超ヒラリズム

【超ヒラリズム・令和5年9月・10月】陽羅義光
 
若山富三郎【超ヒラリズム0】
 
 やっぱり映画は二度三度と観ないとアカン。『ブラックレイン』は三度目だが、ようやく(ヤクザの親分の)若山が、英語で、原爆の黒い雨の話をしていたことが解った。それでブラックレインなのだ。あの映画はマイケル・ダグラスと高倉健、あるいは松田優作に目がいってしまうが、出番の多さからいっても、セリフの多さからいっても、なかなかの好演をしている若山が重要な役なのだ。
 
遠藤和さん【超ヒラリズム1】
 
 21歳で大腸ガンになり、それでも結婚し、出産し、24歳で亡くなった女性。その日記が本になった。その本以上に彼女の健気さを伝えるのが、映像である。可愛いその姿に、どうして夭折しなければならないのか、不思議な感じ。まだまだ医学はこれからだと思う反面、医学の限界を知ると、医学に頼らない人たちが出てくるのも不思議ではない。一刻も早くガンを撲滅しなければ。
 
山本五十六【超ヒラリズム2】
 
 五十六といえば、真珠湾攻撃である。真珠湾攻撃については、あれこれいわれているが、すべては結果論である。五十六がアメリカとの戦争に反対していたという事実はあるが、それでも戦争に突入したという事実もある。つまりは五十六は生粋の軍人であって、軍人を辞めることはできなかった。江戸時代の武士が、意に反した行動をさせられても、武士を辞められなかったことと同じ。
 
中河与一【超ヒラリズム3】
 
 これだという一作があれば、作家は残る。作家が残らなくとも、作品が残る。たとえば、中河与一の『天の夕顔』、中勘助の『銀の匙』、中里恒子の『時雨の記』、中里介山の『大菩薩峠』。みんな「中」なのはあえてそう記したので、どちらにせよ、この一作のみによって、日本文学史に足跡を残している。これが大切なんだが、私にはいまだにそれがない。あるのかもしれないが、解らない。
 
魯山人【超ヒラリズム4】
 
 私が鎌倉、江ノ島で仕事をしていたとき、魯山人の名をよく聞いた。魯山人の作品があるだの、魯山人の窯があるだの。だからといって魯山人を研究したことはなかったが、それは何となく、魯山人の頑固、偏屈、傲慢を感得していたからなのだろうが、じぶんが頑固オヤジになっている現在、魯山人のその作品、その美学を、ぼちぼち勉強しても、たぶんマチガイにはならないであろう。
 
三浦綾子【超ヒラリズム5】
 
 作家が作家の作品を解説するのは、なかなか難しい。じぶんの理屈もはいってくるし、嫉妬や羨望もあるから、素直には論じられない。三浦綾子にそういうことがまったくないのは、おそらく聖書の精神が根底にあるからなのだろう。つまりゆるぎのない愛情があるからで、『三四郎』や『放浪記』や『人間失格』に関して、素直に作品に入っているから、受け取るこちらも素直に聞ける。
 
チェ・ゲバラ【超ヒラリズム6】
 
 ゲバラの生き方に魅される男は少なくないにちがいない。私もそのうちの一人だ。しかし年をとってくると、彼は一種の中毒者だと思われる。だいたい医者だったのに、慢性喘息の身で、あれほど葉巻を吸うなんて、正気の沙汰ではない。闘争中毒になった彼は、「元革命家」として死にたくはなかった。「革命家」として死にたかったのだ。武力革命の闘士に、憧れすぎてはいけない。
 
穂村弘【超ヒラリズム7】
 
 穂村の読書日記を読んだが、彼が面白く感じるのは、あくまでも発想の面白さ斬新さであって、内容の重要さではない。だから、「蜘蛛三」とか「薔薇郎」などという主人公の名前にときめき、『貝殻館奇譚』とか『殺人出産』とかのタイトルに惹かれる。つまり彼はディレッタント歌人であって、本質的な歌人ではない。私はそういう人をけっこうスキなのだが、過大評価してはいない。
 
マルクス【超ヒラリズム8】
 
 若いころ私の本棚には『資本論』があった。あるだけでほとんど読まなかったのは、単純につまらなかったからだ。そのころから既に私は、多分感覚的に、資本主義とか民主主義とか、あるいは社会主義とか共産主義とかも、信じていなかった、というよりも、永遠のものではないと考えていた。文学の自然主義とか浪漫主義とか実存主義とかを、永遠のものではないと考えるのと同様に。
 
藤井聡太【超ヒラリズム9】
 
 どんな世界でもそうだが、一人の天才によって、その世界が大人気となる。プロレスの力道山、プロ野球の長嶋がそうだった。そして今や将棋の藤井。藤井君の活躍と存在が、ほとんど消えかかっていた将棋界が脚光を浴びることとなった。私の孫たちも将棋をやっているくらいだから、凄い人気になったものだ。尤もそれだけの深さと広さがある。「盤上の宇宙」とはよくいったものだ。
 
司馬遼太郎【超ヒラリズム10】
 
 文学だって同じことで、一人の天才が現われなければ、そして現われない歳月が長くなれば、衰退するのは当然のことである。文学という言葉では、夏目漱石以後、だれも出てはいないが、小説という言葉では、司馬遼太郎が出た。けれども司馬が亡くなってからは、こういう国民作家が出てこないものだから、小説も他のジャンルに圧されっぱなしである。なれるものなら私がなりたいが。
 
中原中也【超ヒラリズム11】
 
 文学とか小説とかいう言葉では、天才の出現は難しくとも、詩という言葉の範疇からは、日本でもずいぶんと天才が出たものだ。むろんボードレールやランボーと比較はできそうにないが、石川啄木、宮沢賢治、萩原朔太郎、室生犀星、高村光太郎、伊東静雄、三好達治、西脇順三郎などなど。そして天才のなかの天才が中原中也。ただ何となくだが、中也二世が出てきそうな予感はする。
 
葉室麟【超ヒラリズム12】
 
 この作家が出てきたとき、藤沢周平のエピゴーネンの印象があったが、十年ちょっとの作家生活で亡くなり、調べてみると厖大な作品が残っている。エピゴーネンにはこういうことはできない。しかも内容が充実している。作家になる前に、かなりの草稿が書かれていたにちがいない。私もずいぶん発表していない作品が多く、げんなりするが、ストックと思えばわるいことでもない。
 
栗山大膳【超ヒラリズム13】
 
 黒田藩の藩主が謀叛の疑いありと、お上に訴え出た筆頭家老である。どうしてそんな妙なことをやったかというと、幕府に黒田藩改易(おとりつぶし)の動きがあったからで、訴え出ることによって、審議となり、大膳の主張を、他の重臣たちが次々と否定することによって、大膳の訴えがマチガイであったことが解ってくる。これでは改易したくともできない。これを苦肉の策という。
 
ハン・ヒョジュ&ハン・ジミン・【超ヒラリズム14】
 
 『トンイ』のハン・ヒョジュと『イ・サン』のハン・ジミンがそっくりだということは、韓流ファンならだれでも知っているらしい。私は同一人物か、それとも姉妹かと思ったが、大の仲良しということらしい。だから、演技が似ているし、整形で同じ顔にしたのかもしれない。それでも顔のみならず性格も可愛い、気がする。私はヒョジュもジミンも好きだが、どっちといわれても困る。
 
あいみょん【超ヒラリズム15】
 
 けしからんことにブサイクだとかいうやつもいるが、当たらずとも遠からず。けれどもそれ以上に、あいみょんは可愛い。娘にしたいほど可愛い。あいみょんのお父さんが羨ましい。それにたしかな才能がある。あいみょんはもっともっと人気が出るし、もっともっといい歌が生れる。私が好きなのは『裸の心』だが、こういうメロディーを基本にがんがん作るべきだ。私は応援する。
 
原田甲斐【超ヒラリズム16】
 
 伊達騒動の重要人物である。長く悪役として有名だったが、いつからかこれは、伊達藩を改易から守る命がけのやり方だという評価となってきた。私見では、幕府の改易政策の悪辣さもあるが、藩を守ることが命がけのものであるのか、改易するなら勝手にしろという具合いにならないものか。改易から逃れた薩摩や長州が、幕府を倒したんだから、幕府も要注意の藩は多かったのだ。
 
神田沙也加【超ヒラリズム17】
 
 まったく若い人が自殺なんかすると、可哀そうで、アタマが痛くなる。転落って線もあるが、ザードもそうだったが、転落してしまうのも、自殺とほとんど変わりない。しかも神田さん松田さんにとっては一人娘。言葉にならない衝撃なんだろうと推測する。若い人は自殺も転落もしてはいけないんだ。人間みないつかは死ぬのだから、どんな理由があろうとも、死に急いではいけない。
 
錦鯉【超ヒラリズム18】
 
 МⅠグランプリなるものを初めて観た。漫才で笑いを取るのは、難しい時代になっていると思われる。なぜなら、笑っている場合ではない世の中であるからで。だから例えば大物といわれている人たちでも、漫才をやらなくなって、ピンでМCとかやっている。私は錦鯉を予想して、競馬は的中しなくとも的中したのは、バカバカしいからで、今後どこまでバカになれるかが勝負なのだ。
 
草彅剛【超ヒラリズム19】
 
 草彅の名演技で慶喜の評価が上がった感じがするが、実態はあんなもんじゃない。最近私は『慶喜とその時代』を書き上げたが、慶喜のせいでどれだけ人間が死んだか。そのなかで一番ひどい目にあったのは会津だ。結局、慶喜に振り回されて、慶喜が勝手に恭順をきめこんだものだから、薩長の矛先が会津に向かった。渋沢栄一がまとめた『慶喜公伝』は身贔屓だから、アテにならない。
 
松田聖子【超ヒラリズム20】
 
 聖子が紅白歌合戦を辞退したのは賢明であった。なぜなら娘の件がらみではあるが、ここ数年もしくは数十年の紅白は、歌を聴かせるという第一義を喪い、大騒ぎイベントに堕しているからで、そういう場に不幸な人は出られない。紅白の堕落は、ジャニーズと秋元グループのタレントが中心になってから、さらにひどくなっている。私は習慣だから見るが、聴くのは数人の歌手に限られる。
 
マツコ・デラックス&三浦じゅん&クロちゃん【超ヒラリズム21】
 
 オカマ・オタク・ヘンタイが現代の三種の神器、というか、まァこのどれかに関係していれば、テレビではもてはやされるんだ。もしかすると、芸術、なかでもブンガクの世界にも、同じ状況がきているのではないか。これはちっとも不思議ではなく、歴史を望見すれば、虐げられた人びとが、頭角をあらわすということは必ず起きるのである。こういうことはたしかにデラックスでアル。
 
松山千春【超ヒラリズム22】
 
 だれでも、というか、歌好きの人には、かならず十八番というものがあって、何かというと、それを歌い出したりする。私にもそれがあって、カラオケで『抱擁』なんて歌を歌うと、周りがオオオと声をあげてくれたりしたものだ。じぶんでは『窓』を歌うと泣けてくる。この窓を開いて自由になりたい、と歌うと、グッとくるのである。ただ点数がいいのは『サザエさん』で、100点取った。
 
桂銀淑【超新生ヒラリズム23】
 
 個人的にも知っていて、よく六本木のパチンコ屋で一緒になった。コンサートにも招かれて、ステージから紹介してもらったこともある。彼女がクスリで第一線から遠ざかったのは、とても残念だった。彼女の歌はみんな好きで、『陽羅演歌全集』にも三つ四つ入っている。あのハスキーな声はとても真似ができないが、テレサ・テンと並ぶ哀感がある歌手だった。いまどうしているのかな。
 
