ヒラノート

 ヒラノート
(2022・10~2024・4)        陽羅 義光
 
*感想はあえて記さない。この箇所を引用したこと、そのことがすなわち感想のつもりである。この感想は何かと聞かれても、何でもないと答えるしかないが、日記をやめてずいぶん経つので、日記代わりなのかもしれない。他人の日記を読んで面白いなぞと思う好事家は、昨今ではいなくなったと思われるけれど、期待しないで眺めれば些かは面白いところだってあるであろう。むろん引用したのは、感心したということばかりではない。批判をこめた引用も少なからずある。ただこういうこともいえる。感心の裏に批判があり、批判の裏に感心がある。天邪鬼な言い分だが、古今東西名だたる作者(著者)ゆえ、なかなかにしたたかであるから、そのくらいでちょうどいい。当然ながら再読が少なからずあるけれども、初読で印象に残った個所の引用もあるし、読んだことも忘れてしまったくらい、まったく印象に残らなかった個所の引用もある。また今まで食わず嫌いで読んでこなかった作家や作品も含まれていて、忸怩たる思いで引用した日があったことも言い添えておきたい。蛇足ながら引用は、あくまでも部分引用であって、作品(著作)の全体像を象徴するということではない。なお、あんまり期間が長いと当然その分引用も多くなるわけで、一瞥してうんざりなんてことだってあるかもしれない。ほどほどのところで中断できれば、それに越したことはない。
 
2022
10・1
バイロン『この日、三十六歳を終る』より(阿部知二訳)
 
ふがいない、わが壮年の日々よ
またしてもよみがえる情熱の火を踏みにじれ
美しいものの微笑にも、ひそめた面にも
いまは心をとどむべきではない。
 
青春を悔いるならば、なにゆえに命を永えるか
栄光の死をとぐべき国がここにある
起って、戦場に馳せてゆき
おまえの生命をささげつくせ。
 
10・1
ハイネ『シレジアの職工』より(片山敏彦訳)
 
ひとつの呪いは王に、邦々をたばねる王に
この苦しみを知りながら心やわらげもせず
さいごの小銭までむしりとり
俺たちを犬のように射たせる王に──
織る、俺たちは織る!
 
ひとつの呪いは腹黒い祖国に
うすぎたない恥ばかりはびこり
時いたらぬうちに花は手折られ
腐敗が蛆をふとらせる国──
織る、俺たちは織る!
 
10・4
シェリー『生の勝利』(上田和夫訳)より
 
またあるものは 墓に近づくような足どりで、
足もとにうごめく踏みにじられた蛆虫どもを見つめ、
あるものは みずからのうす暗い影のなかを
 
悲しげにあゆみ、それを死とよぶ。
そして中には それが亡霊でもあるかのように それから
息もたえだえに半ば気を失いつつ逃れるものもいた
 
『あるひとに』より
 
バラは枯れたとて バラの花びらは
恋人の寝床に敷かれる
あなたが去ったとて あなたへの想いに
愛はやすらかにねむるであろう
 
10・6
夏目漱石『虞美人草』より
 
 天下を相手にすることも、国家を向こうへ回すことも、一団の群衆を眼前に、事を処することも、女にはできぬ。女はただ一人を相手にする芸当を心得ている。一人一人と戦うとき、勝つものは必ず女である。男は必ず負ける。具象の籠の中に飼われて、個体の粟を啄んではうれしげに羽搏きするものは女である。籠の中の小天地で女と鳴く音を競うものは必ず斃れる。
 
10・6
手塚治虫『ブッダ』より
 
 ぼくの願いは四個あります。一個は、年をとることのない永遠の青春がほしいのです。二個は、おとろえることのない美しさ。三個は、病気に絶対にならないこと。四個は、死なない命。この四個がかなえられたら、ぼくはどこへも行きません……。
おまえの願いはムチャクチャだ。バカ、バカ。
 
 おまえたち鹿よ。おまえたちは自分が生きていくために自分のことの心配しかしていない。だけどそれはまちがいなのだ。自分が生きていくためには、他人が生きていく手伝いもしてやりなさい。それがきっと自分の一生にむくいられてくるはずだ。
 
 生きものの霊は……みんな別の世でつながっているのだぞ。われわれと同じ仲間だ。生かしてやるがよい。
 
10・7
黒島伝治『戦争について』より
 
 兵卒は、誰れの手先に使われているか、何故こんな馬鹿馬鹿しいことをしなければならないか、そんなことは、思い出す余裕なしに遮二無二に、相手を突き殺したり殺されたりするのだ。彼等は殺気立ち、無鉄砲になり、無い力まで出して、自分達に勝味が出来ると、相手をやっつけてしまわねばおかない。犬喧嘩のようなものだ。人間は面白がって見物しているのに、犬は懸命の力を出して闘う。持主は自分の犬が勝つと喜び、負けると悲観する。でも、負けたって犬がやられるだけで、自分に怪我はない。利害関係のない者は、面白がって見物している。犬こそいい面の皮だ。
 
10・8
渡辺京二『私のロシア文学』より
 
 私は『大尉の娘』(プーシキン)をこの度読み返して、……これが実にみごとで偉大な作品であることを痛感しました。完璧な出来といってよろしい。これは若いうちはなかなかわからないのですが、古風で素朴な物語のように見せかけて、実は壮大な世界とインチメート(個人的)な生活圏とをみごとに結んでみせたおそるべき小説だとつくづくこの度感じました。
 
10・10
プーシキン『大尉の娘』(坂庭淳史訳)より
 
 ピョートル・アンドレ―エヴィチ・グリニョーフの手記はここで終わっている。一家の言い伝えによれば、彼は一七七四年末、勅令によって勾留を解かれた。そして、彼はプガーチョフの処刑の場にいたという。プガーチョフは、群衆の中に彼を見つけると首を縦に振ってみせた。直後に、命を失い、血まみれになって、人々の前にさらされるその首を。
 
10・11
リルケ『リルケ詩抄』(茅野蕭々訳)より
 
孤独は雨のようだ
大海から夕ゆふべを迎へて上る。
 
今世界の中の何処かで死ぬ、
理由なく世界の中で死ぬ人は、
私を見つめてゐる。
 
人々は私に匙を差しつける、
あの生命の匙を。
いいや、私は、私はもういらない。
私に私を捨てさせてくれ。
 
10・15
エラスムス『痴愚神礼賛』(渡辺一夫・二宮敬訳)より
 
 戦争こそは、ありとあらゆる輝かしい武勲の舞台であり源ではないでしょうか? ところで、結局は敵味方双方とも得よりも損をすることになるのに、なにがなんだかわからない動機から、こんな争いごとをやり始める以上に阿呆なことがあるでしょうか? ……戦争のときには、あまりものを考えず、前へ前へと突進するような、太って脂ぎった人間が入用なのです。
 
10・22
ボードレール『悪の華』(堀口大學訳)より
 
おお、悪魔よ、僕の久しい不運を憐れめ!
 
10・23
林芙美子『恋は胸三寸のうち』より
 
七面鳥と狸!
何だイ! 地球飛んぢまへ
真実と真実の火花をよう散らさない男と女は
パンパンとまつぷたつに割れつちまへ!
 
10・25
バルザック『シャベール大佐』(川口篤・石井晴腫一訳)より
 
「とにかく、小説家が考え出したつもりでいる社会のおぞましさなんて、すべてこれ常に現実以下だよ」
 
 
10・27
プーシキン『スペードのクイーン』(望月哲男訳)より
 
 物質世界において二つの物体が同一の空間を占めることが不可能であるのと同じく、精神世界においても二つの固定観念が共存するのは不可能である。
 
10・29
ハメット『ガラスの鍵』(池田真紀子訳)より
 
 ボーモントは唇を湿らせ、真剣な優しい声で言った。「あなたが抱いているのが、その憎しみに負けないくらい激しい愛だったら、ポールは世界一の幸せ者だったろうに」
 
11・1
藤澤清造『生地獄図抄』より
 
 君はそうは思わないか。天災ゆえだとはいえ、千年の栄華を、一朝にして失いつくした悲しみの前にたったら、きっと君だって、ひとりでに眼のくもってくるのを覚えるに相違ない。その内の内なる意味は違っても、これはひとり、私や、ナポレオンばかりではなしに。
 
11・1
川端康成『心中』より
 
 彼女を嫌って逃げた夫から手紙が来た。二年ぶりで遠い土地からだ。
(子供にゴム毬をつかせるな。その音が聞えて来るのだ。その音が俺の心臓を叩くのだ。)
 彼女は九つになる娘からゴム毬を取り上げた。
 
11・1
川端康成『弓浦市』より
 
 三人の客たちは今の婦人客の幻想か妄想かについて、こもごも意見を言っては笑った。勿論、頭がおかしいという結論である。しかし、香住は婦人客の話を半信半疑で聞きながら、記憶をさがしていた。自分の頭もおかしいと思わないではいられなかったこの場合、弓浦市という町さえなかったものの、香住自身には忘却して存在しないか、他人に記憶されている香住の過去はどれほどあるか知れない。香住が死んだ後にも、今日の婦人客は、香住が弓裏浦市で結婚を申し込んだと思いこんでいるにちがいないのと、同じようなものだ。
 
11・3
魯迅『非攻】(藤井省三訳)より
 
「今こんな人がいるのです──高級馬車はいらんというのに、隣家のオンボロ車を盗みたがり、綾錦の衣裳はいらんというのに、隣家の仕事着を盗みたがり、ご馳走はいらんというのに、隣家の粗食を盗みたがるとは、これはいったい何者でしょう?」
 
11・4
カフカ『掟の前で』(丘沢静也訳)より
 
「満足するってことを知らないのか」。「みんな、掟のところにやってくるはずなのに」と男が言った。「どうして何年たっても、ここには、あたし以外、誰もやってこなかったんだ」。門番には男がすでに死にかかっていることがわかった。聞こえなくなっている耳に聞こえるような大声でどなった。「ここでは、ほかの誰も入場を許されなかった。この入り口はおまえ専用だったからだ。さ、おれは行く。ここを閉めるぞ」
 
11・5
ブレヒト『ユダヤ人相手の娼婦、マリー・サンダースのバラード』(丘沢静也訳)より
 
ある朝、9時ぴったりに、
マリーは車で町を引き回された。
シュミーズ1枚、首に札をぶらさげ、
髪はバッサリ、ざんぎり頭。
路地がどよめいた。マリーは
冷たい目で見返した。
 郊外じゃ、肉の値段が上がってる。
 今夜、あのシュトライヒャーが演説するぜ。
 ああ、たいへん。みなさん、聞く耳があれば、 
 どんな目に遭うのか、わかるだろうに。
 
11・8
ブレヒト『異端者の外套』(丘沢静也訳)より
 
 係官たちは、日曜から月曜にかけての真夜中にやってきて、この学者を連行して、異端審問所の牢獄に投じた。
 それは1592年5月25日、月曜午前3時のことだった。その日から、彼が火刑台にのぼった日である1600年2月17日まで、ノーラ生まれのこの学者は、二度と牢獄から出ることがなかった。
 
11・8
太宰治『新釈諸国話』(貧の意地)より
 
 駄目な男というものは、幸福を受け取るに当ってさえ、下手くそを極めるものである。突然の幸福のお見舞いにへどもどして、てれてしまって、かえって奇妙な屁理屈を並べて怒ったりして、せっかくの幸福を追い払ったり何かするものである。
 
11・8
金原瑞人(モーム『ジゴロとジゴレット』・訳者あとがき)より
 
 サマセット・モームも、そのうちのひとりだが、ほかの作家たちと少し毛色が違う。何が違うかというと、作品の面白さだ。面白すぎるほど面白い。小説を読んで何を面白いと思うかは読者それぞれだが、巧みなストーリー展開やひねりのきいたエンディングにおいて、モームの右に出る作家はいない。
 
11・10
深沢七郎『思い出多き女おッ母さん』より
 
 あの小説がベストセラーになって、親しい人から、
「おっかさんが生きていたら」
 と、よく云われた。ボクはそのたびにソッポを向いてしまうのだ。そうして、わけのわからないような返事をしてしまうのだ。
 この一番憎らしい言葉を、どうして、みんな、ボクに云うのだろう。どうしてもできないことを、ボクにさせようと苦しめるのだ。私は、云われるたびに、その人達を惨酷な人だと思う。
 
11・13
カフカ『カフカ・セレクション』(浅井健二郎訳)より
 
「ああ」、と鼠が言った。「世界は日毎に狭くなってゆく。はじめはだだっ広くて不安だった。俺は先へ先へと駆け続け、そしてようやく彼方の右と左に壁が見えて嬉しかった。ところが、この長い壁は見るみる合わさってきて、俺はもうどん詰まりの部屋にいて、しかもあそこの隅には罠が仕掛けてあり、そこに俺が駆け込んでゆくというわけだ」。「お前はただ走る方向を変えさえすればいいんだよ」、と猫は言い、鼠を食べてしまった。
 
11・15
ジョージ・オーウェル『動物農場』(山形浩生訳)より
 
 人は唯一、生産せずに消費する生き物だ。乳も出さず、卵も産まず、鋤を引くには弱すぎ、ウサギを捕らえるには足が遅すぎる。それなのに、人はあらゆる動物の主だ。動物たちを働かせ、飢え死にしない程度の最低限だけを動物たちに返し、残りは自分の懐に入れる。土を耕すのは我々の労働だし、肥沃にするのは我々の糞だ。それなのに、我々の中で己の皮一枚以上のものを持つ動物は一匹たりともいない。
 
11・19
トロッキー『ニーチェからスターリンへ・トロッキー人物論集(レフ・トルストイ・詩人と道徳家)』(森田成也・志田昇る訳)より
 
 スターリンが没落してもヒトラーが救われるわけではない。なぜならヒトラー自身が、夢遊病者のように断崖絶壁へと着実に引き寄せられているからである。スターリンの助けを得たとしてもヒトラーは地球を改造することに成功しないだろう。地球を改造するのは他の者たちである。
                 一九三九年九月二十二日
                       コヨアカン
 
11・19
同右
 
 トルストイがわれわれの革命的目標に共鳴することを拒んだとしても、それは歴史がその革命的道程を彼に理解させることを拒んだからである。われわれは彼を非難しない。そして、われわれは、人間の芸術が生き続けるかぎり滅びることのない彼の偉大な天才だけでなく、その不屈の道徳的勇気をもつねに評価するだろう。そして、この勇気こそ、トルストイをして、彼らの偽善的な教会、彼らの社会、彼らの国家の中に安住することを許さず、無数の崇拝者の中での孤立を運命づけたのである。
                 『ノイエ・ツァイト』
                    一九〇八年九月
 
11・20
フィツジェラルド『ラスト・タイクーン』(大貫三郎訳)より
 
 「すべては過ぎ行く、──逞しい芸術
だけに永遠がある」
 
11・21
ブッツァーティ『護送大隊襲撃』(関口英子訳)より
 
 町の一角で捕らえられ、密売の罪だけを問われたために──正体がばれずにすんだおかげで──山賊の首領ガスパレ・プラネッタは、三年で獄を出ることができた。
 
11.21
ゴーゴリ『鼻』(浦雅春訳)より
 
 それにしても、一等不思議で、わけがわからないのは、世の物書きが、よりにもよってどうしてこんな話をこしらえるのかってことです。正直申し上げますが、手前にはまったく合点がいきませんな。これは、要するに……いや、駄目です、さっぱりわからん。第一、こんな話はお国のためにならない、第二に……いや、この第二にというのが、まったくもって益がない。
 
11・23
クンデラ『邂逅=クンデラ文学・芸術論集』(西永良成訳)より
 
 終わりつつある戦時は、根底的であるとともに平凡な、忘却されるがまた永遠の真実を教えてくれる。永遠の真実とは、生者にたいして、死者は圧倒的な数的優位にあるという真実である。(中略)みずからの優位を確信した死者たちは、わたしたちが生きているこの時間の小島のことを、新しいヨーロッパのこの稀少な時間のことを嘲笑い、その無意味さ、その移ろいやすさをそっくりわたしたちに教えてくれるのである……。
 
12・1
松本清張『日本の黒い霧(下山国鉄総裁謀殺論)より
 
 下山の死の状態が実は裸だったらしいことも、この殺害方法と無縁ではない。つまり彼は下着だけの姿になって、暴力で抑えられ、血液を抜かれたのではないだろうか。或いは急所を蹴られて悶絶している間に、血を抜かれたかもしれない(陰茎と睾丸とが内出血している)。
 
12・1
ディケンズ『二都物語』(池央耿訳)より
 
 順番はカートンのすぐ前と決まっていた。瞬くうちだった。女たちは数えた。「二十二」
「イエス言い給う。われは復活なり。生命なり。われを信ずる者は死すとも生きん。およそ生きてわれを信ずる者は、永遠に死なざるべし」
 群衆のざわめき。ふり仰ぐ顔また顔。人込みの周縁から大波のうねりのように押し寄せて地をどよもす足音。斧の刃が一閃してこれを断つ。「二十三」
 
12・5
岡本太郎『強く生きる言葉』
 
 成功しなくてもいいということを前提としてやっていれば、何でもないだろう。思いどおりの結果なんだから。
 逆に成功することだってあるかもしれないよ。
 
12・9
プレヴオ『マノン・レスコー』(野崎歓訳)より
 
 ここで読者にいっておかなければならないが、私は青年に話をきくとほとんど間をおかずにそれを書きしるしたのである。したがってこの物語ほど正確かつ忠実なものはほかにないと思っていただいてまちがいない。忠実というのは、この若き恋の冒険者がこのうえなく魅力的に語ってくれたさまざまな思いや感情にいたるまで、忠実にしるしてあるということだ。それでは以下に、彼の物語を示そう。私は最後まで、彼の口から出た言葉以外には何ひとつまじえることはないだろう。
 
12・9
ワイルド『ドリアン・グレイの肖像(序文)』(仁木めぐみ)より
 
 ある芸術作品に多様な意見が一致しない場合、その芸術家は自分自身と調和している。
 
12・10
小林秀雄『美を求める心』より
 
 詩人は、自分の悲しみを、言葉で誇張して見せるのでもなければ、飾り立てて見せるのでもない。一輪の花に美しい姿がある様に、放って置けば消えて了う、取るに足らぬ小さな自分の悲しみにも、これを粗末に扱わず、はっきり見定めれば、美しい姿のあることを知っている人です。
 
12・11
ヴィットリオ・インブリアーニ『三匹のカタツムリ』(橋本勝雄訳)より
 
 牢獄から四人の囚人が耳にしたのは、彼らを灰や炭にするためかきたてられた炎が燃え盛るのを見た群衆が騒ぎ、大声をあげて鼻を鳴らす物音でした。人々は窯入れの時間を逃すまいと、大騒ぎをしながら陽気に飲み食いをしてふざけていたのです。王族が殺されるのを見物したいという新妻の願いでやってきた新婚夫婦もいました。
 
 
12・18
宮城谷昌光『新三河物語』より
 
 大久保五郎右衛門忠俊も顔面を烈しく雨に打たれた。
 ──息ができぬ。
 忠俊は顔をそむけ、身をよじった。背の指物の竿がしなって、折れそうになった。風にさらわれた指物旗はすくなくないはずだが、周辺をみまわすゆとりをもてない。目をあければ、雨に目を刺される。瞼の裏が急に明るくなったのは、電光のせいであろう。直後に地を震わせるほどの雷鳴をきいた。
 
12・18
伊東成郎『新選組・2245日の軌跡』より
 
 西村兼文が記した『新選組始末記』には、山南は土方歳三の推進する西本願寺への屯所移転計画に反発し、一書を遺して自刃したと伝えられる。そこに脱走に関する記載はなく、死因に疑念を投じる結果となっている。
 
 この書にはある特徴があった。それは決して新選組を好意的に評価しているわけではないという点である。
 市中や随所で粗暴に振る舞う隊士たちはもとより、果ては近藤勇の識見にいたるまで、西村は筆を極めてもろもろを罵倒する。新選組に蹂躙された西本願寺の下吏としては、それは当然の仕儀かもしれない。
 
12・20
江戸川乱歩『乱歩打明け話』より
 
 当時僕は、内気娘の恋のように、昼となく夜となく、ただもう彼のことばかり思いつめていた。いつとなくそれが同級生に知れ渡って、いろいろにからかわれる。そのからかわれるのが、ゾクゾクするほど嬉しいのです。うわべは顔を赤らめながら、内心無上の法悦を感じているのです。
 
12・21
筒井康隆『現代語裏辞典』より
 
【小説家】大説家と中説家は絶滅し、今やこんな人しか残っていない。
【小説】文字による饒舌
【饒舌】ボロを出す前の段階。
【文学】文字を学ぶこと。
【文学者】新聞記事の文章を徹底的に嫌う連中。
【文学論】小説が書けないやつでも書けるもの。
【文化人】安あがりのタレント。
 
12・25
井上靖『しろばんば』より
 
 その頃、と言っても大正四、五年のことで、いまから四十数年前のことだが、夕方になると、決って村の子供たちは口々に「しろばんば、しろばんば」と叫びながら、家の前の街道をあっちに走ったり、こっちに走ったりしながら、夕闇のたちこめ始めた空間を綿屑でも舞っているように浮遊している白い小さい生きものを追いかけて遊んだ。
 
 洪作がおぬい婆さんの死に対して反応を示さないので、祖母にはそんな洪作が不気味に映ったらしかった。
 
 葬列が過ぎ去って行くと、二階で洪作に付き添っていた近所の内儀さんが、
「これで、洪ちゃを一番可愛がった婆ちゃも行ってしまった」
 と言った。その言葉で、洪作は初めて着物の袖を眼に持って行った。
 
12・29
西村賢太『やまいだれの歌』より
 
 通りの右手向こうに、京急の黄金町駅の昇降口が見えてきた。
 と、北町貫多の心中には、そこで初めて軽ろき焦りみたようなものが生じてくる。
 これより先に行ってしまっては最早横浜も南区に入り、はな貫多が思い描いていた地域とは、地域が些か異なってくるのだ。
 と云って左に折れて、大通りを板東橋から関内へと戻るかたちを取ったところで、よしそこに不動産屋があったとしても、その対象はやはり南区内の物件が主になってしまうであろう。
 
12・29
ミラン・クンデラ『笑いと忘却の書』(西永良成訳)より
 
 その四年後、クレメンティスは反逆罪で告発され、絞首刑に処された。情宣部はただちに彼を〈歴史〉から、そして当然、あらゆる写真から抹殺してしまった。それ以来、ゴットウルトはひとりでバルコニーにいる。クレメンティスがいたところには、宮殿の空虚な壁しかない。クレメンティスのものとして残っているのはただ、ゴットウルトの頭の上に載っかった、毛皮のトック帽だけになってしまった。
 
2023
12・31
蓮見重彦『伯爵夫人』より
 
 傾きかけた西日を受けてばふりばふりとまわっている重そうな回天扉を小走りにすり抜け、劇場街の雑踏に背を向けて公園に通じる日陰の歩道を足早に遠ざかって行く和服姿の女は、どう見たって伯爵夫人にちがいない。
 
2023
1・1
ミラン・クンデラ『笑いと忘却の書』(西永良成訳)より
 
 ただ、戦車は本当に梨よりも重要なのだろうか? 時が経つにつれ、その質問にたいする答えは、それまでの自分が考えていたほど明快なものではないとわかって、カレルはお母さんの見方に密かに共感を覚えるようになっていた。その見方では、前面に大きな梨があって、はるか後方のどこかに、人目を憚って今にも飛んでいきそうな、てんとう虫よりも巨きくはない戦車がいる。そう、実はお母さんのほうが正しいので、タンクは束の間のものだけれども、梨は永遠なのだ!
 
