明日も素晴らしい幸せがくるだろうから
3年前、noteからおすすめ記事を知らせるメールが届いた。まだ周りもぽつぽつアカウントを開設し始めたころだ。
今ほど書き手がおらず、いつもこのメールを通じて、知らない誰かの文章と出会えることを楽しみにしていた。
気になったある記事を開くと、落ち込んだ友だちに向けた、強くて優しい言葉が並んでいる。
すごくいい文章で、じーんと胸が熱くなった。
先日とあるカメラマンの方が、ラジオで“いい写真とは何か”と聞かれたときのことを話していた。「いい写真とは、5秒以上見ていられることだと思うんですよ」と。
文章も同じだ。技術的なことで言えばもっと具体的な条件があるのかもしれない。だけどずっと心に残る文章には、たとえ文法のねじれや誤字があったとしても気にならないほど、人の心を打つ力を持っている。
会ってみたいな。文章を読んで、初めてそう思った。
それから季節ふたつ分の時が過ぎ、東京でめずらしく雪が降った。
久しぶりにこじんまりとしたイベントをやる日で、中止になるかもしれないなあと思いながら窓の外を眺めていた。
お昼ごろ、場所を貸してくださる方から「今日はお店に立てないんだけど、代わりに会社の後輩に任せているから」と連絡をもらう。
そうか今日やれるんだ、と慌てて準備を始めた。
学芸大学駅から数分歩き、真っ赤な扉を開くと、ベレー帽をかぶった金髪の男の子がいた。
それが、一昨日結婚した彼との出会いだった。
会って何度目かの日、この人はなんなんだろう、とわたしは腹を立てていた。いきさつは割愛するけれど、とにかく理解できなかったのだ。
何とかして、どういう人なのか理解しないと気が済まない。
唯一つながっていたtwitterのプロフィールに、noteのリンクを見つけた。
開くと、たくさんの記事が並んでいる。
最初は弱点でもつかんでやるくらいの気持ちだった。
それなのに、いつのまにか夢中で読んでいた。
うまかったんだよね。文章が。書くのもうまいし、なんていうか、いい文章なのだ。
弱点を見つけるどころか、「こんな人いるんだ」と感動してしまった。
春が始まろうとする日、3回しか会ったことのない彼に、付き合おうと言われた。
たしか、付き合い始めた後だったんじゃないかな。3年前に「会ってみたいな」と思った文章を書いていた本人だと気づいたのは。
こういう偶然が起こるのは、一度や二度ではなかった。
“実存は本質に先立つ”
何日か前、急にこの言葉がふっと浮かんできた。
教えてくださったのは、クルミドコーヒーを経営する影山智明さんだ。
わたしが主宰するイベントのトークゲストを引き受けてくださったときに、フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルの実存主義について話してくださった。
例えばナイフを作るとき、用途や目的を考えてからそれに最適化されたものを考える。これは、本質が実存に先立っている。
一方で、人間はそうじゃない。実存があって、自分の本質はそのあとの人生でつくられていくもの。それが「実存は本質に先立つ」ということだった。
なんで急に思い出したのかは、分からない。
でも言葉の意味を思い出して、「ああ、そうか」と腑に落ちた。結婚もそうなんだ、と。
今までも2年近く一緒に住んできたから、暮らしが大きく変わることはない。今は結婚の制度にいろいろな考え方があるから、婚姻届を出すことがすべてでもない。
それでもわたしたちは結婚することを選んだ。
きっと、結婚するときの目的はなくたっていいんだと思った。
結婚する前日、「ほんとうに俺でいいのか」と何度も聞かれた。
笑いながらわたしは「大丈夫だよ」と返した。
わたしが大丈夫だって言ってんだから、大丈夫に決まってるのだ。
ひとまず、これからもいっしょにふたりでださピースをしようぜ。
なるようになってく。たぶんノリさ。よろしくね。
おしまい🥚
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