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STANDARD編集記①/撮影者ではなく抗議者

「Act Upみたいなドキュメンタリーがあったら資料としていいかなとは思うけどね。デモのアフターパーティーの話とか、繁華街でデモやってたのになぜ九電前や経産省前の抗議にシフトして行ったのかとか、そういう話はあの当時参加してた人にしか分からないことになってる。」

これは、2015年9月8日に僕がツイッターに投稿したツイートだ。和田彰二さんが目ざとく「いいね!」を押している。

和田さんのことは、震災以降デモをやり始めてから知っていた。自分たちが呼びかけたデモをかなり積極的に応援してくれていたライターで、以降も事あるごとに自分のことを気にかけてくれている人だった。
しかし、何度も同じ路上にいたはずなのに、面識はなかった。

件のツイート以降、張さんに声を掛けられて「実際にドキュメンタリーを作ってみない?」ということになった。張さんの紹介で初めて和田さんと対面することになった。確か最初に会ったのは新宿・思い出横丁の居酒屋だったと思う。記憶は定かではないが、11月ごろ。その後、このプロジェクトは始まった。

ビデオカメラ自体はその年の9月ごろに購入していた。その時はまだドキュメンタリーを作る具体的なプランはなかったが、なんとなくそういうことができればいいかな、なんて思っていたのかもしれない。今思えば究極的に甘ったれた発想だ。

最初にカメラを回したのは2015年9月16日の、新横浜プリンスホテルで行われた安保法制地方公聴会の時だった。この時は人生初のシットインをした時でもある。映像本編にもカメラを持ったまま路上に突っ込もうとして失敗している様子が、ブレブレの映像で収められている。

この時から自分は観察者、撮影者にはなれないと思っていた。新横浜に行ったのは撮影のためではなく、抗議のためだった。抗議の現場においては、そのスタンスは、その後の制作期間通して変わらなかったと思う。

当時は色んなイシューのデモや抗議行動に積極的に参加していたので、どの現場に行っても声を上げながら撮影をした。実際に、誰よりも大きな声でコールをしている映像も、本編には収められている。

それと同時に、TwitNoNukesのスタッフにも同意を得た上で、制作のための環境を整えた。12月の終わり頃にはテストとして張さんにインタビューを受けてもらった。張さんには何気に計3回くらいインタビューをしている。

インタビュイーの選出は、大半が自分で決めた。基準としては、「震災以降のデモや抗議の現場で自分がよく見かけた人たち」だった。勿論、本当は本編に登場する以外にも沢山の人が何度もそうした現場に足を運んでいるのだが、比較的早い段階からインタビュイーは15-20人程度が良いのではないかと考えていたため、結果的に泣く泣くインタビューをお願いできなかった人も沢山いる。

2016年に入り、インタビューの撮影は本格化していった。話の内容がしっかりと伝わるものを目指して、レンタルスタジオを押さえ、ピンマイク(というにはやや大きめだが)を用意した。照明についてもネットなどから情報を見て、試行錯誤したが、すべての局面でうまく行ったとは思っていない。

仕事の合間を縫って、休みの日に撮影のスケジュールを入れ、当日は重い撮影機材を抱えてスタジオに向かう。宮益坂の十間スタジオというところをよく利用させてもらった。

和田さんが作ってくれた年表を元に、各インタビュイーへの質問を作る。話の内容は撮影の時になってみないと分からないので、この質問は盛り上がるかなと思ったものが案外サラッと終わったり、逆に予想していない様な熱い話が聴けることも沢山あった。
帰宅すると、次々と撮りためた映像をHDDに読み込んでいく。そして、文字起こしをし、答えの部分だけを切り刻んでいく。文字起こしには実家の母親や姉も協力してくれた。

何度かのミーティングの後、文字起こしした100ページ以上の書類から、実際に本編に収録する言葉を選んでいく。それをまた家に持ち帰ってはFinal cut pro上で並べていく。物語の背骨を作る作業だ。これがすべての土台になる。

そこから、本格的に映像を探す作業に入った。インタビューの言葉に出てきた場所や物、人などに合わせて映像を探すのだが、この作業は大変難航した。クリエイティブコモンズの映像を探すことを基本としたが、該当の映像がなかなか見つからない。長時間ただ検索を続けるだけで1日が終わってしまうこともあった。この作業は編集の終盤まで地味に続いた。

見つかった映像から順番にインタビュー映像に合わせていく。しかしこの時点でインタビューの繋ぎ合わせたものは4時間近くになっていた。その後なんとか削って2時間半程度になった。しかしそれでも、インタビューだけで2時間半はかなりきつい。
元々インタビュー一辺倒ではなく展開をつけることは考えていたが、漸くインタビューの使用部分も分かってきたところで、展開を明確にする必要が出てきた。

まず、オープニング。関東大震災の話から始めようというのはぼんやりとあった。なぜか。安倍政権誕生以降、ツイッター上では度々関東大震災〜治安維持法〜太平洋戦争に至るまでの流れを、東日本大震災〜秘密保護法の流れに擬えて語る人が何人かいたからだ。歴史が繰り返すことや、その数奇さ、歴史とのつながりの重さを意識させるものにしたかった。
映像は、PublicResources.orgが公表しているものを中心に選んだ。
木下恵介の「陸軍」など、戦時中、戦後直後に作られた映画をよく見ていた時期があって、その時に思ったのは、モノクロの映像に映る人々の姿は、以前なら遠い文字通り「戦前」のイメージでしかなかったが、今となっては、もしかしたら今隣にいてもなんら不思議ではない人々の姿に思えてならないということだった。そういうことをあのシーンには反映させたかった。

2012年6月29日の、官邸前抗議の映像を使用することに関しても、最初から考えていた。あれは自分にとって大きな出来事だった。あんなことが起こるなんて、思ってもいなかったのだ。そしてあそこから、自分の中で何かが変わってしまったとこの数年間ずっと感じ続けていた。必ず入らなければならないシーンだった。

オープニング〜官邸前抗議のシーンまでの展開はなんとなくイメージできるようになった。開始から45分くらいまでの間は比較的静かな感じで、官邸前のシーンにピークポイントを作るというプランが出来上がった。

(つづく)

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