1・1
辻村深月『きのうの影踏み』より
 
 友人に聞いた話である。
 無類の怪談好きである私が、「何か怖い話知らない?」と聞いたら、少し迷ってから「怖いっていうか……。小学生の頃の話なんだけど」と話してくれた。
 
1・2
ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』(丹治愛訳)より
 
「ぼくも行くよ」とピーターは言ったが、ちょっとのあいだそのまますわっていた。このぞっとする感じはなんだろう? この恍惚感は? 彼は心のなかで思った。おれを異様な興奮でみたしているのは何だろう?
 クラリッサだ、と彼は言った。
 そこに彼女がいたのだ。
 
1・3
辻仁成『ポスト』より
 
 私の心を包み込む複雑で不愉快な気持ちも、死体安置所であの女の亡骸と再会した途端、陽光によって溶かされる朝もやのように、すっと、どこへともなく散った。はじめて女の視線を感じた日のことを思い出した。遠い昔のことのように思えてならなかった。
 私は遺体をしばらく覗き込んでいた。いろいろなことがあった。実際には何もないのに、無数の記憶が蘇ってきた。
 私は横たわる女の頬にそっと手を伸ばし、
「確かに、私の妻に間違いありません」
 と告げた。
 
1・9
中村文則『去年の冬、きみと別れ』より
 
 少し象徴的だなと思ったのはね、彼は初め朱里と会う僕を遠巻きに観察していたのだけれど、次第に、まるで円を描くように、僕を観察する距離を縮めていったんだそうだ。ゲーテの『ファウスト』で、悪魔のメフィストフェレスがファウストにそう近づいていったように。
 
1・12
山本周五郎『シャーロック・ホームズ』より
 
「いや、もうお隠しになるには及びません。貴方がホームズ氏であることは、三週間まえに横浜へ御上陸なすった時から私の方には分っていたのです」
「や……こいつはどうも」
 ベンドルトン、否──シャーロック・ホームズは、一本参ったと云う風に体をゆすぶって苦笑した。
 ああ、英国の名探偵、と云うよりも世界的の大探偵として誰知らぬ者なきシャーロック・ホームズが、意外にもはるばると海を渡って我が日本へ来ていたのだった。何のために……? それはこの一篇の物語の進むにつれて次第に分って来よう。
 
1・13
安部龍太郎『朝ごとに死におくべし・葉隠物語』より
 
(死ぬしかない。死ぬしか……)
 心の中で呪文のように唱えながら、田代陣基は夜の道を駆けつづけた。
 空にかかる弥生の月が、西から迫る雲に少しずつおおわれてゆく。あたりは次第におぼろになり足元が見えにくくなっていくが、つまずこうが倒れようが構わぬとむきになって先を急いだ。
 
1・16
カズオ・イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』(入江真佐子訳)
 
 それはわたしが調査した中でも最も気の滅入るような犯罪のひとつだった。わたしが村に到着したのは、その小道で子供たちの遺体が発見されてから四日経ってからだった。絶え間なく降り続いた雨のせいで、遺体が見つかった溝は泥水が勢いよく流れる小川のようになってしまっていて、事件に関連性のある証拠を収集するのは容易なことではなかった。それでも、警部の足音が聞こえてきたころには、わたしには何が起こったのかきわめてはっきりと見えてきていた。
「実に恐ろしい事件です」近づいてきた警部に向かってわたしは言った。
「吐き気がしましたよ、バンクスさん」と警部は言った。「本当に吐き気をもよおしました」
 
 ……やがて警部が言った。
「今まさにこの瞬間には、大工になっときゃよかったとほんとうに思いますよ。親父はわたしに大工になってほしがっていたんです。ほんとにそう思いますよ、バンクスさん。今日、この事件の後では、ほんとうにね」
 
1・16
今野勉『宮沢賢治の真実・修羅を生きた詩人』より
 
 《猥れて嘲笑めるはた寒き》
 
 これが最初の一行だった。いきなり「猥れて」とあるが、これは、どう読むのか。「猥」だけではない。短い四連のその詩の中には「猥」の他に、「嘲笑」「凶」「秘呪」などの字句がただならぬ気配を発していた。私が知っている賢治──たとえば「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と書く賢治とは別人のような賢治が、そこにいる気がした。
 
1・17
池波正太郎『闇は知っている』より
 
 小五郎は、日野の佐喜松が自分の犯行に気づき、どこかへさそい出して殺そうとしている、などとはおもっていない。
(もっと別のことだ)
 と、感じていた。
(佐喜松は、なにか、おれにたのみごとがあるにちがいない)
 これであった。
 では、その[たのみごと]とは何か……?
 しばらくして……。
 駕籠がとまった。
「先生、着きましてござんす」
 出てみると、そこはもう道ではなかった。
 
1・21
西村賢太『一日』より
 
 これには私も、はな謙虚に自作の拙さを悔やむのみであったが、やがて段々と腹も立ってきてしまい、酒場で該誌の編輯長と出食わした際には些か非礼な態度で、無礼な言葉を投げつけたりしたものである。
 が、それでもやはり小説を書きたい未練が働き、最後には、「ぼくの今後書くものに取り柄を感じたら、また載っけて下さい」なぞ、ホコを収めるようなことを言いもしたが、さて先日ようやくに再度声をかけてもらえたときは、一瞬にして往時の恨みがケシ飛ぶ程に嬉しかった。
 
1・24
カポーティ『分かれる道』(小川高義訳)より
 
 ティムが子供のような手を出した。ジェイクはごつい手をかぶせて、しっかり握りしめてやった。若者はだらんと力の抜けた手を揺すられるにまかせていた。ジェイクは手を離した。若者の手の中に何やらの感触が残った。手を開くと、十ドル札があった。もうジェイクはすたすたと先を歩いている。ティムはあとを追った。その目に日射しがきらめいただけだったかもしれない。でもやはり、本物の涙だったかもしれない。
 
1・30
三島由紀夫『音楽』
 
 白粉気一つない麗子は、髪もうしろに引っつめ、古ぼけた緑の事務服の上っぱりを着て、素足にゴム草履を履いていたが、このふしぎな美しさは、改めて彼女を見直させた。そのいつもの驕慢な顔つきは失われ、ひどくあどけなく、素肌の美しさには何かはかないほどの感じがあって、彼女は処女の特徴を一つも失っていないように見えた。
 
2・1
ダニエル・デップ『バビロン・ナイツ』(岡野隆也訳)より
 
 父親のことを考えるといまだにヘドが出そうになる。あの激情が父ゆずりであるのなら、どうしてそれを自分の子へと受け継いだりなどできよう。スパンドウは時としてアリゾナへ戻って父親の墓を掘り返したい気持ちにかられた。酒浸りだったオヤジだからアルコール漬け同然の体だってまだ残っているはずだ。そいつを墓石に立てかけて銃をぶっ放してやりたい、という願望に囚われた。
 
2・4
島崎藤村『並木』より
 
「ああ、並木だ。」と相川は大学生の青木が言ったことを胸に浮べた。原も、高瀬も、それからまた自分も、すべてこの堀端の並木のように、片輪の人になって行くような心地がしたのである。
 暗い、悲しい思想が、憤慨の情に交って、相川の胸を衝くばかりに湧き上った。彼は敗兵を叱咤する若い仕官のように、塵埃だらけになった腰弁の群を眺めながら、
「もっと頭を挙げて歩け。」
 こう言った。冷い涙は彼の頬を伝って流れた。
 
2・4
国分拓『ノモレ』より
 
 故郷まで逃げる途中のことだ。
 追手が近くまで迫って来た。
 もう、だめだ。誰もが諦めかけた。
 誰かが言った。
 全滅だけは避けよう。二手に分かれて逃げよう。
 悩んでいたり、議論をしている余裕はなかった。
 故郷での再会を誓って、彼らは森で別れた。一方はこちら側の森へ逃げ、もう一方はあちら側の森へ逃げた。
 
 それきりになった。
 森で別れた者たちが、二度と会うことはなかった。
 森を右に行った者たちは故郷に戻ることができたが、左に行った者たちは、そのまま森のどこかに消えたのだ。
 
(中略)
 
 ノモレに会いたい。ノモレを探してくれ。
 森のずっと奥の小さな先住民の村、人知れぬ密林の中で、別れの記憶と再会の願いが静かに語り継がれていった。
 そして、百年が過ぎた。
 
2・5
穂村弘『きっとあの人は眠っているんだよ・穂村弘の読書日記』より
 
 でも、『サンチョ・パンサの帰郷』は、その不安を消してくれた。ここにはこの形、つまり詩以外では絶対に表現できない世界がある。
 
 なんという駅を出発して来たのか
 もう誰もおぼえていない
 ただ いつも右側は真昼で
 左側は真夜中のふしぎな国を
 汽車ははしりつづけている
 
 帰りに本屋で『無能の人・日の戯れ』(新潮文庫)を買った。何度も読んでるけど夢中になる。全ての場面が生々しくて、しかも意外。表現に養殖感がないというか。とにかく鮮度が高い。面白さの幅ってことを考えるなら、つげ作品は一方の極に位置するものじゃないか。
 
2・7
宮城谷昌光『春秋名臣列伝』より
 
 いまの『孫子』の十三篇のなかで、もっとも玄妙な思想をたたえているのが、「虚実篇」である。
 
 兵を形すの極を、無形に至る。(中略)其の戦い勝つや復さずして、形に無窮に応ず。
 
 軍の形で最良なものとは、形が無いということである。戦いの勝ちかたに二度と同じであるものはなく、相手に応じて無限に変化するのである。
 
2・9
島崎藤村『ある女の生涯』より
 
「前の日に思い立って、或る日は家を出て来るような、そんな旦那衆のようなわけにいかずか。」
「そうとも。」
「そこは女だもの。俺は半年も前から思い立って、漸くここまで来た。」
 これは二人の人の会話のようであるが、おげんは一人でそれをやった。彼女の内部にはこんな独言を言う二人の人が居た。
 
2・11
森鴎外『ウィタ・セクスアリス』より
 
 そのうちに夏目金之助君が小説を書き出した。金井君は非常な興味を以て読んだ。そして技癢を感じた。そうすると夏目君の「我輩は猫である」に対して、「我輩も猫である」というようなものが出る。「我輩は犬である」というようなものが出る。金井君はそれを見て、ついつい厭になってなんにも書かずにしまった。
 そのうち自然主義というものが始まった。金井君はこの流義の作品を見たときは、格別技癢をば感じなかった。そのくせ面白がることは非常に面白がった。
 
2・11
トマス・ハーディ『呪われた腕』(河野一郎訳)より
 
 そしてローダの後ろには、ガートルード自身の夫が立っている。眉をしかめ、目をうるませているが、涙は出ていなかった。
「こいつめ! 何をしてるんだ、こんなところで?」と、彼はかすれた声で言った。
「何という女だろう──わたしたちの仲を裂いて、こんどは子どもとのあいだを邪魔するなんて!」とローダは叫んだ。
(中略)
 二人の姿をひと目見ただけで、死んだ若者がローダの息子だったことはガートルードにも十分にわかった。
 
2・11
谷崎潤一郎『痴人の愛』より
 
 一瞬間、ナオミは私が事実発狂したかと思ったようでした。彼女の顔はその時一層、どす黒いまでに真っ青になり、瞳を据えて私を見ている眼の中には、ほとんど恐怖に近いものがありました。が、忽ち彼女は猛然として、図太い、大胆な表情を湛え、どしんと私の背中の上へ跨りながら、
「さ、これでいいか」
と、男のような口調で言いました。
「うん、それでいい」
「これから何でも言うことを聴くか」
「うん、聴く」
「あたしが要るだけ、いくらでもお金を出すか」
「出す」
「あたしに好きな事をさせるか、一々干渉なんかしないか」
「しない」
「あたしのことを『ナオミ』なんて呼びつけにしないで、『ナオミさん』と呼ぶか」
「呼ぶ」
「きっとか」
「きっと」
「よし、じゃあ馬でなく、人間扱いして上げる、可哀そうだから。──」
 そして私とナオミとは、シャボンだらけになりました。……
 
2・12
ディケンズ『二都物語』(池央耿訳)より[再]
 
 パリの街路を死の馬車が、虚ろな、それでいて耳障りな音を立てて通り過ぎる。六台の死刑囚護送馬車が、ラ・ギヨティーヌにこの日のワインを届けるところだ。人間の想像力が記憶を遡り得る限りの昔から、貪婪を極めて飽くことを知らぬ、ありとあらゆる怪奇異形の化け物を一つに扱き混ぜて、今ここに登場したのがギロチンである。
 
2・13
ゲーテ『ファウスト』(高橋義孝訳)より
 
メフィストーフェレス 何、過ぎ去った、と。間抜けた言葉だ。
 なんで過ぎ去るのだ。
 過ぎ去ったのと、何もないのとは、全く同じではないか。
 一体、永遠の創造になんの意味があるというのだ。
 創られた物は、かっ攫って「無」の中へ追い込むだけのことだ。
 元からなかったのと同じことじゃないか。
 それなのに、何かが在るかのように、どうどうめぐりをしているのだ。
 それよりおれとしては「永遠の虚無」の方が結構だね。
 
2・16
シェフチェンコ『暴かれた墳墓』(藤井悦子訳)より 
 
静けさにみちた世界 愛するふるさと
わたしのウクライナよ。
母よ、あなたはなぜ
破壊され、滅びゆくのか。
朝まだき 太陽の昇らぬうちに
神に祈りを捧げなかったのか。
聞きわけのない子どもたちに
きまりごとを教えなかったのか。
「祈りました。こころを砕いてきました。
昼も夜も眠らず、
幼子たちを見守り、
きまりごとを教えました。
 
2・16
水野一晴『人間の営みがわかる地理学入門』より
 
 エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラームの聖地になっている。紀元前922年頃に興ったイスラエル王国の二代目ダビデが、エルサレムの地を攻略して都とし、そこにモーセがシナイ山で神から預かったとされる十戒の石板を納めた櫃(アーク9を安置し、息子のソロモン王がその櫃を納めるための神殿を建造したことでエルサレムがユダヤ教の聖地となった。キリスト教では、エルサレムはイエスが十字架にかけられ処刑されたものの、3日目にキリスト(救い主)として復活した場所として聖地となっている。イスラームではメッカのカーバ神殿が礼拝を行う方向とされる以前は、ユダヤ教徒にならってエルサレムの神殿が礼拝の方向とされ、預言者ムハンマドもエルサレムに向かって礼拝していたため聖地となっている。ちなみにアラビア語でエルサレムのことをアル=クドス(聖地)という。
 
2・16
『今昔物語・天竺篇』(国東文麿訳)より
 
 今は昔、祇園精舎に一人の比丘がいた。これが重い病気にかかり、五、六年もの間大いに苦しんだ。悪いできものができて膿や血が流れ出、垂れ流しの大便小便が鼻をつくばかりであった。そこで人々はこれをきたながって、だれも近寄ろうとしない。寝ているあたり一帯はぼろぼろに朽ち果てていた。仏はこの人を見て気の毒にお思いになり、阿難・舎利弗などの五百の御弟子をみなよそに出してやってから、その比丘の所に行き、五本の指から光を放って遠くお照らしになり、……
(中略)
「王は伍百に命じてこれを罰したが、この優婆塞が善を行なう人であると聞いて、伍百は罰するのをやめた。優婆塞は罰を免れて喜んで去っていった。その折の伍百というのはこの病比丘にであり、優婆塞というのはいまのこのわしである。こういうわけで、わしがここに来て恩を報じるのである」とお説きになった。
 
2・12
瓜生中『知っておきたい日本の神話』より
 
 イザナキ、イザナミは夫婦で多くの神を生んだが、最後に火之迦具土神(以下、ヒノカグツチという)という火の神を生んだ。火の火の神を生んだイザナミはホト(女陰)に大火傷を負い、間もなくそれがもとで亡くなってしまう。最愛の妻を失ったイザナキは、イザナミの死の原因となったヒノカグツチを憎み、ついには斬り殺してしまった。
 このヒノカグツチを祭神としてまつるのが静岡県の秋葉山本宮秋葉神社で、古くから火伏せ(防火)の神として知られている。
 
2・19
林修『林修の「今読みたい」日本文学講座』(芥川龍之介『蜜柑』)より
 
「私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである」
 
 と、これは、ちょっと考え込んでしまう一文です。この程度のことで、本当に「忘れることができた」のだろうか? そういう懐疑が生じても不思議はありません。
 
2・25
井上修一『父の趣味』より
 
 父(井上靖)は仕事一筋人間で、趣味というものを持っていなかった。父の若い頃の日本はまだ貧しかったので、都会の富裕層でもなければ趣味を持つ余裕などなかったのかもしれない。そもそもクラシック音楽鑑賞とかピアノ演奏に打ち込めるような環境は、父の育った当時の伊豆・湯ヶ島にはなかったと思う。
 
2・25
久保田信『クラゲの秘密』より
 
 わたしたちにまず必要なのは、「心の進化」かもしれない。自らの体を変えて環境の変化に対応してきたほかの生物と異なり、わたしたちは自然やほかの種の命を改変して生きながらえてきた。その自覚が、はたして足りているだろうか。
 ベニクラゲという小さな命のために用意された、若返り能力という最強の武器。
 わたしたちはそれを手にする資格を持っているかどうか、今一度問うてみる必要があるのかもしれない。
 
2・28
半沢幹一『藤沢周平 とどめの一文』より
 
 右の二つの挿話は、信憑性のほどは保証しかねるけれども、小野次郎右衛門忠明という兵法者の兵法の形と強さの片鱗を伝えているように思われる。
 
 旗本になってからの典膳についても、「起伏の多い生涯」とまとめるにすぎません。最後に付け加えられた「二つの挿話」も、「兵法の形と強さ」を伝えるためであって、人となりを紹介するためではなさそうです。家康が典膳の剣技を見て、「妖術のたぐい」と怪しみ、「人の子ではない」と思って、最初は召し抱えようとしなかったのと同じような思いが、藤沢の中にもあったのかもしれません。
 