藤圭子&中森明菜&森田童子【超ヒラリズム24】
 
 我が歌手のベスト・スリーは、(美空ひばりとか島倉千代子とかの巨星はさておくとして)藤圭子・中森明菜・森田童子かな。藤圭子が好きだったから、宇多田ヒカルにものめりこんだ。中森明菜は、もう世間に出なくなってから好きになった。森田童子は好きになったら、すぐに亡くなった。それでも結婚して還暦をこえたらしい。そういうイメージではなかったから驚いたケレド。
 
荒木一郎【超ヒラリズム25】
 
 じぶんの商売でもないのに、嫉妬したシンガーソングライターがいて、それは荒木一郎に尽きる。どうしてあんな素敵な歌が作れるんだろうと、ヤキモチをやいたわけだ。『空に星があるように』『今夜は踊ろう』『いとしのマックス』などなど、マイリマシタ。あんな愚劣な事件を起こさなければ、もっともっと活躍できたのにと思うと残念だが、いい気味だという気持も多少はあった。
 
藤井風【超ヒラリズム26】
 
 一昨年の紅白歌合戦の一番は、藤井風だナ。というか、他は才能あるあいみょん。ピアノを弾ける人はいい。私も弾きたかったが、いや実際に弾いて、母は身贔屓で「リストみたいだ」と、私のいいかげんなピアノを楽しみにしたものだ。しかし指が短いからピアノはダメだ。ギターもダメ、楽器はみんなダメ。藤井みたいに長い指をしていないとネ。それにしてもあのピアノは強味だなァ。
 
上白石萌音【超ヒラリズム27】
 
 紅白歌合戦で、参加歌手のみんなが、萌音のそばにやってくるという話を聞いたが、嘘か真か、たぶんマコトであろう。とにかく小さくて可愛くて、気さくで優しくて、もちろん演技も歌も上手。カッコイイところやトッポイところや、あるいはイマドキ感がなくて、ある意味ではあいみょんより普通っぽく、年配者でも声をかけやすい。恋人にするなら萌音、結婚するならもちろん萌音。
 
釈迦【超ヒラリズム28】
 
 いろんな人が釈迦を書いているが、最も解りやすくて、内容もしっかりしているのが、武者小路実篤の『釈迦』であろう。若い頃に武者小路の『友情』などの現代小説を読んだが、残念ながら『釈迦』の存在を知らなかった。もし知っていても読まなかったにちがいない。これは私にとって不幸なことであった。釈迦を学ぶと、そこには空海も親鸞も道元も在る。仏教はまず釈迦からなのだ。
 
村上春樹【超ヒラリズム29】
 
 春樹の作品の大半は、好きで読んでいる。読んでいないのは、紀行作品くらいか。最近『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだが、これは自分史的エンターテインメントであった。やはり春樹のほとんどの小説は、いいとかわるいとか、ではなく、エンターテインメントで、司馬遼太郎論がつまらないのといっしょで、村上春樹論がつまらないのは、そのためであろう。
 
マリア・シェル【超ヒラリズム30】
 
 ゲーリー・クーパー主演の西部劇映画『縛り首の木』をテレビで観た。クーパーの映画は大半観てきたが、このタイトルを嫌ってこれだけは観なかった。今回はこのタイトルに惹かれて観たが、これを名画たらしめているのは、ヒロインを演じたマリア・シェルの存在である。『居酒屋』『白夜』などの名女優であるが、気丈な女性を見事に演じていた。クーパーは相変わらずのクーパーだ。
 
ゲーリー・クーパー【超ヒラリズム31】
 
 アメリカ映画で最高の俳優は、ジョン・ウエインとゲーリー・クーパー。クーパーの凄いところは、共演の女優を極めて魅力的にさせる点にある。マレーネ・デートリッヒもそうだし、イングリッド・バーグマンもオードリー・ヘップバーンもマリア・シェルもそうだ。日本映画では高倉健。藤純子、吉永小百合、田中裕子、倍賞千恵子、いしだあゆみなど。さて私の共演女優はいかに。
 
瀬戸内寂聴【超ヒラリズム32】
 
 寂聴さん九十九歳での大往生。でも百歳までいってほしかったネ。寂聴さんは私が日本文芸大賞を受賞したときの、大賞受賞者だから、思い入れはあった。何を頼んでも「お布施頂戴」という噂はあったが、お金を稼がなきゃならない理由があったんだろう。瀬戸内晴美のままだったら、歴史に残らなかったけれども、寂聴になって歴史に残る存在になった。どうでもいいことだけれどもサ。
 
高木美帆【超ヒラリズム33】
 
 北京冬季オリンピックに於いて、メダル獲得という意味で、最も期待されるのはスピードスケートの高木美帆選手である。が彼女はなぜか人気がない。メダル獲得が難しい選手や、あるいはフィギュアやモーグルの選手などが話題にされることが多い。愛嬌がないからだろうが、スポーツ選手はタレントではない。まだ頭角をあらわす以前から彼女を応援していた私には、納得がいかない。
 
藤井聡太【超ヒラリズム34】
 
 藤井棋士が七冠となった。奇跡の少年というのは、大袈裟でも何でもない。ともかく彼の登場によって、ほとんど消滅しかかっていた将棋界は救われたといってもいい。どんな世界でもそうだが、ひとりの大スター(ビッグヒーロー)によって、活気を呈する。日本文学が衰退しているのは、文学の消滅ということではなく、大スター(ビッグヒーロー)作家が登場しないからだ。はてさて。
 
石原兄弟【超ヒラリズム35】
 
 前回選挙に負けた兄弟ではなく、その父親の石原慎太郎と、その弟石原裕次郎。この二人は、衰退しがちだった文学界と映画界に再びの活気を与えた大スター(ビッグヒーロー)だった。残念ながらその後、文学界と映画界にこの兄弟に匹敵する存在が現われなかったので、今日の結果となっている。マンガやアニメの世界では、(仮想空間だが)それが誕生しているから、元気がいいのだ。
 
ナースチェンカ【超ヒラリズム36】
 
 看護婦ではない、ドストエフスキーの『白夜』のヒロイン。現代でも通用する三角関係。孤独な若者が乙女に恋をしたが、彼女には忘れられない恋人がいて、長く会えないでいたのに、ここぞというときに恋人が登場して、ナースチェンカは孤独な若者に感謝しつつ、恋人の元へ走る。しかも残された若者は二人を祝福する。ドストらしくもない結末ではある。だが祝福の裏に呪詛がある。
 
横井庄一【超ヒラリズム37】
 
 小野田さんもそうだが、横井さんに関して再度光を当てなければいけない。つまり戦争を知らない若い日本人が、戦争ゲームに夢中になる時代に、戦争の悲劇をしっかりと伝えるには、どんな小説よりも横井さんの存在がいちばん。横井さんは民兵を二人殺したといって、お国からその発言を覆された。お国に庇護されている身として、言葉を自ら断った。その言葉の復活が待たれる。
 
ヒットラー&スターリン【超ヒラリズム38】
 
 横井さんは、日本人は熱しやすく冷めやすいと歎いているが、それは日本人にかぎらない。ヒットラーに対する熱狂、スターリンに対する服従、あれらはいったい何だったのか。熱しやすく冷めやすいのが問題ではなく、熱しやすいのが問題なのであって、それは日常生活にもゴマンとある。私はいつも愚妻に、つまらんことで大騒ぎするなという。愚妻はつまらんことが大事と反論するが。
 
プーチン&習近平【超ヒラリズム39】
 
 英雄願望はアカンと私は何度もいっているが、それは独裁者を誕生させるという意味のみならず、弱者に対する差別や虐待などの人権問題に必ずつながるからである。英雄願望と優生志向とは無関係ではなく、害あって一利なしというのは、独裁者のことをいうのである。私は活性化のためにはビッグヒーローが要るといってきたが、むろんビッグヒーロー=独裁者ではない。
 
井伏鱒二【超ヒラリズム40】
 
 これは歳のせいか、それとも。最近は、井伏鱒二など、そういう渋いひとの作品を再読したくなってしかたがない。太宰治とか三島由紀夫とか、そういう華やかなひとの作品は、もう眺めるていどでいいって様子になっている。太宰治論を書き三島についてもずいぶん書いてきたのが不思議なほどである。もしかすると文学の醍醐味は渋さなのかもしれない。井伏は思いの外なかみが濃い。
 
丹羽文雄&石川達三【超ヒラリズム41】
 
 文学の世界も消耗がひどすぎるというか、十年一日の逆というか、あるいは毀誉褒貶というのか、何といったらいいかわからん。私の若いころには文豪扱いだった作家が、亡くなってまだ二三十年というのに、もうだれも読まなくなっている。例えば、早稲田の先輩だからあえていうが、丹羽文雄、石川達三など、図書館に行っても書棚にない有様。諸行無常。文学も時代に流されるか。
 
正宗白鳥&深沢七郎【超ヒラリズム42】
 
 文学全集などでは、よく作家と作品という表題で解説がなされることが多いが、作家と作品は切り離して考えなければいけないという考えの文芸評論家も増えてきた。それが正解。だが読者には野次馬根性もある。これは日本の場合、私小説というものの弊害の一面だが、それでも解説されて面白い作家もたまにはいる。昔なら正宗白鳥、深沢七郎など多いが。今は三浦清宏サンくらいだナ。
 
三浦清宏【超ヒラリズム43】
 
 どうして三浦清宏サンが面白いかというと、極めてインテリでありながら、禅と心霊の研究家であるという点にある。研究家というよりもそれらは五体に沁みついていて、禅と心霊ぬきには三浦清宏文学を語れないからである。そういうものは、私の若いころは作家としてはマイナスであった。宗教はもとよりスピリチュアリズムにはまった作家なぞ信頼できないという者ばかりだったガ。
 
内田百閒【超ヒラリズム44】
 
 正宗白鳥、深沢七郎、三浦清宏を、人間として面白いと書いたが、私がいちばん面白いと感じているのが、内田百閒。何よりもその借金王ぶりが凄いし面白い。その実態を知ると、私を含めて借金で苦しんでいるひとは、とても楽な気分になる。借金を返さなければいけないという強迫観念で自殺するひとも少なくないが、彼らがもし内田百閒を知ったなら自殺をとりやめるにちがいない。
 
久世光彦【超ヒラリズム45】
 
 あらためて久世の文章を読んでいたら、やはり名文だと思った。名演出家ではあるが、作家としては玄人になる前に亡くなってしまった。それなのにどうして名エッセイストなのかというと、コトバが好きで好きでたまらないのだ。シナリオのみならず、詩も作詞も。そしてそのコトバが放つ光と闇を嗅ぎ分けることができる。このひとのエッセイに書かれた女優や詩人は羨ましい。
 
玉置浩二【超ヒラリズム46】
 
 いま日本でいちばん上手い歌手は、玉置浩二だそうである。そんな噂を息子から聞いたばかりのときに、久世光彦のエッセイに玉置浩二が出て来たので驚いた。しかも久世はあの歌を玉置浩二に歌ってもらいたいと書いていたのだ。久世の文章のうまさは、コトバが好きで好きでたまらないからであり、同じ意味で玉置の歌のうまさは、歌うことが好きで好きでたまらないからだと覚った。
 
山下清【超ヒラリズム47】
 
 絵などはいちばんそういうことがいえるのではないか。描くこと創ることが好きで好きでたまらないひとは、偉大な画家になる。色だの形だの何かと理屈はあってもそれはそれであって、画家自身には、ただその一点しかない。山下清を私はむろん偉大な芸術家だと考えていて、山下清を想像するとき、いつもいつも創作している感じがする。まァたまにはおにぎりを食べたくはなるが。
 
