死想(3)

死的詩人【終曲】
 
 
 むかしからおおくの詩人が、死や死の予兆や死のにおいをうたってきた。
 それは、詩人という、
「感性の哲学者」にとって、死は最大のテーマであったからである。
 逆にいうなら、死を最大のテーマにしなかった詩人は、文学者ではあっても詩人ではないのかもしれない。
 それでは(もちろんわたくしの愛唱してきた)死を感じる詩の、あるいは詩の断片のいくつかを、アトランダムに引用して、つまらぬ解説抜きで引用して、『死的哲学』の読者にのみ提供しよう。
 家族の死、友人の死、恋人の死、自分の死、他人の死、人間の死、人間ではない物の死、世間の死、世界の死、観念としての死。
 詩人たちが死をどう想いどう感じてきたのか、どう扱いどう汲みとってきたのか。
 どう解いてきたのかどう解けなかったのか。
 どう掬いどう撒いてきたのか。
 どう意識しどう無意識してきたのか。
 どう歯ぎしりしどう地団駄ふんできたのか。
 どう諦めてきたのかどう諦めずにいるのか。
 日本の詩に絞るのは、外国の詩にも暗誦したものがたくさんあるけれども、翻訳では伝わらないものがあるからで、他意はない。
 この本を読んだのちに、これらの詩を読んでみると、いままでの観賞とはちがった、新しいあるいは別の観照を味わえるはずであるとおもうからである。 
          *
『墓碑銘』石川啄木
 
 われは常にかれを尊敬せりき、
 しかして今も猶尊敬すー
 かの郊外の墓地の栗の木の下に 
 かれを葬りて、すでにふた月を経たれど。
 
 実に、われらの会合の席に彼を見ずなりてより、
 すでにふた月は過ぎ去りたり。
 かれは議論家にてはなかりしかど、
 なくてかなわぬ一人なりしが。
 
 或る時、彼の語りけるは、
 同志よ、われの無言をとがむることなかれ。
 われは議論すること能はず、
 されど我には何時にても起つことを得る準備あり。
 
『誠之助の死』与謝野鉄幹
 
 大石誠之助は死にました、
 いい気味な、
 機械に挟まれて死にました。
 人の名前に誠之助は沢山ある。
 然し、然し、
 わたしの友達の誠之助は唯一人。
 わたしはもうその誠之助に逢はれない、
 なんの、構ふもんか、
 機械に挟まれて死ぬやうな、
 馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。
 
 それでも誠之助は死にました、
 おお、死にました。
 
 日本人で無かつた誠之助、
 立派な気ちがひの誠之助、
 有ることか、無いことか、
 神様を最初に無視した誠之助、
 大逆無道の誠之助。
 
 ほんにまあ、皆さん、いい気味な、
 その誠之助は死にました。
 
 誠之助と誠之助の一味が死んだので、
 忠良な日本人は之から気楽に寝られます。
 おめでたう。
 
『殺人事件』萩原朔太郎
 
 とほい空でぴすとるが鳴る。
 またぴすとるが鳴る。
 ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、
 こひびとの窓からしのびこむ、
 床は晶玉、
 
 ゆびとゆびとのあひだから、
 まつさおの血がながれている、
 かなしい女の屍体のうへで、
 つめたいきりぎりすが鳴いている。
 
『蛙の死』萩原朔太郎
 
 蛙が殺された、
 子供がまるくなつて手をあげた、
 みんないっしょに、
 かはゆらしい、
 血だらけの手をあげた、
 月が出た、
 丘の上に人が立つている。
 帽子の下に顔がある。
 
『艶めかしい墓場』萩原朔太郎
 
 どうして貴方はここに来たの
 やさしい 青ざめた 草のやうにふしぎな影よ
 貴方は貝でもない 雉でもない 猫でもない
 さうしてさびしげなる亡霊よ
 
『晩年』室生犀星
 
 僕はきみを呼びいれ
 いままで何処にいたかを聴いたが
 きみは微笑み足を出してみせた
 足はくろずんだ杭同様
 なまめかしい様子もなかった
 僕も足を引き摺り出して見せ
 もはや人の美をもたないことを白状した
 二人は互の足を見ながら抱擁も
 何もしないでふくれっつらで
 あばらやから雨あしを眺めた
 
『老いたるえびのうた』室生犀星
 
 けふはえびのやうに悲しい
 角やらひげやら
 とげやら一杯生やしているが、
 どれが悲しがつているのか判らない。
 
『井戸』生田春月
 
 深い井戸の中に
 永遠なるものが眠っている、
 その中を窺いてはならない、
 われわれの眼を塞ぐまで。
 
『詩魂』生田春月
 
 わが魂は
 墓場にともされる燈籠に似ている、
 既に歌なき寂寞の中によろめき、
 初秋の嵐にうち叩かれて
 くづれ落ちる骨に似ている。
 
『無声慟哭』宮沢賢治
 
 こんなにみんなにみまもられながら
 おまえはまだここでくるしまなければならないか
 ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
 また純粋やちいさな徳性のかずをうしない
 わたくしが青ぐらい修羅をあるいているとき
 おまえはじぶんにさだめられたみちを
 ひとりさびしく往こうとするか
 信仰を一つにするたったひとりのみちづれのわたくしが
 あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれていて
 毒草や蛍光菌のくらい野原をただようとき
 おまえはひとりどこへ行こうとするのだ
 
『眼にて云う』宮沢賢治
 
 だめでしょう
 とまりませんな
 がぶがぶ湧いているですからな
 ゆうべからねむらず血も出つづけなもんですから
 そこらは青くしんしんとして
 どうも間もなく死にそうです
 けれどもなんといい風でしょう
 もう清明が近いので
 あんなに青ぞらがもりあがって湧くように
 きれいな風が来るですな
 もみじの嫩芽と毛のような花に
 秋草のような波をたて
 焼痕のある藺草のむしろも青いです
 あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
 黒いフロックコートを召して
 こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば
 これで死んでもまずは文句もありません
 血がでているにかかわらず
 こんなにのんきで苦しくないのは
 魂魄なかばからだをはなれたのですかな
 ただどうも血のために
 それを云えないがひどいです
 あなたの方からみたらずいぶんさんたんたるけしきでしょうが
 わたくしから見えるのは
 やっぱりきれいな青ぞらと
 すきとおった風ばかりです。
 
『レモン哀歌』高村光太郎
 
 そんなにあなたはレモンを待つていた
 かなしく白くあかるい死の床で
 わたしの手からとった一つのレモンを
 あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
 トパアズいろの香気が立つ
 その数滴の天のものなるレモンの汁は
 ぱつとあなたの意識を正常にした
 あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
 わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
 あなたの咽喉に嵐はあるが
 かういう命の瀬戸ぎはに
 智恵子はもとの智恵子となり
 生涯の愛を一瞬にかたむけた
 それからひと時
 昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
 あなたの機関はそれなり止まつた
 写真の前に挿した桜の花かげに
 すずしく光るレモンを今日も置こう
 
『血に染みて』村山槐多
 
 血に染みて君を思ふ
 五月の昼過ぎ
 赤き心ぞ震ふ
 あはれなるわが身に
 
 はてしらぬ廃園に
 豪奢なる五月に
 君が姿立てる時
 われはなくひたすらに
 
 わが血は尽きたり
 われは死なむと思ふ
 華麗なる残忍なる君をすてて
 血に染みて死なん。
 
『死は羽団扇のやうに』大手拓次
 
 この夜の もうろうとした
 みえざる さつさつとした雨のあしのゆくへに、
 わたしは おとろへくづれる肉身のあまい怖ろしさを‚ィぼえる。
 この のぞみのない恋の毒草の火に、
 心のほのほは 日に日にもえつくされ、
 よろこばしい死は
 ひほひのやうに その透明なすがたをほのめかす。
 ああ ゆたかな 波のやうにそよめいている やすらかな死よ、
 なにごともなく しづかに わたしのそばへやつてきてくれ。
 いまは もう なつかしい花のおとづれは
 羽団扇のやうにあたたかく わたしのうしろにゆらめいている。
 
『蛙にのつた死の老爺』大手拓次
 
 灰色の蛙の背中にのつた死が、
 まづしいひげをそよがせながら、
 そしてわらひながら、
 手をさしまねいてやつてくる。
 その手は夕暮をとぶ蝙蝠のやうだ。
 年をとつた死は
 蛙のあゆみののろいのを気にもしないで、
 ふはふはとのつかっている。
 