2・28
ドストエフスキー『ステパンチコヴォ村とその住人たち』(高橋知之訳)より
 
 すっかり宗旨を変えたパフチェエフは、フォーマーについて何か不敬なことを口にしようものなら、私を絞め殺しかねないありさまだった。
 
3・2
『今昔物語』(はじめに・蔦尾和宏筆より)
 
 真言宗の開祖として今に厚い崇拝を受けるあの弘法大師空海が、ふとした悪戯心から天皇の御前で同僚の高僧の面目を丸つぶれにして仲違いし、互いに「死ね死ね」(この台詞は原文のまま)と呪いあったが決着が着かず、空海が一計を案じて嘘の噂を流して相手をだまし、油断させたところを呪い殺したなど、現代の我々にはとても信じられない、しかし思わず読み進めてしまう話があります。
 
(本文より)
 
 其の後、大師心に思はく、「我れ、此れを呪詛し殺しつ、今は心安し、但し、年来我に挑み競て勝るる時も有りつ、劣る時も有て、年来を過つるは、此れ必ず只人には非じ。我れ此れを知らむ」と思て、後朝の法を行ひ給ふに、大檀の上に軍茶利明王、踏□て立給へり。其の時に、大師、「然ればこそ、此れは只人に非ぬ者也けり」と云て、止ぬ。
 然れを思ふに、菩薩の此る事を行ひ給ふは、行く前の人の悪行を止どめむが為也となむ語り伝へたるとや。
(右訳)
 これを思うと、菩薩ともいわれる弘法大師が呪詛の修法によって人を殺すようなことをなさるのは、後々の人の悪行を止めようがためである、とこう語り伝えているということだ。
 
3・3
渡辺京二『石牟礼道子・生命の痛々しい感覚と言葉』より
 
 どこで鍛えたのかわからないけれども鍛錬された文章です。非常に弾性に富んだ文章です。ぴんと撥ね返るような文章で、しかも襞々ににゅるっと入っていく。平板な文章ではない。蠕動している文章ですね。こういう文章がどこで鍛えられたのか。それは持って生まれた才能と言うしかないし、持って生まれた言葉に対する感覚というしか言い様がないんです。
 
3・4
小谷野敦・小池昌代『この名作がわからない』より
 
小谷野 佐藤春夫が谷崎を好きだったと思うんですよ。
小池 ああ確かに。そういうことはあるでしょうね。
小谷野 谷崎を好きすぎて谷崎の奥さんまで欲しくなった。芥川も谷崎が好きだった。みんな谷崎が好きなんですよ。みんなで谷崎に愛されたいと思っている。あれすごいですよ。
小池 そうかそうか。それだけ大きいんですね。
小谷野 谷崎は魅力的だったんでしょうね、きっと。
 
3・5
大岡玲『不屈に生きるための名作文学講義』より
 
 日本近代文学における最重要問題はマザコンだなんて言うのは、いくらなんでも言い過ぎだけど(あ、古典中の古典『源氏物語』も、マザコン物でした)、そうした作家の作品を読む時に、頭の片隅にちょっとこの視点を置いておくと、ふ~ん、なるほど、と思えることがあるかもしれない。
 
3・7
石牟礼道子『糸繰りうた】より(全)
 
日に日に
昏るるし
雪ゃあ雪
降ってくるし
ほんにほんに まあ
どこどこ
漂浪(され)きよりますとじゃろ
 
夜も日も明けず
わが魂の
ゆく先もわからん
 
みんみんぜみのごたる
みぞなげな
おひとで
ございます
 
3・14
山下澄人『しんせかい】より
 
 荷物をまとめて川島さんが乗って来ていた車、川島さんは車で来ていた、に乗って下船し港を出ると、あたりの何もかもが薄汚くて驚いた。
 
3・14
石牟礼道子・藤原新也『なみだ ふる はな』より
 
「花を奉る」石牟礼道子
 
春風萌すといえども われら人類の劫塵
いまや累なりて 三界いわん方なく昏し
(中略)
ただ滅亡の世せまるを待つのみか
ここにおいて われらなお
地上にひらく一輪の花の力を念じて 合掌す
 
     二〇一一年四月 大震災の翌月に
 
3・18
石牟礼道子『タデ子の記』より
 
 一番美しいはずの子ども達が、ぬすむ事を覚え、だます事を覚え、心を折られ、それでも、大人達からは、敗戦したんだから、仕方がない、と極く当然のように、ほうり出され、あまつさえ、迫害さえ加えられて、だんだんと魂を無くして行きつつあるのはなんとしたことでございましょう。
 親たちは、自分の生んだ子どもだけが子どもだと思い、先生たちは、学校に来る子どもだけが子どもだと思ひ、そのような事が余りに多いのではないでしょうか。
 
3・18
石牟礼道子『苦海浄土』より
 
 安らかにねむって下さい、などという言葉は、しばしば、生者たちの欺瞞のために使われる。
 このとき釜鶴松の死につつあったまなざしは、まさに魂魄この世にとどまり、決して安らかになど往生しきれぬまなざしであったのである。
(中略)
 この日のことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった。釜鶴松のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ。
 
3・20
村上春樹『ドライブ・マイ・カー』より
 
「そういうのって、病のようなものなんです、家福さん。考えてどうなるものでもありません。私の父が私たちを捨てていったのも、母親が私をとことん痛めつけたのも、みんな病がやったことです。頭で考えても仕方ありません。こちらでやりくりして、呑み込んで、ただやっていくしかないんです」
 
3・23
宮部みゆき×半藤一利『昭和史の10大事件』より
 
半藤 よく「一言でいうと東京裁判とは何ですか」と問われるんですが、「一言でなんかいえない」といっても食い下がってきかない人がいる仕方がないので、あえて一言でいえば「復讐裁判」ですと答えることがあるんですよ。考えてみると、復讐というのは文学の絶好のテーマですね。
 
3・31
大江健三郎『定義集』より
 
 さきの大戦の終わりに抗独戦線に参加している一人として死んだ、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの、不幸な人間に対して注意深くあり、──どこかお苦しいのですか? と問いかける力を持つかどうかに、人間らしい資質がかかっている、という言葉に私は惹かれています。
 
 クンデラは、もしそれをアメリカの兵士たちと名ざしてしまえば、《この短篇小説(*大江の『人間の羊』のこと)は一つの政治的なテクスト、占領軍の告発に帰してしまうことになるだろう。ただこの修飾語を断念するだけで、政治的な側面が淡い薄暗がりに覆われ、光は小説家の関心を惹く主要な謎、すなわち実存の謎に集束されるのである》。
 
4・1
栗原康『大杉栄伝・永遠のアナキズム』より
 
 社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々いやになる。
 僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。
 思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにはまた動機にも自由あれ。
       (大杉栄「僕は精神が好きだ」『文明批評』一九一八年二月、『全集』第十四巻)
 
 これは大杉栄、三十三歳のときの文章である。よくもまあ、こんなストレートないいかたができたらとおもってしまう。ふつう三〇歳も越えれば、ひとはなんらかのかげりをもっている。ひどい目にあって、あれをいっちゃいけない、これをいっちゃいけないとおもわされ、自分を律してひとに話しかける。あたかも、それが自分の深みであるかのようによそおいながら、自分を大きくみせて、大人であるあかしを立てる。だが、大杉はそういうことをいっさいしない。
 
4・1
白井聡『栗原康・大杉栄伝』の「解説」より
 
 つくづく厭な世の中になった、と毎日のように感じる。それは、政府がクソだから、役人どもがクソだから、資本家どもがクソだから、というだけではない。だいたいいつの時代にもこれらは全部クソだったのだから、別にいまさら嘆く気にもなりゃしない。厭なのは、これらのクソなものどもに対する、人としてのごく当然の反応、すなわちそれらへの人々の憤りがドンドン減ってきているように思われることだ。生ける屍のような連中が増えてきてるってことだ。
 
4・3
『大正という時代』(毎日新聞社・編)
 
 一二年に参加した雑誌『青鞜』の編集発行を、一四年末、らいてうから引き継いだ。「編集の仕事に疲れたらいてうが投げ出した」という指摘もあるが、米田(*佐代子)さんは、らいてうの文章や戦後のインタビューをもとに否定する。「発表の場を求めて『青鞜』に集まった人たちが、それぞれの道を歩き始めた。ほかに発表の場も増え、らいてうは『青鞜』をやめようと思っていた」。その時、野枝が強い調子で存続を迫り、「奪い取った」とみる。
 
 多彩な恋愛遍歴、自由奔放にみえる言動、虐殺……。劇的な人生だが、米田さんは「そうした話題だけが語られがち。それでいいのか、と思う」。野枝は短い間に多数の著述を残した。文筆家としては「未熟」との指摘もあるが、思想家、社会運動家としての側面は、解明が不十分だという。「例えば、彼女のアナキズム論とは何なのか。十分に研究がなされていない。
 
4・3
菅野昭正『(加賀乙彦)永遠の都』解説より
 
 ひとつは、『永遠の都』には、数多くの人物たちの生き方をめぐって、批判したり裁いたりする言葉はまず見当らないことである。批判したり、裁いたり、さては断罪したりするのは、作者よりももっと高次の存在の手に委ねられてでもいるかのように。
 
4・4
大江健三郎『個人的な体験』の「後記」より
 
 この小説を発表した当時、集中的に批判を受けたのが、終幕の部分についてであった。つまりふたつのアステリスクでかぎられた以後の部分が、そこにいたるまでつみかさねられた読み手の、「期待の地平」に陥没をおこすものとして、批判されたのである。若い書き手であった僕は(中略)それらの批判に対し、自作を擁護して闘ったものだ。
 
4・4
若松英輔『不滅の哲学 池田昌子』より
 
「客観も宇宙も様々なる人生も、みんなおんなじ夢まぼろしです」と書く彼女は、この世は仮の姿に過ぎず、生きるに値しないというのではない。むしろ逆で、「夢まぼろし」にふれるたび、その奥にある確固とした実在を感じずにはいられないというのである。
 
 言葉は根源的に「呪的」なものである、と白川静はいう。「呪」とは本来、人間を超える者へとつながること、祈ることを示す。「呪」が呪いを意味するようになったのは、のちのことである。
 池田に似て、石牟礼も白川に対して深い畏敬を感じていた。白川が亡くなったとき、石牟礼は半身を失ったかのように悲しみに暮れたという。
 
4・5
大杉栄『正義を求める心』より
 
 生命とは、要するに、復讐である。生きていくことを妨げる邪魔者にたいする不断の復讐である。復讐はいっさいの生命にとっての生理的必要である。
 
5・3
上田三四二『この世 この生』より
 
 西行に死後の信じられていたことは、二首の歌に見るとおりであっただろう。しかし西行にとって、死後は死の瞬間におよばない。西行の死後は、死の瞬間に揚がる美しい花火の、尾を曳いて闇に懸かり闇を渡る、その光芒の余勢のようなものではなかったかと思われる。
 
5・3
高橋新吉『ダダイスト新吉の詩・断言はダダイスト』より
 
 DADAは一切を断言し否定する
 無限とか無とか それはタバコとかコシマキとか単語とかと同音に響く
 想像に湧く一切のものは実在するのである
 一切の過去は納豆の未来に包含されている
 
5・4
高橋新吉『雀・秋草』より
 
 私もまた父とおなじく
 土となる日もまぢかい
 かくて何事もなかったように
 秋草は枯れてゆく
 
高橋新吉『未完詩篇・貝』より
 
 何もないから
 生れることもなければ
 死ぬこともない
 (中略)
 再び海を孕むことはない
 一切の事が何の関係もない
 
 波の消えるように
 貝もまた消えてゆく
 
5・10
高橋新吉『十九一一年集・皿』より
 
 皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿
 
5・10
『日本の詩歌20』より
 
 皿ということばが連続的に、憑かれたもののごとく発声されているが、辻潤によるとこの詩人は東京へ出てまもないころ、しるこ屋の手伝いをし、N新聞社の食堂の飯盛りをやり、ここではじめて「永い間充たされなかった口腹の欲望を充分に満足させた」という。
「彼がタスキ掛けで働いているところへ、僕は二三度訪問した。『皿皿皿皿皿……』と彼はいつまでも呟いているようだった」
 
5・10
西尾幹二『上田三四二・この世 この生・解説』より
 
 自分の講話の内容をそのまま小説にするのは一歩間違えば嫌味だが、それが少しも嫌味ではない。言葉に味わいもあり、深さもある。その秘密は何であろうかと私は考えた。作者には死線を越えた大患の体験がある。歌も評論も医師活動もすべてそれ以来の、生死の境に思いをひそめた無常の意識、宗教の救いを拒否しつつも宗教的精神活動を求める一点に収斂し、そこから光を発しているせいではないかとも考えられた。
 
5・23
高野慎三『神保町「ガロ編集室」界隈』より
 
高野 水木しげるさんから「つげさんは大変ですなあ、石を売って生活しとるんですか……」と真顔で聞かれたことがあります。
つげ 父としては、水木さんまで信じてしまうならうまくいったのかも、という反応でしたね。それだけ作品の完成度(リアリティ)が高いとみなしたのでしょう。
 
5・23
阿部昭『三浦哲郎・盆土産と十七の短篇』の「解説」より
 
 世に剣道、柔道、書道、歌道と言うがごとくに、仮に小説道なるものがありとすれば、三浦さんはそれを厳格に実践している当代稀有の人ではないかと思ってみるのである。
 
5・24
村上春樹『若い読者のための短編小説案内』より
 
 僕は自分で短編小説を書くときには、その物語の自発性を何よりも大事にします。 
 
5・24
メリメ『タマンゴ』(工藤庸子訳)より
 
 さてここで飢餓に責め苛まれる者たちの忌まわしき描写によって、読者をうんざりさせることはやめておこう。
 
6・3
村上春樹『風の歌を聴け』より
 
 彼の墓碑には遺言に従って、ニーチェの次のような言葉が引用されている。
「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか。」
 
6・3
服部龍二『広田弘毅』より
 
 城山氏の『落日燃ゆ』に書かれた広田は、いわば悲劇の宰相といってもよい。「自ら計らず」を信条としたという広田の高潔さに読者は心を打たれることになる。私自身が広田を意識するようになったのも、学生時代に同書を読んだからである。二〇年ほど前、その本に初めて目を通したときには深く感銘を受けた。しかし、研究に着手してみると少しずつ違和感を覚えるようになり、やがて同書への畏敬の念は薄らいでしまった。
 
6・9
檀一雄『太宰と安吾』より
 
 太宰治のことでは、もう十二、三年も昔のことになろうが、保田与重郎の「佳人水上行」という感想がいちばんよかった。亦頃日では坂口安吾の「不良少年とキリスト」という感想が図抜けてよく、どちらも心に映り合うてとめどないような無類の文章である。
 
「坂口さんはエッセイストですね。小説よりエッセイの方がずっと面白い」
 などと、時に人から云われると、いつもムキになって、
「そんなバッカバッカしいことがありますか」
 怒って答えていたのを二、三度見かけたことがある。
 
 私は、一度、越後川口の安吾の姉さんの家で熊笹にふりそそぐ雨を見ながら、安吾と二人、飲みつづけたことがあるが、「世界の物語で何が一番面白いかしら?」
「そりゃ、パクパクと喰われて終る赤頭巾」安吾は言下にそう答えた。
 
 坂口安吾ほどの特異な文学的巨人を、私はほかに知らない。彼は屡々巷談師を自称して、さまざまの人間いかにあるべきかの、生粋で、徹底的な求道者であった。
 
6・9
吉本隆明『太宰と安吾』解説より
 
 ところで、武田泰淳、野間宏、石川淳といった第一次戦後派と呼ばれた作家たちがいる。彼らは敗戦直後の混沌の中で、一瞬の煌きにも似た佳作を生み出しているが、太宰や坂口が彼らと異なるのは、私なりの言い方でいえば、大それたことを考えていたということになる。大それたこと、つまり政治なり社会なり、あるいは人間存在について深いところで認識しながら、ある種の大きな普遍性を意図的に作品に織り込もうと考えていたふしがある。こうした姿勢を持った作家は太宰と安吾だけであり、その後出ることはなかった。
 
6・9
原田伊織『明治維新という過ち』より 
 
ひと言でいえば、松陰とは単なる、乱暴者の多い長州人の中でも特に過激な若者の一人に過ぎない。
 
6・11
青山七恵『すみれ』より
 
 レミちゃんはわたしに近づいてこない。海も近づいてこない。
 ただあの冬の日、鎌倉の浜辺で光っていたレミちゃんの笑顔だけが、割れて細かい音になって、それでも言葉を探そうとするわたしの体をふるわせる。
 
6・12
藤澤清造『狼の吐息』より
 
 とにかく、この「明暗」があまりにも低級な作品になっているということが、中川をして、絶望の谷底ふかくおとしいれてきた。中川には、もう転宿の望みもなかった。名をあげようという頼みもなかった。況んや、ちづを見返してやろうなどという念は、根こそぎあとを断っていた。
 
6・12
宇能鴻一郎『姫君を喰う話』より
 
 獣医に診察され、吟味された牛がコンクリートの広い部屋に連れ出されると、ハンマーを持った男が、いきなり眉間を一撃する。牛は四肢をちぢめて飛びあがり、地響き立てて倒れ、ピクピクと痙攣している。
 頸動脈をすばやく切断し、あふれ出る血をバケツに受ける。腹を一文字に裂くと、まだ生きている色とりどりの内臓が、湯気を立ててあふれ出る。
 
 何といってもまず新鮮な、切り口がピンと角張って立っている肝臓である。それが葱と生姜とレモンの輪切りを浮かべたタレに浸って、小鉢のなかで電燈に赤く輝いているのを見ると、それだけで生唾が湧く。口に入れて舌で押しつぶすと、生きて活動しているその細胞がひとつひとつ、新鮮な汁液を放ちつつ潰れてゆくのがわかり、……
 
6・14
坂口安吾『白痴』より
 
 彼は女を寝床へねせて、その枕元にすわり、自分の子供、三ツ四ツの小さな娘をねむらせるように額の髪の毛をなでてやると、女はボンヤリ眼をあげて、それがまったく幼い子供の無心さと変わるところがないのであった。私はあなたを嫌っているのではない、人間の愛情の表現は決して肉体だけのものではなく、人間の最後の住みかはふるさとで、あなたはいわば常にそのふるさとの住人のようなものなのだから、……
 
6・16
津本陽『「本能寺の変」はなぜ起こったのか』
 
 当時の武将は、抹殺したい家臣はちやほやと厚遇し、相手が油断したところをいきなりやっつけるのが常套手段であった。もし信長が光秀を足蹴にしたのであれば、逆に光秀が危険な相手ではないと信用していたことになる。光秀にその機微がわからないはずがない。
 いつもであれば、何とかその屈辱を押さえ込むことができるのに、今度ばかりは怒りが胸奥にこびりついて、いかに消そうとしても消せない。
 
6・21
宮尾登美子『義経』より
 
 こうして昌俊は弟の三上家季以下八十三騎の軍を率いて、義経を討ちに京へ上ったのでした。
 頼朝のこの暗殺計画は決して立派な策とはいえません。こんな姑息な手立てを講じてまで義経を抹殺したいのか、と呆れる思いがします。
 
6・22
湊かなえ『海の星』より
 
「それは、警察に届けられた件数よ。網に引っかかってもそのまま海に流してしまうんが多いの」
「どうして、そんなこと」
「ひどい取り調べを受けるからよ。引き上げたくてそうしたわけじゃないし、善意で通報したのに、まるで発見した人が殺して海に捨てたかのような扱いを受けるのよ」
 
 おっさんがあの日持ってきた白いユリの花束は、母へのプレゼントではなく、父に供えるためのものだったのか。おっさんは母と私を連れて、その花束を父の遺体があがった場所に流しに行こうと思っていたのではないか。だから、いつもは自転車で来ていたのに、あの日は船で来ていたのではないか。
 
6・26
丹羽文雄『小説作法』より
 
 最近は、ながい題名がはやった。大して成功したものには接しなかった。題名は、二字か、四字がよいと、新聞小説では、一種の迷信みたいなものになっている。新聞小説の場合、一ト目で印象づけるための、経験からきた迷信みたいなものであろう。新聞小説の題名で、近頃のヒットは、井上友一郎の「午前零時」であった。
 
6・26
大岡昇平『小林秀雄』より
 
 今年の一月二十九日、重態と聞いて慶応病院に行き、ロビーをうろついただけで帰宅した。川崎の病院でひそかに別れを告げたつもりだったが、もう一度そばに行きたくなったのである。それ以来、私は喪に服した気持で過した。
 小林さんは、自分一人の道を歩いた人だった。
 
6・29
江見水蔭『女房殺し』より
 
 折から流星長く飛んで西方に消ゆ。『おう、流星か。……彗星が地球と衝突すれば人類此時滅す。おそかれ、はやかれ、死は人の上に来るのだ』と放ちたるが、堅吉の最後の言、折重なってお柳の上に血を流して死んだ。
 
