超ヒラリズム11月~

超ヒラリズム【令和5年11月~12月】            陽羅義光
 
井端監督【超ヒラリズム1】
 
 現役時代の井端選手は渋くてよかった。そして全日本の監督になっても、渋い。渋いのがいいのかわるいのか。というよりも、監督というものは、どうしてこれほど好みが偏るのか。サッカーでもバスケットボールでもバレーボールでも、団体でやるスポーツというものは、概ね監督の選抜に委ねられる。それは監督の責任をさらに重くさせるものであって、ファンの願望は二の次となる。
 
岡田監督【超ヒラリズム2】
 
 阪神タイガースが38年ぶりの日本一。阪神というチームは好きではないが、岡田監督の優秀さには、原監督や立浪監督など足元にも及ばない。サッカーの岡田監督も優秀だったが、やはり好みが偏っていて、ファンの共鳴を得られたかどうかとなると、覚束ない。その点阪神の岡田監督は、好みの偏りがないか、それとも見せないか、ファンも納得の選手起用だった。だから盛り上がった。
 
原監督【超ヒラリズム3】
 
 巨人の原監督の今年の采配はひどかった。復活する前つまり若いころの原監督は、勝負勘が鋭く冴えていて、そういうもので勝っていた。けれどもここ数年は、(たぶん年齢的なもので)それが消滅した。勝負勘などというものは長続きしないものだ。大切なのは信念であって、それも全く見受けられなかった。迷いばかりが目立った。阪神の岡田監督は信念があるから、当然迷いがない。
 
栗山監督【超ヒラリズム4】
 
 WBCでの成功は、選手選抜から約束されていたといってもいい。大谷選手、ダルビッシュ選手、ヌートバー選手をメジャーから呼べたのは、栗山監督の手腕というよりも人柄だろう。その人柄が信念につながっている。しかもずるずるとひきずらないのがいい。例えばオリンピックで金メダルとって、すぐに辞めた卓球の水谷選手に似て。私の好きな水泳の大橋選手はひきずってしまった。
 
長嶋選手【超ヒラリズム5】
 
 監督・選手に関わらず、スポーツ全般にわたって、引際ほど難しいものはない。うまかったのは、ミスター・ジャイアンツ長嶋選手に尽きるだろう。最近では黒田投手か。へただったのは、松坂投手が筆頭だろう。松坂ほどのピッチャーが、その全盛期の凄さを忘れてしまうほどの体たらくを続けて、ようやく辞めたから、解説者やってても、残念ながら、品格とか迫力が感じられない。
 
平尾誠二【超ヒラリズム6】
 
 ミスター・ラグビーと山中教授の友情のドラマを観た。凄いものを観たと思ったのは、やはり名優本木雅弘の名演のためだろう。あの本人に成り切る力技は簡単にできることではない。平尾の生き方の凄さと本木の演技の凄さがマッチした稀に見るドラマであった。闘病ものというのは、小説でも映画でもテレビでも個人的には苦手なほうだが、闘病ものの範疇を超えた何かであった。
 
三浦哲郎【超ヒラリズム7】
 
 物故作家で、最も印象に残っているのは、三浦哲郎さんである。会ったのは一度かぎり、もらった葉書は一枚かぎり。それでも三浦さんの人間的なあたたかさというものは、いまでも深く私の胸にしみこんでいる。作家というものはどういうわけか、会っても手紙をもらっても、あんまりいい印象を持てないものだが、それはこっちが、勝手な先入観をもっているせいなのかもしれない。
 
トマス・ウルフ【超ヒラリズム8】
 
 この若くして亡くなったアメリカの小説家の言葉に、「真面目な小説はすべて自叙伝的であると思う」というものがある。それによると、ウルフが真面目な小説を目指していたことは解るし、もしかすると小説は真面目でなければならないと考えていた節もある。尤も私は、小説というものは真面目でなくてもいいと考える者だが、自叙伝的な小説にはいいものが多いこともまた事実である。
 
