心理学の限界【科学では証明できない領域の世界】
ノブです。心理学と科学が好きです。
その2つをする上で面白い科学のジョークがある本であって、うっかり全身が痺れてしまったのでご紹介します。
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思い浮かべてください。
真っ暗な道があって、ずぅっーと先に街灯が一つ。
その途中で人が1人分入れる程度に照らされた場所があり、中心に膝と手をついた人がいます。
「どうしたんですか?」と尋ねる。
「カギをなくしたんです。」
どうやら、かなり困っているようです。
真っ暗なうえ、寒くなってきているため気の毒なので一緒に探すことにした。
効率よく探すため、また尋ねる。
「ちなみに・・・。どのあたりで無くしました?」
遠くの方を指差し答える。
「ここから100m先でなくしました。」
「・・・なら、なぜここを探しているんですか?」
「ここしか見えるところが無いからですよ!!!」
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このジョークに共感しながら全身が痺れてしまったのです。
ー 科学とは、実験と観察による客観的事実のことですよね。
「○リットルの水に◯ジュールの熱を加えると○度になる。」
これは日本とブラジル、地球の反対側でも同じ結果になります。
もちろん宇宙の、隅と隅で検証しても同じです。
これってすごいですよね。
ー 進化論を学んでも、進化の過程を観察することが不可能のため、進化論の証明は現代科学では不可能です。
「人間の知能の作り方は進化した過程で、環境に有利なことを考えている人が生き残り、環境に不利な人が優先的に死んでいったからだ」
これは進化心理学の考え方です。
かなり合理的ですが、科学では観察できませんよね。
タイムマシンが完成したら観察できるので、科学可能です。
現実では過去の記録が石にされていたり、パソコンでシュミレーションできます。
とはいえ、
・人間が猿から人間に進化するときを観察や記録をしていたわけでもないです。
・記録をしていても知的生物が記録しているため嘘をつけます。
・シュミレーションしてもそれは事実ではないですよね。
すべて事実とはいえません。
先ほどのジョークはこの、科学と進化論の奥歯に物が挟まった感じを表現しているんです。
外灯がある遠い場所は現代の知能を持つ、私たちの精神が感じる世界です。
丸い光の中でカギを探すのは「科学で見える光でしか物事を考えられない私たち」です。
私たちの感じる主観的な感覚が、真実でもあるんですが科学では正直いうとその感覚は何もわかっていません。
科学を信じる現代では、進化論は絶対的に証明不可能な領域でもあります。
心理学の本質は進化の過程にあります。
なので、「なぜ?に答えられないんです。」
科学革命が始まってたった400年ほどですが、既に科学の限界に近づいてしまったのかもしれません。
心理学を学んできてよく突き当たる壁は、「なぜそうなるの?」と問われても
「・・・いや、科学できないから・・・。いまの人類の心理の統計で結果はそうなるとしか・・・。」
としか答えられないです。
なので心理学者は常に
「なんでって聞かれても科学答えられないから、哲学で答えるしかないんだよなぁ・・・。いやぁ、肩身が狭いわぁ。」
って状態なんです。
具体的に例えるなら、子供がロマンチックに問います。
子供「なぜ人は愛するの?」
と聞かれて、あなたであれば、どう答えますか?
「愛は美しいからだよ。」といい感じに答えるのが相手にとっての正解だと思います。
とはいえ、子供の重要な疑問に適当に答えるのは人類への悪い投資だと思います。
子供でも相手の未来を尊重して、今までの心理学の知識から合理的に私が納得できている答えをだします。
私「生物が繁殖する上で、愛をする心理の方が数を増やすのに都合が良い知能だったからだよ。人間の愛の心理は繁栄のためです。」
と答えます。
勘の良い子供は言い返します。
子供「それって科学的根拠にはなりませんよね?ただのあなたの解釈ですよね?合理的かもしれませんが、科学で証明できていないので信用できませんが???」
私「ぐぅ・・・。」
ぐぅの音しかでません。
合理的な考え方ですが、科学者としてはこの受け答えは嘘になります。
こんな具合に進化心理学は科学という大きな壁に当たっています。
どうにかこれを超える概念の開発をしなければ、知能を把握することは不可能ですよね。
なので、進化論はSF力(サイエンス・フィクション(科学的嘘))が試されています。
ここが次の人類の進化の重要な知能になる気がします。
関係ない話
最近は農業しています。今日は枝豆を1tくらい2人で収穫してました。
単純作業なので没頭してしまうので時間が過ぎるのがほんの一瞬です。
その時間に読んだことのある本の内容を考えてくっつけています。
これがなかなか面白いんですよね。
記事の内容は大体は農業中に思いついたことをトレースしているだけです。
この記事を書く上で考えていることは、どうやって見る人を魅了するかだけです。
その中でずっと考えていた「正義と悪」についてです。
戦争は悪い〜とか、いじめは悪い〜とか、人を助けることは〜
みたいな具体的な話ではなく、その一歩手前の「正義と悪」の心理ができた理由の話です。
なぜ「人間には善と悪を考えるように遺伝子にプログラムされたのか?」ということです。
人間の心理とは環境に適応できたものの生き残りです。
適応できなければ死ぬだけです。
「うんこ(カロリーが低い)が美味しいと思える心理の人が死に、さくらんぼ(カロリーが高い)が美味しいと思える人が生き残る」
これを1000000年くらい続けることで、私たち人類の脳ができあがりました。
必要のない装備は全てすてます。
「ぶどうは好きだけど、ぶどうの皮に異常なほど固執する性格の人も死にます。」
そのなかで、「正義と悪」という概念はなぜ、装備の解除もされずに2020年の今まで無くならなかったのでしょうか?
これは自論ですが、おそらくフレーム問題に対処するためかと思います。
フレーム問題とは、AIがよく対面する問題です。
もし「このりんごをあっちの皿にやって。」と言われたらどうするでしょうか。
人間ならこう考えます。
「りんごと皿は食べるためにあるので、皿に移すのは食べるためだから、あの皿におくべきだな。」
AIならこう考えます
「りんごとは赤い果実でこれ。皿に移すべきであるが、食べるとは限らないし絵に書くかもしれないため、良い皿を用意した方がいいだろうか?良い皿とは白い皿か?食べるためならあの皿だけど〜他の可能性もあって、もしかしたら犬にあげるためかも〜・・・・・・。」(長考中)
AIはこれでいいかもしれませんが、人間は10秒も天敵を目の前にして固まっていたら即死ですよね。
これに対処するために、思考を重要なところに絞ってしまうようにできたのではないでしょうか。
敵が目の前に来た? → とにかく逃げろ!
このようにして進化しながら人間の知能が出来上がったと仮定します。
そうすると、おそらく人間は多くの問題を克服できないで絶滅する気がします。
とはいえ、人間が絶命したとしても他の種の知能が発達して人間を超えてしまえば問題はないのでいいのかもしれません。
正義と悪という概念は小さい枠組みで物事を捉えるための、一つの正論でしかないと私は考えます。
これが正義なら、この小さな正義はもういらないと思います。
多様性が注目されていますが、これがその小さな知能を克服する進化の分岐点かもしれません。
これもSF力が重要ですね。人類がこれからどう動くのか楽しみです。
空想は知識より重要である。
ーアルベルト・アインシュタインー
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