6・29
樋口一葉『にごりえ』より
 
 魂祭り過ぎて幾日、まだ盆提灯のかげ薄淋しき頃、新開の町を出し棺二つあり、一つは篭にて、一つはさし担ぎにて、篭は菊の井の隠居処よりしのびやかに出ぬ。大路に見る人のひそめくを聞けば、彼の子もとんだ運のわるい詰らぬ奴に見込れて可愛そうな事をした。といえば、あれは得心ずくだと言いまする。あの日の夕暮、お寺の山で二人立ばなしをして居たという、確かな証人もござります。女も逆上(のぼせ)て居た男の事なれば、義理にせまって遣ったので御座ろ。というもあり、何のあの阿魔が義理はりを知ろうぞ。湯屋の帰りに男に逢うたれば、流石に振はなして逃る事もならず、一処に歩いて話はしても居たろうなれど、切られたは後袈裟、頬先のかすり疵、頸筋の突疵など色々あれども、たしかに逃げる処を遣られたに相違ない。引かえて男は美事な切腹、蒲団やの時代から左のみの男と思わなんだが、あれこそは死花、えらそうに見えた。という。何しろ菊の井は大損であろう。彼の子には結構な旦那がついた筈、取にがしては残念であろう。と人の愁いを串談に思うものもあり。諸説みだれて取止めたる事なけれど、恨みは長し人魂か何か知らず、筋を引く光り物の、お寺の山という小高き処より、折ふし飛べるを見し者ありと伝えぬ。
 
7・2
川端康成『感情』より
 
 例えば失恋である。失恋は悲しいのがあたりまえである。若し悲しくなければその人間はどうかしている。どうかしているばかりでなく、実に卑しむべき生かして置けない人間かもしれない。
 ところが、私は少しも悲しくなかった。
 
7・8
田宮虎彦『足摺岬』より
 
「おぬし、死のうと思っても人間死ぬことが出来ぬ時がある、儂は薩長の縄目の恥をおそれて、逃げまわった、二十年そうして逃げまわったよ、縛られることがこわかったのじゃない、その二十年、儂は死んだ女房や赤児の仇をうつつもりだった、だが、黒菅三千の魂が生きながらいのちをささげたかんじんかなめの徳川様は公爵様におさまるし、世の中は黒菅などにかかわりもなしに移り変っていったよ、儂は、そして、死んだ奴等はいったい誰のために戦さをしたのだ、……」
 
7・8
堀田善衛『鶴のいた庭』より
 
 蜃気楼も飛行機も、幼いものの眼の前に、あらわれては消えて行くものであった。
 それは、私がまだこの世の風景や装飾の背後にかくされているものを知らなかった時代に属する。
 
7・10
カズオ・イシグロ『日の暮れた村』(柴田元彦訳)より
 
 老人は首を横に振ったことだろう。「あの若い娘が奴を見る目つきを見たんだ。そう、いまはたしかに、あそこに転がってる姿は哀れもいいところだ。だがひとたびうぬぼれを少しばかり満たしてもらって、若い連中にちやほやされて、みんなが自分の思想を聞きたが手ると思ったら、もう手が付けられなくなるぞ。前とまったく同じになる。みんなを自分の大義のために働かせるようになってしまう。ああいう若い娘たちは、今日信じられるものがほとんど何もないんだ。こいつみたいなプンプン臭う流れ者だって、あの子たちに目的を与えうるんだ」
 
7・11
フェルナンド・ぺソア『不安の書』(高橋都彦訳)より
 
 われわれはふたつの深淵だ──天を睨む井戸なのだ。
 
 〈わたしだけの女〉よ、おまえが存在しているので、そしてわたしがおまえが存在しているのを見ているので、われわれはこれまであったすべての芸術とは別の芸術を創造しよう。
 役に立たぬおまえの両耳付きの壺という身体から、わたしが新しい詩歌の精髄を取り出せますように、またおまえの静かな波のようなゆったりとしたリズムからは、わたしの震える指がこれまでに聞いたことのない初めての散文の不実な手法を見つけ出せますように。
 
 あらゆる宗教の真偽にも、あらゆる哲学の真偽にも、われわれが科学と呼んでいる役にも立たないが証明可能なあらゆる仮説の真偽いずれにも無関心でいよう。
 
 今日の生活では、世界は愚か者、鈍感な者、興奮した者だけのものだ。生きて勝利する権利は今日、精神病院へ収容されるのとほぼ同じ経過によって獲得される。思考能力の欠如、道徳観念の欠如、過度の興奮だ。

 わたし自身、確信を持ったことはない。印象ならいつも持った。怪しからぬ落日を見たことがあったからといってその土地を憎むことはけっしてできないだろう。
 
7・15
T・S・エリオット『荒地』(岩崎宗治訳)より
 
 四月は最も惨酷な月、リラの花を
 凍土の中から目覚めさせ、記憶と
 欲望をないまぜにし、春の雨で
 生気のない根をふるい立たせる。
 
7・15
E・A・ポオ『大鴉』(西條八十訳)より
 
    一
 わびしき夜更け、われ弱くくたびれごこち、
 忘られし教の奇しき巻々に、
 こころ潜めつ、いつとなく、うつらうつらと睡るとき、
 にわかにかろく敲くおと、
 誰びとか、いとひそやかに打つごとく、
 わが室の扉を、ほとほとと、
 「こは賓人」と呟きぬ、「わが室の扉をひたうつは」……
音のみ、かくて影はなし。
 
  二
 かくて鴉はみじろがず、
 扉のうへに蒼白めしパラスの像に
 立ちつくす。
 その眼こそ悪魔の夢みるけしき、
 灯火はゆるくながれて黒き影
 床に落ちたり。ああかくて、
 わが霊魂よ、いつの日か床に泛ふこの影を、
のがれむものぞ、またあらじ。
 
7・17
ミラン・クンデラ『小説の技法』(西永良成訳)より
 
 人間は善悪が明確に区別できる世界を願う。というのも、理解する前に判断したいという御しがたい生得の欲望が心にあるからだ。この欲望の上に諸々の宗教やイデオロギーが基づいている。これらは相対的で両義的な小説の言語を明白で断定的な言説の形に言い表せる場合にしか小説と和解できず、つねに誰かが正しいことを要求する。
 
「詩人とは、じぶんが入ることができない世界の前に、みずからを見せびらかすよう母親に導かれた若い男のことだ」
 
 ハイデガーはきわめて知られた文句、(世界─内・存在)によって実存を性格づけました。人間は主体が対象に、眼が絵画に関係づけられるように世界と関係づけられているのではない。俳優が舞台装置に関係づけられるようにでさえもない。人間と世界はかたつむりとその殻のように結びついているのである。
 
7・18
ミラン・クンデラ『小説の技法』(西永良成訳)より
 
 ヨーロッパの偉大な小説の当初は娯楽せあり、真の小説家はだれでもそれにノスタルジーを覚えていますよ! 娯楽はいささかも深刻さを排除するものではありません。『別れのワルツ』の中では、人間はこの地上で生きるに値するのだろうか?「地球を人間の牙から解放すべきではないか?」と問われています。
 
 詩人たちは勝手に詩を作り出すのではない
 詩はその後ろのどこかに、
 遠い、遠い昔から存在しているのだ。
 
 詩人はただその詩を見つけるだけだ
       ヤン・スカーツェル
 
 反復とは作曲の原則であり、連禱とは音楽になった言葉のことだ。
 
「芸術家はみずからが生きなかったと後世に信じさせるべきだ」とフローベールは言っている。
 
7・21
トルーマン・カポーティ『ここから世界が始まる』(小川高義訳)より
 
 突然、サリー・ラムは笑い出した。カーター先生も、Xも、数字も、みんな遠くなった。はるかに遠い。ここまで来れば幸福だ。髪に風が吹きつける。まもなく死神と出会うだろう。
 
7・24
三島由紀夫『接吻』より
 
 作者がなぜこの物語に「接吻」という題をつけたのか、わかる人もあろうし、わからない人もあるだろう。それはどちらでもよいのだが、作者はイソップ物語の例の教訓に似たものをおしまいに一寸くっつけたかったのである。それはこうだ。
「お嬢さん方、詩人とお附き合いなさい。何故って詩人ほど安全な人種はありませんから」
 
7・26
大江健三郎『取り替え子』より
 
 さらには、古義人自身が訳して公開対話で引用した『死と王の先導者』の結びの台詞に、自分の考えていることは表現されている、ともいうつもりだった。
 激しい勢いで悲劇が高まり、急速に集結した後、挽歌を歌う者らとして身体を揺すり続ける市場の女たちに、族長格の女性イヨラじジャは呼びかける。
 ──もう死んでしまった者らのことは忘れよう。生きている者らのことすらも。あなた方の心を、まだ生まれて来ない者たちにだけ向けておくれ。
 
7・29
藤沢周平『木綿触れ』より
 
 これだけ大きな物音がしたのに、家の中はしんとしている。友助は座敷の中央にもどると、正座して腹をくつろげた。庭に水音がひびき、家の中はなお静まりかえって、腹を切るのをさまたげる者は、誰もいないようだった。
 
7・29
川端康成『みずうみ』より
 
 桃井銀平は夏の終り──というよりも、ここでは秋口の軽井沢に姿をあらわした。
 
7・30
ミラン・クンデラ『冗談』(西永良成訳)より
 
 長い年月のあと、こうして私はふたたび故郷にもどっている。(幼年時代、そして少年時代、さらに青年時代に幾度となく横切っていた)中央広場に立ってみても、なんの感慨もおぼえない。
 
 私は奇妙な不満感をかかえて理髪店を出た。分かっているのはただ、じぶんがなにも知らず、昔あんなにも愛した女性の特徴についても記憶があやふやだというのは、なんともお粗末なかぎりだということだけだった。
 
「ひどく昔の話だよ」と私は答えて、夕食のことなど考えもせず、ホテルを出て、またあてどなくさ迷った。
 
ミラン・クンデラ『笑いと忘却の書』(西永良成訳)より
 
 Rをレイプしたいという非常識な欲望は、もしかすると転落の真っ最中になにかに縋ろうとする、必死の努力にすぎなかったのかもしれない。というのも、連中に輪から追い出されて以来、私は落ちることをやめておらず、今でもまだ落ちているのだから。
 
7・31
池波正太郎『看板』より
 
「……生まれてはじめてのうなぎを食べた。おいしかったの何のって……こんな、うれしい、たのしいおもいをしたことは、ほんに生まれてはじめてだ。この心もちのまんまで、このまま、もう私ア、あの世へ行ってしまいたい。どうせ、これから生き残っていても、二度と、あんなおもいは出来まいから……」
 しみじみと、しかし満面に笑みをたたえ、うれしげに語ったという・
 仲間は、むろん冗談だと思い気にもとめなかったのだが、この夜ふけ、女乞食おこうは、首をくくって自殺してしまったのである。
 
8・5
ドストエフスキー『地下室の手記』(安岡治子訳)より
 
「どうして両親のところから出て来たんだ?」
「べつに……」
 このべつには、ほっといて、ムカつくわ、という意味だった。
 俺は、自分でも、どうしてそこから出て行かなかったのか、わからない。俺自身も、どんどんムカついてきたし、ますますやるせない気分が募っていた。過ぎ去った丸一日のさまざまなイメージが、ひとりでに俺の意志とは無関係に、ごちゃごちゃになって俺の記憶の中をよぎりはじめた。
 
8・15
中原中也『中原中也全詩集』より
 
 含羞
    ──在りし日の歌──
 
なにゆゑに こゝろかくは羞ぢらふ
 
8・26
ダンテ『神曲』(三浦逸雄訳)より
 
 人のいのちの道のなかばで、
 正しい道をふみまよい、
 はたと気づくと 暗黒の森の中だった。
 
8・26
ボッカチオ『デカメロン』(野上素一訳)より
 
 この忌わしい書出しは、たとえば旅行者にとって、険しく聳え立った山のようなものにほかならないのでございますが、その向こう側には美しい快い平野が横たわっていまして、山の登り下りが苦しければ苦しいほど、それだけ、旅行者には快感を与えるものでございます。と申しますのは、楽しみの終わりには悲しみがともなうように、傷ましさはそれに続く喜ばしさで結ばれるものでございますから。
 
8・30
中原中也『温泉集』(短歌)より
 
友食へば嫌ひなものも食ひたくて食ふてみるなり懶き日曜
 
怒りたるあとの怒よ仁丹の二三十個をカリカリと噛む
 
かばかりの胸の痛みをかばかりの胸の甘味を我合せ知る
 
8・31
ミラン・クンデラ『邂逅』(西永成一訳)より
 
 『百年の孤独』を再読していたとき、ある奇妙な考えが浮かんできた。偉大な小説の主人公には子供がいない、ということだ。
 
 このような生殖能力の欠如は、小説家たちの意識的な意図によるものではない。小説という芸術の精神(あるいはこの芸術の潜在意識)が生殖を嫌うからである。
 
 小説という芸術の頂点であるこの小説は、同時にまた、小説の時代に向けた訣別でもあるという印象をわたしはもつのだ。
 
9・4
ガルシア・マルケス『大佐に手紙は来ない』(野谷文昭訳)より
 
「答えて、何を食べるの?」
 大佐は七十五年の歳月──七十五年の人生の一分、また一分──をかけて、この瞬間に行き着いた。答えたとたん、澄み切って、紛れようがなく、ぴくともしない気持ちを味わった。
「糞食らえだ」
 
9・7
金子光晴『人間の悲劇』より
 
友も、恋人も死にはて
じぶんもゐなくなったあと、
心のあとを刻んだ書物だけが
生きのこってゐることは凄まじすぎる。
 
いづれはみえすいた虚栄のさもしさで
わが名、わがしごとを
かぎりなく生きのびさせる望ほど
苛酷な誘惑はほかにあるまい
 
9・9
金子光晴『人間の悲劇』より
 
いつからか幕があいて
僕が生きはじめてゐた。
僕の頭上には空があり
青瓜よりも青かった。
 
9・9
ガルシア・マルケス『純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語』(野谷文昭訳)より
 
 やがて自然が生んだ知恵の宝庫の海が尽き、砂漠が始まった。それでもなお、金の延べ棒入りのチョッキを持った彼女は、乾いた風や決して暮れない日暮れの向こうを目指して走り続けた。そして彼女の消息は些細なことすら二度とわからず、その不幸の痕跡も爪の垢ほども見つからなかった。
 
9・16
ガルシア・マルケス『眠れる美女の飛行』(旦敬介訳)より
 
 私は川端康成の美しい小説を読んだところだった。京都の町人の老人たちが途方もない金を払って、町で一番美しい娘たちが麻酔にかけられて裸で眠るのを見つめながら一夜を過ごし、同じ床の中で愛の苦悩に悶えるという物語だった。娘たちを起こしても触れてもならず、実際、彼らはそんなことはしようともしない。この快楽の精髄は彼女らが眠るのを見ることにあるからだ。あの晩、美女の眠りを見守りながら、私はこの老境の洗練を理解しただけでなく、それを十全に生きた。
 
9・16
ガルシア・マルケス『予告された殺人の記録』(野谷文昭訳)より
 
「おれは殺されたんだよ、ウェネ」彼はそう答えた。
 彼は最後の段につまずいて転んだ。が、すぐに起き上がった。「まだ、腸に泥がついたのを気にして、手でゆすって落したほどだったよ」と叔母のウェネはわたしに言った。それから彼は、六時から開いている裏口から家に入り、台所で突っ伏したのだった。
 
9・18
ジョージ・オーウェル『一九八四年』(高橋和久訳)より
 
 しかし彼は突然、この広い世界のなかでたった一人、自分の刑罰を押し付けられる人間が存在することに気づいた。そう、自分の身体をネズミから隔てるために使えるかもしれない一つの肉体、そして彼は、何度も何度も、まるで気が狂ったように叫んだ。
「ジュリアにしてくれ! これと同じことをジュリアに! わたしにじゃない。彼女になら何をしても構わない。顔を引きちぎってもいいし、骨まで食い尽くしても構わない。わたしはだめだ! ジュリアだ! わたしじゃない!」
 
9・18
飯田茂美『一文物語集』より
 
異国で死の床に伏しているという夫を助けるために、妻は神託を得てみずから左腕を斬り落としたが、そのころすでに夫は病を癒えて、酒場で浮かれ女たちとどんちゃん騒ぎをしていた。
 
9・18
殊能将之『鬼ごっこ』より
 
 まあいい、と北沢は思った。鬼がつかまえに来るから、おれは逃げる。それだけのことだ。
 
9・22
大岡昇平『サッコとヴァンゼッティ』より
 
 サッコ、ヴァンゼッティという二人のイタリア人を死刑にしたことは、アメリカの裁判史上の汚点として残っている。
 
9・28
ミヒャエル・エンデ『子どもと読書』(田村都志夫訳)より
 
 読書する時間がまるでない、と白状する親はすくなくない。この場合、子どもたちが読書に関心をしめさないからといっておどろくことはない。
 朝食や夕食のテーブルで本について話がかわされたり、いやそれだけでなく、討論があれば、子どもたちは耳をそばだてることだろう。子どもたちは話にくわわりたいし、なにも言わなくても自分から本を読むことだろう。
 しかし、親が新しく買ったベンツのローンのしはらいや、昨夕のサッカー試合のようなことだけを話題にしているのなら、どうして子どもたちが、突然よい本をみつけるようになるだろうか?
 
9・29
ジョージ・オーウェル『動物農場』(山形浩生訳)より
 
 すべての動物は平等である。だが一部の動物は他よりももっと平等である。
 
10・1
立原道造『のちのおもひに』より
 
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂莫のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
 
立原道造『序の歌』より
 
しづかな歌よ ゆるやかに
おまへは どこから 来て
どこへ 私を過ぎて
 消えて 行く?
 
10・4
蓮見重彦『「私小説」を読む』より
 
 いま志賀を、藤枝を、安岡を読もうとするといったとき、読まれるべきはこの言葉の表情そのものなのだ。それがどんな輪郭におさまり、いかなる相貌を示し、どのような力となって迫ってくるかを、如実に感じとってみようとしているのだ。そこに書かれていることがらではなく、書かれつつある言葉が洩らす声のようなものを聞きわけ、それがかたちづくる風景に視線を向けること。
 
10・5
江藤淳・蓮見重彦『オールド・ファッション・普通の会話』より
 
江藤 批評家という意味は、これは、なんていうのかな、積極的な意味で申し上げるんですが、つまり冷凍イカみたいなのはだめなんですよ。冷凍イカというのは批評じゃないんです。だけれどしばしば批評は冷凍イカになるんですよ。というか、冷凍イカでしかない批評が非常に多いと思います。でもイカは十本の足をこうやってしなやかに動かしていなければいけません。その動きたるや、千変万化で、潮の流れが変わり、プランクトンがこっちに浮いたとすると、イカはそれにつれて非常に優雅にこう動くわけです。その動きが批評でしょ。
 
蓮見 日本が資本主義国家だというのは、ほとんど嘘ですよ。(笑)
江藤 まったく嘘です。
蓮見 資本主義圏で暴挙をやっているわけですよね。
江藤 ほんとにそうです。日本は全然資本主義国家ではないですね。非常に社会主義的でしょ。
蓮見 日々驚くような社会主義的な発言を自民党が……。(笑)
 
江藤 ぼくはいま大江君のことを悪く言うけれども、だけどなんで大江が、「問題」なんかを、問題にしたんだろう。ただの小説を書いていればよかったのに。
蓮見 東京大学仏文科にいった(笑)……からか。
 ぼくは言いたかありませんけれどもね、やっぱり渡辺一夫、大江健三郎という結合が最悪だったと思いますね。
 
10・6
フローベール『三つの物語(素朴なひと)』(谷口亜沙子訳)より
 
 最後の息を吹き出した瞬間、フェリシテは、空が開かれてゆくところを見たように思った。そこには、とほうもなく大きな鸚鵡が、自分を包み込むようにして、羽根を広げていた。 
 
10・7
立原道造『朝やけ』より
 
昨夜の眠りの よごれた死骸の上に
腰をかけてゐるのは だれ?
その深い くらい瞳から 今また
僕の汲んでゐるものは 何ですか?
 
