DQ7冒険記②フィッシュベル〜エンゴウ

 どうも!明日やろうは馬鹿野郎というものの、明日やろうと思ってばかりのひらりんです!

 前回に引き続きドラクエ話でも。あらすじ紹介みたいになっても面白くないし、ストーリーは実際にプレイして欲しいので、気になったところとかを書いていきますね。

 フィッシュベルの町は男性が漁に出て、女性は陸で待って家事をする文化なんですね。船に乗りたがっていたマリベルが少しかわいそうな気もしますが、漁って過酷だしなかなか出る幕も無いのかも……
 ちなみに船内料理人も男性でした。

 グランエスタードの城下町では、飲んだくれの主人公の叔父が一軒家に住んでいます。あまり建物が無い中ですごい贅沢……
 実際家賃が払われていないと大家さんは嘆いております。
 って、ゲームの都合上建物が少ないように見えるだけで、きっと本当はもっと家があるんでしょうね。ゲームにおける暗黙のルールです。

 続きまして、石版を使って行ける最初の村ウッドパルナ。DQ7は鬱展開が多いゲームとして有名だと思いますが、初っ端から酷いですね。
 村人から見捨てられた勇者パルナと、怨恨に駆られ魔物に魅せられてしまうその妹。
 せっかく改心をしたところで人間側に戻ることは出来ず、死なないと村人に奪ったものを返せないという筋書。
 改心したのだったらそれでおしまいめでたしめでたし。でいいのに、死なないといけないところが陰鬱さが滲み出ていますね。

 未来においては、パルナの名前すら忘れ去られていて、村名の由来が誰もわからなくなっているのはさらに追い討ちをかけるかのよう。
 よく創作の中では勇者の像を立てる流れがあったりしますが、人々の記憶に残すためにはそういう目立つ史跡が必要なのかもしれませんね。
 日本でも坂本龍馬、西郷隆盛、二宮金次郎などの像がなければ、より今日での印象が薄くなっていたかもしれませんね。

 2つ目に行ける村エンゴウは、ウッドパルナとは違って暗い雰囲気はありません。問題解決中に不安がる村人は見られましたが、前後ではあまり違いがないように見受けられます。
 結局炎の神様を崇めることは変わらない逞しさもありますからね。魔物の発言で炎の神様なんて存在しないのになんて言うのもありましたが、村人の心の安寧を保つには神の存在はきっと必要なんでしょう。宗教ってそういうものだと思います。


 多分アリさんは楽しんではないんじゃないかな、と思うけどちょっと好きだなと思った発言。
 日本人は列をちゃんと守ると言いますが、実際のところ海外の方はどんなもんなんでしょうね。
 そういえば、私はオーストラリアのエレベーターで降りる人に気付かず乗ろうとしたら、キレられたことがあります。何言ってるかはよくわかりませんでしたが多分降りてから乗れって言ってたんでしょうね。

 

 横向きですみません。
 火山の火口に炎を乗っけた帽子を投げ込む儀式なわけなんですけど、使い捨てなのもったいないですね。明言されてはいなかったと思いますが、おそらく年一、二くらいではやってるお祭りなのでしょうから、経済効果もありそうです。よその人である主人公達も参加出来ているし。
 果たして、どんな素材から作られてるんでしょうね。

 しかし現在では、ほむら祭りの風習も廃れ、温泉地となっています。井戸を下って入る温泉って足腰の悪い人にとっては大変なような。湯治には向いてなさそうです。


 ということで、今回はウッドパルナとエンゴウのシーンで思ったことを書いていきました。
 独自の発想で書ければ面白いのでしょうが、そこまで珍しくもないかなあ。
 自分で自分の感性が普通かどうかって判定できないのが難しいところですね。

 それでは、今回もお読みいただきありがとうございました!


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