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日常の中の大冒険と、新しい冒険のための船はつくれるか

こんな毎日寝不足続きなんてUstreamがブレイクした2010年前後以来だ。あの時と全く同じ感じで、毎日のように発見と展開があるから、そこにチャレンジしてる人たちはみんな寝不足でゼイゼイいってる(笑)。やがてみんな「なんか老けた?」って言われることになるんだけど(そこまで織り込み済み)。

あの時は、結局プラットフォームを作る側に僕は回らなかった。YouTubeライブもなければ、クラファンもエアビーも、今のようなスマホのプラットフォームもなかった。なので自分自身は随分楽しかったけど、大きなビジネスにはならなかった。そっちのビジネスに進出したところはものすごく大きくなった。先見の明である。

今回の僕はどうかな?プラットフォームをつくるかどうか悩んでる。つくろうとしている理由は、潜在的に必要としてる人たちがたくさん見えちゃったし、その原石を見つけたからなんだけど…。

ちなみに原石は、ちょっとした思いつきでは絶対に見つからなくて、硬い岩盤を深く深く掘って掘って、何度も偽の原石っぽいものに一喜一憂したのちに「ああ、これこそが…」とようやく見つけたものを指す。僕のゼロイチ人生でも本物の原石は3回くらいしか見つけたことはない。

プラットフォームはつくりたい、つくろう、つくれると思っても99%つくれない。そんな簡単ではない。すでに大規模なところか、よほどの原石を手に入れないと絶対に無理。手を出してはいけない領域。でも原石は見つけてしまった。うーん、自分で手を動かし、ゼロイチをしてプラットフォームが立ち上がる様をこの目で見たい…。それはクリエイターにとって、控えめにいって最高すぎる。

ただ、このコロナもあり様々なものを失い、ひとり庭で自然を相手にコツコツと紅茶を作ったり、最近出会った人たちといろいろ小さくて楽しいことをやってみると、「でっかいこと」なんてやらなくていいんだって気持ちが生まれてくる。目の前の人とだけ関わりを持ち、小さく手を動かして、日々高速に試行錯誤していくだけで人生は十分に創造的で楽しい。

なぜマーケットやターゲットなる「自分と直接関わりのない人たち」を目掛けて「仕掛ける」ことが必要なのか?「世界を良く変えたい」は素敵だけど、ならばなぜ僕は身近な人を大切にせず、共に物づくりをする人の時間を買い、命令するのだろうか。なぜ仕事が大変だからと、妻や子どもに八つ当たりをしたり、向き合う時間を減らしたりするのか。そんなに「すごいこと」をするのは偉いのか?僕はただ「すごいこと」をすることで自分を認めて欲しいだけで、自己実現のために周りの人を泣かせているなんて、とんでもない時代遅れのダサオヤジなのではないか?(いやぁ、これは認めたくないけど確定だろう…)

完全に平等でそれぞれが相手を尊重しあう関係で、「そのメンバーでやれること」だけをやればよいのではないのか?しかし、より大きく大きく稼げる仕組みをつくるための企画と組織を考えて、そのために必要な人たちを雇用すると、みんなで戦友として走り抜けることはできるけど、それはあくまでも「ゲーム」であり、よりよい日常のために必要なだけ手を動かして、共創するという対等な関係からは離れてしまう。

ミナトやルイがヒーローや冒険もののアニメを見て興奮している気持ちはわかる。楽しそうで愛おしい。でも僕も同じ気持ちでいいんだろうか。実際に日々手を動かし、上下関係がない立場で安心して心を開ける人たちととことん話し合ってみると、どうやらリアルな大冒険は日常の中にしか存在しないみたいだ。

日常の中の大冒険。それでいいじゃないか、と思った。まずは長年のクセがあるからちょっとずつにはなるけど、家族から関係を作り直さないとって思った。次に友だちと。そう、よく考えたら、仕事仲間が友だちみたいなものだったから、僕にはお金や会社を介さない純粋な友だちがまったくいなかったのだ…。

でも、でもだよ、それでもその「目の前の人たち」が必要としているであろうプラットフォームの原石を見つけてしまった。きっとこれを磨いて作っていったら、目の前の人たち、友だちが喜んでくれそうだ。いくつかの問題を確実に解決できるだろうという強い確信がある。

さて、どうしよう。プラットフォームをつくるのは大変だし、ある程度の規模になってしまう。お金もかかる。悩む。

大きな組織を作らなくても、4人集まればバンドが組める。大企業やこれまでのスタートアップは、すべてバンド的なスタイルに変化し、高速に結成と解散を繰り返していくという確信と、そのシーンをつくりたいという新しい僕の夢がある。そこにはスタジオや、ライブハウスも必要だ。それらのイメージ、確かな感覚が僕の手の中にある。それなりに大掛かりなことになってしまうけど、でも本物の原石を見つけたから、きっと成功するだろうし、最終的には大きなビジネスにもなるだろう。

ただし別の選択肢もある。そんな環境作らなくても、駅前で演奏すれば良いのだ。森の中で自分たちで楽器をつくり、森をスタジオにして、森をライブハウスにすればいいわけだ。

でも世界中でそれを求めている人たちがたくさんいるよなぁ…っていう「未来」が見える(←ここがめちゃくちゃ重要なポイントだ)。たくさんの人が潜在的に求めているものを見つけられるなんて機会はそうそう訪れない。見つけたらやる。悩む必要なんてないんじゃないの?とも思う。

あとは仲間だ。これは長い冒険になる。いろいろな仲間が必要になる。果たして、仲間は見つかるのだろうか。この冒険のための船はつくれるのだろうか。インディーズバンドとしてハイエースの機材車で世界を回れば良いのに、世界中のスタジオとライブハウスをつくる側にも回るかどうか。これは本当に悩ましい!いやほんとに悩ましいんだ…。まだ答えは出ない。

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