昔から歌うのが好きで、幼稚園の時から夢は「歌手」だった。夢みがちで、常に妄想をしているような子供だった。勉強机の上に鏡を置いて、イヤフォンで聴く音楽を自分が歌ってるかのように真似をして過ごした。

両親ともにカラオケ好きで、月に一回はよくカラオケに連れて行ってくれた。(ちょっと恥ずかしいけど給料日だった気がする)  

ただ、私はどうしようもない音痴で、わたしがトイレに行くたびにみんなで『おりえは大丈夫か』って言ってたらしい。
この頃から、歌う人が寂しくならないよう、トイレを高速で済ませる技を身につけ始める。(あまりにトイレが速くて驚かれます)  

小学一年生の頃、毎日一緒に帰ってたお友達に、「おりえちゃん、いっつもあたしが喋ってるとき歌うたってるから一緒に帰りたくない。」と言われ、友達が喋ってる時に歌を歌ったら相手は不快なんだ、と知る。
globeばっかり歌ってた、別に耳は聴こえてるから良いと思ってた。そういうことじゃない。

子供の頃の、知る瞬間の記憶。いまだに同じ温度で、とても色鮮やか。

小学校二年生、姉よりも初聴の曲のメロディーや歌詞を覚えるのが早くて、どうやるん?って言われたこと。
家でなんとなく19の『あの紙ヒコーキ くもり空わって』を歌った時に、姉がびっくりしてくれて、誇らしい気持ちですましてたとき。だらしなくストーブの上に置いた脚とカーテンから見える空の色。
ミュージックステーションで、YUKIが『プリズム』を笑顔で歌ったとき。間奏のたびに、笑ってカメラを見てくれたこと。
音の悪いラジカセでこれまた音の悪いイヤフォンをして、ラルクの『死の灰』を聴いた時の衝撃。
JUDY AND MARYの曲をタイトルなんだろう?と歌詞カードを見て『LOVER SOUL』と頭に入った瞬間のパン!とした音(確かに聞こえた)おそらく閃光のようなもの。
疲れて歩く帰り道、イヤフォンからチャットモンチーが流れて前を走る自転車がスローモーションに見えたこと。
その、恋をした瞬間みたいな景色。

日常に溢れる音楽、誰かの動きで、私はずっと生きている。ずっと何かを夢見て生き続けている。美しい記憶。

家で変わらず音楽を聴いてて、私がやりたいなって手のひらが冷たくなる。生かされてるわぁと感謝する日々です。
誰かの頭の中で、わたしの脳みそと同じように、とびっきり色っぽく、どろどろに、なればいいのになぁと思う。


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