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「代官山駅前の”これから”を考える」-意見交換会- 2月14日

昨日はこちらにおりました ↓ 

個人的に聞いていた際に感じたことや、今まで聞いたこと代官山駅前の印象を覚書として書きます。

私は一時期、東西線の浦安駅から代官山へ1時間15分かけて通勤してました。
通勤の駅は恵比寿駅で駒沢通りを通って通勤していたので、代官山駅は使ってなかったんです。

代官山駅の印象は一時期、代官山コンシェルジュの集合場所のケースが多くて、なんとなくワクワク感が強い場所。駅というより集合場所のイメージなんです。

昨日のお話あったけど、正面口でてアドレスの方に行く際に、坂に桜の木が1本あっていいなぁ〜と思ってましたが、ある日バッサリなくなっていて衝撃を受けました。あったものがなくなるってインパクト強くて今でも昔のPCにその写真残してあると思います=探せば出てくる気がします。
そこからの「公園のような駅」というのが印象的でした。ほんと、駅降りたら公園だったら嬉しすぎます。

印象的だったのは、変化前提で「どうなって欲しいか」の話を進めるにつれて「過去」の話が蘇ってくること。未来の話のはずが、過去に囚われてしまうのは自分としても不思議な感情でした。その過去の部分をひとつ横に置いておいて、言い換えて「どんな?」風になってほしいか・・・を考えても「こうなってほしくない」が沸々と出てくる不思議。(私自身のことで意見があったわけではないんです)

温故知新というか原点回帰というか・・・

昔、何かのワークショップで「他の街(例えば近くだと渋谷・中目黒・恵比寿)から代官山エリアに入るとホッとする」とお話する方に出会って「わかるっ!」って、首折れるくらい頷いたことあります。

ホッとするというか、息苦しくないに近いかな? 混んでいる場所が苦手な私からすると、渋谷も中目黒(時間帯によるけど〜)ちょっと気を張ってないと、ドッと疲れちゃう時ありまして、蹲りたくなる人混みってやや苦手。

同じイメージで視界に入る情報が多いのも、疲れる要因だと思う。

代官山は確かに看板がないわけではないけど、視界に入るというかインテリアなどのフォーカルポイントみたいな場所に緑だったり、空だったりというか、余白的になんでもないというか・・・ある意味、用途不明みたいなものがあったりしてホッとする。例えばベンチっぽいものがあって、それに座るかというと座ったりはしないけど、それがあることで空間の密度が違ってて・・・うまく説明できずもどかしいのですが。。。

空が広い理由は、高層であるなしに関わらず、抜け感的「何か?」なのかなとも皆さんのお話を聞いていて感じました。

「住まう場所」「ヒューマンスケール」「審美眼」「様々なプレイヤー」という言葉が印象的でした。

ここでも「らしさ」について、お話ありましたが私自身このnoteで「らしさ」わからなくて書いていたりもあり、ファシリティターから「らしさ」は人それぞれなのでそれを皆で話すことという言葉が投げかけられました。

その際に、最近引越で代官山に住まう方が「回遊性と個性ある路面店を!」という意見があり、私も当初、代官山コンシェルジュや代官山ステキな街づくり協議会に入った際に話題に上がった言葉が、繰り返されており「似てる価値観の人が集まる」ことも、これも不思議なことだなぁと感じてました。一度はそう感じ、自身で街歩きをしだして、街に愛着を感じていくものなのかな? と他の方の発した言葉で昔の自分を思い出したんです。

劇場型(過度な面白み?)でなく、暮らす人にとっての小さな幸せである個性ある路面店や日常の延長見える喜びを感じる景色、心が豊かになる緑や公園のような風景、暮らしの中での困りごとが解消される事柄(銀行ATM・車両一方通行 等)などを感じました。

最後に「熱量ある場」という言葉も印象的でした、元々この集まりのきっかけもモトヤコーヒーさんとその常連の皆様の想いからスタートした流れですし、「いい風(流れ)がふいている」という言葉も意味深く感じました。


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