『臨終』中原中也
 
 秋空は鈍色にして
 黒馬の瞳のひかり
   水涸れて落つる百合花
   ああ こころうつろなるかな
 
 神もなくしるべもなくて
 窓近く婦の逝きぬ
   白き空盲ひてありて
   白き風冷たくありぬ
 
『ポロリ、ポロリと死んでゆく』中原中也
 
 ポロリ、ポロリと死んでゆく。
 みんな別れてしまふのだ。
 呼んだつて、帰らない。
     なにしろ、此の世とあの世とだから叶はない。
 
『汚れつちまった悲しみに…』中原中也
 
 汚れつちまった悲しみは
 なにのぞむなくねがふなく
 汚れつちまった悲しみは
 倦怠のうちに死を夢む
 
『歌』新川和江
       森の奥では死んだ子が
       螢のやうに蹲んでる
               ー中原中也
 
 生きている子どもたちを
 光のなかで跳ねさせているのは
 闇のなかの
 死んだ子どもたちです
 
 生きている子どもたちを
 ベッドの上でむずからせているのは
 つめたい川を流れてゆく
 生れなかった子おもたちです
 
 生きている子どもたちの
 目方をふやし 背丈をのばしてゆくのは
 死んだ子どもや 生れなかった子どもたちが
 使わずにたくわえている月日です
 
 おやすみ
 おやすみ
 おかあさんは 子守歌をうたう
 世界じゅうの 屋根の下で
 
 目に見える子どもも 見えない子どもたちも
 同じ腕に 抱き寄せて
 どんなちいさな耳にもとどく
 優しい声で
 
『土へのオード』新川和江
 
 ー死は 熟したか
 
 ーいいえ わたしの死は まだ青い
  まだ痩せている まだ貧しい
 
 ーしだらなく寝そべっているのか 時は
  死のほとりに
 
 ーいいえ 時は忠実な農夫
  いっしんに耕している
  わたしの中の 未墾の土地を
 
『帰郷者』伊東静雄
 
 自然は限りなく美しく永久に住民は
 貧窮していた
 幾度もいくども烈しくくり返し
 岩礁にぶちつかつた後に
 波がちり散りに泡沫になって退きながら
 各自ぶつぶつと呟くのを
 私は海岸で眺めたことがある
 絶えず此處で私が見た帰郷者たちは
 正にその通りであつた
 その不思議に一様な独言は私に同感的でなく
 非常に常識的にきこえた
 (まつたく!いまは故郷に美しいものはない)
 どうして(いまは)だろう!
 美しい故郷は
 それが彼らの実に空しい宿題であることを
 無数な古来の詩の讃美が証明する
 曾てこの自然の中で
 それと同じく美しく住民が生きたと
 私は信じ得ない
 ただ多くの不平と辛苦ののちに
 晏如として彼らの皆が
 あそ處で一基の墓となつているのが
 私を慰めいくらか幸福にしたのである
 
『田舎道にて』伊東静雄
 
 日光はいやに透明に
 おれの行く田舎道のうへにふる
 そして 自然がぐるりに
 おれにてんで見覚えの無いのはなぜだろう
 
 死んだ女はあつちで
 ずっとおれより賑やかなのだ
 でないと おれの胸がこんなに
 真鍮の籠のやうなのはなぜだろう
 
『雨』八木重吉
 
 雨のおとがきこえる
 雨がふっていたのだ
 
 あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう
 雨があがるようにしづかに死んでゆこう
 
『柿の葉』八木重吉
 
 柿の葉は うれしい
 死んでもいいといつてるふうな
 みづからを無みする
 その ようすがいい
 
『おさかな』金子みすず
 
 海の魚はかわいそう
 
 お米は人につくられる
 牛は牧場で飼われてる
 鯉もお池で麩を貰う
 
 けれども海のおさかなは
 なんにも世話にならないし
 いたずら一つしないのに
 こうして私に食べられる
 
 ほんとに魚はかわいそう
 
『死』金子光晴
       ─Sに
 
  生きているのが花よ。
 さういつて別れたおまへ。
 根さがりの銀杏返し 
 痩肩のいたいたしいうしろつき。
 
 あれから二十年、三十年
 女はあつちをむいたままだ。
 泣いているのか、それとも
 しのび笑をこらへているのか。
 
 ああ、なんたる人間のへだたりのふかさ。
 人の騒ぎと、時のうしほのなかで
 うつかり手をはなせば互ひに
 もう、生死をしる由がない。
 
 しつてくれ。いまの僕は
 花も実も昔のことで、生きるのが重荷 
 心にのこるおまへのほとぼりに
 さむざむと手をかざしているのが精一杯。
 
『告別式』山之口貘
 
 金ばかりを借りて
 歩き廻っているうちに
 ぼくはある日
 死んでしまったのだ
 奴もとうとう死んでしまったのかと
 人々はそう言いながら
 煙を立てに来て
 次々に合掌してはぼくの前を立ち去った
 こうしてあの世へ来てみると
 そこにぼくの長男がいて
 むくれた顔して待っているのだ
 なにをそんなにむっとしているのだときくと
 お盆になっても家からの
 ごちそうがなかったとすねているのだ
 ぼくはぼくのこの長男の
 頭をなでてやったのだが
 仏になったものまでも
 金のかかることをほしがるのかとおもうと
 地球の上で生きるのとおなじみたいで
 あの世も
  この世もないみたいなのだ
 
『姉さんごめんよ』鮎川信夫
 
 姉さん!
 飢え渇き卑しい顔をして
 生きねばならぬこの賭はわたしの負けだ
 死にそこないのわたしは
 明日の夕陽を背にしてどうしたらよいのだろう
 
『繋船ホテルの朝の歌』鮎川信夫
 
 街は死んでいる
 さわやかな朝の風が
 頸輪ずれしたおれの咽喉につめたい剃刀をあてる
 おれには掘割のそばに立っている人影が
 胸をえぐられ
 永遠に吠えることのない狼に見えてくる
 
『四千の日と夜』田村隆一
 
 一篇の詩が生まれるためには、
 われわれは殺さなければならない
 多くのものを殺さなければならない
 多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ
 
 一篇の詩を生むためには、
 われわれはいとしいものを殺さなければならない
 これは死者を甦らせるただひとつの道であり、
 われわれはその道を行かなければならない
 
『三つの声』田村隆一
 
 その声をきいて
 ついにわたしは母を産むであろう
 その声をきいて
 われわれの屍体は禿鷹を襲うであろう
 その声をきいて
 母は死を産むであろう
 
『水』田村隆一
 
 どんな死も中断にすぎない
 詩は「完成」の放棄だ
 
 神奈川県大山のふもとで
 水を飲んだら
 
 匂いがあって味があって
 音まできこえる
 
 詩は本質的に定型なのだ
 どんな人生にも頭韻と脚韻がある
 
『ちいさな遺書』中桐雅夫
 
 わが子よ、わたしが死んだ時には微笑んでおくれ、
 わたしの肉体は夢のなかでしか眠れなかった、
 わたしは死ぬまで存在しなかったのだから、
 わたしの屍体は影の短い土地に運んで天日にさらし、
 飢えて死んだ兵士のように骨だけを光らせておくれ。
 
『二人の自分』中桐雅夫
 
 戦いで死ぬより年をとって死ぬ恐怖の方が確かになり、
 あす生きていられるかどうかもわからないのに、
 夜、横になると糊のように眠ってしまう。
 
 かくあるはずの自分といまある自分と、
 二つに引裂かれたまま墓の下にはいるのか、
 墓の下では二つが一つになるのだろうか。
 
 このシレジアの言葉を教えてくれた立派な人も死んでしまった、
 どんな人間も死の縛り首は避けられない、
 権力も富も家庭の幸せも、大嵐の前の砂埃だ。
 
『まこちゃんが死んだ日』石垣りん
 
 まこちゃんが 死んだ日
 わたしは うちをでた
 
 まこちゃんが 死んだ日
 そらは 晴れていた
 
 まこちゃんが 死んだ日
 みんなで あつまった
 
 まこちゃんが 死んだ日
 夜は いつもの通り
 
 まこちゃんが 死んだ日
 では さようなら
 
『くらし』石垣りん
 
 食わずには生きてゆけない
 メシを
 野菜を
 肉を
 空気を
 光を
 水を
 親を
 きょうだいを
 師を
 金もこころも
 食わずには生きてこれなかった
 ふくれた腹をかかえ
 口をぬぐえば
 台所に散らばっている
 にんじんのしっぽ
 鳥の骨
 父のはらわた
 四十の日暮れ
 私の目にはじめてあふれる獣の涙
 
『死んだ牛』村上昭夫
 
 ぼくらがとぼとぼ歩いているからには
 ぼくらは敗れた民族なのだろう
 ぼくらは遠い昔に恋人を犯してしまって
 それからはこんなに淋しくうつむいて
 歩き続けているのだろう
 