谷崎潤一郎【超ヒラリズム48】
 
 小説も同じことがいえるかどうかは断言できない。というのは小説家それぞれの文章作法というものがあって、また頭でっかちな文学思想というものもあって、それらが邪魔をするからである。それでも(作家一覧を見廻してみて)小説を書くことが好きで好きでたまらなかった、作家のいちばんは、大谷崎だと思われる。小説の評価は文芸評論家にまかせて、いわば只管打坐を貫いた。
 
井上靖【超ヒラリズム49】
 
 井上靖を読みたくなることがある。大凡暗い気分のときで、私の暗い気分が井上靖を求めるのだ。小説も詩も暗い。透明感とか理知的とかもいわれるが、それも含めて暗いので、伊東静雄の透明や大岡昇平の理知とは異なる。どうして暗いのか、私には解らない。井上靖だって、お前なんかに解られてたまるかと思うにちがいない。あれこれ読んで、結句厭になる。暗いユーモアがほしい。
 
利休【超ヒラリズム50】
 
 利休に関しては若いころから興味があった。とくに秀吉と利休の関係について。母が裏千家の師匠であり、私もお茶をいささかやっていたからであろう。利休に関するものをあれこれ読んで、最もピンときたのは井上靖の短篇『利休の死』であるが、それでも完全に理解したとはいえない。だが権力者にとって、殺したいその相手とは、己を脅かすものである。己の座と己の精神とを。
 
宇良【超ヒラリズム51】
 
 大相撲はここ数年、照ノ富士を応援している。序二段まで落ちて、横綱までになった。こんな相撲取りは照ノ富士が初めてで、大相撲の歴史に残る力士になった。立派なもので見習いたいけど見習えない。宇良も同様に怪我で序二段まで落ちて、幕内にあがってきた。精進した結果で、これからも大いに頑張って欲しい。大相撲にかぎらず、他の世界でも、こういうひとが好きなんだよナ。
 
菅田将暉【超ヒラリズム52】
 
 菅田将暉と小松菜奈は夫婦で演技派だ。最近は人気者でもずいぶん早く結婚するようになった。ひと昔ふた昔前なら人気の凋落を気にして、つきあっていても、なかなか結婚できないでいるスターが多かったものだが、いい傾向だ。結婚しても仕事は減らないという、自分の実力に対する自信があるからなのだろう。逆にいえば結婚しないのは、自分の実力に自信がないからなのだヨ。
 
ジャニーズ【超ヒラリズム53】
 
 ジャニーズが出る歌番組は観ないことにしている。玉置浩二や宇多田ヒカルを聴いているものにとっては、ジャニーズの歌なんかとても聴けない。それでもなかなかの役者が揃っている。ワイドショーでも面白いし、映画やドラマもよく観る。とにかく仲間が多いから、切磋琢磨というか競争意識というか、そういうものがパワーになっているんだナ。不満はあっても数は力ということだ。
 
羽鳥慎一【超ヒラリズム54】
 
 羽鳥慎一モーニングショーを毎日観ているのは、玉川さんが面白いからだが、羽鳥さんの奥ゆかしさもあるナ。自分の名前をいうときに小声になる。安住さんもそうだが、好感度の高いМCはみんな奥ゆかしさがある。何かあったときに、「ごめんなさい」がいえる。プロデューサーのミスでも、МCが「ごめんなさい」。番組でだれかを追いつめて、素直に「ごめんなさい」をいっていたナ。
 
ドストエフスキー【超ヒラリズム55】
 
 だれだったか忘れたが、だれかが文芸対談でドストは汚い爺さんだといったが、だれかが指したドストの写真は、いまの私よりも二十歳も若いものだ。ちくしょう、年寄り差別発言だ。基本的にというか本質的にというか、爺さんは汚いもので、奴だってあと二十年もすれば汚くなる。爺さんがそんなこといわれないようにするためには、大金がかかるのだ。よって貧乏人差別でもある。
 
カミュ【超ヒラリズム56】
 
 ドスト原作の映画には、観るべきものがない。『白夜』も。同様に、カミュ原作の『異邦人』の映画もつまらなかった。考えてみれば、どちらもマストロヤンニ主演だった。これはマストロヤンニがわるいのではない。なぜならチェーホフ原作の『黒い瞳』は面白かったからだ。この理由はひとつしかなくて、ドストやカミュの小説は、その物語よりもその文章が面白いからなのである。
 
西野七瀬【超ヒラリズム57】
 
 秋元プロジュースのワイワイガヤガヤメンバーで、卒業して人気が落ちないアイドルは珍しく、前田、大島、板野、高橋、白石、平手などなど、総崩れのなかにあって、かつて私はサッシ―の一人勝ちと書いたが、七瀬もなかなかのもんで、彼女の魅力はCМを観ただけで一目瞭然である。もし私が監督ならやはり使いたくなる女優になってきた。白石にも頑張ってほしいが、美人すぎる。
 
田島貴男【超ヒラリズム58】
 
 私がアイドル好き、若いタレント好きと思ったら、オオマチガイだゼ。やっぱり紅白歌合戦なんかは、実力派歌手のオンパレードであってほしいネ。かつてアイジョージが出ていたころが懐かしい。ジャニーズとか口パクグループは外して、五木ひろし、細川たかし、吉幾三。演歌以外なら、玉置浩二、桑田佳祐、泉谷しげる、そして田島貴男だヨ。田島には『接吻』という名曲があるが、何を歌っても上手い。まァ十人力の宮本浩次も常時出演してほしいなァ。
 
バイデン大統領【超ヒラリズム59】
 
 バイデンの演説には好感がもてるが、なんとも迫力のないトップである。トランプにけったいな迫力があったので、その対比でそう見えるのか。岸田首相もまったく迫力がないから、だんだんこうなっていくのかもしれない。立憲民主党の代表も、迫力のなさにかけては、ひけをとらないので、それぞれこんな調子でいいのかも。迫力抜群の政治家が登場した時代は、暗い時代だった。
 
小池都知事【超ヒラリズム60】
 
 迫力がないといえば、小池さんも元気ない。石原や猪瀬よりはるかにマシなので、ずっと応援はしているが、過労というよりもどこかに病気が発生し、持病になりつつあるのではないか。杞憂ならバンザイ。アントニオ猪木じゃないが、元気が一番。そういう猪木亡くなってしまった。歳には勝てぬと昔からいうが、勝ってもらいたいな。できれば、寂聴さんや佐藤愛子さんくらいは。
 
落合博満【超ヒラリズム61】
 
 テレビで久しぶりに落合の顔を見たが、さすがの彼も元気ない。大病でもやったのかも。歯にもののはさまった言い方は、相変わらず健在だが、健在という文字は当たっていないので、顕在にする。いま落合のことを書いた本がバカ売れしたが、これは監督落合に関する本である。私が好きだった選手落合の凄さに関する本が出てほしい。三冠王三度というのは、ハンパじゃないゼ。
 
白鵬【超ヒラリズム62】
 
 プロ野球選手の凄さを王や落合が代表するなら、大相撲力士の凄さは千代の富士と白鵬が代表した。その白鵬が引退して現在宮城野親方となり、大相撲放送の解説に登場する。聞いていて、やはり大横綱の凄さを感じた。ひとつひとつの言葉に、体験が裏打ちされた説得力がある。こういう横綱にはもはや、お目にかかれそうもないが、いつの日か彗星のごとく登場してほしいものだネ。
 
ワダエミ・和田勉【超ヒラリズム63】
 
 いまは真似をするひとが増えたが、ワダエミの衣裳デザインは独創的だった。和田勉はいい奥さんを持った。勉さんが亡くなって何年経つのだろう。奥さんも亡くなった。私は勉さんに長い手紙をもらったことがある。私の小説の映画化云々も書かかれてあったが、大林宣彦さんだって、そういっていて結局無理だったのだから、勉さんに期待はしなかった。でもホントにいいひとだった。 
 
木下都議【超ヒラリズム64】
 
 たび重なる無免許運転その他で、辞職勧告二回。それでもなかなか辞めなかったのは、なぜか。雲隠れしても給与もボーナスも出る。普通の会社なら即刻クビだ。とはいえ彼女のせいで、いやおかげで、政治家というものが国民とかけはなれた生活感覚の人種だと、あらためて問うことになればいい。私は半世紀前から強調しているが、政治家はすべて国民の平均年収にしなければならン。
 
舞の海【超ヒラリズム65】
 
 大相撲の解説は、やっぱり北の富士さんと舞の海だなァ。北の富士さんは貫禄とユーモアがある。舞の海は喋りがうまいし。大相撲も問題が多いが、解説に関していまは問題がない。あるとすればポスト北の富士さんだが、これは白鵬(宮城野親方)がいい。やっぱり相撲の第一人者のコトバは重い。ついでにいうと、あの高い土俵は大怪我に繋がる。もっと低くするかマットを敷くべき。
 
幡随院長兵衛【超ヒラリズム66】
 
 風呂場で襲うというのは、暗殺の常套手段。源義朝や太田道灌なども風呂場でやられた。なのにどうして(町奴の頭領)幡随院長兵衛は、敵対する(旗本奴の頭領)水野十郎左衛門の屋敷に行き、しかも風呂に入ったのか。池波正太郎の『侠客』では、水野は長兵衛の恩人ということになっている。その解釈なら納得できる。だが長兵衛は自分の命と引き換えに和解を計ったのだろう。
 
習近平【超ヒラリズム67】
 
 前に独裁者による人類に対する多大な弊害を云々したが、それ以前の問題として、民主主義か専制主義かということがある。コロナとAIの時代において、中国風専制主義がますますはびこるにちがいないが、これには民主主義の責任も大いにあるわけだ。「自由と平等」というが、これだけの格差社会を作り出し、自由はあっても平等なしの国に対する、疑問や不満が噴出するのは当り前。
 
自民党総裁【超ヒラリズム68】
 
 日本がこれほどひどい格差社会になったのは、むろん代々の自民党政権の責任である。アメリカ様様の政治に対する、反省とか反動とかがもう突出してもよさそうだが、なかなかそうならないのは、国民が無自覚に洗脳されているからにほかならない。むろん代々の日本の文化人が、アメリカ文化にこよなく溺れてきたせいもあるのであって、日本の本質的な独立はまだ成っていないのだ。
 
ドナルド・キーン【超ヒラリズム69】
 
 キーンほど、日本文学にとってありがたい存在はなかった。キーンに恩恵を蒙った作家はすくなくはない。ただキーンは、『源氏物語』に代表される日本の古典文学が好きで、よってそれに影響を受けた谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫などを高く評価していたのだ。大江健三郎や安倍公房とも親しかったらしいが。けれどもこれからは、こういう存在をありがたがることはできない。
 
三島由紀夫【超ヒラリズム70】
 
 キーンがどんなに誉めても、三島文学はそう高級なものではない。深沢七郎は「少年文学に過ぎない」といっているが、そこまでいわないまでも、キーンがほめる代表的小説『金閣寺』や戦後戯曲の最高作とする『サド公爵夫人』を再読したが、面白いけどちっとも感動はしなかった。つまり三島の面白さとはエンタメの面白さであって、それ以上ではない。その点で村上春樹に似ている。
 
久坂葉子【超ヒラリズム71】
 
 私の娘の名は、久坂葉子からとったのではない。有島武郎の『或る女』の主人公でもなく、記憶がたしかならば、樋口一葉の葉をもらったのだ。ともかく、久坂葉子がどうして21歳で自殺を遂げたのか。私見では美人だったからと考える。東の曽野綾子西の久坂葉子と呼ばれたらしい。美人を売りに本人も動いたし、島尾も富士も若杉も庄野も井上も美人を迎え、美人をもてあました。
 
