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押印見直しはどう進んできたのか。

最近、職場でも、荷物の受け取りでも押印する機会が減りましたね。決めては、河野行政改革担当相が、2020年9月20日に、行政手続きで印鑑使用を原則廃止するよう全府省に文書で通知したことでしょうか。これにより、霞が関をはじめ様々な書類への押印が激減しました。

そこに至るまでの奮闘を整理しましょう。

デジタルガバメントの全ての根っこは行政情報化推進計画にある。

1994年に行政の情報化を進める基本計画として閣議決定された行政情報化推進計画は立派なものです。1997年の改定も併せて、文字の標準化、データの標準化、手続きのオンライン化、データベースの整備等の取り組みが一通り整理されています。問題は、この目標が期限の5年内に達成できなかったことだけです。

印については、1994年の計画で行政内部の改革は「施行文書の公印・契印の省略」と明記され、国民等との間の事務・サービス手続の改革は「情報通信技術を活用した申請・届出等を行えるようにするための検討を行い、その結果を踏まえて各種許認可等に係る法令等の見直しを進める」と押印に直接言及していませんが関連した取り組みが書かれています。そして実施事項として「国民等からの各種申請・届出等の手続について、電子化に対応したものとするための見直し指針」を作ることとしました。

計画を受けた「電子化に対応した申請・届出等手続の見直し指針」が1996年9月に作られました。その原本はネットで発見できませんでしたが1997年7月18日に改訂された指針を見ると、押印に関する記述は見当たりませんがオンライン化を推進することとしています。押印については別途大きな動きがあります。自民党で「押印見直しガイドライン」が議論され、その申し入れを受けて、「電子化に対応した申請・届出等手続の見直し指針」の改定に先駆け、1997年7月3日に「押印見直しガイドライン」が事務次官等会議申合せとして策定されました。

しかし、印章業界等から強い見直しの要望等があり、推進はほとんどされず、総務省のwebサイトからも消えて国会図書館のアーカイブに静かに眠っていました。

それから10年何も起こらなかった

2000年代になって、行政情報化から電子行政へと名前を変えて、引き続きオンライン申請が推進されてきました。しかし、押印の見直しは誰も触れないままでした。

2008年に経済産業省が行政CIOフォーラムを設置し、これまでの電子政府の取り組みの見直しと、リスタートするための取り組みの整理を行いました。そこでは海外で注目が高まっていたオープンガバメントの取り組みに注目しています。これをうけ、国民からの意見募集サイトであるアイデアボックスを2009年10月に開始しました。その後、年1回程度の開催を続けてきていますが、そこでは毎回、押印の課題が提起されました。

でも、いきなり押印とはいきません。行政情報化推進計画で問題提起されながら解決されていない課題が山ほどありました。第一プライオリティは、誰もが問題と指摘した文字の統一です。これは2009年に検討を開始し、2011年に文字情報基盤を整備するとともに普及を進め2014年くらいに落ち着いてきました。さらに、文字整備が進み始めたので2012年後半にデータ標準化も着手し、2013年初めに共通語彙基盤の検討を本格化しました。それらを受けて、2014年に「電子行政分野におけるオープンな利用環境整備に向けたアクションプラン」を策定し、政府全体の方針として取り組みを強化しました。このアクションプランはWebサイトの見直しや政府ドメインの見直しなどの行政システムの土台中の土台を固めています。

ここまでの取り組みで大物の課題を解決しました。そこで、2016年2月に再びアイデアボックスを行うと、大きな課題に隠れていた新たな課題が浮上してきます。ここで、一位の「WebAPIの整備」に続く課題として「印鑑の廃止」があげられました。ちなみに3位は「手続きや支援制度の情報公開」です。

それらの意見も参考に、2016年9月のCode for Japan Summit 2016で、再度、今後の電子政府の推進についてワークショップを行いました。また、同時に壁面に課題や解決アイデアを掲示し、意見募集と投票を行いました。そこで関心を集めたのが印鑑に関する課題です。

下の写真にあるように、多くの賛同の青いシールが貼られています。(第19回電子行政分科会資料

印に対する意見と賛同(他テーマに比べて意見も賛同者も多い)