『人』村上昭夫
 
 人は殺さなくてもすむのに殺すのだ
 盗まなくてもすむのに盗むのだ
 ことさらに人の恐ろしいことは
 交尾しなくてもすむのに
 交尾をするのだ
 
『五億年』村上昭夫
 
 五億年の雨が降り
 五億年の雪が降り
 それから私は
 何処にもいなくなる
 
『足あと』石原吉郎
 
 死んだけもののなかの
 死んだけものの土地を
 ひとすじの足あとが
 あるいて行く 死んだ
 けものの足あとで
 
『死者の理由』石原吉郎
 
 りょうらんたる真下
 死者は終りまで黙しついだ
 黙しぬくことが
 ついに死者の理由であったのか
 黙すことで存在を主張する
 それが
 死者ということであったのか
 死につつ生きつづけ
 生きつつ死につづけ
 凝然とうごめきつづける
 
『恋唄』吉本隆明
 おれが愛することを忘れたら舞台にのせてくれ
 おれが讃辞と富とを獲たら捨ててくれ
 もしも おれが死んだら花輪をもって遺言をきいてくれ
 もしも おれが死んだら世界は和解してくれ
 もしも おれが革命といったらみんな武器をとってくれ
 
『死者へ瀕死者から』吉本隆明
 めをさませ 死者たちよ
 きみたちの憤死はいまもそのままぼくの憤死だ
 午後の日ざしや街路樹の葉かげから
 魔術師のように明日の予感がやってくるが
 ぼくはほとんど未来というやつに絶望だけしかみない
 絶望と抗うためにふたたび加担せよ
 
『禁句』財部鳥子
 
 深い井戸なんかを覗きこむな
 そこには必ず幼いいもうとが死んでいるのだから
 夜明けにふと眼をさましたりするな
 銃撃の音と
 キャタピラーの地鳴りの残響が聞こえるから
 
 世界ではまだあの時代をコピーしている
 「生には意味がない」
 そう書きつければ
 死んだいもうとは初めて大笑いするだろう
 「そうなのよ 意味なんかあるものか」
 と女詩人は力をこめて書きつけている
 
 難民になったいもうとは
 死ぬ前の日
 ソーセージを無性に食べたがった
 日々色濃くなる生の意味は肉質
 
『あのひとと呼ぶとき』谷川俊太郎
 
「あのひと」と呼ぶとき
 その人は広くもない私の心の部屋で
 背中を見せて寛いでいる
 寂しげな気配はない
 名を呼べば振り向くだろうが
 知り過ぎているそのひとを
 いま私は「あのひと」と呼んでしまう
 
 私を抱きしめて時に突き放す人
 あのひとにどう近づけばいいのか
 いまだに私は分からない
 
 でもあのひとは他の誰とも違う人
 決して人ごみに紛れてしまわない人
 墓石の名が風雨にする減った後に
 私の心の部屋に帰って来る人
 
 あのひとと呼ぶときその人は
 私だけの時のせせらぎのほとりに
 いつまでも立ちつくしている
 
『寒心』禿光山人
 
こうしてわれらはまたも孤独だ
        (セリーヌ)
 
寒心とは関心でも感心でもない
心配などで肝を冷やすこととか
怖れを抱いて慄然とすることで
歓心に堪えないとは云わないが
寒心に堪えないとは云うもので
昨今いよよ尿漏れがひどくなり
近々いやはや失禁男の札貼られ
これは異状だ癌の可能性大です
而も末期まっきっきの黄色信号
なんて医者に大仰に云われると
やはり寒心に堪えないけれども
肝を冷やして治るものではない
治すには治療か手術かそれとも
つまり放射線か全摘かそれとも
この際胡散臭い祈祷でも頼むか
或いは新興宗教に縋ってみるか
若しくは自力本願念力発揮だあ
今こそ綴ろう私的前立腺歌日記
くたばれ瀕尿尿漏れ後追い漏れ
いやいやそんなことをする前に
医者の誤診を疑ってみることか
そうして誤診でないと解ったら
観念して死期を待てばいいので
待てば海路の日和ありうんぬん
むかしの人はよく云ったものだ
荒れ狂う海を知っている身には
日和なんていまここにしかない
待たなくてもいまここの日和よ
例え雨でも雪でも嵐なんかでも
例え重病でも金欠病であっても
それを愉しめれば人生充分かと
生まれた甲斐があると云うもの
それ以外に生まれた甲斐はない
甲斐があれば死出の旅も無寒心
畜生め天国も地獄もあるものか
棺桶も死骸も墳墓も仏壇も砕き
再び異次元の世界へと逝くのみ
そこに関心を持つのも悪くない
そこに寒心を抱くのも仕方ない
馬鹿な宿命を詛うのも悪くない
人間万事塞翁が馬鹿とか何とか
人間の吉凶禍福は予兆できない
なぜならそんな差別はないから
人間すべからく凶と禍しかない
ゆえに馬鹿な面白さが在るので
馬鹿馬鹿しいにもほどがあるよ
われらの世界は愚者愚者の葬列
われらの死はなしくずしの愚劣
おお独りを愉しめ愉しむは独り
おお独りこそ原初からのすがた
孤絶の石ころになにができよう
孤絶の石ころになにができよう
ならばなにを怖れるなにを寒心
またも孤独ではなくいつも孤独
三度の飯と変るものなんかない
六度の熱と替るものなんかない
九度の嘘と代るものなんかない
畜生め天国も地獄もあるものか
棺桶も死骸も墳墓も仏壇も砕き
再び異次元の世界へと逝くのみ
粉雪が今日は降りつづいている
かつて今日は粉雪が降ったのだ
そして明日も粉雪が降るだろう
降る雪や明治は遠くなりにけり
明治大正昭和平成令和に拘らず
寒心はいつも降りつづいている
都会に田舎に山に海に平野にも
おお自然よそなたがもし神なら
そなたは無神論者になるだろう
おお神よ人間から寒心を抜取れ
それとも魂を抜取るべきなのか
だれかが云ったが孤独こそ故郷
おお魂の故郷はそこにしかない
ならば流石の神でも手が出せぬ
だから天国も地獄もあるものか
われらの世界は愚者愚者の葬列
われらの死はなしくずしの愚劣
孤絶の石ころ転がって生きつつ
孤絶の石ころ転がって死につつ
          *
【附録】
 死後小説
 
 本編でわたくしは死後小説を書いてきたと述べたが、それらは死後の実態を書きたくて書いたものではない。
 逆に死後というものの不確実性を書いたともいえる。
 そうして、死に対するオプチミストへの反発や、死そのものに対する理不尽性への怒りすらも垣間見える。
 いずれにしても、死や死後を想うための示唆くらいにはなっていると考え、ここに附録としてくわえるのである。
 もちろん附録であるから、そう真面目に読んでもらわなくていいし、眺めてもらう程度でかまわない。
 主人公を詩人に設定し、詩をおおく引用したのは、【終曲】の前段で述べたことと無関係ではない。
 自作について解説するのは、作家にとって軽蔑されることだと考えているので、臨界点でとどめておく。
        *
 憂霊                       
       夢は 真冬の追憶のうちに凍るであろう
       そして それは戸をあけて 寂寥のなかに 
       星くづにてらされた道を過ぎ去るであろう
               (立原道造『のちのおもひに』)
 
