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協賛者を募ることと格闘する

最近作った自己紹介冊子には執筆活動の協賛を募集するページがある。書かれている内容は上URLに記載してあるものの転載といえる。読めばわかるように、「執筆をつづけたいが経済的に厳しいから支援が必要」と一言にまとめられるものを、何やら大層な理屈を並べている。もっとも書いていることは嘘ではない。調べ事は無償で公開したいと言いながら経済的な支援を募ることは矛盾しているようだが、自分に正直になってみれば、そうでなければいけない。

こんなことを悩む前に、そもそも実際に無償で公開できていない部分があるではないか。たとえば『FEECO』などの出版物は割と安くない値段を付けている(個人の感覚です)。せめてものの抵抗でこれをzineと「自分では」呼んでいないが、ただそれだけである。

値を付けて売ることそのものを否定しているわけではない。他人がやっていても、気にせずに(余裕がある時は)払う。クラウドファンディングも然り。しかし、自分のこととなると途端に難しくなる。自分の仕事をみくびっていいことなどないはずが、こと告知となると消極的になる。協賛や寄付という表現に頼るのは、単に自分が売ることを拒んでいるだけに過ぎないのかもしれない。

先月に協賛を3回いただいたので、ヘッダー画像のような簡易メンバーシップカードを作り、各協賛者さまへ送付した。12000円以上を協賛してくださった場合は、振込日付から1年間、新旧の制作物(自主発行のものに限る)を確保でき次第こちらから郵送する。リターンがあるから正確には協賛じゃない気もしてきたが、今のところは自分ができる対応としてはこれ以外にない。
新しい制作物を発行できるのは、多く見積もっても年に二つ。2023年現在では夏にビデオゲーム本、秋のはじめごろにもしかしたらイラスト集、来年初めくらいにディスクガイドをそれぞれ1冊ずつの予定。
自主制作以外の活動、たとえば商業出版関連の仕事は、『ナース・ウィズ・ウーンド評伝』の英語版がもしかしたら1年以内に出るかもしれないが、これも執筆部分の作業しか進めていないので約束はできない。このように見通しの悪いスケジュールのうえ、私生活などの事情でどれだけ変わるかもわからない。ある程度の揺れを許容した上で支援してもらうから、やはり協賛とした方が正直に思える。

過去に「芸(文化的なもの全般)は共有財産みたいなもんだから、そのために手を汚して働け」と釘を刺された経験があり、真に受けているわけではないのだが、引っかかったことも事実である。だから、どうしても売文という行為に悩む。自分程度の規模の人間にはできないことだが、公金を引っ張ってくるという手段は、自分の書いている対象に興味がない・無関係な世界に生きている人間が等しく払っている税金から横取りしているようで夢見が悪い。現に公金にたかる催しなども多いはずだ。

金を出しても良いという人間に対して確実にリーチし、訴求するブツを作っていけば自然と人が集まる気はしている。しているだけで、それをどう実現させるかまでは考えが及んでいない。できるはずだし、している人はいるはずなのだ。メッセージでも何でもいいので、何か運営方針に助言をくださる人がいれば、個人サイトでもここでも何でもご教授ください。あんまり批判的な内容は言われるとヘコみますが。


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