Web3はエクセルでつくれる

Web3界隈を調べれば調べるほどにモヤモヤが溜まって毒吐いていたんですが、少し整理ついたんで自分で忘れないようにまとめておきます!

◎Web3的な流れは必然であり間違ってない

ぶっちゃけ仕組みはとても単純であり、それがゆえに1970〜90年代のインターネットを振り返れば、同じような構造とノリがある。

ただ、今現在では使い物にはならない。バグも多いし。でも黎明期としてはごく普通のこと。

◎ネットワーク上に仮想の機械があるのが全て

概念も実際も巨大なバーチャルマシンがあってそれを使える。分散された無数の演算機によって動いているのが新しい。でも実装レベルはいろんなマシンによっててんでばらばらだし、偽物も多い。

◎中央がないことと権力構造と経済の話がごちゃ混ぜ

ここがカオス。みんな好きな角度から好きなことを言ってて大半がポエム。ポエムが悪いわけじゃないけど、ごちゃ混ぜでウェイウェイしてるのは多分ただ騒いでるだけになるからそこ注意。

◎現在Web3と呼ばれるものの主要な仕組みはエクセルでつくれる

先週、友だちがエクセルでメタマスク的なウォレット含むDAOを作ってしまった。めちゃ単純で僕にも作れた。つまりそういうことである。1995年くらいにも「ホームページってすげえものがあってだな!!」と大企業や偉い人たちが騒ぎ始めていた。その隣でテキストエディタでhtml書いてて「何を騒いでいるのだろう」と思ってた。あのときと空気がすごく似てる。面白いね。

◎最大の問題は?

我々自身のマインドセット、物事の見方、取り組み方に大きな限界がある。Web3的なものは人と人と、あるいはコミュニティと呼ばれている何かの運営に役立つものなのだが、僕らは近代化工業化産業化の発想に囚われすぎていて、その延長線上やあるいはアンチあるいは救世主のようにWeb3的なるものを捉えてしまう。そう言うマインドセットで集まっちゃうと、その時点で何かが死ぬ。

◎ではどうすればいいのか?

これはあくまで僕の勘でしかないのだけど、まず盛り上がっちゃいけないと思う。で、凄いことやろうとか思っちゃってワーキャーすると、その仲間内では盛り上がるんだけど、結局生活者としての個人から見ると「キモい」ってことになると思う。

例えば、男性だけで盛り上がってるなら、多分終わってる。家族や異業種な人に説明しても通じる言葉を使えてなかったら多分そこに魂は宿らない。

Web3的なるものなんてなくても、関係性にきちんと目を向けて楽しくなっていたり、自然と助け合えていたりする状態になれるように、テクノロジー以外のリアルなことに目を向けて具体的に手応えを得ていくマインドでお互いがいることが大事。#地味こそすべて 的なやつ。

仕組みをつくったら革新的なことが起こるわけではない。関係性の再構築なのだから、枠組みつくりではなく、ご近所で動いて、話し合って、生活に近いところ(というか生活そのもの)の小さなところからヒントを得て、まずたいしたことなくていいから自分たちのリアルな変化を生み出していくほうがいい。

壮大なことを考えてしまう癖と、壮大なコンセプトに惚れて集まってしまう集団は、多分、、違うんじゃないかな。そこら辺はまだぼんやりした肌感覚でしかないんですけど。「派手で壮大でウェイウェイ!」もアリなんだけど、本質はそこじゃないと思う。

具体的に「誰のために」があって、その人から「ありがとう」が返ってくることを体験しながら、それをコツコツと積み上げていく感じ。それが世界同時多発的に起こっていくから、結果として壮大なことになるだろうけど、壮大さに萌えて集ってはいけない。って感じ!

甘党なのでサポートいただいたらその都度何か美味しいもの食べてレポートします!