トマス・ウルフ【超ヒラリズム9】
 
 おおよそ真面目な作家なら、小説も真面目になると思われるが、それが単純にそうならないのが、ブンガクの難しさでもある。真面目にも糞真面目というのがあって、そういう作家はは自叙伝的な小説ではなく、自叙伝を書くにちがいない。要するにその「的」が重要なポイントであって、そこに作家の真摯さも狡猾さも、あれもこれも入ってくるのだ。だからこそ重要な小説になるんだ。
 
プーチン&トランプ【超ヒラリズム10】
 
 現代の大統領のなかで、「卑劣人間」の代表を挙げるなら、この二人である。私は人間のなかで最悪なものは、「卑劣人間」だと考えている。正直私の周りにも「卑劣人間」がいっぱいだが、そういうやつは決まって、政治家に似ている。つまり基本的にというか本質的にというか、政治家は「卑劣人間」なのである。だから「卑劣人間」になってしまいそうな私は、政治家にだけはなりたくない。
 
趣里【超ヒラリズム11】
 
 水谷豊と伊藤蘭の娘、ということは、いわゆる七光りなのだが、そういう気配はずっとなかった。なるほど、『ブギウギ』を観ると、これは一個のキャラクターだと解る。美男美女の娘らしくないところがいいし、がむしゃらさがまるで七光りどころか、雑草の匂いがする。『らんまん』の後では辛かっただろうが、全然負けてない。私の好みは別として、これからもがんばってほしい女優だネ。
 
中村ゆり【超ヒラリズム12】
 
 最近あんまり好きな女優がいなくなった。吉永さんは義理があるから別格だが、愛菜ちゃんは子どもじゃなくなったし、ガッキーは人妻になっちゃったし、はるかはCМでばかり存在感を発揮しているし、すずは厚化粧だし、リホもメイもミナミも可愛いだけだし、イチオシの中村ゆりはあんまり出ないし、そんなら外国はというと、メグもナタリーも老けちゃったし、だれか出てこいや。
 
本木雅弘【超ヒラリズム13】
 
 それじゃ男優はというと、健さんも拳さんも故人だし、渥美清も寅さんの再放送だけだし、役所は鼻につくし、謙さんも面倒だし、キムタクも岡田もイヤな感じになったし、福山は福山でしかないし、イチオシの本木はあんまり出ないし、仕方なく名脇役の柄本親子、生瀬、草彅、大泉なんて面々に愉しませてもらっている。外国はというと、若い俳優にはうんざり。だれか出てこいや。
 
夏目漱石【超ヒラリズム14】
 
 それじゃ作家はというと、現代作家はつまらない。東野とか湊とか浅田とか、一般に人気のある作家の代表作は一応読んではいるが、感心したものはない。愚妻なんかは、面白いといって片っぱしから読んでいるが、ブンガクというものを知らないからソンナ傾向になってしまう。ブンガク専門の私には、つまらんつまらん。というわけで結句、漱石十回目の再読とあいなるわけである。
 
宮沢賢治【超ヒラリズム15】
 
 そういえば詩人という人が、今いるのかどうか。現代詩人は谷川俊太郎でおしまいという感じ。とくに谷川を好きでもないから、私にとっての詩人は、なんと宮沢賢治でおしまいという感じ。それでもいろんな雑誌を開いてみると、詩人とよべるかどうかはともかく、詩を書く人はそれなりにいそうだ。それなりどころか、若い人にはじゃんじゃん書いてもらって、総詩人化なんてイイネ。
 
ランボー【超ヒラリズム16】
 
 外国だって、現代詩人という人が何人いるのか。とにかく詩人じゃ食えないから、詩を書く暇があったらエンタメを書きたい人ばかりなのだろう。現代詩人といったら『荒地』のエリオットなのだろうが、とくに好きでもないから、私にとっての詩人は、なんとランボーでおしまいという感じ。ブンガクはまず詩にありき、と考える私は、詩人の消滅は、ブンガクの消滅の同意語である。
 