立原道造『晩秋』より
 
あはれな 僕の魂よ
おそい秋の午後には 行くがいい
建築と建築とが さびしい影を曳いてゐる
人どほりのすくない 裏道を
 
10・8
井上靖『利休の死』より
 
 その日、利休はもう一度、城内の大手門近くで、城内を案内されている秀吉と会った。その時、利休は若し自分が武人であったらこの人物と刺し交えるであろうと思った。いま相手を倒さなければ自分が相手から倒されるであろう、そんな気持を持った。
 
10・12
正宗白鳥『恐怖と利益』より
 
 日本の議会制度も、民主主義から発足しているはずなのに、いつまでたっても純真な民主主義に成り切れないでいることは明らかである。
 
 人間が恐怖も感ぜず、利欲に目をくらまされず、淡然として庶民の生活に安んじていられれば、世は楽園みたいになるのであろうが、それは望んでも得られないことのようである。要するに徹底的民主主義実現は、政治においても、文学においても痴人の夢なるか。
 
10・14
五木寛之『天命』より
 
 私は「世の中は本来不公平なものだ」というふうに考えます。「不公平で惨酷なものである」と。それこそが正常であると。
 
 『歎異抄』にあるのは、無限といってよい悲しみです。そこにふれるとき、私たちが日常関係している小さな悲しみは、その大きな悲しみに包まれます。悲しみに対するのは悲しみなのです。
 
 私は、やはり大きな新しい生への帰還というふうにしか考えようがない気がします。それで納得し、ある程度安らかに死を迎えることができるのなら、そうしたいです。天地、宇宙のエネルギーの源泉である海に還るという想像力を極限まで働かせて。それは想像力が非常に必要です。
 
 生に対する執着がなくなってきたわけではありません。死が、生の終わりだと思わなくなってきたからです。海へ還ってゆくのですから。海へ還ってゆくときに、その意識がなくてもかまわないのです。大きな意識のなかに溶けこんでゆくのですから。
 
 天とは、天地自然万物の存在のすべてをつらぬくエネルギーであり、目に見えない意志のようなものだと感じています。
 万有引力ということばがあるように、この宇宙の、ありとあらゆるものに作用している力がある。人間も、森も、海も、草も、虫も、すべてその力の影響を受けて存在している。
 
 朝、目をさますときに、この世にたったいま誕生したのだ、と考えるようにしてきた。そして、夜、眠りにつくときは、これで自分の一生は終わったのだ、いまから死へ旅立つのだ、と思うようになった。きょう一日の命をありがとうございます、と、天に感謝するのである。そして、こころのなかで「ナームアミーダ」とつぐやく。その気持ちは、「天命に帰依します」という感覚である。
 
10・19
江藤淳『伝統回復あせる』より
 
 もし三島氏が、彼の今度の行動を日本の伝統というものに本気で結びつけて考えていたとしたら、それは悲しい誤解であり、幻影であったとしか言いようはない。
 
小林秀雄・江藤淳『歴史について』より
 
江藤 三島事件は三島さんに早い老年がきた、というようなものじゃないですか。
小林 いや、それは違うでしょう。
江藤 じゃあれはなんですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう。
小林 あなた、病気というけどな。日本の歴史を病気というか。
江藤 日本の歴史を病気とは、もちろん言いませんけれども、三島さんのあれは病気じゃないですか。病気じゃなくて、もっとほかに意味があるんですか。
小林 いやア、そんなこというけどな。それなら、吉田松陰は病気か。
江藤 吉田松陰と三島由紀夫とは違うじゃありませんか。
小林 日本的事件という意味では同じだ。僕はそう思うんだ。
 
江藤 僕の印象を申し上げますと、三島事件はむしろ非常に合理的、かつ人工的な感じが強くて、今にいたるまであまりリアリティが感じられません。吉田松陰とはだいぶちがうと思います。たいした歴史の事件だなどとは思えないし、いわんや歴史を進展させているなどとはまったく思えませんね。
小林 いえ。ぜんぜんそうではない。三島は、ずいぶん希望したでしょう。松陰もいっぱい希望して、最後、ああなるとは、絶対思わなかったですね。
 三島の場合はあのときに、よしッ、と、みな立ったかもしれません。そしてあいつは腹を切るの、よしたかもしれません。それはわかりません。
江藤 立とうが、立つまいが……?
小林 うん。
江藤 そうですか。
 
小林 あなたの文章は、非常に明快だから、よくわかりますね。あなた、明快なほうがいいんですよ。世間は、明快でなければわかりませんよ。お米の値段と同じです。
 
10.19
室生犀星『結婚者の手記・あるいは「宇宙の一部」』より
 
 藤沢清造君が来て「僕の財布に五十両入れて貸せ。」という。「結婚者の手記」のF君に細君の羽織を貸してやった位だから、まさかおれに貸されないとは言えまいと膝詰談判の最中に佐藤惣之助君が来る。みんなで少し酒をのむ。
 
10・23
一坂太郎『司馬遼太郎が描かなかった幕末──松陰・龍馬・晋作の実像』より
 
 よく、司馬遼太郎作品の読後感として聞くのが、
「元気が出る」「勇気が湧く」「日本という国に誇りが持てる」
 しかしそれはある意味当たり前で、明るく、楽しく、勇ましい「歴史」を選って描いた「物語」だからである。
 
10・23
かゆみ歴史編集部『信長と本能寺の変・謎99』より
 
 このように、三つの恨みの根拠になるのはいずれも江戸時代に成立した書物で、史料としての価値は低い。この他、命令に従わなかった光秀を信長が激しく折檻したなどの話もあるが、創作の可能性が高い。激昂しやすい人物としての信長像を創り出し、光秀から恨みを買うようなストーリーに仕上げたかったのかもしれない。
 
10・24
家村和幸『真説・楠木正成の生涯』より
 
 その昔、正成が千早にいた頃、松原の五郎という正成の家の子がいた。ある日、松原が正成のもとに来て申した。
「侍を一人養ってくださいませんか」
 そこで楠木が問うた。
「その男には何か芸があるか」
「芸と云うものはございません。ただ、よく泣きます」
「泣くとはどのように……」
「今すぐ一泣き泣いて見せよと所望すれば、即座に涙を流し、哀れにも、大げさにも泣きます」
「それこそ世にも稀なる芸である。そのような事も役に立つものである」
 
10・26
坪内逍遥『小説神髄』より
 
 故に近来刊行せる小説、稗史はこれもかれも、馬琴、種彦の糟粕ならずば一九、春水の贋物多かり。
 
 いと烏滸がましき所為とは思へど、敢て持論を世に示して、まづ看官の惑を解き、兼ては作者の蒙を啓きて、我が小説の改良進歩を今より次第に企画てつつ、竟には欧土の小説を凌駕し、絵画、音楽、詩歌と共に美術の壇頭に敢然たる我が物語を見まくほりす。
 
10・26
古井由吉『仮往生伝試文・著者の言葉』より
 
 表題の「仮往生伝試文」は、仮往生伝への試文と読んでいただきたい。ここで往生伝というのは、平安の後期に書き留められたかずかずの聖人たちの記録のことであり、それを読むうちに、今の世に生きる人間にもひょっとしたら、仮往生伝くらいは書けるのではないかと、ふっと思ったのが始まりだった。仮免許の仮である。しかしまた考えてみるに、いくら仮という文字をかぶせたところで、無信心の徒には、仮にも往生伝は書けるものでないと悟って、試文と付け足すことにした。蛇足のたぐいか。
 
10・31
藤枝静男『愛国者たち』より
 
 大津事件とは、明治二十四年五月十一日(一八九一)来遊中のロシア皇太子ニコラス当年二十二歳が、滋賀県大津京町筋を通過中に沿道警備の巡査津田三蔵当年三十七歳に切りつけられて負傷した事件で、……(中略)
 この事件をめぐって愛国者の名を後世に残したものは、下手人の三蔵と、責任者の明治天皇と、ロシアの怒りを解こうとして自殺した畠山勇子と、裁判を指導して勝利をおさめた大審院長児島惟謙の四人である。
 
11・1
藤枝静男『私小説家の不平』より
 
 あるアメリカ人が「志賀直哉の小説は、小説でなくて随筆だ」と言ったそうであるが、自分の国の規格を相手かまわず押しつけるのは、お国がらとは言え、ずいぶん傲慢な話で、私は「それが創作であるか随筆であるかの別は、それを書くときの精神の緊張とそれを書く態度できまる」という意味の志賀氏の言葉の方がはるかに芸術家らしくて調子が高いと思っている。
 
藤枝静男『私々小説』より
 
 キリスト自身も最後には民衆に唾をはきかけられ、血にまみれ、奇蹟もおこさず、神も救いに現れず、悲鳴をあげて殺されたのである。これが神の仕業の実演である。キリストは、それを実演してみせたうえで、「しかしこの一切の『責任』はすべて大なる神がとるのだ。それが神だ。だから心を労するな」と教えたのであろう。つまり神なんてものはないのである。従って最後の審判は責任所在の証明の絵解きということになる。あるときテレビで仏教学者が「釈迦自身は死後の世界があるとは一言も云ってません」と云うのを聞いたことがあるから、地獄極楽も同じ伝である。
 
11・2
西永良成『「レ・ミゼラブル」の世界』より
 
 ……たんなる「冒険小説」ではなく、あくまでみずからの広範な経験、知見、思索、考察を総結集する、のちに「全体小説」と呼ばれるものだったからである。その結果、『レ・ミゼラブル』は十九世紀フランス文学のみならず、古今の小説のなかでも比類のない作品となった。したがって私たちは、映画やミュージカルにあるようなスリルにみちたストーリーを追うだけにとどめず、ミシェル・ビュトールが「アリア」と呼んで評価している作者の逸脱、余談をふくむその全体を見ようとしなければ、この小説の真価にふれることはできないのである。
 
11・2
江國滋(選)『手紙読本』より
 
有島武郎から志賀直哉へ
 今夜兄の「和解」を読んで泣きながら唯今読み終えた処です 感心したというのでは言葉が足りません
 本統の平和が一つ兄の上に微笑んだ事を深く御祝いします 而してこの平和の上に強い美しい芸術が生れ出た事を御祝いします 心から
 
横光利一から横光千代子へ
 
 パリへ着いてから一週間にもなる。疲れたので、ペンを持つのが、今が始めてだ。着いた二三日は、あまり高度の文化のために眼を廻したが、もう飽きてしまった。
 早く帰りたくて仕様がない。全くつまらん。こんな所に一年も二年もいるものの気が知れぬ。今日は雨で寒い。
 
〈解説〉齋藤美奈子
 
 ともにメロメロな谷崎潤一郎から根津松子への手紙も、齋藤茂吉から永井ふさ子への手紙も、不倫相手への恋文である。当時、茂吉は五四歳(ふさ子は二六歳頃)。谷崎は四六歳(松子は二九歳)。文学者として名をなした、分別のある男がここまで崩れる。恋愛とはげに恐ろしきものなり、だ。
 
11・3
志賀直哉『和解』より
 
「実は俺も段々年は取って来るし、貴様とこれ迄のような関係を続けて行く事は実に苦しかったのだ。それは腹から貴様を憎いと思った事もある。然し先年貴様が家を出ると云い出して、再三云っても諾かない。俺も実に当惑した。仕方なく承知はしたものの、俺の方から貴様を出そうと云う考は少しもなかったのだ。それから今日までの事も……」
 こんな事を云っている内に父は泣き出した。自分も泣き出した。二人はもう何も云わなかった。
 
11・4
石原慎太郎『三島由紀夫・石原慎太郎・全対話(あとがき)』より
 
 三島さんは、本当は天皇を崇拝していなかったと思うね。自分を核に据えた一つの虚構の世界を築いていたから、天皇もそのための小道具でしかなかった。彼の虚構の世界の一つの大事な飾り物だったと思う。
 
11・4
三浦朱門『老年の品格』より
 
 私は彼女らに、妻、つまり曽野綾子の若い時の写真を探してくれ、と頼む。
「なぜですか」
 彼女らは不思議そうな顔をする。
「いやね、今の彼女は恐ろしいだろ。何かというと、ボクのことをボケたんじゃないの、と言うしさ。何か言おうとすると、『人の会話のジャマをするんじゃない』と叱る。こんな怖い人と結婚した覚えはないんだ。だからよっぽど、昔の彼女はセクシーだったとか、窈窕たる美女だったか、と思ってさ。ウン、なるほど、これならボクがだまされても仕方がない、というような人だったのかな、と」
 
11・5
パスカル『パンセ』(前田陽一・由木康訳)より
 
 彼は、十年前に愛していたあの女性をもう愛していない。それはそうだろうと私は思う。彼女はもはや同じではないので、彼だって同じではない。あのとき彼は若かったし、彼女だって若かった。彼女はすっかり変わってしまった。あのときのままの彼女だったら、彼もまだ愛していたかもしれない。
 
 すべて、著者のためでしかないものには、何の値うちもない。
 
 人間とは、(中略)万物の審判者にして愚鈍なる蚯蚓。真理の受託者にして曖昧と誤謬の泥溝。宇宙の栄光にして廃物。
 
11・6
司馬遼太郎『殉死』より
 
 食事は、自家で打ったそばであった。希典はここ数年、ほとんどそばを主食にしていた。客に「ご馳走をする」と予告して招待したときも、出したのはそばだけであり、客はそのためにおどろいた。希典はこのそばという食いものにさえ、かれは自分のストイシズムとそれへの感動と他人への訓戒をこもらせていた。かれの死後、かれの崇拝者が激増するが、そのほとんどがこの一点に感動した。(中略)かれの崇拝者たちはこれを乃木式食事とよんだ。しかし希典の現実の生理ではそば程度のものしか欲しないのは当然であったであろう。
 
11・7
ディケンズ『クリスマス・キャロル』(池央耿訳)より
 
 マーリーは故人である。何はさておき、まずこのことを言っておかなくてはならない。これについては、いかなる疑いもさしはさむ余地がない。
 
11・8
三浦哲朗『拳銃』より
 
 一と仕事終えて、やれやれと思っているときに、なんの前触れもなくいきなり左の肩へずっしりと乗っかってくるのだから、逃げるいとまもない。あ、また背負わされた、そう思って振り落そうとしても、もう落ちるものではない。ずっしりとした重みがじわじわと背中に染みひろがり、内側から胸を押し包んで、締めつけてくる。急に揺れるほどの動悸がしてきて、心臓がしくしく痛み出す。黙っているのが心細くて、「また来たえ、来たえ。」と叫ぶが、すぐに声がかすれてしまう。
 
11・11
吉村昭『メロンと鳩』より
 
 かれは和紙をひろげてみた。毛筆で、かれに対する感謝の言葉が述べられ、喜びと希望を以て一足先に天国へ旅立ちますと書かれていた。遺書に共通してみられる文章だが、その文章を読む度に体が冷えるのを感じる。喜び、希望という言葉をかれらはよく使うが、果してそのような気持で死を迎えることができるのか、かれには理解できない。
 
11・11
夏目漱石『行人』より
 
「姉さん」
 嫂はまだ黙っていた。自分は電気灯の消えない前、自分の向うに坐っていた嫂の姿を、想像で適当の距離に描き出した。そうしてそれを便りにまた「姉さん」と呼んだ。
「何よ」
 彼女の答はなんだか蒼蝿そうであった。
「いるんですか」
「いるわあなた。人間ですもの。嘘だと思うならここへ来て手で障ってごらんなさい」
 自分は手捜りに捜り寄ってみたい気がした。けれどもそれほどの度胸がなかった。そのうち彼女の坐っている見当で女帯の擦れる音がした。
 
11・12
小川国夫『星月夜』より
 
──ええ。正直言いますと、兄さんが亡くなった時、堪えられなくて、泣きながら三次さんを恨みました。
──三次の自殺は一種の合図だったのかもしれませんね。
──兄さんの手記を見ますと、三次が死ぬ、と書いたあとに、〈永死〉と埴生恒康さんの文句を引いて、闇がいそいそと待っていた、深い帰属の感情、と書いてありました。
 
11・12
後藤和彦『書くことと生きること、小説化トマス・ウルフの真実』より
 
『天使よ故郷を見よ』冒頭に配置された文章「『ガリヴァ旅行記』よりももっと自叙伝的な作品がそうざらにあるとは考えられぬ」の一節は、やや若気の勝った穿ち過ぎの言に聞こえないでもないが、これに先立つ「真面目な小説はすべて自叙伝的であると思う」の一文は、彼にしてはむしろ控えめな文章だったのではないだろうか。(中略)
 生きていなければ書けない、のではなく、書かなければ生きていられない、それがトマス・ウルフという作家の真実だったと思う。
 
11・14
太宰治『トカトントン』より
 
 何か物事に感激し、奮い立とうとすると、どこからとも無く、幽かに、トカトントンとあの金槌の音が聞えて来て、とたんに私はきょろりとなり、眼前の風景がまるでもう一変してしまって、映写がふっと中絶してあとにはただ純白のスクリンだけが残り、それをまじまじと眺めているとうな、何ともはかない、ばからしい気持になるのです。
 
 民主主義とか何とか言って騒ぎ立てても、私には一向にその人たちを信用する気が起らず、自由党、進歩党は、相変わらずの古くさい人たちばかりのようでまるで問題にならず、また社会党、共産党は、いやに調子づいてはしゃいでいるけれども、これはまた敗戦便乗とでもいうのでしょうか、無条件降伏の屍にわいた蛆虫のような不潔な印象を消す事が出来ず、……
 
11・16
津島佑子『ジャッカ・ドフニ──夏の家』より
 
 糸ミミズが来たとなれば、次には大量のイモリが来なければならない。それが当然の筋道というものなのだ。大量のイモリが来たら、次は無論、あの子の番だ。
 
11・16
保坂和志『生きる歓び』より
 
 人間がいなくならなければ母猫は小猫を助けないのかもしれないが、人間がいなくなると桜の木の上でずっと待っているカラスが即座に咥えていってしまうだろう。
 
11・19
三島由紀夫『岬にての物語』より
 
 しかし最早私には動かすことのできない不思議な満足があった。水泳は覚えずかえって来てしまったものの、人間が容易に人に伝え得ないあの一つの真実、後年私がそれを求めてさすらい、おそらくそれとひきかえなら、命さえ惜しまぬであろう一つの真実を、私は覚えて来たからである。
 
11・19
白川静『日本人が忘れたもうひとつの教養──漢字は日本人の骨格をつくる』より
 
 国語のことは作家にまかした方がいい。中島敦の文章は典雅でよろしい。武田泰淳は奔放でよろしい。宮城谷先生の文章は清新でよろしい。そして、作家に見習って、みな国語のあり方というものを考えていったらいい。ただ、その場合に、漢字の知識が薄弱になると、カルシウム不足になります。
 
11・19
山本周五郎『繁あね』より
 
 貝の缶詰工場や石灰工場から吐き出される煙が、雲に掩われた空へと、ゆるやかに、まっすぐ立ち昇っていた、(私のノートには「煙は上へゆくほど薄くなる棒のように」というつまらない形容が使ってある)
 
11・21
カミュ『転落』より
 
 恥ずかしながら認めねばなりません、我が親愛なる同郷の士よ。わたしはいつだって自惚れではちきれんばかりだった。わたし、わたし、わたし、それがわたしの愛しい人生のリフレインで、わたしの言うことのすべてに響き渡っておりました。
 
11・24
北方謙三『三国志』より
 
 蝶が、舞っている。冬だというのに、どんどん増えている。美しいではないか。
 眼を閉じた。
 土に還る時だ。そう思った。
 生きてきた時が、次々に脳裡に蘇える。死ぬ時はそうなのだろう、と曹操は思っていた。しかし、蘇えってくるものは、なにもなかった。
 すでに、済んでしまっていることなのだ。
 
11・28
北方謙三『三国志』より
 
「もうよい、馬謖」
「どのような罰も、お受けします」
「南鄭の城郭の広場で、打首にする」
 孔明は言った。馬謖は、表情も顔色も変えなかった。
「おまえの失敗が、死に値するかどうか、疑問に思う者もいるだろう。しかし、おまえは私と近かったゆえに、打首になる。そして私は、平然と生き延びる。おまえが犯した失敗より、おまえを使った責任の方が、ずっと重いのにだ」
 馬謖はじっと孔明を見つめていた。もう泣いてはいない。
「国をあげての戦であった。兵も民も、敗戦の責任を求めている。私の代りに、おまえは打首になるのだ」
 
11・28
中上健次『フォークナー衝撃』より
 
 フォークナーの小説の中で非常に特徴的なのは、三角形で人物をABCで配置するんです。まずBという人物を描こうとするんですね。Bという人物がCという人物を一生懸命見ていた。一生懸命見ていたのをAが見ていた。そういう形の視線のポリフォニーというか、それによって当然人称が消える。誰が喋ったのかという人称が消えて、視線が複合視されて語りと同じような状態になります。だから、むしろ描写は行なわれているんだけれど、描写はまず、BからCに対する描写が行なわれて、さらにそれをAによって描写する。完全な語りというか、だまし絵みたいな形がそこに出来上っちゃうわけです。
 
11・29
フォークナー『エミリーに薔薇を』より
 
 そのときわれわれは、二つ目の枕のなかに頭の恰好をした窪みのできているのに気づいた。われわれのひとりがその枕からなにかをつまみあげたので、あのかすかな、眼にはみえない、干からびた埃を鼻の奥につんと感じながら、身を前にのりだしてみると、ひと縒りの長い鉄灰色の髪の毛が眼にとまったのである。
 