久世光彦【超新生ヒラリズム72】
 
 最近、久世のことを何度も書いている。会いたかったひとということかナ。久世の『足には黄金の靴を穿き』は、長くはないが色々いっぱい詰まった小説的エッセイ、エッセイ的小説である。久坂葉子もここに出てきた。格別印象的なのは美人の隣の奥さんが烈しい悋気で憤死した場面。暴れる奥さんのワンピースの裾がめくれ女陰が「火焔太鼓のようだった」というところ。オソロシイ。
 
前沢友作【超ヒラリズム73】
 
 おいちゃんが寅さんのことを「あいつ、ほんとに、バカだねえ」という。このセリフを前沢に使いたい。尤も、寅さんはちっぽけなバカだが、前沢はでっかいバカ。ロシアの宇宙ロケットで国際宇宙ステーションに行くらしいが、ロケット開発も宇宙開発も、地球制覇のための道具だってこと、前沢は知っているんかいナ。アポロだって、ロケット弾作った元ナチスの科学者が作ったのだ。
 
飛車角と吉良常【超ヒラリズム74】
 
 侠客というのは、もういなくなった。あとは薄汚いヤクザばかり。クスリとオレオレ詐欺で稼ぐ。実在の人物である清水次郎長や新門辰五郎もいいが、私にとっての侠客は、やっぱり尾崎士郎『人生劇場』の飛車角と吉良常だナ。いまから思えば東映の任侠映画も、鶴田浩二が極めつけだということ。私は中村錦之助から入り高倉健にはまったが、鶴田は筋金入りの任侠役者だったヨ。
 
谷崎潤一郎【超ヒラリズム75】
 
 また谷崎だが、ファンというわけではない。谷崎が珍しく父親のことをを書いた一文がある。ただの平凡な、うるさいオヤジだったので、不思議な感じがした。大文豪のオヤジらしくない。けれどあんなオヤジだから、母恋物語が誕生したのかもしれないのだけれど。それにくらべて私のオヤジは優しかったナ。だから母恋物語を書いても、大文豪どころか小文豪にもなれないのかもネエ。
 
フランケンシュタイン【超ヒラリズム76】
 
 以前よく聞かれたのが、あなたの子供のころのヒーローはだれかということで、そりゃあのころもテレビはなくともマンガは人気だったから、赤胴鈴之助とかリボンの騎士なんかはヒーローだったはず。でも内心ではノートルダムのせむし男とか、デロリンマンとか、フランケンシュタインとか、いささかバケモノじみたのがヒーローだったネ。だから安藤昇の顔の疵はカッコよかった。
 
櫻井よしこ【超ヒラリズム77】
 
 金曜日の朝刊は、自民党系(なかでも右派)の雑誌の広告の曜日である。櫻井よしこと百田尚樹は必ず登場する。それらの見出しを眺めていて、吹き出すことがすくなくない。ううむ、自民党シンパはけっこうユーモアがある。櫻井はテレビに出ていたとき信頼していたし、百田の小説も嫌いではないが、これら笑える見出しを眺めつつ、人間こうはなりたくないなと心底思うのであるヨ。
 
島尾敏雄【超ヒラリズム78】
 
 傑作と評される『死の棘』を、個人的にはあんまり高く評価していない。正直に書けば小説になれるなんて勘違いだ。島尾の愛人に関しては、だれもその正体を掴めていない。私は天才少女作家といわれた、久坂葉子だと考えている。久坂は二十一歳で自殺しているが、ミホさんとしては、自殺された愛人ほど神経に障る対象はいなかったのだろう。私の推測が勘違いだったらゴメンナサイ。
 
草刈正雄【超ヒラリズム79】
 
 俳優の存在というのは不思議なもので、何かの拍子で覚醒すると、何段も何十段もアップしてしまう。松重豊とか光石研とか吉田鋼太郎とか田中圭とか。なかでも草刈は凄い勢いだったが、その勢いのままにやっている養命酒のCМ「別れてしまいなさい」は更に凄かった。疲れと別れてしまいなさいという意味だが、とてもそうは思えないフシがあって、CМも演技力がものをいう。
 
中原中也【超ヒラリズム80】
 
 詩人の中の詩人というものがあって、それは詩人になるために生れてきたというか、詩人でしか生きるすべがないというか。そんな詩人は日本では唯一、中原中也にちがいあるまい。石川啄木は何よりも歌人だし、宮沢賢治は童話作家だし、高村光太郎は彫刻家でもあるし、島崎藤村は小説家としても偉大だし、萩原朔太郎は評論家でもあるし、吉本隆明は思想家だし、私もアレコレだし。
 
照ノ富士【超ヒラリズム81】
 
 いま朝日が登ろうとしている。雪をいただいた富士が見える。怪我をして病気をして、序二段まで下がり、そこから這い上がっていまや大横綱。満身創痍になって、他人事ではなくなった。ひそかに応援してきた。どれほどの努力をしたのか。大相撲ファン歴七十年、こんな力士は初めてだ。多くの相撲ファンの励みにもなっている横綱照ノ富士。最近また休場が多いが、しかたないヨ。
 
ヒラ【超ヒラリズム82】
 
 想い返してみれば、有名作家や人気作家と接する機会は多かったが、あえて近づかなかったし、出版社に飛び込む機会がないわけではなかったが、作家としての己を曲げてまで、へりくだることはできなかった。積極的で活動的な性格のはずが、作家としてはじぶんが一番のつもりでいた。いまでもそう信じているが、当然のことに周りはだれもそう思ってはくれない。そういうもんさ。
 
フロイト【超ヒラリズム83】
 
 フロイトの著作はほとんど読んできたが、読み残したものを最近読んでみた。興味深かったのはナチスとユダヤ人の関係で、アウシュビッツの悲劇がなぜ起きたのか。虐待は基本的に、強者が弱者に対して行なうもので、この問題は世界的にも続いている。しかしユダヤ人は弱者ではなかった。従って外面的には、強者であった貴族を、片っ端からギロチンにかけたフランス革命に似ている。
 
ギャル曽根【超ヒラリズム84】
 
 大食いは見ていて気持のよいものだ。気持悪い食べ方の芸人もいるが、ギャル曽根は食べ方がきれい。私もかつて食べ放題にチャレンジしたが、腹の激痛で生きた心地がなかった。もう金輪際やらない。同時に激辛コーナーもあったが、あれはギャアギャアいわないと絵にならないから、あえてギャアギャア叫ぶタレントを呼ぶ。みんな平気で完食したら番組としてつまらんからだヨ。
 
織田信長【超ヒラリズム85】
 
 歴史上の人物で、どうしても好きになれないのが、信長で、何よりその唯我独尊的な、敵に対する非道の扱いや、家臣への接し方は、納得がいかない。それでも長年目をかけてきた光秀の謀叛には、愕然としたにちがいない。私も同じ経験があるが、けっこうこたえる。まさかとも思いつつ、人生こんなものだとも思う。信長もそうだが、私も、不徳のいたすところなのかもしれない。
 
伊勢ケ浜親方【超ヒラリズム86】
 
 怪我や病気で序二段まで下がって、必死で這い上がり、いま大横綱となった照ノ富士は、誉めても誉めきれないくらい立派だが、親方の存在を忘れてはならない。この親方あって、この力士。かつて日馬富士の事件の際に、貴乃花のところにいって、会ってもらえずスゴスゴと引き下がったことを想い出す。あれから何年も経っていないが、立場は完全に逆転した。まったく、これぞ人生。
 
司馬遼太郎【超ヒラリズム87】
 
 ご多分に漏れず私も、司馬作品の愛読者である。ホントに上手い、面白い。が私は批判者でもある。司馬作品をあえてプラスマイナスで評価すると、プラス30マイナス70だと考えてもいる。それでも司馬発言のなかには、「戦争をしかけられたら降伏すればいい」という傾聴すべき意見も少なくはない。但し司馬は子供がいないからいえる。孫娘を凌辱される危険があればいえない。
 
ヴィヴィアン・リー【超ヒラリズム88】
 
 ヴィヴィアンといえば『風とともに去りぬ』だが、私は『哀愁』が好みだ。今回三度目だが、内容が濃いことに改めて気づき、この映画の素晴らしさを感じた。ヒロインが自殺するのは、単に売春婦をやってしまった過去のみならず、夫の貴族的な家庭からの威圧を感じたこと。そして軍のトラックに身を投げたのは反戦的な志向がある。人間関係の微妙さが沢山あり、それは現代に通じる。
 
アンナ・カレーニナ【超ヒラリズム89】
 
 ヴィヴィアンは『アンナ・カレニナ』にも主演しているが、もちろんアンナも最後に自殺する。ところがヴィヴィアンはかのローレンス・オリビエと結婚したのだから、不幸な女優ではない。トルストイといえば『戦争と平和』だが、作品としては『アンナ・カレーニナ』が最上のものだ。私は『復活』が好みだが、それはカチューシャが好みだから。世界の文豪が創る女性主人公はいい。 
 
新庄監督【超ヒラリズム90】
 
 プロレスでもボクシングでも、選手登場のさいにブワーってやることが多くなった。むかしから芸人などが登場するときにファンファーレやったり、歌手のライブのときにドライアイスやっていたが、プロ野球だってアマチュアのスポーツではなく、基本はショーなのだから、新庄がやりはじめたことは遅いくらいなのだ。要するにショーとしてのプロ野球を見直すべきだということ。
 
ナミビア人【超ヒラリズム91】
 
 日本に初めてオミクロン株が発生したのは、ナミビア人の外交官からだという。名前を公表しないのはいいが、ナミビアと公表すると、もっとひどいことに、個人ではなく、ナミビアという国に対する憎悪が発生する可能性がある。だいたいにおいて、外交官の入国を簡単に受入れたことじたいが問題で、政府のやることは相変わらずよく解らん。マイナンバー・カード問題も醜悪だヨ。
 
本田翼【超ヒラリズム92】
 
 ツバサがCМ女王になったという。可愛いしノリがいいから当然だが、このままではいかん。ゲーマーとしてばかりもてて、女優としての進歩がない。もしかすると女優としては諦めていて、あとは結婚かナ。私のごく最近の好みはだいぶ変わってきて、1にのん、2にツバサ、3にはるかだが、ツバサが演技開眼すれば1になる可能性はある。そろそろツバサの代表作ドラマが観たい。
 
喜多條忠【超ヒラリズム93】
 
 いわずとしれた『神田川』の作詞者。亡くなったが私と同年。同年のひとに亡くなられるとまいるナ。想えば私の青春は『神田川』で始まり、『神田川』で終わった感あり。『神田川』が私や私たちの世代に与えた影響は、小さくはない。じつは私は愚妻に神田川のほとりでプロポーズした。愚妻は他称ミス・ワセダ、私は自称ミスター・ワセダだった。いまはミス・ボケダとミスター・バカダ。
 
中村吉右衛門【超ヒラリズム94】
 
 同世代といえば、吉右衛門も亡くなったナ。好きな役者だった。私たちにとっては「鬼平」だったが、歌舞伎ファンには大きな存在、人間国宝だった。私は次男だから、次男の役者に好感を持つ癖がある。次男の役者は長男の役者と、なぜか演技が違う。どう違うかは、専門家じゃないから解らんが、とにかく違うのだ。簡単にいえば、どこかに穴とか隙とか割れ目とか、そんなものがある。
 
