古賀コン5参加作品「先輩は言った。ユキオに看取ってもらえたらそれで」
「案外元気そうですね」
先輩はベッドに半身を起こし、手には文庫本を持っていた。それを見て、もう本が読めるようになったんだと思ったのだが、先輩はちょっと居心地悪そうにまあな、と言うだけだった。
「何か心配事でも?」
「うーん……」
先輩が文庫本を閉じてベッド脇のテーブルに置いたとき、検温しますよー、と言いながら看護師さんが入ってきた。
「あらお客さん? よかったわね田中さん」
僕に会釈をして、看護師さんは先輩の近くへ行った。余りジロジロ見るのも申し訳ない気がして少し後ずさる。世間話をしながら作業を終えると(当然なのだろうが非常に手際がよかった)、もう一度会釈をして病室を出ていった。
「すごくよくしてくれるんだよ、……なのにさ」
看護師さんを見送っていた僕は反応が遅れ、「今なんて?」と聞き返した。
「いや別に。職場の同僚が置いていった菓子でも食うか」
ほらそこに、と指をさしたが、そこには何もない。先輩は目をこすり、あれおかしいな、とつぶやいた。
「田中さん、怪我したって本当だったんだ!」
「かわいそうに、痛む?」
女性が二人入ってきて先輩を気遣う。だいぶよくなったんですよ、もうすぐ退院で、と、先輩は笑顔で言った。
「でもバイクにはねられたんでしょ?」
「うそ、軽自動車って聞いたよ。バイクだったの?」
はあ、まあ、と言いよどむ先輩に違和感を覚えた。僕が聞いたのは――。
「じゃあね、また来るから」
「でももうすぐ退院だったら入れ違いにならない? 大丈夫?」
退院するのは火曜と決まっていて、少なくとも次の火曜ではないと先輩が言うと、「じゃあ来週の日曜に来るわね、ちょうど一週間後」
すみません、と先輩は頭をさげる。
「いいのよ気にしないで、じゃあね」
手を振りながら二人は出ていった。ベッド脇の椅子に腰掛け、
「先輩をはねたのって、トラックじゃなかったんですか」
ぎょっとした様子で僕を見る。
「バイクとか軽自動車って、先輩、まさかまた――」
「そんなわけないだろ! お前昔から考えすぎなんだよ、ほら食えよ」
どこからか取り出した菓子を僕の手に押しつけ、ふうっと息を吐く。
「せっかく来てくれたのに悪いけど、俺、寝るから」
うなずいて立ち上がり、踵を返すと、病室の入り口に男が立っていた。目が合うとうなずきかけてくる。目つきの鋭さは特定の職業を思い起こさせた。
「安永幸雄さんですね」
身分証明書を提示され、僕の推論が当たっていたことを知る。
「田中昭則さんのことでちょっと」
「何でしょう」
「田中さん、学生時代から当たり屋をやっていたそうですね。ご存じでしたか」
「ええ、と言っても人づてに聞いただけで、現場を見たことはありません」
「なるほど、実は今回もその疑いが濃厚なんですが、被害者と見られる人物が頑なで――」
「頑な、とおっしゃいますと?」
「彼は知り合いで当たり屋などではない、不注意ではねてしまったから見舞いに来るだけだと、何度尋ねてもその一点張りで……」
それを聞いて学生時代のことを思い出した。先輩が当たり屋やってるらしいと聞いた直後のことだ。学内で先輩にまとわりつく女性がいて、明らかに学生ではないのだが親族という感じでもない。どういう関係なのかと尋ねると、困惑したように先輩は言った。
「俺をはねた人の奥さんだよ」
えっ?と驚く僕に、俺だって困ってるんだよ、とつぶやく。
「もらうものもらったら終わりのはずだったのに、しつこく身体は大丈夫か、困ってることはないかって聞いてきてさ」
ふうっと息を吐く。
「でもこんな風に心配されるのも悪くないって、思っちゃうときもあるんだよな……」
いやいや、冗談冗談、と先輩は笑い、
「俺はさ、ユキオがいてくれたらいいよ。ユキオに看取ってもらえたらそれで」
縁起でもないこと言わないでくださいよ、とそのときは言ったのだが、まさか、先輩――?
けたたましい音が鳴る。先輩の病室からだ。慌てて様子をうかがう。
「田中さんのご親族の方はいらっしゃいますか」
刑事たちと顔を見合わせ、覚悟を決める。
「親族ではありませんが友人です。万一のときは頼むと言われてました」
医療スタッフはうなずき、
「午後5時12分、息を引き取られました」
ああ――。
刑事たちはやりきれないといった顔で頭を下げ、病院を出ていった。
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