レオン【超ヒラリズム17】
 
 いままで私はけっこうエンタメの悪口をいってきた。悪口でなければ、批判であろうか。けれどもブンガクでなく映画ということなら、堅苦しい映画や重苦しい映画や退屈な映画よりも、エンタメのほうが好きなのである。それはもしかすると私の体感的に、「読む」と「観る」との差異があるのかもしれない。今のところ『レオン』『ゴッドファーザー』『ダイ・ハード』がベストスリー。
 
永山則夫【超ヒラリズム18】
 
 永山の「小説集成・全二巻」が出た。とても良かったと思われる。殺人者でも死刑になれば、みな同じ宇宙の塵だ。殺人者の永山と小説家の永山を区別するむきもあるが、私は同じ永山だと感じる。犯罪者だからという理由のみで、その作品が貶められることはあってはならない。永山にはいい小説がある。それがこの集成で一般に知られることは、ありがたい。出版社に讃辞をおくる。
 
太宰治【超ヒラリズム19】
 
 太宰の『トカトントン』を再読すると、あの語り手にとって忌まわしい、あのトカトントンは敗戦復興の金槌の音かと思っていたら、そうでないような、やっぱりそうであるような。面白かったのは、自由党・進歩党は古くさくて問題外で、社会党・共産党は、無条件降伏の屍にわいた蛆虫のようだと書いてあるところで、ううむ、戦後77年、政治・社会状況は不変だなあと感じたヨ。
 
太宰治【超ヒラリズム20】
 
 太宰はなにを読んでも、予言者めいた一文があって、それがことごとく当たっているところが凄いと感じる。ホント作家というものは、ある意味で予言者でなければならず、現代を書いても現代にとどまらず、未来を予言していなければ、作品は遠からず古びる。漱石と太宰が古びないのは、その理由の第一は予言者効果であるといっても過言ではない。さて私は予言者に成り得ているか。
 
旧ジャニーズ【超ヒラリズム21】
 
 何回もいうようだが、あれはやっぱり解散したほうがいい。岡田・二宮・生田など問題が発生してから辞める、自分勝手な連中も出てきた。ファンは相変わらず(自分らも加害者に加担していることを認識せずに)被害者への誹謗中傷が止まらない。事務所もテレビ局もタレントもファンも屑ばかりの集合体に、存在意義はない。因みに私は誹謗中傷には慣れっこだから、いつでもどうぞ。
 
向井理【超ヒラリズム22】
 
 私みたいな三国志ファンにはたまらんドラマが『パリピ孔明』だ。向井は『ゲゲゲの女房』で覚醒し、『婚活探偵』でふっきれた。ただのイケメン俳優ではなくなった。これからがさらに楽しみである。ところでこのパリピはあんまり視聴率も高くなさそうだが、稀に見る不思議なドラマで、何よりも出演陣が多彩で個性的。この面白さは当然観た者にしかわからんわけだから、もったいない。
 
三浦清宏&三浦哲郎【超ヒラリズム23】
 
 長年生きているといろんな作家に会う機会も多く、それなりに興味深かったが、会って心底よかったと思える作家は少なく、三浦清宏さんくらいか。他には三浦哲郎さんで、普通なら清宏さんくらい仲良しになれたはずが、私の奥手と方向音痴によって、親しく接することができずに残念無念である。まあ作家というものはおおむね、両三浦さんのような人格者ではない。その認識が必要。
 
タカラジェンヌ【超ヒラリズム24】
 
 歌舞伎も落語も大相撲もそうだが、伝統のある組織には、旧態依然とした風習めいたものがはびこっている。宝塚もそのひとつで、大相撲なんかは協会が大いに反省して、あれこれ時代に即したシステムに変えてきたが、宝塚はトップの反省がないから、今後もなにかと問題が起こるにちがいない。猿でも反省するのに、猿以下の連中が多い。そうそう、日本の政治機構も大改革が必要だ。
 
岸田内閣【超ヒラリズム25】
 
 問題ばかり頻出する岸田内閣が、本腰を入れて取組まなければナランのは、選挙対策の一環として、国民にお金をばらまいたり、アメリカに迎合して、大金をつかったりすることではない。私は半世紀前からいっておるが、政治家の給料は国民の平均所得にしなければナランし、政治家の数は半分にしなければナランし、参議院は廃止にしなければナランし、自民党は解体しなけれナラン。
 
