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人を殴ったことのある人は、誤って人を殺さない

振り返ってみると、私は父や母に殴られたことはあるが、
友人や上級、下級生に殴られたことはないことに気づいた。
殴られた経験よりも人を殴った経験のほうに価値がある、と私は思う。

私が初めて人を殴ったのは、小学校の4年くらいのときだ。
場所も相手の名前もはっきりと覚えている。
先日、その場所を再訪し、あの瞬間に思いを馳せた。

当然、僕と相手である同級生は言い合いをしている。
先に殴ったのは僕のほうで、左のグーで彼の顔面をパンチした。
その拳は、彼の目を直撃した。
彼は言った。
「目がつぶれたら、どうするんだ」
僕は内心、たしかにそのとおりだ。と思いながら、
口から出た言葉は、「そんなこと知るか」だった。

私が人を殴るという初体験をしてみての実感は、
「殴るときにコントロールをつけることは難しい」というものだった。
たしかに「目がつぶれてしまったらどうするんだ」と、私も同じように考えていた。

これで私は、「人を殴るときに手加減をする」ということを
体験を通じて学んだ。
殴った拳が鼻に当たったりしていたら、鼻血を出していたかもしれない。
それも一つの大きな実体験だ。
素手で殴ったら、このくらいの結果だと学ぶ。
社会人になったあとか、何度か、腕時計を真ん中の指三本に巻き付けて、
人に殴りかかる準備に入ったことがあった。
どんな場面のことだかよく覚えていないし、実際には一度も殴るまでには
いたっていないのだが、たしかに何度かそのポーズを取ったことがあった。
それを実行に移すことがあったとすれば、前面に金属がついているのだから、相手にも自分の拳にもそれなりに大きなダメージを与えていたはずだ。

そして、当時の私は、指に腕時計を巻き付けて殴ることによって、
どれだけ大きなダメージが残るかまでは想像ができていない。
極めてアブナイ状況である。

少しずつ、経験、実体験を通じて、拳を含む、どんな凶器を使えば、相手にどんなダメージを与えるか、与えてしまうか、を学んでいくことが大切だ。

そうすれば、自分の体験や想像、想定を超えた部分で、
尖ったもので相手に切りかかって、とか、
石を相手の顔面に向けて思い切り投げつけて、などの行為に及んでしまい、
取り返しのつかないダメージを相手に与えてしまう、という悲劇は避けることができるのかもしれない。
それは、攻撃したほうとしても、そこまでのダメージを与えようとは思っていなかった、という想像を超える厳しい結果である。

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