いよいよ押印見直しの始まりです。

そもそも、押印の課題ってなんだっけ

押印には本人の存在確認と意思確認の意味があり、契約などで使われています。また押された紙の原本性も保証しています。

しかし、それは今の時代に合っているのでしょうか。100円ショップで印鑑を買ってきて押している人もいます。親の印を子供が勝手に押すこともあります。また、3Dプリンタで簡単に印鑑のコピーを作れてしまいます。さらに、電子証明書やSMS認証等の他の本人確認方法が普及している時代です。海外でも印によって本人確認をしている国はなく、本人確認方法として合理的ではなくなってきています。

そうはいっても印の歴史も重要です

印は、王等の用いる印があったものの、公式に使われたのは701年の大宝律令で官印が導入されてからと考えられています。その後、花押による署名が主流となりましたが、戦国時代に略式の署名として印が使われるようになりました。その後、江戸時代に、行政文書以外に私文書にも使われるようになり、実印登録の仕組みとして村の長などに届ける印鑑帳ができました。

以後、明治になり制度化され、以来、150年くらいの歴史があります。

1871年(明治4年)に太政官布告第456号「諸品売買取引心得方定書」により印鑑帳が公式化。

1888年(明治21年)の市制・町制実施、1947年の地方自治法施行後もこの原則を踏襲。

1890年(明治23年)の民法の交付に伴い太政官布告を廃止。

個人向けの印に関しては、現在でも法律がありませんが、複写式印鑑証明が増えたことから1974年に自治省「印鑑登録証明事務処理要領」として統一した基準を策定しました。これに基づき各自治体が印鑑登録に関する条例を制定。

法人の印鑑証明は1963年に商業登記法で全国統一の仕組みを導入。

せっかくなので印の種類も整理してみましょう

よく実印とか認印といいます。法人の場合は取引時に角印を使うときもあります。領収書で角印を使う場合も多く法人版の認印に近いです。実印って何でしょうか。これは行政機関に届けて印鑑証明書がある印鑑のことを言います。(前述のように、個人の印鑑証明書は法的根拠はないですが、きちんと行政で管理されているので、広く様々な領域で使われています)

使用場面による整理

これらを使用場面に応じて整理すると以下のようになります。

  • 実印+印鑑証明書 :厳密に本人であることを確認したい場合

  • 実印のみ     :何かあった時にトレースしたい場合

  • 代替印の登録(法人部門印等):実印並みの本人確認をしつつ、簡易な処理で進めたい場合

  • 角印(法人の場合):担当者が取引上簡易に押印

  • 認印(個人の場合):本人の意思確認用に押印

かなり曖昧なところがある

ところで法律検索をすると印の表記にかなり揺らぎがあります。2016年9月時点で印章(32)、印鑑(133)、印影(34)、押印(590)、押捺(14)が混在し、捺印は一回も出てきません。(カッコ内が出現回数。この中で、印鑑となっているものは押印ではなく印鑑という製造物そのものを指している場合も含みます)ここでいう印とは一体何なのでしょうか。「正本に添える図書にあっては、当該図書の設計者の記名及び押印があるものに限る。」と書いてある場合に何を押せばよいのでしょうか。印となっていますが実印なのか認印なのか、そもそも本人印なのか、それとも何かのスタンプでよいのか明確でありません。では、キャラクタスタンプでよいのかというと、それは個々の印の判別ができないのでだめとか、印鑑登録の運用規則で定めているらしいです。そこで問題になるのが、印鑑に自分の名前と動物が入っている「動物印鑑」です。これを印鑑登録で禁止している自治体は多いようです。でも、ハンコの起源をたどると戦国武将が動物の入った印を好んで使ったといわれていますし、そのくらいの遊び心は良いのではないかという気がします。曖昧さと厳格さが共存する不思議な仕組みです。

公印もあるが・・・

行政の場合は、行政文書に押す公印があります。公印は話が複雑です。公印は1994年前に見直しの対象になっていますが、いまだに多くの文章に押されています。今回の押印見直しの議論でも、途中までは議論に入っていたのですが、最終的には議論から抜け落ちています。

