STANDARD編集記②/カミングアウト
官邸前抗議以降の、レイシストに対するカウンターや、秘密保護法反対運動、安保法制反対運動、反安倍の抗議行動などは、基本的に時系列で追っていくという漠然としたイメージを持っていたが、一つだけこの映画にどうしても必要不可欠なシーンがあった。
それは、少なからぬセクシャルマイノリティーが震災以降に声を上げていたことを象徴するシーンだ。
彼らは反原発デモでは「子供を守れ」と、カウンターでは「ザイトク帰れ」と、反安倍抗議行動では「安倍はやめろ」と声を上げ続けてきた。
それを象徴するシーンがどうしても必要だった。それこそが「STANDARD」を「STANDARD」たらしめる大きな要素でもあった。
そこで閃いたのが、あるインタビュイーの一人がカミングアウトするエピソードだ。
映画の途中までそのことを明かさずに見せることで、セクシャルマイノリティーがもう既にあなたの隣で生きているということを感じ取ってもらえるようにした。
大まかな展開が見えた時点で、主要なシーンの劇伴音楽についても検討を始めた。多分その作業をし出したのは2016年の4月ごろだったのではないかと思う。
まず最初に取り掛かったのは官邸前抗議のシーンだ。ここに関しては最初から構想があった。
自分が10代の時に観た映画で、3時間半近くテンションの高い音楽が流れっぱなしの群像劇があって、その映画が自分は大好きだった。
その映画のある場面で、それぞれの登場人物が人生の難しい局面に直面するシーンがあって、そこで流れる音楽にとても影響を受けた。
これまで生きてきた中で培ったきた何かが変わってしまうような重大な瞬間というものが人間にはあって、それは後から振り返れば人生の分岐点であり、もう元には戻れないことを意味している。
ここで何かが変わったんだ、決壊したんだ、ということがはっきり分かるシーンにしたかった。
ストリングス風の楽曲になったが、劇伴用にオーケストラにお願いするような予算はないので、なるべく生っぽく聞こえるようにエフェクトを工夫した。
そのほかのシーンでは、震災前まで自分が取り組んでいた、極私的な音楽制作の中で生まれた素材を改めて引っ張り出すことにした。
カミングアウトのシーンで使われている曲は、「After The Parade」というタイトルをつけていた。約10年前だ。
その頃は当然デモなんか参加したこともない。ここでの「Parade」とは姪っ子たちとUSJか何かに行った時に見たパレードのことだ。
当時は自分がゲイであるということに今よりも迷いがあったし、自分は将来子供を持ったりすることはないだろうと思っていた(このままいくと子供はおろか恋人すらできなそうだが)。
そんな最中に、パレードを心から楽しんでいる姪っ子たちの姿を見て、この子たちには将来どんなことがあっても無事に生きて欲しいと思いながら作った曲だ。
すぐにこのシーンにぴったりだと思った。劇伴用に録り直した。
2016年の5月には、ECDさんにもインタビューをした。
ECDさんとはそれこそ何度も顔を合わせているはずなのに、2012年の官邸前の時に会釈して握手をしたり、2013年の新大久保で二、三言会話をした程度しか接触がなかった。
その新大久保での会話も確か「さっきあの辺にゴールデンボンバーみたいな一団が歩いていて…」というような、至極他愛ないものだった。
だから最初は声をかけるのも緊張していた。
ECDさんは快諾してくれた。
約10年前に大阪に住んでいた頃からECDさんの音楽は聴いていたし、あんなに向き合って話をしたこと自体初めてだったので、当日はとにかく緊張していた。
後日、2003年のイラク反戦デモの映像があるからと、DVDを送って下さったこともあった。
そして、その撮影の約4ヶ月後に、ECDさんの進行癌が判明する。
2016年6月には、自分の職場で異動があり、仕事が急激に忙しくなり始めていた。
本当はこの頃に、映画は完成する予定だったのだ。今思うと、とても現実を甘く見たプランだったような気がしてならない。
この頃ばかりは、作業を続けることが難しくなってきたと感じずにはいられなかった。
休日に撮影に出向き、残りの時間で編集、更には劇伴音楽の制作などを同時進行で行わなければならないのは、かなり大変だったと今でも思う。
そこへ来て、ECDさんの進行癌の報だった。
作業を続けることに初めて大きな迷いが生じたのがこの時だったかもしれない。
(つづく)
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