 二十歳で死んで、もう半世紀だから、ずいぶんと小生も年をとったものである。目はかすみ、耳はとおくなり、鼻もきかなくなった。そんなことは十年前(還暦になったとき)から覚悟していたのでまだしも、全身に原因不明の麻痺があるから、肌でかんじる快感や苦痛が皆無になったのは、なによりも残念無念なり。【手を翳す事なく雨知る禿頭】【禿頭抱いて寝てみりゃかわいいものよどこが尻やら頭やら】なんて独りゴチていた三年前が懐かしいくらい。舌の感覚もないものであるから、これでは、闇夜で嘗めると石と泥のちがいもわからぬ。五感が命の小生にとって、この有様は死に価する。臥薪嘗胆の末の臥墓嘗脛。小生のお墓にお参りにきてくれる女学生たちの、頬を撫でたり、ふくらはぎを嘗めたりする、実感を喪ったのであるから。麻痺状態のままやったら、頬を殴りかねないし、ふくらはぎに噛みつきかねない。(あら、微風が頬を撫でたわ)(まあ、草花の露がふくらはぎを嘗めたのね)せっかく女学生たちはそうかんじてくれているのに。かの有名な美容整形医師がこう語っている。「若いお肌の質感というものは、どんなことをやっても再現できない」賞味期限内のコラーゲンと、媚薬も適わぬフェロモンと、古代より伝わる性ホルモンと、正体不明の乙女エキスとが皮膚を内側から、ふくりふくりと圧迫してくるこの事態は、医師に技術の限界を知悉させ、わが身に邪淫の限界を覚悟させる。理屈はともかく、いまだに女学生たち、正確には、女子中学生、女子高校生、女子専門学校生、女子短大生、女子大学生、しかもみんな十代から二十歳までの乙女たちが、本来なら門前雀羅の小生のお墓にやってきてくれて、綺麗なお花、豪華なお花、たまに質素なお花を供えてくれるのは、ありがたや。どれも春夏秋冬を問わず秋桜が中心。たしかに小生の詩には〈コスモス〉の語が頻出するのであるが、それは花ではなく〈宇宙〉の意である。そんなことはどうでもいいか。小生の球状の墓石を、小生の頭よりもつるりんと磨いてくれて、五十年経っても苔むしたお墓の風情がでてこないところは、ありがた迷惑。【どこやらに雀の声きく霞かな】乙女たちといったが、どれほどブスでも十代の女性たちは、くだんのお肌をもっているというだけで、乙女なのである。お墓の前で掌を合わせたり泪ぐんだり、ぴひゃぴひゃとスマホで撮って、メールで送る。こんな無邪気なコメントを添えて。「アタシしちゃった/大腹小臓の/オ・ハ・カ・と/妊娠しちゃったりして」妊娠はせずともたしかに発情なんかして、小生の墓石に胸や下半身を擦りつけたりする、けしからんほどありがたい乙女も、たまたま出現したりする。大腹小臓なぞという、いいかげんな筆名と、身分不相応の立派なお墓をつくってくれたのは、名前は伏せるがホモセクシャルの大詩人。お墓の裏には、その泰山北斗の大詩人によるこんな墓碑銘が刻まれている。[天涯孤独のまま/陋巷に窮死した美貌の天才詩人/弱冠二十歳にして/此処に眠る]この立派すぎる銘には、嘘を嘯いている箇所がふたつある。つまり[美貌]及び[天才]である。一般によく「若さ」と「美貌」というが、若さはイコール美貌なので、十代から二十歳にかけての男のほとんどが、美貌とやらをもっているのである。それが三十歳四十歳になって、むさくるしいオヤジに成り果てる。たとえば詩人なら、ランボオの写真をみればわかる。ランボオをだしてヴェルレーヌをださないとヤキモチがこわい。【秋の日の/ヴィオロンの/ためいきの】これも謙遜ではないが、夭折したから天才にされただけで、天才かどうかが二十歳でわかるはずもない。二十歳まで書いてきた詩人の詩よりも、七十歳まで書いてきた詩人の詩のほうがよっぽど優れているし、天才的であることは歴史が証明している。『花伝書』にいう。「若い人の美しい芸は当たり前。年を重ねて美しい芸を演じることこそ大切である」いままで〈春のような乙女〉とか、〈乙女のような春〉なんてことを書いてきたのであるから、赤面ものである。〈冬のような乙女〉とか、〈老女のような春〉なら、まだ許せるけれども。感傷の青春が疾うにおわったいまなら、いますこしましな詩が書けるはずなんであるが、むろんのこと発表する場がない。頭のなかで書いてもつまらんからすぐ忘れる。ただそんな甘ったるい詩を書いてきたから、そして同情心を煽る短い一生を送ってきたから、半世紀経っても女学生にもてるのであるが、半世紀前の乙女がそのまま、現代の女学生というわけにはいかぬ。わざわざお墓のある秩父の山中までやってくるには、昨今流行りのパワー・スポットとしての、お墓ブームとも無関係ではないからである。このあたりは、秩父困民党の首謀者たちがつどった場所だなんて、乙女たちは知らないし知りたくもなかろう。乙女たちにとって、お邪魔虫いがいのなにものでもない寺男がやってくるまで、いつまでも小生のお墓の前でお喋りし戯れている。寺男は狢に雑巾をかぶせた風体なのであるが、小生とちがって不真面目でも助平でもない。いま小生が、彼女たちの前に現れたら、この寺男そっくりの風体なので、即刻卒倒するにちがいない。こんな小生でも三十年前の恋愛、いや「変愛」を告白することができる。そのころ小生は四十歳で、幸運なことにこの世にはスマホなんてものはなかった。だから彼女にスマホでお墓を撮られることもなかった。小生はお墓の中になんかいないのに、スマホでお墓を撮られるのは気分の良いものではない。バカチョンカメラなら良いのかというと、感覚の問題だから良いのである。【墓に唾をかけろ/君たちは宙に墓を掘れ/そこなら横になるのに狭くない/僕は宙の墓に眠る/この浮遊は心許ないが/元来人間は地に足がついていないものなのだ】だいたい鼠とか土竜とか、蚯蚓とかふんころがしとかが、偕老同穴のつもりとなって跋扈する、こんな穴ぼこだらけの穴ぐらになんかいられるものか。生身の人間ではなくなると、生身の人間という生物の気持わるさは、ふんころがしの敵ではない。眼から涙、鼻から汁、口から涎、皮膚から汗、生殖器から尿と液、なんというおぞましさ。詩人だって(中原中也だって)そらあ骨くらいはある。【ホラホラ、これが僕の骨だ/生きていた時の苦労にみちた/あのけがらわしい肉を破って/しらじらと雨に洗われ/ヌックと出た、骨の尖】骨は、小生の歴史ではあっても、小生ではない。いわば小生が地上に脱ぎ捨てた抜殻である。余談はさておき縦横幅百メートルの、墓場空間のみが小生の存在空間で、正岡子規じゃないけれども、わが小宇宙ということになる。小さな寺と小さな墓地と、寺男の住むとても小さな小屋があるばかりである。周りは松と杉を中心とした樹々に囲まれ、小生はこの一帯を眺めるたびに(とはいえ眺められるのはこの一帯のみなのであるが)「望郷」という言葉を想いだす。言葉だけではなく、生まれ育った美しい村を想いだす。二十年の生のうちで小生がほんとうに小生であったのは、この美しい村での五年間にすぎない。都心からバスか車で一時間半、渋滞のときは二時間半のこの小宇宙で、撫でる嘗めるいがいの実感は、のこるはスカイダイビングくらいなもんで、それでもこの歳になるとうまく遊泳できないから、墓石に頭をぶつけて死ぬる思いをすることもある。むろん病院にはいけないし、氷嚢を頭に乗っけることもできない。こういうときこそ酒がほしい。おう酒じゃ酒じゃ、酒もてこい。【李白一斗詩百篇】映画館か競馬場でもあれば、退屈の半世紀をすごさずともよかったのに、寺男がしっかりしているからエロ本一冊落ちてやしない。目も耳も鼻もこよなくよかったころは、四季折々、朝昼夕に、樹々の色が変わるのが、ささやかな刺激であった。樹々を飛び交う鳥たちのさまざまな囀が刺激療法であった。樹々が風に揺れるたびに漂う香りが刺激伝導体であった。不幸にもいまは、暗黒のまたは深紅の塊が、邪悪な病根かウイルスの発祥地、としかかんじられない。雑草が騒ぐと、そこに蠢いているのは、絡み合う色とりどりの蛇たちである。おそらくじゃれあい、いつくしみあい、むつみあっているのであろうが、そのものたちが、地獄の使いである青鬼、赤鬼、白鬼、黄鬼、緑鬼にしかみえない。一般によくいわれる、「年とると被害妄想になる」というのは、こういうことかと察せられた。『方丈記』にいう。【魚と鳥とのありさまを見よ/魚は水に飽かず/魚にあらざれば、その心を知らず/鳥は林を願ふ/鳥にあらざれば、その心を知らず/閑居の気味もまた同じ/住まずして、たれかさとらむ】生物は主観的にできている。死んだら客観的になるかと考えていたがそうではなかった。ますます主観的になるのである。わが小宇宙は、魚にとっての水でも鳥にとっての林でもない。悔恨と汚辱と邪淫と嫉妬と不安と不満の混濁した空気のなかに、ゆらんゆらん小生は浮遊している。