11・29
『墨子』「草野友子訳・解説)より
 
 然らば則ち楽器を用うるが当きは、民に三患有り。餓える者は食を得ず、寒える者は衣を得ず、労する者は息を得ず。
 
 リーダーの猛勝が陽城君に対する契約を履行できなかったとして集団自決したこの事件、これは墨者のあり方を端的に示しています。墨家の急速な衰亡には、このような墨家の基本的体質が関わっていたと考えられます。
 
11・30
張愛玲『封鎖』(藤井省三訳)より
 
 もうひとりのさらに勇敢な山東人の乞食が、断固としてこの沈黙を破った。その声はまろやかに響きわたる。「悲しやー 悲しいー! ひとり銭なしいー! 悲しやー悲しー!」悠久の歌は、一つの世紀から次の世紀へと歌い継がれてきたのだ。音楽性の豊かなリズムが電車の運転手に伝染した。運転手も山東人なのだ。彼はフーッと息を吐くと、両ひじを抱えながら、ドア側に身を傾けて、一緒に歌い出したのだった。「悲しやー 悲しいー! ひとり銭なしいー! 悲しやー悲しー!」
 
12・1
ジュネ『花のノートルダム』(中条省平訳・解説)より
 
 ほかの誰よりも、私はモーリス・ピロルジュのことを考える。「探偵」誌から切りとったピロルジュの顔が、その凍りつくような後光によって、壁を闇に沈めている。その後光は、彼が死なせたメキシコ人の情夫、彼の死の意志、彼の死んだ青春、彼の死からできている。
       
「──ある無頼漢がディヴィーヌにこういった。
『どっちがいい? かまを掘られるのと、尺八させられるのと?』
 食いしん坊のディヴィーヌは、真剣になって、両手を合わせ、口をとがらせていった。
『お願いだから、両方とも』」
 
 この削除の理由もまったく分かりません。
 
12・7
司馬遼太郎『豊臣家の人々』より
 
うぬにはもう腕がない。血も井戸替えの水のごとく流れている」と、現実を教え、知れば悶絶するかと思い、その反応を期待した。が、盲人は別な反応を示した。急に鎮まり、小首をひねり、声も意外なしずかさで、「ああ、知れた。わかったぞ」とつぶやいた。「この下手人は日頃このあたりに出るという殺生関白であるか。必定、これならん」
 
 生きとうはないわい、と怒鳴りあげたのが盲人の回答である。これ以上、こんな不自由に堪えられるか。いっそ殺せ。
 
 ……死の仕度ができた旨のことを秀次に告げた。秀次は盤面を見ながらうなずき、しかし、
「勝った」
 と、別なことをいった。碁のことである。「みなのもの、のちの証拠に見ておけ。わしの勝ちである」
 
12・7
ダニエル・キイス『預言』(駒月雅子訳)より
 
 日本の読者の皆さんへ
 
 顧みれば、私は「内心の葛藤」から「変わりゆく外界と葛藤する内心の葛藤」へ重心を移したのですね。
 
12.11
東野圭吾『もうひとつの助走』より
 
「受賞……私が」作家は立ち上がった。
(やたtぞ。ついにやったぞ。夢ではない。この俺が受賞したのだ。苦節三十年。ついに、ついに、あの賞を、俺が、俺が、俺が、受賞を、受賞を、受賞を)
「あっ、先生」
「寒川先生っ」
「どうされました」
「しっかり」
「たいへんだっ」
「わっ、わわわわわ」
「脈が、脈が、脈が……」
 
12・12
若松英輔『詩人科学者の遺言』より
 
 むしろ、この世には、完成よりもいっそう豊かな未完成があることを、レイチェル(レイチェル・カーソン)が「いのち」でつむいだ言葉によって知るのである。
 
12・13
森達也『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』「生きているということはどういうことなのか・団まりな(生物学者)に訊く」より
 
「原初の細胞がその時期(三十八億年前)、複数できていた可能性はあったかもしれません。だけど今も生き残っているのは一つだけなのです。他のものはうまくいかなかった。つまり子孫を残せなかった。どうしてそんなことがわかるかというと、今生きているすべての生物で、遺伝子のコドン(遺伝暗号の最小単位)は共通しているからです」
「A(アデニン)とT(チミン)とG(グアニン)と。……あとは何だっけな。C(シトシン)か」
「そう、それだけ。そしてこれはすべての生物が同じ。私たちのコドンも、いちばん最初の細胞から次々と細胞分裂を重ねながら、ここまで運ばれて来たのです」
「……それが事実なら、ちょっとした畏怖感に打たれます。生きものはすべて同じなんだなって」
「すごいですよねえ。植物でも何でもみんな一緒なんだから。つまり生命はすべて、一個の原初の細胞から分裂して、一度も新しく付け加えられることもなく、私たちまで運ばれてきたといえるんです」
 
12・14
森達也『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』「科学は何を信じるのか・竹内薫(サイエンス作家)に訊く」より
 
 僕は先ほど、「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」という命題にたいして一度しかない人生という意味で「今が大切」と言いました。一回しかない人生と無限に繰り返す永劫回帰というのは、科学的に区別できない。これらは同じですから。これが僕の答えになるのかな」
 言いながら竹内はコーヒーカップを口に運ぶ。「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」との命題に対しての竹内の答えは、要約すれば「一回しかない人生と無限にくりかえす永劫回帰」ということになる。
 
12・20
木村政則『キプリング・キム』解説より
 
 帝国の詩人としてのキプリングが保守反動の帝国主義者へと変容しだしたのも、このアメリカ滞在の時期だといえるかもしれません。
 
12・22
東野圭吾『天空の蜂』より
 
「えっ、何かいったか?」警備部長は訊いた。
 いえ、と三島は答え、また海のほうを見た。
 彼はこういったのだった。
「『新陽』に落ちたほうがよかった。そのことにいずれみんな気がつく」
 握りしめていた拳を、彼はゆっくりと開いた。
 
12・26
水上勉『わが文学 わが作法』より
 
 金閣は足利義満の建てた寺である。ここはもともと将軍の別荘であって、巨大な伽藍や金閣の建物は、空・無・知足を体現する禅僧の生活にそぐわない。武家権力の象徴でこそあれ、宗教的な深みのある寺とは思えない。その金閣を林君は焼いている。彼は、その放火動機について殆ど「真」を語っていない。だが、焼いたことで、禅宗教団をしずかに告発していることは事実である。
 
 私はいい子になっている。まだまだ私自身の弱点を書かねば、本当のことを現出できないのに、相手の方にばかり刃をむけているところがある。そのどっちへもむけすぎるところにやわい嘘がある。そこらあたりにこの小説の必死さがぼけているのだ。何も知らぬ読者は、作者はこんな苦労をしたのか、ひどい目にあったなと、同情はするだろう。同情はしても感動はしない。不思議である。私小説というもののむずかしさはここにあって、何小説にしろ、ごまかしがあれば、文章はそこからくさってくる。
 
12・30
松本清張『蒼い描点』より
 
 竜夫は茶碗を仰向けに音たてて啜ると、
「どうだね、趣味が気に入らなかったかもしれないが、この辺でリコちゃんの話を聞こうか?」
 と残りの羊羹を頬張って口を動かした。
「まあ、無作法ね」
 典子は眺めた。
「なに、上品に食べちゃ味がない。いちどきに食べるに越したことはないさ。そんなことよりも、どうだった? 村谷家の女中さんと豊橋の実家で会えたかね?」
 
12・30
宮本輝『月に浮かぶ』より
 
 自分の決意や意志は声高に口にしないが、弱音は吐かない。そして、私と美幸は性的に相性が合うもだった。
 
宮本輝『舟を焼く』より
 
「焼いたね」
 私が主人にそう声をかけると同時に、珠恵は、誕生日に私が贈った十八金の細いブレスレットを熾火のなかへ投げ捨てた。
 
2024
1・3
宮本百合子『歌声よ、おこれ』より
 
 火野にあってはただ一つその感銘を追求し、人間の生命というものの尊厳にたって事態を検討してみるだけでさえ、彼の人間および作家としての後半生は、今日のごときものとならなかったであろう。人間としての不正直さのためか、意識した悪よりも悪い弱さのためか、彼はそういういくつかの人生の発展的モメントを、自分の生涯と文学の道からはずしてしまったのであった。
 
1・5
ル・クレジオ『物質的恍惚』(豊崎光一訳)より
 
 ぼくぬきで出現したものは、出現していた。ぼくぬきで石だったもの、ぼくぬきで空気、ぼくぬきで稲妻、ぼくぬきで両棲類だったものは、太陽ぬき、大地ぬきで在ったもの、光ぬきで在ったもの、そうしたものすべては非物質的な拡がりの中にはなかった。
 
 そしてさらになお、躰の中にこの心臓の鼓動、ひとを生命に向かって送り出しつつ、同時に死に向かって送り出していたあの致命的な最初の鼓動が響くことを容赦するためには、かつて知られたことのないものの無際限の沼から汲みとった、この絶対の現存という歓喜がなければならなかった。白と赤とに染められた屠殺場では、鋭い釘を植えたハンマーの鈍い一撃が打ちおろされ、あっという間に牛の首筋に食いこむ。ぼくをこの世に生みだした女は、ぼくを殺した者でもあるのだ。
 
1・6
ル・クレジオ『沈黙』(豊崎光一訳)より
 
 ぼくが在る前の何千億も何千億もの世紀、年、日にわたってそうあり続けてきたように、それはぼくがいなくなった後の何千億も何千億もの世紀、年、日にわたって続けられてゆくだろう。
 
1・6
日野啓三『炎』より
 
 しかし老師は答えない。代わりに
 
1・9
三木卓『若き詩人たちの青春』より
 
 どこかとおい国では
 かれの崇高な死が
 金の縁とりをした本のなかに閉じこめられて
 そのうえに低い祈りの声と
 やさしい女のひとの手がおかれている
 
 この詩に描かれた兵士が、どういう人間だったかということは、この際どうでもいいだろう。鮎川がいいたかったことは、安易に神を呼んで死者をよみがえらせる、生きている人間たちの軽薄さであり、ほんとうはすべての兵士が、(あらゆる神の報酬を拒み)ながら永遠に死んでいった、ということである。
 
1・9
松本清張『黒地の絵』より
 
 黒人兵士たちの胸の深部に鬱積した絶望的な恐怖と、抑圧された衝動とが、太鼓の音に攪拌せられて奇妙な融合をとげ、発酵をした。音はそれだけの効果と刺激とを黒人兵たちに与えたのだった。遠くから聞こえてくるその音は、そのまま、儀式や、狩猟のときに、円筒形や円錐形の太鼓を打ち鳴らしていた彼らの指先の遠い血の陶酔であった。
 
1・12
山本周五郎『人情武士道』より
 
「女がそう云ったのでしょう、或る女たちは世界中の男が自分に恋し、そして失恋するものだと思います。あの女もそういう気質の一人なのです。……たとえ死んでも、男から縁談をことわられたなどということを承認する女ではありません。……市之進はそれを見抜けなかった、それがあの男を不幸にしたのです」
 
1・12
蓮見重彦『伯爵夫人』より
 
 傾きかけた西日を受けてばふりばふりとまわっている重そうな回転扉を小走りにすり抜け、劇場街の雑踏に背を向けて公園に通じる日蔭の歩道を足早に遠ざかって行く和服姿の女は、どう見たって伯爵夫人にちがいない。
 
1・12
里村欣三『北の河・北ボルネオ紀行』より
 
 今日は神嘗祭である。街は「日の丸」で埋まっている。誰が一体、こんなボルネオの涯に「日の丸」がひるがえることを予想したであろうか? だが、夢ではない。真ッ赤な「日の丸」の御旗が、どんなに見すぼらしいマライ家屋の軒先にも、翩翻とひるがえっているのだ。私はホテルの廊下から涙ぐむような心持で「日の丸」に埋められた街と、朝の太陽にきらめく銀色のサンダカン湾を眺めている。
 
1・13
東野圭吾『禁断の魔術』より
 
「じゃなくて、ここへ来たんです」石塚が答えた。
「来た? 古柴君が?」
 はい、と石塚。先輩だから、いらっしゃった、という敬語を使うべきだったことには気づいていない様子だ。「私物を取りに来たっていってました」
 ここでもまた敬語がおろそかにされたが、そんなことに拘っている場合ではない。
 
1・16
谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のをんな』より
 
考えてみると庄造は、云はば自分の心がらから前の女房を追ひ出してしまう、此の猫にまでも数々の苦労をかけるばかりか、今朝は自分が我が家の閾を跨ぐことが出来ないで、ついふらふらと此処へやつて来たのであるが、此のゴロゴロ云ふ音を聞きながら、咽せるやうなフンシの匂いを嗅いでゐると、何となく胸が一杯になつて、品子も、リリーも、可哀そうには違ひないけれども、誰にもまして可哀そうなのは自分ではないか、自分こそほんたうの宿なしではないかと、さう思はれて来るのであつた。
 
1・16
穂村弘『鳥肌が』より
 
 絹よりうすくみどりごねむりみどりごのかたへに暗き窓あきてをり
                         葛原妙子
 
 すーすーと眠っている赤ん坊、その傍らの窓が開いている。と、ただそれだけの光景が詠われているのだが、なんとも云えない緊張感がある。次の瞬間に、その窓から入ってきた何かが赤ん坊を連れ去ってしまうような。例えば、それは死神かもしれない。 
 
1・16
赤瀬川源平『老人力』より
 
 嵐山さんが旅先で血を吐いた。胃腸問題である。現地入院。経過はかんばしくない。嵐山さんは主治医である庭瀬先生に電話した。庭瀬先生はその経過をふむふむと聞いてから、その処置はよくないという。とにかくすぐ退院して東京に帰って来いと言った。で、帰ってきた嵐山さんを、庭瀬先生はすぐ焼肉屋へ連れて行ったという。
 焼肉屋ですよ。そこで患者にがんがん肉を食わせたという。
 嵐山さんはそこから治った。凄いなあと思う。とにかく肉を食わせて血を作る、と同時に胃を元気づける。
 
1・21
梅崎春生『狂い凧』より
 
 私はなぐさめた。栄介はうなずいた。
「うん、幸太郎伯父みたいじゃ困るな」
「伯父さんは元気かい?」
「うん。相変わらずだ。定額の他に、時々小遣をせびりに来る。齢が齢だから、養老院に入れたいが、そこかいいところはないかなあ」
 幸太郎が独りで上京して以来、栄介は月々五千円を彼に提供していた。幸太郎は毎月の初めに彼の家にやって来る。彼がいる時は彼が手ずから渡し、留守の時は封筒に入れて、家政婦に預けて置く。止宿先に送ってやろうと言っても、幸太郎は承知しない。
 
1・23
カフカ『ある断食芸人の話』(柴田翔訳)より
 
 それが最後の言葉だった。だが彼の末期の目には、それでもまだ断食を続けるという、もはや誇り高いとは言えぬにせよ、なお確固たる確信が浮かんでいた。
「さあ、もう片づけるんだ」管理長が言って、断食芸人は藁と一緒に埋められた。
 
1・25
みうらじゅん・リリー・フランキー『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか』より
 
L:でも酒を飲まない人が健全かっていえば……下戸の人って、朝も昼も夜も同じ状態だから、結構、朝から女を口説くらしいんですよね。酒も飲んでないのに……。
М:本当に悪いヤツだねー。シラフで口説く……それは悪いヤツですよ。
 
1・25
井上ひさし『樋口一葉に聞く』より
 
──一葉先生、あなたはじつに短期間にめきめきと小説の腕をおあげになりましたね。「日本文学史上最大の化け方」と指摘する評者もいるぐらいです。よろしければ後進のためにあなたの小説上達術を公開してくださいませんでしょうか。
一葉 その評者はどなたですか。
──じつはわたしですが。
一葉 つまらぬ評ですね。けれどまあいいでしょう。小説の書き方にべつに秘訣などありませんが、まずなによりも物事をよく見ることですね。第二に自分が観察したことをよく考える。第三によく考えたことをよく書く。つまり、よく見て、よく考えて、よく書く。これが小説上達の三要素でしょうか。これしかありませんね。
 
1・25
中野京子『新・怖い絵』より
 
 ミレイの『オフィーリア』は、留学中の夏目漱石が実物を見て感銘を受けたことでも知られている。彼は『草枕』で主人公の口を通じてこう言う、「(死に場所として)何であんな不愉快な所を択んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画になるのだ(……)ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい」。
「土左衛門」という言葉にはドキリとさせられる。美女と水と死に、何万語も費やしてロマンの香水をふりかけようとも、現実の惨酷さ怖さはまさにこの言葉に集約されている。
 
1・25
谷崎潤一郎『文章読本』より
 
 志賀直哉氏の「城の崎にて」の文章を吟味して御覧なさい。あの中の「其処で」「丁度」「或朝の事」「一つ所」「如何にも」「仕舞った」「然し」等の字面を、それぞれ「そこで」「ちょうど」「或る朝のこと」「一つところ」「いかにも」「しまった」「しかいs」と云う風に書き変えたとしたならば、もうそれだけであの文章のカッキリとした、印象の鮮明な感じが減殺されるでありましょう。
 
1・25
島崎今日子『安井かずみがいた時代』より
 
 拓郎は安井と過ごした一九七〇年代を懐かしみ、最後にこんな言葉で彼女を振り返った。
「あの時代を東京で遊んでいたヤツらって、みんないいヤツでニコニコしていたんだけど、どこか哀しいんです。その中で最も哀しいのが安井かずみでした。安井かずみというといくつもフラッシュバックしてくる映像があって、お前、哀しすぎるよというのがありますね。愛しくて、可愛い人です」
 
1・27
川本三郎『温室のなかの夢』(ちくま日本文学全集・佐藤春夫・解説)より
 
 山本健吉はじめ西脇順三郎、丸岡明、竹内良夫ら佐藤春夫をよく知る文学者たちの書いたものを手がかりにこの「佐藤春夫的」な家を描写してみると……
 建物全体は南欧風。壁には佐藤春夫の好んだのうぜんかずらを這わせ、前庭にはマロニエが植えられ四月になると花を咲かせた。
 
1・28
保苅瑞穂『モンテーニュ』より
 
 友達と付き合う習慣は、水や火といった要素よりもずっと必要で、ずっと快いものだ、といったあのいにしえの格言はまったく本当なのだ!
 
1・29
武者小路実篤『友情』より
 
「大宮さま、あなたは私をおすてになってはいけません。私はあなたの処へ帰るのが本当なのです。大宮さま、あなたは私をとるのが、一番自然です。友への義理より、自然への義理の方がいいことは『それから』の代助もいっているではありませんか」
 
1・31
ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』(千野栄一訳)より
 
 永劫回帰という考えは秘密に包まれていて、ニーチェはその考えで、自分以外の哲学者を困惑させた。われわれがすでに一度経験したことが何もかももう一度繰り返され、そしてその繰り返しがさらに際限なく繰り返されるであろうと考えるなんて! いったいこの狂った神話は何をいおうとしているのであろうか?
 
2・1
森茉莉『細い葉蔭への愛情』より
 
 私は泣くとすぐ父のそばへ馳けて行った。父は半分に裁ってある半紙を一枚取出し、それを二つに折って私の眼を押えた。そうしてからそれを明るい方へ透かして見せて言った。「おまり。そら、大きなお団子、大きなお団子が二つ。」私の悲しみは忽ちどこかへ行ってしまった。
 
2・4
カーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』(村上春樹訳)より
 
 ビフはハンカチーフを水飲み場の蛇口で濡らし、緊張に引きつった顔を拭いた。そこで彼ははっと思い出した。店頭の日よけがまだ上げられていなかったことを。戸口に向かいながら、その足取りは次第に確かなものに変わっていった。そして店内に戻ったときには、もう落ち着きを取り戻していた。そのように彼は、朝日が昇るのを静かに待ち受けた。
 
2・8
川北義則『男の品格』より
 
 あまりホメられたことではないが、かっこいい男になる最初の条件は、良識派から顰蹙を買うことなのだ。
 
2・9
水木しげる『水木サンの幸福論』より
 
幸福の七カ条
 
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまでも自分の楽しさを追求すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 なまけ者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。
 
2・11
小林信彦『映画が目にしみる』より
 
 成瀬作品は宝の山である。
 つむじ曲りの成瀬監督が「あれはダメです」と言っている映画だって、決してダメではない。佳作、秀作であったりするから、油断はできない。
 
2・12
宮沢章夫『彼岸からの言葉』より
 
 祖父はうっすらと眼を開けていた。
「このへんじゃ、夫婦で百まで生きたのは俺んとこぐらいのもんだろ」
 とうとう、自分が百になるばかりでなく、死んだ人まで百にしてしまった。
 かつて、私にとっての祖父は七十二歳だった。今、ベッドで眠るのは、残された時間を小さく削るように生きる、それは百歳の老人だった。
 
2・12
カフカ『田舎医者・断食芸人・流刑地で』(丘沢静也訳)の丘沢静也解説より
 
 カフカの手稿は、モーツァルトの自筆譜に似ている。どちらも一気に書かれていて、ほとんど直しがなく、きれいなものが多い。カフカは、自分がどういうふうに書いていけばいいのか、この『判決』で発見した。『判決』はカフカがカフカになった作品である。
 
 抜群にひねくれているカフカの「なぜ?」は、一筋縄ではいかない。わかったつもりにさせてくれない。カフカは「?」の巨匠である。
 
2・16
ハン・ガン『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳)より
 
 何年か前、ソウルに大雪注意報が出たときのことだ。激しい吹雪の坂道を、彼女は一人で上っていた。傘はさしていたが、役に立たなかった。まともに目を開けることもできなかった。顔に、体に、激しく打ちつける雪に逆らって彼女は歩きつづけた。わからなかった、いったい何なのだろう、この冷たく、私にまっこうから向かってくるものは? それでいながら弱々しく消え去ってゆく。そして圧倒的に美しいこれは?
 