薬師丸ひろ子【超ヒラリズム95】
 
 薬師丸の歌はいつ聴いてもいい。べつだんファンではないけれど、つい聴きほれる。あのシンプルな歌声はだれも真似できないんじゃないかな。アニメ歌手はみんな上手いけれど、熱唱型が多い。歌は熱唱すればいいというもんじゃない。熱唱型の坂本冬美が「まだきみを恋してる」で大ヒットしたパターンを、歌手はみんな肝に銘じたほうがいい。かくいう私はカラオケ熱唱型であるゾ。
 
ヘッセ【超ヒラリズム96】
 
 私はヘッセの良い読者ではない。それは、作家として私の持っている弱点を、ヘッセが持っていて、それが鼻につくからである。まるで自分の汚物をかがされている気分になるのだ。そのヘッセの『シッダルタ』は、翻訳上でもまちがいなく名文だと解る作品である。それでも「オーム」というコトバが連発されるので、かのオウム真理教を想起し、やっぱり鼻につくのである。いやはや。
 
禰豆子【超ヒラリズム97】
 
 このごろはまっている『鬼滅の刃』の一番の魅力は、ネズコちゃんだネ。猪男じゃないが、ハートマークじゃ。彼女の魅力には、さすがのツバサちゃんもスズちゃんもかなわないネ。あれこれ考えてみると、いや考えずに咄嗟の思いつきなのだが、女はやっぱり無口がいいってことサ。あのチクワが何なのかまだよく解らんが、愚妻にも愛人にもあのチクワを咥えさせてあげたいもんだ。
 
新井満【超ヒラリズム98】
 
 昨夜何となく新井満のことを想っていたら、もう亡くなっているという。妙なものだが、生前会ったことがあるし、同い年だったからか。亡くなっても『千の風になって』は残るにちがいない。死についてあれこれ考えていると、究極この歌に行き当たる。死んでもお墓になんかいない、千の風になって吹き渡っているのだ。風に意志はなかろうが、星になって遠くへ行ってしまうわけではない。
 
安井かずみ【超ヒラリズム99】
 
 憧れのひと、というものは基本的にいない、というか、持たない私だが、安井かずみには憧れたネ。貧乏人の子だった私は、ああいうセレブ(当時はそんな言葉はなかったのだけれど)で、センスと才能にあふれた年上の女王様には敵わない、というか、近づけない憧れ。そんなかずみと結婚した加藤和彦に嫉妬したが、かずみの死ののちに加藤は自殺し、嫉妬が的はずれの気がした。
 
遠藤実【超ヒラリズム100】
 
 どうしても古賀政男と較べてしまうので、大物の感がないのだが、よくよく想い出してみると、遠藤は凄いもんだ。『からたち日記』『星影のワルツ』『北国の春』『夢追い酒』『くちなしの花』などは超ベストヒット、『高校三年生』『ついて来るかい』などは今でも歌われている。考えてみればレコードが一番売れた時代の作曲家だったんだナ。どんな世界にもそういう巡り合わせがある。
 
松本清張【超ヒラリズム101】
 
 外国のことは解らんが、日本で本が、なかでも小説が売れた時代は、松本清張の時代だったんじゃないか。その前もその後も、小説は売れなかった。だから清張と同時代の小説家は、清張のおかげか、時代のおかげか、便乗で儲けたところがあって、現代の作家は羨ましがっているはずだ。私もほんの少し売れた季節があったけれども、それはまだ清張が生きていたころだ。夢じゃ夢じゃ。
 
伊東ゆかり【超ヒラリズム102】
 
 歌謡曲は、私の青春のあれこれのシーンを想い出させてくれる。森進一の『花と蝶』がそうだったし、藤圭子の『新宿の女』がそうだったし、美川憲一の『柳ケ瀬ブルース』がそうだった。そして伊東ゆかりの『恋のしずく』がそうだった。安井かずみの作詞とは知らなかったが、『小指の思い出』よりこの歌。あの娘が一緒だったときに流れていた。あの娘とは何にもなかったが忘れられない。
 
中村錦之助【超ヒラリズム103】
 
 私の青春のあれこれのシーンを想い出させてくれるのは、映画である。三船敏郎の『蜘蛛の巣城』がそうだったし、淡島千景の『日本橋』がそうだったし、外国映画では、『太陽のかけら』『欲望の沼』など。なかでも、『宮本武蔵』『日本侠客伝』などの中村錦之助。もしも俳優になれたら、ああいうひとになりたいと願っていたが、二十歳で結核になってしまった。これにはまいったヨ。
 
久保田恵子【超ヒラリズム104】
 
 高校時代に好きだったひとだ。校内ソフトボール大会で、私はピッチャーとしてもバッターとしても大活躍して、優勝する勢いだった。しかし決勝戦で、クボタが観戦していた。私は舞い上がり、ストライクが入らない。フォアボールの連発で負けてしまった。これは痛手だった。このせいで、私は告白のコの字もできなかったのだから。それにしても病的な私と違い彼女は健康的だった。
 
空海【超ヒラリズム105】
 
 真言宗の三宝寺で掃除夫していても、空海に関する本を読んでも、空海の正体が見えてこない。おそらくとんでもない、とてつもない天才なんだろう。しかも超能力を秘めた、あるいは超能力を解した。あの司馬遼太郎でさえ、この空海の扱いに苦心している。だから『空海の風景』。正体が掴めていない。私はこのこと、つまり空海の正体探しを、我がライフワークにしようと考えている。
 
親鸞【超ヒラリズム106】
 
 空海とちがって、超能力なんてないんだ、もしかすると天国や地獄もないんだ、人間はただ祈るしかないと、現実志向だったのが親鸞か。それにしてもなぜこの時代に、多くの天才僧侶が誕生したのか。たとえば、空海と日蓮と道元と親鸞、すくなくともこの四者は、世界のどんな大思想家にも対抗できる。日本はこの四者が存在したということだけでも、存在価値がある。南無阿弥陀仏。
 
道元【超ヒラリズム107】
 
 私が道元を書いてから、二十年以上経つ。道元禅師の小説化は初めてなのに、よくぞ怖いものなしで書いたものだと思う。書いたはいいが、道元の思想が身に着いたかというと、そうでもないのは、私があくまで作家であり、宗教家ではないからだろう。『道元の風』という本は、見かけ以上に重要な本で、もっと読まれなければいけないのだが、読まれている気配がない。困ったものだヨ。
 
小原庄助さん【超ヒラリズム108】
 
 小原庄助さんを書いてくれと頼まれたので、返事はまだだが、調べはじめてはいる。そしたら偶然、『小原庄助さん』という映画にぶつかった。主演は大河内伝次郎。小原庄助さんと(たぶん親しみをこめて)呼ばれるお大臣の没落物語らしいが、退屈である。相米監督はこれをベスト1にしたらしいが、相米は変人だからなア。相米と握手したことがあるが、赤ん坊みたいな掌だったヨ。
 
平野歩夢【超ヒラリズム109】
 
 スノボはやっぱりカッコいい。やりたかったが私には無理。人間得手不得手があるもので、球技は得意だったが、ウインタースポーツは駄目だったな。会社の仲間がかっこよくスキーを滑るのを見て、こりゃかなわんと思ったものだ。私の苦手なスポーツで大活躍の小林選手、平野選手に乾杯。酒はなくとも乾杯じゃ。高木美帆選手にも乾杯じゃ。しかし思えば私は雪国育ちだったんだが。
 
羽生結弦【超ヒラリズム110】
 
 結婚したからといって、羽生人気は衰えまい。かれのコメントに「努力は報われない」とあったが、そう、努力は報われないんだ。芸術活動がいい例で、いくら努力しようが傑作ができるわけではない。逆に、努力なしで傑作が生まれることがあるから、ややこしい。それならば、楽しむにかぎる。生活のため以外で、楽しくない活動はやらないほうがいい。楽しいからこそ夢中になれる。
 
眉村卓【超ヒラリズム111】
 
 いまここに至って、ずいぶんと不思議な態度をするひとのことを思い出す。眉村さんもそのひとりで、どうしてあれほど、五木寛之の授賞にこだわったのか。あるいはどうしてあれほど、欲しくはないという作家に賞をあげることにこだわったのか。その不思議さを解明できぬまま今日に至っている。もしかすると、実力以上の地位を保持する、私に対する抵抗だったのではないか。
 
幸田文【超ヒラリズム112】
 
 樋口一葉が二度と出てはこない女性作家であるのと同様に、幸田文もそういう女性作家という気がする。私は彼女の文章に接する前に、映画『流れる』や『おとうと』を観たのだけれど、幸田文自身は、田中絹代のイメージはあるが、岸恵子ではない。市川監督はずいぶんと美女を使ったもんだが、美女ではないほうが、哀感が出たのではないか。監督は哀感よりも美学を重んじたのだナ。
 
石原慎太郎【超ヒラリズム113】
 
 裕次郎は好きだったが慎太郎は好きではなかった。けれども作家としては、文章革命をやったのかなと。あの文章をいま読んでも、ちっとも古びてはいない。その後のハードボイルド系の作家たちは、まちがいなく慎太郎の文章の影響を受けている。それまで簡潔な文章を書く作家は、志賀直哉ふうに美的であったが、その美的を壊した。しかし残念ながら新しい美は作れなかった。
 
谷愛凌【超ヒラリズム114】
 
 米国名アイリーン・グーは、若くて美人で可愛い。しかもいろんな才能があって、北京オリンピックでは金メダル二個、「スキー・プリンセス」と呼ばれているそうな。まいったねえ、こんな娘がいたら、パパ頭が変になっちゃう。私にもプリンセスがいたが、いまや五児のママ。別の意味で頭が変になっちゃう。しかしアイリーンだって、おしっこもうんこもするとなると、もっと頭が変に。
 
西郷輝彦【超ヒラリズム115】
 
 同い年のひとが亡くなるのは辛い気分だ。西郷がデビューしたとき、そのマスクが濃くて、声もよくて、じつに羨ましく、けっこうファンというか、西郷の歌をよく歌ったものだ。歌手を辞めた感じになって俳優になったが、ずっと歌い続けてほしかったナ。俳優としては歌手時代のオーラはなかった。橋、舟木とともに、御三家といわれたが、なぜか、いちばん若いひとが亡くなった。
 
ジェニファー・イーガン【超ヒラリズム116】
 
 イーガンの『ならずものがやってくる』のなかに、図になった文章が何ページもあって、やられたと感じた。私が若い頃、文章になかに絵図を入れられないか、あるいは文章を読むさいに音楽が鳴らないか、考案したことがある。つまり三大芸術の混合である。けれども、それぞれの芸術は自立していて、そこに価値があるのだと解って、計画倒れになった。残念ながら、邪道なのだ。
 
 
辻仁成【超ヒラリズム117】
 
 辻さんのパリ生活ドキュメントをBSでやっている。これはとてもいい番組、良心的というか、そこはかとない優しさにあふれている。あふれているというより、つつまれている。中山美穂サンはどうしてこんなにいい男と、小さな息子を捨てたのか、かいもく解らない。ただのワガママ女なのかもしれない。この番組を観て、あらためて辻さんの本を読んでみたくなった。いい人生ですよ。
 
谷崎潤一郎【超ヒラリズム118】
 
 大谷崎ともなれば、厠のことにも蘊蓄がある。その場所、作り、香り(臭い)等々。便所の糞桶がはるか眼下にある厠の話をしていたが、私はそういうのは心もとなくて。水洗便所は自分のうんこが見えて、谷崎は厭らしいが、痔疾に悩んできた私なぞは病気の確認もあるが、自分のうんこ自慢をしたいから形や色を確認したい。もしかして谷崎は、本質的な自分から逃げたいのではないか。
 