神木隆之介【超ヒラリズム26】
 
 べつに私は神木のファンではないが、この俳優は天才というか、その演技にしてもその性格にしてもその容姿にしても、天から降りてきた人間に思われる。名は体をあらわすであって、私たちはこの俳優に、どれだけ楽しませてもらっているか、癒されているか、はかりしれないところがある。金欠病だからお賽銭はあげないが、神木に手を合わせたい思いである。ファンじゃないがネ。
 
保坂和志【超ヒラリズム27】
 
 保坂は猫好きだから、さもありなんというところだが、カラスが産まれたばかりの小猫を狙っていて、カラスをまるで悪党っぽく書いているが、これは作家として甘い。カラスにはカラスの事情というものがある。熊が出没して熊の被害が多く、漁師たちに熊を殺すなというコメントが殺到している。それを文化人などはけしからんといっているが、これも甘い。熊にも熊の事情がある。
 
大谷翔平【超ヒラリズム28】
 
 大谷クン、いや大谷選手が、満票でМVP。満票で二度目はメジャー史上初とのこと。バンザイ、もはやベーブ・ルースを超えたネ。でも別の視点から見れば、ベーブ・ルースは永久に超えられないんだナ。王選手がいくら凄い成績を残したって、長嶋選手を超えられなかったように。そこには人種の問題もからんでいる。アメリカ人も日本人も残念ながら、アタマの隅っこにそれがある。
 
大谷翔平【超ヒラリズム29】
 
 大谷選手の魅力は、ファンそれぞれなんだろう。それでも二刀流の魅力が一番かな。続いてあの豪快なホームラン。ピッチャーとしても凄い。盗塁を含めた足も魅力だ。カッコいい動作を挙げる人もいる。それから親しみやすいあの性格。私個人は、マンガの主人公に似たあの顔が一番。しかも私らの子供時代のマンガの主人公。鉄腕アトムとか、赤胴スズノスケとか、星ヒューマとか。
 
大谷翔平【超ヒラリズム30】
 
 ヒーローはマンガの世界だけかと思っていたが、現実にこんなヒーローが現われるなんて、長生きはするもンだ。力道山も大鵬も長嶋もヒーローだったが、
あるいは三島由紀夫も高倉健もジュリーもヒーローだったが、大谷選手のスケールには過去のどんなヒーローもかなわない。しかもヒロイズムというものが感じられないヒーローであって、そこがまたいい。やっぱり長生きはいいナ。
 
津島佑子【超ヒラリズム31】
 
 太宰治の娘でありながら、太宰っぽさがまったくなく、太宰とはまったくちがった自分なりのブンガクを確立した。その努力というか試練というか、並大抵のものでなかっただろうことは、同じ物書きとして実感がある。しかし私が津島の作品に魅力を感じないのは、太宰に似ていないからではなく、太宰に似させないよう苦労した、その苦労が作品に滲み出ているのを感じるからダ。
 
市川エンノスケ【超ヒラリズム32】
 
 量刑が決まったが軽すぎるという気がする。あれは自殺幇助ではなく殺人だ。私は歌舞伎では猿之助が好きだったけれど、歌舞伎の世界しか知らぬ世間知らずと思われる。つまりまだ子供なのであって、歌舞伎の大物猿之助ではなく、子供のエンノスケなのだ。憐れな気もするが、ありがたいもので、やっぱりファンはついてくるだろう。まだ残りの人生があるので、何とか頑張ってほしい。
 
羽生ユズル【超ヒラリズム33】
 
 この人も、フィギュアスケートしか知らぬ世間知らずの見本だ。だから彼も結弦ではなく、子供のユズルだ。離婚の発表のコメントもおかしい。何かと煩わしいこと不快なことがあるなら、一緒に乗り越えてこそ夫婦なのであって、結婚というものを軽く考えて、ハズミでやってしまったとしか思われない。だれでも結婚はハズミなのだが、一般人と異なり多くのファンがいるのだからネ。
 
