役に立つこと
それが何の役に立つというのだろうか?
それが何の得になるのだろうか?
何の役にも立たないことを
何の得にもならないことを
なぜそんなに夢中になってやれるのか。
やれていたのかを考えていた。
それとも
何かの役に立つと想って、
何かのメリットがあると想って、
それをやっているのだろうか?
何の役にも立たないことを
何かの役に立つと想って・・・
そういうことじゃないのか?
ただ純粋に楽しんでいるのか?
それとも
「正しい」からやっているのか?
それとも
何かの仕返しのためにやっているのか?
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息子が
ルービックキューブを夢中でやっている。
何が楽しいのかわからない。
同じ色で面を揃えることが
難しいのはわかる。
同じ色で面が揃うとそれは
嬉しいことであり、
誇らしいことであり、
喜ばしいことなんだろう。
「すごいね〜」
と言う。
「どうやってやるの?」
と聞く。
いくつか息子から
説明を受ける。
そこに価値を感じれない僕は、
集中が続かない。
何が面白いのだろう?
物理が、物の理が通っていくのが
心地好いのかもしれない。
頭の体操になる。とは聞く。
ルービックキューブに夢中になって
考える力をつけることは
「良いこと」だ。
と、昔から大人、社会から聞いていた。
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子どもの頃は
確かに夢中になれた。
面が揃うことに
「すげー!」
って本気で感心した。
そして
同じ高みを目指す仲間が、
ブームとなるべく同級生がいた。
でも、僕は頭が悪かったのか、
夢中になりきれなかったのか、
考える力が足りなかったのか、
謎は解けないまま、
「誇り」を手にすることがないまま、
幼い、成長の時を
通過していった。
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少年時代、
やはり僕も少年だったので、
「釣り」に興味があった。
父親と川に行くのが好きだった。
高学年、中学生になって、
友達と、ルアーで
ブラックバスを釣りに行ったりもした。
僕はこれも苦手だったぽい。
まず、針と糸を結ぶのが不器用で、
ようやく仕掛けが完成したかと思えば、
「そろそろ場所を変えようぜ」。
よーし、次の場所から僕も釣るぞー!
で、3分で根がかり。
糸を切って、
また新たな仕掛けを
不器用に結び直す。
そんな時間を繰り返しては
夕暮れ・・・。
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でも、それらの過ごした少年時代の時間は
嫌いではなかった。
そこにある「自然」、
不法投棄のガラクタ、
草むらを探検、
季節の匂い・・・
「在るもの」を味わっていた。
その「在るもの」を
どうやって味わってやろうか・・・?
同じ時を過ごしながらも
僕ら一人ひとり、
感じ方、見ている世界が違うのだろう。
僕はそのまま思春期に入り、
その匂いに触れたい欲求を
「詩」で描いて
満たそうとする手段を
取るようになった。
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また、もうひとつ、考えがある。
当時、千葉の工業地帯で育った僕にとって、
川へ行って「釣り」をすることは
「キャッチ&リリース」が基本だった。
釣っても食べることが出来ない。
ヘドロのような川しか、
近所にはなかった。
もしこれが
綺麗な清流の田舎町で生まれ育っていたら・・。
釣ったらそれを食べることが出来る。
生きるために「役に立つ」行為と変化する。
それならば、
釣った魚が食べられるならば、
それを理由に、
僕はもっと「釣り」に
価値をおけたのだろうか?
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役に立つならば、
その行為の「価値」は
もっと上がるのだろうか?
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「音楽」をしている。
ずっとやっている。
中学1年生の時に、
思春期の不思議な感情を
どうやって処理しようか・・・
という、
今、分析すると
そういうきっかけなんだったと思う。
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何の役に立つのだろう?
何か役に立ったんだろうか?
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思春期の感情の処理、整理には
役に立ったのかな?
少なくとも
役に立つと想って、
役に立てようと想って始めた行為なんだと、
今、こうやって分析する。
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「音楽」を利用して、
「言葉」を利用して、
漠然としていた
戸惑いや「想い」を
表出させた。
ブルーハーツとか、ロンドンパンクとか、
先輩達に「想い」を重ね、
10代をやり過ごした。
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大人になりずいぶん経つ。
今、「音楽」は
役に立っているのだろうか?
僕の人生の
役に立っているのだろうか?
役に立つ使い方を
出来ているのだろうか?
「役に立つかもしれない」と
想っていた行為は、
本当に役に立つのだろうか?
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何の役に立つと想っているのか。
食い扶持として
役に立つと想っているのか?
