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社会のお客さんになるな(斉藤賢爾新著を読んで)

斉藤 賢爾さんの新刊を読んでから色々思うことあり、謙虚さと社会のお客さん状態でいることのヤバさについて考えてる。

わたしたちおじさんおばさんは、わたしたちの文明や生き方を立派なのだと心のどこかで勘違いしていると思う。
結論から言うと「何を偉そうにふんぞりかえりやがって!」だ。

その影響はとくにおっさんおばさん(僕も含めていいけどより上の世代)に強く出ている。若い世代が「その未来はあんたら年寄りの描いた未来でしかねえし」と毒づく時、以前なら「だいたい最近の若いもんはなあ」なんて思わなくもなかったけど、最近はほんとすみませんって頭を下げたくなる。

確かに現代は随分と立派な側面も多くあるし、ファクトフルネスでも述べられている通り人類はかつてないほど豊かで平和だとされている。
だがその一方で、明らかに持続可能ではないエネルギーの使い方をしており、その余波は極端な都市化や気候変動に現れている。競争原理なるものに基づいてろくでもないこともやっているでしょう?

我々大人は考え方があまりにも
古くて変にイケイケでヘッポコにも程がある

端的に言っちゃえば、オリンピックとか、ダサい(スポーツ好きな人ごめん、でもあれはスポーツの話じゃないから)。

なぜヘッポコなのかと言うと、それはすっかり僕らが 消費者 でしかなく、この社会のお客さん という立場だから。

斉藤さんは言う。

現代のテクノロジーを駆使すれば、ようやく文明をみずからの手でつくれる人(=メイカーズ)になり、当事者になれる(=持続可能な社会への一歩)なのだと。僕らはただのお客さんでしかなくて、自分たちの世界に生きていないということを認めたほうがいい。

僕らは僕らの社会の当事者になることから
全てをやり直したほうがいい。ほんとに。

いつまでお客さんでいるつもりなんだ?と自分に問いたい。
そして、恥ずかしい。まじごめん。
・・・って誰に謝ってんのかわかんないけど。

人生ずっと学び続けて変わり続けるのだというライフロングキンダーガーテンというコンセプトは、実は「当事者」として持続可能な社会をつくるための必然なのだ。
それは大きな社会ではなく、身近なところから始まる世界のつくり方である(なんということだろう!これぞスモールワールドではないか…)。

ということが、斉藤さんの本にはさらりと書いてあったように僕には思えた。

客で当然の危うさ

そんなことを考えながらダニエルイノウエ空港(旧ホノルル空港)の出国ゲートに並んでいたら、日本人のおじちゃんとおばちゃんが何やらTSA Preのゲートの人と揉めている。
どうにか大人しくレーンに並んだかと思ったら、出国のパスポートチェックの人に同時通訳の機械で「ビジネスクラスのレーンはどこですか?」と聞いて怒っている。自分たちはエコノミーではないのに待たされた、と。

ちょい待て、と僕は思った。

まずあなたが今クレームを入れているのはイミグレーションの職員のはずである。彼らにそんなことを言ってどうなる?(しかもすでにレーンは終わっているのだ。おじちゃんたちは今更誰かを注意したいのか?)

あと彼らは彼らの職務でないにも関わらず「ビジネスレーンはないのだ」と答えてくれているのに「え?何言ってんのか分かんないw」と半笑いで日本語で返すな、失礼だな。入出国管理官にどんな権限が与えられているのか分かってないのか?相手の立場が分かってない、お客だからサービスを受けるのは当然だと思ってる。

うーん、謙虚さがあまりにも足んねえ…。
僕ならアメリカで制服着てる人には逆らわないし、相手の職務の範囲かどうかをまず気にする。これって洗剤のアタックじゃないけど驚きの解像度の低さである。

そう言う、ごく基本的な繊細さを持った解像度で世界を見る、触れるということができないおっさんおばさんの正体が果たしてなんなのかと言ったら、それはやはり社会のお客さんとして踏ん反り返って思考停止してるということなんだと思う。

サービスを受けて当然、受けられないと怒る。

より良いサービスを受けたいから、人よりもより富もうとする。
政治家たちはじめ、自分が立派だと思っちゃってる人たちは踏ん反り返りすぎて居眠りしたり訳わかんないヤジ飛ばしたりして赤ちゃん返りしちゃってるじゃねえか。
とても大人とは言い難い人たちが、たくさんいる。

そして他ならぬ僕も良いサービスを受けたいから、あわよくば富みたいと思ってる節がある…。

欲しいだけのラグジュアリーさを買えるだけのお金が欲しい…。
そんなろくでもない考えに囚われてるかも知れない。

やっぱ謙虚さが必要だし、僕らはヘッポコな世代なのだ。
早く世代交代して、お客さんではなく当事者としてこの世界をつくっていこうとする若い人たちと仕事をしたい。

自分も含め、自分たちが立派だ、偉いんだと勘違いしてる大人たちはマジでヤバいって思った。

そもそも客じゃない!と怒ってるコミケの人の話は面白い。

ちょっと変な事例をひっぱってくるけど、コミケにおける当事者意識は参考になると思った。
この記事ね、オリンピックの組織委員会が「コミケはうまく人をさばけてるので参考にしよう」って視察したらしいんだけど、コミケのお客さんが「俺たち客じゃねえし。そんなこと分かってない組織委員会まじ基本的なことがわけってねー!」と怒ってるって内容なんです。

怒ってる理由が、オリンピックに怒ってるんじゃなくて、「客扱いされた」というコミケ愛から来ているところが、また面白い。

まず、オリンピックを見に行くその辺の一般人と、コミケに参じるオタクでは、列に並ぶ時の自己認識が違います。コミケに参加するオタクは「お客様」ではないのです。
自分を客だと思ってる参加者など一人もいないでしょう。

運営やサークル参加者共々、コミケを作り上げる一員であるという意識が強くあります。これはもうずっと続いている文化。運営、サークル、一般参加の全員で、いいコミケにするという、そういう矜持を持っています。

こちらの記事です。詳細はこちらをお読み下さい↓↓↓

ではまた!

ひらの

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