夢グループ・社長【超ヒラリズム34】
 
 私は基本的に社長という肩書きの人は好きではないのだが、この社長は好きだナ。人柄はよく知らんが、テレビCМで見る限り、存在そのものにユーモアがあるし。夢グループは最近では通販に力を入れているが、私がはじめて知ったのは、もう名前も曲も忘れかけた、超ベテラン歌手たちをステージに立たせて、ある意味(本人もファンも)活性化させるという、素敵な活動であった。
 
池田大作氏【超ヒラリズム35】
 
 自民党と統一教会の関係もひどいが、そういうことは、公明党と創価学会の「憲法違反」を認めていることから発する。「政教分離」を宣言してもそれは上っ面だけで、選挙になると私の親戚の創価学会員から公明党の応援をよろしくと必ず電話が入る。創価学会の隆盛は故池田氏の功績だが、政界への進出の裏にある本性はオウムの麻原と変わらない。政教分離を曖昧にしてはナラン。
 
サルトル&カミュ【超ヒラリズム36】
 
 私らの世代で「サルトル・カミュ論争」というものが、未だに記憶に残っている者は少なくはないであろう。あれは当時、サルトルの圧勝といわれておったが、私はそうは思わなかったし、いまでもそうは思っていない。カミュのあたまにはスターリンの暴挙があり、それは今のプーチンの暴挙につながっている。カミュには先見性があり、自省があり、それはサルトルにはないものだゼ。
 
百田尚樹【超ヒラリズム37】
 
 櫻井、有本ら、いわゆる右翼女性理論家は醜悪だが、百田は醜悪を超えて滑稽である。作家は保守であってもいいが、保守党なんか作って何をするつもりなのか。だいたい守るべきものを守らないのが、保守政治家であって、いったい何を守るのか。困ったものだが、まあデモンストレーションと思えばいいか。人に嗤われてもくじけない根性を持っている百田は、存在感だけはあるナ。
 
伊集院静【超ヒラリズム38】
 
 作家としては好きではなかったが、死なれてみると何か淋しい。羨ましいくらい、もてる男だった。けれども夏目雅子を喪って、再婚はしてほしくなかった。男の流儀、としてだ。あれは彼の弱さだと思われる。強いものは、男だ女だとかいわない。ただ、つかこうへいや柳美里もそうだが、在日の強さはあった。それが物書きとしてのインパクトになっていた。中途半端ではあってもネ。
 
北方謙三【超ヒラリズム39】
 
 中国史を書く作家としては、宮城谷昌光と双璧で、『蒼き狼』の井上靖を超えたと思われる。宮城谷も『三国志』を書き続けているらしいが、北方の『三国志』は書き終ったので、読んでいる。面白いだけではない。うまいだけではない。何かのりうつったものがあって、たとえば曹操や劉備が死ぬ場面は、曹操や劉備に憑依していて、すごいものがある。エンタメを超えたブンガクがある。
 
三浦清宏先生【超ヒラリズム40】
 
 私は相手がだれであれ「先生」と呼ぶのを嫌う。「先生」と呼ばれることも嫌う。なぜなら「我以外は皆師である」からなのだ。けれどもどうしても「先生」と呼ばれてしまうこともある。また「先生」と呼んでしまうこともある。相手が「先生」と呼ばれることを欲するからだが、もしくは相手の名前をど忘れするからだが、自然に「先生」と呼んでしまうのは、三浦清宏先生のみである。
 
水川あさみ【超ヒラリズム41】
 
 菅田将暉の結婚は納得だったが、クボタともあろう男が、どうして年上のあさみなどと結婚したのか。ずっとそう考えてきたのだったが、朝ドラの『ブギウギ』を観て、完全納得した。芸は身をたすくなのか、それとも女優自身の魅力なのか、あさみはすごい魅力的な女性だった。クボタをアホと思っていたが、いまではクボタをエライと思っている。あとは山ちゃんと結婚した蒼井カナ。
 