こどものころは、冷蔵庫と洗濯機と掃除機が三種の神器であった。そののちは持ち家と高級車と最新パソコンが三種の神器である。そんな空虚なモノがないだけましだが、タマシイというもっと空虚な空気が、放射性物質さながらに蔓延している。タマシイといったが、本当にそう名付けていいかは小生にもわからない。何せ此処では99、99%がわからないのだから。中東戦争で祖国を追われたパレスチナの女性詩人(ファドワ・トゥカン)ほど小生は人間ができてはいない。【この地の上で息絶え/この大地に埋められ/この土に還るのなら/それでじゅうぶん/そうすれば芽生えが一輪の花となって/わたしの祖国の子どもと戯れよう/祖国の土に抱かれて/一塊の土になって/一本の草の芽/一輪の花になるのだから/わたしはそれでじゅうぶん】しかし小生にとって、祖国と呼ぶべき祖国はありや、なしや。そうそう彼女の話ね、彼女じゃなんだから、とはいえ名前を知らないので、ここでは仮に、夢子とでもしておこうかな。じっさい小生にとって、夢の子であった。小生の絶望が無限であるのと同じ質量で、小生の空想力が未だ無限であった時代の話である。どこからか声がきこえる。エリオット氏か、ゲロンチョン。【お前には若いときも老年もない/まるでそれを夢みる/食後の昼寝のようなものだ】いや夢ではない、シェスタでもない、夢子はゆめではなく、うつつであった。ここで夢子について説明をさせてほしい。まてよ、説明なんてものは詩人の大敵である。一行ですむ方法。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。大昔の人は夢子のために、あらかじめこの見事な形容をつくっておいたのである。はてさて夢子は、インスピレーションというのか、当時流行りのスピリチュアル・スピリットというのか、そういうものを生まれつきもっている乙女で、小生の存在というか非在というか、非在の存在というか、それに気づいてしまって、暇さえあれば暇がなくとも、この墓場にやってきたものである。というのは天使が降りてきそうなほどとっても空が低い朝に、小生が夢子をみる眼付を、できるかぎり馴れ馴れしくしたものであるから。室生犀星のこんな言葉をたまたま知っていたのでそうしたのである。「死んだ人というものは、生きている人間には瞬間的では、ちょっと見なれない眼付を夢などで見たときに示すものである」四十歳という男盛りであったから、なんとか夢子とボディランゲージとやらをしたくて、小生もじつにたまらなくなってしまった。みなさんは知らずともお気づきであろうが、小生は五年間肺を病んで死んだ者なので、かつてそういうことをしたことがなかった。そういう乙女がまったくいなかったわけではなく、野暮な医者に性的興奮は禁じられていたし、キスだって、すれば相手に病気が感染してしまうことくらいは知っていたものであるから。犬猫や鳥類相手にだって、やったことなし。莫迦は死ななきゃなおらないのとおなじで、病気は死ねばなおる。夢子と、だからそういうことをしたかったのである。夢子のほうもまちがいなくそうだったのだと、思い込みいじょうの確信をしている。十九歳のときの年上の女性とは、恋愛ではなかった。憧れにすぎなかった。真綿色したシクラメンほどすがしいその人には、十人並の夫も娘もいた。その人の弟が若くして結核で亡くなったために、その代用品として、小生は可愛がられたのであった。子兎の前歯そっくりのそれで、かりりんぽりりんと、小生は食べられたかった。若かったあのころ、なにも怖くなかった、ただ貴女の優しさが怖かった。なにをしてくれたわけでもなく、其処に在るだけで優しさを醸しだしていた。優しいたたずまいは、想えばお墓の前の夢子のそれによく似ていたのである。あるとき、それはまあ、〈乙女のような春〉の日であったが、明鏡止水のこころで小生が唇を突きだすと、夢子ったら道徳心も警戒心も羞恥心も、髪にとりついた羽虫といっしょにふりはらい、可愛いあごを挙げ、その可憐な唇を天空に捧げたものであった。キスをした。小生にとっては初めてで、夢子にとって初めてかどうかはわからぬまでも、唇にいささか強い一瞬の風が吹きすぎた感触であったであろう。至福のときが一週間で八回あった。夢子はあるとき3のかっこうをした。8になるのを待っているかっこうである。そののちの日、まさしく〈老女のような春〉の黄昏れどき、夢子は墓の前に、いや霧のなかにたたずんでいた。なぜか小生は気づいたのであった。気づかなくともいいのに気づいてしまったのであった。夢子はここで死のうとしていた。夢子は鋭利なカッターを手にしていた。うろたえた小生は失禁し脱糞しそうであった。夢子がもしここで死んでも、ここで一緒にすごせるわけではない。太宰治の墓前で自殺した、太宰の弟子の田中英光は、生前の太宰をよくわかっていた。夢子は、生前の小生をわかっているわけではない。たった一冊遺した貧しい詩集で小生を知っているだけなので、完全に小生の正体を誤解している。神も仏も信じぬ小生なのに、ふとハイネの詩句を口ずさんでいた。【神きみを護りたまえと/手をきみの頭に置きて/祈りたき思い湧き出ず】このとおり。小生はロマンチックな詩人ではない、ドラマチックな詩人ではない、いうならばセンチメンタルな詩人であって、夢子があと二、三年生きればその真実に気づき、おのれの浅はかな過ちに驚き、挙げ句興醒めするはずなのである。なんとかそれまで生きてもらえれば、夢子もそののちは幾年でも生きられる。青春の孤独とか乙女の悲哀なんてものは、そらあ、生身の異性に烈しくだきしめられれば雲散霧消するもんである。生身の、そう、小生は生身でないことに、苛立ち、悶え、地団駄ふんだ。しかも「涅槃で待つ」なんて、いかげんなことはいえない。四十歳になってようやくわかってきても、もはやとりかえしがつかぬ。みっともなくてもいい、みじめでもいい、かっこわるくともいい。夢子が萩原朔太郎であってくれればと、小生はほんのひとときおもったのであった。【きのふまた身を投げんと思ひて/利根川のほとりをさまようしが/水の流れはやくして/わがなげきせきとむるすべもなければ/おめおめと生きながらへて/今日もまた河原に来り石投げてあそびくらしつ】嗚呼だが夢子は行動を起こし、小生は震えに震えた。正真正銘、初恋のひとは、あまりにもあっさりと死んでしまった。だれかがささやく。西脇氏か、アポカリプス。【生物は永遠の中に生れ/永遠の中で死んで行く/ただそれだけであると/いうことは/人間の唯一の栄光で/生物の唯一の哀愁だ】こんなことでいいのか、こんなことがあっていいものか。神仏に祈っても蟷螂之斧、蝉のよにきく耳もたず独り哭き。涙の川、涙の太陽、涙の渡り鳥。【天に在りては願わくは比翼の鳥となり、地に在りては願わくは連理の枝とならん】立場も顧みず、ふたりの未来予想図を想い描いていたのに。霧は雨になり、春の雪になった。夢子の遺体は雪に包まれた。【夢子を眠らせ、夢子の屋根に雪ふりつむ】ロマンチックでもドラマチックでもない、莫迦げたセンチメンタルな光景であった。アランじゃないが「悲しみや寂しさなんて簡単な病気にすぎない」のに。ちょっとばかり病気をがまんしていれば、いつのまにか治ってしまうのに。ムッシュー・テストはさけぶ。「ひとりの人間に何ができるか。ひとりの人間に何ができるというんですか」朝まだき、遺体をひきとりに家族や友人がやってきた。おそらくお節介で親切な寺男が知らせたのであろう。夢子には家族から捜索願いがだされていたのであろう。夢子のバッグにはGPSが入れられていたのであろう。でなければ、もうすこし夢子の遺体か遺体を包む雪を眺めていいはずであろう。家族や友人はだれも泣いてはいなかった。三年前か五年前から諦めている様子であった。あけすけな会話が飛び交い、いやがおうでもきこえにくいはずの小生の耳にはいった。お歴々の言葉を総合すると、彼女には、乙女の冠はふさわしくない。あばずれとか、すれっからしとか、ヤンキーとか、バイタがお似合いなのであった。不登校で、万引きをやり、ヤクをやり、援交をやり、不倫をやり、妊娠までしていた。ふんふんそうかと自得した。だからこそ、やはり、夢子は、乙女そのものであったのである。つと、ボードレールの詩の一節を想い浮かべる。【「放蕩」と「死」/可憐な二少女】可愛いあごを挙げ、その可憐な唇を天空に捧げた、あの美しいとしか形容のできないすがたは、世間であばずれとかすれっからしとか、ヤンキーとかバイタとか、そう呼ばれていないものには無理な相談である。1/2の神話。小生は此処にいる。夢子よ小生は此処にいる。いつでもいつまでも此処にいる。おまえは何処にいくのであろう。【陽が沈んでしまった/そして陽ばかりではない/ほかの何かも沈んでしまった】ほんとうに沈んだのか。