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六枚道場第五回 感想 グループAからC

第五回六枚道場の感想です。読みきれていなかったり誤解していたりもすると思いますが、自分はこう読んだという以上のものではありませんので悪しからずご了承ください。またネタばれを含みますので、読むつもりだが未読という方はご注意ください。この記事ではグループCまで書きました。残り5グループについては追々書かせていただきます。


グループAはこちら

「ふたばの終わり」

とてもよかったです。恋に恋して、恋愛とは何かよくわかっていなかった少女が成長していく物語。六枚の中に少女の成長に欠かせない要素がたっぷり、でも詰め込み過ぎない程度に入っていて読み応えがありました。何も考えず無邪気に戯れていられた時期は、渦中にあるときはなんの意味も持たないように思えます。かけがえのない大事な時間だったと気づくのは、過ぎてしまって取り返しがつかなくなってから。少女の成長物語に仮託していますが、なんであれ失ったものに気づくのは、過ぎてしまってからなのです。


「秘密基地のチラリズム」

少年と少女の微笑ましくももどかしい恋愛模様を描いた作品。好きなやついるの、と聞いたところで「これ実は(聞いてきた)彼のことが好きなんじゃん」と思いましたが、性急に結論へたどり着かないのがよかったです。ともに過ごした秘密基地が壊され、この関係に終止符が打たれるかと思ったらそうではなく、さらにずるずると?続くのでした。関係は進展するのか、ちょっと気になりますね。

「永遠に」

突然中学の同級生が電話をかけてきて「遺産をもらってくれ」と言う。サスペンスドラマなら同級生は病死ではなく殺人で、主人公は犯人探しに奔走する羽目になるのですが、もちろんそんなことにはなりません。なんかよくわからないやつだった同級生は、結局よくわからないやつで、それでも彼の気持ちはしっかり伝わっているのがよかったです。主人公がはっきりさせたくない気持ちは分かる気がします。でもいつか確認する日が来るのかもしれません。子供たちの学費が必要になったときなどに。結末の5行について、いちばん最後の2行はダメ押しに感じられ、ないほうが余韻を残すと思ったのですが、絶対に宝くじを交換などしない、という意思表示なら、このままで良いように思います。

グループBはこちら

「悶々少年」

思春期あるあるなんでしょうか。ユーモラスに、かつ、「こいつしょうがねえなあ」という共感?を交えながら書いているように思えました。結局本人かどうか分からなかったけど、そこまで含めてこの作品のカラーなのだと思います。関係ないけど、北崎拓さんの漫画『なんてっ探偵アイドル』を思い出して懐かしくなりました。三人組アイドル「トリコロール」の一人が実は同じクラスの地味な女の子だという設定です。女の子たちが謎を解く探偵もの。よかったらぜひ。

「ある人たちには目撃られていた殺人」

これ、怖いですよね。力とか知名度とかで、殺人さえもなかったことにされてしまうのか。というのがまず抱いた感想で、それからひどい目にあっている女の子とその家族に思いを馳せ、もしかしたら彼女とその家族は、最前線で働いている医療従事者や運送物流関係者、飲食業•小売業などに従事する人たちのメタファーかもしれないと感じました。彼らへの扱いがひどいと口にした人たちが、何かの力によって口を封じられていく。そして口を封じられたこと自体、なかったことにされていく。そんな事態への、そして加担した人たちへの、静かな怒りを感じました。

「墨夜」

思いがけない停電を経験して思ったこと、考えたこと。読んでいるとき実際に雷がずっと鳴っていて、いつ停電してもおかしくない状況でした。停電はしなかったけど、いつもの日常が奪われたときに人はなんと無力なんだろうかと感じ、主人公がホッとするまでずっと息止めてました。というのはちょっと大げさかもしれませんが、安心できてよかったです。

グループCはこちら

「水仙王」

面白かった! 文化祭でナルシスを演じることになった高校生の物語。ちょっと不思議な体験をするのですが、それが実は自宅敷地内のあるものと関係しています。通底するテーマは水なのかなと思いました。水だけに?、流れるように話が展開していきます。結末である宣言をする主人公の成長がまぶしいです。

「人間病」

猛威をふるっているウイルスと私たち人間の演じる狂想曲を戯画的に描いた作品だと思いました。面白いです。ところどころ、くすっと笑いながら読みました。私もダジャレが好きなので、すでに罹患している可能性大です。やばいです。でも人間なら誰でも好きじゃないですか?ダジャレ。と思ったときに、ああだから人間病なのかなと思ったのでした。全然違うかもしれないけど。ちゃんちゃん。

「秋月国史談『矜持』」

放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』にからめたお話ですね。土岐頼芸が斎藤道三に美濃を追い出され、妹の嫁ぎ先である近江の六角氏を頼っていたときのことだと思います。「ワシのすべてを奪った」美多の魔蟲といえば、美濃のマムシ、斎藤道三のこと。土岐頼芸は鷹の絵を好んで描いていたそうで、絵を描くのは好きだったわけですが、身を寄せた先で鷹狩りができたとは思えず、手慰みに道三を描いたのかなとも思いましたが、これはやはり自画像なんじゃないか。この美男子は誰かと問われたのは、つまり描いた本人とは似ても似つかぬ姿なわけで、私ですとは言い出せず、破り捨てるため美濃のマムシを描いた、という体にしたかったのかな~と思いました。その辺がタイトルの矜持にもつながるんじゃないかと。深読みしすぎですよね(笑)日本史の知識が余りないのですみません。短いけれど印象に残るお話でした。土岐頼芸の別のお話や、ほかの守護あるいは守護大名の話も読んでみたいです。


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