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みにくい順子の子

自分のためにブログを書く必要があると思いnoteを開設した。私の73歳になる母親、順子について書く必要がある。順子について考えを整理する必要が私にあるのだ。

48歳になり子育ての経験を通してようやく母順子には何らかの決定的な障害があるとわかりはじめた。それは外側からは判別しがたいもので、だから順子の障害は誰にも認知されずにきたし、彼女の「しょうもなさ」は彼女を母親として共有した私と兄にしかわからないことだらけだ。

私と私の兄は10代、20代で精神障害を負った。兄弟は遺伝的要因が絡み合うし、精神疾患は若いうちに発症するのも珍しくないし、兄と私に問題があると思ってきた。父は「お前たちはお母さんの犠牲者だ」と呪文のように言い続けてきた。最近ようやく父の言葉が身に染みるようになってきた。

順子はやばい。順子のやばさが侵食して身動きが取れなくなったのが兄と私だった。毒蜘蛛のように我が子をがんじがらめにして捕食するような生き物だ。順子は平気で噓をつく。

思えば私の最初の就職の時、仕事が終わる19時ごろを見計らい毎日順子から電話が鳴った。「母さん、お父さんと離婚するから!もう限界!DVよ!」私は新卒で入社したてで、一人暮らしをしていた。経済的支援もなく自分のことで精一杯だった。6時に起床し朝ごはんを食べて弁当を作って、スーツをきてバスや電車に乗って2時間かけて職場へ行く。右も左もわからない職場で8時間慣れない仕事をして疲弊していた。順子はそんなことは一切お構いなしだ。3か月ほど凄まじい夫婦喧嘩の仲裁に入り、実家の家財道具がすべて夫婦喧嘩で破壊された。電話もテレビも壊れていた。実家が戦場のようになり混乱して兄は入院した。同時に7月飼い犬が死んだ。私は鬱病と診断され仕事を休職、その後退職した。母は私のアパートに転がり込んできた。順子は暫くしたら自身の暮らすアパートを借りた。それから5年以上両親の別居が続いた。

思い返せばその騒動までの10年近く順子はおそらく不倫をしていた。職場の上司とW不倫をしていた。仕事を理由に毎日朝4時ごろに帰ってきたり、仕事を理由にお泊りもあった。仕事を理由に家事なんて一切やらなかった。私が大学を卒業する時、順子は47歳で博打に出たのだろう。上司との新しい生活を夢見た順子はDVだと叫びながら慰謝料を父から貰おうとしていた。順子が慰謝料を払う側なのにだ。順子が用意したアパートには上司が入り浸っていた。

48歳になった順子を突然くも膜下出血が襲った。私は24歳になり看護学校に入学していた。運がいい順子は開頭手術の後、後遺障害もなく職場に復帰できた。が、多分上司との恋愛関係に亀裂は入った。まぁ中年の順子は遊ばれ棄てられた。

そのころ「死に損なった」が口癖の順子は誘われるがまま、崇教真光の信者となった。順子は勧誘に滅法弱くエホバの証人にもアムウェイにも手を出したことがある。新聞の勧誘は必ず契約する。順子は右も左もわからないのだ。

教団の指導者の𠮟責で、順子は父に土下座し復縁した。

そして、私も崇教真光に半分拉致みたいな形で入信した。人生の歯車がもっと悪い方へ動き出した。私は27歳で看護師になりたてだった。

いま、順子は73歳、いまだに崇教真光の信者だ。(つづく)


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