はじけたのかもしれない。太陽が、しゃぼん玉となって。【しゃぼん‹ハは/どこいった/かるがるとはかない/ふれもあへずにこはれる/にぎやかなあの夢は/どこへいった】金子光晴はなにを喪ったのか、小生はほんとうはなにを喪ったのか。それは百年経ったらわかるのであろうか。十代で死んでも人は物語をもつ。自殺をしたものは尚更に。小生は泪目のまま夢子の物語を紡ぎはじめた。物語は夢子の不幸な生い立ちからはじまり、親子関係、学校関係、友人関係、家庭環境、社会環境、政治環境まで微細に織りあげてゆく。踏ん張ったけれども、自殺の原因を絞り切ることができずに、小生は頭のなかのノートを破り捨てた。たとえば新聞はテレビはネットは、「いじめを苦にした自殺」と告げる。あるいは、「失恋を悲観した自殺」と決めつける。それは原因のひとつにすぎないと小生は知っている。自殺者を自殺させるのはあくまでも憂鬱なのである。ベンヤミンは「遠方への旅の嗜好は憂鬱者に特有である」といっている。憂鬱者夢子は遠い旅を夢見てまずは秩父まできた。それからもっと遠くへ旅立った。むろん自殺した憂鬱者と死んでから憂鬱者になった人間とでは、雲泥の開きがある。つまり糞と泥のちがいであって、似ていても本質的に異なる。本質的に異なる対象を描いても、絵に描いた餅となる。人生の本質はやはり、古い便所の穴のなかに在ったのである。(真の天才作家)夏目漱石は、女を描くのが苦手であったとよくいわれる。苦手なのではなく、女の正体と生理をわかりすぎていたために、詳細に露骨に書かなかっただけである。つと、寒空を鳥が飛び立つ。小生の空想も、飛翔する。あの鳥は巨大な鯤が変身した鵬であって、鵬は雲ほどもある翼を羽ばたかせて、天の池までゆく。かの『荘子』にあり。【北冥に魚有り、其の名を鯤と為す/鯤の大いさ、其の幾千里かを知らざるなり/化して鳥と為るや、其の名を鵬と為す/鵬の背、其の幾千里なるかを知らざるなり/怒して飛べば、其の翼は垂天の雲の若し/是の鳥や、海動けば則ち将に南冥に徒らんとす/南冥とは、天池なり】小生は物語づくりを諦めて、夢子のための鎮魂歌をつくった。完成までに三十年近くを費やしたが、出来栄は三分間弱でつくった作品同様であった。しかも(生前指標とした詩人である)伊東静雄の剽窃。【太陽は美しく輝き/あるいは太陽の美しく輝くことを希い/手をかたくくみあわせ/しずかに夢子と私は歩いて行った/かく誘うものの何であろうとも/私たちの内の/誘わるる清らかさを私は信ずる/無縁のひとはたとえ/鳥々は恒に変わらず鳴き/草木の囁きは時をわかたずとするとも/いま夢子と私は聴く/私たちの意志の姿勢で/それらの無邉な廣大の讃歌を/ああ我が夢子/輝くこの日光の中に忍びこんでいる/音なき空虚を/歴然と見わくる目の發明の/何になろう/如かない/人気ない山に上り/切に希われた太陽をして/殆ど死した湖の一面に遍照さするのに】ついでに伊東柚月の詩を捧げる。【いっそ/大きく凹もう/いつか/多くを満たす/器になるのだ】さてもそうこうして三十年経った。下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり。夢子は幻となり天上のどこにいるのか、知らぬ。なんの変哲もない歳月がすぎて、目はかすみ耳はとおくなり鼻もきかなくなった。脳にも空洞ができている気がする。いずれ遠からず夢子のこともすっかり忘れてしまうのであろう。おそらくさっき話したことだって、夢子との幸福な逢瀬の百分の一にすぎまい。そうこうして、忘れてしまったことすら、忘れ去ってしまうのであろう。小生はポオ詠じるところの、あれである。【shadow】小生、寂たり、寞たり。いったい百歳になったらどうなってしまうのであろうか。再びの死を迎えるのであろうか。それともそれとも。いやいまは想像する気力さえない。死んだら人はお星様になると、こどものころにきかされたものは小生ばかりではあるまい。おとなは嘘つきである。星にも、風にも、露にも、花にもならない。ひたすら居心地わるく浮かんでいるのみである。それでたまに星を気どったり、風を装ったり、露に変化したり、花に仮託したりする。現世がつまらないのと同様に、来世もつまらないんである。一刻千金ならぬ千刻一金の小生の世界。このつまらなさをどうすごすかが、生者も死者も人それぞれの選択なのである。おおむかし禅寺で座禅を組んだことがあるが、あれに近いかもしれない。そのとき悟ったのは、三日や四日一心不乱にやっても、なにも変わらないということである。三十年や四十年継続してやって、なにかすこし変わってくるのであろう。これが悟りである。ヘンリー・スコット・ホランドは、オプチミストである。【死はなんでもないものです/私はただとなりの部屋にそっと移っただけ/私は今でも私のまま/あなたは今でもあなたのまま/私とあなたは/かつて私たちが/そうであった関係のままで/これからもありつづけます】ことしの夏は猛暑で、冬は厳寒であった、らしい。麻痺状態が継続する小生は、寺男の身なりや立ち居振る舞いでそれを知るばかりである。そういえば女学生の姿がめっきり減った。いよいよ小生も〈忘却の詩人〉の仲間にはいったのであろう。唯一の詩集(『詞藻』)は、絶版になり文庫も打止めになった。あとは国文学者か文藝評論家が、とりあげてくれるのを待つばかりである。想えば小生は一度もブレイクしなかった。あらかじめ忘れ去られた詩人、それが小生である。そんな小生でも声高らかに訴えたい。【詩人の声をきけ】小生と同世代の詩人で、どういうわけか〈ノーベル文学賞〉を受賞した、ヨシフ・ブロツキイの言葉。「詩を書く者が詩を書くのは、死後の名声を期待してのことではありません。たしかに、詩人はしばしば、自分の詩がたとえわずかでも自分の死後も生き延びることを願うものですが、詩を書く者が詩を書くのは、言語が次の行をこっそり耳打ちしたり、あるいは書き取ってしまえと命ずるからです」はい、了解です。されど死んだいまとなっては、自分の詩が生き残ることを、「たとえわずか」どころではなく切に願う他はない。それでも、よく想いだすのは、詩人などではなかった幼いころのことである。年のせいかもしれないし、もしかすると詩人であったころを想いだすのが、しんどいせいなのかもしれない。父はいなかったが、まだ母はいた。母は貧しく醜い未亡人であって、且つ十種類の病気をもつ娼婦であった。むろん貧しく醜いは小生の謙譲の美徳であって、十種類は小生の大風呂敷である。母は相手が先生であれ医者であれ議員であれ、だれかれかまわずこういうのが口癖であった。プライドなんかもてるはずもないのに、昂然と胸をはってこういうのであった。「この子は末は博士か大臣かどころではなく、もっとはるかに偉大な人物になります」母は皆々に苦笑され軽蔑されつつ、咳き込みながらも凛としてそういいつづけたものであった。そういいつづけることが、死期を早めることを自覚していたのに。その言葉が幼い小生を洗脳することはなく、かえって反発を生んでいたことを知らずに、小生が日々望んだ通り、母は死んだ。小生は博士か大臣よりも、もっとはるかに堕落した人間になるべく詩人になった。忸怩たるものがないといえば嘘になるけれども、詩人は小生にとって運命と同意語であった。母が小生にとってそうであるのと同様に。自称詩人になって七年目になにかが消えた。なにかではない、小生が消えたのである。そうそう、つい最近、くだんの大詩人の弟子である小詩人が、詩の同人誌に、『大腹小臓論』を一挙掲載したとのニュースが、寺男の呟きによって齎された。因に寺男はマニアックな文学通、お気に入りの作家が松永延造と宮地嘉六ということだから、もしかすると現代人で読んでいるのは、寺男ひとりではないかと。ホームページやブログではなく同人誌というところに、小詩人のアナグロ趣味がわかる。余計なことはともかく、その小詩人氏であるが、歳はたしか小生より若干上。生前小生は小詩人氏の『北山行人論』なるものを、夢中で読んだ記憶がある。百年前に生きた孤高の作家、北山行人の文学性と人間性の極みを描いたもので、明治時代には、森鴎外をはるかに超える作家がいたのかと、驚嘆したものであった。それなのに、ああそれなのに、この北山行人が小詩人氏の創作した人物であったとは。死ぬ直前小生は偶然文中に氏の誤謬を発見した。それで真相がわかったのであるが、半世紀経ってはいても、わかっていない読者が大半である。こういうことは年数ではないらしい。どれだけ夢中で読んだか、どれだけ適当に読んだかのちがい。そんな小詩人氏の書いた『大腹小臓論』が信用できるわけはない。