見えないけれど、そこにあるもの
友人であるすなばさんの初の単著『さよならシティボーイ』を読んだ。
文章の中でも読書感想文だけは書かないと決めているのに、それでも「書かなければ」と思ったのは、読み終わった直後、あざやかな感覚に包まれたことを記録しておきたいからだ。
最後のページをめくり終え、頭の中に浮かんできたのは、9年前に初めて海を目の当たりにしたときのことだ。
20歳にして初めて海を見た日、人生で見たことのない大きさの水の塊に衝撃を受けた。こんなに大きい水は見たことがなかったから。
初めて見た海は、揺れていた。ずっと波が寄せては返し、をエンドレスリピートしている。山は揺れない。でも海は繰り返し揺れている。
大きな水の塊を目の前にしていると、ふとこれまでの人生のさまざなシーンが浮かんできた。
小学生のころ、教室で授業を受けていると西日が差してきて、黒板の左側が反射してしまっていたとき。浪人生のころ、同級生のお葬式に出た後、帰りのバスの外の景色を眺めていたとき。
まだ海を見たことがなかったあのときも、ここに海はあって、こうやって揺れていたんだ。そう思うと、とても心が穏やかになって、すごいことだなあ、としみじみとした気持ちになった。
わたしの日常という軌道の中で、遠く離れたこの海があるということに、なぜだかものすごく安心したのだ。
『さよならシティボーイ』を読み終えた直後、「自分の見ていないところでも、海があることの安心感」を思い出した。
すなばさんがすなばさんであるために、大事にしていること。日常を築いているもの、こと。そういうことが、自分の知らないところでもずっと続いていて、これからも続いていくということ。
嬉しい気持ちと、安心感だった。すなばさんが知らないひとだったとしても、『さよならシティボーイ』を読んだらきっと海のことを思い出したと思う。
文章の中にいるすなばさんのことを考えると、心が穏やかになる。そう思わせてくれる人は、文章は、めったにない。
これは感想になっているのだろうか。相変わらず本の感想は特に全然うまいことが言えなくてもどかしい。
『さよならシティボーイ』は、本の形をした海です。
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