都はるみ【超ヒラリズム119】
 
 どこかの連載記事「あの人はいま」じゃないけれど、テレビで『北の宿から』を歌うむかしの映像を観たりすると、このひとの現在を想う。本当にいい歌手で、いまでも女性演歌歌手がテレビで歌っているのを聴くと、のぞんでいるのは、都はるみみたいな歌手だと感じる。北島三郎も森進一も五木ひろしも「紅白歌合戦」卒業と聞くと、男性演歌歌手もいなくなったなァと。演歌バンザイ。
 
プーチン【超ヒラリズム120】
 
 一人相撲をとるプーチンの夢をみた。ウクライナの問題は、第三次世界大戦の危機でもある。けれども欧米ははたしてウクライナを守るために、経済制裁以外の大きな犠牲を今後も払うだろうか。私見では、これは時間稼ぎをする必要がある。日本が失敗したのは、時間稼ぎするガマンが足りなくて、真珠湾攻撃をしたからで、われわれ個人もそうだが、ガマンが足りないと喧嘩になる。
 
バイデン【超ヒラリズム121】
 
 ロシアや中国以上に、私はアメリカという国を信用してはいない。日本人がどうしてアメリカを好きなのか、理解に苦しむくらいだ。アメリカというのは、原爆を落としたくせに原爆を落とされるのを厭がる国だ。日本の政治家がやるべきことは、いつまでもアメリカの子分に甘んじていないで、アメリカの傘から抜け出すことだ。そのためには非武装中立を宣言すること、それにつきる。
 
プーチン&ゼレンスキー【超ヒラリズム122】
 
 世界が災害で大変なのに、戦争どころではないはずなのに、プーチンも意固地だし、ゼレンスキーも意地になっている。次第にプーチン&ゼレンスキーは、相手国よりも欧米諸国に恨みがましくなっている。狂いはじめているのかもしれない。むろん私は判官贔屓なので、プーチンに肩はもてないし、ゼレンスキーに同情をいだいている。若ければ志願兵としてキエフに赴きたいくらい。
 
五木寛之【超ヒラリズム123】
 
 今朝の新聞で五木さんが、亡くなった石原慎太郎について、同時代人として語っている。慎太郎の作品は「生」よりも「死」のイメージが強く、孤独を感じたと書いているが、作家はおおむねそういうもので、新しい説でもなんでもない。それよりもロシア通の五木さんには、ロシアの侵略について語ってもらいたかった。慎重すぎる政治家も文化人や作家もおおいに云々してもらいたい。
 
エマ・ストーン【超ヒラリズム124】
 
 これがあの『ラ・ラ・ランド』の女優だとは、だれが知ろう。『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』という映画で、かつてのテニスの女王キング夫人を演じたのである。しかもほぼノーメイクでメガネをかけて。おそれいりました。この迫真の、というか情実のこもった演技にもアカデミー賞をあげてほしかったと思われる。深夜たまたまテレビをつけて観た映画だったが、眠れなかった。
 
西村京太郎【超ヒラリズム125】
 
 これだけ売れる小説を書いてきた人が、小説が売れない時代にはいって、売れない小説を書きはじめたらしい。ちょっと遅かった気がする。水上勉は、生活が楽になってくると、売れない純文学を書きはじめた。作家はこれでいい。売れるなんてことは、生活のためには必要だが、作家のためには必要じゃない。むろん私は売れたことがないから、売れてほしいんだがネ。印税がほしいヨ。
 
菅田将暉【超ヒラリズム126】
 
 『鎌倉殿の13人』で、菅田がやっている義経は新しい像で、これは菅田でなければ、空中分解するところだろう。菅田だから許される演技というものがあって、彼が今後芸能界のカリスマになっていくのだろう。主演の小栗旬がいままで仲間うちの兄貴分だったのが、これからは菅田にとってかわるだろう。いやはや贅沢なドラマであったが、三谷幸喜はドンになったこれからが難しい。
 
石橋清河【超ヒラリズム127】
 
 『鎌倉殿の13人』で、だれが静御前をやるのか、注目されていたが、私の予測通り石橋清河となった。清河が私の贔屓する女優であるのは、以前に書いたからしつこくはいわないが、配役に関しては、私はかなりというか相当に当たる。贔屓云々に拘らず当たるのは、私がプロデューサー的感覚の持ち主だからで、それ以前に芸能通ということもある。別段ミーハーではないんだがネ。
 
黒澤明【超ヒラリズム128】
 
 あくまでも映画ファンにとって、映画界最大の、あるいは最悪の事件といえば、『影武者』における勝新太郎の降板であろう。このことは勝にとっても黒澤にとっても、マイナスの意味で大きかった。その映画生涯において大きかったということ。これは両者が大人げなかったから起こったことなので、それを芸術観の相違というふうに持ち上げてはならない。総合芸術は妥協の産物なのだ。
 
プーチン【超ヒラリズム129】
 
 個人的にプーチンに親しみを感じていた。だからその感情的な爆発も何となく解る。だがいまや現代一の大悪党になってしまった。もはや徹底的に大悪党を全うするほかはないが、その末路は予測できる。ウクライナは一方的に攻められた。これは戦争とはいわず、侵略という。日本も(とくにテレビに出ている文化人は)もっと声をあげるべきだ。何のためにいままで出ていたのだ。
 
サンドイッチマン【超ヒラリズム130】
 
 いわゆる一発屋が多いなかで、サンドイッチマンの人気がまったく衰えない。芸人中、さんま・タケシ・タモリの御三家をおさえ、ナンバーワンの人気。NHKの『プロフェッショナル』で、その人気の秘密にせまったが、まったく解らなかった。ひとつだけ解ったことはコンビふたりの仲の良さ。人間力だという芸人仲間がいたが、仲間うちではかなわないということが解っているらしい。
 
伊達&富沢【超ヒラリズム131】
 
 どうにも売れなくて、漫才を諦めて、とはいえ、無理やり誘った伊達とその親に申し訳なくて、富沢は解散を申し入れ、自殺まで考えたらしい。それと察知した伊達は解散にイエスといわなかった。そういうことがあるから、友情が毀れない、お互いが恩人と思っている。この恩知らずの世の中に。ほんとにいいコンビで、私は錦鯉の大ファンだが、サンドイッチマンも大好きになったネ。
 
錦鯉【超ヒラリズム132】
 
 お笑い芸人は本質的に好きではない。その理由は笑いにペーソスがないからで、笑わせればいいという姑息なやり方でやることも多いから。それでも何となく好感を持っていた芸人はいて、珍しく笑いにペーソスがある亡き上島竜兵、存在そのものにペーソスがある出川哲朗など。そこにサンドイッチマンと錦鯉がくわわった。かれの笑いにはペーソスがある。これからも応援したい。
 
弘法大師【超ヒラリズム133】
 
 おそらく日本最初の天才であろうが、『空海の風景』の司馬遼太郎にいわせると、「うさんくさい」という。宗教家でうさんくさくないひとはおらんから、何の問題もないが、弘法大師にあっては、うさんくささよりも、怖いもの知らずというところが凄味を感じさせる。怖いもの知らずほど強いものはないからで、そのためには、よほどの勉学とよほどの体験とよほどの健康が必要となる。
 
空海【超ヒラリズム134】
 
 あれこれ本を読むと空海なる人物には謎が多い。伝説が多いといったほうがいいのか。その伝説をひとつひとつじぶんなりに解き明かしたいが、その解き明かしたことが当たっているかどうかは定かではない。ただ司馬遼太郎風に「であろう」とやってしまったのでは小説にはならない。小説は断定するものである。それにしても密教というものは、体感体得したものにしか解らないはずだ。
 
義経【超ヒラリズム135】
 
 『鎌倉殿の13人』の菅田将暉演じる義経は、目からウロコの感がある。三谷幸喜は義経という人物にきっと会ったのだ。たしかにこういう人物ならば、軍略の天才だと確信できるし、その後の運命が読めるというものである。判官贔屓のひとりとして、いままでは義経を美化しすぎていた。天才を美化しても人のためにはならぬ。ヒットラーもプーチンも美化してはいけない天才だ。
 
中森明菜【超ヒラリズム136】
 
 明菜が中国でブームだという。明菜の儚さがいいのだという。中国人も見る目があるなァ。そうなのだ、明菜は儚さがいい。明菜の儚さは、マッチにふられたときから生じた。そのトラウマが現在もつづいていると、私は見ている。女をふってはいけない。ふってもふり方が大切だ。いまさらながら思うが、私もひどいふり方をし、またひどいふられ方もした。人間に大事なのはふり方。
 
伊藤痴遊【超ヒラリズム137】
 
 遠藤周作原作、マーチン・スコセッシ監督の映画『沈黙』を遅まきながら観たが、原作も映画も甘い。最近『五島キリシタン史』を現代語訳したから、余計にそう思うのだろう。どこかキリスト教に対する懐疑も垣間見られて、そこはいいんだが、「誰一人として天国へ行って帰ってきた者も、極楽から電話をかけてきた者もいない」といった痴遊くらいのユーモアがあればよかったけれど。
 
伊藤博文【超ヒラリズム138】
 
 人気のない有名政治家の、トップスリーに入りそうな博文だが、渋沢栄一の伝記などを読むと、そこに出て来る博文は、なかなか好感の持てる人物である。韓国では相変わらず悪役だが、同時代の権力者、大久保利通や山県有朋や井上馨などと較べても、変な癖がない。要するにコモンセンスを持った政治家だということが、私なりに再認識された。再評価が望まれるが、はたしてどうか。
 
小松政男【超ヒラリズム139】
 
 コマツさんが亡くなって何年経つのか。どういうわけか好きでならなかった。大物芸能人植木等の付き人兼運転手だったせいか、年齢を重ねても大物感のない人だった。晩年は喜劇協会の会長でありながら、それでも大物感がなく、いわば永遠の小物。いろんな芸を持っていたが、後半は俳優としても味わいのある演技をした。なるほど、好きな理由は永遠の小物だったためかもしれない。
 
半藤一利【超ヒラリズム140】
 
 半藤さんが亡くなったとき、じつに残念な気がした。せめて100まで生きてほしかった。(思想的には)おそらく私とはだいぶちがうはずだが、半藤さんの書くものは、みんな信用できた。(思想的には)私ととても近い作家でも、たとえば坂上弘とか浅田次郎とか、じっさいに対面して、信用できなかった人もけっこういるから、思想なんてものも信用できないのかもしれないなァ。
 
中島みゆき【超ヒラリズム141】
 
 極貧だった学生時代、それでもLPを三枚持っていて、それは井上陽水と松山千春と、そして中島みゆきだった。みゆきのレコードを毎日聴いていたのは、じぶんの心情に訴えてくるものがあったからで。いまや(極貧だけは変わらないものの)心情が変わってしまったのか、あのころの感覚はもうない。それでも、みゆきが不世出のシンガーソングライターであることは、まちがいない。
 
ジョン・ウエイン【超ヒラリズム142】
 
 大男でタフで大酒飲みで喧嘩の強い私の父は、時代劇映画と西部劇映画の大ファンで、三船敏郎とジョン・ウエインが大好きだった。どうして私に敏郎と名づけなかったのか不思議だが、飼犬にはジョンと名づけた。それもあって、NHKのBSでジョン・ウエインの映画をひっきりなしにやっているから、父を想い出しながら、ぜんぶ観た。父はともかくとしてもジョンは男の中の男だ。
 
ブルース・ウイルス【超ヒラリズム143】
 
 ブルースが認知症だという。ブルース、お前もか。ハリウッドで一番好きな俳優の、映画をもう観られないなんて。むかし『ダイ・ハード』が、まだ人気が出ていなかったころ、つまり封切りで、たまたま観ることになって、「うっひょー」と思わず叫んだ。一緒に観た女の子も「うっひょー」だった。彼女とはそれ以降会ってはいないが、ブルースの映画はすべて観つづけた。
 