それでも読みたい、なんとかして読めないものか、どうして読めないのかと切歯扼腕、一年が経ったある冬の日、小生の墓前に寺男が供えてくれた、一冊の地味な表紙の雑誌。そうかそうなのか、ここに『大腹小臓論』が一挙掲載されているのか。感謝感激しつつも、ページをあける術もない。諦めつつあったら、大逆転。これを文字通り青天霹靂というのか、青空高く晴れわたった、一陣の風も吹かぬ日に、小生の念力の風が吹いたのか、雑誌のページがめくれた。目がすっかりかすんだ小生にも、『大腹小臓論』の冒頭の活字は鮮明にみえ、小生は小生がなにものであったのかを、初めて知ることとなった。【大腹小臓は忘却された詩人である。彼を知る者は日本中で十人しかおらず、彼のファンは日本中で三人の女学生しかいない】はいおっしゃるとおりである。だからどうだというのであるか。半世紀も経って、十人も三人も立派なものではないか。【大腹小臓は哀れな詩人である。貧窮していたから哀れなのではない。夭折したから哀れなのではない。詩人として未完成であったから哀れなのである】大変な的はずれ。百キロメートルもはずれているといいたいけれども、一ミリもはずれてはいない。だからそんなことは、疾うに自覚している。だからどうだというのか。いまは死人として未完成だ。未完成の魅力って、ありはしないか。【未完成の詩人はすくなくはない。中原中也も立原道造もいわば未完成の詩人である。それでも未完成の魅力で、日本の詩の歴史に確然たる位置を占めている。だが嗚呼しかし、中也と立原のエピゴーネンたる大腹小臓にいたっては、未完成の未を七つはつけなくてはならない】ひどい言い種である。未完成という語彙はあるが、未未未未未未未完成なんて語彙はない。ただ萩原朔太郎の『詩の原理』を、さあ読もうかというときに、死んだのはまずかった。【例をだすと立原道造風の(もしくは盗作である)この詩。それから愛はどんな風にお前に来たんだろう/陽は大きな景色のあちらに沈みゆき/あのものがなしい月が燃え立った/私らは別れるであろう/知ることもなく/知られることもなく/あの出会った/雲のように/私らは忘れるであろう/水脈のように/これは一体どういうことであろうか】なんとまあこんな恥ずかしい詩をつくったっけ。いや盗作したっけ。恥ずかしいけれども、そうわるくもないのではないかな。【完成された詩人はこうは詠わない。まず「愛」なんて曖昧な語彙は使わない。それと、「大きな」、「あちら」に変わるべき、具体的な語彙を発見する。「私ら」も同様である。「私ら」とは、誰と誰なのか。高村光太郎の『智恵子抄』は、「智恵子」だからいいので、『私ら抄』では、味も素っ気もない。そして何よりも「雲のように」「水脈のように」なんて、月並な形容は、死んでも用いない。加えて、本物の詩人は、「かなしい」とか「さびしい」なんていわない。別の言葉によって、悲しさ淋しさを表現する】そうはおっしゃっても。詩人だって、曖昧で非具体的な語彙と知って、それらを使いたくなることもあるんである。月並な形容だって、そうと知って用いたくなるときもある。かなしいから、かなしいという、さびしいから、さびしいという、どうしてそれがいけないのか。そらあやっぱりいけないわな。指摘されたこと、みんないけないわな。当たっているから憎らしい。小詩人氏は、よほど完成されたホンモノの詩人なんであろうな。半分皮肉であるけれど半分は本音だ。小詩人氏に必要なのは、詩人の擁護である。詩人の擁護は、詩の擁護である。シェリーを見習ってほしいものである。ザマアミロ、誤植がある。〈変わる〉は〈代わる〉が正解である。こんな臍のゴマをほじくって、溜飲を下げる小生って、みっともなくはないか。小生の品性は益々下がり、小詩人氏の文章は、いっそう格調が高くなる。【田村隆一の『四千の日と夜』をみよ。これが現代詩である。一篇の詩を生むためには/われわれはいとしいものを殺さなければならない/これは死者を甦らせるただひとつの道であり/われわれはその道を行かなければならない/そう、詩は、詩想であり、思想である。雰囲気なぞというものは邪魔でしかない。大腹小臓は、されど雰囲気づくりに精魂傾けている】エラソウニ。雰囲気だっていい雰囲気とわるい雰囲気がある。いい雰囲気をつくりたかった。されど雰囲気なぞというものは、吹けば飛ぶよな将棋の駒である。王将でも飛車角でもない、桂馬あたりかな。むろんペガサスくらい飛翔してくれればいいが、あかんあかん。『大腹小臓論』の冒頭を読んだだけで、小生は死にたくなった。おそらく、たぶん、きっと、まちがいなく、ここから先は讃美の文章で満たされているんであろうが、残念ながら読めるのは、このページだけであった。こうなったら、捲土重来、敗者復活、起死回生、剽窃無類の一篇を。【それから烈しい風はどんな風に夢子に来たんだろう/陽は追分山のむこうに沈みゆき/あの幼気な月が燃え立った/僕と夢子は別れるであろう/知ることもなく/知られることもなく/あの出会った/雲の流れとともに/僕と夢子は忘れるであろう/水脈とともに】こんなんでどうかな。再発表の場はないけれども。だが小生はその詩篇と、あの雲の流れとともに別れた。覆水盆に帰らずさ。小詩人氏によって、小生は自分が九牛一毛どころか、「九千牛一毛」であることを自覚させられた。小詩人氏の(論の)唯一の弱点は、小生の未発表の自称傑作詩をごぞんじない点であろう。自称傑作詩は、ノートに走り書きしただけのものなので、しかもそのノートは、下宿の大家さんによって焼却されてしまったものなので、読めといっても無理なのではあるが。【雨ニモマケテ/風ニモマケテ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケテ/丈夫ナカラダハナク/欲ハアリ/決シテイカルコトヲヤメズ/イツモウルサク怒ッテイル/一日ニ三杯飯五回ト/味噌汁十杯ト多量ノ肉ト野菜ヲタベ/アラユル事ヲ/自分ヲカンジョウニイレテ/ヨクミキキシ解ラズ/ソシテ忘レテ/都会ノ中心ノ/邸宅ニ居候ヲシ/東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ蹴飛バシテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ肩ニオンブシテ/南ニ死ニソウナ人アレバ/行ッテサッサト死ンデモイイトイイ/北ニケンカヤソショウガアレバ/面白イカラモットヤレトイイ/ヒデリノトキハ泪モデズニ/サムサノ夏ハヨボヨボアルキ/皆ニデクノボウトヨバレ/当然ホメラレモセズ/ヒドク苦ニハサレ/ソウイウ者ニ/私ハナッテシマッタ】薫其昌の戒律にある。【万巻の書を読み千里の道を行かずんば画祖となるべからず】こらあ年期と根気がいる。詩祖になりたかった小生は、二十歳で死ぬべきではなかった。隗よりはじめよ、小生のワカガキは七十歳で詩祖になるための試作試練であったのに。後悔も愚痴も意味がない、此処。此処より永久にいくためにはどうすればよいのか。此処には神も仏もいない。もう一度いう。神も仏もないんである。ないのである。たしかに小生は中原中也と立原道造の影響を受けたが、小生の好きな詩人はだれよりも山之口貘であった。そのおもいは、こういう状況になって、さらにつよくなっている。【ひとたび生れて来たからには/もうそれでおしまいなのだ/たとえ仏になりすまして/あの世のあたりに生きるとしたところで/かかりのかからないあの世はないのだ】【金ばかりを借りて/歩き廻っているうちに/ぼくはある日/死んでしまったのだ】きみたちよ、神仏は人間誕生いや宇宙誕生以来、一度も誕生しなかったのである。創造者が、想像妊娠したのみである。人びとよ、もはや荒唐無稽頼み高踏無形頼みはやめたがよい。きみが力説する神仏とは極悪の同意語である。なぜって、どうして人間は死なねばならないのか。どうして人間は生あるときも死者になっても、これほど憂鬱でなければならないのか。なんたる莫迦莫迦しさよ。ばばば莫迦莫迦しいにもほどがある。だからもう、この話はやめよう。そうして『エレミヤ哀歌』を口ずさもう。【わたしの生まれた日は呪われよ/母がわたしを産んだ日は祝福をうけるな/なにゆえにわたしは胎内をいできて/悩みと悲しみにあい/恥をうけて一生を過ごすのか】一部のイスラム教徒は「聖戦」をさけんで自爆テロをやったりするが、そしてそれによって天国にいけると信じているそうであるが、小生のこの状況を知らせてあげたいくらいである。一部のキリスト教徒は、「殉教」を唱えて犠牲になったりするが、しかもどうあれ天国にいけると信じているようであるが、キリストが見事なフィクション(きみはわかっていようが喩え話は基本的に〈嘘〉なのである)の創造者であることを、死んでからわかってどうおもうのであるか、知りたいものである。