創る忍者達は何かと解説が入っていても、ぼくにはおばけにおもわれました。
 つげ義春の漫画に登場する人間の多くは、おばけっぽかった。
 清宮質文の描くおばけは哀愁があって、ぼくの好きなおばけの見本でした。
 それで、ひとつの結論を掴んだのです。
 半世紀かけて、ようやく。
 おばけは、いる。
 悪鬼や幽霊のことはわからないけれども、おばけは、いるのです。
 【じめえ】も【たいようかめん】も【ばくはつ】も【やだやだ】も、もちろんいるのです。
 そうして、乞食でも忍者でもない、おばけの中のおばけ、偉大なるおばけ、【かいじい】。
 おばけは、いるのです。
 もしこの世が、未だ闇でないとしたなら。
 
 
                    『おばけの時代』(第一部終了)    

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