中村ゆり【超ヒラリズム144】
 
 ゆりちゃんの若い頃は、何ということもない女優だったけれども、いささか年増(失礼)になって魅力が倍増、百倍増。主演をはることはないが、この人が出てくると、つい目を瞠ってしまうというか、心も惹かれる。企業はどこか忘れたが、あの「ぼくのママは宇宙一」というコマーシャルなんて、最高だね。ネットでは韓国国籍だとか、子供がいるとかあったが、そんなの関係ないネ。
 
メグ・テイリ―【超ヒラリズム145】
 
 ジャック・ニコルソン監督・主演の『黄昏のチャイナタウン』じゃ、前作『チャイナタウン』(ロマン・ポランスキー監督)と較べてしまうと、残念ながら残念な映画だったが、それでもヒロインを演じるメグの美貌にうっとりして、居眠りすることもなく観られた。大女優になっても不思議ではない素材だったが、グングン肥ってしまったせいか、そうはならなかった。そのことも残念。
 
司馬遼太郎【超ヒラリズム146】
 
 昨今『明治維新の大嘘』といった、明治維新批判の本が目に付くが、大嘘というよりも、長年国民は明治維新が偉大なものであると騙されてきた。私は何十年も前から、明治維新のくだらなさと明治国家のいかがわしさを云々してきたが、そのたびに愛読する司馬批判をせざるを得なかった。明治賛美の司馬は、小説家のまんまで文化人にならないほうがよかった。小説家なら嘘つきで通る。
 
小谷野敦【超ヒラリズム147】
 
 私は小谷野の著作の愛読者である。人を誉めるのは苦手だが人を貶すのは得意な作家がいて、小谷野は現在その筆頭。人間的には厭なやつだが、読者としてはそのほうが面白い。ただ勇み足が多くて、たとえば「柳田国男は官僚であり文学の敵だ」なんて、まあ一部の理くらいはありそうなことをいう。だいたい文学には敵も味方もいないんであって、文学反対を叫ぶものすら敵ではない。
 
ユゴー【超ヒラリズム148】
 
 私たち物書きの端くれが目指すべきは、『レ・ミゼラブル』で、大河小説だからでも、哲学的蘊蓄があるからでもなく、何よりもジャン・ヴァルジャンというキャラクターが創出されているからである。ファウストや机竜之介などもキャラクターとしては凄いが、ジャン・ヴァルジャンははるかに身近なキャラクターである。私小説は身近だけれど、こういうキャラクターを創れないからナ。
 
西村賢太【超ヒラリズム149】
 
 私小説は基本つまらないものだが、そのつまらなさを私は嫌いではない。しかし賢太が面白いのは、その文体だ。芥川賞の選考委員が藤澤清造を読んでいたら、受賞はしなかっただろう。けれど賢太は清造のエピゴーネンから脱却して、おのれの境地を開拓した。ただもうちょっと長生きしてくれないと。さらに独特の境地を創り上げる時間は、まだたっぷりと残っていたはずなんだが。
 
バッハ【超ヒラリズム150】
 
 クラシック音楽を聴く人はめっきり少なくなった。若い頃は私にかぎらずよく聴いていたものだ。クラシック喫茶なんてものがたくさんあったし。私は初めベートーベンが好きで、ピアノを弾くとリストばかりで、小林秀雄の影響からモーツァルトになり、『地獄の黙示録』など映画の影響からワーグナーに興味を持ったが、結局いつもバッハに帰ってくる。『マタイ受難曲』に帰ってくる。
 
ナポレオン【超ヒラリズム151】
 
 ナポレオンは私の想像以上に、(とくにフランス人には)現在でも敬愛、もしくは崇拝されている。軍人あがりの侵略者がそうなるなんて、妙な話だが、まあ一般大衆というものは、単細胞が多いからそんなものだ。私もナポレオンは、(東条英機程度には)好きだ。どちらも悲劇的結末があるわけで、判官贔屓は日本人だけではないようだ。尤も東条はナポレオンになるには、姑息すぎた。
 
八木義徳【超ヒラリズム152】
 
 名は体をあらわすとはよくいったもので、八木さんは顔も様子も山羊によく似ていた。たとえば宮沢賢治も西村賢太もたしかに賢い。吉田健一や開高健や大江健三郎は健やかだった。小林秀雄は優秀だし丸谷才一は才能がある。国木田独歩や柳田国男や小川国夫は国の宝だ。となると、陽羅義光はどういうことなのか。ヒラヒラしてるって噂もあるけれど、太陽の男だって話もある。
 
レディー・ガガ【超ヒラリズム153】
 
 最近のアメリカの歌手では、テイラー・スイフトが相変わらず一番人気だそうだが、美人で歌が上手く、天が二物を与えた人も稀少であると思われるのだが、わたしがいつも気になるのは、テイラーではなくガガである。バイデン大統領の就任式のときの国歌は良かったが、愛犬を盗まれたときの反応は良くなかった。我がガガ様としては、愛犬よりも撃たれた人の心配をしてほしかった。
 
徳川慶喜【超ヒラリズム154】
 
 新門辰五郎と渋沢栄一をを書きあげたら、こんどは、その両者に深く関係する人物である、徳川十五代将軍慶喜をメインに書いてくれと、出版社の社長がいってきた。いやはや、歴史上の人物の中で、慶喜ほど嫌いなやつはいない。それなのに、慶喜を美化しないまでも、その功績をまとめあげてくれというのだから、じつに難題であった。ただ「尊皇」の視点からなら、功績はある。
 
加藤シゲアキ【超ヒラリズム155】
 
 今回の問題で大騒ぎになるずーっと以前から、ジャニーズと聞いただけでアレルギーが出る私ではあるが、加藤君の吉川英治新人文学賞受賞のときは嬉しかった。というのは、たまたま加藤作品をいくつか読んで感心し、今度は芥川賞だと期待していたから。ジャニーズという先入観をはずして、素直に読むと、その文章はたしかだし、世界観も新鮮で、又吉君などよりはるかにいいゼ。
 
城南海【超ヒラリズム156】
 
 玉木宏の奥さん木南晴夏とまちがいやすいのが、城南海で、これは南が付いているからなのだが、女優と歌手のちがいなんだから、まちがいやすいなんてことはないはず。けれども私としては、どちらもお気に入りなので、どうしてもそうなってしまう。晴夏はむかしの彼女に似ているし、南海は愚妻の若い頃に似ているもんだから、ややこしくてかなわん。しかし、南海の歌はイイよ。
 
エリザベス・テイラー【超ヒラリズム157】
 
 今のナンバーワン美人はテイラー・スイフトで、昔ナンバーワンの美人はエリザベス・テイラー。ううむ、テイラーは美人と決まっているのか。私も娘に貞羅と名づけたかった。尤も娘は美人だけどさ。最近エリザベスの映画を続けざまに観た。『予期せぬ出来事』は夫とジゴロの三角関係ですったもんだするのだが、彼女の台詞は、「愛されているかじゃなくて、必要とされているか」だ。
 
三四郎【超ヒラリズム158】
 
 漱石の『三四郎』でも、『姿三四郎』でもなく、「平成の三四郎」古賀選手。指導者としても優れていたのに、早すぎた死がいまでも惜しまれる。とにかく技の切れ味が凄かった。あんなに強くてもガンに勝てなかったのかと、妙な感じがする。私の祖父は講道館八段で、子供のころ教わったことがあるが、ジイサンなのにビクともしないから、こりゃかなわんと思って、柔道は諦めた。
 
チャップリン【超ヒラリズム159】
 
 チャップリンの映画はどれも素晴らしいが、イチオシは『ライムライト』で、これは五回観た。相手役のクレア・ブルームは、私の青春時代の理想の女性だった。初老のチャップリンと若いクレアの絶妙な関係が泣ける。女性のほうから結婚しようというところは、当時としては新鮮この上なし。チャップリンとキートンの舞台は、現在の日本の漫才の原型なのだろう、じつに印象的だった。
 
ユン・ヨジュン【超ヒラリズム160】
 
 ようやく映画『ミナリ』を観た。感動。アメリカで開拓する韓国一家の話だが、話の中心は、73歳のユン演じる祖母と孫の男の子なのだ。このオバアチャンが韓国人まるだしで、とにかく優しい。オバアチャンを毛嫌いしていた孫が、だんだんオバアチャンを好きになっていく。この孫こそ、この映画の監督なんだネ。それにしても、女優賞総なめのユンさん、凄いじゃありませんか。
 
永野芽郁と吉岡里帆【超ヒラリズム161】
 
 最近CМで目に付くというか、輝きを放っているのが、永野芽郁と吉岡里帆だナ。永野の好感度は、あのストレートな笑顔。吉岡の好感度は、あのエクボ。あの笑顔と、あのエクボを見て、好きにならない視聴者はいない。企業もうまいところに目を付けたもんだ。じつは私も若い頃は、笑顔とエクボで好感度抜群だった。ところが今は、笑顔はひきつり、エクボは皺になって、感度最悪。
 
志賀直哉【超ヒラリズム162】
 
 いつだったかNHKのBSで、志賀直哉原作の『流行感冒』をやっていた。とてもよくて、よく思い出すのだが、本木雅弘と安藤サクラの夫婦、古川琴音のお手伝いさん三人の話だが、それぞれ見事な演技で、また観たいものだ。原作の志賀自身の神経質さと自嘲、さすがは「小説の神様」といった内容だが、よくよく思うに、「文章の神様」ではないか。小説は嘘が上手でなければネ。
 
高橋一生【超ヒラリズム163】
 
 いろいろ好敵手はいるが、いまいちばん上手い俳優じゃないかな。『女城主景虎』の演技に衝撃を受け、『カルテット』も『スパイの妻』も『天国と地獄』もよかった。共演した柴咲コウ、松たか子、蒼井優、綾瀬はるかも、共演者が一生だから、魅力がいっそう引立った。こういう俳優は、私の知る限り高倉健くらいのもんだが、健さんのオーラはなくとも、健さんより芝居は上手い。
 
チェーホフ【超ヒラリズム164】
 
 この生粋のロシア文学者であり、誠実な医者のコトバが何度でも浮かぶ。「世界は美しいけれども、ひとつだけ美しくないものがあって、それは私たち人間です」。テレビで動物や魚などの生態を観るのが好きで、たしかに動物も魚も生存競争が烈しくて、生殖行動も凄いもんだが、人間に較べれば、避妊なんかもやらないし、つまり快楽だけの性行為なんかなくて、じつに自然な感じがする。
 
二葉亭四迷【超ヒラリズム165】
 
 二葉亭といえば、「言文一致」の創始者というのが定説だが、とはいえ私は定説なんぞ信じない者だが、それはともかくとして、最近の若い人の小説を読むと、新しい「言文一致」なんじゃないかと思われる。二葉亭のころも、なんじゃこの文章は、こんなの文学じゃない、なんていわれたにちがいないが、最近の若い作家もそういわれるにちがいない。ブンガクだって世につれ人につれサ。
 
小柴風花【超ヒラリズム166】
 
 色の白いは七難隠すという。最近の女優でも、波瑠ちゃんとか芽郁ちゃんとか萌音ちゃんとか美波ちゃんとか、色白美人が多いが、風花ちゃんはその代表格。たしかにこの色白で、七難(彼女に七難はなさそうだが)なんか吹き飛んでしまう、可愛らしさである。じつは私は、色の黒いは七難隠すと考えていて、黒ければシワもシミもわからんだろうと。けれどそれは年寄りに限られるナ。 
 
