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5/25(土) あなたの聴かない世界特別編に向けてのメモ①

5/25土曜日、大久保BUENAにて開かれる「あなたの聴かない世界」特別編に登壇します。テーマは西海岸フリンジカルチャー≒同地発祥のカウンターカルチャー(フラワームーヴメントなど)の反動。主なトピックはボイド・ライスと欧インダストリアル~ネオフォークの交誼や、ボイドが本物すなわち獣と讃えたアントン・ラヴェイとタイニー・ティム、さらにサムの息子事件や英サタニック・パニックの、これまた反動として表出したオカルト的表現など。持田保さんと宇田川岳夫さん達士2名の横で恐縮ですが、いろいろ話せればと思います。当noteではイベント当日までにいくつか記事を更新予定。

私的な関心事としては、ボイドが主張し続ける魔術としてのプラグマティズムが奇妙な説得力を持つことにある。あくまで個人のためのものであり、時代や特定の共同体、属性といった抽象的かつ広大な範囲に対して機能するものではない。アントン・ラヴェイの言葉を借りれば、サタニズムにおいて実権を握っているのは他ならぬ我々であり、サタンが求めるのは懐疑と合理的探求である。ゆえに「唯一の鍵」といった救世のヒントを求める人とサタニズムは相いれない。
サタニズムは根底に巨大な規範=キリスト教義への反抗を燃料としているため、その挑発的性格が強調されがちだ。ここには反転したイデオロギーへの依存が見てとれるのだが、わたしは(キリスト教圏外で生まれ育ったおかげもあるが)「たった一つの自由はNOということだけ」というVale(RE/Search)言葉を体現する生き方としてのサタニズムに注目したい。それはパンクよりも早かったDIY精神と言い換えてもいいはずだ。もっともボイドはパンクおよび若者が主体のカウンターカルチャーというものを根本的に否定しているが。
 『FEECO』4号で、わたしはこの無頼で孤高な姿勢に阿佐田哲也こと色川武大との近似を指摘、というか強引に繋げた文章を書いた。高校時代に教師(大人)たちに反発した勢いで学校を中退し、音楽やジャーナリズムに時間を費やしつつホームレスとなって墓場で寝ていたこともあるボイドと、勤労学生期間にガリ版刷り同人誌を作っては教師に非国民扱いされ、終戦後に闇の世界の少数派として生きた色川は似ている。
色川が主張する「運」と「力」の関係とは、どうにもならない事象=運に対し、自らの経験を持って対応すること=力とする経験則の世界である。『麻雀放浪記』といった阿佐田哲也名義によるピカレスク小説はそれが多分に反映されており、ボイドが80年代のサンフランシスコで過ごした荒んだ生活を振り返った半自伝的フィクション『Twiligiht Man』(発行はCold Caveのウェスリー・アイソルド主宰のHeartworm Press)のインモラルでアウトローな世界と共通の色彩を持っている。

 『Twiligiht Man』ではオールドマン(The Old Man)という賢者的存在が主人公=ボイドと接触する場面がある。このオールドマンのモデルこそがアントン・ラヴェイであった(それは永井荷風がエッセイに登場させて讃えた神代帚葉翁こと神代種亮がごとくである)。知識ではなく経験として記憶された80年代サンフランシスコの風景は、ボイドとラヴェイの獣的思考に拍車をかけた。治安が悪化し、隙あらば銃を突き付けられる西海岸のアウトサイドは、愛を広げることの限界を彼らに改めて教えたのであった。


『Twilight Man』。80年代後半のサンフランシスコで夜景の仕事に就いていた経験が題材になっている。それは後の記事でも説明する「サムの息子事件」で、夜間の外出が危ないと全米のテレビが報じていた時期と重なっている。


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