2・17
小林秀雄『ゴッホの手紙』より
 
 人生の謎とは一体何んであろうか。それは次第に難しいものとなる。齢をとればとるほど、複雑なものとして感じられて来る。そして、いよいよ裸な、生き生きとしたものになって来る。 サント・ブウブ
 
「ああ、お母さん、実に大事な、大事な兄貴だったのです」
 兄の自殺という荷は、テオには重すぎた。彼はオランダに帰省すると間もなく発狂し、エトレヒトの精神病院で翌年の一月に死んだ。
 
 ゴッホの絵を見ようとするものにとって、こんな好都合な次第になったというのも、これを裏返しにしてみれば、この画家が、どんなに孤独な人であったかを語っているものだ。彼の絵は散逸しなかった。散逸しようにも、買い手がなかった。
 
2・18
水木しげる『娘に語るお父さんの戦記・小さな天国の話』より
 
 きたない手だが、一本ずつ握った。たくさんの手と握手をするうちに、手を通じて土人の魂が入りこんでくるのだろう、お父さんは、将来必ずここで暮らすのだ、という固い決意になってゆくのをどうすることもできなかった。
 
 それから何回も行くようになった。
 彼らの家に泊まり、彼らとともに食事するということは、どうやら彼らには大変な喜びであったようだ。
 
 すなわち、土人(土の人、すなわち大地から生れた尊敬すべき人)だから、物なんか気にしないという、奇妙な解釈をしていたためだ。
 
2・19
中島敦『弟子』より
 
「見よ! 君子は、冠を正しゅうして、死ぬものだぞ!」
 全身膾のごとくに切り刻まれて、子路は死んだ。
 
 魯に在って遥かに衛の政変を聞いた孔子は即座に、「柴(子羔)や、それ帰らん。由や死なん。」と言った。果してその言のごとくなったことを知った時、老聖人は佇立瞑目することしばし、やがて潸然として涙下った。子路の屍がししびしお(塩漬け)にされたと聞くや、家中の塩漬類をことごとく捨てさせ、爾後、塩は一切食膳に上さなかったということである。
 
2・20
カフカ『それは、どの地域にあるのだろうか』(平野嘉彦訳)より
 
 私は知ってはいる。いやそれどころか、それをこの眼でみてもいるのだが、それがどこにあるかを知らないのだ。それでいて、私はそれに近づくことができないでいる。
 
2・20
芝木好子『洲崎パラダイス』より
 
 意気地なしの彼が小僧のようにどんぶりを洗ったり、蕎麦をざるに上げたり、出前を運んでいるのかと思うと哀れで、走っていってやめさせたい気がする。それもこれも、土方にもなれない気概なさからだ。
 
2・22
黒島伝治『豚群』より
 
 牝豚は、紅く爛れた腹を汚れた床板の上に引きずりながら息苦しそうにのろのろ歩いていた。しばらく歩き、餌を食うとさも疲れたように、麦藁を短く切った敷藁の上に行って横たわった。腹はぶってりふくれている。
 
2・22
ハンナ・アレント『人間の条件』より
 
 永遠なるものについての哲学者の経験を、プラトンは「語りえぬもの」、アリストテレスは「言葉なきもの」、のちには「とどまる今」という逆説的な形で概念化したが、これは人間的な事実の外部、複数の人間がいる領域の外でしか起こらない。
 
2・25
永井龍男『東京の横丁』より
 
「今日は、なんで?」と横光氏に聞かれたので、菊池氏にこれこれと答えた。
「僕と、もう一度、菊池氏の室へ行ってみませんか」
 横光氏は如何にも気軽に椅子を立った。
 横光氏に逢えてたことで、私の運は開けた。
 菊池氏は、「僕のポケット・マネーから、月々三十円やる」と、至ってそっけなく呟いた。
 
2・26
奥山景布子『義時 運命の輪』
 
 義村の息子は、公暁の門弟の一人である。義時はじっと義村の顔を睨みつけた。
「大夫、某は誓って、この一件に関わっておりませぬ。なにとぞ、お聞き届けください」
 かつては気楽に、「小四郎」「平六」と幼名で呼び合った仲だが、今はそうはいかない。義村の方もそれはよく承知しているのだろう。
「あい分かった。今日のところは下がられよ」
 そう言うだけで精一杯だった。
 
2・28
松本清張『月』より
 
 それから三か月経った秋の末、綾子は親戚の家に二晩泊ってくると伊豆にいい置いて出て行ったまま四日経っても戻らなかった。電報が来たので綾子からの連絡かと思って伊豆が開くと、東京の隆文社からで、そちらに宮川が行っていないかという問い合わせだった。
 月の晩、伊豆は便所の窓の桟に綾子の腰紐をかけ、中腰で縊れた。
 
2・29
松本清張『入江の記憶』より
 
 私は傍に眠っている明子に行動を起こした。おとっつあん、と私は心の中で父に云っていた。あなたのした通りのことを息子もしているのだ、と。
 私の妻も、私のアリバイを工作してくれているはずである。激情的な明子から私の身を護るために。そして、母が父に協力したように。
 
2・29
有吉佐和子『洛陽』より
 
 思い返せば、血を流す修行を心掛けたことが若い頃には一再ならずあった。が、その都度楊は酒に走って、当初の決意を断っている。対象と張合って自分の真価をただすことを怖れたのではなく、楊には自分の正真正銘の技量を知る前に出逢う数々の苦難が忌わしかったのだ。若さは儚ない目先の安楽を辛い修行に替えていのちの水脈を保つことに思い到らなかった。
 
3・2
インデボルク・バッハマン『三十最』(松永美穂訳)より
 
 黄金の九月、ぼくという人間から人々が作り上げたすべてのものに触れるとき、自分とは何者だろう? 雲が飛んでいくとき、ぼくは誰なんだろう!
 
3・2
井崎博之『エノケンと呼ばれた男』より
 
 エノケン・笠置のコンビは、戦後すぐの興行界に異彩を放ち、ブギの流行とともに明るい清新さがあり、個性の強いこの二人の舞台は、かつてのエノケンの舞台にみられなかった新しい頁を開いた。体当りでぶつかって行く演技に観客は、これぞブギの女王かと、眼をみはったものである。
 
3・3
水木しげる『人生をいじくり回してはいけない』より
 
 いっておくけど、九十九%のニンゲンは無能なんです。いくら努力したって、始まらないです。無駄な努力というものです。
 
 成功を欲しがるのは、無能なヒトなんですよ。優秀なヒトなら、放っておいても成功しますよ。
 まず、それを承知しておかなくちゃいけない。
 
3・3
向井敏『書斎の旅人』より
 
 その成果はめざましいものがあって、『鴎外 闘う家長』に限って言っても、従来の鴎外研究からは予想もできなかったような卓見が次々と繰り出され、鴎外研究家たちの心胆を寒からしめた。それだけではない。明晰、精緻、巧妙な文体を駆使して時代と人間の機微に分け入り、学問的な研究には門外漢の読者にも、またと得がたい充実した時間をすごさせることになったのである。
 
3・4
平野謙『小林秀雄全集月報集成』より
 
 その当時の小林秀雄のことで、私にはもうひとつ忘れがたい記憶がある。それは『谷崎潤一郎』の書きだしの部分で、「中学にはいったか、はいらない頃だったろう。今迄大人の読む本と決めていた『中央公論』に『人魚の嘆き』を見つけて逆上した」云々という個所のところである。
 
3・5
井上靖『敦煌』より
 
 その時気付いたのだが、朱王礼の躰には数本の箭が突き刺さっていた。行徳がそれを抜いてやろうとすると、
「抜くな」
 朱王礼はちょっと厳しい口調で言って、続いて、
「俺は長いことこのような最期を考えていたのだ、見ていろ」
 そう言いながら太刀を抜き、両手で刀身を握って、切先を口の中へ突き立てるようにした。
「何をする!」
 行徳が叫んだ瞬間、朱王礼の躰は空に跳んだと思うと、あとは真逆さまに頭を下にして断崖の底に落ちて行った。
 
3・6
小林秀雄『断片十二』より
 
 広津氏や、菊池氏の志賀直哉論を読んでも、志賀氏の有する立派なユーモア、鋭い感覚から来る気味の悪さの魅力、独特なERoticな味、などの事に少しも言及して居ないのは如何したことか。
 
小林秀雄『井伏鱒二の作品について』より
 
 併し彼がその哀愁を殉教的に表現して聊かも恥じない時、彼の作品は大変見事にみえます。「谷間」「侘助のいる谷間」「シグレ島叙景」などの系列がそうであって、「丹下氏邸」は、外見は多彩ではないが、構造は最も完璧で、この系列の頂にある様に思われます。
 
小林秀雄『谷崎潤一郎』より
 
 「痴人の愛」以後、最も見事な作だと信ずる「蓼喰う虫」と「卍」とを語る暇がない。ここではもう氏の人間的自覚は、全く血肉化して、装飾を脱した氏の文体は抑えてもモクモクと動き出す様な力を蔵している、などと、書けたとしても徒らな讃辞をつらねるに止まる様に思うのだ。
 
小林秀雄『文章について』より
 
 諸君も巧い文章を書こうと努力されていると存じます。私も大変努力しております。併しお互に努力しても巧くなるとは限らぬ事だけは確かです。
 
3・8
山崎正和『鴎外・闘う家長』より
 
 わけても興味深いのは「栗山大膳」という作品であって、この主人公と彼が仕えた筑前・黒田家の関係のなかに、われわれは鴎外の国家にたいする感情を象徴的に読みとることができる。
 
井伏鱒二『休憩時間』より
 
 今は最早、私は知っている。青春とは、常にこの類の一幕喜劇の一続きである。壁に人体の素描をこころみるものは、なるべく大きな人体を肉太に描け。編上靴の紐をしめるものは、力をこめて紐をしめよ。窓から桜の花をむしりとろうとするものは、思いきって大きな枝を折れ。足駄をはいて教壇へはいるものは、大きな足音をたててはいって行け。学生監の腕力や叱り声に驚くな。束の間に青春はすぎ去るであろう。そうして休憩時間などは──その楽しい追憶以外には決して……。
 
中井英夫『谷崎潤一郎・人魚の嘆き』解説より
 
 ひとつには戦後の日本に三島由紀夫という華麗奔放を極めた作家が登場し、肝心な男色問題はついに後ろ手に隠すようにして壮烈な死を遂げた影響もあるので、その年譜を追うたび古今東西の天才も光を失う感があるのは自然の成行きであろう。
 
小林秀雄『批評』より
 
 自分の仕事の具体例を顧ると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への讃辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事に、はっきりと気付く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。
 
3・9
古井由吉『先導獣の話』より
 
 ところが彼は私に近寄るや、「困ったことになりましたねえ……」と言ってベッドのそばの椅子に腰を下ろし、それからもう一度「ほんとに、君、困ったことにね……」とつぶやくと、まるで自分自身のことのように頭を抱えこんでしまい、夏至にまもない雨の日が室の内側からようやく暮れはじめた頃になっても、まだ黙って坐りついていた。
 
宮部みゆき『サボテンの花』より
 
 教頭は鉢植えを手にした。その不恰好な葉のなかに、一つだけぽつり、赤い花がついている。
「竜舌蘭は、一生に一度しか花をつけないんだそうですよ」と、徹が言った。
 権藤教頭は、じっと、テキーラを、花を、手紙を見つめた。
「校長先生にならないでいてくれて……ありがとう」
 その文字がぼやけてしまって、しようがなかった。
 
3・12
ハーバート・アレン・ジャイルズ『荘子』より
 
 荘子は蝶になった夢を見た。そして目がさめると、自分が蝶になった夢を見た人間なのか、人間になった夢を見た蝶なのか、わからなくなっていた。
 
ビルヒリオ・ピニェーラ(1946)より
 
 それでもやはり彼は眠れない。朝六時、彼はピストルに弾をこめ、脳天をぶちぬく。死にはしたが、結局眠ることはできなかった。不眠症はまったくもってしつこい。
 
ホセ・ソリーリャ『ドン・フワン・テノーリオ』より
 
ドン・フワン あそこを通るのは誰の葬列かね?
石像 おまえさんの葬列じゃないか。
ドン・フワン 死んだ? おれが?
石像 大尉に殺されたのさ。
   おまえが家から出てきたところをな。
 
3・14
杉本苑子『決断のとき・歴史にみる男の岐路』より
 
 歴代将軍は、以来、幕府の象徴でありさえすればよくなった。ボスとしての人間的魅力など、まったく必要ではなくなったのだ。そのきざしは、秀吉時代からすでに現われはじめていたのに、そうした歴史の流れに気づかず、秀吉個人への傾倒を転機のバネにして後半生を誤ったところに、教正の悲劇があったのである。
 
(あとがき)
 どう答が出るにせよ、決断した以上は自分のその決定に、責任を取る覚悟だけは持つべきだろう。誤算だったと判ったにしても、自身の選択にみずから責めを負えば、それなりな爽やかさで納得することができる。
 
3・16
後藤繁雄編・著『独特老人』より
 
埴谷穣雄高
 存在の革命ができるまでは、子どもは作らない。僕は僕の問題が解決しないうちはインチキの人類を一人でも増やすつもりはないんですよ。
 
升田幸三
 坊主ってのは、しかし頭を丸めて、世間ごまかしの商売はどうかな。心と裏腹に頭は丸めて、クソ坊主が、死んだやつの家族からまたむしりとるんだから。
 
杉浦明平
 いわゆるいい人ってのはどうも面白くないね。やっぱりおかしなところがある方が面白い。
 
水木しげる
 形があるものだけ存在しているっていう考え方は間違っていると思います。形のないものもまた存在しているということです。
 
沼正三
 たとえば、日の丸の旗が神聖なものだということを不潔なものとし、鮮血で汚れた女のパンティを神聖なものっていう具合に逆の価値観に置き換えてみるんです。
 
吉本隆明
 普通のお年寄りはさ、自分は痛い痛いとか、こんな恥ずかしいことがあるとか、肝心なことは言ってない。だから俺が書くんだったら、全部書いてやろうと、そう思ってるんですよ。
 
3・18
ロバート・レーン・グリーン『言語と文化の未来』より
 
 出版の分野でも、電子書籍が業界を変容させる一方、出版社が消滅する事態には至っていない。二〇一〇年、〈アマゾン〉はハードカバーより多くの電子書籍を売った。将来的には、書籍売上高の半分が電子書籍で占められるだろう。印刷された本は存在しつづけると予想される。あとで読むときの利便性を考え、オンライン出版された長い論文をプリントアウトしておくのと同じ理屈だ。
 
3・20
木田元『なにもかも小林秀雄に教わった』より
 
 だが、どれほど性格が悪く、いやな人柄であろうと、ハイデガーのばあい、その著作や講義録はやはり面白く凄いと思わせられる。
 
 小林秀雄は、保田(與重郎)について無気味なくらい沈黙を守っているが、それは、同調する気にはならないが、自分には見えないものを保田が見ているらしいということは認めていた、ということではなかったろうか。
 
東野圭吾『超長編小説殺人事件』より
 
 そして自分の本の帯を見て、葛原は唖然とした。
『葛原万太郎 世界最重量野球ミステリ誕生! 命がけの八・七キログラム!』
 いつの間にか横に来ていた小木が彼の耳元で、「この記録は当分破られないと思いますよ。何しろ表紙に鉄板を入れましたから」と囁いた。
 
3・21
佐高信『西郷隆盛伝説』より
 
 こう言って板垣は紹介状を書いた。板垣はここで、「総三さんは、元来、薩州に関係が深い」と洩らしているが、それを「南洲」と置き換えても不思議はないだろう。相楽は西郷と関係が深かったのである。しかし、その西郷はとっくの昔に亡くなっている。
 板垣の紹介状を胸に亀太郎は大山を訪ねた。だが、猛犬に追いかえされること三度、玄関子に拒まれること三度で、遂に諦めざるをえなかった。
 
3・22
中島みゆき『全歌集』より
 
「うらみ・ます」
ふられたての女くらいだましやすいものはないんだってね
あんた誰と賭けていたの あたしの心はいくらだったの
ドアに爪で書いてゆくわ やさしくされて唯うれしかったと 
「あの娘」
あのこの化粧を真似たなら
私を愛してくれますか
あのこをたとえば殺しても
あなたは私を 愛さない
「あたし時々おもうの」
わたし時々おもうの
命は いったいどれだけ
どれだけのことを できるものかしら
 
言葉は、危険な玩具であり、あてにならない暗号だ。(中島みゆき

 
3・23
水木悦子『お父ちゃんのゲゲゲな毎日』より
 
 ところで父のクソ話といえば兵隊時代にクソ壺に足を突っ込んだ有名なエピソードがある。その話をするときの父はいつも身振り手振りを加えての大熱演。だがじつは日常的にも(毎回、というわけではないが)トイレから出てくるたびにしなくてもいい(してほしくない)報告を身振りを交えてしてくれる。「軍艦みたいなのが出た」とか、「お父ちゃんの腕くらいのだった。エラかったよ(すごかったよ)、倒れそうになった」など、それを食事中に発言したりするので本当に困る。
 
3・23
『紫式部日記』(与謝野晶子訳)より
 
 殿様は自分の部屋へお出でになって、几帳の上から女郎花をお見せになった。美しい御風采に対して、昨夜のままで作らずにいる自分の顔が恥しくて、
 
『和泉式部日記』(与謝野晶子訳)より
 
 和泉は情人の為尊親王のお斃れになった歎きのなかに身を置いて、明けても暮れてもただ人生のはかなさばかりが思われた。翌年の春が来り去っても、まだ和泉は傷ましい胸をそのまま抱いていた。
 
3・25
小高根二郎『薄田善明とその死』より
 
 不発徒と知った善明は、拳銃を持っている右手を水車のように廻しながら、さらに築山に向って走った。それは追手を防ぐ動作とも、二重装填を解く所作ともとれた。二間ばかり走ると立ち止まり、再び筒先をコメカミに当てて引き金を引いた。今度は成功した。中尉の身体がくるりと右に旋回すると、一尺ばかり血汐を吹き上げながら、ねじれて熱い大地にどう! と崩折れた。けいれんする左手には、遺歌を書いた一枚の葉書を、堅く、堅く、握りしめていた。内野中尉の記憶によると、「日本のため、やむにやまれず、奸賊を斬り皇国日本の捨石となる」という意味の歌だったという。これが薄田善明の最後だったのである。
 
3・26
三島由紀夫『林房雄論』より
 
 氏の人間としての魅力が只事ではないので、私の目はおくればせながら氏の作品のほうへ移って行かざるをえなかった。すると氏の大半の作品は、一見、嘘のようにからりと晴れた空の色を持っていた。それは氏の人間のわかりにくい魅力と比べれば、かなり平明すぎる嫌いがあるのだが、一度でも私は、氏が決して告白をすることのできない作家であることを忘れたことはなかった。
 
3・28
林房雄『獄中記』より
 
 徳馬大兄。
 あと百日というところまで漕ぎつけた。いろいろと出てからの楽しみが眼の前にちらつきはじめたが、やあといって、君と握手することも、大きな楽しみの一つだ。
 