ソン・ガンホ【超ヒラリズム167】
 
 ガンホはアカデミー賞をとって話題になった『パラサイト・半地下の人々』のほかにも、傑作映画に多く主演している。私はガンホの映画は必ず観るのだが、極めつけは『タクシー運転手』だろう。これは何度観ても凄い映画で、いわゆる「光州事件」を扱っている。その様子はまるで、現在のミャンマーだ。ガンホはいかにも韓国の庶民らしい庶民の役をやらせたら、天下一品。
 
梅安【超ヒラリズム168】
 
 ごぞんじ池波正太郎の人気シリーズ『仕掛人・藤枝梅安』の、あの梅安である。鬼平も『剣客商売』の秋山父子も好きだが、梅安に最も魅力を感じるのは、私自身が悪人だからかもしれない。まったく、魅力の「魅」は、鬼の一歩手前。梅安はふだんは遊んでばかりで、家にも寄り付かないけれど、いったん仕事(暗殺のほうではなく鍼のほう)となると、一心不乱。そこも私に似ているんだ。
 
カミュ【超ヒラリズム169】
 
 学生時代、私の周りではカミュ派とサルトル派とがあって、妙に張り合っていたものだ。私はカミュ派だったが、『ペスト』だけは読み切れなかった。コロナがきっかけで、この作品がまた一般に読まれ出したというので、私も再読したのだったが、こんなに引き込まれるとは思わなんだ。当時とは翻訳もちがうし、私は重い結核患者だったから、ペストなど怖くなかったせいかもしれない。
 
お伝と綾瀬はるか【超ヒラリズム170】
 
 いわゆる毒婦お伝。『里見八犬伝』に出てくる毒婦と同じで、「抜けるような白い肌の美人」、いまならさしずめ綾瀬はるかだ。それが貧乏と借金の繰り返しで、あげく人殺しをして金を巻き上げ、斬首の刑に処せられる。しかも斬首の際の凄惨さったらない。明治時代とはいえ、美人の首を斬るなんぞけしからん。夢にまで見る綾瀬はるかは、『白夜行』から欠かさず観ているが、首は斬られん。
 
白鳥【超ヒラリズム171】
 
 正宗白鳥という立派な文学者がいるが、白鳥というイメージとあれほどかけはなれた人物もいない。交流のあった深沢七郎が、白鳥白鳥と連呼しすると、なんだかスワンのイメージが湧いてくるから不思議なもんだ。私は深沢を戦後一番の作家だと考えている。彼の『楢山節考』を「人生永遠の書」といった白鳥はすごい炯眼なのだが、今や白鳥を知らない人ばかりなのは淋しいもんだ。
 
リーアム・ニーソンとジャン・レノ【超ヒラリズム172】
 
 どうして両者を一緒に取り上げたかというと、どちらも大男の俳優だからと、どちらも大好きで上映すれば必ず観るから。リーアムは『シンドラーのリスト』以降、ジャンは『レオン』以降いい役に恵まれていないが、各々これ一本で不滅だネ。作家もそうで、これ一本があれば不滅になれる。中勘助の『銀の匙』、長塚節の『土』、島田清次郎の『地上』、中河与一の『天の夕顔』とかネ。
 
手塚治虫・白土三平・つげ義春【超ヒラリズム173】
 
 この三人は、私にとって漫画家ベストスリーのみならず、格別大きな存在である。手塚の『火の鳥』と、白土の『忍者武芸長・影丸伝』と、つげの『紅い花』は、私がブンガクをやる上での原質となっている。細かいことはあちこちで書いてしまっているからやめるとして、聞くところによると、宮崎駿のアニメに大きな影響を受けている作家がいるらしいが、そんなレベルではない。
 
ゴダール【超ヒラリズム174】
 
 半世紀以上経って『勝手にしやがれ』を再観したが、つまらなかった。むかし観たときの衝撃がなかったのは、私が老いたからなのか。それともゴダールがいいかげんに作った映画なのか。あの映画のテーマは「女性不信」だろうが、当時の時代とか風潮に反逆したのかもしれない。ゴダールは晩年の映画のほうがすばらしい。それにしても困った映画で、映画はハッピーエンドでなくちゃ。
 
フォークナー&ヘミングウェイ【超ヒラリズム175】
 
 そういえば今回初めて気づいたのだけれど、『勝手にしやがれ』にフォークナーのことが出てきたっけ。私はとくに好きな作家ではないが、ゴダールは好きだったんだナ。どうせならと、この機会に代表作を再読してみて、やっぱりあんまり好きでないことがわかった。むろん好き嫌いと文学的評価とはちがうが、アメリカの小説ならヘミングウェイのほうがはるかに好きだ。これは崩せない。
 
田中角栄・石原慎太郎【超ヒラリズム176】
 
 慎太郎の『天才』を読んだ。これは田中角栄を一人称で書いた伝記風小説である。いい出来とは決していえないのは、金権主義の権化をいまさら持ち上げてなんになるということと、ロッキード事件の詳細が書かれていないからだ。想えば慎太郎が政治家になってからの作品には、ベストセラーになった『弟』も含めて、傑作はひとつもない。やっぱり二足のわらじは、こうなるのか。
 
岡本かの子【超ヒラリズム177】
 
 かの子の小説は、晩年の四年くらいなのに、これほどの質量を書いたというのは、漱石の特殊能力に匹敵するかもしれない。なかでもいちばんは『老妓抄』で、末尾にある歌「年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり」は、歌の出来はともかくも(というのは創作者は悲しみなんてコトバは使わないものだから)老妓の作とはしてあるものの、かの子自身の絶唱にちがいない。
 
川端康成・三島由紀夫【超ヒラリズム178】
 
 川端の自殺は、個人的には三島由紀夫の自決よりも衝撃が大きかった。なぜなら三島の自決は予測できたが、川端の自殺は予測できなかったから。あれは評論家などのいうような発作的なものではなく計画的なもので、机にあった岡本かの子についての原稿の冒頭(「年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり」というかの子の歌)こそが、川端の遺書と考えるからである。
 
玄侑宗久【超ヒラリズム179】
 
 今東光も寂聴さんもそうだが、小説を書く坊さんはすべからくナマグサ坊主である。けれど玄侑さんのナマグサぶりは、なかなかしたたかなもので、福島のひとだから、3・11も他人事ではなく、するとまた小説なりエッセイのネタになってしまうのである。私は玄侑さんの『方丈記』解説をスバラシイと思ったが、坊主嫌いの愚妻は逆の反応を示した。だがこれは私に軍配があがる。
 
荘子【超ヒラリズム180】
 
 むかしの中国の偉人では、老子と墨子を私は好み学んでいるが、孔子も荘子もよく読んだ。ここ数十年の日本の政治を望見し体感すると、荘子いわく「轍鮒の急」というものが成っていないから、国民は災害にも伝染病にも悪事にも苦しんできたのだ。日本の政治家は、生活に困ったことがない連中ばかりだからこうなる。私は半世紀前からいっとるが、政治家は国民の平均年収にすべき。
 
村上春樹【超ヒラリズム181】
 
 春樹君は「僕より小説をうまく書ける者は少ない」といっていて、だから小説を書いていて楽しいという。これは正直なコトバだが、春樹君より小説がうまい少数者の中に私がいる。だが楽しいばかりでないのは、いつも超えなければならぬという信念がありながら、なかなか超えられないからだ。その点春樹君が楽しいのは、いったん作り上げた文体をなおそう崩そうとしないからだ。
 
山本太郎【超ヒラリズム182】
 
 テレビの討論会などで、山本議員のいうことを聞いていると、よく勉強しているナと思いながら、いずれ首相になってほしい人物だと思われる。時勢によっては大きな仕事をしそうだし。しかしこの時勢というものが問題で、幕末級の時勢が到来する可能性は、残念ながらゼロに近い。それに数は力だから、そこにも限界がある。それでも彼には大いに活躍してほしいと願っている。
 
米倉涼子【超ヒラリズム183】
 
 米倉さんがまだ無名だった時代、小さな映画館で、彼女主演の小さな映画を観た。いうべきこともない三流映画だったが、映画のなかで彼女が上げた足が、頭より上にきたことにオドロキ、且つこの意味もないシーンは、どこに意味があるんだろうと考えていた。後年米倉さんは『ドクターX』でビッグスターとなったが、あの意味もないシーンが糧になっていることはたしかなのだ。
 
江藤淳【超ヒラリズム184】
 
 江藤淳氏に関しては、数え切れないくらい書いてきているから、自分でもいまさらと感じるが、おそらく自分にとって重要な存在なんだろうと思いつつ、また書くのである。江藤氏は大江健三郎氏の『万延元年のフットボール』について、自分にとって必要のない小説だとこきおろしているが、そんなら江藤氏にとって必要な小説は何なのか。少なくとも私には、そんなものありはしない。
 
のん【超ヒラリズム185】
 
 我が最愛ののんちゃんのことは、何度書いてもいいが、最近CМの露出頻度が多くなってきて、嬉しいかぎり。しかも目がキラキラして元気そうではないか。のんちゃんはホントに健気な存在だよ。もっとガンガン使え。腑抜けなテレビ局の忖度縛りとやらがあって、いまだ民放のドラマには出られていないが、今回ジャニーズ事件があったから、のんちゃんにはいい方向性になるかも。
 
杏【超ヒラリズム186】
 
 杏ちゃんの演技がスバラシイと初めて感じたのは、福山雅治主演の映画『真夏の方程式』においてだった。とても難しい役で杏ちゃんならでは、と観終わった後に感じたものだ。それからはずっと注目し、ずっと応援してきた。どういうわけか不幸な離婚後、フランスに行ってしまったが、相変わらず彼女の演技が観られて嬉しい。『キングダム』も最高だった。杏ちゃんガンバレ。
 
芦田愛菜【超ヒラリズム187】
 
 女性の天皇とか女性の総理とか、そういうことが話題になる昨今だが、初めての女性総理は、予想するに愛菜ちゃんだネ。それはあと三十年後あたりだろうが、愛菜ちゃんならそのときだって国民的人気があるはず。私もなんとか長生きしてこの歴史的瞬間に立ち会いたいが、そのときは人類最高齢になってしまっているから無理かも。ううむ心残りで、幽霊になって出てきそうでアル。
 
ジャニーズ【超ヒラリズム188】
 
 例の性加害問題で、みんなワイワイ騒いでいるが、いかにも遅すぎる。私なんか二十年前からいっているけれど、だれもきいていなかった。基本、芸能事務所とテレビ局の関係が一番の問題であって、現ジャニーズも元ジャニーズも、大なり小なり、被害者であることを、決して忘れてはいけない。基本、ジャニーズ事務所のウミは、芸能界全体のウミの象徴、というか氷山の一角なのだ。
 
ジャニーズ【超ヒラリズム189】
 
 テレビ局の話を聞いていると、悪いのはあくまでもジャニーズ事務所であるから、けしからんジャニーズ事務所対策として、ジャニーズ事務所のタレントは当面使わないと宣言しているふうに聞える。今回の問題は「連帯責任」なのであって、そのなかにはテレビ局もジャーナリストも企業もファンも含まれるんだヨ。ファンというものは一種の狂人だから、些かも思ってないだろうが。
 
ジャニーズ【超ヒラリズム190】
 
 10月2日の会見を聞いてみて、東山社長・井ノ原副社長が気の毒になる。やはりジャニーズ事務所は解散したほうがいい。新会社をつくっても、社長・副社長は大変すぎる。経営に素人の彼らにはまだ解っていない。すでに二人はジャーナリズムの餌食になっている。ジャーナリズムは今まで沈黙していたのに、こうなって初めて鬼の首をとったように騒ぎ出すとは、相変わらず姑息だ。
 
 
 

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