名もなき灯火

忘年会は憂鬱だ。灯子は、つくづくそう思った。
上司のセクハラ発言にも媚びる女子社員、ご機嫌取りの男子社員、もう、うんざりだ。1時間ほど居ただけで義理は果たしたとばかりに、忘年会を後にしてきた。
街にはクリスマスソングが流れ、店はイルミネーションで彩られている。
ショッピングモールの前のベンチに腰掛けて、灯子は深呼吸をした。
少しお酒が入って火照った身体にひんやりした空気が気持ちよく、クリスマスソングと雑踏の声に耳を傾けながら少し目を閉じた。
人の気配を感じて目を開けると、目の前にピエロが立っていた。
ピエロは、何か箱を貰ってそのリボンを解いて中からプレゼントを取り出し喜ぶ、というようなパフォーマンスを見せている。それを見ているのは灯子一人だけで、回りを行き交う人達はそれに目もくれず通り過ぎていく。
いくらかチップでも渡すべきなのか?と灯子は少し困惑しながら考えていた。
ピエロは、一輪の赤いバラを手品のように取り出し灯子に差し出した。
灯子はそれを「ありがとう」と受け取った。
バラに見とれて顔を上げるともうピエロの姿はなかった。
あたりを見渡してみても彼の姿はどこにも見えない。灯子はベンチから立ち上がり、駅に向かった。

最終の快速急行に乗り込むと、思いの外空いていて座ることができた。
手に赤いバラを一本だけ持って座っているのを奇妙に思われないか気になって、寝たふりをすることにした。

「お客さん、終点ですよ」
という声で目を覚ました。どうやら、本当に寝てしまったらしい。
終点は、来たことのない片田舎の町だ。
しかたなく、灯子は電車を降りて駅の外に出た。
町の灯りは殆ど消えていて、これといったネオンもないのどかな田園地帯だった。
見上げると、満点の星空が広がっていた。
青白く瞬くシリウスとその両側に白く輝く星と赤く輝く星が見えた。更にその先にはプレアデス星団らしき青い星が固まっているのが見えた。
灯子は寒さも忘れて空を見上げていた。
星を見たのは久しぶりだった。誰も見ていなくても星はいつも光っているのだなぁ、と思っていると、中学生の頃に亡くなった母の言葉を思い出した。
「あなたの名前は、誰かの灯火になれるように、という意味と、いつも行く先を灯火が照らしてくれるように、という意味と2つの意味があるのよ」
灯子は携帯を取り出し、父に電話をした。
「灯子、こんな時間にどうした?」父はまだ起きていた。直ぐに電話に出て、驚いた声で言った。
「お父さん、ごめん。特に何もないんだけど、メリークリスマス」
わけのわからないことを言ってる自分に可笑しさがこみ上げて、灯子はクスクス笑った。
「何だ、お前、酔っぱらいか?脅かすなよ」
「うん、忘年会の帰り。脅かしてごめんね、言ってみたかったの」
「電車大丈夫なのか?」
「うん、もう家の駅だから」
灯子は嘘をついた。そして、言葉を続けた。
「私ね、前から思ってたんだけど心理学の勉強しようと思うの。今の仕事、あまりおもしろくないんだ」
「そうか、やるからには頑張りなさい。応援が必要なら、少しぐらいなら相談に乗ってやるよ、酔っぱらいの戯言でなければな」
父はいつも、灯子には甘い。
「うん、ありがとう。また連絡するね」
「風邪引かないように、早く帰りなさい」
「お父さんもね、風邪引かないように」
灯子は電話を切り、タクシーを呼ぶアプリを立ち上げた。


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