保田與重郎『日本の橋』より
 
 銘文はこれだけの短いものである。小田原陣に豊臣秀吉に従って出陣戦没した堀尾金助といふ若武者の三十三回忌の供養のために、母が架けたといふ意味をかき誌したものだが、短いなかにきりつめた内容を語つて、しかも芸術的気品の表現に成功してゐる点申し分なく、なほさらこの銘文はその象徴的な意味に於ても深く架橋者の美しい心情とその本質としてもつ悲しい精神を陰影し表情してゐるのである。此岸より彼岸へ越えてゆくゆききに、ただ情思のゆゑにと歌はれたその人々の交通を思ひ、それのもつ永劫の悲哀のゆゑに、「かなしみのあまりに」と語るこの女性の声は、ただに日本に秀れた橋の文学の唯一つのものといふのみでなく、その女性の声こそこの世にありがたい純粋の声が、一つと巧まなくして至上叡智をあらはしたものであらう。教育や教養をことさら人の手からうけた女性でもあるまいが、世の教養とはかかる他を慮らない美しい女性の純粋の声を私らの蕪れた精神に移し、あるひは魂の一つの窓ひらくためにする営みに他ならぬ。三十三年を経てなほも切々尽きない思ひを淡くかたつてなほさらきびしい。かかる至醇と直截にあふれた文章は、近頃詩文の企て得ぬ本有のものにみちみちてゐる。ははの身には落涙ともなり、と読み下してくるとき、我ら若年無頼のものさへ人間の孝心の発するところを察知し、古の聖人の永劫の感傷の美しさを了解し得るやうで、さらに昔の吾子の俤をうかべ、「即身成仏し給へ」とつづけ、それが思至に激して「逸岩世俊と念仏申し給へや」と、「このかきつけを見る後の世の又後の世の人々」にまで、しかも果敢無いゆきずり往来の人々に呼びかけた親心を思ふとき、その情愛の自然さが、私らの肺腑に徹して耐へがたいものがある。逸岩世俊禅定門といふのは金助の戒名である。
 
小林秀雄『梶井基次郎と嘉村礒多』より
 
 「のんきな患者」、これは正月号雑誌の小説中でも佳作であるが、この作に就いては私は述べまい。ただ私は人々が氏の前作を読み、どんな思いで氏がのんきという文字を使いたくなっていつかを知って欲しいと思う。
 
 氏の文体は観察家の文体ではない。飽くまでも倫理家の文体である。倫理的に能弁であり、極度に反省され、警戒された文体である。鍛錬された氏の重厚な一種の名文は、遂に切迫され、倫理感をのせていよいよ歌の様な姿をとって来る。
 
3・29
桶谷秀昭『保田與重郎』より
 
 大東亜戦争の破局に向けて、イロニイとしての日本といふ歌をうたひつづけて、昭和戦前のみづからの文学的生命を敗亡の日のために用意したのが、ほかならぬ保田與重郎自身だつたからである。
 
 ここのところで、保田與重郎の過激な決意が小林秀雄との違ひを際立たせる。
 
今日の文学界を眺めてその悲痛な苦しみを己の中に知るものは、そして僕らの告げるものは時代として文学的態度としての志賀時代の終焉であり横光時代の崩壊である。どういふ文学がいいか、などといふ考え方の破棄である。
 
3・29
堀辰雄『燃ゆる頬』より
 
 私の心臓ははげしく打った。そしてそれをもっとよく見ようとして、近眼の私が目を細くして見ると、彼の真黒な背なかにも、三枝と同じような特有な突起のあるらしいのが、私の眼に入った。
 私は不意に目まいを感じながら、やっとのことでベッドまで帰り、そしてその上へ打つ伏せになった。
 少年は数日後、彼が私に与えた大きな打撃については少しも気がつかずに、退院した。
 
3・30
井伏鱒二『志賀直哉と尾道』より
 
 せんだって私は尾道に行き、そこかしこ寺めぐりをしているうちに、尾道警察署勤務の下見喜十氏に教わって、かつて志賀直哉氏の仮寓されていた家を知る事ができた。その家は「暗夜行路」に書いてあるように、千光寺山の中腹にある棟割長屋のあばら家にすぎないが、「清兵衛と瓢箪」や「児を盗む話」をはじめ志賀さんの幾多の名篇が、この家で構成されたのかと思えば棄てがたいものだと思われた。志賀直哉氏の作品は不朽であるに違いないとしても、記念すべきこの家は軒が傾き壁もくずれ落ち、今にも取払われそうな運命にある。日本文学史の参考品として、これはどうしても書きとめておかなくてはならないだろう。
 
花田清輝『アヴァンギャルド芸術』より
 
 いったい、悪人とは、いかなるものであろうか。一生のうちに、ただ一度でもいいから、本当の悪人にめぐりあってみたいというのが、わたしの悲願だが、どうやら悪人というやつは、そうむやみやたらにどこにでもころがっている安っぽいしろものではないらしく、不幸にしてわたしのまわりには、善人ばかりが、ごろごろしているようだ。むろん、わたしは、善人を嫌っているわけではないが、善人よりも、悪人のほうに、いっそう好奇心をいだいていることはたしかである。
 
花田清輝『随筆三国志』より
 
 少年のころ、かみなりが鳴りはじめるや否や、わたしは、つねにいたたまれないような不安をおぼえた。それは、たぶん、動物的な条件反射のようなものだったであろう。しかし、わたしには、かみなりをおそれなければならない特別の理由があるような気がしてならなかった。なぜなら、中国の童話を読んで、かみなりというものは、かならず不孝者をみつけだして、うむをいわさず、その頭上に、まっしぐらに落ちるきまりになっていることを知っていたからである。
 
3・31
小林秀雄・三木清(対談)『実験的精神』より
 
 小林 あのディアレクティックというものは、やはり非常に害毒を流しているな、哲学界に……。
 三木 あれは探究心をなくさせてしまう危険がある。なんでもあれで一応片付いてしまうから、追求してゆく精神を失わせる。(略)
 小林 例えば、道元をこのごろ読んでいるが面白いのだよ。そうすると、道元の思想を哲学者がね、ディアレクティックに翻訳するのだ、全く偽物なのだ。(中略)手応えがない。手応えというものは道元にある。道元は独立している。蟇みたいに。
 
堀辰雄『聖家族』より
 
 突然、ある考えが扁理にすべてを理解させ出したように見える。さっきから自分をこうして苦しめているもの、それは死の暗号ではないのか。通行人の顔、ビラ、落書き、紙くずのようなもの、それらは死が彼のために記して行った暗号ではないのか。どこへ行ってもこの町にこびりついている死の印。──それは彼には同時に九鬼の影であった。
 
4・3
西村賢太『人工降雨』より
 
「──目をつぶって、歯を食いしばれ!」
 と、以前は彼に投げられていた、克子の言葉をそのまま返すかたちで居丈高に命じ、恐怖の表情で愚直に従っているその中年女に、しかしすぐとは平手を放たずにおくのだ。
 すると、このとき四十二歳の中年女は、やがて薄目を開いて彼の表情を探るように窺ってくる。
 そして、わが子のおもてに元の穏やかそうな色が戻っているのを認めると、いかさも難を逃れたことからの安堵の声で、「立ち直ろう」なぞ、甘な説諭を口にしたその瞬間を狙いすまし、一転、情け容赦のないビンタを頬に炸裂させてやるのである。
 ──その折の異形の快感を、貫多はこのとき僅かに思いだしていた。
 対象となった相手の、痛めつけられる寸前の虚を衝かれた顔付きが、どこか似通ったものであったせいなのかもしれぬ。
 
4・4
坂口安吾『湯の町エレジー』より
 
 亭主が情婦をつれて熱海へ駆落ちした。その細君が三人だか四人だかの子供をつれて熱海まで追ってきて、さる旅館に投宿したが、思いつめて、子供たちを殺して自殺してしまった。一方、亭主と情婦も、同じ晩に別の旅館で心中していた。細君の方は、亭主が心中したことを知らず、亭主の方は、女房が子供をつれて熱海まで追ってきて別の旅館で一家心中していることを知らなかった。亭主と細君はおのおのの一方に宛てて、一人は陳謝の遺書を、一人は諫言の遺書をのこして、同じ晩に、別々に死んだのである。
 
4・5
井伏鱒二『丹下氏邸』より
 
「私らは昼寝したとて、このようにまで叱られるつもりはござんせなんだ。筵の上に寝ころべば寝ころんだとて、何じゃやら私らは、余計に難儀がかかって来るような気がしますがな」
「横道なことをいうな。おっつけ容赦してやる」
 
「私らは、もう安心ですがな。村長さんが、あのように体の外側へ向けて手を振って、役場の役目に出かけてござるときには、もう私らのことを怒ってござらんのであります。私らは、まだこの塀の上から頭がのぞかないほど背のひくい子供のときから、いつもここから見送っておりましたでがす。私らは踏台を持って来て、その上で背のびをして、ありようは早く帰ってござるようにと、見送りしたのでありますがな。(以下略)」
 
4・6
平野啓一郎『三島由紀夫論』より
 
 私が文学というものにのめり込むようになったきっかけは、十代の頃に読んだ三島由紀夫の『金閣寺』だった。その後、読書人として長い年月を経てきたが、後にも先にも、あれほどの衝撃を一冊の本から受けたことはない。それは必ずしも、もっと偉大な作品がなかったことを意味するわけではないが、ともかく、あの一冊との出会いがなければ、私の人生は今と同じではなかったであろうし、また、最初に読んだのが『宴のあと』や『永すぎた春』など、三島の別の作品だったとしても、そこまで心を動かされることはなかったはずである。
 
 私はともかく、華麗なレトリックが駆使されたその煌びやかな文体に魅了され、同時に、主人公の暗く孤独な内面世界に共感した。
 
井伏鱒二『逸題』より
 
きょうは仲秋名月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあわせ
よしの屋で独り酒をのむ
 
春さん 蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿
 
ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ
われら先ず腰かけに坐りなおし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ
 
きょうは仲秋名月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあわせ
よしの屋で独り酒をのむ
 
三好達治『長谷川』より
 
もとこれ三十間の河童ども
栖むに水なき境涯を
頭にベレをちょんとのせて
重きリュックをやっこらさのさ
流れもせまき長谷川に
数もつどいて踊るかな
 
4・9
三島由紀夫『美徳のよろめき』より
 
 いきなり慎みのない話題からはじめることはどうかと思われるが、倉越夫人はまだ二十八歳でありながら、まことに官能の天賦にめぐまれていた。非常に躾のきびしい、門地の高い家に育って、節子は探究心や洒脱な会話や文学や、そういう官能の代りになるものと一切無縁であったので、ゆくゆくはただ素直にきまじめに、官能の海に漂うように宿命づけられていた、と云ったほうがよい。こういう婦人に愛された男こそは仕合せである。
 
小林秀雄『無常という事』より
 
 或る日、或る考えが突然浮び、偶々傍にいた川端康成さんにこんな風に喋ったのを思い出す。彼笑って答えなかったが。
「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出かすのやら、自分の事にせよ他人の事にせよ、解った例しがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」
 
4・10
ポール・ヴァレリー『精神の政治学』(吉田健一訳)より
 
 最初に、最も容易く観察出来ることは、我々現代人の感覚が一般的に不活発になっていて、言わば霧がかかっているということである。我々が敏感であるとは、決していえない。即ち一般に現代人というのは五官の鈍った人間なのであって、周知のごとき騒音をこらえ、嘔吐を催すような臭いや、強烈な、或いは極度に対照的な照明に曝され、神経を間断なく刺戟されている。そして彼にはどぎつい興奮剤や、極度に調子外れの音や、恐ろしく強い飲物や、短時間の獣的な感情が必要なのである。
 
今野勉『宮沢賢治の真実』より
 
 大正十三年二月七日、斎藤は新聞代集金のため花巻農学校に行って、賢治から「永訣の朝」を見せられている。その感動を日記にこう書きつけた。
《若き兄妹の永訣の朝の真情濃やかなる場面に
 我と我身を投じて堪えられぬ感に入った
 青年(注=賢治のこと)は側より〝善し悪しは別です只其通りです〟と語った
 予には発すべき言葉は無かった》
 
4・11
『伊勢物語』より
 
月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして
 
白玉か何ぞと人の問ひし時露とこたへて消えなましものを
 
手を折りてあひ見しことをかぞふれば十といひつつ四つは経にけり
 
つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを
 
呉智英『じっと待たない男』(水木しげるの『ほんまにオレはアホやろか』巻末エッセイ)より
 
 水木さんは、「自分も若い恋人がほしい」と言った。
 長井さんは、大変に女性に人気があった。一九九六年に亡くなった時、柩にすがって百人ほどの女性が号泣するんじゃないかと思われたが、奥様が一人悲しみをこらえていただけであった。しかし、そう予想させるほど女性に人気があった。何かワザがあるような気がして、私はそのワザを盗もうかと思ったけれど、私ごときにできることではなかった。水木さんも似たような思いで長井さんにそんな話をしたらしい。
「作りたいんなら作ればいいじゃないの」
 長井さんが、そんなことは当り前という口調で言う。
「でも、どうやって……」
「若い女の子が沢山いるスナックとか居酒屋とかで、チャンスを待てばいいよ」
「チャンスって、いつ来るんかな」
「そんなもんわからないよ。とにかく、じっと待っているのさ」
「じっとって、どのぐらい」
「チャンスがくるまで、じっとさ」
「でも、いつ来るかわからないし」
「だから、それを待つのさ」
「じっと待っていると、原稿の締め切りがあるんで、編集者が怒るし……」
「だったら、恋人を作りたいなんて言うな!」
 
4・12
谷崎潤一郎『美食倶楽部』より
 
 で、彼等はいずれも美食の為めにあてられて、年中大きな太鼓腹を抱えて居た。勿論腹ばかりではなく、身体中が脂肪過多のお蔭ででぶでぶに肥え太り頬や腿のあたりなどは、東坡肉の材料になる豚の肉のようにぶくぶくして脂ぎって居た。彼等のうちの三人までは糖尿病にかかり、そうして殆ど凡ての会員が胃拡張にかかって居た。中には盲腸炎を起して死にかかったものもあった。が、一つには詰らない虚栄心から、又一つには彼等の遵奉する「美食主義」に飽く迄も忠実ならんとする動機から、誰も病気などを恐れる者はいなかった。
 
太宰治『チャンス』より
 
 よくキザな女が「恋愛抜きの愛情で行きましょうよ。あなたは、あたしのお兄さまになってね」などと言う事があるけれど、あれがつまり、それであろうか。しかし、私の経験に依れば、女があんな事を言う時には、たいてい男がふられているのだと解して間違い無いようである。「愛する」もクソもありやしない。お兄さまだなんてばからしい。誰がお前のお兄さまなんかになってやるものか。
 
4・13
小川洋子『毒草』より
 
 私は扉を開けた。夕焼けが中を照らした。誰かがうずくまっていた。背中を丸め、足を折り畳み、両膝の間に頭を埋めて、仕切り棚と卵ケースのすき間に上手に納まっていた。
「ねえ……」
 私は呼び掛けてみた。ただ自分の声が、奥へ吸い込まれてゆくだけだった。
 私の死骸だ。こんな窮屈な暗い場所で、毒草を食べて、誰にも看取られずに私は死んでいたのだ。
 冷蔵庫の前にしゃがみ、私は声を上げて泣いた。死んだ自分のために泣いた。
 
4・14
L・P・ハートリィ『ポドロ島』より
 
顔を見ると、あらあらしい表情だった。
──おくさんはいますよ。
──どこに? 席にいないじゃないか。
──席にいるわけがあるものか。
 船頭のつぎの言葉は、夢のなかではよくあることだが、ぼくには聞かないでもわかっていた。
──わしらはあのひとが好きになった。だから、殺さなけりゃならなかったのさ。
 ゾッとして、目がさめた。
 
 とつぜん、彼は船尾をはなれて、ぼくのわきへ坐りこんだ。
「最初見つけたときは、まだ死にきっちゃいなかったんです」
 ぼくが口をあけようとするのを、手をあげてとめて、
「殺していってくれとたのまれました」
「ほんとうか、マリオ!」
「あれがもどってくるまえに……そうあのひとは言うんです。それからまた、こうも言いました。あれは死ぬくらい飢えているので、とても待ってはくれないものね……」
 マリオは、顔をよせてしゃべっていたが、声はほとんど聞こえなかった。
「はっきり……聞こえんぞ」
 ぼくはどなった。が、つぎの瞬間には、しゃべらんでくれととめていた。
 マリオは船尾へもどっていった。
「島へもどるとは言いますまいね、だんな」
「行かんとも、まっすぐ漕いでくれ!」
 ぼくはふりかえった。光るような闇が、内海いっぱいを包んでいた。
 
4・16
夏目漱石『二百十日』より
 
「しかし世の中も何だね、君、豆腐屋がえらくなる様なら、自然えらい者が豆腐屋になる訳だね」
「えらい者た、どんな者だい」
「えらい者って云うのは、何さ、例えば華族とか金持とか云うものさ」と碌さんは、すぐ様えらい者を説明してしまう。
「うん華族や金持か、ありゃ今でも豆腐屋じゃないか、君」
「その豆腐屋が馬車へ乗ったり、別荘を建てたりして、自分だけの世の中の様な顔をしているから駄目だよ」
「だから。そんなのは、本当の豆腐屋にしてしまうのさ」
 
4・19
川上未映子・村上春樹(対談)『みみずくは黄昏に飛びたつ』より
 
──あと、今度のご本でも触れておられたキャビネットの話、イメージとしても素晴らしいですね。村上さんの中に、たくさんキャビネットがあるんだと。
村上 そう、自分の中に大きなキャビネットがあって、そこに抽斗がいっぱいあるんですよ。
──それに関連して引いていらっしゃる、ジョイスの「イマジネーションとは記憶のことだ」という言葉も興味深いです。意識したものも意識しなかったものも、一塊ずつ、それぞれキャビネットにどんどん入っていく。そこで肝心なのは、書く人も書かない人も、実はキャビネットをちゃんと持ってるということだと思うんです。
村上 みんな持ってますよ、けっこういっぱい。
 
4・21
川崎修『ハンナ・アレント』より
 
 アレントは一貫して、パレスチナにおけるユダヤ人とアラブ諸民族の協調関係の確立のみがユダヤ人の故国を確実なものとすること、また、パレスチナのごく小さな単位への分割はせいぜい紛争の固定化にしかならないということを見据えたうえで、ユダヤ人の民族国家としてのイスラエルに固執することは、かえってこの地域でのユダヤ人の故国の発展を阻害すると主張していた。
 アレントは、現存するイスラエル国家には、おおむね批判的であった。しかし一方では、一九六七年の「六日戦争」の勝利の際には熱狂的に喜んだとも伝えられている。また、一九七三年の第四次中東戦争においてはイスラエルの敗北を心配し、イスラエルへの強い支持を表明していたという。そこには、ユダヤ人の故国をなんとしても守りたいという、理屈を超えた感情がうかがえる。
 
三浦綾子『わが青春に出会った本』より
 
 私は、作家なる者が自殺することがあるとは、実はその時まで思ってもみなかった。作家には、作品の中で、人を殺したり、自殺させたりすることはあっても、自分が死に追いつめられることはないと、なぜか私は漠然とそう思っていたのである。書くという作業が、一つの逃れ場であると、私は無意識のうちに見ていたのかも知れない。
 
4・23
谷崎潤一郎『「門」を評す』より
 
 僕の友人に「八百蔵の声を聞くだけでも、歌舞伎座は他の芝居より有難い。」といった者がある。僕もそれと同じように、「先生の文章を見るだけでも「門」は他の小説よりも有難い。」といいたい。
 
 先生の小説は拵え物である。しかし小なる真実よりも大いなる意味のうその方が価値がある。「それから」はこの意味において成功した作である。「門」はこの意味において失敗である。
 
江戸川乱歩『芋虫』より
 
 時子は、さっきまで不具者の寝ていた枕下の所の柱を見つめて云った。
 そこには鉛筆で、余程考えないでは読めない様な、子供のいたずら書きみたいなものが、おぼつかなげに記されていた。
「ユルス」
 時子はそれを「許す」と読み得た時、ハッと凡ての事情が分ってしまった様に思った。不具者は、動かぬ身体を引ずって、机の上の鉛筆を口で探して、彼にしてはそれがどれ程の苦心であったか、僅かに片仮名三字の書置きを残すことが出来たのである。
 
4・25
武者小路実篤『馬鹿一』より
 
「こんな石が往来に落っこっていたが、君にどうかと思って拾ってきた」と言って渡したら、馬鹿一は丁寧に、
「どうもありがとう」
 と言って貴重品でも受けとるように受けとって、いろいろの面をいろいろの角度から見つめて、黙っているのだ。あまり熱心に見ているので、こっちはますます気がひけてきた。しかし馬鹿一がなんと言うか。好奇心で僕も黙って見ていた。
「こういう詩ができたよ」
 と馬鹿一は言って、紙切れに鉛筆で詩をかいて見せた。
「おまえは道ばたに落ちていて
 詩人の処にゆきたいと願っていた
 すると一人の男が来て
 おまえの無言の言葉を聞いた
 そしておまえを拾って
 詩人の処に持って来た
 おまえは無言で喜んでいる。
 そして無言で詩人にお礼を言ってくれと言う
 おまえをここまで運んでくれた人に。
 おまえはついに詩人の処に来た
 おまえはついに安住の地を得た
 千年たつと、お前は宝石に化するであろう」

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