そもそも公印に法的拘束力はなく、印鑑登録もありません。最近では「公印省略」と印字したり、印影が印刷された書類も目にします。そもそも公文書はその真正性や意思は行政課機関に確認できるし、印を押す必要性はありません。しいて言えば、感謝状などにあると嬉しい人もいるかもしれません。印影の印刷ってもはや形式美の世界ではないでしょうか。

今回の国の押印見直しを受けて2020年に作られた「地方公共団体における押印見直しマニュアル」を見ても、公印の話はほとんど触れられていません。

最近、あるシステム仕様に公印印影印刷機能というのを見ましたが、やはり欲しいのでしょうか。公文書確認APIやQR発行システムを作るほうが今風だと思います。

押印見直しのスタート

押印の見直しに向けた下準備の調査が始まると、いきなり出てきたのが、1997年当時の記憶のある人たちです。「難しいからやめておけ」というのがアドバイスです。それで引き下がれば、前出のアクションプランに書かれた文字やデータの基盤もできていなければWebの基盤もできていませんでした。ここで、「はいそうですか先送りしましょう」とは言えません。

そこで、周到な準備が始まります。過去の経緯、歴史を徹底して調べています。担当課に行くと「素人が口出しするな」といわれることがあります。それを突破できるだけの知識を身に着けておく必要があります。Webでの調査はもちろんですが、書籍の「ハンコの文化史」、「はんこと日本人」は参考になりました。

その上で、ニーズの再精査です。2017年9月に行われたCode for Japan Summit 2017で、「デジタル時代の押印を考えようワークショップ」を行いました。それを受け、デジタル・ガバメント分科会でも関係府省や経済界の専門家を招いて全2回のワークショップをおこなっています。

これらの検討や規制改革推進会議行政手続部会での検討も踏まえ、2018年1月にデジタル・ガバメント実行計画がまとめられました。

サービスのフロント部分だけでなく、バックオフィスの業務における情報のフローを一から点検した上で、書面や対面の原則、押印等のデジタル化の障壁となっている制度や慣習にまで踏み込んだ業務改革(BPR)の検討を行う。

デジタル・ガバメント実行計画

さらに、以下のように具体化しています。

2)本人確認等の手法の見直し(◎内閣官房、経済産業省、全府省)
政府における各種手続では本人確認に押印を求める場合が多く、オンライン化に当たっての課題となっている。押印に関しては、技術の進展による偽造容易性も踏まえ、各手続における本人確認等の手法としての必要性を再確認するとともに、押印などによる本人確認が求められる場合には、原則、電子的な確認手法への移行を目指すとともに、利便性と安全性をバランスした解を見出すことが必要である。
電子的な本人確認等の手段についても、行政手続における本人確認等の手法として広く用いられているマイナンバーカード等を用いた電子署名に加え、情報システムの取り扱う情報や行政サービスの性質等を勘案し、電子署名以外の電子認証等の適切な技術選択を行うことが重要である。また、電子認証に関しては、近年技術標準の検討も進んでおり、国際的な標準化(米国NIST SP800-63-3等)とも整合性を持った取組を推進する必要がある。
上記の背景を踏まえ、内閣官房において、2017年度(平成29年度)末までに押印見直しに関する方針を整理するとともに、2018年度を目途に、「オンライン手続におけるリスク評価及び電子署名・認証ガイドライン」(平成22年8月31日CIO連絡会議決定)の見直しを行う。各府省は、本見直しを踏まえ、保有する手続において本人確認等の手法の見直しを実施し、内閣官房は、法令の改正における雛型の提示など、各府省の見直しへの支援を行う。この際、マイナンバーカードに搭載された公的個人認証や、同カードと電子委任状を活用した代理権を確認できる仕組みなど、新たな本人確認手法を含む様々な選択肢を考慮に入れる。

デジタル・ガバメント実行計画

押印見直しガイドと本人確認ガイドを策定し法制化を進めていくことを方向性として進めようとしました。

押印見直しの実施に向けて

ここまで来たところで、関連業界から一斉に反対の意見が寄せられました。オープンな議論をしていたのですが、業界などに対する事前の説明不足との意見が多く、全国で説明会が行われることとなりました。