人や社会との繋がりのために
役に立つと想っているのか?
「自分」との繋がりのために
役に立つと想っているのか?
世界、人生を理解するために
役に立つと想っているのか?
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それならば、
もっと効率的な方法が、
今の時代、世代、ライフステージに合わせて
あるような気がする。
それらにゲームチェンジした方が
役に立って、
もっと成長やら、健康やら、脳活やらに
便利な方法が・・・。
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実際、
「役に立つかもしれない」
そんなモチベーションで、
音楽を続けてきた。
10代の「自己理解」のための音楽が
役割を終えたかと思うと、
今度は
社会に通ずるため、
承認してもらうため、
和解するため、
利益を得るために
「音楽」を利用しようとした。
それらは
だいぶ勘違いの時間だったし、
行為として、間違った行動をしてきた。
それでもその時は
「役に立つかもしれない」
と想って、その音楽活動を選んできた。
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恥ずかしながら
今だってそうだ。
「ライブ活動」が
あまり役に立たなくなった。
音楽のLIVE体験が
必要とされなくなったのか、
「僕の音楽」のLIVE体験が
必要とされなくなったのか…。
各々のパーソナリティによって
人生の開かれ方は違う。
僕の個人的な見解です。
僕にとって役に立たない
ということは、
みなさんや、世の中にとって
「僕の音楽」では役に立たなかった。
ということだ。
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それは、本当は
わかっていた。
役に立つことをしているとは
想えない。
役に立つことは
僕がずっと僕自身が望み、
役に立てようとしてきた音楽行為
とは違う。
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「僕のやりたいこと」以上に、
人々の「やってほしいこと」に
耳を傾けなければ!
で、耳を傾ける。
ルービックキューブで
6面を同じ色で揃えられたからって、
そんなにみんなに喜ばれることじゃない。
さらに
面が揃うロジックを説明したところで
「なるほどねー」と、
そんなに興味を示してもらえない。
それよりも、
散らかった部屋を
片付けてほしい。
ちゃんと作ったご飯を
好き嫌いせずに食べてほしい。
ちゃんと学校に行ってほしい。
(これは自分軸の意見ではありません)
ちゃんと夏休みの宿題を
片付けてほしい。
(これも僕の声ではなく
一般的に言われてると思われる声です)
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結局、僕らは
役に立とうが、
役に立つまいが、
やらずにはいられないことを
やっている。
正当性を主張しあって、
不当性を罵り合って。
それぞれの立場があって、
それぞれの感覚を用いて。
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自分の感覚を確かめ、
相手の感覚に想いを馳せる。
僕と同じように、
その人は
そこに価値を感じていて、
それをしているんだ。
僕は今、
早朝の公園で
パソコンを開いてnoteを書いている。
昨日、朝起きたら、
息子とポケカバトルをすることを約束した。
暑くなる前に、
畑も耕したいし、
買ってきた網戸も組み立てたい。
役に立つことをしたい。
そして、
何の役に立たせようと想っているのか・・・
レコーディングしたい曲に、
本物のドラムでレコーディングしたい。
というだけのモチベーションで、
ドラムを練習している。
他に役に立つのか?
この歳になって、
新しい楽器を覚えても・・・。
もっと効率のいい、
やり方を優先させるべきだ。
誰の役にも立たない音楽を
いつまで続けるつもりなんだ?
誰かの役に立たせたいんだったら
もっと力を注ぐべきところが
あるだろう?
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こんな自問自答を繰り返しながら、
日々、櫓(オール)を漕いでいます。
今日も
何の役に立つのか、立たないのか。
やらずにはいられない
このモチベーションは何なのか?
自問自答しながら
ツイキャスでのライブ配信も予定します。
noteも最近、
書かずにはいられず、
毎日書いている。
自問として、
何か役に立つのかもという衝動も
あるかもしれない。
でも、音楽するより、
note書いた方が、
アクセスしてくれる人が多い。
なんていう、
ダッシュボードを眺めては、
それがモチベーションとなる。
それを打算的で、
勘違いだろう?
と悶える僕もいる。
アクセスが多い方が
何らかの役に立つと想っているのか?
では、
なんで、
多くの人が望むわけでもない音楽を
いつも、今も
続けようとするのか?
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noteは書くよ。
でも音楽は続けるんだ。
描きたい現実を、
「説明」ではなく「詩」で
紡いでいるから。
やっぱり表に現していきたいんだ。
あ〜!
子ども達が起きる。
ポケカ対戦やりに帰らないと!
うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。