そうだこの際だから、やや手前味噌にお化けとか幽霊のことを少々。作家とか詩人で、お化けとか幽霊とかを信じている人が、いそうである。お化け話をいっぱい書いた泉鏡花とか岡本綺堂などは、そんな気がする。生前は小生も信じていた。そういうものがいないと闇だ、とすら考えていた。自分がこんなふうになって、いまは断固としていうことができる。お化けも幽霊もいない。いないのである。絵本や劇画や映画などでみる、お化けや幽霊がいたらいいのにと思われることもあるし、自分がそういうものになりたいと思われることもあるが、残念ながら姿形は、いささかなりとも生あるものにはみえない。いまの小生なんか、もしもみえたなら、《うみぼうず》にみえるのか、《のっぺらぼう》に似ているのか、《ぬらりひょん》に近いのか、ちっともわからない。けれども死者が生者にみえたなら、死者はこれほど憂鬱ではない。もし透明人間なるものがいたとしたなら、たぶん死者と同じくらい憂鬱であろう。現世を横行闊歩できる透明人間は、生者であって死者ではない。だから生者に対していろんな善事も悪事もできる。ところがどっこい、死者は善事悪事どころか、普通事すらできないのだ。となるてえとおそらく、死者は透明人間の仲間どころか、正反対の存在ではないのか。いいや、透明人間は存在するとしても死者は存在しない。現在生あるものたちは、こんなふうに(つまり小生みたいに)なってしまうことを予想もしていないであろう。何億光年の眠りにはいると考えるか、無の次元に消えてゆくと考えるか、輪廻転生の最初の一歩と考えるか、そんなところであろう。小学生のころ、『喜びも悲しみも幾歳月』という映画を観て、この世はそういうものだと認識した。その認識は当たっていたが、あの世が《喜びも悲しみも無い幾歳月》であることは知らなかった。【死者は憂鬱である/党派のない憂鬱である/死者は、憂鬱である/一個の、憂鬱である】だれがいったい、死者の独白をきいてくれるのか。だれがいったい、死者の嘔吐を始末してくれるのか。【真夜中に鯏密かに砂を吐く】さあこれで小生の話はおしまい、とおもいきや、おのれ、小生がまったく思いもつかなかったことをやらかした。年末の、ある昼下がり、まだ霜も解けない時刻に、マッチョ三人連れてきたものである。おそらく夢子が自殺したのち、この墓場で奇妙な現象がある、とかなんとか、だれかが(あるいは幾人かが)風評を流したのであろう。それともスマホの〈おばけゲーム〉でもやっているのか。どういう魂胆なのか、三人とも濃いヒゲを生やしている。クチ髭の男、アゴ鬚の男、ホオ髯の男。それぞれに背負っている荷物を置いて深呼吸をした。荷物は禍々しく物騒なかんじのものであった。クチ髭が小生の墓の側に幟を立てた。〈幽鬼退治請負社〉とあった。だれがいったか、「詩人は犯罪者に似ている」とんでもない。小生はいいたい、「ヒゲヅラは犯罪者に多い」連中は整列して、いろんな神といろんな仏に祈った。十字を切り、掌を合わせ、手を打ち鳴らし、土下座して、礼拝までした。もちろんのこと、小生は楽観していた。キマイラ(不可能性の怪獣)に立ち向かったといわれる、マラルメの教えを乞いたいが、どうせそのすべもない。わが憧れのバイロンよ。小生も義勇軍をつのって闘いたいけれど、どうせそのすべもない。【君の歳月よ、歓びの時々をかぞえてもみよ/悩みのなかった日々をかぞえてもみよ/そして知れ、君が何ものであったとしても/生れざりせばよかりしものを、と】お化けも幽霊も鬼も、神も仏も、いないんだよ、いるわけないじゃないか。そう目一杯口一杯さけびたかったが、さけんでも相手の耳に届かないのはわかっている。マッチョのくせに機敏なこのアナログ軍団は活動を開始した。この世には、あの世にも、幽霊とかお化けとか鬼とか、そういう類いのものは、いない。小生もそういう類いのものではない。ちちちちがう、まったくちがう。それなのに、ヒゲ十字軍カルテットはなにを血迷ったか、焚火をはじめた。(その地点は、むかし小生の空想力が盛んだったころ、とても小さなカフェをつくったところである)あのカフェは放火されたのである。放火魔は、焚火のなかに芋ではなく鼠花火を大量にぶちこんだ。忌々しい輩がわが小宇宙を飛び跳ね、煙が充満した。狐狸を燻しだすやりかたでなにをするつもりであろう。小生を燻しだしてくれれば、ありがたや。また現世に逆戻りできるのか。けれども咽せるばかりでその徴候はない。アゴ鬚が呪文を唱えはじめた。ホオ髯が踊りはじめた。クチ髭はとみると、零下をものともせずに全裸になった。みたくないものをみせて、小生に嘔吐を催させる気か。これでわかった。この連中は三バカ大将にまちがいはない。次にドローンを飛ばした。なるほど、小生の気配を察知したいのか。小生は息を止めた。元々息はしていないんだが。ときは経ち、ドローンの効果はゼロで、クチ髭はくしゃみを連発しはじめた。そうか、小生に風邪をうつす気か。たそがれがせまっていた。ムチャーリの夕暮れ。【夕暮れがやってくる/健康体の/毛穴から沁み入り/からだを徹底的に破壊してしまう/恐れられた病気のように】アゴ鬚はアゴが疲れたのか呪文の呂律がまわらなくなっている。ホオ髯の踊りはどう贔屓目にみても酔っぱらいの千鳥足。憐憫の情が湧いた。そんなに退治したいなら退治されてもいいと思われた。退治されるべきとすら思われた。望んでこんなことになっているわけではない。現世に逆戻りできないなら、せめてひとおもいに消してほしい。結果的にはしかし、この憐憫の情が命とりであった。三バカ大将は小生の情にかんづいたのか、突然奮起したのである。クチ髭がバズーカ砲をかついだ。アゴ鬚が補助をする。ホオ髯が砲弾をこめる。合図もなく発射された。砲弾はなぜか、真っ赤に燃えた太陽さながらの、林檎であった。まちがいなく林檎であった。三バカ大将どころか三アホ大将ではないか。余裕の小生はとうぜん鼻歌をうたった。「赤いりんごに/唇よせて」「りんごかわいや/かわいやりんご」林檎砲弾は次から次へと飛んでくる。こんなに飛ばしてどうするつもり。林檎の墳墓ができるだけじゃ。よける必要もないのによけながら、莫迦莫迦しさに、烈しく身悶えした小生は、全く思いもつかなかった事態に遭遇するのである。油断大敵、もっと早く気づくべきであったのである。三バカ大将でも三アホ大将でもなかった三銃士は寺男同様に文学通なのであった。文武両道の騎士たちは、〈変身者退治法〉を知っていたのであった。気づいたときにはすでに一個の林檎が、よそみした小生の背中にめりこんでいたのであった。おのれおのれ。手も足も届かない背中の、ど真ん中に命中したのであった。こんどは激痛のために、烈しく身悶えする羽目になったんである。(これも快楽だ)と小生は自分にいいきかせた。ドストエフスキーの小説の主人公は「痛みにだって快楽がある」と嘯いているけれども、痛みに快楽を求めでもしなければ、耐えられそうにもないからである。こっちの姿がみえるはずのない連中は、たぶん空中に浮かぶ林檎を見て確信したのであろう。何度もバンザイをした。荷物をまとめると揃って合掌をした。夕陽が勝ち誇っている。ロルカだって一回しか殺されていない。小生は二回殺されるのか。一回目は、病原菌という殺し屋に、二回目は、ホンモノの殺し屋に。午後の五時に。【午後の五時/傷が太陽のように燃えていた/午後の五時】長ったらしい合掌が済むと整列して厳かに去っていく。声にならぬ叫声を無視して。きみたちは大きなまちがいをおかした。なによりもきみたちは食べものを無碍に扱って、あげく無駄にした。そんな輩にむざむざやられるなんて、とんだザムザである。グレーゴル・カフカの背中の林檎は腐り、傷は化膿する。動けぬ喋れぬ食べられぬ。ひひひ乾涸びて死ぬるのである。絶望のなかで死ぬるのである。家族は再び活き活きとした生活に戻るのである。小生のばあいはどうなるのであろうか。小生はどうなるのであろうか。林檎が萎びてはずれ、傷口が治癒するのであろうか。そんなことはあるまい。再びの死がやってくるのであろうか。そんなことはあるまい。救い主がやってくるのであろうか。そんなことは絶対にあるまい。【みわたせばはなももみじもなかりけり】激痛に、耐えがたきを耐え忍びがたきを忍びながら、こうしてこれから先、何億光年もこのまま、母にも夢子にも会えずに、ゆらんゆらん浮遊しつづけるのであろう。小生は絶望し、絶望しつつ、敬愛する魯迅を想い、繰り返し繰り返し諳んじるのである。【絶望の虚妄なることは、まさに希望と相同じい】
                             完


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