ジュネ【超ヒラリズム42】
 
 ジュネは『花のノートルダム』などの傑作を残した。「怪物作家」と呼ばれる。尤も私はそうは思わない。傑作ではあっても、ホモがホモの世界を書いても、怪物作家とは思わない。ホモでない作家がホモの世界を書いたら、怪物作家かもしれないが。学歴のない作家が斬新な文学作品を書いたから怪物作家であるなら、そういう作家は他にもかなりいる。呼称などあてにならないものだヨ。
 
林真理子【超ヒラリズム43】
 
 私は最近、或る文学団体の理事長を辞任した。その団体の幹部たちの失態の責任をとったカタチだが、トップという立場は責任をとるためにあるといっても過言ではない。林真理子は日大の理事長になったときから、こりゃイカンと思ったものだ。なぜならその重責が解っているとは思われなかったから。やはり今回、理事長の座に居座るつもりだが、ここで責任をとらずして何が理事長だと感じる。作家としてはがんばっているけれども、それとこれは違う。
 
あいみょん【超ヒラリズム44】
 
 私も贔屓にしているあいみょんが、音楽番組で歌をまちがえて頭を抱えていた。その様子も愛らしく益々好きになったが、生番組はそれがあるから、厳しいし面白い。プロだからまちがえてはいけないというのは、一般常識だが、プロ野球選手がエラーするのと同じで、プロの世界だってパーフェクトはありえない。大切なのはまちがえないことではなく、まちがえたら反省することダ。
 
山田太一【超ヒラリズム45】
 
 89歳で老衰とは、残念というか何というか。実に優れた脚本家だった。『男たちの旅路』や『ふぞろいの林檎たち』もよかったが、『岸辺のアルバム』は衝撃的だった。スタッフも良かったのだろう、ああいうドラマをテレビでやったのは、太一さんが初めてではなかったか。小説も賞をもらったが、これは書かなかったほうがよかったくらいのもので。つまり生粋の脚本家だったのだナ。
 
三木卓【超ヒラリズム46】
 
 この人は88歳で老衰。いまの時代、90歳を越えないで老衰はないだろう。きっと別の死因だったはずだ。地味な作家だったが、大学の先輩だったから読んでみたが、これがとても良かった。タイトルは忘れたが、作者の人柄が反映した胸に沁みる小説だった。こういう地味な作家でも、紫綬褒章もらったり日本芸術院会員になったりした。地味なところが体制受けしたのだろうか。
 
アダモちゃん【超ヒラリズム47】
 
 好きだったアダモちゃんが亡くなった。今ならば差別だなんていわれるのだろうけど、差別はいくらでもあって、あれも差別これも差別、だいたい金持ちと貧乏人がいるというだけで、差別になる。あえていうなら、生れたときから差別がある。きれいに生れるのときたなく生れるのと。つまり世の中は差別で渦巻いているわけであって、共産主義になったって権力者が差別の対象になる。
 
阿部兄妹【超ヒラリズム48】
 
 私の祖父は柔道家だった。講道館七段で、身体は大きくはなかったが、押しても引いてもビクともしなかった。とてもかなわなかったので、私は柔道から身を引いた。それでもこのごろ阿部兄妹の活躍を見るにつけ、いささか後悔をしている。もしかするとあの兄妹はまるで現代のイップマンで、私の祖父と同様に、じぶんよりずっと大きい相手にも勝つのではないか。日本の宝である。
 
黒鉄ヒロシ【超ヒラリズム49】
 
 小林よしのりもそうだが、黒鉄サンも、漫画家の枠を超えた凄さがあって、これは歴史の勉強をしているからだ。漫画家にかぎらない。歴史の勉強をしている小説家と、していない小説家とでは雲泥のちがいがある。しかも大切なのは、一面的な歴史解釈ではなく、複合的な歴史解釈ができるということ。ポリフォニーは単なる技術ではなく、博識からくるものでなければ意味がない。
 
オードリー・ヘップバーン【超ヒラリズム50】
 
 『ローマの休日』を観たのは11回目だけれど、何度観ても面白い傑作だ。最初はグレゴリー・ペックのファンだったから観たのだが、とにかくオードリーが素晴らしい。きれいでかわいいのみならず、演技もうまいのが何度も観るとよく解る。あんな女優はおそらくもう出ないのだろうが、観られる時代に生まれてホントよかった。『麗しのサブリナ』『昼下がりの情事』も最高だネ。
 