また、押印見直しはネットでも話題になり様々なメディアにも取り上げられました。

チームの体制変更と法律整備

このタイミングで、行政側メンバーの体制変更が行われています。ここまでは、CIO補佐官が中心にとなり、社会的動向、制度論や技術論に関する詳細な検討をおこないガイド改定案や今後の方向性を整理してきましたが、ここからは関係者との調整が重要になるので行政官が中心となります。関係者との複数回に及ぶ意見交換会や説明会をが行なわれました。

そして、2019年5月にデジタル手続法が公布され12月に施行されています。この中で押印は「署名等」に含まれる形で整理されています。

草の根や民間の活動も活性化

デジタル・ガバメント実行計画が作られデジタル手続法が準備されるなど政府が積極的に取り組みを進めていることと連携して、草の根や民間の活動も活性化しました。CivicTechの関係者も、押印を求める書類に対して押印見直しをすすめませんかというコメントを付与して返送するなど、啓発活動などを行ったりしました。また、認証や署名サービスをしている各社から本人確認や印についての解説情報がたくさん公開されています。2020年4月には経済4団体から要望書が提出されています。

コロナにより課題が顕在化

そうこうしている間に2020年春から新型コロナウイルス感染症の感染が拡大し、テレワークが注目されました。ここで、テレワークできない理由として「押印のために出社しなければならない」という意見が話題になり、押印問題に再び注目が集まりました。

規制改革からの推進強化

そこで、2020年6月に内閣府、法務省、経済産業省が連名で「押印についてのQ&A」を出して、企業が持っている押印に関する悩みを解消するとともに、2020 年7月8日に関係府省と経済団体が「「書面、押印、対面」を原則とした制度・慣行・意識の抜本的見直しに向けた共同宣言」を出しています。さらに、2020年7月17日に公表されたの規制改革実施計画では、以下のように押印関連の取り組みを重点化しました。

我が国の生産性向上や持続的な経済成長のため、デジタル技術やデータを戦略的に利活用し、デジタル時代に円滑かつ迅速に対応する観点から、(2)デジタル時代の規制・制度のあり方、(3)デジタル技術の進展を踏まえた規制の総点検、(4)データ駆動型社会に向けた情報の整備・連携・オープン化、(5)新型コロナウイルス感染拡大防止のための株主総会の在り方について、(6)書面規制、押印、対面規制の見直しについて、重点的に取り組む。

規制改革実施計画

そして政権交代があり、以前から行政手続きに問題意識を持っていた河野行政改革大臣が着任直後の2020年9月20日に、行政手続きで印鑑使用を原則廃止するよう全府省に文書で指示をしました。

その後、政府内では99%以上の手続きが押印の廃止をする方向で検討が進んでいます。

いろいろ工夫はしたいですよね

印は伝統工芸的意味合いもあり、落款印のようなものから日常的な印まで海外からの観光客に人気があります。

ある方からお礼状をいただいた時に、その地域の伝統工芸を使った落款印が押してありました。おしゃれですね。このような取り組みもあると思います。

また、デジタル時代に合わせた工夫もあると思います。経済産業省が作った自治体DX行動プランでは、印の代わりに赤いQRコードを付けています。このQRを読み取ることで、証明書であれば証明内容の確認をすることができるし、感謝状にビデオメッセージを送る等、いろいろな工夫ができるようになります。

右下はQRコード

日本の文化である印とデジタル社会との融合を今後も検討していきたいものです。

まとめ

文字にしてもデータにしても本人確認にしても、日本は曖昧性の中で制度を運用してきましたし、これまではそれでも問題がありませんでした。また、技術的にも代替する手段がなかった面があります。

しかし、デジタル社会に向かうにあたっては、まだまだ見直すことがたくさんあります。「押印見直し」の活動も、印をなくそうというのではなく、押印という行為の意味を考え、必要に応じて見直していくものです。そのため「本人確認方式の見直し」と表現されることもあります。

押印見直しがひと段落着いたところで、今後は次なる課題に取り組んでいこうと思います。

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