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私が7年前にCAを辞めた時の葛藤と勇気

私が7年前にCAを辞めた時の葛藤と勇気を思い出しました。。18年勤めたANAを辞めた理由は2つだったと、先日の自己紹介でも投稿したのですが、
1.心が『次へ行こう』と行ったから
2.子どもといたかったから です。
(自己紹介投稿には多くのリアクションとコメントをいただき感激しました!リアクション450は過去最高です!)

CAなので、数日間家を空けるのが日常的でした。その頃の私は、
・1歳の息子に「ママがいい」と泣かれながらも「3回寝たらすぐに帰ってくるからね!」と笑顔で家を出て、駅へ歩き、電車でTCATへ行き、成田行きのリムジンに乗った途端に涙が止まりませんでした。
・主人からのLINE「(娘が)39度出た。食べれてるから大丈夫そう」の文字を、NYのホテルで何分もただ眺めていました。
・帰国したら、息子の「初めてのお使い」が勝手に終わっていて、主人に聞いたら「本人が行く気になったから」とアッサリ言われ、動画も撮ってなく、悲しかったです。


私はCAになりたくて、なりました。仕事も会社も好きで、時差も感じず、足もむくまず、天職でした。若い頃から、CAを辞める日が来ることを想像するだけでも、悲しくなっていました。先輩のママCAたちは、口を揃えて言います。「辛いのは幼い頃だけ。ここを乗り越えれば、楽になるから!」

でも、その「幼い頃の今」を、我慢してやり過ごすのか、後悔ゼロで過ごすのか、選択肢はあるはずだと思いました。それに、CAはスキだけど、代わりはいます。1日数百人のCAが「スタンバイ」という待機の仕事をしています。飛べなくなったCAの代わりは、30秒でShow upします。

「ママがいい」と泣く息子のママは、私しかいません。
熱がある中、「ママは?」と聞く娘のママは、私しかいません。
世の中には何十億と人がいても、私じゃなきゃダメなんです。


私はどうしたいのか。自分の人生の時間を、一日一日、どう使いたいのか。優先順位のトップに何を位置づけたいのか。自分の力で次へ進みたいというモヤモヤが背中を押し、私は、子どもといるんだ!毎日家に帰れる仕事をするんだ!熱があったら傍にいるんだ!この時間を見逃してたまるか!と、ANAを辞めました。


定年まで1つの大会社に勤めた義父も、義母も主人も、反対しました。
「こんなに不自由なくCAを続けられる理解とサポートがあって、なぜ辞めるの?」
「大きな会社を辞めて、次の仕事はそうそうないよ」
「子どもといたい気持ちは分かるけど、幼い時期が終われば大丈夫だよ」
「これから教育費がかかるのに、今辞めるのは現実的ではない」

みんな、私を責めているのではないのです。不思議で不思議で、たまらなかったのです。頭で考えると、そうなのでしょう。ANAを辞めるなんて、私はアホなのでしょう。大きな会社に守られているから仕事があるのでしょう。幼い時期が過ぎれば、すべては解決するのでしょう。そうでしょう。そうでしょう。


でも、私が決めます。協力、ありがとう。感謝しています。でも、私の時間をどう使うか、どこで過ごすか、私が決めます。学校で嫌なことがあって帰ったとき、独りっ子だった私がひとり家でワンワン泣き、夕方には目の腫れを冷やし、夜に親が帰ってきた時にはケロッとして見せて何も話さなかったことを知っているのは私だけです。次の仕事に困っても、私は必ず自分にしかできない仕事を見つけます。それは、ANAにいては見つけられない所にあります。同じ挑戦をしたことのない人には馬鹿げて聞こえるのは良く分かります。でも、私にはできます。私を信じて。信じられないなら、諦めて見守ってて。大丈夫だから。ちゃんとうまくいくから。(人生を掛けた決断を尊重できないなら、私の夫で居続けることは難しい。使わないことを願いつつ、私は離婚届を用意しました。今でも内緒です。)私はただ、本気だったんです。自分の人生に。


唯一の理解者は、鳥取の母でした。
「麻紀ちゃんの好きにすればいいよ。なんとかなるよ。お母さんだって色々あったけど、人生なんとかなってるもん(笑)」
母の子でよかった。安定より、体裁より、権力より、信じられるのは自分の力と可能性、そして気持ち。昔からの母の口癖「大丈夫よ、麻紀ちゃんなら」。今は、私の口癖です。


今、ANAを辞め、仕事を独立して7年目。大変なことは多々あり、語り尽くせませんがぁ・・・・・・、自分で選んだ道に後悔がある訳ありません。自分の力で次の仕事に挑戦したいというモヤモヤが子どもとの時間をもたらしたのか、子どもといたい気持ちが人生の挑戦をもたらしたのか、前後関係は分かりません。挑戦もできて、子どもとも過ごせているから、細かいことはなんでもいいです。ただ毎日、「おやすみ」が言えるんです。ただ毎日、自分だからこそできる仕事を自覚しているんです。あとなんかいるっけ?


どう生きたって、きっと人生なんとかなります。どの選択にも不正解はありません。選びたいほうがどちらなのか、そのきもちに今は沿えるのか沿えないのか、ただその積み重ねです。沿えなくても、その裏で生まれた価値や助けられた人がいたり、その先には「きもちに沿えなかった過去」が活かされた未来があります。きもちに沿うのが必ずしも正解ということではなく、きもちに背く時期が基礎を築いていたりします。だから、ALL OK。みんなの、その時の選択が、尊いだけだと思います。




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