大谷翔平【超ヒラリズム51】
 
 大谷クンがドジャーズに決まった。さらに人気が急上昇するにちがいない。長嶋サン以後、日本人プロ野球選手のビッグスターはもう出ないと思っていたが、出た。オードリーと同じく、観られる時代に生まれてホントによかった。あとは長生きして、大谷クンが引退するまで応援しつづける。大谷クンを見ていると、まるでマンガの世界の主人公だ。しかも昭和のマンガの世界だヨ。
 
張本兄妹【超ヒラリズム52】
 
 柔道の阿部兄妹を取り上げたら、卓球の張本兄妹も取り上げないと(人種差別にはならなくとも)片手落ちだ。尤も片手落ちという言い方は、差別用語らしい。張本兄妹は、三年後には二人揃って世界一になる可能性がある。妹はパリ五輪の代表にしたいが、わけのわからぬ点数制度があって、今回は無理かもしれない。ナンバーワンでもオリンピックに行けないとなると高橋尚子以来だ。
 
安倍派議員【超ヒラリズム53】
 
 田中真紀子じゃないが、もう全員政治家失格だ。尤も安倍派のみならず、自民党議員にとってこういうことは、当たり前なのだ。それにしてもキックバックという語は久しぶりに聞いた。私の居た広告界では、キックバックは安倍派議員以上に当たり前で、当たり前だから私もやったが、あの業界は本質的に悪質なものであって、政治家の世界は本質的に悪質であってはならないんだヨ。
 
東野圭吾【超ヒラリズム54】
 
 現代一の人気作家だからというわけではなく、初期の作品から読んできたので、いまも読みつづけている。そして遅まきながら長編『天空の蜂』を読んで、その筆力に驚嘆した。これはドローンの武器化も、東日本大震災での原発事故も、見事に預言している。残念なのはかなり早い段階から、犯人を明かしてしまっていることで、それは推理小説を書くつもりではなかった証拠なのだろう。
 
イップマン【超ヒラリズム55】
 
 ブルース・リーも偉大だが、彼を生んだのは、やはりイップマンだ。イップマンの強さは、優しさに比例している。総合的に考えれば、格闘技では世界の歴史上最強だろう。アントニオ猪木もアリもイップマンには敵わない。私がもし少年時代にイップマンを知っていたなら、まず講道館七段の祖父に教えを請い、それから中国に渡り、格闘技の世界に足を踏み入れていたにちがいない。
 
松本清張【超ヒラリズム56】
 
 清張の全作品で、まだ読んでいないものいくつかを読んだ。時代が移ってどうかと思われたが、清張はいま読んでも面白い。それは人間を描いているからだ。それでも些か長すぎる。私なら半分の枚数で書く。これは推理小説の宿命と、サービス精神の発露だと思われる。とはいえ推理小説にかぎらず、世界の大長編文学はエンターテインメント性があるから、読み継がれているのだろう。
 
宮本輝【超ヒラリズム57】
 
 宮本の長編はまどろっこしくてなかなか読み進められなかったが、短編をいくつか読んでみて、うまいもんだなあと感心した。感心したが感動しなかったのは、とくに世界が戦争と飢餓で混乱している現代にあって、なんというか問題意識が稀薄なせいだ。家族とか恋人とか愛人とか、そんなものをひたすら書いているが、そういうものを突き抜けたものがあるはずで、これじゃつまらん。
 
坂田利夫【超ヒラリズム58】
 
 いわゆるアホの坂田が亡くなった。藤山寛美が代表的だが、ホントのアホにはアホの芝居はできない。私は坂田が好きだった。あの貧弱な身体でよくがんばった。お利口さんが亡くなるよりもアホが亡くなったほうが哀しいのは、なぜか。たぶんお利口さんは天国には行けないが、アホは天国に行けそうな気がする。それでも哀しいのは、天国なんてそれほどいいもんじゃないからだ。
 

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